死にたくない私の悪あがき   作:淵深 真夜

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ヒソカさんが絶好調すぎてどうしようかと思った今回。
危うく、年齢指定が上がるところだった。


22:名前のない愛情

 二次試験後半、無事に42名がクモワシの卵を入手して同時に市販の鶏卵と食べ比べたことで、美食ハンターが何に誇りを持ち、命を懸けているかを知り、合格者・不合格者共々メンチに対する悪感情が解消されて、本日の試験は終了。

 

「残った42名の諸君にあらためてあいさつしとこうかの。

 わしが、今回のハンター試験審査委員会代表責任者のネテロである」

 

 合格者が再び搭乗した飛行船のロビーで、ネテロはまるで学校の朝礼のように話し始める。

 ネテロの飄々とした雰囲気はまさしく学校の校長あたりが良く似合うのだが、集められて話を聞いているのは強面ぞろいのハンター試験受験者。

 しかも、何度か試験を受けた者たちならここから試験の苛烈さが増すことをよく学習しているため、空気は張りつめてまさに「ピリピリ」という擬音そのものの中、ネテロはどこまでも「学校の校長先生」のまま話を続けた。

 

「本来ならば、最終試験で登場する予定であったが、いったんこうして現場に来てみると何とも言えぬ緊張感が伝わって来ていいもんじゃ。

 せっかくだからこのまま同行させてもらうことにする」

 

 この空気の中、穏やかに笑ってそんなことを言える時点でこの老人が、ただの好々爺なわけなどなかった。

 緊張感や殺気が充満する空気の中、飄々とし続けるネテロに受験生は若干引くが、もちろん引かれたこともネテロは気にせず、あとの説明は秘書に任せる。

 

 秘書から本日の試験は終了したこと。次の目的地へは、明日の朝8時到着予定であること。こちらから連絡するまで、各自飛行船内で自由に過ごしていいことを伝えられて、まず真っ先に元気な声を上げたのは体力が有り余っている、最年少の少年二人組だった。

 

「ゴン!! 飛行船の中、探検しようぜ!」

「うん!!」

 昼間のマラソンもブタの捕獲も魚釣りもロープレスバンジーからのロッククライミングも、この二人の無限の体力を空にすることは出来ず、二人は軽やかな足取りでロビーを出て行った。

 そんな二人の背中を見送りながら、レオリオは慄いて「元気な奴ら……」と呟き、クラピカも驚きと呆れが入り混じった顔をする。

 

「私はシャワーでも浴びようかな」

 ゴンとキルアの探検に「まぜろ」と素で言い出しそうなソラも、さすがに疲れているのか飛行船内の案内板を見てシャワールームの位置を確認しながら、おもむろにツナギのジッパーを下げた。

 

「お前は何をしてる!?」

 もちろん、後ろからソラの白髪を遠慮なくどついて止めたのはクラピカである。

 どつかれた本人は、何故いきなり自分がどつかれたのかわからないと言いたげな顔をして、頭を押さえながらクラピカを見るが、クラピカはへそが見える位置まで下げられたソラのジッパーを勢いよく上げて、ついでにしっかりソラの薄いが確かに存在する胸部の膨らみを注目したレオリオの脛にローキックを入れてから説教を開始した。

 

「お前は何を考えてるんだ!? 自分の性別すらも忘れたのか!? いいか、ソラ! お前は間違いなく、少なくとも体は女だ! そして医療行為以外で家族でも恋人でもない相手の前で服を脱ぐ女は、ただの痴女であることを自覚しろ!!」

「……体だけじゃなくてちゃんと心も女だよぅ」

 

 クラピカの怒涛の説教にやや困惑してソラが抗議するが、説得力はまるでない。

 むしろ余計にクラピカを怒らせたらしく、「なら、なおさら問題だろうが! 私に痴女の知り合いはいない!」と怒られた。

 が、それでもめげずにソラは言い返す。

 

「いや待てクラピカ。話せばわかる」

「わかってたまるか!!」

「いや、君ならわかる。こんな些細な胸でもちゃんと強調して見せてないと、女子トイレやシャワー室に入った時、ギョッとした顔で先客に見られる私の気持ちが」

「……すまない。痴女は言いすぎた。だがそれなら、シャワー室に入る直前で開けろ」

「うわ、本当にわかったしこいつ」

 

 まさかの本当に納得して、少しクールダウンしたクラピカに蹴られた脛を押さえながらレオリオが突っ込んだ。

 容姿が整いすぎて性別不詳同士、同じ苦労をしているらしい。

 

