死にたくない私の悪あがき   作:淵深 真夜

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31:良心に付け入るお願い

 木を蹴り折られるくらいまでは想定していたが、まさか子供がチャンバラで使うにしても頼りないくらいの細さしかない木の枝でぶった切られるとは思わず、ハンゾーは悲鳴を上げて落ちる。

 しかしさすがにそのまま無様に地面に激突するほど、未熟ではない。

 肩の激烈な痒みに耐えながらも受け身を取って着地し、そのまま剣のように振りかぶってきたソラの枝を苦無で切り飛ばす。

 

 ほとんど手ごたえなく切り飛ばされた枝を見て、やはりこの枝自体は何の変哲もないと確信するが、同時にその確信がさらなる疑念を呼ぶ。

 これがただの枝ならば、自分のすぐ脇に横たわるチェーンソーを使ってもこんなにも綺麗な切り口は見せないであろうと確信させる滑らかな断面を見せる樹木は、いったいどうやって切断したんだ? という疑念がハンゾーの頭の中でグルグル回るが、そんなことに気を取られている余裕などないと自分を叱咤した。

 

 自分に襲い掛かってきているのは、ソラだけではない。

 凶器と化した爪を振りかぶって向かってくるキルアに、ハンゾーは枝を切り飛ばした苦無をそのまま投げつける。

 

 目立つ二人だったので他の試験などで少しだけ観察して懐いていた印象、キルアは慎重派、ソラは仲間に甘いというハンゾーの見立ては間違っていなかったらしく、キルアは苦無に何か仕込まれていないかを警戒したのか、投げつけられたものを受け止めてそのまま突っ込むということはせずに避けて、ソラもハンゾーに追撃をかけるよりも攻撃を仕掛けられたキルアを優先した。

 

「キルア!」

 仲間の名を呼び、守るように彼の前に出て来てせっかく詰めたハンゾーから距離を取る。

 守られるのが不満なのかキルアの方は舌打ちをし、それを微笑ましいと思う余裕もなくハンゾーはボリボリ肩を掻きながら思案する。

 

 やや距離を置いてもらえたが、それはせいぜい3mほど。

 互いに間合いの範囲外だが、一瞬でも隙を見せれば二人とも即座に距離を詰めれるぐらいにしか開いていない。

 反応速度が異常なソラに守りを任せてキルアの方が攻撃に出てこられられたら、間違いなく自分が負けると確信し、ハンゾーがどうにかして無事、自分がこの二人から逃げ出せる算段はないかをひたすら考える。

 

「っていうか、誰かと思ったら2次試験の戦犯か。

 キルア、気をつけろ。見た目はただの禿げだけど、憧れが高じただけの忍者オタクならともかく本物の忍者なら厄介だ。たぶん全身に武器を隠してるし、煙だすし、分身するし、人が乗れるぐらいのガマ蛙だすし、その蛙が火を噴くし、あと出世して頭領になれたら部下200人くらい召喚してそのあたり火の海にするから」

「出来るかっ!!」

 

 名前からしておそらく同郷出身だと思っていたが、まさかの外国人が抱く忍者イメージ(にしては最後が何かおかしい)を真顔でアドバイスし、キルアが珍しく年相応の少年らしく「マジ!?」と言わんばかりに驚いたので、豪快な誤解をされる前にハンゾーが否定した。

 

「しろよ! 根性ないな! 風魔さんに謝れ!!」

「なんでチョイスが伊賀でも甲賀でもなく風魔なんだよ!? お前、忍者に詳しいのか詳しくないのかどっちだ!?」

 

 しかしまさかの逆ギレで返された。

 そのやり取りをキルアは呆れ果てた目で眺めて言った。

「お前、まだ寝ぼけてるだろ?」

「寝ぼけられるほど寝てないよ! むしろ今、睡眠邪魔されて機嫌が最悪なだけ!」

 どうもハンパに睡眠をとった事で余計に眠くなり、またテンションがおかしいらしい。

 

「……もうお前、寝てろよ」

「あ、ちょっ! キルア!?」

 ソラに呆れてもう自分一人でいいと思ったのか、それともいいところを見せたい男の意地か、端的にそれだけ言って、キルアはソラの背後から飛び出してハンゾーに向かって行く。

 もちろん黙って距離を詰められるほどお人よしでもマヌケでもないので、ハンゾーはバックステップで距離を置きながらもマキビシをばら撒いてキルアが近づくのを防ぐ。

 

