死にたくない私の悪あがき   作:淵深 真夜

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17:ジョーカーVSジョーカーキラー

 永遠に続くと思われた上がり階段の出口が見えた時、汗にまみれた受験生の顔が輝いた。

 サトツが階段の出口でいったん立ち止まったことで、受験生たちはそこがゴールだと思い込み最後の力を振り絞って駆け上がり、そして絶望する。

 

 自分たちの眼前に広がる湿地は、どう考えてもゴールではない。

 むしろ「これからが本番だ」と言っているようにしか思えなかった。

 

「ヌメーレ湿原。通称“詐欺師の(ねぐら)”」

 受験生たちの不安を、サトツは淡々と肯定するようにこの土地の名を口にする。

 

「二次試験会場へは、ここを通って行かねばなりません。この湿原にしかいない珍奇な動物達。その多くが人間をあざむいて、食糧にしようとする狡猾で、貪欲な生き物です。

 十分に注意してついてきてください。騙されると死にますよ」

 

 サトツの説明に、覚悟を決めるように息をのんだ受験生は少数だった。

 ほとんどの受験生が、「所詮は獣の浅知恵。騙されると忠告されて騙されるわけがない」と思い、中には鼻で笑う者もいた。

 

 その数秒後、浅知恵だったのは自分たちの方だと思い知らされるなど、誰も予想していなかっただろう。

 

 * * *

 

 自称、「本物の試験官」の顔面にトランプが3枚突き刺さり、彼は自分の身に何が起こったかを理解する前に息絶える。

 一方、初めから受験生たちを連れてきていたサトツは、しっかりと唐突に投げつけられたトランプ4枚を受け止めて、指先にすら傷一つない。

 その反応に、投げつけた張本人のヒソカが満足そうに笑う。

 仲間が死んだことで、死んだふりをやめて逃げ出した人面猿の後頭部にもカードを投げつけて殺しながら。

 

「これで決定♦ そっちが本物だね♥」

 

 何が起こったか状況が理解できていない受験生たちに、ヒソカは説明する。

 ハンター試験の試験官は自分たちの先輩となるプロハンターなので、あれくらいの攻撃は防げて当然だと。

 言い訳ではなく、自分が何かまずいことをした程度の不安もなく、ヒソカはむしろ試験官を挑発するように言ったが、サトツの方は淡々と返答する。

 

「褒め言葉と受け取っておきましょう。

 しかし、次からはいかなる理由でも私への攻撃は試験官への反逆とみなして、即失格とします。よろしいですね?」

「ハイハイ♦」

 

 試験官に目をつけられたというのに、ヒソカは相変わらずに楽しそうに笑っていた。

 この男にとって試験官に目をつけられるというのは、少しでも強者と戦える可能性が上がることであり、むしろ望むところなので非常に機嫌がいい。

 

「っていうか何でお前、私にまでついでに投げつけた!?」

 そんな上機嫌のヒソカに、ソラは自分めがけて飛んできた4枚のトランプを投げつけて返す。もちろん、ヒソカと同じくしっかり“周”をして。

 しかしオーラのコーティングで刃物並の切れ味となったトランプはあっさり、ヒソカのバンジーガムで防がれて回収される。

 

「やぁ、ソラ♥ やっとボクに構ってくれるのかい?」

「誰が構うかこの変態ピエロ! つーか、いつ名前知った!?」

 

 ただでさえ気持ち悪いくらいに機嫌が良かったヒソカが、ご満悦この上ないと言わんばかりの声を上げソラへと向き直り、受験生はもれなく全員が引いた。

 ソラも全力で引きつつ、知られたくなかった名前が知られているという事実に泣き出しそうな声を上げる。

 

「地下道や階段で、君の友達が呼んでたからね♦ くくく、いい名前だ♣ 君の眼にぴったりだよ♥」

 本当はイルミから聞いたのだが、イルミから口止めされているのでヒソカは適当に答えた。

 

 ちなみに、実はヒソカがついでに「どんな反応するのかな?」というノリで投げつけたトランプは1枚だったりする。後の3枚は、「どうせ何セットか持って来てるのなら、1セット頂戴」と言われて渡した、イルミからのものだろう。

 くれと言われた時から予想はしていたが、針だとソラにもキルアにも自分の存在がばれるので、イルミは隙あらばヒソカのトランプで彼女を殺す気満々らしい。

 

