死にたくない私の悪あがき   作:淵深 真夜

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幕間:歩む足はある

 痙攣する男を前にして、ポンズは何もできない。

 

「あ……あ、あ……」

 その場に座り込んだまま、ただ見ていた。

 自分のターゲットである103番、蛇使いバーボンが自分の切り札である蜂に刺されて死んでいくところを。

 

 殺すつもりなどなかった。

 ただ腕っぷしに全く自信がないので、そして常連とは言えないがもうすでに何度か試験を受けているため、武器や戦闘手段をそれこそ試験常連(ベテラン)に知られてしまっている。

 だからそのことを逆手に取ったトラップ、そして駆け引きの材料にちょうど良かったから、「毒蜂」という武器を選んだに過ぎない。

 

 血清はもちろん持っていた。

 よほどのことがない限り、相手を死なせるつもりなどなかった。

 

 だが、バーボンは救えない。見殺す以外に、ポンズは出来なかった。

 彼が張った罠、彼自身が連れてきたのか、それともこの島に生息する蛇なのかは知らないが、無数の蛇がバーボンの体から離れず、ポンズを威嚇している。

 それこそが主を死に至らしめる行為だとは、忠実すぎる従僕の蛇にはわからない。

 

 ポンズは、手を伸ばせなかった。

「あ…………あ……」

 死にゆく男を見ながら彼女にできることは、思い出すことだけ。

 

『ポンズ!!』

 3次試験で自分を助けようとしてくれた、友達になりたかった人。

 

『ごめんね。怖がらせて』

 寂しげな笑顔で謝った、その表情と言葉に胸が張り裂けそうな罪悪感を覚えながらも、彼女の差し出した手を掴めなかった自分を、思い出す。

 

 ――友達になりたかった相手ですら、「死神」として見て、恐れ、拒絶したポンズが、助けても恩を感じるかどうかも怪しい男の為に、この蛇の群れの中に飛び込む勇気などありはしなかった。

 

『――――どけ』

 

 ……自分を助けてくれた死神だったらどうするかを、考えた。

 

 * * *

 

 洞窟の中でポンズは、ただうずくまる。

 バーボンが死んで、彼のプレートを手に入れることも、この洞窟から出ることも、彼の死を理解できない、出来たとしても命令の応用などできない蛇に阻まれて、ポンズはその場から一歩も動かず、ただ試験が終わるのを待つしかなくなった。

 

 いや、例えポンズにバーボンのプレートを奪う術や、ここから脱出する術があったとしても、おそらくは何もしない。

 もう彼女は、行動する気力などとっくの昔に枯渇していた。

 

『ひっ!』

 

 自分を助けるために己の手を汚してくれた人の手を拒絶した時から、本能が彼女を恐れて友達になる資格を捨て去ってまでして逃げたいと望んだ瞬間から、本当はもう何もしたくなかった。

 何もできず彼女に助けられてばかりだったのに、彼女のおかげで生きて3次試験は合格したというのに、なのに恩を何一つ返せなかった挙句に一番酷い傷つけ方をした自分を嫌悪して、もう自分は何も手に入れる権利などないと思っていた。

 

 それでも4次試験に進んだのは、バーボンのプレートを奪おうと行動したのは、自己満足に過ぎない償いだ。

 

 このまま自分が何もせず逃げ出したら、それこそ彼女は無意味に人を殺しただけになる。

 守る価値など何もない卑怯者の為に、償いきれない、例え神様が許しても彼女自身が決して許さない罪を背負わせただけになる。

 

 だからせめて、せめてポンズは証明したかった。

 あなたのしたことに、意味はある。

 私を生かしたことは、無意味じゃない。

 

 それしかできなかったから、それ以外の償いなど思いつかなかったから、だからそれだけに縋って行動した結果がこれだ。

 

「……バカじゃないの、私。……何にもしない方がよっぽど、誰にとっても迷惑じゃなくて意味があるじゃない」

 

 冬なのでそうひどくはないが、時間がたつにつれて濃くなっていく死臭の中でポンズは呟いた。

 その声に応える者は、当然いない。

 

 再び落ちた沈黙の中でまた自己嫌悪にひたりながら、試験が終わって審査委員会に助けられることすら期待せず、ポンズはその場にうずくまり続けた。

 

