死にたくない私の悪あがき   作:淵深 真夜

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18:殺らなきゃ守れない

 蒼天の瞳でヒソカを見据えたまま、ソラは持っていたレオリオのアタッシュケースを本人に放り投げて渡す。

 

「ほい、レオリオ。邪魔だから持ってて。そんで、二人は逃げて」

「出来るわけないだろ!」

「ふざけんな! 足手まといだろうが、あんだけ舐められて尻尾巻いて逃げれるほど俺の心は広くねーんだよ!」

 

 振り向きもせずに再び出された指示に、今度はレオリオもクラピカを止めずに反論する。

 しかしソラは、やはり振り返らずにはっきりと言い切った。

 

「ごめん。二人がいたら勝算がなくなる。

 自殺志願じゃないのなら、ちょっとでも私の為にあいつをぶん殴りたいと思ってくれているのなら、マジで逃げて」

 

 地下道で会ってからうざくて殴りたいくらい高かったテンションが嘘のように、余裕のない真剣な声音に二人は言葉を失った。

 わかりきっていたことだが、その答えにレオリオは悔しげに顔を歪め、クラピカに至っては絶望する。

 3年の月日で、少しはソラに近づいたという自信があった。自分より年上で、魔術や直死の魔眼などという異能を操るとはいえ、女性なのだから体術等なら自分の方が上回っているのではないかと期待していた。

 

 が、この一次試験のマラソンでどうしてもソラに追いつけなかったという事実でその自信は打ち砕かれたというのに、ソラの言葉でわずかに残っていた期待も崩壊した。

 いつまでたっても自分は、守られてばかりの弱くて情けない子供であることを思い知らされながらも、彼は縋るようにソラの背中に尋ねる。

 

「……そんなに、私は役に立たないか? ……邪魔でしかないのか?」

 

 彼女の言うとおり、少しでもソラの為を想ってヒソカと対峙しようとしていたのなら、こんな弱音を吐いている暇があるのなら逃げるべきだった。

 それでも、クラピカは一歩も動けずに縋り付いた。

 見苦しく、否定の言葉を期待した。

 

「そうだね。邪魔と言えばレオリオ以上に君が邪魔だね」

 相変わらずソラは振り返らず、クラピカの問いに対して追い打ちをかける。

 その答えで絶望という感情すら浮かび上がらない無表情になったクラピカを見て、レオリオが何かを言いかけたが、それを遮るように告げたソラの声は少しだけ明るかった。

 

「君が大切すぎて、私はあの変態から勝つことや逃げることより、君を逃がして守ることばっかり優先しちゃうから」

「なっ!?」

 

 強い弱いなど関係なく、ただ大切だからというストレートすぎる言葉で絶望すら通り過ぎて人形じみたクラピカの無表情が、実に人間らしい赤面と変化する。

 ソラの言葉とクラピカの反応で、レオリオは「心配して損した」と言わんばかりの顔になり、ソラに向かってニヤニヤ笑っていたヒソカの笑みもなんだか若干違う種類のものに変化したように見えるのは、おそらくクラピカの被害妄想ではない。

 

 当のクラピカは3年前から健在な、どん底まで叩き落としてから一気に引き上げるという狙ってやってるのか素なのかが不明な高低差についていけず、赤面したまままた口をハクハクと開閉させることしかできない。

 そんな金魚状態のクラピカに、ソラは少しだけ振り返って言った。

 

「だから、ごめん。先行ってて。心配なんかしなくていいからさ。っていうか、心配する必要ないよ。君は知ってるだろ?

