死にたくない私の悪あがき   作:淵深 真夜

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28:噛み合わない二人

「ソラ……」

 溢れ出た涙を拭い、クラピカは答えなどわかりきっている問いを、見苦しいと思いながらも口にする。

 

「……やはり、この試験は私と組む気はないのか?」

 クラピカの問いにソラが少し苦笑しながら返す答えは、やはり船の上で返されたのと同じものだった。

 

「ごめんね。君のプレートを取るのは論外だし、他の3つ狩るのならクラピカが私と組んでも負担やデメリットの方が大きいだろ?

 ……君が良くても、君の負担になるのは私が嫌だ。負担になるくらいなら、私はハンターにならなくていいよ」

 

 クラピカの「負担なんかじゃない」「それでもかまわない」という言葉を先回りで封じられて、一旦言葉に詰まったクラピカが不満そうに睨み付けながら抗議する。

 

「……私も、お前に負担だと思われるのが一番嫌なんだが?」

「え? 私は君が大事すぎて困ることがあっても、君がいて負担に思ったことなんて一度もないし、これからだってないけど?」

 

 しかし、相手が上手すぎた。

 相変わらずソラは嬉しすぎて言葉を失うセリフを恥ずかしげもなく言い放ち、クラピカを赤面させて俯かせる。

 俯きながら、考える。

 それならどうか、傍にいて欲しい。自分を傍に置いてほしい。君を負担だとは思わない。ソラがいないとダメなんだ。

 そう嘆願したらソラはどうするかを考えるが、決して実行はしない。

 

 ソラが傍らにいることにクラピカが負担やデメリットを感じることはありえないが、自分が足手まといとなってソラの負担になるのは嫌になるほど想像がついたから。

 ソラのセリフはむしろ、クラピカのセリフだ。

 ソラがクラピカの事を負担だと今も昔もこれからもずっと思うことはないとしても、クラピカ自身が思って、負担になることを恐れている。

 

 だから、クラピカは結局「……そうか」とだけ呟いた。

 あれだけ「選んで」と言われてもやはり、クラピカは自分のしたいことを選べない。

 自分の意志で、自分の本意ではない事ばかり選んでしまう。

 

「……クラピカ」

 ソラはクラピカの前に立って、呼びかける。

 また彼が落ち込んで自己嫌悪しだした事に気付かぬほど、ソラは鈍くない。むしろ、クラピカからしたら厄介なくらいに敏い。

 

「私は君の負担になるのはすごく嫌だけど、君に何もしてあげれないのはもっと嫌だ。

 私はね、君がいるだけでいいんだ。君からしたら重くて嫌かもしれないけど、君の幸せが私にとって何よりの幸福なんだ。だから、変な我慢はしないで欲しい」

 

 3年前から変わらず、クラピカが自分で勝手に自縄自縛になっているものをほどいて、選択肢をくれる。

 だからこそ、そう言われたからこそ決めた答えを伝える為に、クラピカは顔を上げた。

 

「……私だってそうだ。君の負担になるのも、助けられてばかりで何も返せないのはごめんだ。

 だから、甘やかすな。

 

 ソラ。私は、強くなる。君と一緒にいることに私自身が罪悪感など感じることなど無くなるくらいに、君が私の心配などする必要もなく、頼りにするくらいにな。

 ……だから、少なくともこのハンター試験でもう君には頼らない。君に、甘えない」

 

 傍にいたいからこそ、いつかクラピカが行き当たるであろう後悔という行き止まりも、彼女との未来の為に飛び越えるなり壁を壊すなりして前に、先に進んでいきたいからこそ、クラピカは今、縋りついて傍にいてもらうことではなく、離別を選んだ。

 今度は間違いなく、自分の本意と言える意志で選び取った。

 

 その答えにか、真っ直ぐなクラピカの視線にか、ソラは驚いたように一度きょとんとしてから笑った。

 

「それはそれで寂しくて、残念」

 とても言葉通りとは思えないほど嬉しそうに、幸福そうにソラが笑ってくれたことがクラピカも嬉しかった。

 