「ソラ、ヒソカとも知り合いなの?」

「げっ! マジか!?」

「……お前は何をやらかしたんだ?」

「知り合いじゃないし、こいつにはマジで何もやってないよ! 爆砕しろって言ったくらい!!」

 

 ゴン、レオリオ、クラピカの順に問われ、もはや悲鳴同然の声で返答をするソラに、訊いた3人はもちろん、他の受験生、サトツでさえも「十分にやらかしてる……」と思ったのは言うまでもない。

 しかし爆砕しろと言われた本人は、その言葉は全く気にしておらず、いけしゃあしゃあと「酷いなぁ♠ あんなに熱く抱き合った仲じゃないか♥」と言い出した。

 

 キルアや試験前のトラブルを知る受験生たちは、心底ソラに対して同情するような視線を向けるが、試験前のゴダゴダを知らぬ者はヒソカの発言に一斉に噴き出す。

 クラピカの眼は色こそ変わらなかったが異様に怖くなって、武器の木刀を取り出したことに気付いたのは、隣のレオリオだけだった。

 のちのレオリオ曰く、「ヒソカの発言直後は、あいつの周りの温度が最低でも3度は下がった」らしい。

 

「お前がいきなり引っ張りよせて拘束しただけだろうがー!!

 何だその、ホップ・ステップ・月面着陸な記憶改竄は!? お前本気で今すぐに死んで、『 』にも還るな! 消え失せろ!!」

 

 もちろん、ヒソカの戯言をソラは半泣きになって全身に総立ちにした鳥肌をさすりながら全否定する。

 その否定で噴き出した受験生たちは「そりゃそうだよな」と納得し、クラピカの様子もやや軟化してレオリオをホッとさせる。

 

「おい、ソラ。もうそいつに構うな、ほっとけ。お前が反応すればするほど、気色悪いくらいに嬉しそうだから」

「私だって反応したくないよ! 無視したいよ! でも、無視してもあいつは視姦してくるか、セルフ放置プレイと解釈して勝手に悦ってそうでやだよ!!」

 キルアがソラを宥めようと口出ししてみるが、ソラは半泣きどころか今にも号泣しそうな勢いでキルアとゴンに縋りついた。

 キルアの言う通り、ヒソカは「つれないなぁ♠」と言いながらも、嬉しそうにニヤニヤ笑って相変わらず気持ち悪い殺気を放っている。どう見ても、先ほどのサトツに対しての反応よりも機嫌がいい。

 

 その殺気をぶつけられているソラはもちろん、受験生全員が「気色わるっ!!」と思う中、キルアとソラにとって不幸中の幸いは、ソラがキルアに泣きついて抱き着いたことで、我慢しきれず漏れ出したイルミの殺気が紛れて二人とも気付かなかったことだろう。

 

「……受験生同士の争いも、なるべく遠慮してほしいのですがね。そういう趣旨の試験ではありませんし」

 ヒソカの所為なのかソラの所為なのかよくわからないが、とにかくカオスになり始めた場を何とかサトツが仕切り直して、受験生311名、ヌメーレ湿原横断マラソンを開始する。

 

 * * *

 

 階段を上がってきた時、目の前に広がる湿原に絶望した受験生たちだったが、人面猿にヒソカ、そしてソラのおかげ(?)で少し長い休憩を取れた為、全員が気を取り直して酷いぬかるみの中を走り出す。

 だが、走り出して数分でまず初めに受験生を襲ったのは、人面猿のような狡猾な獣ではなく、濃霧という自然現象だった。

 

 数十センチ先を走る相手さえもシルエットしか見えない霧に辟易するゴンとソラに、キルアは話しかける。

「ゴン、ソラ。もっと前に行こうぜ」

「あー……。そうした方が良いな」

「うん。試験官を見失うといけないもんね」

 

 キルアの言葉に二人は同意するが、ゴンの返答にキルアとソラは同時に全く同じことを言った。

「「そんなことより、ヒソカから離れた方が良い」」

 

