死にたくない私の悪あがき   作:淵深 真夜

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19:レッツ クッキング……か?

「本当にごめんなさい、すみません、申し訳ありません。この罪は、死ぬこと以外でなら何でもして償います。

 なんかすっごく、頭に血が昇ってました。変態が気持ち悪すぎた挙句によりにもよってなことを言い出して、完全に冷静さを見失っていました。本当に本当にごめんなさい。

 いや本当、ゴンがしてくれたことは嬉しいよ。助けに来てくれたのは本当に感激だよ。君のことが嫌いとかじゃないからね。大好きだから。むしろ弟にしたいくらいだからね。つーか、弟になってくださいお願いします」

「ソラ! もういいから! もう謝んなくていいから、顔上げて!!」

「というか、謝罪ではなくただの願望になってるぞ」

 

 湿地帯、泥だらけの地面だというのにも拘わらず地べたに額をこすりつけるように土下座して、謝罪なのかただ自分の要望を述べているのかよくわからないことを言い続けるソラに、ゴンは狼狽しながら顔を上げるよう懇願し、クラピカの方はもう完全に呆れきっていた。

 

「本当にごめんね、ゴン。大丈夫?」

 ゴンに言われて土下座をソラはやっとやめるが、頭を上げても泣き出しそうな顔で謝罪はやめなかった。

 その様子を見てクラピカも呆れるのはやめて彼女の傍らに膝をつき、ゴンに向かって謝罪する。

 

「すまない、ゴン。驚いたどころではないだろうが、許してやってくれないか? 言ってることは若干ふざけているが、悪気がなかったことと反省しているのは事実だ」

「あ、うん。大丈夫だよ、ちゃんとわかってる。っていうか、全然気にしてないから、ソラも気にしないでよ」

「「いや、気にしろ!!」」

 

 クラピカのフォローにゴンは朗らかに笑って器が広大すぎる発言をかまし、思わずクラピカはもちろんソラも同時に突っ込んだ。

 

「気にして! 私が言うのは何だけど、あれは本気で気にして! 私、マジで殺る気Maxだったから!」

「ゴン! お前の優しさは美徳だが、優しさだけでは生きていけないことを真剣に学ぶべきだ!」

 

 ソラがゴンの肩を掴んで揺さぶって説得し、クラピカも横でゴンのぶっ飛んだ優しさに対して説教するが、ゴンは二人の言い分が良くわかっていないのか、きょとんとした顔で首を傾げている。

 

「えー、別に俺はそんなに優しくないよ。ソラがヒソカみたいに殺したいから殺そうとしたんなら、普通に怖いと思うし許さないよ。

 でも、俺に向かってきた時のソラってなんか子供を守る獣みたいな気がしたから、あの時は怖かったけど今は気にしないよ。クラピカがそれだけ大事だって話でしょ?」

 

 ゴンの発言で、サラッと常人では理解できないであろうソラの暴挙の真相を完璧に見抜いていることに、今度は二人の方がきょとんとする。

 が、次のゴンの発言で呆気が絶句に変わる。

 

「それにさ、自分でも変だなって思うんだけどあの時……、ソラが俺の方に向かってきた時、強力な圧迫感があって、怖くて逃げ出したいけど背を向けることも出来なくて、絶対に戦っても勝ち目はない!! 俺、死んじゃうのかなぁとか思ったんだけど、その反面……なんていうのかな。殺されるかもしれない極限の状態なのにさ……俺、あの時少しワクワクしてたんだ」

 

 自分の抱いた感情に戸惑いながら、少し照れるように笑ってゴンが言う。

 ゴンからしたら正直な自分の感想と、「だからソラはもう気にしないで!」というフォローの言葉のつもりだが、しばらくたっても誰からも何の反応がないことに気付き、二人を見てみたらソラが余計に申し訳なさそうな顔をしていて困惑した。

 

