死にたくない私の悪あがき   作:淵深 真夜

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26:もうその手は掴めない

 ポンズは思い出す。

 まず初めの、罠だらけの迷路となっていた道をソラに抱えられて、何もせず悲鳴だけを上げていた情けない自分を思い出した。

 

 * * *

 

「……死ぬかと思った」

「全力で守ったのに」

 

 ソラの眼から見て、罠や細工が少ないと判断した場所まで来たあたりでひとまずポンズを下ろしたら、彼女は真っ青な顔色で呟いて、ソラが少し心外そうに突っ込む。

 

「……正直、私じゃ避けきれないと思う罠ばっかりだったからすごく助かったし感謝したいけど、脳と胃がシェイクされたこの状況じゃ何も言えない」

「そりゃそうだ。ごめんねー」

 

 息も絶え絶えにポンズが睨み付けて抗議すると、ソラは軽く謝りながら自分もしゃがみこんで彼女の背を摩る。

 ポンズが上げ続けた悲鳴の所為で、未だ蜂は主を守るようにポンズの周辺を跳び回っており、いくら蜂避けスプレーを振りかけたので刺されはしないとはいえ、虫嫌いでなくても近寄るのは遠慮したい光景である。

 そんな状況でも躊躇いなく近づいて背を撫でてくれるあたり、言葉は軽くとも本当に悪いと思って気遣ってくれているのがわかり、むしろポンズが申し訳なくなってくる。

 

 そもそもポンズが自分で言ったように、自分の足で歩いてこの罠だらけの道を通っていたのなら、腕輪の鎖など関係なく無傷でここまで来る自信などない凶悪な罠揃いだった。

 ソラがわざと派手に、ポンズを乗り物酔いにするために動き回ったわけではないことだってわかっている。

 ただ抱き上げられて文字通り「お荷物」でしかなかった自分は、感謝こそすれど文句を言う資格など全くない、むしろ「足手まとい」と罵られても仕方がない有様だったことはわかっている。

 

 わかっているけど身勝手なプライドが素直に感謝も謝罪も言えないで、ポンズは黙ってただ飛び回る蜂に戻ってくるように指示を出す。

 

 性別は同じ女。歳は訊いていないが、おそらくそんなに自分と離れていない。体格だって自分より背が高いくらいで、その背丈だって女性としては高い方という程度で、決して規格外なサイズじゃない。

 さほど自分と変わりがないのに、ルーキーでここまで来れたソラと、もう何度もハンター試験に落ちている自分という落差が劣等感を肥大させ、「私と彼女、どこがどう違うのよ!」という八つ当たりの思考が芽生える。

 

 そんな思考を振り払って、ポンズは立ち上がって先に進もうと提案する。

 が、ソラはしゃがみこんだまま言った。

 

「ごめん、ポンズ。私出来れば、ここで少し休みたい」

「はぁ?」

 

 思わず顔を不満そうにしかめてから、すぐに「しまった!」と後悔がポンズに襲いかかる。

 自分を抱えて走り回ったソラが、抱えられてキャーキャー喚くだけだった自分より疲れていない訳がない。

 顔はケロッとしていたが、自分に気を遣って無理をしているかもしれない、もしかしたらどこか怪我をしてるかもしれないという可能性に思い当たらず、自分だけ回復してさっさと進もうとした身勝手さにポンズが自己嫌悪していると、ソラはやはりケロッとした顔でポンズを見上げて言った。

 

「ごめんね。でも、ちょっとマジで限界かも。今、めっちゃ眠い」

「眠い!?」

 

 その一言で、ポンズの自己嫌悪と後悔が吹っ飛んだ。

 いや待て、走り回って疲れすぎて眠いという意味かもしれないと、ポンズは自分に言い聞かせようとするが、そのフォローは本人によって粉砕される。

 

「うん、眠い。昨日、ほとんど寝てないんだよ」

「何で!? 寝なさいよ!!」

 

 何故か次にあるのかどうかも怪しい数少ない休憩時間で寝てなかったことを暴露されて、申し訳なさが完全に吹っ飛んだ。

 しかしポンズに怒られてもソラはどこ吹く風と言わんばかりに、本当に眠そうにあくびをして答える。

 

「んー、なんかさー、寝ようとしたらちらっとだけ殺気飛ばしてくる奴がいたんだよ。ヒソカとはまた違う、針でも飛ばすみたいな鋭い殺気があって、それのせいで神経ピリピリして眠れなかったんだよ。つーか、マジで誰だあの殺気は。もう私、ヒソカだけでお腹いっぱいどころか胃炎になりそうなんだけど……」

「……ごめん。好きなだけ寝なさい」

 

 申し訳なさは帰ってこなかったが、代わりに同情が湧き上がってポンズは心底ソラを憐れんだ。

 ヒソカに目をつけられているというだけで、近寄りたくないが同情の余地どころか同情する要素しかないというのに、他にも眼をつけられているソラのトラブルホイホイ具合にはもう本当に憐れむしかないと思いながら、ポンズもとりあえずまた隣に座る。

 

「うん、ごめんね。ありがとー」

 体育座りになって、自分の膝に額を当てた体勢になってソラは言う。

 ポンズと違って素直に謝罪も礼も言えるソラに、また何か面白くないと思いながら、ふと気が付いたことを尋ねた。

 