 ……洞窟の中に入ってくる、誰かの足音を聞いても何もしなかった。

 

 別に自棄になって巻き添えで誰かを失格に陥れたかったわけではない。

 本当に、何もする気になれなかった。自分の行動はすべて裏目に出るから、もう何もしない方が良いと本気で思っていた。

 

 そうしてまた、ポンズは選択を間違えた。

 

 * * *

 

 その人物は、ポンズも死体のバーボンも洞窟内であまりに無防備に座り込んでいるのを見て、罠だとしても堂々すぎると思ったのか、驚きの声を上げる。

 

「!? うぉっ! え? お前がポンズで……そっちのおっさんは誰だ?」

 

 声がしても自分の名前が呼ばれても、ポンズは顔を上げなかった。どうでも良かったので無反応を貫いていたが、少しだけ頭の端で何かが気になった。

 その声に聞き覚えがあった気はしたが、顔を上げて相手の顔を確認する気力は起きず、蹲ったままその声をどこで聞いたかを思い出そうとする。

 

「……おーい。だ、大丈夫なのか? もしかして、怪我かなんかして動けないのか?」

 

 例えターゲットでなくてもこの試験は特に周り全てが敵だと思うべきなのに、戸惑いながらも自分に近づいて、心配そうに声をかける男。

 そんな男の声を、ここ以外のどこで聞いたかを思い返して、思い出して、思い出してしまってポンズは勢いよく顔を上げた。

 

「うおっ!?」

 

 生きているのかも怪しかったポンズがいきなり勢いよく顔を上げたことで、男は驚き後ろにたたらを踏む。

 そして、また困惑する。先ほど以上に、どうしたらいいかわからずオロオロしながら、「な、何だ!? え? と、とりあえずなんか拭く物! って鞄あいつらに預けてきたんだった!」と一人騒がしく狼狽えた。

 もう完全に彼はポンズが自分のターゲットであることを忘れ去って、普通に心配している。

 

 その優しさこそ、今のポンズにとっては猛毒で致命傷。

 ポンズはボロボロと涙をこぼしながら言った。

 

「何で……入ってきたの?」

 

 理不尽なことを言っているのはわかっている。それでもポンズは目の前の男、……ソラとよく一緒にいた仲間のうちの一人、レオリオの胸倉を縋るように掴んで叫んだ。

 

「何で!? どうしてここに入ってきたの!? どうして……もうここに入ってしまったら出られないのに! どうして!? どうしてよ!?」

 

 困惑するレオリオなどもう見えていなかった。

 ただ泣き叫びながら、ポンズはまた後悔する。

 足音が聞こえた時に大声で叫んでいれば、この洞窟に蛇がいて出れないと叫んでいれば、もしかしたら彼は入ってこなかったのではないか、入って来たとしても蛇に対して何らかの対策を練ってから、対策する術を持って入ってきたのかもしれなかったという、今更過ぎる後悔をし続ける。

 

 ……ソラを拒絶した自分が、ソラを受け入れてくれた人にとって最悪の障害になってしまったことに、悔やみきれぬ後悔をし続けた。

 

「は? え? いや、意味わかんねーんだけど、いったい何なんだ!? 出れないって何だよ!? おい、おっさん! これどういう状況!?」

 当然、支離滅裂なポンズの言葉でレオリオが状況やポンズの心境を理解できるわけもなく、ポンズに掴みかかられながらもう一人の人物に声を掛けるが、その相手、バーボンは無反応。

 

 ポンズも初めは全くの無反応だったが、声を掛ければ緩慢に少し身じろぐくらいはしたのに対し、バーボンは本当に全く動かないことに気付いて、レオリオは彼をよく見てから数秒後に絶句。

 暗い洞窟内で遠目からでも、医者志望のレオリオが少しよく見たら彼が死んでいるのは一目瞭然だった。

 そして彼の手にピンポン玉より一回り小さめの腫れがいくつもあることから、死因を察する。

 

「!? 蜂!? くそっ! 蜂でも群生してんのか、この洞窟!?」

「……違っ……出れない……理由は……蜂じゃない……」

 