「でも私が着てるの見られても大丈夫な奴だよ?」

「女性のファッションが男にとっても同じ認識をしてもらえると思うな。私からしたら、見られていい下着など存在しない」

 小首を傾げてソラはクラピカにまだ抗議するが、クラピカの方はこれ以上妥協する気はなく、睨み付けてソラの言い分を却下する。

 ソラ自身もファッションにこだわりがある訳でもないので、見せブラの存在を否定されても気にせず、「はーい」と気の抜けた返事をしてシャワー室に向かって行った。

 

 どう見てもクラピカの言葉を、いい意味でも悪い意味でも気にしていない。シャワーを浴びたらクラピカに叱られたことを忘れて、下着姿でそのあたりをうろつきそうなソラにクラピカは頭を抱えた。

 もうこのやり取りだけで今日一日以上の疲労を感じ、「疲れた……」と呟く。気分的に今すぐこの場で寝てしまいたいくらいだろう。

 

 レオリオもクラピカの言葉に同意して、「俺はとにかくぐっすり寝てーぜ」と言いながらどこか休めそうな場所を探す。

 同じく仮眠できそうな場所をクラピカは探しつつも、彼は気になった事をふと口にした。

 

「そういえば、1つ気になるのだが……、試験は一体あといくつあるのだろう?」

「あ、そういや聞かされてねーな」

 クラピカの疑問にレオリオも頭をひねる。

 その疑問に、背後から近づいて来た人間が答える。

 

「その年によって違うよ」

 

 答えたのは、試験前に自分たちにジュースをくれたハンター試験最古参のトンパ。

 彼は試験は試験官の人数や試験の内容によって毎年変わるが、だいたい平均して5つ6つくらいだと教え、残りの試験の数を考えてここで休めるだけ休んだ方がいいと二人は判断する。

 

「だが気を付けた方が良い」

 

 しかし、トンパは二人の判断に忠告する。

 先ほど次の試験会場への到着予定時刻を教えてくれた進行係の言葉は信用ならない。この飛行船が試験会場かもしれないし、到着時刻は真っ赤な嘘かもしれないと告げてから、次の試験に受かりたければ飛行船(ここ)でも気をぬかない方がいいと忠告して、二人から離れていく。

 

(なーんちゃってな。せいぜいキンチョーして心身ズタボロになりな)

 もちろん、真っ赤な嘘なのはトンパの方。試験会場がこの飛行船だというのはともかく、試験であるからには出来る限りの平等性が当然なので、彼の35回の受験を振り返っても虚偽の試験開始時刻なんてだまし討ちなど一度もない。

 

 自分の下剤入りジュースの細工を見破ったソラ、ほぼ無味無臭の下剤の味を感じ取ったゴン、毒は平気だと言って飲み干したキルアがいなくなったのをいいことに、この二人なら騙されるだろうと思って趣味の新人潰しを行ったトンパだが、一次試験のマラソンのさなかにソラが「16番のおっさんにジュース渡されなかった? あのおっさん曲者だから信用しない方がいいよ」としっかり教えられていた二人が、嘘をつく意味があまりない試験の数はともかく後半の内容は信用する訳もなく、二人は飛行船の適当な隅を見つけてそれぞれ毛布を被って目を閉じた。

 

 * * *

 

「ねぇ、今年は何人くらい残るかな?」

 

 自分たちが担当だった試験を終えたハンターたちが食事をしながら、メンチはネテロに言ったことと同じことを話題にあげる。

 ブハラは「これからの試験の内容次第じゃない?」と面白みのないことを答え、また彼女は全員落とした自分が言うのもなんだけどと前置きしながら、今年の受験生の出来の良さを語る。

 

「サトツさんはどぉ?」

「ふむ。そうですね……、新人(ルーキー)がいいですね。今年は」

「あ、やっぱりー!?」

 

 サトツにも話題を振ってみると同じことを思っていたのが嬉しいのか、彼女はテンションを上げてやはりネテロの時と同じく自分の一押しルーキーをあげる。

 

「あたしは100番がすごくいいと思うの! ちゃんとスシを知ってるって申告するし、料理も出来るし、仲間思いだし、もう文句なしよ! 女の子じゃなかったら逆ナンしちゃってたくらいお気に入りだわ!」

「私は断然、99番ですな。彼はいい」

「えーっ! あのクソガキィ!? あいつきっとワガママでナマイキよ。絶対B型! 一緒に住めないわ!」

 

 サトツが上げた自分のお気に入りと連番の子供に、メンチは思いっきり不快そうな顔をしてダメ出しする。

 彼女が試験中に窒息死しかけたきっかけが彼なので仕方がないのかもしれないが、追い打ちをかけたソラが無罪なのはキルアからしたら理不尽この上ないだろう。

 