「……その殺気が誰かわかっていないのなら、よく私の横で眠れるわね」

「誰の殺気かは分かんなくても、見りゃあんな殺気を出せる人間かどうかくらいわかるよ」

 

 顔も上げず、ソラは即答した。

 その即答も、ポンズは面白くなかった。

 つまり自分はそんな殺気を出せる実力もなく、警戒する必要もない程度の相手だと判断されていると思ったから。

 

「私を君の奥の手である蜂に刺されないよう、ちゃんと対策してくれた君はあんな殺気を出せないさ」

 

 ふてくされていたポンズに、そんな言葉がかけられた。

 驚いてポンズが横を見ると、いつの間にかソラはこちらを向いて笑っていた。

 楽しげに、嬉しげに笑うその顔を見ていたらひどく居心地が悪く感じて、ポンズはすぐに目をそらす。

「君がパートナーで良かった」と言われているような気がして、そんな自惚れを抱いてしまいそうな笑みだったから、見ていられなかった。

 

「……ルートの性質柄、そうしないと私にとってもデメリットになるじゃない」

「蜂の存在だけ明かして、蜂避けスプレーの存在を隠しておけばよかったじゃないか。そうしたら、私は自分の身を蜂から守るために、君を守り抜かなくちゃいけなくなってたのに」

 

 そっぽ向いて、善意でも何でもなかった、自分本位でしかなかったことを明かしても、ソラはサラッと言い返す。

 ソラが言い出した鬼畜な手段を聞いて、ポンズは内心「その手があったか!」と思う。こういう手段が浮かばない甘さが、ハンター試験に合格できない要因なんだろうなと凹んでいたら、隣のソラがクスクス笑う。

 

「しなかったにせよ、発想がそもそもなかったにせよ、それはどちらもポンズが優しい証明だ。

 だから私は、君を抱えてここまで来たんだよ。ぶっちゃけ私、片方だけなら爆発させずにこの腕輪を外せる自信があるから、いざというときは自分だけ外して先に進もうとか考えてたよ」

 

 ソラの発言にぎょっとしてポンズが隣を見るとソラは笑って、「安心しなよ。今はそんな気、全くないから」と答える。

 

「君が誠意を見せてくれたから、私も誠意で返す。君が私を蜂から守ってくれたんだから、私だって守るよ」

 

 それはただ口先だけの言葉だと思って、信用する必要などなかった。

 それでも、その言葉を信じたくなってしまうほどに、女だとわかっていても心臓が高鳴ったことを思い出す。

 それぐらい、少し眠たげに笑って言ったソラはイケメンだったことを、ポンズは思い出した。

 

 

 * * *

 

 危うく開いてはいけない新たな扉が開きかけてから数十分後、ポンズは暇を持て余していた。

 

 ポンズは普通に飛行船で休息を取り、この塔もここまでくるのはソラ任せにしていたので、寝るほど体力は消耗していない。

 腕輪を繋ぐ鎖の所為で一人でちょっとだけ先に進んで様子見さえも出来ず、だからと言って自分より実力のある人間の体力回復を邪魔して先に進むのを提案するのは愚行この上ない。

 

 荷物の点検も手入れもやりつくしてしまい、他に出来ることと言えばとりとめのない思考だけ。

 

 ポンズは、横で寝息もほとんど立てずに座っているソラを横目で見て呟いた。

「……やっぱり、ハンターは女でもこれぐらいの実力がないとダメなのかな」

 

 こんな考えに意味はない、ただ自分のテンションを下げるだけだとわかっていても、ついつい考えてしまう。

 自分と同性で歳も体格もそう変わらないのに、ハンターに第一で必要な武力を持つソラに嫉妬をしては自己嫌悪を、先ほどからポンズは繰り返す。

 

 いっそ自分をお荷物だの役立たずだの罵って、見下すような相手なら良かったのにという酷い責任転嫁さえ考えて、またため息。

 実力があって、そしてそれを鼻にかけない、足手まといでしかなかった自分に文句を言わず、誠意を認めてそれに対して大きすぎるものを返すソラにポンズは、好ましいものを感じているからこそ早くこの試験が終わって欲しい、この子から離れたいと願って仕方がない。

 

 押しつぶされそうな劣等感に耐えながら、ガス抜きのようにポンズはまた呟く。

 

「……やっぱ、凡人は天才にはかなわないのね」

「そういう言い訳してる間は、誰にも勝てないよ」

 

 ポンズの呟きに、あまりにも厳しい言葉が返された。

 ポンズが眼を見開いて隣を見ると、ソラは眼を閉じたままさらに言葉を続けた。

 

「というかさ、別に私は天才でも何でもないよ。私なんかを天才だとか言ってたら、この世は神の領域の天才で飽和するから」

 

 言って、ソラは眼を開ける。

 そしてミッドナイトブルーの眼に、怒っているようにも今にも泣きだしそうにも見える顔のポンズを映しながら、ソラも困っているような呆れたような微妙な顔をして、彼女は話し出す。

 

「私から見たら、君もその領域の天才なんだけど」

「はぁ?」

 

 現実を突きつけられて自分の凡人さを指摘されたと思っていたら、まさかの発言にポンズは八つ当たりの怒りも、突き付けられた劣等感のショックもどこかに飛んで行った。

 

「いや、そんなあからさまな慰めはむしろ嫌味なんだけど……」

「慰め? 蜂を割と自由自在に操れる技術を持つ君を凡人って言う方が、絶対に凡人と天才のラインがおかしいじゃん」

 