 バーボンの傷と死因で、ポンズが狂乱して「出れない」と叫んだ理由を誤解したレオリオに、散々泣き叫んだポンズがわずかに冷静さを取り戻して訂正する。

 ポンズの言葉にまたレオリオは困惑するが、今度は困惑に混じって、……それも結構大きな割合で少しポンズが落ち着いたことに対する安堵が見て取れた。

 ほんのわずか、安心したように笑みを浮かべるレオリオを見てまた泣きたくなるが、ポンズは唇を噛みしめて堪えた。

 

 また選択を間違えるわけにはいかない。

 蜂なら巣の側に近寄らない限りそこまで危険はなく、一度も刺された経験がないのなら、多少刺されても逃げ切ることは可能だと判断して洞窟から強行突破を考えないように、ポンズは洞窟内に転がっている石を拾って、彼や自分が入ってきた一本道に投げ込んだ。

 

「げっ!?」

 

 その途端に、道を埋め尽くすほどの蛇が岩壁の隙間からゾロゾロと出てきて、レオリオは悲鳴を上げる。

「……この洞窟自体が、蛇使いバーボンの罠。私はその罠に嵌ったけど、彼から解除コードを聞きだす前に彼を殺してしまったの。

 ……だから……だから……ごめんなさい。……もう、ここから出られないの。試験が終わって、審査委員が助けに来てくれるのを待つしかないの」

 

 泣きながら、ポンズは説明して謝罪する。

 頭の中はまた、後悔と自己嫌悪で埋め尽くされる。

 

 自分が無気力になって何もしなかった所為で、自分とは違ってソラの傍にいてやれる仲間は試験を諦めるしかなくなった。死ぬよりはましかもしれないが、それが申し訳なくて仕方なく、ポンズは子供のように俯いて泣きじゃくった。

 

「え? え~と……、あー、くそっ! こんなんどうにかできる程、経験豊かじゃねーんだよ!」

 狂乱して掴みかかって泣き叫ぶより、静かに泣きじゃくられる方がレオリオとしては対応に困るのか、しばしブツクサと独り言をぼやいてから、行動に移す。

 

 ポンズの頭に、わずかな重みがかかる。

 ポンッと、帽子から仕込んだ蜂が出ない程度に軽くポンズの頭に手を置いて、子供をあやすようにそのまま2,3回軽く叩く。

 

 その行為に、見てしまった。

 もう自分が得られない、望んではいけないものを。

 

『あー、ごめん。そんなに凹まないで。君が努力してないとかなんて思ってないから』

 

 自己嫌悪に沈んでいた自分を、掬いあげてくれた彼女の面影を、見た。

 

「泣くな泣くな! 武器に生き物使ってたら、どんなに訓練しても事故ってのは起こるもんだ! お前がやった事なんか事故だってことにして、おっさんの冥福だけ祈ってやれ! 償いならそれで十分だ!

 洞窟から出れねーのも、お前の所為というよりおっさんの所為だ! 必要以上に罪悪感なんか背負わなくていいんだよ!」

 

 ポカンとしてレオリオを見上げるポンズから彼は目を逸らして、早口で言い捨てる。

 その対応は彼女と真逆だが、言ってることのお人好し具合はあまりにも彼女に似通っている。

 

 自分と彼は何が違って、だからこそ何で自分は傍にいられなくて、彼は傍に居られるのかがわかった。

 しかし、その理解に意味はない。むしろ、ポンズの罪悪感がさらに増すだけだ。

 

 今すぐに自殺したい気分になりながらも、ポンズは唇を噛みしめて溢れ出しそうな涙を堪えて言った。

「……ありがとう」

 

 本当は八つ当たりしたいくらいだった。いっそ自分を責めたてて殺してほしいくらいだったが、もちろんそんなこと言えない。

 罪悪感で死にそうなくせに、罪悪感で生かされている、生きなくちゃいけないと思っているポンズは、何とか自分の醜い部分を覆い隠して礼を告げると、レオリオはまた安心したように笑った。

 

 その純粋さがまた、ポンズの破滅願望を加速させる。

 だが、それはまだ序の口だった。

 

「あー……、にしても参ったなぁ……」

 ポンズが泣き止んだことで、とりあえず彼女に関しては一段落着いたと判断したのか、頭をボリボリ掻きながらレオリオはぼやきながら、腕時計を見た。

 狂乱し、泣きじゃくったポンズを宥めるのに時間を使ってしまった事に思わず舌を打ち、「……あと5分か」と呟いた。

 