 割と長いセリフが完全にハモったので、言った直後に二人は顔を見合わせる。

 キルアの方は面白くなさそうにソラを睨み付けるが、ソラは手で「お先にどうぞ」とジェスチャー。

「どういうことなの?」と、歳よりも幼いくらい無邪気にゴンが尋ねてくるので、なんか面白くないと思いつつも、そのままキルアが「あいつ、殺しがしたくてウズウズしてるから、霧に乗じてかなり殺るぜ」と説明してやった。

 

 キルアの答えに、ゴンは無言で彼を見る。

「なんでそんなことがわかるのって顔してるな」

 目は口程に物を言うの実例みたいな顔をしてたゴンに、キルアはおかし気に笑う。そして歳相応の悪戯を企むような笑顔のまま、彼はゴンを脅かすようにその疑問に答えた。

 

「何故なら俺も同類だから。臭いでわかるんだよ」

「同類? あいつと? そんな風には見えないよ」

 

 キルアの答えにゴンはきょとんと、本当に鼻を少しだけ動かして匂いを嗅いでみた。

「臭い」に関しては比喩表現だったが、犬並の嗅覚を持つゴンなら本当に体に染み込んだ血の匂いや死臭をかぎ取れてもおかしくはなく、キルアからはそんな臭いは一切しなかったからこそのきょとん顔だが、キルアはゴンの反応にさらに笑みを深める。

 

 今度は年齢に不釣り合いな、どこか陰惨な笑み。

 獲物を甚振る猫にその笑みは似ていたが、それよりもサディスティックに笑いながらキルアは答える。

 

「それは俺が猫を被ってるからだよ。そのうちわかる」

「ふーん」

 

 キルアが自分は人殺しとカミングアウトしたも同然の言葉を聞いても、ゴンの眼に畏怖も蔑みも宿らなかった。

 驚いているのか納得しているのかよくわからない相槌を返されて、「信じてないな、こいつ」とキルアは一瞬腹が立ったが、次の瞬間、ソラとは違う天然の斜め上に思わず脱力した。

 

「レオリオー!! クラピカー!! キルアとソラが前に来た方が良いってさー!!」

「どアホー! 行けるならとっくに行っとるわい!!」

「あはははははっ!! ゴン! 君サイコーッ!」

 

 ゴンの大真面目で正しいが無茶苦茶なアドバイスに、レオリオは後ろの方で正論を怒鳴り返し、ソラは走りながら腹を抱えて笑う。

 しかしゴンの方は本気だったらしく、「そこを何とかがんばってきなよー」とまだ言ってるのを見て、キルアはもちろんソラも若干引きつった笑みを浮かべながら思った。

「天然ってすごい」と。

 

「緊張感のない奴らだな」

「私が言うのもなんだけど、そだね。あ、あとさ、キルア」

 呆れながら呟いたキルアに、ソラがまさしく「お前が言うな」なセリフを自覚しつつも言った直後、思い出したように付け加えた。

 

「わかんないよ」

 

 キルアも、後方のレオリオ達に前に来るようにという無茶な説得をしていたゴンも、ソラの唐突な言葉にきょとんとするが、言った本人はキルアの方を見もせず、何やらゴソゴソとウエストポーチを漁りながら言葉を続けた。

 

「君とあの変態は同類なんかじゃない。まったくの別物だよ。

 君がしてることは『殺人』。あいつのしてることは『殺戮』。これらを一緒にしちゃだめだ」

「……なんだよ、それ? 何か違いがあんのかよ? 殺した人数か?」

 

 ソラの言葉にまたキルアが面白くなさそうな顔をするが、ソラはそのことに気付いているのかいないのか、ケロッとした顔で否定する。

「関係なくはないけど、違うな。説明はしてもいいけど、今は無理だ。後でな」

 

「何でだよ!?」とキルアが文句をつける暇もなく、ソラはキルアに「キルア。これ持ってて」と言って投げ渡す。

 

「は!? ……何だよ、これ?」

「わ、すごい! ソラ、これ宝石!?」

 

 キルアに投げ渡されたものを見て、受け取ったキルアは理解できずにいぶかしげな顔をして、それを覗き込んで見たゴンは子供らしい無邪気な笑顔で尋ねる。

 ソラがキルアに投げ渡したものは、小指の爪くらいの大きさのルース。研磨やカットはされているが、指輪やネックレスにするための台座などに取り付けられていない状態の宝石である。

 