 困惑しながらとりあえずポンズが指摘すると、ソラは先ほどよりも呆れを強くして即答する。

 具体的に自分の何を見てそう思ったかを知ったら、さすがにポンズも単純だと思いつつ少し嬉しくなって、その嬉しさを隠すようにそっぽ向いて答える。

 

「あんなの、全然大したことじゃないわよ。訓練したら誰だって出来るわ」

「そうかもね。けどさ、ポンズ。それは私にも言えることなんだよ」

 

 またしても即座に返された答えに、きょとんと眼を丸くしてポンズがソラを見ると、ソラは笑いながら言葉を続ける。

「私は運よく、3年前に死にかけてたところでプロのハンターに拾われて、そのまま弟子になって3年間しごかれたんだよ。

 君から見たら天才とかに見えるかもしれないけど、私としてはこのタワーの罠よりババアからのしごきの方が100倍きつかったから、あの程度は当然、むしろ『天才』で終ったら少し悲しい。私の3年間はなんだったんだって思う」

「…………ごめん」

 

 最後の方ははるか遠くを見るような目で語ったソラの話に、ポンズは同情しながら同時に心底、自分の言葉を反省して謝罪した。

 自分と同性で歳や体格もさほど変わらないのに、自分より優れているソラに対して思ったことは「彼女は天才だから」だった。ポンズは全く、「自分より彼女の方が努力をしてる」という真っ当な可能性を考えなかった。

 

 ソラの初めに言った言葉は、まさしく正論だ。ポンズは、「相手が天才だから仕方がない」と自分が努力しなかったことの言い訳に過ぎない。

 そのことを突き付けられて、本日最大の自己嫌悪で凹むポンズの頭にやわらかい重みが加わる。

 ポンズの頭を蜂が出てこないささやかな力加減で帽子越しに撫でて、ソラが少し困ったような顔をしながら言う。

 

「あー、ごめん。そんなに凹まないで。君が努力してないとかなんて思ってないから。

 つーか同じだけ努力しても、プロハンに指導された私だと多少は試験の傾向とかを師匠もわかってるから、効率のいい指導で実力をつけられるけど、そういう人がいない普通の受験生は地道に試験対策しないといけないじゃん?

 君が努力してないとか劣ってるとか思ってないし、そんなわけないよ。むしろ君は、近いうちにどれだけ自分がすごいことをしていたかを知る。だから、凹まずに誇りを持った方が良い」

 

 ソラの励ましにポンズは首を傾げるが、ソラの方は励ましではなく完全に本気で言っている。

 魔術師であり念能力者のソラからしたら、魔術でも念能力でもなく完全に技術であそこまで蜂を訓練して操るポンズは、純粋な技術だからこそ称賛されるべきものだと思っている。

 そのことを彼女が少しでも早く気付いてくれることを祈りながら、ソラは言葉を続けた。

 

「とりあえず、凹まないでほしいな。凹ますために言ったわけじゃないから。

 何が言いたかったかっていうと、相手を『天才』の一言で終わらせたらさ、相手にも失礼で自分も凹むだけのいいとこなしじゃん?

 それならさ、『きっとすっごい努力したんだ! そして努力さえすればできることなんだ!』って思った方が良くない? 努力は面倒くさいし、必ず成果が出るとは限らないものだけどさ、『天才』の一言で自分には到達できないって諦めるより、なりたい自分になれる可能性が高くなるんだから、ぶっ壊れない程度に頑張ろうよ」

 

 そこまで言われて、ポカンとしていたポンズが噴き出した。

 

「え? 何で笑うの?」

「あはっ! ごめんごめん。いやなんか、すっごい真っ直ぐでポジティブなのがなんか妙におかしくて」

 

 ポンズ自身も何がおかしいのかよくわからないまま、しばらく笑う。

 

「……別に私は真っ直ぐでもポジティブでもないけどね。私はどっちかというと、前向いて突っ走り続けていないと、立ち止まった瞬間自己嫌悪で死ぬネガティブだと思うよ」

回遊魚(マグロ)か、あんたは」

 

 ポンズに笑われて怒ってはいないが困ったソラの言い分がまたおかしくて、ポンズは笑いながら突っ込んだ。

 ひとしきり笑って、そしてポンズは何やら吹っ切ったように晴れやかな顔でソラに言う。

 

「……ありがと。そうね。確かに私だって頑張って来たんだから、言い訳して諦めたんなら今までの私に失礼だわ」

 自分の愚かな妬みで言えなかった礼を伝えると、ソラは嬉しげに笑ってからあくびをする。

 その様子を見てポンズは、「ごめんね、仮眠の邪魔をして」と謝るがソラは眼をこすりながら否定する。

 

「いや、別にポンズの独り言で目が覚めたわけじゃないよ。寝ようと思ったんだけど、どうも眠れないみたいだから、先に進もうか。時間ももったいないし」

「眠れない? やっぱこういう所じゃ緊張が解けないの?」

 

 答えて立ち上がろうとしたソラを制して、ポンズは尋ねる。確かにもう仮眠も休憩もいいのなら先に進みたいところだが、どう見てもまだ眠そうなソラに無理させるのは気が引けた。

 

「それもないことはないけど……、恥ずかしながら私、一人で寝るの苦手なんだよね」

 しばしソラは答えを言い淀んでいたが、ポンズが「私に気を使われた方が困るわよ」と言われ、観念して眠れない理由を話すとまたしてもポンズはポカンとする。

 

