死にたくない私の悪あがき   作:淵深 真夜

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幕間:聖杯は必要ない

「『正義の味方』ってことは、士郎さん個人の『正義』はないの?」

 

 出会って間もない頃、まだ中学生くらいの少女に真っ直ぐ見据えられ、訊かれた。

 何故、そういう話になったかの経緯は覚えていない。

 ただ、この問いかけをされるきっかけは、覚えている。

 

 魔術師になった理由、魔術を学んだ理由として、答えたからだ。

「正義の味方になりたいから」

 そう、答えた。

 

 その答えに、衛宮 士郎の答えに彼女は問いかける。

 

「何でないの? 士郎さんは誰に何と言われても揺るがない『正義』がないの? 自分自身が『正義』そのものになる気がないの?

 まぁ、それもそれで独善的でうっとうしいけどさ、『正義の味方』よりはマシなんじゃない? だってそれは誰かの正義を盾にして、『正義』じゃなかった時に切り捨ててまた別の『正義』を盾にするコウモリみたいに私は見える」

 

 歳より大人びているのか子供っぽいのか、それとも年相応なのかよくわからない子だったが、この時が一番分からなかった。

 何も知らない無垢な幼子が無邪気に尋ねているようにも見えたし、世の中の辛苦を知り尽くした老人が若者を憐れんでいるようにも見えた。

 

 心底不思議そうにも、答えなどわかりきっているのに確認で訊いているようにも、それとも何かに縋るように、自分では辿りつけない「希望」を求めるようにも見えたのは、おそらくは士郎の勝手な思い込み。

 彼女自身は特に何も考えずに、尋ねたのだろう。

 

「ねぇ、士郎さんって『誰』の味方なんですか?」

 

 式織 空という少女は、そういう少女だった。

 

 * * *

 

「すまんな、衛宮。せっかく1年ぶりに訪ねてきてくれたのに、ろくなもてなしも出来なくて」

「気にするな。ただ久しぶりに立ち寄ったから、顔を見に来ただけだ。むしろ、事前に連絡もなく来て悪かった」

 

 互いに謝罪合戦になりそうなところを何とか切り上げて、衛宮士郎は高校時代から今もこうやって年に数度程度だが親交のある友人、柳洞 一成に別れを告げて山門を下る。

 ほんの少し、罪悪感を覚えながら。

 

 一成に言ったことは嘘ではない。

 今でも大切な友人だと思っているから、冬木に戻るたびに時間があれば顔を出して、本格的に「魔術師」となってしまったのでろくに話せはしないが近況を語り、時間があれば軽く酒でも飲みながら昔を懐かしむ。そのどれもに嘘はないが、実は今日ここに、柳洞寺に訪れたのは一成に会いに来た訳ではない。一成の方が、ついでの立ち位置だった。

 

 一成は去年の今頃も士郎が柳洞寺に訪れたことは覚えていたが、正確な日にちはさすがに覚えていなかった。

 去年も同じ日に、そしてその前の年も士郎が訪ねてきたこと、彼は寺の方に直接自分を訪ねに来た訳ではなく、いったん円蔵山の鍾乳洞に入ってから来たことを一成は知らない。

 

 士郎がここに、3年前から毎年この日柳洞寺に、この山に、あの大空洞に訪れるのは、友人と会うためではない。

 友人とすら言えるのかどうかも怪しい、それでも確かに親しかった、大切だった、守りたかった少女を失った日だから。

 

 命日だとは言えない。まだ、諦めきれない。それでも、まるで墓参りのようにどうしても毎年、訪れてしまう。

 そしていつも、同じ後悔をする。

 冷静に、客観的に考えれば、自分の所為とは言い切れないのはわかっている。

 自分よりはるかに優秀な魔術師たちもそう言ってくれているし、凛に至っては何度も何度も士郎の頭や背中を叩いたり蹴り飛ばしたりして、「あんたの所為じゃない! 思い上がるな!」と叱りつけている。

 

 それでも、士郎から罪悪感を消し去ることは出来ない。

 今更過ぎる後悔を、何度だってしてしまう。

 

 おそらくはサーヴァントの宝具に匹敵する、隣り合う平行世界へ繋ぐ極小の「穴」を穿ち、そこから大気の魔力(マナ)をこちらの世界に持って来て光の斬撃として放つ、第二魔法の限定行使を可能とする魔術礼装、宝石剣。

 

 それがもしもあの時、3年前、自分が完璧に、完全に投影できていれば……

 

 彼女は、式織 空は今もこの世界のどこかで生きていたのかもしれないという後悔を、士郎は未練がましくし続けた。

 

 * * *

 

 いっそ投影が出来なければ……とは思えない。あれがなければ、それこそどんなに少なく被害を見繕っても冬木という都市は壊滅していただろう。

 

 3年前の今日、それは第6次聖杯戦争が終結した日であり、もうこの冬木で聖杯戦争が行われないと決定した日。

 大聖杯が破壊された日でもある。

 

 第4次の聖杯戦争時に汚染された聖杯の欠片を心臓に埋め込まれて、実験的に小聖杯にされていた士郎の大切な後輩にして友人の妹、そして恋人の実妹だった間桐 桜。

 彼女が汚染された大聖杯の影響で、人格のほとんどを増幅された負の感情で食いつぶされて暴走し、呪いそのものの大聖杯を起動させようとしていたのを防ぐための強力な武器として、士郎は投影した。

 