「けど、そう言ってくれるのなら安心するよ。

 じゃあ、頑張ってね。それと、本当にごめんね。私が余計なおせっかいを暴走させた所為で、せっかくターゲットを尾行できるチャンスを潰して」

「謝るな。元々そのチャンスは運が良かったから得られただけのものだ」

 

 少しだけ会話を交わしながら、ソラが歩き出してクラピカも立ち上がる。

 そして、クラピカが一週間後の再会を口にしようとしたタイミングで、ソラは振り返って言う。

 

「それとさ、クラピカ。私は初めからずっと君の事、頼りにしてるよ」

「だからどうしてお前は、そういう事を恥ずかしげもなく素面で言えるのだ!?」

 

 ソラのもう先ほどの決意がどうでも良くなりそうなぐらい嬉しい発言に、クラピカは赤面して言い返す。

 そのやり取りに、溝はない。いつも通り、3年前から変わらぬ二人の関係と距離感。

 

 クラピカはもう、「死神」に対する恐怖はなかった。

 ソラにはもう、どこか追い詰められたような情緒不安定なところはなかった。

 

 * * *

 

 クラピカと別れて一時間もしないうちに、首筋にちりっと焼き付くような殺気を感じ、ソラは舌を打つ。

(……見つかったか。まぁ、クラピカと一緒にいるうちに見つからなかったのなら、もう目的は果たしたようなもんだからいいんだけど)

 

 ソラはクラピカに嘘をつかないと約束し、その約束を破る気は全くないが、実はいつでも本当のことを全て包み隠さず全て話す気もさらさらない。

 話さなくて済むことなら、話せばクラピカが確実に心配したり気を病むことなら、ソラは嘘ではない程度にぼかして絶対に話さない。

 

 クラピカの二度目の「組まないか?」という提案を断った理由も、その一環。

 クラピカに対して伝えたことに何一つとして嘘はないが、彼の提案を受けてやれなかった一番の理由はこれ。

 この殺気の持ち主に、自分の巻き添えでクラピカまでターゲット認定されることだけをソラは全力で防ぎたかった。

 

 ゼビル島に入った瞬間から感じており、クラピカに奇襲をかける前に何とか撒いたはずの殺気の持ち主、おそらくはソラがターゲットの受験生にまた見つかってしまったことに溜息をつく。

 しかし実際、クラピカとの交戦とは言えないほとんどただの痴話げんかの最中や、クラピカと別れてすぐに見つからなかっただけ、自分は運がいいとソラは本気で思っていた。

 

 島に入ってすぐに、殺気は感じていた。しかし、感じていた殺気は二つ。

 そのうち一つは、割とすぐに消えた。消された。十中八九、今現在ソラを付け狙う受験生の手によって。

 

 おそらく消された方は、ターゲットがまったく誰かわからなかったのか、もしくは自分の実力でターゲットのプレートを奪うのは不可能と判断し、標的以外の3人を狩ろうとして見た目では決して強そうには見えないソラに狙いを定めた受験生だとソラは思っている。

 

 消した方は自分の獲物が横取りされるのを嫌ったのか、それともソラを狙うあまりに自分も狩られる立場だということをすっかり忘れて隙だらけだったので、狩っておいても損はないと思っただけか。

 とにかく、何故か今現在ソラを狙う受験生は同じくソラを狙っていた者を先に手にかけ、ソラは相手がそちらに意識が向いた瞬間を突いて、宝石とガンドを同時に撃ち出して即座に“絶”をして逃げた。

 

 相手はもう一人の受験生を狩る瞬間でもソラを警戒していたが、さすがにオーラがたっぷり詰め込められた様々な効果を持つ宝石と、“陰”で念能力者でもとっさに見ただけでは気付けない念弾を同時に乱射されたら、十分な攪乱になったらしい。

 