「そうだよ。そしてキルア、それはお守りだ。大切に持ってて」

 ゴンの問いに答えつつ、それが何の役割を持っているのかをキルアに説明すると、キルアの顔は不愉快そうに歪み、ソラを睨み付けた。

 

「いらねーよ! この試験はもちろん、他の試験もお前の助けなんて!」

「君に対してじゃなくて、私にとってのお守りだよ」

 

 自分に対して何かまた余計なお世話を発揮したのかと思って怒鳴ると、ソラは若干面倒くさそうな顔をしてそのことを即答で否定し、キルアは続ける筈の言葉を見失う。

 

「それは君がどこにいるか私が知るための目印。発信機みたいなものだと思っといて持っといて。

 私ちょっと、クラピカとレオリオの方に行ってくるから」

 

 サラッと当然のように言い切ったソラに、ゴンが「え? 大丈夫?」と尋ねる前に、キルアが眼を見開いて即座に反論する。

 

「!? バカか、お前!! 自分でさっきなんて言ったかも忘れたのかよ! っていうか、お前が一番危険だろうが! あの変態に目をつけられて泣きそうになってたのはどこのどいつだよ!!」

「私だね。もちろん、今でもあいつに関わるのはめっちゃごめんだけど、しょーがないじゃん。

 ゴンの言うとおり、あの二人が前に来れるのならともかく、無理なら私が行くしかないじゃん」

 

 だが、キルアの言葉をソラが実に面倒くさそう言い返す。

 何がしょうがないのか、キルアにはわからない。何故ソラが行くしかないのか、キルアには納得できない。

 けれどソラにとってそれは、わざわざ説明する必要がないくらいに当たり前のこと。

 生きるために息をするように、理由なんかいちいちいらないもの。

 

 そう自分に言い聞かす以外、キルアには出来なかった。

 訊けなかった。

「そんなに、あっちの『弟』の方が大事か?」なんて尋ねる素直さはもちろん、勇気だってキルアにはなかった。

 

 だから唇を噛みしめて黙ることしかできなかったのに、それしかできなかったキルアの頭にソラは手を置いた。

「そんじゃ、いってきまーす。キルアはそれ、しっかり持っといてね。それがあれば、帰ってこれるから。

 頼りにしてるよ」

 

 ぐしゃぐしゃとキルアの銀髪をかき混ぜながら笑って、ソラはキルアとゴンから背を向けて、受験生の隙間を縫って逆走していった。

 白髪に色白なので、ソラの姿はあっさり濃霧にかき消されて見えなくなる。

 

 逆走していったソラをポカンとしばらく見送ってしまった二人だが、霧がさらに濃くなってゆくことに気付いて、慌てて前を向いて走り続ける。

 走りながらゴンは、まだかろうじて姿が見えるキルアに言った。

 

「……なんか、ソラってすごいね。クラピカとも本当に姉弟みたいだけど、キルアとも外見関係なく血が繋がってないのが信じられないくらい信頼してるんだ」

「…………ただ単におせっかいなだけだろ。本人が言った通りの、おせっかいババアなだけだろ」

 

 ゴンの言葉にキルアは、つっけんどんに言い返す。

 この時ばかりは、前どころか左右さえも霞んでほとんど見えない濃霧がありがたかった。赤くなって熱くなった顔を冷ますにも隠すにも、都合が良かったから。

 

 ソラがキルアとゴンの元から離れて数分もしないうちに、まったく違う方向から悲鳴が聞こえてきた。

 それはヒソカが何かをやらかしたのか、この湿原の獣たちに騙されたのかは二人には判別がつかなかったが、初めの悲鳴からさらに数分後、ゴンの耳に確かに届いた悲鳴が誰のものかは、この野生児にははっきりとわかった。

 

「ってぇーー!!!」

「! レオリオ!!」

「ゴン!!」

 

 キルアは名を呼び、引き留めようとしたが、ゴンは何の躊躇もなく駈け出してソラのように逆走していく。

 一瞬、キルアは立ち止まって迷ったが、彼はゴンから背を向けて走り続ける。

 

 頼りにしてると言われたから。

 キルアがこの湿原の詐欺師たちに騙されて、試験官からはぐれることなどないと信頼して、「お守り」を託した女がそう言ったから。

 だからキルアは、ゴンやソラと同じ方向には行けなかった。

 