「ど、どうしたの、ソラ!?」

「どうしたもこうしたもねぇよ……。クラピカ、どうしよう? 私、こんな前途ある若者どころか子供にとんでもないものを目覚めさせちゃった……」

「大丈夫だ、ソラ! ゴンには前からその片鱗があった! お前の所為じゃない!」

 

 何故か先ほど以上に責任を感じ始めて、本気で落ち込むソラをクラピカが横で必死に慰める。

 ゴンも何かフォローしようとは思ったが、たぶん自分のフォローはトドメにしかならないことを先ほどの2回でさすがに学習したので、賢明に何も言わずただオロオロしながら見ていた。

 

 * * *

 

 数分後、さすがにここで凹んだり慰めたりオロオロと狼狽えることは時間の無駄もいいとこなので、何とかソラ達は気を取り直して今更だが、2次試験会場を目指すことにした。

 

「……しかし、ここから辿りつけるだろうか?」

「んー、2次試験には間に合わないかもしれないけど、会場には確実に行けると思うよ」

 

 クラピカが濃霧に囲まれた周りを見渡しながらぼやいた言葉に、ソラはウエストポーチの中身を探りながら答える。

「キルアに触媒を持たせておいたから、時間はかかるけどこれで行けると思う」

 

 言いながら取り出したのは、一見はペンダントに見えたがよく見ればチェーンは輪になっておらず、指輪のようなリングにチェーンは繋がり、その先にはキルアに渡したものと同じ宝石がぶら下がっている。

 振り子だった。

 

「ソラ、何それ?」

「フーチっていう、ダウジングの一種。キルアに持たせた宝石と対になってるから、これを指にはめればキルアのいる方向に向いた時、振り子がグルグル回転するんだ。

 こんな所じゃいちいち細かく位置確認しなきゃいけないから、時間はかかって試験には間に合わないかもしれないけど、キルアも試験官からはぐれてたり、渡した宝石を捨ててない限りは辿りつけるよ」

 

 不思議そうな顔で尋ねるゴンにソラは大ざっぱに説明して、クラピカがその説明の雑さに頭を抱えた。

 クラピカはソラの「魔術」を知っているので、その程度の説明でも普通に納得できるし信じられるが、ゴンの方はそうはいかないだろうと思い、どうやってゴンに対して彼女の「異能」を、「魔術」についての説明をすべきかで悩んだが、その悩みは本人がキラキラした眼で吹っ飛ばす。

 

「そんなことがわかるの! すっげー! ソラ、魔法使いみたい!!」

「お……おう。ありがとう? 一応君の言う通り、魔法使いみたいなもんだよ」

 

 まさかの、「何で?」「どうして?」とさらに疑問をぶつけることなく、ゴンはあっさり全面的に信じて、クラピカは脱力してその場に転びかけ、ソラも珍しく反応と返答に困っていた。

 そんな二人の反応にゴンは少し不思議そうに首を傾げていたが、目は未だに好奇心でキラキラしている。

 

 どうも、早くソラが言ってた通りのフーチの反応が見たいらしい。

 それも疑っているからではなく、信じ切ってるからこその期待の眼差しを向けられてソラはさらに困惑する。

 

「……子供って怖いわー。純粋無垢って怖いわー」

「……同感だ」

 子供と言っても幼児ではなく、もうサンタや幽霊の類を信じなくなる年頃だというのに、3年前のクラピカとは全く違う意味や方向性でソラを疑わないゴンの純粋さと危なっかしさに思わずソラが呟き、クラピカも深く頷きながら同意した。

 

 そんなことを言い合いながら、ソラはフーチを指にはめてそのまま腕を前に突き出して振り子の動きに注視しながら方向を探る。

 あまり振り子が動かないようにゆっくりとその場で回って方向を確かめていたら、ある方向を向いた時、明らかに不自然なぐらい大きく、そして早くチェーンに繋がった宝石が揺れて、回転し始めた。