 メンチの感想に「そういう問題じゃ……」と思いながら呆れていたブハラにも話が振られ、彼は口の中のものを咀嚼しながら考え、答える。

「そうだね――、新人じゃないけど気になったのは、やっぱ44番……かな」

 

 44番、とあげられた受験番号でメンチとサトツの二人は同時に表情を硬くする。

 あげた本人のブハラもうんざりとした表情で、行儀悪くフォークを振りながら話を続ける。

「メンチも気づいてたと思うけど、255番の人がキレだした時、一番殺気を放ってたの実はあの44番なんだよね」

「もちろん知ってたわよ。抑えきれないって感じの凄い殺気だったわ。

 でも、ブハラ。知ってる? あいつ、最初からああだったわよ。あたしら姿を見せた時からずーっと」

 

 メンチの言葉にブハラは目を丸くして「本当?」と尋ね返すと、彼女は唇を尖らせて肯定し、ついでにその所為でずっと自分はピリピリしていたと愚痴る。

 

「私にもそうでしたよ。彼は要注意人物です」

 サトツも無表情のまま肯定し、そして語る。彼から見た44番、「ヒソカ」という奇術師の人物像を。

 

「認めたくはありませんが、彼も我々と同じ穴のムジナです。ただ、彼は我々よりずっと暗い場所に好んで棲んでいる。

 我々ハンターは、心のどこかで好敵手を求めています。認め合いながら競い合える相手を探す場所……。ハンター試験は結局、そんな所でしょう。

 そんな中にたまに現れるんですねぇ。ああいう異端児が。我々がブレーキをかけるところでためらいなく、アクセルをふみこめるような」

 

 サトツの言葉で思わず沈黙が落ちる。

 その沈黙を破ったのは、ブハラの一言。

 

「そういえば44番って、なんか妙に100番を気に入ってたよね?」

「あぁ。そういえばそうよね。何かあの子にちょっかいをかけてた時は、私らに殺気向けないであの子に集中させてたし」

 受験生たちが魚を捕りに行ってる間のやり取りを思い出し、二人はヒソカに目をつけられて半泣きになっていたソラに今更同情する。

 

「私の試験の時もちょっかいをかけてましたね。どうも途中で少し、交戦もしたようですし」

「うそっ!?」

「え!? やり合ったのに、どっちも無傷で2次試験に間に合ったの!?」

 

 サトツが何気なく口にした言葉に、美食ハンターは驚愕する。

 ソラも念能力者だったので他の受験生と違ってヒソカ相手でも生き残れる可能性はあるが、どう考えてもあの戦闘狂に目をつけられて交戦したのなら、どちらが死ぬまでのデスマッチを強制させられる。

 そのデスマッチにプロハンターの自分達でも逃げきれる自信はないというのに、それを実行したソラを何者だと引き気味で二人が驚いている中、さらにサトツが爆弾発言を投下する。

 

「あと、彼女はどうやらストーンハンターのビスケット=クルーガーの弟子のようですね。1次試験中にチラッと話していました」

「あ、どうりで会長が少しだけあの子を知ってるわけだわ」

 

 サトツの言葉にハンター協会の中でも古参の女性ハンターの名前が出て、ブハラはまた目を丸くさせるが、メンチはネテロとの会話を思い出して納得する。

 ビスケはネテロの直弟子としても有名なので、おそらく弟子から直接、少しだけ孫弟子である彼女の話を聞いていたのだろうと、メンチが抱いていた疑問の大半が氷解する。

 しかし、どうしても溶けきらずに残った部分があったので、メンチは食事をしながら頭をひねらせる。

 

「そういえば、会長があの子についてなんか訳わかんないこと言ってたなー。異世界がどうのこうのとか」

「「異世界?」」

 

 メンチの言ったことをサトツとブハラは異口同音で返し、同じく首を傾げた。

 しかしすぐに、例えか何かだろうと適当にそれぞれ納得して消化して、その話題は忘れ去る。

 

 誰もまさかそのまんまだとは思う訳がなかった。

 

 * * *

 

 残りの試験の数を考えたら、ここでしっかり休むべきだと頭ではわかっているのに、クラピカは眠れなかった。

 眠ってしまうのが、怖かった。

 

 次に目覚めたら彼女がいないのではないか、ソラとの再会は夢だったのではないかという不安が付きまとい、毛布にくるまって目を閉じながらも、頭はどんどん冴えてゆく。

 自然と手は自分の耳にぶら下がるイヤリングに伸びて、無意識に弄る。

 未だ返せていない彼女と自分を繋ぐものに触れて、たとえソラとの再会が夢でも彼女の存在は決して夢ではないことを自分に言い聞かせ続けた。

 