「……戻ってこなかったら、ぶっ殺してやる」

 

 今はもう隣にも後ろにもいない、けれど絶対に帰ってくると信じている二人にキルアはそう告げて、彼は走り続けた。

 

 * * *

 

「てめェ!! 何をしやがる!!」

 レオリオの怒声に、霧の中から現れた狂人は実に楽しげに笑って答える。

 

「くくく♦ 試験官ごっこ♥」

 トランプを鮮やかにシャッフルしながら、死体や致命傷を与えてもらえなかったことでのたうちまわって苦しむ受験生たちの中心で、ヒソカは相変わらず気色の悪い殺気を上機嫌で振りまき続けている。

 

「二次試験くらいまで大人しくしてようかと思ったけど、あんな美味しそうな子がいるのに一次試験があまりにタルいから我慢しきれなくてね♠ だから、ボクの欲求不満の発散を兼ねて選考作業を手伝って、ボクがキミ達を判定してあげるよ♣」

 

 ヒソカの不遜な言い分に、受験生の一人が嘲笑う。

「判定? くくく、バカめ! この霧だぜ? 一度、試験官と離れたら最後、どこに向かったかわからない本隊を見つけ出すなんて不可能だ!!

 つまり、お前も俺達も取り残された不合格者なんだよ!!」

 

 その受験生の言葉は正論だった。常識だった。

 が、この道化師に常識が通用するはずがない。だからこそ、この惨状だということを理解できていなかった愚かな受験生は、人面猿のように額にトランプが突き刺さって死んだ。

 

「失礼だな♠ キミとボクを一緒にしないで欲しいね♦

 冥途の土産に覚えとくといいよ♣ 奇術師に不可能はないって♥」

 

 ソラに何を言われても気にせず、むしろソラが本気で嫌がれば嫌がるほど悦に入っていた変態だが、興味のない雑魚に同レベル扱いはさすがに気に障ったらしい。

 それでも彼の声音から余裕は消えない。

 自分ならこの濃霧も狡猾な獣たちもものともせずに、二次試験会場に辿りつけるという自信が見て取れた。

 

 その余裕っぷりに「どうせ不合格なら」という自棄が生んだのか、それとも人数だけなら圧倒的だと気が大きくなったのか、受験生たちは一斉にヒソカを取り囲む。

「殺人狂め。貴様など、ハンターになる資格なんてねーぜ!」

「二度と試験を受けられないようにしてやる……!!」

 

 受験生たちは武器を手に取って、口々に「これからお前をリンチする」と宣言するが、ヒソカは彼らの言葉など気にも留めず、トランプを1枚取り出して宣言した。

「そうだな~……。

 キミ達、纏めてこれ一枚で十分かな♣」

 

 ヒソカの言葉にキレて受験生たちは一斉に襲い掛かるが、まさしく所詮は烏合の衆という有様。

 いくら1対多数とはいえあらゆる意味で実戦慣れをして、他者を殺すことに躊躇どころか快楽を感じている相手と、そんな狂人相手でも殺す覚悟が本心では決められなかった、自分の手でとどめを刺す勇気などなかった受験生が相手になる訳がない。

 

 連携が取れないのなら多人数との乱闘なんてヒソカからしたら、自分の身を守る盾や壁が多いというメリットでしかなく、ヒソカは悠々と宣言通りにトランプを1枚、ハートの4のみで受験生たちの喉笛や両目、急所を切り裂いてゆく。

 

「くっくっく、あっはっはっはァーーァ♥」

 

 たったの数十秒間で10人以上を殺し、狂った哄笑を上げるヒソカを見て受験生達はようやく、相手が自分達では敵わない、もはや別の生き物だと認識した方が良いことに気付き、もう彼に立ち向かうものはいない。

 悲鳴を上げて逃げ出す受験生たちを、ヒソカが血の匂いで興奮してさらにテンションが上がったのか、笑いながらトランプを振りかぶって迫る。

 

「凍てつけ!!」

 

 ヒソカの甲高い哄笑でも、逃げ惑う受験生たちの野太くて情けない悲鳴でもない、男にしては高く、女にしては低い、声変わりする直前の少年じみていながら凛とした声が響くと同時に、ヒソカは視界にとらえた。

 自分の足元近くに投げつけられた、青い宝石らしき鉱物を。

 