「……何が?」とポンズは尋ねる。

 バーボンを殺して試験を続行する気が完全に喪失してしまった為、ろくに時間など確認していなかったが、それでもまさか試験終了まであと5分というのはあり得ないだろうと思い、訊いた。

 

 するとレオリオはまた決まり悪そうに彼女から目を逸らして、「……仲間が外で待ってんだよ」と答えた。

 その答えに、ポンズは顔色を変える。

 

 何が「あと5分」なのかなんて、聞かなくてもわかってしまった。

 もしも彼女がいたのなら、この洞窟の罠に気付いていたとしても、必ずやって来る。

 そして、いっそ彼女なら……ソラ本人なら良かった。

 

 ソラなら、この洞窟内を埋め尽くすほどの蛇すら、殺し尽くせそうな気がした。

 いや、皆殺しにする必要はない。本能だけで生きている生物なら、一度あの眼を、あの「死神」を目の当たりすれば、生存本能に忠実に撤退するのが目に見えた。

 

 だが、ソラではなく他の誰か……あの無邪気な黒髪の少年や、小生意気な銀髪の少年や、自分にはできなかった彼女の手を取って、「いつも通り、綺麗な手だ」と言った金髪の青年ならば……

 ポンズは自分の所為で、一番最低な形で拒絶した自分の所為で、ソラと一緒に居てくれる人たちを、彼女を仲間から引き離すこととなる。

 

「ダメ! 来ちゃダメ! 絶対に来させないで!!」

「うおっ!?」

 だからポンズはまた狂乱して、レオリオに縋りついて懇願した。

 

「……お前、良い奴だな」

 ポンズが先ほどから謝るのも、これ以上この罠にはまる奴が出ないように泣き叫んで防ごうとするのを見て、レオリオは少しだけ笑って呟いた。

 それは大きな誤解に過ぎない。ポンズはただこれ以上自分の罪悪感が増えないことを、……彼女にあんな寂しげな顔をさせたくないからに過ぎない。

 

 だからこそ、ポンズは出来なかった。

 レオリオの次の行動は想像さえも出来なかったし、止めることだって無理だった。

 

「俺もそうしたいんだけどさ、あいつら変なとこ石頭で頑固だからな。……これやっても入ってきそうで嫌なんだが、……鞄はねーし、ケータイがあったとしてもあいつらのケー番なんか知らねーし……」

 

 レオリオはまた、ポンズを安心させるように頭を一度撫でてから、彼女を自分から引き離す。

 そして、そのまま彼は自分が入ってきた道に、……蛇のテントリーに向かって歩き出す。

 

「!? 何してるの!?」

 ここでようやく、レオリオが何をしようとしているのかを理解した。

 止めようと、蛇の「小部屋から抜け出そうとする者」と判断されるエリアから引き離そうと、ポンズは手を伸ばすが、振り向いたレオリオは笑っていた。

 

「ポンズ、お前、薬が武器なら少しぐらい医学知識とかあるんだろ? なら、応急処置頼むわ。まぁ、蛇の種類からして大したことねーから、俺ぐらい図体がでかくて体力が有り余ってるんなら、試験終了まで保つだろ」

 

 ……それ以上、ポンズは手を伸ばせなかった。

 止められなかった。止める前に、レオリオは駆けだした。

 そして、蛇のテントリー内に入って、出せるだけの声を張り上げて叫ぶ。

 

「クラピカ!! ゴン!! 来るな!!

 ヘビだ!!」

 

「やめてぇぇぇぇーーーっっ!!」

 ポンズの絶叫と、レオリオが無数の蛇に咬みつかれたのは、同時だった。

 

 * * *

 

 何度か自分も吸い込んだことで多少耐性が出来ていたのか、それとも死にたくなるほどの罪悪感が妙な脳内麻薬でも分泌していたのかは知らないが、ポンズは洞窟内で噴射した催眠ガスを吸い込んでも、うっすらと意識があった。

 

 意識はあったが、薬の影響かただの自分の気力の問題か、ポンズの手足は動かないし、声を出す気も起らなかった。

 ただ頭だけは動く状態で、ぼんやりと見ていた。

 