 またソラは魔術回路の性質上、オーラの出し入れはスイッチ式だったのも大きい。

 普通の念能力者は、ハイとローを調節してオーラを出し入れするスライド式に近いが、魔術回路というオーラが通る路を明確に身体の器官に持つソラは、自分の意志で徐々に出力を上げるのは苦手な部類だが、100から0にいきなり切り替えるのは逆に大得意である。

 

「これだけの念能力を酷使しながら、即座に“絶”に切り替えることなどできない」という先入観を見事に壊して何とかソラは追跡者を撒いたのだが、やはりソラの宝石魔術もガンドも防いだ者から逃げきれるというのは、あまりにも愚かな希望的観測に過ぎなかったことを思い知りながら、ソラは殺気が感じた方向に体を向き直る。

 

 気付いているという意思表示だが、ソラが相手に伝えているのは相手の殺気や居場所に気付いているということではなく、相手の挑発に気付きながらそれに乗ってやるということ。

 ソラは殺気の持ち主が誰なのかは全くわかっていないが、島に入ってすぐに感じたものといい、今なお感じてぶつけられる殺気は漏れ出たものでも、殺気を隠せないほど未熟でも、ヒソカのように隠す気がサラサラないものとも違うことくらい気付いている。

 

 それより前にまったく同じ殺気を、ソラとしてはぶつけられるのが自分じゃなければ称賛したい程、わずかで些細なくらいにしか漏らさなかったかった殺気を何度か感じ取っていたから。

 

「いい加減にしろよ。どこのどいつか知らないけど、この試験ならともかく飛行船や塔の上でも殺気をぶつけてきやがって。私に何の恨みがあるって言うんだよ?」

 

 正直言って相手の実力は正面切って戦いたいようなレベルではないことを、死にたくないからこそ正確にソラは理解できているが、だからこそそんな相手に隠れながら付け狙われるのはもっとごめんだったので、相手の挑発に乗ってやることにした。

 

 その言葉に釣られるように出てきた人影は、二つ。しかもソラが向き直った方向とは全く違う方向から現れ出た。

 カッコつけておいて人数も方向も間違えて、何とも微妙な空気……にはならなった。

 ソラは自分の後方に現れた、サングラスをかけてライフルを持つ女にも、自分の右斜め前あたりに現れた、362番のプレートを胸につけたままの坊主頭の男にも、その夜空色の目を向けず、初めに向き直った方向を睨み続けた。

 

 一番警戒すべき相手が誰かを、決して間違っても見失いもしないことなどわかっていたのに、想定内の反応だと言うのに、彼はイライラしながら舌を打ち、姿を現した。

 やっと現れた自分を何かと付け狙う相手を目にして、ソラの方も舌を打つ。

 

「やっぱお前か。念能力者は、私とあの変態以外ならお前だけだしな。

 で、マジで私に何の恨みがあるんだよ?」

 

 上半身と顔面に鋲や釘と言った方が良さそうなほどの長さと太さがある針を刺した男、301番ギタラクルはその言葉に顔を歪める。

 ここまで気付いておいてソラは未だ、ギタラクルの正体がイルミだとは気づいていなかった。

 

 * * *

 

 ソラの想像は大部分が当たっていたが、ギタラクルことイルミのターゲットはソラではない。

 ただ、ソラがキルアから離れてなおかつソラに手出ししても何ら問題ない試験だった為、積極的に殺しにかかってきただけである。

 

 しかし、変装をしているとはいえようやく姿を現しても、イルミの十八番である針人形と化したソラの受験番号を引いたであろう362番と、自分をライフルで狙ってきた80番の女を見ても、まだギタラクルの正体に気付かないソラにイルミは酷く苛立った。

 以前、ソラとイルミの仕事がかちあって敵対した時は、それこそ一目見た瞬間にイルミの変装を見破った前科があるからこそ、イルミからしたら挑発の一環で恍けているように見えて、余計に癇に障る。本気ならそれこそ殺意が限界値を迎える。

 