 ソラが言っていた通りの反応に、ゴンは興奮して子供らしく叫ぶ。

 

「本当だ! レオリオの匂いがする方向でちゃんと動いた!」

「「ちょっと待て」」

 

 ゴンの言葉に思わず、ソラとクラピカが同時に彼の肩をそれぞれ掴んだ。

 

「ゴン、レオリオの匂いって何?」

「……もしや、ゴン。お前はこの距離からでもレオリオの匂いがわかるのか?」

 

 何気にソラのしたこと以上にありえない発言をしたゴンに向かって、ソラはやや引きつった笑みで、会場に着く前の珍道中でゴンの野生児っぷりを散々見てきたクラピカは、もはや悟ったようにどこか遠くを見ながらそれぞれ尋ねたら、ゴンはまたしても狼狽しながら答える。

 

「え? う、うん。

 レオリオのつけてたオーデコロンは独特だから、数㎞くらい先にいてもわかるよね」

「「お前・君だけだ! というか、先に言え!!」」

 

 結局、時間のかかるソラのフーチではなく、ゴンの道案内で会場まで行くことが決定された。

 

 * * *

 

 だいぶ霧が薄くなった森の中を、3人は走り抜ける。

 

 一応、時々ソラがフーチで方向を確認するが、ゴンは本当にヒソカが担いで連れて行ったレオリオの匂いを追跡しているらしく、彼が向かう方向とソラのフーチが指示する方向は完全に一致しているだけではなく、道しるべのように鋭い刃物で切り裂かれた獣や人の死体が転がっていた。

 明らかに、ヒソカがこの道を通った証拠である。

 人の死体に関しては、おそらく試験官について行っていた本隊からはぐれた、もしくはヒソカの試験官ごっこから逃げ出した受験生が、運悪くカチ合ってしまったのだろう。

 

 ゴンの嗅覚が誇張抜きで犬並であることに、ソラは感嘆しながら尋ねる。

 

「……ゴン、君って人間だよね?」

「失礼なことを訊くなと言いたいが、すまない、ゴン。私も正直言って疑っている」

 

 ソラのストレートすぎる言葉をクラピカは一瞬窘めるが、彼も申し訳なさそうに同じ疑問をぶつけてきた。

 二人の疑惑に、「二人とも酷い!」とゴンは走りながら抗議する。ソラの暴挙は笑って許せても、さすがに人外扱いは嫌だったようだが、二人からしたら彼の怒る基準がさっぱりである。

 

「俺は普通に人間だよ! 確かに五感は他の人より優れてる自信はあるけどさ!」

「「数㎞離れた人間の香水の匂いを辿れる人間を、『普通』とは言わない」」

 

 ゴンの主張は打合せでもしたかのごとくぴったりとハモったセリフで論破され、さすがに少し凹んだ。

 その驚異的な嗅覚のおかげで、もしかしたら2次試験に間に合うのではないかと思うくらいスムーズに会場に向かっているところなので、さすがに凹ませっぱなしは悪いと思ったのかソラはゴンの横に並んで頭を撫でながら謝る。

 

「ごめんごめん。つーか私も人のこと言えない変人の見本みたいな奴だから気にすんな!」

「ソラ、フォローになっていない。それと、気にしろ」

「ははっ。二人って本当に仲がいいんだね」

 

 二人のやり取りでゴンはあっさり機嫌を直して笑い、そしてまたキラキラとした好奇心や期待に満ち溢れた目でソラを見て言った。

「けど、ソラの方が本当にすごいよ。ヒソカと互角で戦ったんでしょ?