 しかしソラの発言の後半は信じていなくても前半は割と素直に聞いていたらしく、キルアはハンゾーがばら撒いたものを見て舌打ちするだけで、それに引っかかりはしなかった。

 初めから警戒していたのか、彼はまっすぐに突っ込むのをやめて左右に揺れるような奇妙な足取りでゆっくり近づく。

 近づくと同時にキルアの姿がブレて二重三重となり、いつしか数人のキルアがハンゾーを追い詰める。

 

 肢曲。歩行速度に緩急をつけることで、敵に残像を見せるという暗殺者にとっては初歩技能だが、それをマキビシを踏まぬように避けながら鮮やかにやって見せた子供の末恐ろしさに、ハンゾーは冷や汗を流しながらも手裏剣を投げつける。

 手裏剣が当たった何人かのキルアは陽炎のように揺らめいて消えた。

 

 本物がわからないから、やみくもに攻撃しているわけではない。ただ真正面から攻撃を仕掛けてもこの少年なら容易く避けることがわかっているから、やみくもに逃げながら攻撃しているふりをして、そしてわざと隙を作る。

 自分の背後に隙を作って、おびき寄せる。

 

 ハンゾーの思惑にまんまと引っかかったのか、それともわかった上で乗ってきたのはまでは分からないが、足音も気配も殺気も極限まで殺したキルアが鋭い爪を背後で振りかぶると同時に、腕に巻いているサラシに仕込んだ刃物が飛び出て、ハンゾーは振り返りもせず肩越しにその刃物をキルアに突き付ける。

 ……つもりだった。

 

「キルア!」

 ハンゾーがばら撒いたマキビシとキルアの肢曲による残像で、二人の戦いに手を出せなくなって後ろから傍観していたかと思ったら、そんな訳がない。

 ソラは機を窺っていた。

 

 キルアの名を呼ぶと同時に投げつけられたものに、キルアもハンゾーも気づいて顔色を変える。

 木々の木漏れ日を反射する、赤く美しい石がいくつかこちらに向かってブン投げられた。キルアはもちろん、ハンゾーも自分の煙玉の煙を散らす際に彼女がしたことでそれがただの宝石でないことなどわかってる。

 

「炸裂しろ!!」

「「ふざけんなー!!」」

 

 ソラが起爆の言葉を叫ぶと同時に、二人が同時に離れて跳ぶ。投げつけられた赤い石から距離を置くが、その石はソラの言葉から1秒たっても、地面に落ちて転がっても何の変化もなかった。

 そのことを疑問に思う前に、答えが返される。

 

「バーカ! キルアを巻き添えにするわけないだろ!!」

 そう叫ぶソラは、既にハンゾーの目の前にいた。

 

 ソラが投げつけたのは、宝石ではなく色のついたガラス玉。イミテーションだ。

 ソラは宝石に込めた魔術の効果も開放する呪文もシンプル極まりないので、初見以外だと宝石を出した時点で警戒され、実力者ならソラの呪文から宝石の起爆までのわずかなタイムラグで逃げるなりなんなりの行動は十分起こせる。

 これは、そのためのブラフ。

 

 相手に手の内がすぐにばれてしまうのならそれを逆手に取った罠であり、ご丁寧にソラはイミテーションにもしっかり魔力(オーラ)を込めているので、念能力者でも投げつけられたものをとっさに本物の宝石かどうか見抜ける技量がない限り、ブラフかどうかの区別はつかない。

 しかも宝石のように爆発などの特殊効果はなくても、オーラがこもってるので当たると念能力者でもガード失敗をしていたら相当痛いという性質の悪さである。

 

 キルアから引き離し、まんまとハンゾーのペースから自分のペースに引きずり込んだソラが、そのままハンゾーをひっとらえようと腕を伸ばす。

 だが、まだハンゾーもこれくらいでパニックに陥るような生ぬるい生き方などしていない。

 

 今度は爪先に仕込んでいた小刀を飛び出させて、そのまま足を跳ね上げた。

 特に手足など特定の部位を狙ったわけではない、相手が避けて距離を置いてくれたらいいし、少しでも怪我を負わせることが出来たらラッキー、別に首を掻っ切ってしまってもいい。

 それぐらいの考えで蹴りつけたが、その程度の思惑、無数の死を夢想し続ける、焼き切れても走り続けるソラの狂気が想定していない訳などなかった。

 

「はぁ!?」

 