 私が、どこから逃げ出して生き延びてきたかを。あの『 』と比べたらこんな変態くらい、余裕だってば」

 

 いつものように、おどけたように飄々と彼女は言って笑っていた。

 どこまでも澄みきっていながら、何もかもを飲み込んで混濁したような青い、底など見えない最果ての瞳にクラピカを映して。

 

「よそ見なんて、ホントつれないねキミは♠」

 

 やや不愉快そうにヒソカは言ったが、言葉通りではないことなど喜悦をたっぷり含ませた粘着質な声と狂喜の笑みを浮かべて距離を詰めてきたことで、誰でもわかる。

 ソラの首を掻っ切るつもりで掲げたトランプを、ソラはヒソカの方を見もせず上体を大きくのけぞらせて避けてから、そのままブリッジの体勢になってバク転の要領で蹴りつけた。

 

 ヒソカではなく、自分の方に跳んできたトランプが頭に刺さった死体を蹴り飛ばして、ついでにヒソカの強襲と死体の奇襲という衝撃で固まってしまった二人に指示を飛ばす。

「逃げて!!」

 

 叫びつつ、ソラは木の枝を構えて彼女には珍しく自分から相手の方に突っ込んで行った。

 その背をまた、ただ見るしかできない、手を伸ばしても届かないことを思い知りながら、今度はクラピカがレオリオの腕を掴んで駈け出した。

 

「行くぞ!」

「お、おう! おい! ソラ! 死ぬんじゃねーぞ!!」

 

 クラピカに腕を引かれながら、レオリオは振り返ってソラに命じる。

 その声に、いつものバカ高いテンションでソラは応じた。

 

「あったりまえだーっ! 死ぬくらいならこの変態をぶっ殺すっつーの!!」

 

 * * *

 

 早速、イルミの言っていた「予知能力でも持っているのかと思うくらい、不意打ちや奇襲の類が成立しない」というのを実体験して、ヒソカの口角がさらに上がる。

“円”もしていないのに自分の方に視線も向けずにやたらと大げさな動きで避けたかと思ったら、ヒソカの腕から死体に伸ばし、腕を振るった反動で引き寄せてぶつけようとした死体の存在を、しっかり彼女が読んでいたことがヒソカにとっては嬉しくてたまらなかった。

 

「くくく♥ ソラ、キミはホントにイイよ♥」

「私は何も良くねーよ!!」

 

 が、もちろんソラからしたら最悪極まりない。

 クラピカとレオリオを逃がすために自分から向かって行って、棒切れでヒソカのトランプとバンジーガムを捌き、ゴムの反動でブン投げて飛ばしてくる死体を蹴り返したのは、30秒ほどだけ。

 

 あとはもう防戦に徹して逃げ回るソラをヒソカが追い回す鬼ごっこ状態で、二人は噛み合わない会話を交わす。会話と言うより、ヒソカの気持ち悪い独り言に耐えられず、ソラが突っ込みまくっているだけが正確だろう。

 

 今にも泣き出しそうな顔で叫んで否定しながら、ソラはやはりオーラを纏いもしてない棒切れを振るって、ヒソカが貼りつけようとしたバンジーガムを切り裂いて無効化してゆく。

 そんな念能力者にとって絶望的な異能を見せつけられているにも拘らず、ヒソカは相変わらず上機嫌に笑いながら追い掛け回し、そして尋ねた。

 

「ねぇ、ソラ♦ 一つ、訊いてもいいかい?」

「もうこの時点で質問だろうが! お前に教えることなんか何もない!!」

 ヒソカの言葉に揚げ足取りで言い返して却下するが、ヒソカはソラの要望などサラッと無視して問いかける。

 

「キミのその眼、念能力かい?」

 

 ソラは宣言通り、ヒソカの問いには答えなかった。

 ただ、蒼天の瞳の明度が静かに上がっていくのを見て、ヒソカはゾクリと全身を震わせた。

 

 ヒソカの全身に駆け巡ったのは、恐怖でも脅威でもなく、悦楽と歓喜。

 

「……キミの眼、本当に不思議だね♣ さっきの404番の彼もゾクゾクするような眼をしてたけど、キミは段違い♥」

 