 ごめんね、ソラ。俺がしたこと、むしろ邪魔だったよね?」

 

 ゴンの言葉で地下道の時と同じテンションに戻っていたソラの笑みが、その名にふさわしい晴れ晴れしさが消えて、今現在の上空と同じくらいに曇る。

 ソラだけではなくクラピカも、痛みに耐えるような悲痛な顔をしたことにゴンは戸惑った。

 

 思わずもう一度わけも分からないまま、それでも二人にそんな顔をさせてしまったのが自分の言葉であることだけはわかっていたから反射的に謝ろうとしたが、その前にソラが口を開く。

 

「……そうだね。正直言って、君のしたことは焼け石に水だった。邪魔だって思ったよ。

 でも、君は気にしなくていい。誰かを助けようとしたことを申し訳なく思ったり、後悔するのは間違いだ。だから、ゴンは気にしないで。

 悪いのは君のしたことを正確に把握できないぐらいに暴走してた……、君を殺そうとした私だ」

「ソラ!」

 

 そんなことはない、ソラは悪くないとゴンが主張する前に、クラピカが泣き出しそうな顔と声で叫ぶ。

 彼女の名を呼んだだけなのに、あまりに多くの彼の感情をその叫びは語っていた。

 

 そんなことを言うな。自分ばかりが罪を背負うな。君は悪くない。悪いのは、君に守られてばかりで何もできない弱い自分だ。

 そう言っているように、聞こえた。

 

 ゴンよりも正確に、ソラはクラピカの言葉を読みとっていたのだろう。

 彼女は相変わらず、どこか寂しげに笑う。

 

「ありがと、クラピカ。でも、どうか許さないで。

 あの時の私は本末転倒を起こしてた。君を守りたいがゆえに、君の大切な仲間さえもわからなくなって殺そうとしてた、君の声がなければ止まらなかった私なんかを許さないで」

「許すも許さないもない! お前はそもそも、何もしていないだろう!」

 

 寂しげに、何かを諦めたような笑みで語ったソラに、今度は強くはっきりとクラピカは伝えた。

 

「お前はちゃんと止まっただろう! 誰も殺してなんかいないだろうが!

 ……本末転倒なんか起こしていない。ソラは、何も悪くない。していない罪まで勝手に背負うな、馬鹿者。それこそ、私は絶対に許しはしないからな」

 

 クラピカの言葉をソラはきょとんとした顔で聞き、そして笑う。

 今度はまた、名にふさわしい晴れやかな笑顔となって、嬉しげに彼女は言う。

 

「……そっか。そうだね」

 

 笑いながらソラはクラピカの頭に手を伸ばし、ゴンにしたのと同じようにぐしゃぐしゃと髪をかき混ぜる。

「ありがと。クラピカ」

 

 3年ぶりの自分を甘やかすように撫でる手の心地よさが惜しくて、クラピカはしばらくソラに撫でられていたが、ゴンが目を丸くしてこちらを見ていることにだいぶ経ってから気づき、「こ、子ども扱いするな!」と今更過ぎる意地を張った。

 その意地こそが子供の証なのだが、さすがにそんな無粋なことはこのエアブレイカーも指摘せず、ソラは「あはは、ごめんごめん」と軽すぎる謝罪をしながら手を離す。

 

 手を離し、彼女は笑ってクラピカに伝える。

 クラピカがずっと見ていたい、守り抜きたい、与えたいと願ってやまない笑顔で。

 

「クラピカ。

 私はさ、知ってのとおりぶっ壊れてるからすぐにバランスを崩して暴走する。していない罪を背負うなって言ったけど、本当に紙一重なんだ。

 でもさ、君が止めてくれたら、君の声なら私は聞き逃さないから、絶対に止まるから、本末転倒なんか起こさないからさ、……だからごめん。迷惑だと思うけど、よろしくね」

 

 自分の暴走を、誰かを殺そうとした時は止めて欲しいと言った。

「人間」としての大事な部分を、クラピカに託した。

 

 それは、「死にたくない」彼女からしたらゴンがしたこと以上の「邪魔」であることなどわかっているだろう。

 それでも、狂い果てても、狂わないと生きていけないことを知っていながら、ソラは「人間」の部分を手放さない。

 