「本当に部屋で一人とかなら寝つき悪いけど眠れるし、電車とか他人がいっぱいいる所なら多少うるさくてもというか、うるさいからこそ眠れるんだけどね……。

 なんかこういう二人だけとかそういう場で、一人で寝るのってすごいダメ。嫌なことというか、嫌な場所というのか、とにかく一人きりで眼を閉じるのはなんか……怖い」

「? 暗所恐怖症とかそういうの?」

 

 言っていることはまるで子供のようだが、口ぶりからしてふざけているのではなく本当にダメだというのを察してポンズが尋ねると、ソラは「うーん……」と唸って、「……音でも匂いでも体温でも、とにかくなんかが欲しいんだよね。生きているって証が。だから、いっそ騒がしい方が眠れるみたい」と、余計に訳の分からない答えを返す。

 

「……ま、目を閉じて休むだけでもちょっとはマシになったし、眠れないのを無理しても本当に時間の無駄だから、先に行こうか」

 ソラがそう提案してまた立ち上がろうとしたが、今度もまた止められる。

 今度はしっかり、手を握られて。

 

「……まったく、私の誠意に応えて守ろうとしてくれたんなら、あんたも私に誠意を返されることくらい期待しなさいよ。

 寝なさい。私を認めてくれたお礼よ。体温があれば、まだ眠れるんでしょ?」

 

 今度はソラの方がポカンとしてポンズを見下ろすと、少しだけ「してやったり」な顔で笑いながらポンズは言った。

 その言葉にソラは2,3度瞬きをして、それから笑った。

 

「じゃ、お言葉に甘えて」

 

 そう言って座り、また眼を閉じた。

 今度は眼を閉じて1分足らずで寝息が聞こえてきた。横目でポンズが見れば、つい先ほどまでのソラは寝ようとして目を閉じていただけだったというのがよくわかるほど、安らかな寝顔だった。

 

 それからソラが次に目覚めたのは約3時間後。

 待たされていたポンズは正直言って退屈だったが、気分は悪くなかった。

 もう暇つぶしに浮かぶ思考はネガティブな僻みや自己嫌悪ではなく、どうやってソラがここまで強くなったかの想像と打算のない疑問ばかりが、いくつもいくつも浮かんできた。

 

 強くなれると、思っていた。ソラのように自分だって強く、ハンターになれると信じていた。

 対等になれると、確かにポンズは思っていたことを思い出した。

 

 * * *

 

 それからソラとポンズは地道に「連帯の道」を進んでいった。

 ある程度吹っ切れたとはいえ、やはり腕っぷしに自信がなく、武器である薬も使い方は「待ち」という受け身一辺倒なポンズは、休息の時にトラップを張るくらいしか役に立つことはほとんどなかった。

 

 そのことに凹んだりもしたが、ソラが「ポンズ、私はパートナーが君で本当に良かったと思ってるよ。だってもしもポンズと実力も戦闘スタイルも同じようなおっさんだったら、私、お姫様だっこしたくなかった」と真顔で言われ、別に嬉しくは全くないがポンズもおっさんにお姫様抱っこはされたくないと納得してしまったので、凹むのはやめた。

 

 そして約50時間ほどかけて、たどり着いた。

「連帯の道」最後の試験の部屋に。

 

「……二つ?」

 たどり着いた部屋に入ってソラがまず呟き、ポンズも首を傾げる。

 部屋は初めに二人が落ちてきた部屋より少し大きいくらいで、二人が入ってきた入口の真正面、壁に設置された女神のレリーフの左右に二つ、扉があることに疑問を抱く。

 

 別に今まで二手に分かれた道や、複数の出入り口がある部屋などいくつもあったが、二人がその扉に疑問を持つ訳は、その扉にはドアノブ等はなく、固く閉ざされているからだ。

 この扉を開けるためにアイテム探しをしなければならないのか、それとも正直村とうそつき村のようなクイズでも出題されるのかと思いながら二人は女神像近くまで歩み寄ると、いきなり二人の腕輪を繋いでいた鎖がぽろっと落ちた。

 

「「えぇっ!?」」

 

「鎖が切れたら腕輪が爆発」というルールだったので、思わず同時に声を上げて反射で自分の腕輪を二人とも押さえるが、鎖が外れたのはどうやら仕様らしく、腕輪自体は外れない代わりに爆発もしなかった。

 そのことに安堵していると、今度は女神像の口がぎこちなく動いて合成音声で告げる。

 

《ここは、「連帯の道」最後の試験。これからお二人は別の扉からこの先に進んでいただきます。

 扉の先は同じ大部屋に繋がっていますが、その部屋は強化ガラスで二つに区切られています。このガラスは、どちらかの部屋の壁のどこかに隠しスイッチがあり、それを押せばガラスが収納されて一つの部屋となります。

 

 そして、二つに区切られた部屋にはそれぞれ、数人の囚人が待機しております。その囚人は一部屋につき一人、あなた方の腕輪を外す「鍵」を持っている者がおります。ただし、その鍵はあなた方が入った部屋とは逆の部屋に入ったパートナーの物です。

 

 お二人は残りの制限時間を使い、囚人からお互いの鍵を奪い、部屋を区切るガラスを解除してください。二人の腕輪が解除され次第、出口に繋がる扉が開かれます。

 また、制限時間内に受験生どちらかの死亡が確認された場合、腕輪はどちらも爆発しますのでご注意ください》

 