 そう言いながら、ヒソカは自分の体を抱きしめるようにして、一人勝手に悦に入り、ソラは盛大に引く。

 精神はもはや大陸を超える勢いで距離を置かれているが、ヒソカはソラのドン引きなどお構いなく、そのまま勝手に語り続ける。

 

「あぁ、その見事なスカイブルーはイイね♣ 普段のミッドナイトブルーよりも、さらにゾクゾクする♥」

 

 語りながら、ヒソカはどうしてこんなにも自分が彼女に、ソラ=シキオリに執着するのかを理解する。

 それは彼女が今すぐに食べても美味しいのに、まだまだ美味しくなる可能性のある、熟し切っていない果実であるからなのはもちろんなのだが、それ以上に惹かれて止まないのはその瞳。

 

 初めにきちんと顔を見た時から、その眼に真っ直ぐに見据えられた時から感じた感覚がなんであるかを、現在のスカイブルーの眼で見据えられて理解できた。

 

 自分の命を無理やり、力ずくで体から引きずり出される。言い表すなら、それ以外にない。

 

 ソラがヒソカのトランプを捌く際、確かに死臭がした。

 それは自分の攻撃を受けているソラのものではなく、自分から発せられたものだと直感し、ヒソカはさらに興奮した結果があのトランプ1セットを使い切るまでの攻撃。

 そしてその死臭は、今もはっきりと芳しいまでに放たれている。

 

 彼女の眼が明るく澄めば澄むほど、深く淀めば淀むほどに、その瞳で見られるだけで喉笛にナイフでも突き立てられているような芳醇な死を具現化させるその眼が、ヒソカにとって愛しくてたまらず興奮のあまり血が集まる。

 どこにかは、想像にお任せしよう。

 

「勝手にゾクゾクしてろ。っていうか、風邪なんじゃない? 病院行ってそのまま窓と角がない柔らかい病室から出てくんな!」

 

 しかし当然、ソラの方はヒソカの反応を気持ち悪がるだけであり、しかも「スカイブルーの眼がいい」と言った所為か、目の明度が若干下がった。

“凝”を行えば目の色が変化していたが、明度が少し落ちた今でも目に集中して纏うオーラの量自体に変化はない。

 なので彼女の眼の色の変化にオーラは無関係とは言えないが、念能力ではないことをヒソカは確信する。

 

 が、正直言ってヒソカにとってはその目や自分の念能力を無効化する異能が、念能力ではないという能力者だからこそ信じられない驚愕の事実など、どうでも良かった。

 彼にとって重要なのは、自分にとって気持ちよく、互いに全力を出し尽くせる戦いが出来るかどうか。

 

 だからヒソカが考えたことは、あの眼の正体、異能の攻略法ではなく、どうやったらソラをイルミが語った「殺らなければ殺られる」モードにさせられるか。

 自分のまさしく自業自得で相手のテンションを下げて、あの魂を引きずり出される感覚が薄れたことを不満に思い、もはや完全にハンター試験のことなど忘れて、ヒソカはソラと戦う事のみに思考を走らせる。

 

 イルミの言う通り、ソラは仲間の二人を逃がしてからは防衛と逃亡一辺倒になってしまい、野外なのでどこかに追い詰めるということは自分一人ではまず不可能だと判断する。

 そもそも、「殺らなければ殺られる」モードに入っても、それを語るイルミが生きているということは、一度スイッチが入っても、逃げるチャンスを見つけたらあっさりそのモードは解除されて逃げられる可能性は高い。

 今現在のお預けでもヒソカは辛抱がたまらないのに、そんな最高に美味しそうな状態を見せられた挙句に逃げられたら、雑魚などいくら狩っても満足できず、耐えられないのは目に見えていた。

 

 だから、彼は訊いた。

 

「……ねぇ、ソラ♠」

「あ?」

 

 自分を追い回す奇術師に、ソラはガラ悪く答える。

 