 そうであってほしいと、願ったのはクラピカだから。

 どんなに狂い果てていても、ソラがソラである限り、ソラであるならばそれでいい。

 狂うことで生き延びたのなら、その狂気を否定などしない。その狂気を抱えたままでも、幸福になってほしい。

 

 自分の言葉が、願いが、彼女にとって新たな呪縛になっていることはわかっている。

 それでも、クラピカはあの時の願いを取り消すことなどできはしない。

 彼女がさらに苦しむことも、苦難の道を歩ませていることを自覚していても、クラピカだって手放せない。

 

 例えどんなに死にたくなくても、ただ死んでいないだけ、生きているだけの生き物になどなり下がってほしくない。

 どんな狂気に蝕まれて、まともな部分がどこにもなくても、ソラはソラのままで生き延びて、生きぬいて欲しいという願いは手放せない。

 

 だからクラピカは、答えた。

 

「――迷惑なんかじゃない」

 

 むしろそれは、彼女に新たな狂気を与えてしまった自分の責任だから。

 そんな責任がなくても、自分が担い続けたい役目だから。

 

「必ず、止める。君がしたくないことなど、背負いたくないものなど背負わせない。

 私の声が届く限り、声を張り上げて何度だって呼んで、叫んで、止めてやる」

 

 ソラがソラであるための「楔」になることを、約束した。

 

「……うん。ありがとう」

 

 クラピカの答えに、ソラはもう一度笑って礼を伝える。

 そんなやり取りを、ゴンは黙って窺っていた。

 

 二人の関係やソラの「自分は壊れている」という発言、そしてその発言に関しては痛みに耐えるような顔をしながら否定しなかったクラピカが気になりはしたが、そこは自分が簡単に触れてはいけない領域であることくらいは理解できていた。

 

 わからないことだらけだが、一番大切なことだけはわかっていたから、それでいいと思えた。

 ゴンの養母が教えてくれた、「その人を知りたければ、その人が何に対して怒りを感じるかを知れ」という言葉を思い出す。

 

 ソラはゴンどころか自分の名前さえも認識できなくなるくらい、クラピカに危害を加えようとしたヒソカが許せなかった。

 クラピカは、たとえ本人でもソラに無実の罪を着せることを許さなかった。

 

 この二人が、お互いをどれだけ大切にしているかさえわかれば、それで良かった。

 

 * * *

 

「…………本当に着いちゃった」

「しかもまだ試験は始まっていないようだな……」

 

 本当に匂いを追って、しかも2次試験に間に合ってしまったという事実は少し二人には受け入れがたいのか、どこか遠い目をしながらソラとクラピカは互いに言い合う。

 ゴンの方は相変わらず自分の人外っぷりに自覚はなく、「ラッキーだね」と無邪気に喜びながらも、あたりを見渡す。

 

 ソラ達ももう深く考えないでおこうと心に決めて、レオリオとキルアを探し始めた途端、首筋に虫でも這ったかのような悪寒が走った。

 同時に三人が振り返って視線を向けた先には、ヒソカがやはりニヤニヤと笑いながら木にもたれかかっていた。

 

 幸いなことにヒソカは3人に近づくことはなく、黙って指をさした。3人の方ではなく、まったく別の方向へ。

 その指が指し示す方に目を向ければ、こちらは座り込んでいるがヒソカと同じように木にもたれかかって、レオリオが呆然としていた。

 

「レオリオ!」

 ゴンが駆け寄って声をかけると、ぼんやりとしていたレオリオの眼が3人に焦点を合わせて「よう」と返事をする。

 ヒソカの性格からして今はまだ手を出さないだろうとソラは読んでいたが、さすがに断言できるほど相手のことを知っているわけでもなく、ヒソカにそのつもりがなくても運んでる途中でレオリオが意識を取り戻し、抵抗をしていたら殺されてもおかしくなかったので、彼の姿を見てソラは安堵する。