「……寝れねーなら、会いに行けよ」

 隣からそんな提案が聞こえ、クラピカは目を開ける。

 

 自分の隣に腰を下ろして、同じように毛布にくるまっていたレオリオが目を閉じたまま続ける。

「さっきからもぞもぞしやがって、こっちが眠れねーんだよ。せっかく再会したのに、ゆっくり二人で話す機会がなかったんだから、今、話して来いよ。

 これを逃したら次は試験終るまで、話す機会はねーかもしれねーし」

 

 クラピカがどうして眠れないかなど、この意外と他者をよく見て思いやる男にはお見通しだったのが恥ずかしく、クラピカは意地を張って「別にそんな訳じゃない」と呟いた。

 その意地を、レオリオは鼻で笑い飛ばす。

 

「はっ! もうお前があいつのことが好きで好きで仕方がねぇことはバレバレなんだから変な意地張るなよ。別にそのことをからかう奴だっていねーよ。好きになって納得なぐらい、良い奴だってこともわかってんだからな」

 そう言われても開き直れないのが意地であり、クラピカは黙秘を貫く。

 ただ、ソラのことを褒められたのはまるで自分の事のように嬉しくて、自然と口角が少しだけ上がった。

 

 まだ意地を張るクラピカを、レオリオは目を開けて呆れたように眺めながらふと思いついたことを口にする。

「つーかさぁ、クラピカお前、あいつのことは姉として好きなのか? 女として好きなのか?」

「はぁ?」

 

 黙秘を貫いていたクラピカが、さすがに声を上げた。

 嫌そうではないが心底心外そうな声だったことに「んな声あげんでもいいだろ……」とレオリオは突っ込む。

 

「そんなに俺、おかしなこと訊いたか? ぶっちゃけ3年前にたったの一月しか一緒にいなかった女を『家族』として見るのは、俺はたぶん無理だぜ?

『異性』として見る方がまだあり得るな。あいつとお前くらいの歳の差なら、十分にそういう対象になるし」

 

 レオリオの言うことはそれなりに筋が通り、別に下世話というほどでもなかったが、クラピカはやはり心外そうな顔で即答した。

 

「お前は真面目な話をした0.5秒後に、それを完膚なきまでにぶち壊す女をそういう対象に見れるのか?」

「……せめて1秒は保たせて欲しいな」

 

 1次試験での再会した直後のクラピカとのやり取りを思い出したのか、レオリオは遠い目をして納得し、それ以上の追及はしなかった。

 が、実はクラピカのこの即答は、本音ではあったが誤魔化しでしかなかった。

 

 クラピカは間違いなく、ソラの事が好きだ。

 彼女に対して懐く感情は愛情だと、ソラを愛していると言い切れる。

 本人や他者に伝えるのは恥ずかしくて口が裂けても言えないが、さすがに自分自身に対してまで意地を張らなければいけない理由や意味はない。そこは素直に認めている。

 

 だが、この愛情は「親愛」や「家族愛」と言えるものなのか、「恋愛」なのかは3年前からクラピカにはわからなかった。

 一人っ子で女性の家族は母のみ、数少ない同胞のみでコミュニティが完結しているため、外に出ることに関しては頑なに年齢を重視していたが、クルタ族そのものは割と実力主義だった。

 なので、知識も武術に関しても出来の良かったクラピカは、少しくらい年上が相手でも頼りにされる側だった為、「姉」に近い立ち位置の女性はソラが初めてで、本当に姉がいたらソラに対してと同じような愛情を抱くのかどうかなんて、クラピカにわかる訳がない。

 

 本人的には嫌な考えだが、恋愛かそれ以外の愛情かの区別をつけるなら、相手に性的欲求を抱くかどうかが一番分かりやすい基準の一つであることもわかっているが、クラピカはそもそもソラに限らず女性をそういう目で見ることは何よりも無礼だと思っている。

 そういうものに一番興味を示す年頃に、外の世界やハンターという職業に興味が全部向いてしまい、その後はクルタ族虐殺という出来事が重なったせいで、未だにクラピカは性に関しての知識や意識も同年代からしたら疎くて初心であり、ソラをそういう対象に見れないのは身内として見ているからなのか、ただ単に他の女性と同じく無礼だと思っているからなのかという区別がつかない。

 