「キミにとって99番と404番、どっちが大事?」

 

 ソラは答えなかった。

 答えず、オーラを足に回して地面を大きく抉って駆け出した。

 

 木の枝を剣のように握りしめ、再び明度がスカイブルーにまで上がった目を見開き、ヒソカをその目にしっかりと捉えて。

 芳醇な、濃厚な死の香りに自分の喜悦、愉悦がほとばしるのを感じながら、ヒソカはバンジーガムを張り付けていた死体をハンマー投げの要領でソラに向かってブン投げる。

 

 ヒソカの読み通り、彼女は自分の生存を第一にしているが決して他人に対して興味がないわけではない。それどころか、ここで一人自分の相手をしている時点で、相当なお人好しであることはわかっていた。

 そんな彼女が特に親しくしていたキルアや、大事すぎてヒソカと戦うのなら傍にいられると不利になると言い切ったクラピカに手を出すと、暗に言われて本気を出さない訳がない。

 

 2メートル近い男の死体をブン投げられても、ソラは減速しなかった。

 蹴り返すことも、避けることもせず、真っ直ぐに彼女は駆ける。

 オーラを纏っていない、正真正銘ただの木の枝に過ぎない棒きれで屈強な男の死体を、あまりにも鮮やかに、滑らかに一刀両断して道を切り開く。

 

 ヒソカの仮初の仲間に居合の達人が存在し、きちんと彼の居合を見た覚えなどないが、間違いなく彼以上だと断言できるほど美しい一閃に笑みを深めるが、彼女が死体を二分して道を切り開き、血と霧の中でもはっきりと輝く「空」の眼を見た瞬間、彼の全身に走る悦楽は最高潮に達する。

 

 自分の全身から引きずり出されて、噴き出す死の気配が、トランプタワーが崩れる瞬間のような危ういバランスで、今を生きていることを実感させられる。

 ソラは十分強いと言えるが、彼女より強かった者など何人も屠ってきたのに、こんな感覚を与えられるのは初めてで、そして彼女だけだと確信しながら、ヒソカは真っすぐに自分の元へと迫りくる「死」そのもののような女から逃げずに、オーラを込めたトランプを振りかぶった。

 

 * * *

 

 ヒソカはソラを殺すことのみに、集中していた。

 そしてソラは、「殺す」とだけ決めてしまっていた。

 

「ソラっ!!」

 

 まだ声変わりをしていない、ソラの声と同じくらい半端な高さの声が響くと同時に、ヒソカのこめかみめがけて釣り針が跳んできた。

 ヒソカはその声も、視界の端でとらえる釣り針も無視した。そんなものに構っていたら、確実にこの死神に呆気なく命が断たれることがわかっていたからだ。

 殺されるのはまだ良いが、それなら彼女から与えられる死を思う存分味わいたかったので、オーラを込めてもいない攻撃なら“纏”でほぼ無効化されるのもあって、放っておいた。

 

 しかし、ソラの方はそうはいかなかった。

 

「殺す」と決めてしまった。

 保たれていたバランスが崩れていた彼女にとって、それは自分を助けようとした行為だとは認識できていなかった。

 呼ばれたのが、自分の名前だとすら彼女はわかってなどいなかった。

 

 ソラの突き出した腕、棒切れの先をヒソカはこめかみに思いっきり釣りの重りをぶつけられながらも、ソラが初めに自分のトランプを避けた時のようにのけぞって避けた。

 心臓や首ではなく右肩あたりを狙ってきたが、ヒソカのもはや勘ではなく生存本能が全力で「受けるな、避けろ」と警告を発し、その警告に忠実に従った結果である。

 

 死にたくなかったというより一秒でも長くこの感覚に酔いしれたいというだけの行いにすぎず、ヒソカはのけぞりながら次はどんな予想外な動きでこの「死」の気配を味わわせてくれるのかを期待した。