 しかしソラにとってもイルミにとっても災難なことに、ソラは本気で気付いていない。

 そしてこのイルミの憤りや殺意は、ソラの事情を知らぬイルミからしたら真っ当であるが、ソラからしたらいい迷惑でしかない。

 そもそもソラが以前のイルミの変装は見抜けて、今現在のギタラクルを見抜くことが出来ないのは、ソラは「直死の魔眼」を持っていたからたまたま以前はわかっただけ、イルミの運が悪かっただけと言い切っていい。

 

 直視は「死期」を視覚情報としてとらえるが、その「死期」は「運命」ではなく「存在限界」、言ってみれば肉体や物体の強度そのものの限界値を捉え、引きずり出して干渉できるようにする眼なので、物体も生物も常に死の「線」や「点」が一定数という訳ではない。

 

 物は基本的に経年劣化、普通に時間が経つごとにじわじわと「線」も「点」も増えてゆく。

 生き物はそれこそ、健康で若い者が少なくて弱っている者や年寄りに「線」や「点」は多い。そして怪我や病気をしてる最中と、それが完治した時ではやはり「線」や「点」の数は変動する。

 

 さらに言えばソラは「線」や「点」を意識すると精神的にきついので、基本的に普段は見えていても意識しない、無視しているため、例えば「死点」の位置が白毫のように額ど真ん中だとか、胴体に北斗七星のようにあるというくらい個性的でないと、ソラはいちいち他者の「線」や「点」を特徴として捉えて覚えはしない。

 

 なので、ソラが以前の変装を見抜けたのは、イルミが変装して入れ替わったのが老人だったからに過ぎない。

 いくら普段は意識せずに無視してるとはいえ、さっきまで体中に縦横無尽なほど「線」や「点」があった老執事が、主人から命じられた用件を済ませて部屋に戻ってきたらたった数本数個の「線」と「点」になっていたのだから、それはさすがに普通に気付く。

 

 ついでに言うと、イルミを象徴すると言ってもいい武器である針を、今現在彼は自分の身体にも顔面に刺しまくっているのも、ソラがイルミの変装に気付かない大きな要因だったりする。

 

 まず最初の変装は使用人に化けてターゲットに近づくことが目的だった為、イルミは針なしで変装をしていたので、そもそもソラは針を身体や顔にぶっ刺した方が長時間変装を続けられることなど当然知らない。

 他2回も会ったのは彼の自宅なので、オフモードだったイルミは体や顔に針をぶっ刺してはおらず、彼の仕事モードが武器である針を身体に刺している状態であることなど知る訳もない。

 

 さらにイルミの能力は正統派操作系なので、ソラはサングラスの女も坊主頭の拳法家らしき男も、既に念で操り人形化されていることに気付いているが、それでわかることなど目の前の針男が操作系能力者であるというだけである。正統派ゆえに、能力でイルミだとは気付けなかった。

 

 また、彼はまち針のように針の尻に丸い飾りがついた独特の針をよく使用するが、この男は用途に合わせて多種多様な針を使用するため、イルミからありとあらゆる手段を用いても殺されかかっているソラは、普通ならお目にかかれないイルミの針をほぼ全種類毎回見てきた所為で、針全般=イルミという公式が成り立たせて、逆に武器が針程度ではただ単に武器がイルミと被っているしか思わない。

 針が武器としてさほどマイナーではないのもあって、針を見たらソラは真っ先にイルミを連想するが、するだけだ。それだけで相手がイルミの変装だと思えるほど視野狭窄ではないことが災いして、逆にソラは全く目の前のモヒカン針男の正体に気付いていない。

 

 もちろんそんな事情はお互い知る訳もなく、イルミはまた舌を打ってから呟くように言った。

 ここで今日こそソラを確実に殺す気だったからこそ姿を見せたので、ほぼ独り言とはいえ声を掛けたのはネタばらしに近い意図もあったのだろう。

 

「……お前は敏いのか鈍いのかどっちかはっきりしろ」

「は? 何のこと?」

 