 ソラが自分以外の相手と楽しそうにしていると、胸の内がモヤモヤして酷く苛立つ自覚はある。相手に嫉妬していることはわかっている。

 けどそれも、「姉」を取られた「弟」としての嫉妬なのか、それとも「男」としての嫉妬なのかがわからない。

 

 3年前から謎だったが、本人がいないので別にわざわざ「家族愛」なのか「恋愛」なのかという答えを出す必要などなかったものを改めて突き付けられ、そしてやはり考えれば考えるほどに答えが出ないことに、クラピカの胸の中でモヤモヤとしたものが溜まってゆき、苛立つ。

 

 自分とソラの間にキルアが入り込んだ時のように、自分よりもゴンをソラが頼りにした時と同じ苛立ちに溜息をついて、クラピカは立ち上がった。

 時計を確認すれば、もうソラと別れてから1時間近く経つ。割と風呂好きで長風呂をする女だったが、シャワーならさすがにもう上がっているだろうと考えながら、一応レオリオに声を掛けてその場を離れた。

 

「……少し、話をしてくる」

「おう」

 

 誰に、とは改めて訊くことのないレオリオの気遣いに感謝しつつクラピカは案内板を見て、とりあえず女子シャワー室の方向に足を運ぶ。

 何を話すつもりかなど考えていない。ただ、彼女に関する苛立ちは彼女と話せば確実に解消することだけはわかっているから、話をしたいだけ。

 レオリオに言われるまでもなく、そんな言い訳すら本当はいらないくらいに、ただソラと話がしたかっただけであることにクラピカは苦笑する。

 

 そんな自分の考えを自覚すると同時に、一つだけわかったことがあった。

 ソラに関しての愛情は、やはり愛情と以外名付けられない。それがどうして、愛情としか名付けられないかの理由だけは、理解した。

 

(あぁ、そうか……。私はソラとどういう関係であっても、ただずっと一緒にいたいのか)

 

 姉弟も、恋人も、どうしてもしっくりくる自分と彼女の関係ではないけれど、この先ずっと一緒に居られるのであればどちらでもいい。

 関係の名前も愛情の名前も、何でも良かった。一緒にいられる理由になるのなら、なんだって良かった。

 そんな風に、クラピカは思った。

 

 そんな夢みたいな永遠を、願った。

 

 * * *

 

 クラピカの懸念通りソラはクラピカのお説教など右から左に聞き流して、シャワーを浴びた後はツナギの前を全開どころか上は脱いで腰に袖を巻いている状態で飛行船内をブラブラ歩いていた。

 すれ違う受験生はぎょっと目を見開いてソラを二度見するが、本人は全く気にしない。

 

 一応ソラの名誉のために補足すると、彼女の格好は確かに露出が高いが上に着ている見せブラは明らかに下着というデザインではなく、スポーツウェアに近いデザインなので世間一般的に言えばクラピカの説教の方が大袈裟である。

 すれ違う人間が二度見するのはソラの露出の高さに驚いているのではなく、明らかに女性的な部位をさらけ出してもどこかまだユニセックスな部分が違和感なく調和していることに驚愕しているのだろう。

 

 そんな風に驚かれるのも慣れっこなソラは、シャワーを浴びてどこかに行ってしまった眠気が戻ってくるまでどうしようかと考えながら、何気なくケータイを取り出して気づく。

「おや?」

 ケータイには何通かメールが溜まっており、それらは全てカルトからのものだった。

 

 シルバに頼まれてメアドと電話番号、ホームコードを教えたが、さほど頻繁に連絡を取り合いはしなかったのに今日一日で5通以上のメールは珍しい、何かあったのか? と思いながら開いてみて、ソラは首を傾げた。

「……私はそんなに頼りなく見えたのかなぁ?」

 

 カルトからのメールは全て、ソラの生存を確かめる物だった。

 だいたい3時間置きくらいに「大丈夫?」「無事?」とシンプルな生存確認のメールが送られており、最終的には「死んだ?」と訊かれていた。

 

 一瞬ソラは悪ノリして「死んだ」と返信しようかと思ったが、定期的に送ってきているということは本気で心配をしてくれているのだろうと思い、ちゃんと「無事、五体満足で二次試験合格したよ」と送り返す。

 何でここまでカルトに心配されているのだろう? とまだ首を傾げながらケータイをポケットに仕舞おうとした瞬間、今度はケータイに着信が入ったのでソラは誰からの着信かも確かめずに反射で取る。

 

「はい、もしもし」

《あ、ソラ。生きてる? 死んでない?》

「……君は私を心配してくれてるの? それとも実は死んでほしいの?」

 