 無数の蛇に咬みつかれても、仲間がここに入ってこないように声を掛けたレオリオと、レオリオの傷を見て、真っ先にプレートを全て差し出して彼を助けるという選択をしたクラピカが、催眠ガスを吸って眠っている。

 数多の蛇も、自分の蜂もボトボトと落ちて洞窟内に転がる。

 それらをなるべく踏まないように避けて歩きながら、息を止めて仲間二人とポンズを担ぎ上げるのは、可能性は高いとはいえ確実ではなかった血清の存在にかけて、バーボンの体に触れたゴン。

 自分など置いて行って欲しかったのに、ゴンはガスを吸って倒れた二人と一緒に、本当にポンズまでも洞窟内から連れ出した。

 

 ソラの為に、仲間をこれ以上このバーボンの罠に自分の巻き添えで嵌ってしまうことがないようにしたかったのなら、「来るな!」と叫ぶべきだったのは自分だったのに、ポンズは結局、自分の生存本能に負けた。

 死にたい、死にたいと思いながら、ポンズは恐れた。

 蛇の毒でジワジワと苦悶しながら死ぬのが怖かった。

 

 また泣きじゃくりながら、レオリオに気休めでしかない手当てをして謝れば、クラピカとゴンはポンズを責めたりしなかった。

 むしろ彼らはポンズを慰めて礼まで言ったことに、ポンズの良心が罪悪感でずたずたに引き裂かれた。

 

 そんなんじゃない。私は優しくなんかない。最低な人間だと叫びたかったが、それは言葉にならなかった。

 どうして最低なのか、自分が何をしたのかを、彼らに告白できなかった。

 それはただの自己保身なのか、それとも彼らにソラのしたことを知られたくなかったからなのかも、ポンズにはわからない。

 

「よっしゃーッ!!!」

 

 ガスが充満するまでの5分以上、本当に息を止めた挙句に大の大人3人を抱えて洞窟から脱出したゴンが、新鮮な息を吸いながら声をあげる。

 そして、ポンズをそこらの木にもたれかからせて座らせて、ご丁寧にバーボンのプレートを置いていく。

 

「103番のプレートは置いていくから、委員会が見つけてくれるよね」

 

 ゴンの誠実さにまた、ソラの面影を見て泣きたくなった。

 どうして彼女は、こんなにも誰かに必ず面影を見せるのだろうと八つ当たりしたくなった。

 

 が、ゴンはただのお人好しすぎる子供ではなかった。

「えーと、あ、あった」

 

 バーボンのプレートをポンズのズボンのポケットに入れたら、そのままポケットや彼女の荷物をしばらく漁り、そして見つけた。

 

「……運賃ってことで、ゴメンね」

 そう言ってゴンは舌を出しながらポンズの懐から、246番のプレートを抜き取った。

 おそらく、レオリオのターゲットが自分だったのだろうとポンズはこの時になってようやく気が付く。

 

 しかし、薬の影響などなくてもポンズはプレートを奪い返して合格しようという気はもうサラサラなかった。

 むしろこれだけ迷惑をかけたのなら、騙してバーボンのプレートすら持って行かれてあの洞窟の中に見捨てられても文句は言えなかったのだから、自分のプレートくらい安いものだった。

 

「……いいわよ。持って行きなさい」

「え!?」

 

 心の中で言ったつもりが、声になっていた。

 寝ていると思い込んでプレートを抜き取ったゴンが声を上げて飛びのき、起きているのがばれてしまったので、ポンズも緩慢に瞼を上げる。

 

 目を開けるとポンズの真正面でゴンが、このまま仲間を担いで逃げるべきか、それとも謝るべきかで悩んでオロオロと狼狽ているのが見えて、ポンズは力なく笑って気だるげに言葉を続けた。

 

「……いいわよ。そのプレートはあげる。お礼にもお詫びにも安いくらいだけど……私にあげられるものなんてそれしかないから」

 

 そう言って、ポンズはまた目を閉じる。

 このまま一人にして欲しかった。

 いっそ、他の受験生にバーボンのプレート目当てに襲われて殺されたかった。

 死にたくないくせに死にたくてたまらないから、自殺する勇気が持てないから誰かに殺してほしいという最悪な破滅願望のまま、眠れもしないくせに目を閉ざす。

 