 しかし、それさえ不発に終わって一瞬イルミは固まる。

 イルミの呟きを耳にしても、姿と違って変えてはいない声を聞いても、本気で不思議そうな顔をしてまだ気づかないソラに、イルミはフリーズ解凍直後、針を投げつけると同時に針人形に襲い掛からせた。

 イルミがキレるのも無理はないと言いたいが、実は「声で気付け」というイルミの要望の方が、変装や念能力で相手がイルミだと気付けと言ってる以上に無茶ぶりで理不尽だったりする。

 

 何故ならこの二人、出会ってから会話らしい会話はこれが初めてだと言ってもよく、ソラはイルミから聞いた覚えのあるセリフは、「死ね」「殺す」「偽善者」くらいしかないのだから、「何か聞き覚えがあるような……?」程度にしか思わなくても、別に無理はない。

 そもそも会った回数が片手の指の数にも満たず、その出会いもほとんどイルミが無言で殺しにかかって来ていたのだから、ソラからしたらイルミの声などはっきり言ってなじみは非常に薄い。

 

 なのでソラは、違和感すら覚えずいきなり訳の分からない文句をつけられた挙句にキレて攻撃を仕掛けてきた針男に狼狽しながら、“凝”を施した腕で針を弾く。

 その弾いた針のいくつかは、自分に向かってきた針人間に向かってわざと飛ばしたが、どちらも体や顔面に突き刺さる針を無視して、ソラに襲い掛かる。

 

 傍から見たらホラーじみた光景だが、襲われている張本人は酷く白けたような目でその二人を眺め、呟いた。

「……『死』が、私の前に出てくんな」

 

 いつしか変容していた蒼天の瞳で、手近にあった木の枝を折って振るう。

 女の構えていたライフルの銃身も、男の左腕もどちらも同じくらい滑らかに切り飛ばす。

 切り飛ばしながら、こちらに視線を向けていなくとも、自分の背後に迫るイルミに後ろ手で宝石を放り投げて防御を施す。

 

「凍てつけ」

 宝石が弾けると同時に氷の障壁が現れ、イルミの針を防ぐ。しかしそれぐらい、もちろんイルミも想定済み。

 足にオーラを込めて氷の障壁を蹴り砕き、その蹴り砕かれた残骸が弾丸の勢いでソラの背中を襲い掛かるが、相変わらず背中に目があるかのようなタイミングで身をひねって避けられる。

 

 そしてそれも、想定内。針人形の位置取りも計算通り。

 イルミが狙った通りの位置までソラを誘導し、何度も犯した失敗である最後の詰め、殺意を隠しきることも忘れなかった。

 なのに、ソラはやはり読み切っていた。

 

「吹き荒れろ!」

 ソラが端的に叫ぶと同時に、暴風が地面から吹き上がる。

 氷の障壁を生み出すと同時にいくつか放り投げていた、「風」属性の宝石がソラの発動キーワードによって、ため込んでいた魔力を暴風という形で発露する。

 

 ただの風ならともかく、魔力そのものの風だとさすがに分が悪い。

 初めに氷の障壁で防がれた針と同時に頭上に投げつけて、時間差で上空からソラの全身めがけて落ちてくるはずだった極小、しかしイルミのオーラをたっぷり充填していた針は吹き散らされて、周囲の木々や針人形に突き刺さる。

 

 針にオーラは込めていたが、オーラは“陰”状態だった。一度も見せたことなどない、用いたことなどない方法だった。そもそもこの女は、本気で相手がイルミだと気付いていない。

 なのに、またしても完全に読まれて防がれた屈辱にイルミは、唇を噛み切って血を流す。

 

 しかし同時に、自他とも認める合理主義な頭が冷静に「やはりか」と納得している。

 わかっていた。自分の家の執事に命じて、数十人がかりでようやく逃げ道を塞いで追い詰められた女が、こんな即興の針人形たった二つと自分だけで、殺しきれるわけがないことくらいわかっていた。

 