 

 その気が緩んだ瞬間に、クラピカが真顔かつ素で爆弾を放り投げてきた。

「うむ。腕のキズ以外は無事のようだな」

「ぶっ!」

 

 どう見てもネクタイですでに止血してある腕よりも、ヒソカに殴られた顔の打撲の方が目立つというのに、完全に素で見逃して言い切ったクラピカのボケが予想外すぎて、ソラはその場で亀のように腹を抱えてうずくまった。

 クラピカの方はソラの反応を見ても自分が派手に見逃してるものに気付かず、いきなり腹筋崩壊を起こしたソラに困惑しており、その狼狽える様がさらにソラの腹筋を壊しにかかる悪循環で、ソラはヒソカと戦っている時以上に死にかけた。

 

「てめ……、よく顔見ろ、顔を」

 ソラの声も上げれないほどの爆笑と失礼すぎる素ボケに気付いていないクラピカにレオリオは、ムカつきつつもキレていいのかどうか微妙すぎる事態にこちらも若干困惑しながら指摘すると、クラピカがレオリオの顔面を見て一度驚愕の表情を浮かべてから、「あ、本当だ」と言いたげに気まずそうに笑う。

 その反応に、ソラの腹筋がまた死んだ。

 

 ソラの爆笑の理由をようやく察して、クラピカが羞恥で顔を赤くさせながら「いつまで笑ってるんだ!」と怒るが、もはや箸が転がってもおかしい状態に陥っているソラは相変わらず亀のように腹を抱えて笑い続ける。

 そんなカオスを背景に、ゴンは「いつから気付いてたの?」と普通にレオリオに訊いた。

 ゴンの器が広いんだか究極のマイペースなんだかな反応に、また更にレオリオは困惑しながらも「あ? ああ、ついさっきな」と答えてから、ついでに自分の疑問を口にした。

 

「しかし、何で俺、こんな怪我してんだ? どーも湿原に入った後の記憶がはっきりしなくてよ」

 

 その発言でようやく、ソラの爆笑が止まる。

 が、笑うのをやめてもソラはもちろん、他の二人もレオリオの問いに答えず顔を見合わせた。

 

「言わない方が……いいな」

「うん」

「そだね」

 

 どうやらヒソカに殴られたショックで、ヒソカにリベンジで向かって行ったことはおろか、湿原に入ったあたりからの記憶がすっぽり抜けてしまったらしい。

“念”を習得していないレオリオが、能力者であるヒソカのとっさの一撃を受けて生きているのはもちろん、この程度の記憶喪失で済んだのは幸運以外の何物でもないので、3人はテキトーに「湿原に入って性質の悪い獣に襲われた」ということにしておいた。

 何気に、嘘はついていない。

 

 これ以上この話題を続けてボロが出たり、レオリオが思い出してしまってもいいことはないので、ソラはさっさと話を変えることにした。

「ところで、試験ってまだ始まってないの? あの建物が、会場じゃないの?」

 

 

 言いつつ指さした建物の中から聞こえてくる低い獣のような唸り声に、ソラの顔がひきつった。

 レオリオも同じようにひきつらせて、ひきつらせたことで殴られた頬の傷の痛みに呻きながら、「さぁ?」と首を傾げる。

 一足先に到着していたとはいえ、彼も気が付いたのがついさっきなので事情は知らないらしく、4人は「グルルルルルル」と唸り続けるコンテナ倉庫のような建物を不思議そうに眺めた。

 

「何で皆、建物の外にいるのかな?」

 ゴンも首を傾げて、疑問を口にする。

 始まっていないにしても、普通にこの建物が二次試験会場なら中で待機が普通だろう。

 この建物は2次試験会場ではなく、実は中の生き物を閉じ込める檻なのではないかと4人が思い始めたタイミングで、背後から声と答えが投げかけられた。

 