「……ねぇ」

 

 数秒か数分か、数十分かわからない。時間の感覚がポンズにはもうほとんどなかった。

 ただ、ポンズの言葉を「ラッキー」で終わらせず、彼がしばらくそこに立っていたのは確か。

 ゴンは、ポンズの前に立ち尽くして言った。

 

「ポンズは……ソラと何かあったの?」

 

 * * *

 

 また、緩慢に目を開ける。

 しかし、ポンズは何も答えない。もう彼女に関しての感情など、擦り切れてしまったかのように名前を出されても何も思えなかった。

 

 罪悪感もなくしてしまったのか、それともあまりに大きなものになりすぎた所為で押しつぶされて壊れ、マヒしてしまったのかすらわからない。

 彼女に関して何を言えばいいのかもわからなくなったポンズは、ただ黙ってゴンを見返した。

 

「……催眠ガスの匂い、ソラにも少ししてたんだ。3次試験の後、再会した時に。あの時は何だかよくわかんなかったけど、さっきのでわかったよ」

 

 ソラが言っていた通り、嗅覚が人外レベルであることに関しても、何も思えなかった。

 ただ無気力に、完全な鬱状態でポンズはゴンの話を聞く。

 聞いているというのも、実は怪しかった。ただの音の羅列にしか思えず、意味を理解するまで酷く時間がかかった。

 

 ゴンは答えを返さない、もはや生きているのではなく死んでいないだけにすぎないポンズを、痛ましそうな目で見ながらも、言葉を続ける。

「……もしかして、ソラがトリックタワーで誰かを殺しちゃったのは、ポンズを守る為?」

 

 ポンズは答えない。肯定も否定もしなかった。

 出来なかった。

 

 なかったことにしたい。否定してしまいたい。ソラは誰も殺していないと、1週間前に戻ってやり直したいが、魔法使いではないポンズに過去は変えられない。

 だけど、肯定だって出来ない。何故ならポンズは、彼女に助けられたくせに、彼女に生かされたくせに、その生を、命を自ら捨てようとしている。

 

 ソラがしたことを、無価値に、無意味にしようとしている自分が、「守られた」だなんて言えるわけがない。

 

 擦り切れてもう何も思うことも感じることもないと思っていたのに、まだポンズの罪悪感は機能して、肥大してゆく。

 この思考こそ、彼女に対して最大の侮辱であることを理解しながら、またポンズは「死にたい」と願った。

 

 その願いはまた口に出してしまっていたのか、それともそんなこと関係なく初めから言うつもりだったのか、ゴンはポンズをまっすぐに見据えて言った。

 

「生きて。ポンズ、君は生きて。死ぬことなんか考えないで」

 

 性別も歳も顔立ちも、似ているところなんてないに等しいのに、ポンズには一瞬、目の前の少年が世界一会いたくなくて、けれど何よりも誰よりももう一度会いたい人に見えた。

 ソラに言われたような気がした。

 

「……ポンズ。俺には、3次試験で何があったかなんてわかんないけど、……けど、もしも本当にソラがポンズを助ける為に誰かを殺しちゃって、そのことをポンズが気にして死んでしまいたいと思ってるのなら、お願いだから死にたいなんか思わないで。生きて欲しいんだ。

 ……ソラに悪いと思っているからこそ、死にたいと思っているのなら、それはダメだ。生きて。死ぬことは絶対に、ソラは望んでいない」

「…………そんなの、わかってるわよ!!」

 

 泣き出しそうな顔でポンズの破滅願望を否定して、説得するゴンの言葉に、麻痺していた感情が呼び起される。

 枯れたと思っていた涙がまたあふれ出し、涙と一緒に彼女は激情を言葉にして叫ぶ。

 

「わかってるわよ! だから、だから……生きようとして、あの子に助けられた、生かされた命を無駄にしないように、あの子のしたことに、あの子が生かした私に意味も価値もあるって証明したくて試験を続けたのに……その結果がこの様よ!

 あの子の大切な仲間である貴方たちを無駄に傷つけただけじゃない!

 

 それでも、生きろって言うの!?