 あの日、数十人がかりでも追い詰めることが出来ただけで、その追い詰めたことに協力した数十人の執事のほとんどが死んだ。

 イルミでさえも、かなりの人数の執事に協力を命じてまでしてソラを殺そうとしていることに気付いたシルバとゼノが駆けつけていなければ、自分も殺されていた可能性が高かったことくらいわかっている。

 

 なんせ、この女はイルミを止めに来たはずのゼノが、思わず孫の危機に本気で仕掛けた攻撃すら「殺して」、防いだのだから。

 両者にとって幸いなのは、執事を虐殺されてもそれでもまだソラを殺そうとしていたイルミを、シルバが肩の関節を外してその場に叩き付けて押さえつけて止めたことだろう。

 

 多少はソラと交流していたおかげで、シルバは彼女の暴走の理由に察しがついていたから、彼女が「殺さなければ、自分が殺される」と認識しているイルミを無力化させたことで、ソラの「殺らなきゃ殺られる」モードが解除されたのは、間違いなく幸運だった。

 祖父であるゼノのいくつかある龍をモチーフにした念能力の技の一つが、オーラを込めていない折れた安物のボールペンで無効化された挙句に、もう二度とその技が使えなくなったような、まさしく念能力者にとって最悪の死神そのものである女とあれ以上交戦しなくて済んだことを、幸運と言わないわけがない。

 

 頭の中ではそんな風に冷静に分析して、損得も計算して、現状も理解できている。

 この女に手を出してはいけない。何とか丸め込んで味方にしておくべき存在であり、それが出来ないのなら一切かかわるべきではないことくらい、イルミはわかっている。

 むしろゾルディックで一番最初に彼女と出会い、戦ってあの眼とその異能を目の当たりにして、そして一番ソラの規格外っぷりと底知れなさを見て、知っているのは自分であると自負している。

 

 なのに、自分でもらしくない、こんな自分はあり得ないとわかっていながら、弟に「暗殺者に心なんか必要ない」と言っておきながら、「心」としか言いようのない部分が、自分の冷静さを食いつぶして、ソラを「殺せ」と叫んでいる。

 

「……嫌いだよ。お前なんか、大っ嫌いだよ!!」

 

 自分の殺意のままに、イルミは叫ぶ。

 叫びながらイルミの脳裏に浮かんだのは、彼にとっての最初の出会い。

 

 興味なさそうにそらした目。

 すれ違った時の横顔。

 一度も振り返らなかった背中。

 

 あの、雪降る夕暮れを思い出したことに意味などないと、心も頭も結論付けた。

 

 * * *

 

 自分の殺意を叫び、イルミはソラに向かって針を投げつける。

 

 いくら計算してもそれが読まれて防がれるのなら、いっそのことがむしゃらに投げた方が運が自分の味方をするかもしれない。そんなイルミという人物を知るものからしたら信じられない結論を出して、マシンガンのような勢いで針を投擲する。

 

「いや、意味わかんないんだけど!?」

 当然、ソラからしたら相手がイルミだと気付いていても理不尽な宣言に困惑しながらも、枝を振るってその辺の木をなぎ倒して針を防ぐ。

 

 針人形達も同時に襲い掛かるが、ソラは人形に一瞬だけスカイブルーの眼を向けただけ。

 一瞬、普段は無視しているものの位置を確認しただけで、視線はすぐに一番警戒すべきイルミに戻す。

 

 切断されたライフルの銃身で殴り掛かってきた女を、イルミの針の投擲を枝で捌き、払いながら裏拳の要領で殴りつけると同時に、枝で女の「死点」を突き刺した。

 瞬間、女を操作していたイルミのオーラが蒸発するように消えてゆき、全身にイルミの針が刺さっても動き回っていた人形の膝が崩れ落ちて、動かなくなった。

 

 あらゆる意味で「死んだ」女の髪をソラは何の躊躇もなくわし掴んで、ついでに重くて邪魔だったからか胴体を上下に枝で二分する。

 そしてその死体を平然と盾にしながら、イルミに向かってきた。

 