 女神像に最後の試験を説明されて、直接的な戦闘は不得手すぎるポンズが顔色を変える。

 が、ソラは真顔のまま向き直ってポンズに訊いた。

 

「ポンズ。催眠ガスとか持ってる?」

「え? あるけど……」

「よし。じゃあ部屋に入った瞬間、それブッパして自分も含めて全員寝かせろ。私が自分の部屋をなんとかしたら、ガラスを壊してそっちも片付ける。これで行こう」

「それ、絶対に試験官が想定してなかった作戦!」

 

 もう初めから試験官が想定してなかったであろうことしかやっていない女だが、どうもここでもソラは「連帯など知ったことか、私一人で十分なんだから私がやる」という、人が好いのか自己中なのか不明な作戦を立てた。

 ガラスに関しては、ソラの部屋に隠しスイッチが無かったらどうする気? と思ったが、思い返してみたらソラは鉄球を蹴り砕いていたので、スイッチを探す必要はないとポンズは確信した。

 

 最後の試験まで自分はソラに頼りっぱなしであることを情けなく思うが、この試験はもはやポンズの存在がソラにとってデメリットなくらいである。

 ポンズがあっさり死んでしまってソラの手首を巻き添えで爆発させるくらいなら、ちっぽけな自分のプライドは捨てるべきだと判断し、ポンズは鞄の中から即効性の催眠ガスをすぐに噴射できるように用意する。

 

 それを見て、ソラは朗らかに笑って言った。

「じゃ、任せるよ。やっぱり、パートナーがポンズで良かったよ。無駄に心配とかしなくて、楽でいいわ」

 

 自分にばかり負担をかけているにも拘らず、本気で「ポンズで良かった」と言えるソラのお人よし具合に、もう何度目かわからない呆れのため息をつきながら、ポンズも笑って返答してから開かれた扉にそれぞれ入って行った。

 

「私も、あなたがパートナーで良かったわよ。ソラ」

 

 ソラの提案した作戦はポンズの言う通り試験官の想定外だったが、ハンター試験はいかに受験生が試験官の予想の斜め上を行くかを期待している節があるので、カメラで見ていた4次試験担当官のリッポーはソラの豪快な「私に全部任せろ」作戦に放送で注意を入れず、腹を抱えて楽しげに見ていた。

 

 リッポーにとってソラの作戦が想定外だったように、ソラとポンズにとって想定外な出来事が起こりうることを、この部屋に用意した囚人が誰であるかを把握している彼だけが予想しながら。

 

 ポンズは、思い出してしまった。

 ソラの作戦の、最大の誤算を。

 

 * * *

 

 ポンズは思い出す。

 自分がガラスに区切られた大部屋に入った瞬間、7・8人いた囚人に向かって催眠ガスを一気に散布したこと。

 膝をついて倒れる囚人達と共に、自分もガスを吸い込んで遠のく意識の中で見た隣の部屋。

 ガラスの向こうのソラが、勢いよく一番ガタイのいい囚人に跳び膝蹴りを鼻っ面に決めているのを見て、「あぁ、問題ない」と思いながら意識を手放したのを。

 

 意識を取り戻したのは、息苦しくなったから。

 何とか重い瞼を開ければそこに、口の端からだらだら涎を垂らして何やら興奮している男が目の前にいた。

 ガラス越しにくぐもっていたけど、それでもはっきりと「ポンズっ!!」と叫ぶソラの声を確かに聴いた。

 

 自分の首を締め上げられていると気づいたのは、その後。

 走馬灯にしてはあまりに近い出来事しか思い出せていない回想が終わり、ようやくポンズは現実を、現在を認識する。

 

 自分の首を絞める懲役100年越えの囚人に、ポンズは見覚えがあった。

 それは婦女暴行と殺人、死体損壊などの罪で投獄された男。被害者の数は確認されている者だけで20人を超えているシリアルキラー。

 

 二人にとって最大の誤算は、恩赦よりも催眠ガスによる睡魔よりも上回る、このサイコパスの黒い欲望。

 自分より弱く、若く、美しい女性を傷つけ、甚振り、穢し、壊しつくすことに執心した男が、まさしく自分のターゲットど真中だったポンズが現れて、理性など保てなかった。

 刑務所による禁欲生活は彼の中の黒い欲望を枯渇させることはなく、むしろ抑圧されていたものが肥大して爆発した結果だろう。

 

 興奮による脳内麻薬の異常分泌と、とっさに自分の手を肉が抉れるほどに噛んだことで、ポンズの催眠ガスを彼は無効化した。

 そして無防備に自分も眠りについたポンズを、その毒牙にかけている。

 

「あぐっ……あっ……」

 まだ殺す気はないからかそこまできつく首を絞められているわけではないが、催眠ガスがまだ体に残っているため、体はほとんど動かない。

 男は左手でポンズの首を絞めながら、自分で噛みついて血がだらだら垂れ流されている右手でポンズの体をまさぐる。そのことに酷い不快感を覚えても、自分の抵抗はあまりに弱々しかった。

 

 奥の手の蜂も、催眠ガスを使ったせいで大半は彼らも眠ってしまっているし、そもそも相手は首を絞めているので、蜂の攻撃スイッチである「衝撃」は起こらず、「悲鳴」も出せない。

 

「ポンズっ!! どけ! どけよ!! 邪魔だどけ離せええぇぇぇぇっっ!!」

 