 

 が、その期待を裏切り、ソラはヒソカを視界から外す。

 

 蒼天の瞳が捉えたのは、釣竿を振り下ろした体勢で固まってしまっている少年。

 仲間の悲鳴を聞いて駆け付け、自分の加勢をしてくれたゴンに向かって彼女は、一瞬の躊躇もなく駆け出す。

 

 ヒソカに向かって行った時と同じく、ただの棒きれをしっかりと握りしめて。

 

 彼女の眼には、ゴンがどう見えていたかなどおそらくソラ本人にもわからない。

 ただ、彼女は守りたかった。誰を何人、犠牲にしても。

 ソラにとって、ゴンのしたことは加勢ではなかった。実力差がありすぎて、それは焼け石に水でしかなかった。

 

 感情を排したソラにとってゴンの行為は「邪魔」でしかなく、彼を「敵」だと認識した。

 

 だから、振りかぶった。

 死神の鎌と化した棒切れを、ゴンに向かって。

 

 

 

 

「やめろ! ソラっ!!」

 

 

 

 

 

 ソラの眼に見据えられ、後ずさりつつも釣竿を構えたゴンの前に、立ちふさがって叫ぶ。

 

「彼は君の敵じゃない!!」

 

 クラピカが、両手を広げてゴンを庇ってソラの前に立ちふさがった時、ソラの振り下ろした棒がクラピカの首に触れる直前、ピタリと止まる。

 

「………………クラピカ?」

 

 きょとんとしか言いようがない顔で、急激に明度が落ちて夜空色となった瞳を丸くさせてソラは呟く。

 

 誰を犠牲にしても、何人殺しても、自分を助けに来てくれた人がわからなくなっても、そこまで狂い果てても守りたかった最愛の名を呼んだ。

何の為に、自分はここまで狂っても生きているのかを、思い出した。

 

 ソラの殺気が薄れ、雰囲気がいつものものに戻ったことに、クラピカとゴンは止まりかけていた呼吸を再開させて安堵するが、即座に安堵するには早すぎることに気付く。

 

 いきなり助けに来たはずのゴンの方へ攻撃を仕掛けたソラに、さすがのヒソカも少しだけ意表を突かれて反応が遅れたが、彼もこの程度で戦いをやめるほど正気ではなかった。

 カードを振りかぶり、迫りくるヒソカにソラが再び瞳の明度を上げて向き直り、ゴンとクラピカもそれぞれ武器を構えた。

 

 が、ヒソカに対して最初に反応できたのは、ソラでもゴンやクラピカでもなかった。

 

「俺を忘れてんじゃねーぞ! 変態ピエぼふぉっ!!」

「「レオリオ!?」」

「あほーっ!!」

 

 腕の傷と、ソラと戦うための自分を人質か見せしめにでもしようとしたことに対して、反撃の機会を狙っていたらしいレオリオが、霧の中から飛び出てアタッシュケースを思いっきり振りかぶったが、ヒソカの拳がレオリオの顔面にめり込んで吹っ飛び、ソラは率直な感想を叫んだ。

 

 レオリオを吹っ飛ばして、そのままソラの方に向かってくると思われたヒソカだが、その直後電話が鳴った。

 イルミに、「ちょっと軽く遊ぶから、2次試験会場に着いたら連絡して♦」と頼んでいたのをその音で思い出して、立ち止まる。

 

 ヒソカを警戒しつつも、クラピカとゴンを背中にやって守るソラと、ヒソカの足元で伸びているレオリオを心配そうに見やりながら、武器を構える二人。

 

 まだまだソラと遊びたいところだったが、ソラに殺されかかっても応戦しようとしたゴンに、そんな彼を守るために立ちはだかったクラピカ。

 そしてあれだけの殺戮を見ても自分に向かってきたレオリオという、この上なく美味しそうな青い果実たちを前にして、ヒソカは少しだけ思案した。

 