 ハンゾーの蹴りをソラは避けた。距離を取らず、むしろハンゾーを捕えようと距離を詰め、腕を伸ばしたまま、ハンゾーが左足を蹴り上げて体が反転したのに合わせて、ソラも左腕を伸ばしたまま体を反転し、ひねりのけぞって、ハンゾーの蹴りはソラのツナギの胸元を切り裂くだけで終わった。

 もはや予知していたというより、自分と打合せも練習もしたかのような息の合わせっぷりにさすがのハンゾーも一瞬だけ思考が途切れた。

 

 その刹那とも言えない思考の空白を、この女は逃さない。

 伸ばした腕がハンゾーの右腕を捉え、そのまま引き倒す。

 

「ぐっ!」

 思った以上の馬鹿力で地面に叩きつけられて呻くハンゾーに、ソラが相変わらずハイテンションで取り押さえながら言う。

 

「はーははは! 見たか、貧乳回避! 巨乳なら死んでたな!!」

「……お前、自分でそれ言ってて悲しくならねーの?」

「全っ然!!」

 

 結局囮にすらならなかった自分を悔しがるような、いいところをぶんどったソラにムカついて拗ねているような顔をしていたキルアが、ソラの悲しい宣言に憐れむような目で突っ込みを入れるが、清々しく即答された。

 そのやり取りで、眠さのあまりにテンションがおかしいソラに何かを思うのはバカらしいと結論を出したのか、キルアはまだ見苦しく足掻くハンゾーのマウントを取ろうとしているソラに協力すべく駆け寄って、足を押さえるのを手伝った。

 

 キルアに足を押さえつけられても、ハンゾーはがむしゃらに抵抗する。

 相手の体重を考えれば、マウントを取られても抵抗のしようも逆転のチャンスもあるが、それは1対1の場合の話だ。

 2対1なら自分が一方的なタコ殴りになるのが目に見えていたので、何がなんとしてもマウントを取られるわけにはいかない。むしろ、自分がソラを抑え込んで人質にしなくては、この場に活路はない。

 

 しかしいくら鍛え上げた裏稼業の男とはいえ、念を知らないという点で言えばまだ普通の人間のハンゾーと、念能力者、それも強化系のソラだと普通なら有利なはずの腕力でこそ勝機は薄い。

 右腕は捕まり押さえつけられ、その手を何とかはずそうともがく左腕を捉えようとするソラの右腕から逃げようともがきいてがむしゃらに振り回し、ソラの胸倉を運よくつかめた瞬間、遠慮なく思いっきり引っ張った。

 

 これで体勢が崩れたら自分にも勝機があると思っての行動であり、ハンゾーは自分がしたこともソラがしたこともすっかり忘れていた。

 ソラ自身も、ハンゾーにされたことも自分がしたことも忘れていた。というか、「死にたくない」と、「キルアを守らなくちゃ」の二つの狂気でいっぱいいっぱいかつ、実はこれでも眠さで思考力が落ちていたソラは気にもとめていなかった。

 ハンゾーの爪先に仕込んだ小刀をソラが紙一重で避けられたことなど、どちらもすっかり忘れていた。

 

 ……紙一重でソラの肌を薄皮一枚たりとも切り裂くことは出来なかったが、ツナギは綺麗に、その下に着ていたものもうっすらと切れたことなど、忘れる以前に気付きもしないでハンゾーはソラの胸倉を掴み、思いっきり引っ張った。

 

 ビリッ! とまずは音がして、ハンゾーの引っ張った左手は自分で地面に裏拳を叩きつけるように地面に落ちる。

 布のきれっぱしを、握りこんだまま。

 ……ソラの、スポーツウェアのようなタンクトップに近いデザインの見せブラの布を、握りこんだまま。

 

 キルアは動けなかった。

 ソラの背中越しからでも、音とハンゾーが破ったものを見れば何が起こったのかがわかる分、自分はどんな行動をすべきかがわからずフリーズしてしまった。

 

 まずは0.1秒。

 誰も反応できなかった。

 背後のキルアはもちろん、やらかしたハンゾーも、やらかされたソラも、何が起こったのか、目の前にあるものは何なのか、今はどういう状況なのかが理解できず、思考は真っ白に染め上げられて硬直した。

 

 0.2秒。

 ハンゾーは思考が真っ白なまま、眼を見開いてガン見する。

 色仕掛け、ハニートラップは間諜の基本、惑わされることなどないように訓練をしてきたとはいえ、ハンゾーは健康的な18歳の青年だ。さすがに純粋な事故による幸運もスルー出来るほど、枯らすことなどできなかった。

 

 そして、0.3秒。

「――――!? ~~~~~~~~っっっ!? !!!!!!」

「ごふぅっ!!」

 