 ソラが間合いに入った時の恐ろしさをよく知るイルミは、盾の死体を破壊する勢いでオーラを込めた針を投げつけつつ、距離を取ってもう一つの針人形にソラを襲い掛からせた。

 針人形に襲い掛からせたのは、ソラのまったく急所も何もかも関係ない、予測できない所を狙って切り裂き突き殺す異能から逃れる為、自分が距離を置く為の囮にすぎず、女のようにすぐ壊されるとイルミは予測していたが、本当に相手はどこまでもイルミの斜め上を行き、定石を踏んではくれない。

 

 いつの間にか、ソラは木の枝を手から離していた。

 女の死体を盾にしながら、手ぶらになっている手でソラは死の線をなぞるでも点を突くでもなく、イルミに操作されているとはいえ、元はそれなりに実力のある拳法家であることがわかるキレのいい上段突きを受け流して、手を伸ばす。

 蛇のようにするりと針人形の右腕を抜けて伸ばし、届いたその手は躊躇いなく握ってそのまま掻っ捌く。初めにイルミに投げつけられた針を捌いた時、巻き添えで刺さった針で首を。

 

 イルミの生体操作は相手を生かすことなど前提にしていない。

 特に今回使った針は、完全にリミッターを外して限界まで力を発揮させて死ぬまで動かす物なので、針を刺された時点で相手の脳は完全に壊されて死んでいるが、さすがに死体をオーラで操るのは燃費が悪いので、身体は生きている。

 

 その為、針人形の心臓はまだ動いていた。

 それどころか普通に生きているのではありえないペースで脈打っていたせいもあってか、頸動脈に深々と突き刺さっていた針で掻っ切られたら、まさしく噴水のように血は噴き上がる。

 

 赤黒い血液のシャワーで視界が覆われると同時に、ソラの気配が消えるのをイルミは感じ取る。おそらくは初めから、これが狙いだったのだろう。

 

(また逃げる気か!!)

 ソラの気配が消えると同時に、イルミはオーラを増幅させてそのまま薄く広く自分のオーラで包む範囲を広げてゆく。

 完全にオーラを体内に仕舞いこんで気配を消す“絶”でも、実体を消すことが叶わぬのなら“円”からは逃れられない。

 イルミの狙い通り、まだろくに離れていないソラを“円”で感じ取ることは出来たが、同時にもう一つ感じたものの正体を覚って、イルミはオーラを広げるのはやめる。

 広げるのはやめたがオーラの増幅はやめない。

 全力で今出せるだけのオーラを留められる最小の範囲で纏い、身を守る。

 

 イルミが“堅”を施すのを確認してから行うつもりだったのか、それともただの偶然か、タイミングよくソラは気配を消したまま、走り去りながら起爆の言葉をつぶやいた。

 

「炸裂しろ!」

 

 ソラが盾にしていた女、その上半身に埋め込まれた様々な属性の宝石が一気にソラの言葉通り炸裂した。

 

 * * *

 

 火・氷・風の三属性を同時に炸裂させたおかげで、死体は完全に吹っ飛び、焔の矢と氷の散弾が暴風によって荒れ狂うように舞い、辺りを灼き、抉り、穿つ。

 それが治まった頃には、イルミの“円”の範囲からソラは完全に消え去っていた。

 

「どこまで何もかも無茶苦茶なんだ、あの女は……」

 またしても逃げられた、しかもちゃっかり男のプレートを毟って奪い取って行ったことにイルミは舌を打ちながら、死体を八つ当たりで蹴り飛ばした。

 

 そんなことをしても苛立ちも殺意も晴れはしないが、イルミの調子を全て狂わせる女がいなくなったことで、普段通り冷静な思考が蘇る。

 

 まだ初日なので、ソラを狙って探して殺しにかかるには時間の猶予はたっぷりある。

 しかしやはりあの女を追い詰めるには、4次試験の受験生全員を針人形にしても役者不足であり、さすがにそこまでしたら協会側が何かしら動くのが目に見えた。

 