 先ほどのソラの反応を考えたら、この中の誰か、特にクラピカを殺せば先ほど以上の殺気をぶつけてもらえそうだが、その為に今すぐ壊してしまうのはもったいなさすぎるほど3人は逸材だ。

 そもそも守る対象が側におらず、ヒソカを殺さないと彼らが危ないと判断したからこそ、ゴンを「自分の邪魔をする敵」としか認識できないほどにソラは、ヒソカを殺すことに固執したのだろう。

 

 守る対象が側にいるのなら、彼女はクラピカに言ったようにヒソカと戦うことより彼らを守って逃がすことを優先する。

 だから、彼らが来てしまった時点で彼女をまたあそこまで美味しい状態にさせるのは不可能だと判断して、ヒソカはカードを仕舞い込んだ。

 

「残念♠ 時間切れ♦」

 

 消化不良ではあるが、とびっきりの果実を見つけただけでもこの「試験官ごっこ」には価値があったと判断し、ヒソカは自分がダウンさせたレオリオを担いで3人に言う。

 

「お互い、持つべきものは仲間だね♥ 一緒にくるかい?」

 

 ヒソカの誘いに、3人は無言で同時に激しく首を横に振った。

「つれないなぁ♠」

 その反応にどこまでもセリフには合わない楽しげな声で答え、ヒソカはレオリオを担いで霧の中に消えて行く。

 ヒソカが立ち去って1分近く、誰も何も話さないし動けない、起こったことを頭の中で整理するのが精いっぱいだった。

 

「……レオリオ、大丈夫かな?」

 沈黙を破ったのは、ゴンの今更感がただよう心配。

 殴られた挙句にヒソカに連れて行かれたのは、少しでもあの変態を知っていたらもはや心配ではなく「ご愁傷様」と諦めが心に占める事態だが、嫌なことにヒソカに気に入られた所為で、この中で一番ヒソカがどういった人物かを把握してしまったソラが「大丈夫」と明言した。

 

「あの変態は、骨の髄どころか魂からして戦闘狂だから大丈夫。弱いのを嬲り殺すのも好きだろうけど、一番好むのは同等以上の相手との命の取り合いだよ。

 たぶん、レオリオのことは気に入ったけどまだまだ未熟って判断しただろうから、あいつは好物を最後に食べようって残すみたいにレオリオを生かすと思う」

 

 ソラの言葉にゴンは「良かった」と安堵するが、クラピカが「いや、それはそれで……」とこの上なく微妙な顔をした。

 

「それよりも、ゴン」

「え? 何?」

 

 レオリオの安否に関しての話題はサラッと終わらせて、ソラは真剣な表情でゴンと向き合う。

 ソラの真顔にゴンはもちろん、クラピカも少し困惑するが、ソラは二人の困惑を無視して叫ぶ。

 

「さっきは暴走して殺しかけてごめんなさいでしたー!!」

 

 ソラのスーパー土下座&謝罪タイムが始まった。

 

* * *

 

「何だ、殺せなかったの? なら、連絡なんかしなきゃよかった」

 

 ヒソカが担いで来たレオリオを適当な場所に寝かせたと同時に、不満そうな声を掛けられた。

 

「んー、ごめんね♦ 仲間が集まってきちゃって、もうその全員があまりにも美味しそうだから、どれも今すぐに壊すのがもったいなくて♥」

 

 針まみれの無表情でも器用に不機嫌さを前面に出すギタラクルことイルミに、ヒソカはまったく悪びれずに答える。

 もちろん、イルミの方も彼に誠意なんてありえないものは求めていないので、その挑発じみた謝罪は無視してさっさとヒソカから離れる。どうも彼はただ単に、自分の不満をぶつけたかっただけらしい。

 