 顔どころか耳や首、肩や鎖骨の辺りまで真っ赤になったソラがハンゾーの手を掴んでいた左手で胸を隠し、そして声にならない悲鳴を上げて思いっきりハンゾーのみぞおちに拳を叩きつける。

 羞恥と混乱のあまり、“凝”や“硬”を施した拳ではなかったのが、ハンゾーの最大の幸運だっただろう。

 

 それを見てキルアのフリーズは解凍され、とりあえずキルアは自分の着ているTシャツを脱いでソラに渡しておいた。

 

 * * *

 

 クラピカが「ソラの逆セクハラは迷走した結果の自爆同然な自衛で、実は性に関しては堅物で潔癖で純だ」と言っていたのをキルアは信じていなかったが、今なら素直に納得する。というか、するしかない。

 

「うあぁぁぁぁぁん~~。もうやだぁ~。やだぁ~。帰りたいぃ~。お嫁に行けないぃぃぃ~~」

「うん。わかった。わかった。ショックだったのも恥ずかしかったのもわかったから、落ち着け。泣くのやめろ。っていうか、嫁に行く気があったのかお前」

 

 自分のTシャツを着て、自分の背中にしがみついて隠れてガチ泣きしているソラを見たら、納得するしかない。

 ハンゾーに自分の胸を見られたことに対して子供のように泣きじゃくるのに、つい先ほどの寝ぼけた発言や、初めて出会った時のキレかけていたキルアを黙らせるために、自分の胸に顔を埋めたのは何だったのかと訊きたい気持ちはあるが、今それを指摘したら恥ずかしさのあまり本気で悶絶死しかねないと感じたので、その疑問は忘れることにした。

 

「うぅ……あんまりないけどさぁ、ないけどさぁ……、でもさぁ、でもさぁ~~~」

「……いや、言いたいことはわかるけどさ。そりゃ、こんなハゲに見られたのは嫌だろうな。

 おい、ハゲ。どうすんだよ、この状況」

 

 泣きじゃくって話にならないソラを落ち着かせるのは諦めて、キルアは矛先をさっきから土下座し続けるハンゾーに変える。

 ハンゾーは土下座しながら、「……ハゲじゃねェし、お前になんか言われる筋合いはねーだろクソガキ」と呟くが、その呟きを耳ざとく捉えたキルアが「あ?」と10代前半とは思えないほどドスの利いた声を発する。

 

「聞こえねーな。何て言ったんだよ、エロガッパ。

 事故ならまぁ、仕方ねーと俺も思うぜ? 他意なんかない、純粋な事故ならな。けどさぁ、事故でも紳士なら、まず状況を理解してすることは眼をそらすことだよな? お前、目をかっぴ……」

「すみません! マジですみません! 申し訳ありませんでしたぁーっ!!」

 

 キルアの言葉を途中で遮って、ハンゾーは再び謝罪マシーンと化する。

 

 ハンゾーとしてはソラの戦意が喪失して、キルアも泣きじゃくるソラを宥めるのにいっぱいいっぱいになった時点で逃げても良かったのだが、殴られた腹の痛みが堪えれるレベルに治まって逃げようとしたタイミングでキルアに、「逃げんな変態どエロガッパ!!」と実に子供らしい罵倒をされたから、捨て台詞で「誰がエロガッパだ!? わざとじゃねーよ!」とだけ言って立ち去るつもりだった。

 

 しかし、意外なことにソラが泣きながらも、ハンゾーの捨て台詞の前にキルアの発言をソラが否定した。

 ソラとしてはハンゾーのフォローではなく、ただ単に彼女の歪んだ性に関しての価値観、「性行為すら大したことじゃないのだから、胸を見られたことくらいで狼狽える自分が恥ずかしい」という考えに基づいて、むしろ自分のために言い訳をしただけだったりするが。

 

 だが、「キルア、違っ! 大丈夫……大丈夫……ただの……事故だから……事故……事故……ううぅぅぅぅぅぅ~~~」と結局羞恥で泣きじゃくられて、それが逆にハンゾーの良心に大打撃を与えた。

 服を破いてしまったのは純粋に事故だが、その後にガン見したのはハンゾーの男の本能(スケベ心)によるものなのは間違いないので、フォローされつつ泣きじゃくる相手に謝りもせず見捨てられるほど、ハンゾーは冷酷にはなれなかった。