 助けられたのに、助けてくれたソラに怯えて拒絶した挙句、あの子を受け入れる貴方たちを傷つけた私なんかに、生きろって言うの!?」

「うん」

 

 しかし、ポンズの悲痛な叫びは即座に肯定で返された。

 

「うん。ポンズは、生きなくちゃいけない。死んじゃだめだ。

 それから、ポンズを生かしたのは、生かしているのは、ソラじゃないよ」

 

 ポンズの望まぬ生を肯定し、そしてもはや呪縛となっている事実をゴンは否定する。

 そして彼は、ポンズの前に膝をつき、彼女の手を取ってその手をポンズ自身の左胸に当てる。

 心臓の位置に手を置いて、自分の鼓動が、生きている証がわかるようにしながら、彼は少しだけ気まずげに笑う。

 

「俺、ちょっと前に似たような感じですっごい凹んで何もする気が起きなくなった時、ソラに叱られちゃったんだけど、その時にさ、ソラが言ったんだ。

 俺を生かしているのは、俺自身だって。誰だって、生かせるのは自分自身だけで、自分の力で、自分の心臓を動かして、息をして、考えて、生きていくんだって。

 

 ポンズ。ソラはポンズを助けたかもしれないけど、ポンズを生かしているのはソラじゃない。だから、ソラを言い訳に生きちゃダメだし、死ぬのはもっとダメだ」

 

 自分に言われたソラの言葉をポンズにも送って、そして決まり悪そうだった顔を再び引き締めて彼はポンズに伝える。

 

「ポンズ。ちゃんと自分で考えて、生きて。

 君が今、死んでしまいたいのは、ソラの仲間である俺たちに迷惑をかけたと思っているから、それがソラの迷惑になったり、ソラが悲しんだりすると思うからでしょ?

 よく考えて。本当にポンズがしたいことは、それ? 違うはずだよ。ポンズはソラに迷惑をかけたくないから、悲しませたくないから、それをしちゃうくらいなら死んでしまいたいだけで、本当にしたいことは、ソラに笑ってほしいんじゃないの?」

「あ…………」

 

 その言葉で、晴れた。

 罪悪感で曇るどころか罪悪感が濃霧となって自分を包みこんで何も見えず、どこにも行けなくなっていたポンズの視界が、確かに晴れた。

 

 ポンズは拒絶した。恐れた。差し伸べてくれた手を、叩き落として振り払った。

 自ら、彼女と友達になりたかった、彼女の手を掴むはずだった自分の手を、友達になるための資格をもぎ取った。

 

 けれど、手放せなかった。

 友達になりたいという願いだけは、身の程知らずで傲慢な願いであることなど誰よりも自分でわかっているのに、それでも手放せなかった。

 だからこその、罪悪感だ。

 

「ねぇ、ポンズ。死んじゃだめだよ。ソラはポンズに生きて欲しくて、だから助けたんだ。君が死んだら、ソラは絶対に悲しむよ。

 そして、ポンズが死んじゃったらもう、ソラに何にもしてあげれないんだよ? ポンズがしたことは、ソラを悲しませたことだけになっちゃうんだ。

 

 だから、生きようよ。生きてさえいればきっとソラは喜んでくれるし、それにさ、今は無理でも生きて生き抜いて、諦めずに頑張れば、ポンズが本当にしたいことも出来るようになるかもしれないじゃん。死んだらそれで終わりだけど、生きていたら時間が掛かっても、可能性が低くても、それでも願いが叶うかもしれないんだよ?

 なら、生きようよ。死んだら、もったいないよ」

 

 無邪気に笑うゴンの顔は、やはりどこも造形的には似ても似つかないというのによく似ていた。

 

『努力は面倒くさいし、必ず成果が出るとは限らないものだけどさ、『天才』の一言で自分には到達できないって諦めるより、なりたい自分になれる可能性が高くなるんだから、ぶっ壊れない程度に頑張ろうよ』

 

 ただの言い訳の為に自分の今までを否定したポンズに、ポンズの今までを肯定し、未来をくれたソラの言い分と、そう言ってくれた時の笑顔とよく似ていた。

 本当に、よく似ていた。

 けれど、違う。彼はソラじゃない。

 