 何より針人形はイルミのオーラで動く為、針人形の分だけイルミは自身にオーラを使えず、同じだけ自分の命令に忠実に動くのならば、執事たちの方が自分のオーラは自分の為だけに使えるだけずっといい。

 執事によっては念能力を習得している者もいるので、一般人に毛が生えた程度の受験生の針人形よりはるかに役に立つ。

 

 ソラと一緒にいたキルア以外の人間を針人形にしてしまおうかとも考えたが、ヒソカが実に気持ち悪く法悦しながら語った話を思い出してやめる。

 それをやれば間違いなく、あの偽善者はまたしても暴走する。認めるのは癪でこの上ない屈辱だが、ソラが手段を選ばなくなってしまえば、ただでさえ不利な自分はそれこそ命をかけなければあの女は殺せないことをイルミは理解していた。

 

 だから、血がしたたり落ちる程強く拳を握りしめ、結論を出す。

「……諦めてやるよ。今回は」

 

 もちろんチャンスがあれば殺す気だが、この試験でソラを積極的に殺しにかかるのは諦めた。

 島に入ってすぐと今回で、もうソラの警戒度は完全にMaxなので奇襲は通用しない。人海戦術には、監視のハンターを使っても足りない。

 今までの経験上もうソラを殺す術はないと判断して、これ以上イルミは無駄にストレスを溜めぬようさっさと自分のターゲットを狩って、後はさすがに数日間変装をしっぱなしで疲れてきたので針を抜いて休息を取ろうと決める。

 端的に言えば、ふて寝したい気分なのだろう。

 

 なので、イルミは首をいきなりグルンと真横に動かした。

 自分とソラの戦いの騒ぎを聞いて漁夫の利を狙ったのか、自分のターゲットかどうかの確認だけでもしに来たのかは知らないが、先ほどの“円”で存在を感じ取っていた男の方向に。

 

 いきなり何の予備動作もなく、隠れていた自分に気付いて見られたことに男は一瞬慄くが、戦士としての誇りか何のか、男は逃げずに武器である槍を構えた。

 仕事柄、人の顔と簡単なプロフなど情報を覚えることに長けるイルミは、男が自分のターゲットである371番であることに気付き、棒読みで「ラッキー」と呟いた。

 

 そして、考える。

 ターゲットを探す手間が省けたのなら、この後はどうしようかを考える。

 さっさと殺して寝てしまうか。

 それともストレス発散に少し遊ぶかを、考えた。

 

 * * *

 

 逃げ出し、走り抜けた先に辿りついた小川の淵でソラは、荒い息を突きながら膝をつく。

 

「――ごめんね、クラピカ」

 手を地面につき、水面に映る自分を見ながらソラは最愛の弟に謝った。

 

 ソラは、クラピカに嘘はつかないと約束した。

 約束は絶対に守るとも、約束した。

 

 だから、言わなかった。

 クラピカが選んだ選択肢を、「私もだよ」と同意しても、「叶えてやる」とは言えなかった。

 約束をしてやれなかった。

 守る自信がなかったから、出来なかった。

 

「……本当、私は何様なんだか。……私が、出来てないじゃん。自分の意志で、自分の本意じゃない事しかしてないじゃん」

 水面に映る鏡像が、嘲って笑う。

 ソラ自身を、嘲った。

 

 全身が返り血でまみれたソラを、「誰も、何も殺してほしくない」というクラピカの願いを踏みにじった自分に自嘲しながら、そのままソラは頭から小川に全身を突っ込んだ。

 

(しばらく、浮かび上がりたくもないなぁ……)

 

 そう思いながらも体は生存本能に忠実に、3分もしないうちに酸素を求めて水面から顔を出す。

「ぶはっ!」

 勢いよく水から出たことで、鼻から水を飲んで喉や頭がツンと痛む。

 

 涙が出たのはその所為だと、自分に言い聞かせた。

 君の所為じゃないよ、と脳裏に浮かんだ弟に言い聞かせた。




4次試験の一日目は今回で終了。

二日目で原作は色々動きがあったので、次回はソラ以外の方々の視点の幕間です。

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