 任務で必要なことならどんなに冷酷なことも、残虐なことでも出来る自信はあるが、手段が選べるのならやはりなるべく綺麗な手段を選びたいと思える程度に、ハンゾーはまだ若かった。

 

 しかしこの状況は本当に、いくらハンゾーが謝ってもほとんど意味などなく、無駄に時間を消費するだけである。

 さすがにそろそろ時間が惜しいと、忍としての合理的な部分がハンゾーに訴える。

 このまま「謝ったから俺はもう行く」と言って立ち去れるのなら、もうとっくにしている。

 良心だけの問題ではなく、キルアの恨みを完全に買ってしまっていること、何故かフォローしてくれたが、いつ「やっぱり殺す」という結論をソラが出してもおかしくないことをしてしまっていることを考えて、少しは二人の怒りや不満を抑えないと下手すれば他の試験で一緒にいた3人も敵に回す可能性が高いと判断した。

 

 さすがに5人団結して自分にリベンジしに来られるのは勘弁なので、ハンゾーは惜しいと思いつつも、プレートを一枚差し出した。

「……すみません。これで勘弁してください。許してくださいお願いします」

 

 キルアがまだ不満そうな顔をしつつ、そのプレートに視線を落とすと同時に目を丸くさせる。

「198? 何だ、お前が拾ったんだ」

「拾ったんじゃねーよ! もとはと言えば、お前がわざわざブン投げさえしなけりゃ、俺は他に二人も狩らずにすんだんだよ!!」

「はぁ?」

 

 見覚えのある番号を目にしてキルアが何気なく言うと、ハンゾーが土下座をやめて盛大にブチキレた。

 当然、意味がわからずキルアが不満げな声をあげると、ハンゾーは訊いてもいないのに自分の苦労を語りだす。

 せっかくターゲットを尾行してプレートを得るチャンスがあったのに、キルアがブン投げたプレートを間違えて追って取ったせいで、わざわざまたあの3兄弟の一人が持っていたプレートを奪い、そしてこの3日間、残り1点を求めて島を跳び回っていたことを熱弁するに比例して、キルアは白けていった。

 

「俺が自分の実力で手に入れたプレートをどうしようが勝手だろうが。お前が間違えたから悪いんだろ。逆恨みじゃねぇか」

「うるせぇ! わかってるよ!!」

「……あのさぁ」

 完全に逆ギレするハンゾーをもはや憐れむように見ていたキルアの後ろから、ひょこりとソラが顔を出す。

 まだ鼻声で眼は真っ赤だが、涙自体はもう止まっていたことにキルアとハンゾーが安堵すると同時に、彼女は一枚のプレートを見せる。

 

「君のターゲットって、もしかしてこいつ?」

 197番のプレートを見せて、二人がそれぞれ目を丸くさせ、同じことを同時に言った。

 

「「お前が拾ってたのかよ!!」」

 

 ソラが拾っていた事実を知って、ハンゾーの頭にまず浮かんだのはもう一枚、1点にしかならないプレートを渡すから、そのプレートを交換してくれという交渉だったが、自分の立場からしてその交渉が受け入れられる訳がないことなどわかっていたので、血を吐く思いで出かかった言葉を飲み込んだ。

 

「はい」

「は?」

 

 ハンゾーが言葉を飲み込んだ瞬間、差し出された。

「君、もう一枚1点のプレートを持ってるんだろ? じゃあその2点とこれを交換」

「バカかお前!?」

 

 ソラの言動に、キルアがキレてソラの頭をスパンとぴっぱたく。ハンゾーはあんぐりと口を開けてそれをただ眺めていた。

 

「なんでわざわざこのエロガッパ忍者にプレート渡すんだよ! こんな奴、1点だけじゃなくてこいつのプレートもひん剥いて不合格にさせたらいいだろうが!!

 つーか、何でこんな奴に恩情を見せるんだよ!? お前、今さっきまで泣きじゃくってたのは何だったんだ!?」

「いったいなー。つーか、キルア」

 ソラの頭を殴って説教を始めたキルアの肩を掴み、ソラは微笑んで言った。

 

「私とこの忍者は、プレート奪うための取っ組み合いをしただけだ。他は何もない。何もないんだ。いいね」

 花の(かんばせ)という表現がぴったりなくらい美しく微笑んでいるのに、眼がまったく笑っていないその顔は、血など一滴も繋がっていないはずなのに3次試験で自分に宣戦布告をしてきたクラピカにそっくりだなと、キルアは思った。

 散々泣いて泣いて泣いた結果、ソラが出した結論は先ほどのトラブルをなかったことにするというゴリ押しだった。

 