「中に入れないんだよ」

「「キルア!」」

 

 その声にゴンとソラが同時に反応して駆け寄り、キルアの方は少し照れたようにそっぽ向いて、ようやく追いついた二人に文句をつける。

 

「おせーんだよ、二人とも。ヒソカがおっさんだけ連れてきた時は、死んだかと思ったぜ」

「あはは、ごめんごめん」

「ごめんねー、心配かけて。でも、これでもゴンのおかげで最速で来れたんだよ」

 

 笑って誤魔化すようにゴンは謝り、ソラはキルアと同じく軽口で言い返す。

 ソラに言われた「心配」の部分をとっさに否定しようかと思ったが、その反応はどうも子供っぽいと感じたキルアも誤魔化すように、「ゴンのおかげ?」と別の気になる部分を拾う。

 

 その気になった部分を、ソラは若干遠い目をして説明してやった。

 

「香水のニオイをたどったーー!?」

「うん」

 

 まだ自分がしたことが人間として規格外すぎることを自覚していないゴンは普通に答え、キルアは「こいつどうしたらいいんだよ?」と言いたげな目でソラを見た。

 助けを求めるようなキルアの反応に、ソラはキルアの肩に手を置いて一言、「流せ」とだけ助言をしておいた。実際、それ以外どうしようもない。

 

「お前……やっぱり相当変わってるなー。つーか、こいつがいるんならこれ、いらなかったんじゃねーか?」

「うん、そうだね。まさかの事態に私はびっくりだよ」

 

 ゴンがまだキルアとソラの反応に「そうかなー?」と言ってるのを無視して、キルアはポケットに入れていた宝石をソラに返す。

 そのやり取りを見ていたクラピカが、ついうっかり忘れていたものを思い出し、自分の耳にぶら下がるイヤリングに触れる。

 

 彼女に3年前、託されたソラの姉の形見。

 ちょうど、彼女に返すにはいいタイミングだった。

 耳から外して、「ソラ。長い間、預かりっぱなしだった」とでも言って渡せばよかった。

 

 なのに、クラピカはイヤリングに触れるだけで、耳から外すことも、ソラに託されたイヤリングの話題を上げることも出来なかった。

 

 ソラを失ってからの3年間、ライナスの毛布のように片時も離さなかった、離せなかった。

 ソラが話題にあげないのなら、まだもう少しと悪足掻く。

 未だにクラピカは、目の前にソラがいることを現実だと信じ切れていなかったから、彼女が確かにいた証、再会の約束そのものを手離すことが出来なかった。

 

 * * *

 

 ゴンの規格外っぷりを気にしたら負けだとキルアも悟ったのか、「どうして中に入れないの?」というゴンの問いに、建物の入り口にかけられた看板のような注意書きを指す。

「見てのとおりさ」

 

 そこには「本日、正午。二次試験スタート」と書かれており、時計を確認すると確かに正午まであと数分猶予がある。

 

「変な唸り声はするけど、全然出てくる気配はないんだよなー。まぁ、待つしかないんだろうな」

 キルアの言う通りそうするしかないので、4人はもちろん他の受験生たちも建物の入り口を注視しながらただ待った。

 ただ、外で待てというだけならここまで全員が警戒しなかっただろうが、建物の中から絶え間なく響く唸り声がどうしても不安を煽り、受験生たちを緊張させる。

 

 正午まで1分を切ったところで受験生たちの緊張はピークに差し掛かり、正午まで秒読みとなった時はほとんどの受験生たちが武器を手に取り、完全な臨戦態勢を取っていた。

 

 だからこそ、建物から現れ出たものが信じられず、妙な沈黙が生まれてしまった。

 

「どお? おなかは大分すいてきた?」

「聞いてのとおり、もーペコペコだよ」

 

 中から出てきたのは、縦は3メートル近く、横は大の大人3人分はある巨漢としか言えない男と、個性的な髪形をしているがまだ若くて美人でグラマーな女性。

 これだけなら、受験生の緊張感が一気に抜けるなんて珍事は起きなかっただろう。

 獣のうなり声だと思っていた音が男の腹の虫の音でさえなければ、誰もここまで脱力などせずにすんだ。

 

 そんな受験生たちの緊張を良いのか悪いのかとにかくほぐしてくれた試験官が、2次試験内容を説明するが、今度はその内容で先ほどまでとはまた違った緊張が走った。

 

「そんなわけで、2次試験は料理よ!!