 強化ガラス越しに、ソラの声が聞こえる。

 催眠ガスを噴射してすぐにこんな事態になってしまったせいで、彼女も自分の部屋の囚人をほとんど倒すことも出来ず、今にも泣きだしそうな顔でガラス越しに手を伸ばしていた。

 自分がこんな作戦を立てたからだと、自分を責めぬいて悔やみぬいていることが嫌でもわかる顔で手を伸ばしていた。

 

 その手を、掴んでやりたかった。

 自分よりずっと強くて、すぐに凹む面倒くさいポンズに何度も「凹む必要ないよ」と言って笑わせてくれたのに、一人では眠れない子供のような弱さを抱えたパートナーに、「大丈夫」と言ってやりたかった。

 

 だから、その為にまずポンズは力の入らない体に精一杯の力を込めて、自分の首を絞める手に抵抗する。

 その弱々しい無意味な抵抗が男の嗜虐心をそそって首を絞める力は強くなるが、それでも彼女は抵抗する。

 

(……諦めて……たまるもんかっ!!)

 この周り全てがライバルだと思っていたハンター試験で出会ったかけがえのない「友人」の為にも、ポンズは死ねないし取り返しのつかないことを起こさせはしない。

 そう決めて、彼女が儚い抵抗を続けていた時――

 

 パンッ! と風船が爆ぜるような音と同時に、何かがキラキラと舞い散った。

 

 それは砕かれたガラス。

 思わずポンズも男も、その音がした方向を見る。

 

 まず見えたのは、砕かれてキラキラと煌めきながら舞い散る、分厚い強化ガラスの残骸。

 

 そしてその向こうに見たのは、毒々しい鮮血の赤。

 

 まだ動き、うめき声をあげている者、もうピクリとも動かなくなった者、そんな肉の塊の中心に立つソラの手には、安っぽいボールペンが一本。

 

 ソラは、眼を開いて言った。

 

「――――どけ」

 

 澄み切った空色の瞳で、男とポンズを見た。

 

 蒼天にして虚空。

 

 (そら)にして(から)

 

 

 

 

 

「 」の眼の死神を、見た。

 

 

 

 

 

 次の瞬間には、ポンズの首を絞めていた男の腕が肩からまるで元々こういう構造で外れるようになっていたかと思うくらい、綺麗な切り口で切断された。

 男が息を吸って激痛の絶叫を上げようとしたが、その前にトンっとボールペンが突き刺さる。

 男の顎に深々とボールペンが突き刺さった瞬間、グルンと眼球は回転して白目を向いて倒れ伏し、そのまま動かなくなる。

 

 倒れた男の身体と、切断された腕を蹴り転がし、投げ捨てて、ソラは言った。

 

「ポンズ! 大丈夫!?」

 

 空色の眼でポンズを映し、倒れている彼女に手を差し出した――

 

 * * *

 

 トリックタワーの1階で、他の受験生たちと同じくポンズは黙って座り込んで3次試験終了を待ち続ける。

 後悔と自己嫌悪、そして未だ消えない恐怖に苛まれながら。

 

『ひっ!』

 

 短い引き攣った悲鳴を上げて、差し出された手を叩いて払いのけた自分を何度も思い出す。

 ガスと首を絞められた影響など見当たらないくらい、強くポンズはソラの手を払いのけた。初めの出会いの時にはなかった、恐れと拒絶を露わにして。

 それからハッとしたような顔になって、彼女は体を何とか起こして、まだ回らない舌を必死で動かした。

 

『ち、ちがっ……ちがうの……。ソラ……私は……』

『いいよ』

 

 言葉を途中で遮られて、ポンズが感じたのは拒絶のショックではなく、何も言わなくていいことに対する安堵であったことに、ポンズはショックを受けた。

「違う」と否定しておきながら、ポンズはソラに何を言おうとしていたのか、何が違うのかなんてわかっていなかった。

 あの「違う」は言い訳にすぎないことなんて、命乞いでしかなかったことなんて、ポンズ自身がよくわかっている。

 

 そんなポンズにソラは、失望の眼さえ向けてはくれなかった。

 自分の手を払いのけられても、拒絶されても彼女は怒りも悲しみもしなかった。

 

 ただ、払いのけられた瞬間、何かに気が付いたような顔をした。

 そして、言った。

 

『ごめんね。怖がらせて』

 

 もうポンズに手は差し出さないで、少しだけ離れた位置から何かを諦めたように寂しげに笑っていた。

 その笑みに胸が引き裂かれるほどの痛みを覚えたのに、それなのにポンズは何も言えなかった。

 

 ソラの手を、つかめなかった。

 

 その後は、死体や瀕死の囚人、まだポンズのガスで眠っている囚人から鍵をソラが見つけて、互いの腕輪を外して現れた隠し扉から階段を降り、トリックタワーの1階に到着するまで何も話さなかった。

 

 到着しても、何も話さなかった。

 話せなかった。

 

 後悔と自己嫌悪がポンズの心の中で荒れ狂っているのに、ポンズは何も言えなかった。

「ごめんなさい」と言って、彼女の手を取ることがどうしても出来なかった。

 

 ミッドナイトブルーからスカイブルーに変幻した眼は、場違いに綺麗だと思った。

 けれど同時に、怖くて仕方がなかった。

 瞳の色が変化したことにその時は何も疑問に思わなかったし、今も疑問に思うだけでそのこと自体に恐怖はない。ただただ、あの眼で見られるのが怖かった。

 