「……お、おう。わかった……」

 よく似た表情だがクラピカとは比較にならないほど、有無を言わせぬその微笑みと笑っていない目に押されて、キルアは了承する。

 ハンゾーにもソラは「いいね?」と念押しし、彼も首を激しく上下に振った。

 

 それで本当になかったことにゴリ押しするつもりか、ソラはまた197番のプレートをハンゾーに差し出して説明する。

 自分がこれを、ハンゾーに頼まれなくても渡す理由を。

 

「んじゃ、はいこれ。交換ね。……ただ、一つだけお願いがある」

 

 ハンゾーも、まさか無条件で交換してもらえるとは思っておらず、「やっぱりか」と言いたげに苦笑して受け取らない。

「……さすがに何も聞かず、良いぜとは言えねーな」と、彼なりに正直に誠意で返答する。

 その誠意を、ソラは笑う。

 先ほどとは違う、今度はちゃんと目も柔らかく細めて笑って言った。

 

「君は勘違いしてる。私のお願いを聞かなくちゃこれを渡さないとは言わないよ。これは、君の2点分のプレートと交換さえしてくれるのなら、それでいい。それ以上を求めるのは過剰請求だ。

 言っただろう? お願いだ。ただの、君の善意や良心に付け入るお願いを私が勝手に、一方的にするだけだ。それを叶えてくれるかどうかは、君の勝手だ」

 

 ソラの言葉にハンゾーだけではなくキルアも、言っている意味がわからずポカンと不思議そうな顔をしてその場に固まる。

 男二人が固まってるのをいいことに、ソラは笑みを深めて自分の「お願い」を口にする。

 

「この子……キルアとかゴンとか、クラピカやレオリオになんかあった時、助けてあげて」

 自分の傍らに立つキルアの首に腕を回して抱き寄せて、ハンゾーに自慢して見せつけるように彼女は願った。

 

 * * *

 

「は?」

「はぁっ!?」

 

 異口同音の言葉が同時に発せられる。

 ハンゾーの方は純粋に「訳わからん」という疑問・疑念のみだが、キルアの方は疑問だけではなく、羞恥やら屈辱やら苛立ちやら、わずかな喜びとは微妙に違う気がする何かやら、複雑な感情のブレンドがその声で見て取れた。

 

「お前、何言ってんだ?」

「んー、クラピカやゴンの事で色々考えたんだけどさー、やっぱ私じゃ限界があるんだなーってことを痛感したんだよ」

 

 いきなり抱き寄せられて一瞬硬直したキルアがソラを引き離しながら尋ねれば、ソラは大人しく引き離されながら明後日の方向に目をやって答える。

 

「私はさ、君たちの力になりたいし助けたいけど、やっぱり男の子のプライドって私にはよくわかんなかったりするのが多いから。こんなナリで女らしさとか女子力とは無縁だけど、だからといって男にもなれない半端者だから、傷つけたくないのに余計に傷つけてしまいそうで嫌なんだよ。

 だから、歳もさほど離れてない男のこいつに頼むんだ。私にはわかんない、男のプライドとやらを尊重してくれそうだしね」

 

 自分の考えを整理するように、ソラは明後日の方向を眺めながらそう言って、笑った。

 その笑顔を見て、またキルアが複雑そうな顔をする。

 今度は疑問がない代わりに、苛立ちの割合が多い。自分が子供であることを、酷く悔しがっているような顔だった。

 

「……いらねーよ。このハゲはもちろん、おまえの助けも!」

「そうだね。私も、そうであることを一番に願っているし、信じているよ。でも、私はチキンだから出来る限りの対策をしとかないとダメなんだ」

 

 地団太を踏みながら、悔しそうにソラの願いをキルアが否定すれば、ソラは立ち上がって彼の頭を撫でながら、その否定を肯定する。

 ソラに頼りたくない、自分の力で何でもできるようになりたい、強くなりたいと願う少年の気持ちを尊重したうえで、それでもソラは自分のわがままだと、自分に非があると言って譲らないことに、キルアはさらに悔し気に唇を噛みしめた。

 

 守る立場を、決してキルアにはもちろん、おそらくさっき名を上げた他の3人にも譲る気はないのだろう。

 例え本当に強くなっても、自分は彼女にとってはいつまでも「守る対象」でしかないことを思い知らされてたキルアは、「ビビりならむしろ何もすんな!」と悪態をつく。

 