 しかしイルミも相当図太いが、罵倒も無視もプレイの一環と解釈できるほど幅広い性癖持ちのヒソカには敵わない。

 さっさと背を向けて離れていこうとするイルミの背後を付きまとい、ヒソカは一方的につい先ほどまで行っていたソラとの鬼ごっこがいかに素晴らしかったかを語る。

 

「キミの言う通りだったよ♥ “円”を使ってる様子もないのに、死角からの攻撃もうまい具合に避けるし、ボクの攻撃は全部捌ききれるぐらいの技能があるのに、全然ノッてくれなくてすっごく焦らされちゃった♠」

「気持ち悪い」

 

 即答で率直な感想をイルミは述べるが、当然それくらいヒソカは言われ慣れているので、まったく気にせずに気持ち悪い話は続行される。

 もうこいつの頭に針を刺してやろうかとイルミは一瞬考えたが、確実に喜ぶだけなのでやめた。

 そもそもヒソカは、相手にしなくても自家発電で勝手に気持ち悪くなる相手だが、相手にすれば余計に気持ち悪くなることをイルミは思い出し、このまま2次試験が始まるまで無視しようと決めたタイミングで、奇術師は決して無視できない話題をあげてきた。

 

「それにしても、本当に不思議な子だね♦ あの眼、たぶん念能力じゃないだろう?」

 

 イルミは何も答えない。視線も向けない。

 それでも、ヒソカは一人勝手に語り続ける。

 

「初め、宝石を使って攻撃してきたから操作系かなーとも思ったけど、宝石そのものを操ってるんじゃなくて、宝石に性質を変えたオーラを充填させるってのは、放出と変化の複合能力だね♣

 その二つの系統をバランスよく習得できるのは間に挟まる強化系♦ 強化系ならボクの考えたオーラ別性格判断にも合うからね♥

 けど、そうだとしたらあの『眼』とそれに関係してるであろう、『念能力の無効化』が説明できない♣」

 

 ヒソカの言う通り、ソラの系統はあの眼と異能を除けば「強化系」が一番しっくりくる。そして眼そのものはクルタ族のような特異体質で説明はつくが、「他者の念能力やオーラそのものを無効化」というのは、特質ど真中ではないと習得など不可能。

 対極の系統をあのレベルまで極めるのは不可能とは言わないが、天才的な才能の持ち主でも相当な年月の修業が必須なのは確実。

 第一、「念能力とオーラ無効化」なんて反則的な能力があれば、放出・変化の複合能力を覚える必要性はない。サブとして何か他の能力が欲しいのなら、特質に隣り合う操作か具現化系能力にすればいい。

 

 もちろん、念能力は能力者本人の趣味嗜好が大きく反映・影響されるので、自分の系統に合っていなくても“発”として昇華させている者も多いが、あのまったく身なりに気を使っていない姿で、「宝石」に思い入れがあるとは思えない。実際、思い入れがあるのならあんな使い捨てはしないだろう。

 

「だから、『念能力じゃない』って結論付ける気? 思い切りがいいね」

 

 ヒソカの出した結論を、どこかバカにしてるような口調でイルミは感想を口にする。

 本心からバカにしているわけではない。ただ自分の不愉快さを隠そうとしたらそうなっただけ。

 気持ち悪くて理解できる所なんてほとんどない、ゾルディックの価値観など関係なく絶対に「友達」だと思われたくない相手と同じ思考の過程で同じ結論を出したことが、イルミには不愉快で仕方がなかった。

 

 ヒソカは無視よりもバカにされても構われる方がいいのか、それともイルミが隠したものに気付いているのか、さらに機嫌を向上させてまだまだ語る。

 

「くくっ♥ 念能力者にとって、鬼門みたいな子だね♠

“念”は決して万能の魔法じゃない♦ だからどんなに便利に見えても、どこかにそのリターンに釣り合うリスクが存在するし、絶対にありえないと言い切れる法則だってある♣

 なのにあの子は、強化と特質、対極の系統を使いこなすし、何らかの制約を課しているにしてはバンバン使ってくる♦ 真っ当な念能力者なら、『ありえない』で頭がいっぱいになって実力なんかほとんど出せなくなっちゃうんだろうねぇ♥」