 開口一番に、つい今さっきメールで生存を伝えたのにまだ疑ってわざわざ電話をかけてきたカルトに、思わずソラは素で訊いた。ここまで来たら、心配よりもそちらの可能性の方が疑わしい。

 

《普通に心配してやってるんだよ》

 カルトはソラの疑問に心外そうに答えつつ、どうやらイルミのことは少なくともソラは気づいておらず、イルミの方も何故か彼女をいつものように殺しにかかっていないことに安堵した。

 

「それはありがたいんだけど、そこまで私は頼りないの?」

《そういう訳じゃないけど……》

 歯切れの悪いカルトの言葉にソラはまた首を傾げつつ、話したくないのならしつこく訊くのも悪いと思い、話を変える。

 

「そうそう。カルト、偶然だけど君の兄さんも試験を受けてたよ」

《えぇっ!? ソラ、兄さんと会ったの!? 会ったのに生きてるの!?》

「君は実の兄をなんだと思ってんの!? いや確かにキルアも無差別無節操に暴れそうな危ない所もあるけどさ!!」

 

 家出している兄と一緒と言われて驚かれるのは予想通りだが、想像以上の驚きと予想していなかった方向の心配をされて、思わずソラが突っ込むとカルトは電話の向こうで、「え? キルア兄さん?」と不思議そうな声を上げた。

 

「そうだよ、キルアだよ。他に誰がいるの?」

《あー……うん、そうだよね。そっか。兄さん、ハンター試験受けてるんだ》

 

 ソラの問いをカルトは適当に誤魔化す。

 もうこの時点でイルミも試験を受けていることに気付いてもよさそうだが、常に1秒後に訪れるかもしれない無数の死を退ける詰将棋に想像力と思考の大半を費やしている所為か、ソラは未来予知レベルで不意打ちも事故も紙一重で回避することが出来るが、逆に言えば少し余裕のある危険に関しては妙に勘が悪い。

「イルミがいるんなら、TPO関係なく自分を問答無用で殺しにかかる」という先入観もあるせいか、ソラはカルトがここまで心配する理由も、「兄がいる」という発言に驚いた理由も察することも出来ず、そのまま話を続けた。

 

「髪の色はキルアだけ父親似なんだね。けど、よく見りゃ顔はイルミやミルキよりカルトの方がキルアに似てるね」

《! ……そう、かな?》

 

 ソラの言葉にカルトは少し嬉しげな声を出す。それから、躊躇いつつも彼は尋ねた。

《……ソラ。兄さん、うちに帰ってくるかなぁ?》

「さぁ? とりあえず家族と向き合わずに逃げんのはやめろよとは言っといたけど、キルアの人生はキルアのものだから、向き合わずに逃げるのだって私が文句を言う筋合いはないよ」

 

 相変わらずの正論かつドライモンスターぶりに、カルトはいっそ清々しさを感じる。もうソラの言葉を冷たいと感じないのは、そう思いつつも「家族と向き合え」という忠告をしてくれているからだろう。

 

「まぁ、帰ってこなくても兄弟であることなんて変えられないからね。少なくとも、キルアはシルバさんとゼノさん、そして君のことは割と楽しそうに話してたから、連絡手段さえあれば君たちは大丈夫だよ」

 そしてサラッとカルトが何よりも、「キルアが帰るように説得してやる」以上に望む言葉を与えられ、もうキルアが家出をしてから抱き続け、日に日に肥大していた不安は消えてなくなった。

 

《……そう、なんだ》

「うん。代わりに、キキョウさんとミルキと、あとイルミをボロクソに言ってた」

《…………そうなんだ》

 

 どこで言っていたのか知らないが、長兄がそれを聞いていないことをカルトは祈った。聞いていたら、たぶん危ないのはキルアよりソラである。

 そのことをどう忠告したらいいかカルトが悩んでいると、ソラが声のトーンをわずかに下げて言った。

 

「……カルト、ごめん。電話切っていい? また時間が出来たらかけるよ」

 さすがにそう言われて「何で?」と返すほど、カルトは察しが悪くなかった。

 長兄がついに我慢をやめたのかと思ったが、それならソラが悠長にこんなことを言う余裕などないのもわかっているので、「うん。じゃ、頑張って生き残って」とだけ言ってカルトは自分から電話を切る。

 

 イルミのことは結局何も忠告できなかったが、キルアがいるのなら長兄もそう無茶はしないだろうとカルトは前向きに考えることにした。

 キルアがいるからこそ理不尽な八つ当たりをされるという可能性ももちろん気付いているが、どうせソラが試験中にする苦労なんてそれくらいしかないだろうという妙な信頼から生まれた考えで、無責任に「頑張れ」とだけ思って終わらせる。