 ハンゾーはそのやり取りを見て、「それこそ、相手のプライドを傷つけてるぞ」と思うが、口出しするのも無粋なので何も言わないでおいた。

 女にはわからないだろうが、どんなに自分を立ててもらえても、結局守るどころか守られてばかりなら意味などない。しかもそれが、どんな種類であれ愛情を向ける相手ならなおの事。

 

 そしてそのことを本人の前で指摘されるのは、それこそ切腹した方がマシなぐらいプライドに大打撃を与えられることがわかっていたので、気に入らない子供だと思いつつハンゾーは武士ではなく忍の情けで沈黙を守り、代わりに別の事を口にする。

 

「……お前さ、その『お願い』とやらに何の意味があるんだよ?」

「意味? さっき言った通りだよ。同性なら同性にしかわからない機微とかがあるんじゃないかってだけだよ」

「そっちじゃねぇよ」

 

 まだ痒みが治まらない肩をボリボリ掻きながら、ハンゾーは呆れたような目と声で尋ねる。

「プレートの交換条件ならともかく、一方的に言って何の意味があるんだ?」

「言っただろう? 君の良心に私は付け入ってるんだよ」

 

 即答された。

 何の迷いもなく、割と下種いことをケラケラと楽しそうに笑いながら言いきって、ハンゾーはもちろん、拗ねてそっぽ向いてたキルアもまた、呆気を取られる。

 

「だって命を懸けて守って助けてって言っても、ふつーに嫌でしょ? 信頼関係がある相手でも、土壇場じゃ本性出て見捨てるなんてよくあることなのに。半端な助けなんて、ただの自己満足だからいらない。

 だから、明確な条件なんかつけない。私が君を他に助けることがあっても、等価交換としてさっきの『お願い』を求めやしないよ。……そうした方が、君は勝手に自分の良心で自縄自縛になってくれそうだから。

 

 何度でも言うけど、これは一方的な私の『お願い』だ。神様にも裁けない、君の良心が私に対して罪悪感を抱くなら、その罪に応じた罰としてこの『お願い』をしておくよ」

 

 名前に相応しい晴れ晴れとした笑顔で言いきられ、ハンゾーはどう反応したらいいかわからず、ものすごく微妙な苦笑をしてとりあえず返せた言葉が、「あんた、お人好しだけど割と最低だな」だった。

 つまりはこの女、ハンゾーが逃げればよかったのに土下座で謝ってプレートも1点分だが差し出した甘さに、本人も言葉通り付け入っているのだ。

 

「取引」として「条件」をつけてしまえば、その条件さえ満たせば、ハンゾーはソラが「助けてあげて」と言った相手を最低ラインの「助け」さえすれば、後は見捨ててもいいことになる。少なくとも、罪悪感に対する言い訳にはなる。

 だからこの女は、あえて条件を言わない。無視していいと言う。

 本当に無視できないからこそ、ハンゾーは逃げ出せずにここにいることを、わかった上で。

 

 自分のことは何一つとして言及しなかった時点で彼女のお人好し具合は本物だが、この女は決して聖人の類ではない。ただ、明確に「他人」と「大切な相手」の区別をつけているだけだと思い知り、そのドライっぷりに自分が忍であることも一瞬忘れて引いた。

 しかし、そんな嫌味にすらなっていない正直な感想は、ある意味で脅迫より性質の悪い「お願い」をしてきた女に何の意味もない。

 

「ははっ、そうだよねー。でも、仕方ないじゃん? 私、それぐらいこの子たちのことが大好きなんだもん」

 

 けろりと笑ってまたしても即答され、その即答にキルアがそっぽ向く。

 耳もほんのり赤くさせた子供にハンゾーが同情の視線を送ると、その視線と込められた感情の名に気付いたのか、キルアは無言で睨み付けてきた。

 

 ハンゾーからしたら全く可愛げのないガキである。

 だが、ソラからしたらこの可愛げのない、素直じゃないのにあまりに分かりやすい所は可愛くて仕方がないのだろう。

 それがわからぬほど、ハンゾーは忍として割り切れていなかったし、人としての自分を殺す気もなかった。

 

 自分で選んだ生き方ではないが、愛着や誇りを持っているからこそ、選べる範囲内では自分が好む生き方を、後悔しない道を選びたかった。

 ただ生きて、誰かの命令だけに従う肉のロボットになどなりたくなかった。

 彼もまた、無自覚ながら原初の願いを手放せなかった。

 

「……わかったよ」

 だから、ハンゾーの答えなど初めから決まっていた。

 