 ソラに手を差し出された時、その眼を見た時、幻視してしまった。

 自分の首を絞める男の腕が切断されたように、自分の腕も切り落とされるような気がした。

 そんな何の根拠もない妄想で、ポンズは自分を助けてくれた人の手を振り払った。

 

 ハンター試験で人が死ぬところなんて、何度も見てきた。そしてポンズ自身も、ほとんど事故に近い形でだがライバルの受験生を殺したことだってある。

 だからソラが自分を助けるために囚人を殺したことなど、本来なら気にすることではない。また役に立てなかったと申し訳なく思うのではなく、どうしてあそこまで怖がったのかが自分でもわからない。

 

 ポンズ自身はわかっていないのに、拒絶されたソラはまるでわかっているようだった。

 手を振り払われて、何かに気が付いたような顔をした後、寂しげに笑っていた。

 寂しげに、でも申し訳なさそうに、「こんなことも忘れてた自分が悪い」とでも思っていそうな顔で謝ったソラの顔が、ポンズの頭から離れない。

 

『ごめんね。怖がらせて』

 

 その謝罪に心は「違う!」と叫んでいるのに、ポンズの口から声が出ることはなく、結局ポンズはソラから離れた位置で座り込み、3次試験の制限時間が無くなるのをただ待った。

 ソラも同じように、たった一人で待っているのを気にしながら。

 

 ヒソカがソラにまた余計なちょっかいをかけないか、ソラが話していた殺気の持ち主が誰なのかと心配しながら、眼を閉じているけど決して眠ってなどいない、眠れないソラを案じながら、それでもポンズは何も言えず、近寄ることすら出来なかった。

 

 そんな資格はないと、思っていた。

 

 制限時間が数分を切って、明らかにソラの落ち着きがなくなっていたことには気付いていた。

 それでも、ポンズは「どうしたの?」と話しかけることは出来なかった。

 何で落ち着きがないのか、誰を待って、まだ来ないことを不安がっているかなんてわかり切っていたのに、その不安を和らげることも、何かを言ってやることも出来なかった。

 

「遅いわ皆!! ギリギリじゃん!」

 制限時間が1分を切って、言葉ほど怒っていないどころか嬉しさしかない声が聞こえた時は、ホッとした。

 

 3次試験前、ずっと一緒だった4人と再会して嬉しそうに駆け寄って、犬なら千切れんばかりに尻尾を振ってそうな勢いで、ギリギリ間に合った4人以上に喜ぶソラを見て、安堵した。

 けれど次の瞬間、ポンズは泣きたくなった。

 

「……ソラ」

「え?」

 

 特にソラと仲が良かった印象のある、「連帯の道」を歩いていた時によく話が上がった金髪の中性的な美人、クラピカが急にソラの手を取った。

 戸惑いながらその手を引き抜こうとソラはしていたが、クラピカはしっかりつかんで離さず、じっと彼女の手をしばらく見た。

 

「? クラピカ、何事?」

「……あぁ。すまない。さっきから何か手を気にしているようだから、怪我でもしたのかと思ったんだが、何もないようだな。

 ……大丈夫。いつも通り、綺麗な手だ」

 

 クラピカの言葉に、ソラは目を見開く。

 ポンズも同じように目を見開いて彼を見たが、当然クラピカが気付いたのは目の前の、未だ手を離さないソラにだけ。

 

「ソラ?」

 今度はクラピカが不思議そうな顔をするが、ソラは何も答えずに笑って言った。

 

「……君の方が、酷い怪我してるじゃん。――ありがとう、クラピカ」

 泣き顔みたいな、それでも嬉しくて仕方がないと言わんばかりのソラの笑顔を見て、ポンズは泣き叫びたくなった。

 

 謝りたかった。

 拒絶したことを、助けてくれたのに礼も言わずただ恐れたことを、自分だけではなくあの4人にすら触れられなくなるほど酷いことをしたと、泣いて謝りたかった。

 

 なのに、ポンズの喉から声は出ない。

 自分もあの手を握って、あの差し出された手をもう一度、今度こそ掴みたかったのに、想像の中でさえポンズはソラの手を掴めない。

 何度も何度だって、恐れて拒絶してしまう。

 

 なのに彼らは、クラピカだけではなく銀髪の少年は「っていうか、お前がいたらマジで楽勝だったっつーのあのルート」と文句をつけつつ、ソラの腰に抱き着いた。

 黒髪の少年は再会をソラと同じくらい喜びながら、「ソラのおかげで最後、いい考えが浮かんで全員で合格できたんだよ! ソラ、床を壊して降りるとか言ってたでしょ?」と子供らしく報告している。

 同じく黒髪の大柄な男は、何やら話しかけようとして何故か他のメンバーにシャットアウトされて、ソラに「……レオリオ、君は何をした?」と呆れられていた。

 

 誰も、彼女を拒絶しない。

 それはポンズと違ってソラのあの眼を、あの光景を見ていないに過ぎないかもしれない。

 けどそんなの、言い訳であることはわかっている。

 相手を「天才」の一言で終わらせて、自分が何の努力もしない言い訳をしていたのと同じであることは、わかっている。

 

「資格」がないなんて、ポンズにとって都合のいい言い訳。

「資格」をポンズは自分から、捨てたのだ。

 