 とらえると同時にヒソカは、喜悦の笑みを浮かべて後ろに飛びのく。

“凝”や“円”をしていなくても、テンションが上がってあらゆる意味で感度が良好なヒソカからしたら、その宝石に込められたオーラにも、そのオーラが誰のものであるかも、声などなくてもわかった。

 

 ヒソカが飛びのいた直後、宝石が破裂してその中にたっぷり充填されていたオーラが、宝石の属性を解き放ち、地面のぬかるみをヒソカに襲われかけていた受験生たちの足ごと凍りつかせる。

 他人が巻き添えになったことに気付いているのかいないのか、他の受験生などお構いなく声が響き渡り、さらに宝石が投げつけられる。

 

「吹き荒れろ!」という宣言で暴風が巻き起こり、辺りの霧を晴らすと同時にヒソカの投げつけたトランプも明後日の方向に飛ばしてゆく。

「焼き払え!」という宣言は、既に二つのパターンを見せてしまった所為で読まれ、赤い宝石はヒソカのバンジーガムで投げつけられたものを受け止められて、今度はこちらが明後日の方向に投げ飛ばされて爆発する。

 

 しかし、相手だってそれくらい読んでいた。

 本命の攻撃は、自分のオーラの系統にあったもの。

 風属性の宝石魔術で少し薄くなった霧の奥から、「彼女」が現れる。

 

「吹っ飛べ、マッドピエロ!!」

 

 そんな身も蓋もない言葉とともに弾丸のような勢いで跳んできたのは、宝石ではなくソラ本人。

“硬”に近いくらいにオーラを込めた足のジャンピングキックを防ぐために、ヒソカもオーラを上半身から腕に集中させてガードした。

 が、強化系の“硬”のダメージを最小限にするためには、オーラのほとんどを上半身に回して防御しかなかったので、バンジーガムで足を地面に固定させる余裕がなければ、湿地帯だわソラの宝石魔術の所為で氷も張ってるわで踏ん張りが利くわけもなく、ヒソカは彼女の要望通り派手に吹っ飛んだ。

 

 ちょっとマンガのようなあまりにも綺麗なヒソカの吹っ飛び具合に、クラピカやレオリオはもちろん、他の受験生も暴風や爆発を起こした宝石以上の光景に呆然とし、その光景をただ見ることしかできなかった。

 ヒソカにライダーキックを決めた女は、ぬかるみに転びそうになりながらも着地して、舌打ちしながら呟く。

 

「ちっ! 玉天崩失敗した。やっぱちゃんと3撃入れないとダメか」

 

 その呟きが聞こえた受験生は、まったく知らない、どんな技なのか予想も出来ない名前なのに、何故か全員無意識に内股になった。

 おそらく男の本能でその技の別名が、「一夫多妻去勢拳」ということを感じ取ったのだろう。

 

 クラピカとレオリオも無自覚に若干内股になりつつも、現状をやっと把握して叫ぶ。

 

「ソラ!? 何故ここに!?」

「何してんだ、お前! ゴン達と一緒にいたんじゃなかったのかよ!?」

 

 よりにもよってヒソカが完璧に目をつけていた本人がやって来た挙句、攻撃をぶちかましたことを彼らは叫んで叱責しているのに、二人の声にソラは場違いなくらい嬉しそうに笑って振り返る。

 

「クラピカ! レオリオ! 良かった無事で……って、レオリオその番号札どうやってつけてるの!?」

「「どこに注目してる!?」」

 

 二人の無事を安堵して喜んだと思ったら、上半身裸なのにレオリオはどうやって受験番号のプレートを付けているのかという、どうでも良すぎる部分に注目して驚愕するソラに思わず反射で、二人は同時に突っ込みを入れた。

 口に出して突っ込んだのは二人だけだが、おそらく生き残った受験生全員が同じことを思ったのは間違いない。

 

 しかしその程度の突っ込みで話を終わらせるぐらいに空気を読んでくれる女なら、クラピカやキルアはもちろん、ビスケや時計塔のカリスマ講師の苦労は100分の1以下で済む。

 

「いやだって、マジでどうやってそれつけてるの!? 安ピンだったよね、それ!」

 しつこく問い詰めるソラにクラピカは、「お前は本当に奇跡的なバカだな!」とキレるが、キレつつ横目でレオリオの番号札をチラッと見た。

 突っ込んだ手前言い出せないが、ソラに指摘されて彼も「あれはどうやってついてるんだろう?」と疑問に思ったのだろう。

 