 美食ハンターのあたし達二人を満足させる食事を用意してちょうだい」

 

「料理」と聞いて、受験生のほとんどが顔を歪めた。

「くそォ、料理なんか作ったことねーぜ」とぼやくレオリオのように、受験生のほとんどが料理などしたことがない、もしくは「食えれば良し」と言わんばかりによく言えばシンプル、悪く言えば雑なものしか作ったことがないのだろう。

 

 戦闘や学力テストよりもある意味では絶望的な課題を出され、レオリオは思わず「誰か料理が出来そうな奴!」と思いながら、とりあえずクラピカとゴンに視線を向けるが、どちらも苦い表情を浮かべていることで自分とどっこいどっこいであることを悟る。

 

 そして次にソラに視線を向けてしばらく彼女を眺めたが、横にいたキルアが手を振って「ないない」とジェスチャーし、レオリオもため息をついて「だよな」と諦めた。

 

「おいこら」

「……ソラは料理できるぞ」

 

 さすがに本人の答えを聞く前に勝手に決めつけられて戦力外通告はムカついたのか、ソラが抗議の声を上げ、クラピカも助け舟を出す。

 が、クラピカのフォローにレオリオとキルアの反応は、「ウソォっ!!」だった。

 

「本当だよ! 何でそこまで信じられないんだよ!

 言っとくけど、料理できる=お淑やかって幻想持ってるなら捨てろ! 私が料理を学んだきっかけなんて、美味しいものを食べたいという食い意地でしかないんだから!!」

「あ、納得」

 

 料理とソラのイメージがどうしても重ならなかったらしい二人は、ソラの料理を覚えた動機でようやく繋がったらしく納得したが、代わりにクラピカが「どうしてこいつはこう、せっかくの長所も台無しなんだ……」と落ち込んでしまった。

 

「ソラが料理できるのなら、少しはこの試験は楽だね! ソラ! 出来ることは頑張るから、わからないところは教えてね!」

 ゴンだけが純粋に料理出来る者が仲間内にいたことを純粋に喜び、ソラも「任せろ!」と快諾したところで男の方の試験官、ブハラが課題料理を宣言する。

 

「豚の丸焼き。俺の大好物なんだ」

 

 言われて、受験生の大半が安堵した。

 聞いたこともない料理ではなく、名前からしてどんな調理法かも丸わかりな料理だったからだ。

 

 しかしいくら料理経験が皆無とはいえ、本当に豚を一頭丸々そのまんま焼いても美味しくないことくらいは想像がつく。

 なのでレオリオがさっそくソラに、「おい、豚の丸焼きって焼く以外に何すりゃいいんだ?」と尋ねた。

 

「さぁ? 血と内臓を抜くくらいじゃない?」

「ちょっ、おま! 料理できるんじゃないのかよ!?」

 

 しかしまさかの自分と同じくらいの知識に、思わずレオリオがキレたが、珍しくソラの方もキレて言い返した。

 

「『料理できる』と『何でも作れる』は違うっつーの!! っていうか、豚の丸焼きなんか作ったことあるか!

『得意料理は豚の丸焼きです』なんて言えるほど、私は肉食系女子じゃねーよ!!」

「うん、すまん! 俺が悪かった!!」

 

 割と正論で返されて、思わずレオリオは謝った。

 どうやら、二次試験も5人は前途多難になりそうだ。


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