 

 念能力者は、“念”が万能の魔法ではないことを知っておきながら、この世の不可解な「異能」は全て「念能力」だと思い込んでいる節が強い。

 だから少し考えればヒソカと同じことに気付くのだが、彼と同じ結論にはたどり着けない。

 それはただ発想の柔軟さが足りなかっただけか、それとも自らが非凡な存在であるというプライドからその存在を認められないのかはわからない。

 

「……それは同感」

 同意するのは癪だったが、実際に「念能力者にとって鬼門」というのはまさしくソラにふさわしい表現だった為、イルミは素直に認めて、ついでに愚痴を吐き出した。

 

「本当、何なんだよあの女は。常識に対しても反則であいつ自身が非常識の代表なくせに、非常識に対しても反則って……。念能力の常識も通用しないで破壊し尽くすって、あいつは本当に死神かなんか? 非常識の死神なの?

 その癖、偽善者だし、うるさいし、バカだし……」

「……キミ、本当にソラのことになると感情豊かだね♦」

 

 呆れているのか素で感心しているのか、ヒソカからしたら珍しい声音で言われるが、ヒソカ以上に珍しい反応をしているイルミの耳には届かない。

 届かなくてもやはりヒソカは気にする様子などなく、答えを期待せずに疑問を口にする。

 

「本当に何でキミは、ソラをそんなに嫌うんだい? 気に入らないのは理解できるけど、キミならそれはそれ、これはこれって割り切って、ソラのあの眼を利用しようとするのがボクが今までキミに抱いてたキミのイメージなんだけど?」

 

 イルミは答えない。

 だが、誰に聞かれていなくても吐き出していたソラに対する愚痴が、ぴたりと止まった。

 

 ソラのどこがそんなに気に入らず、何が嫌いなのかは、もうすでに何度も家族に訊かれてきた。

 だが、それをきちんと答えられたことはない。

 気に入らないところも、嫌いなところも上げてゆけば切りがないくらいにあり、それを思い出せば思い出すほどに冷静さを見失って殺意が募るからだ。

 

 緊張感がなく、基本的にいつもふざけたテンションなところ、プロ意識がほとんどなく軽々しく仕事を引き受けるところ、自分の生存の為なら躊躇なく誰だって殺せるくせに、「殺したくない」と言う偽善的なところ、そしてその偽善に相応しくない、暗殺者からしたら何を代償にしても欲しい異能の眼。

 

 どれもこれも、もはや彼女の存在自体が目障りなレベルで、イルミは舌を打つ。

 だが、一番気に入らない、殺意が抑えきれないのは、「ソラのどこがそんなに気にくわない?」と尋ねられていつも最初に思い出すのは、最初の出会い。

 

 そらした目と、振り返りもしなかった背中。

 

 イルミなど意識する必要などないと言わんばかりに、一度合った視線を自然に外したあの眼が。

 一度も振り返らなかった、相手にもしなかった背中が、イルミにとって最初で、そして何よりも気に入らない、何度だって殺してやりたいほどの殺意の源泉。

 

「おや? どうしたんだい?」

 無視されると思っていた問いに対して、意外なことにイルミが反応したことでヒソカは嬉しそうにまとわりついてさらに尋ねる。

 ヒソカの反応がうざかったからか、それとも思い出してしまった彼女に対してか、イルミは盛大に舌を打って、言い切った。

 

「全部だよ。あの女の全てが、存在そのものが、大っ嫌いなんだよ!!」

 

 あの日、あの背中を眺めながら出した結論は、今も変わらないと宣言するように。

 誰に宣言しているのかなんて、イルミ本人にもそれはわからないことだが。


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