「つーか、本当にお前が勝手に言ってるだけだから、俺がどうこうしようがねーだろ。

 言っとくが、マジで期待すんなよ? 俺はドライで合理主義なんだよ。そりゃ、そこのガキが例えば迷子にでもなってたら、おまえの『お願い』なんかなくても自主的に道を教えてやるくらいはしてやるが、殺せって依頼があれば躊躇なく殺すぜ」

 

 自分を必要以上に子供扱いする発言に、「どこがドライで合理主義だエロガッパ!!」とキルアがキレて、ハンゾーもまた大人げなくそのケンカを買おうとするのを、ソラが間に入って止める。

 

「あーはいはい。キルアの言うことは同感だけど、話が進まなくなるからもうそれは忘れろ」

「ちっ!」

 

 ソラに止められてキルアは舌打ちしつつも、大人しく口を閉ざす。ハンゾーとしてはソラの言い分にもツッコミを入れたかったが、キルアと違ってこの女にそこを反論したらやぶ蛇ならまだいい方、藪を突いて鬼や竜でも出てこられたらハンゾー終了のお知らせなので彼は懸命に黙った。

 

「ま、私も保険くらいにしか思ってないからいいよ。というか、もしそういう依頼があった時の、君に隙を生み出す棘としての効果を期待した方が良さそうだね」

「……あんたマジ、守りたい相手とそうじゃない相手との落差がひでぇな」

 

 さらっとハンゾーの言い分を受け入れた挙句、これまたえげつないことを言い出すソラにハンゾーはもう一度軽く引く。

 

「そうだよ。だから、私を敵に回さない方がいいよ」

 引かれてもあっけらかんと笑い、ソラはハンゾーに197番のプレートを差し出す。

 ハンゾーも、もう一枚持っていた1点のプレートを取り出して、それと交換しようとした時……

 

「あ」

「え?」

「……!?」

 

 ハンゾーがまず声を上げ、ソラが不思議そうに首を傾げ、そしてキルアがハンゾーが何に気付いたかに気付いて、顔を真っ赤にさせてフリーズ。

 キルアのその反応とハンゾーの目線……、キルアのTシャツを着た自分の胸元に向けられていることにソラが気付き、そして理解する。

 

 キルアの白いVネックのTシャツは、黒のハイネックと重ね着していた為ややサイズが大きめで、身長差が11センチあってもソラがかなり細身なので、問題なく着用出来た。

 が、当然キルアと同じくブカブカである訳ない。ツナギの上から着ているのもあって、ほとんどジャストサイズである。

 

 そんなサイズのTシャツを、ツナギもその下に着ていたものも破けた状態で着れば、当然、浮かび上がる。

 

 そのことに気付いて、真っ赤になりながら目を逸らすべきか、それともハンゾーに殴り掛かるべきかパニくるキルアと、再び目をかっぴらいてガン見のハンゾー……。

 どちらが紳士か、一目瞭然の光景である。

 

 ソラは、ハンゾーに渡そうとしていたプレートを持っていた右手を引いて、その手で自分の胸を隠し、それでようやくハンゾーはハッと我に返る。

 当然、今から紳士対応するには遅すぎた。

 

「忍者」

 ソラは言う。

 男か女かわからない彼女が珍しく、実に女性らしい花の貌の笑顔……ただし冴え冴えとした青い瞳はまったく笑っていない状態で、左手を振りかぶった。

 

「やっぱ、プレートの前にこれをあげるよ」

 

 受け取り拒否する権利など、当然ハンゾーには皆無だった。

 

 * * *

 

 リミット当日、集合場所の入り江に集まった時、地味にハンゾーは他の受験生や審査委員のハンターから注目を浴びた。

 彼の頬には、赤みは消えたが二日たってもくっきりと青黒い平手のアザが残っていたのだから、注目するなという方が酷である。

 

 そして、その手形は男にしては小さくて指も長く細いのが見て取れるほどくっきり残っていたので、だいたい誰からの平手かもわかったのかチラチラとソラも注目されたが、ソラはその注目をひたすら無視した。

 

「……ソラ。お前は294番と何があったんだ?」

「知らない! 何もない! 何でもない!!」

 

 クラピカからの問いにも頑なにソラはそう答え、そしてキルアは明後日の方向を見ながら沈黙を守り続けた。





ハンゾー戦の展開はバレバレだったから、どうしたら読者さんの予想を裏切れるかを考えた結果、ひたすらソラがかわいそうな目に遭ってしまった。

とりあえず、クラピカさんこっちです。

次回、幕間を書いて4次試験は終了です。

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