「酷いなぁ、ソラ♠ せっかく来てくれたのに、ボクの相手はしてくれないのかい?」

「げっ!!」

 

 強化系に近い変化系能力者だからか、それともただ筋金入りのドMだからか、ソラに吹っ飛ばされてもヒソカはさほどダメージを受けた様子もなく、むしろ素晴らしく気持ち悪い笑みを浮かべて戻ってきたことに、ソラは心底嫌そうな声を上げる。

 

「お前の相手しに来た訳じゃねーよ! 私はクラピカとレオリオを回収しに来ただけだっつーの!

 という訳で、二人とも走れる!? 逃げるよ!!」

 

 とりあえず、ヒソカの為に来てやったということを全否定しながら、ソラはクラピカとレオリオに「先に行け」と指示を出す。

 せっかく吹っ飛ばして距離を取ったのに、どうでもいいことを気にして時間を無駄にした本人からの指示に少しイラッとくるものがあったが、逃げることに異論はなかったので文句は後回しにして、レオリオはソラの元に駈け出そうとしたクラピカの腕を掴んで、走り出す。

 

「!? 何をする、レオリオ! 離せ!!」

「アホか、お前! どう考えても、俺たちよりあいつの方が強いだろ! 俺らが駆け寄ったところで、せいぜい肉壁にしかならねーっつーの!

 で、あの女は俺らを盾にして生き残って喜ぶ女かどうか、俺よりお前の方がわかってるはずだろうが!!」

 

 腕を掴まれたクラピカは抵抗するが、レオリオの指摘に泣きそうな顔になって唇を噛む。

 3年前と同じ無力感を抱き、同じ後悔をするとわかっていても、レオリオの言葉が正しいこともわかっていたから、クラピカは唇が切れるほどに噛みしめて耐えて、ソラに背を向けて走り出す。

 

 が、その直後に何故かレオリオがソラのとび蹴りを背中に喰らって吹っ飛んだ。

 

「おぐぅっ!!」

「レオリオ!? ソラ! いったい何がしたいんだお前は!?」

 

 今にも溢れ出しそうだった涙が吹っ飛び、思わずレオリオを蹴り飛ばして自分の傍らで膝をつくソラに突っ込むが、ソラはクラピカも蹴り飛ばしたレオリオも見ない。

 視線は、ミッドナイトブルーからじわじわと明度が上がって鮮やかなブルーになってゆく目が向ける先は、殺戮の道化師に向けられていた。

 

「おい、こらてめぇ! 俺に何の恨みが……」

「何のつもりだ?」

 

 吹っ飛んだレオリオも起き上がってソラに抗議するが、彼女は見向きもせずにヒソカに問う。

 その声の冷たさに、そして奇術師をまさに殺さんばかりに睨み付けて、ヒソカ並みの殺気をソラが放っていることに気付いてレオリオは、続けようとした言葉を見失う。

 

「くくく、そんな目で見つめるなよ♣ 興奮しちゃうじゃないか♥」

「何のつもりだって訊いてるんだ。言葉が通じないんだったら、黙ってろ」

 

 しかしソラの殺気もヒソカからしたら興奮材料にしかならず、さらに気色悪いことを言い出してクラピカとレオリオを盛大に引かせる、ソラは不愉快そうに鼻を鳴らす。

 試験前や湿原を走る前のような反応を返してくれなかったのが少し不満なのか、ソラの反応に少しだけヒソカのテンションが下がってようやく彼女の問いに、舌なめずりをしながら答える。

 

「そんなに怒らないでほしいなぁ♠ ボクがどんなにアプローチしてもキミがボクの相手をしてくれないから、キミが大切にしてるその子たちにちょっかいをかけたら、キミはその眼でボクを見てくれるんじゃないかなって思っただけだよ♣」

 

 ヒソカの答えに、レオリオは今更背筋を震わせた。

 ヒソカが何をしようとしたのかは全く分からないが、ソラのとび蹴りは間違いなくヒソカがソラと戦うために、彼女の怒りを買うために何らかの攻撃か何かを自分に加えようとして、それに気付いたソラが蹴り飛ばしてレオリオを庇ったのだろう。