 

 まさかカルトも、長兄すらドン引きする変態にソラが目をつけられているという苦労など想像できるわけがなかった。

 

 * * *

 

 カルトとの電話の最中、また背後からねっとりとした殺気を感じ取り、無視しようかと思ったが休憩時間だからこそ無視しても自分について回ることは簡単に想像がついたので、ソラはうんざりしながら振り返る。

 

「しつこいんだよ、変態マッドクラウ……誰だお前!?」

 

 しかし振り返って相手を良く見てみたら、悪態が素の驚愕に変わる。

「本当に酷いなぁ♠ もうボクのことを忘れちゃったのかい?」と、相変わらず独特で気持ちの悪い粘着質な声で相手は言うが、ソラの方は眼を見開き混乱したまま「いや、マジで誰だお前!?」と叫ぶ。

 

 この反応に関しては、おそらくソラに「空気読め」と言う者はいない。

 もちろん、本気でソラは相手が誰だかわかっていない訳ではないが、「誰だお前!?」と叫ぶのは無理もない。むしろ、わかっているからこその叫びである。

 それくらい、ソラと同じくシャワーを浴びてメイクを落として髪も下したヒソカは、誰かわかる程度に面影はありながら、あの道化師ルックからは想像出来ないほどに正統派なイケメンだった。

 

「そんなにボクの素顔は意外かい?」と、うさんくさく傷ついた様子を見せてようやく、ソラは相手がヒソカであることを認める。

「意外と言うか……、むしろ何でお前あんなメイクしてるの? 宝の持ち腐れどころじゃないじゃん。爆ぜろ、爆砕しろ、爆発四散しろ」

「キミのそれ、口癖?」

 

 ソラのイケメン限定の挨拶を素で尋ねてから、ヒソカは喉を低く鳴らして笑う。

「それに、宝の持ち腐れはキミの方にも言えるんじゃないかな? それとも、誘ってくれているのかい?」

 

 ねっとりとした視線をソラのむき出しのウエスト、薄く割れた腹筋、なだらかだが確かに存在する胸部の曲線に向けながらヒソカが言う。

 ソラの大人とも子供とも、男にも女にも取れる、老若男女の美点を奇跡的なバランスで調和させている容姿は、「整っているとは思うが、同性に見えるから」という理由で性的な対象にされないことも多いが、自他ともに認める「何でもイケる」ヒソカにとってはガチでどストライクらしい。

 

「んな訳ねぇだろうが」

 しかしもちろんソラからしたら、そういう意味でも彼に「美味しそう」と思われることは最悪以外の何物でもなく、彼女は死んだ目で否定しながら高速で腰に巻いてた袖を解いて着て、ジッパーを首まで上げて素肌を隠す。

 

「用がないんなら消えろ。つーか、用があっても私に関わんな」

「まぁ、待ってよ♦」

 

 言い捨てて逃げ出そうとしたソラの腕を掴んで、ヒソカは引き留める。

 その掴まれた腕をソラが振り払う前に、この変態の正体を知らない危機感のない一般人女性ならつい熱に浮かされそうなほど艶っぽい表情で言った。

「ねぇ、ソラ♥ しない?」

「は? 何を?」

 

 唐突に主語もへったくれもない誘いに、ソラはポカンとした顔で振り払おうとした腕も途中で止まり、「誰だお前」以上に素で訊いた。

 その反応に、ヒソカの方が思わず少し戸惑いつつもあけすけに彼は言い切った。

 

「セックス」

「ぴょっ!」

 

 端的な言葉にヒヨコのような声を上げて、ソラは目を見開いて「は? はぁぁぁぁぁぁっ!? え? は? はぁ!?」と全く意味を成していない声を上げながら、真っ赤な顔で狼狽えだす。

 

 自分を性的に見ていることは気付いていたし、だからこそ気持ち悪がっていたが、ヒソカは性欲と戦いに対する欲求が完全に=で結ばれていて個別に独立していないという、おかしな思い込みをソラはしていたらしい。

 この程度のセクハラは普段のソラなら普通に「キモい」の一言で終わらせるのだが、変な思い込みによる予想外の展開に混乱して、ソラはこちらの世界もあちらの世界も含めて誰にも見せたことがない自分の「素」を、死にたくないが死ぬ寸前まで自分をぶん殴りたいほど不覚なことに、よりにもよってな相手に見せてしまった。

 

 そしてその「よりにもよってな相手」は、パニクるソラを見て実に楽しそうかつ嬉しそうに、そして美味しそうに訊いた。

 

「おや? もしかして、初めて?」

「ぽ…………」

 