 理性ではソラを拒絶した身勝手な自分が嫌で嫌で仕方がないのに、もうポンズの本能はソラに近寄れないし、関われない。

 

 あの幻視した、切断された自分の腕。あの腕こそが、きっと「資格」だった。

 自分の腕を切り裂いて奪い取ったのは、ソラじゃなくて自分自身だという事を自覚する。

「友達」になりたかった子の手を掴むはずだった手をもぎ取ったのは、その子が「死神」であることを受け入れられなかった自分の弱さだと思い知らされた。

 

 一度、折れてしまえばもう戻れない。頑張れない。諦めるしかない。

 ソラを「死神」と認識してしまったことで、恐怖で折れてしまったポンズはもうあそこには、ソラの隣には並び立てない。

 そのことをソラもわかっていたのだろう。

 だから彼女は、「『相手は天才だから』なんて言って諦めるな」と言ってくれたように、「諦めるな。頑張れ」とは言わなかったし、ソラもしなかった。

 

 諦めるしかないことを、きっともう何度も思い知らされてきたのだろう。

 

 ポンズは、唇を噛みしめて他の受験生と一緒にトリックタワーを出る。

 泣かないと決めて。泣いてしまえば、きっとあのお人よしは自分が被害者なのに、ポンズに気を遣う。自分の所為だと気を病む。

 だから、泣かないと決めた。

 

 もうそれしか、ポンズにできることなど……ソラにしてやれる精一杯はそれしかなかったから。

 

 

 

 

 

 * * *

 

 

 

 

 

 3次試験が終わってすぐに引かされたくじの番号札を、クラピカは船の上で眺める。

 

(16番……。トンパか……。おそらく戦闘となれば私が有利だが、ベテランかつ向こうは合格を目的としていない。狩ろうとは一切せずに隠れることに徹すると厄介だな)

「おや? クラピカのターゲット、あのおっさんじゃん」

「!?」

 

 いきなり背後から持っていた番号札を覗き込まれて、クラピカは飛び上がってから向き直って文句をつけた。

「気配を消していきなり背後から声を掛けるな!」

「あはは、ごめんごめん」

 

 本気で悪く思っているのかが怪しい様子で謝られ、クラピカはもう少し小言を続けようかと思ったが、トリックタワーから降りてきた直後の様子を思い出してやめた。

 いつもはパーソナルスペースがゼロと言っていい女なのに、クラピカにも他の3人にも一切触れようとしなかった。

 再会を喜んでいるくせにいつもよりわずかだが距離を置こうとしていたソラが、またいつもの距離感に戻ったのなら、もうそれだけでいいと思えた。

 

 おそらく、トリックタワーで何かがあったのは確か。

 ゴンが言いにくそうだったが、「……ソラから血の匂いがした」と教えてくれたから、その「何か」もクラピカは十分に想像がついている。

 だから、下手な言い訳をしつつ無理やりその手を握って離してやらなかった。

 

 そのおかげだと自惚れたいが、とりあえずやや不安定だった情緒が落ち着いたことに安堵しながら、クラピカはソラと会話を続ける。

 

「ターゲットがわかってるのはラッキーだね。でも、あのおっさんは小賢しそうだからなー」

「あぁ。私も同じことを思ってどうすべきかを考えていた」

 言いながら、クラピカは思いついたことを提案してみた。

 

「ソラ。4次試験は私と組まないか?」

 

 提案に二人組ならターゲットを探すのも、戦闘や罠にはめるのも効率がいいという打算はほとんどなかった。

 ただ、ソラと一緒にいたかった。

 それはせっかく再会したのに、丸三日近くまた離れたことに対する子供のような寂しさもあったが、何よりクラピカが案じて、傍にいて防いでやりたかったのは、彼女が人を殺すということ。

 

 トリックタワーでは間違いなく、ソラは誰かを、囚人を殺してしまったのだろう。

 それが試験だったとソラは割り切れていないから、再会した時に決して自分や仲間たちに触れようとはしなかったことくらい想像がついている。

 

 クラピカがソラの手を掴んだとき、怯えるような目をした。

 誰かの血で汚れた自分の手の所為で、クラピカの手まで汚れることを恐れるような目が頭から離れない。

 

 だからもうそんな目をさせないように、慰めではなく本心からソラの手は綺麗だと思っているから、ソラ自身もそう思えるように、一滴でも彼女の手を汚す血が減るように。

 ただそれだけを望んで、クラピカは提案した。

 

「あー……。ごめん、クラピカ。それは無理だ」

 しかしクラピカの提案は、ほぼ即答で却下された。

 そして、「何故だ?」と尋ねる前にソラはクラピカに押し付けるように渡す。

 

 自分が引いたくじ、彼女のターゲットの番号札を。

 

「! ソラ!」

 

 その番号札を見て、クラピカは目を見開いてソラを問いただそうとするが、ソラはいつもの晴れやかな笑顔を浮かべて言った。

 

「クラピカ。頑張ってね」

 

 それだけを言って、彼女はクラピカの元から去ってしまう。

 その場に残されたのはクラピカと、ソラに渡された番号札。

 

 

 

 

 

 404番の番号札だけが、残された。




ポンズとの珍道中は、本当にソラがポンズを抱きかかえて走り回ってるだけで終わってしまうため、2話に分けるには短いので1話で書きたいこと全部書いたら、こんなに長くなりました……。

次回から、4次試験です。4次試験はちょっと長めになると思います。

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