 

 そのことを知って、レオリオが抱いた感情は死への恐怖でも、それがまぬがれたことに対する安堵でもなく、どこまでも命を玩具としか思っていない狂人に対しての怒り。

 クラピカも同じ感情を抱いたのか、自分の眼が赤くなってゆくことを感じながら、ヒソカにクルタ族の証を見せてしまっていることに気付ける余裕もなく、木刀を構えた。

 

 もう二人には、「ソラの足手まといだから、せめて邪魔にならないように先に逃げる」なんて考えは頭にはなかった。

 

 が、質問した張本人はヒソカを無表情で眺めながら言う。

 

「……そういや、初めにお前を見た時から言いたかったんだけどさぁ……」

「ん? 何をだい?」

 

 ソラは自分のすぐ近くに落ちていた木の枝を拾い上げてから、立ち上がる。

 そして、濃霧と曇天によって隠された頭上の空と同じ色の眼でヒソカを見据えて言った。

 

「メイクが違うだろ。クラウン」

 

 言いながら、彼女は今さっき拾ったばっかりの、何の変哲もない、オーラさえ纏っていない棒切れを振るった。

 そのクモの巣でも払うような仕草は、レオリオはもちろんクラピカでさえもただの素振りだと思ったが、念能力者なら絶句するだろう。

 

 レオリオの背中に貼りつけるつもりで飛ばし、彼を庇ったソラの腕についたヒソカの念能力、「伸縮自在の愛(バンジーガム)」。

 名前の通りゴムとガムの性質を持ち、一度くっつけばヒソカが解除しない限り剥がれず、伸縮性が極めて高いため、高レベルの強化系能力者でも引きちぎることが困難な、シンプルだからこそ厄介極まりない能力。

 

 そんなバンジーガムが、ソラの腕と自分の腕を繋いでいたオーラが、何の変哲もない棒切れによって断絶された。

 試験開始前、キルアを庇って自分の背中についたものを指で断ち切ったように、オーラを使わずただどこまでも澄んだ青い瞳で見据えることで、彼女はヒソカの能力を無効化してのけた。

 

 しかしヒソカは、そのことに驚きはしても脅威や屈辱の類を抱くことはなく、ただでさえ細く吊り上っていた眼をさらに釣り上げて、狂喜としか言いようのない感情を露わにさせる。

 

 クラピカとレオリオはその狂的な笑みに思わず「ひっ!」と短い悲鳴を上げた。

 ソラはただ、相変わらず無表情で、蒼天の瞳で見据える。

 

 クラウンの笑みを、死を捉える目で白けたように。

 

 ヒソカの服装やメイクが、「道化師」をイメージしているのは一目瞭然だが、実は道化師には「クラウン」と「ピエロ」という二つの種類で分けられる。

 あまり細かい違いがないので混同されがちだが、一般的に涙のメイクを描く道化師が「ピエロ」である。

 

 そんな雑学を、思い出してしまった。

 ピエロの涙の意味を、思い出してしまった。

 どうでもいい雑学でしかなかったが、思い出してしまったらヒソカのメイクが無性に気に食わなくて、ソラはトランプのジョーカーによく似た男に棒切れを突き付けて言い放つ。

 

「お前のどこが、『自分の悲しみを隠して、バカにされながらも観客を笑わせる』んだ? 自分の快楽しか興味がない変態野郎がクラウンどころかピエロって、バカなの?

 お前の独りよがりに笑うのは、お前一人だけ。公開オナニーなんて迷惑なだけだから、独りで鏡見てやってろ。

 

 誰かの為に何もできない奴が道化師を気取るな、サイコジョーカー」

 

 面白おかしくふざけて笑って、生きているということはこんなにも楽しいと思っていないと耐えられない彼女だからこそ、気に食わなくて許せなかったのかもしれない。





戦闘シーン難しい……
ソラの宝石魔術は、フェイトの格ゲーでのルヴィアの技を参考にしました。さすがにルヴィアさんは、トドメに玉天崩なんか使わないけど。

それと、前回のキルアのセリフ同様に、「原作ではこんな言葉使いだけど、今のキャラが固まったヒソカならこんな言葉使いしないよなぁ」と思った部分は、今のヒソカにあうように直しています。

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