 今度は鳩のような声を一言だけ上げて、顔どころか首まで赤くして完全沈黙してしまう。

 1次試験の最中、ゴンやレオリオ相手に堂々と逆セクハラをかましていたが、どうも自分で自分をネタにするのは平気だが、他人にされるのは全く耐性がないらしい。

 むしろソラは耐性がなくて触れられたくないからこそ自分で先制攻撃していたことを、間違いなく勘が素晴らしく良いこの男は理解してしまっただろう。

 

 初めはただ、シャワーを浴びて血色がよくなった肌に少しそそられた程度。

 あとはあの青い果実たちが熟す前に壊さず、ソラからも果実たちからも本気で憎まれる手段として無理やりもいいなとしか思っていなかったが、予想外に初々しい反応がヒソカの嗜虐心を大いに煽った。

 

「あぁ、いいねその反応♥ すっごい新鮮で意外で美味しそう♥」

「ま、待って待って待って! マジで待って!!」

「うん、待つよ♦ 待つだけだけど♠」

「ごめん訂正! 今すぐやめろやめてくださいお願いします!!」

 

 死への回避は神がかっているが、現在のヒソカは全くソラを殺す気がないのと、こういう危機に関しては耐性がないからこそ逃げ続けて経験不足のソラでは対処できず、混乱していつもなら絶対に失わない逃げ場を失い、ヒソカに壁際まで追いつめられる。

 直死で線や点をぶっ刺すことはもちろん可能だが、倫理観よりも生理的嫌悪でこいつに触りたくないと思ってしまってその手段を選ばなかった辺り、ソラの混乱は相当だ。

 

「それは無理だね♠ ソラがすっごくイイから、もう渇いて仕方がないんだよ♣」

「じゃあ水飲めば!!」

 

 少しはいつもの調子が戻って来たが、冷静さを取り戻せば状況の最悪さに気付いてしまいまた混乱しそうになる。

 場所が場所なので大声で助けを求めたらそれこそ誰かしら来るだろうが、相手がこの男では誰かが来ても助けは期待できない。

 絶対に見てみぬフリをされるし、おそらくヒソカは人が来たからやめるような常識など持ち合わせていない。それどころか、「見られている方が興奮する♥」ぐらい言い放つのがあまりにも簡単に想像がついて、ソラは泣きたくなった。

 

「むしろソラが飲むところを見たいなぁ♥ 咥えて、舐めて、啜って、飲み込んでくれるかい?」

「何をだーっ! いや、やっぱ言うな! 絶対に言うな! っていうか死ね! 今死ねすぐ死ね頼むから死んでくれ!!」

 

 現に壁ドンの体勢でセクハラをかまし続ける絶好調なヒソカに、ソラは涙目で叫ぶ。

 

「あんまり大声出すと、人が来ちゃうよ? ボクは全く、構わないけどね♦ 人に見られるのも、キミが泣くのも♥」

 ソラの当たって欲しくない予想通りのことを言い出して、奇術師らしい長い指がソラのツナギのジッパーに触れて、ゆっくり下してゆく。

 が、それを諦めて許すような女じゃないとソラは自分を奮い立たせ、またの名をヤケクソでヒソカの手を叩き落として叫ぶ。

 

「うるさいバーカ! 望むところだ! かかってこい!!」

「望むな馬鹿者!!」

 

 混乱のあまり拒否ではなく許可と取れる発言をしてしまったソラに、怒声と一緒にヌンチャクのように紐で繋がった木刀が飛んできた。

 前にいたヒソカではなく、壁際に追い詰められていたソラめがけて一直線に飛んできたそれをヒソカは振り返りもせずに避けて、ソラもとっさに受け止める。

 

 貞操の危機でパニック中でも、命の危機に関しては体が勝手に動く自分にやや現実逃避気味でソラが呆れていたら、ヒソカが避けたことでできたスペースから腕を掴まれて引っ張り出される。

 

 そしてそのままソラは、クラピカにしっかり抱き寄せられた。

 

 * * *

 

 ソラを奪われないように、離れて行かないように、誰も間に入ることなどないように、夢ではないことを確かめるように、しっかり隙間なく腕に抱いて、クラピカは緋色に染まった目で相手を睨み付けて、名付けられない愛情のままに宣言する。

 

「寄るな触れるな見るな関わるな! ソラは、オレのだ!!」





クラピカとの関係が始まりなのに、クラピカとの関わりが少なかったので、しばらくクラピカさんのターン……のつもりが、ヒソカさんが本当にもう絶好調すぎた。
誰かこの変態を何とかしてください。


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