 よく似た笑顔と言葉は確かに嬉しかったけど、曇りが晴れて本当に自分がしたかったこと、見たかったものが何なのかを理解してしまったら、もうただ似ているだけのものでは誤魔化せない。

 

 ――ソラに会いたい。

 謝りたい。

 そして、今度こそちゃんと友達になりたい。

 

 あまりにも遠く、それでも手放せない願いを見てまたポンズは泣き出してしまい、ゴンは狼狽えて「ご、ごめん!」と謝るのを、嗚咽の合間にポンズが今度は逆に宥める。

 

「大……丈夫。……もう、……大丈夫……だから」

 ポンズにそう言われてもまだ困惑して狼狽していたゴンだが、ポンズの顔を見て彼女の言葉通り本当に大丈夫だと安心する。

 彼女の涙の意味を知る。

 

 それはゴンの言葉に、自分が望む願いまでの距離の遠さに絶望した顔ではない。

 

 どんなに遠くても、そこに行き着くための、そこに至るための足があることを喜ぶ笑顔だった。

 

 * * *

 

「……ねぇ、ソラ。ポンズって受験生、知ってる?」

 

 4次試験終了後、協会の飛行船が来るまで集合場所の入り江で待っている時にゴンは、ソラに訊いた。

 そこに、彼女はいない。

 ポンズは結局、プレートをゴンに、レオリオに託して今年の合格は諦めた。

 

『……ある程度吹っ切れたといえ、やっぱりソラ本人に会うと絶対に罪悪感が先に来るくせに、怯えて何もできなくなるのは目に見えてるし、何よりもあなたたちを蹴落としてまで合格はしたくないの』と彼女は言って、今年の試験はここで終えると決めた。

 

 別れる前、ゴンはソラに何か伝言はないかと尋ねたが、それも彼女は首を横に振った。

 

『ううん。いいわ。伝えたいことだらけだけど、それらは全部私が自分の口で直接伝えたいことだから』

 

 涙で目を真っ赤に腫らしながらもそう言って笑った彼女を、ソラがどう思っているのか。

 ゴンが気にする筋合いなどない、この質問は悪趣味な好奇心にすぎないことを自覚しつつも、どうしても気になった。

 

 ゴンの質問に、上げられた名にソラは驚いたように一瞬目を丸くしたが、彼女は「どうしてその名前を知ってるんだ?」と尋ね返しはしなかった。

 ゴンに質問返しで彼の問いを拒絶することなく、彼女はどこか遠くを見るように藍色の瞳を細めて答える。

 

「……知ってるよ。

 3次試験で一緒だった、ちょっと自分に自信がなくて諦めが早いネガティブさんだけど、優しくて勇気もある芯の強い……私の友達だよ」

 

 その答えに、ゴンは「そっか」とだけ返す。

 ポンズと会ったこと、そこで起こったこと、彼女が泣いて何を願ったかは言わないでおいた。

 

 それは、ポンズがそれこそ生き抜いて、歩んだ先に得るべきものだと思ったから。

 大丈夫だと信頼しながらも、もしかしたらポンズと同じく罪悪感でソラも本当は望んでいない願いしか見えなくなっているのが不安だったが、あの答えを聞いたのなら話す必要なんかない。

 彼女たちが再会した時に得られる宝を、ネタばらしするのは先ほどの質問以上に悪趣味なことであることくらい、ゴンは理解できている。

 

 だからゴンは、さっさと話を変える。

 いつか必ず幸福な終わりを迎えるとこっちはわかっていても、その結末を得られる本人はまだ知らず、どこか寂し気で悲しそうだから、ハッピーエンドまでの道のりも幸せであって欲しいから、ゴンはいつも通り明るく話す。

 

「ところで、ソラ。ツナギが破れてるけど何があったの?」

「何もねぇよ!! 何もないったら何もなかったんだよ!!」

 

 しかし、逆効果だった。





実は当初は書く気がなかったけど、この連載でどうも影の薄いレオリオとゴンを書けたから満足なポンズの話。
これにてやっと、4次試験終了。
しかし、最終試験に入るまでがたぶんまた長い。
今のところ4話予定って何なんでしょうね……。


ただでさえ最終試験編に入るまでの合間の回が長いのに、9月は仕事が立て込むので、更新が滞ると思いますが、気長に待っていただけたらありがたいです。

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