 数年前に対峙し、決別しながら受け入れた未来の自分(アーチャー)にはまだ届かないが、それでも確実に当時より投影魔術の精度は上がっていたからこそ出来たことだ。

 理論が複雑すぎて全く士郎にはその礼装の仕組みが理解できず、材質や構造という部分を解析することでなんとか投影したが、当初は正直「剣」としての機能もなければ何の魔力も感じられず、見た目も宝石でできたやたらとゴージャスな棍棒と言った方が正確に外見を想像できるようなものだった為、作った自分が「なんかへぼっちい、本当にこれで大丈夫か?」と不安を懐いたが、その不安が杞憂だったことは割と簡単に証明された。

 

 桜は大聖杯から無限に魔力を汲み上げて影の使い魔や巨人を襲いかからせてきたが、「桜さんの暴走を止めるのに一番必要なのは士郎さんと凛さんですから、二人はそっちに集中してください。ほぼ関係なしの私が、露払いに集中するから」と言って、空と彼女のサーヴァントが影の軍勢をほとんどすべて引き受けてくれた。

 そして一体でサーヴァント並の戦力を持っていたであろう影の使い魔を本当に、士郎が投影した宝石剣で切り払い、自分たちを守ってくれた。

 

 桜を助けられたのは、救えたのは間違いなく空とカルナのおかげだと、士郎はもちろん、凛も桜本人も思っている。

 負の感情に支配されて暴走していた桜だったが、本心ではもちろん士郎も凛も傷つけたくない、二人から傷つけられたくもなかったのだから、二人が武器を持たず無防備に、それでも空やカルナが防ぎきれなかった攻撃の余波で傷つきながらも桜に手を伸ばし、彼女を闇から救い上げようとしたからこそ、彼女は大聖杯と繋がっていながらもわずかに正気を取り戻すことが出来た。

 もしも士郎や凛が何らかの攻撃手段を手にして桜に向かって行ったのなら、それこそ桜は「自分なんていらないんだ。私なんて死ねばいいんだ」と絶望して、もう二人の言葉など耳にも心にも届かなかったかもしれない。

 

 二人には感謝しかない。なのに士郎も凛も桜も、サーヴァントのカルナにはもちろん、空にも礼を言えなかった。

 

 桜は正気を取り戻せた。

 だが、人間一人の精神が大聖杯の泥、「この世全ての悪(アンリマユ)」に敵う訳もなく、桜が正気を取り戻せば取り戻すほど、相容れぬ呪いが桜の体も心も蝕んだ。

 

「カルナぁぁぁぁっっっ!!」

 だから、彼女は叫び、命じた。

 模造や偽物と言うのも評価が過ぎる宝石剣。効果の対価として与えられた腕の激痛なんて感じられない程、空は嬉しそうに笑って宝石剣を振り回し、命じた。

 これで終わりだと、これで救われると確信していたから、彼女はあんなにも嬉しそうに笑っていたのだろう。

 

「私が聖杯を壊すから、中身を全て! 一欠片も! 一滴も! 何もかも残さずに全てを焼き尽くせ!!」

 

 その命令に、彼は応えた。

 

「了解だ、マスター!!」

 

 与えられる魔力は十全ではなく、負担ばかりを強いられていたというのに、彼も笑ってこの上なく誇らしげに応える。

 その命令を待ち望んでいたかのように、その命令を与えられたことこそが最高の栄誉と言わんばかりに、眼には父そのものの日輪の輝きを宿して。

 

 カルナの身体の一部と化している黄金の鎧が引きはがされて分離し、背に付属されていた羽の装飾と思われていたものが開いて、まさしく翼となってカルナが大空洞の上空に舞い上がる。

 そのタイミングで、空は振り上げていた宝石剣を振り降ろした。

 

「ジジイ! お前が壊せって言ったんだから、一撃で決めろ!!」

 師の名がつけられたその剣の贋作にいつもの軽口を言い放ちながら、偽物にして本物に至ったそれで、どうしようもなく未熟で才能がない自分が出来る限り、かき集められる限りの魔力を並行世界からかき集めて創り上げた光の斬撃が、穢され、歪められ、狂い果てた聖杯を両断する。

 

 光の斬撃が器を両断し、中身を灼きながらも、それは、黒い泥は、聖杯を汚染した「願い」は、「この世全ての悪(アンリマユ)」は溢れた。

 しかしその聖杯以上の物量の泥が、大空洞に満ちて士郎や桜、凛達を飲み込んで冬木に溢れ出る前に、それは放たれる。

 

「――『これ』はさすがに俺も、是とは言えん。……だが、『お前』の存在は、たとえ『お前』自身が望んだものでなくとも、祀り上げられたものであっても、『お前』自身を救わなくとも、……それでも、尊い。

 だからこそ、ここで終れ。この世全ての悪(アンリマユ)

 

 こんな時まで、あんな「もの」にさえ慈悲を見せる気高き英雄は、一瞬だけその眼に憐憫を宿すが、インドラから与えられた神すら滅ぼす槍が輝いた時には、彼の眼にも同じ光が宿っていた。

 

「灼き尽くせ、『日輪よ、死に随え(ヴァサヴィ・シャクティ)』!!」

 

 おそらく本当にカルナが全力ならば、大空洞が崩落どころか山そのものが消滅して巨大なクレーターが出来上がることですら被害は小さい方だったのだから、あれはあれで相当、全力を出すより逆に難しかったのではないかというくらいに手加減をしてくれていたのかもしれない。

 それでも、津波のごとく湧き上がって流れ込みかけた「泥」が、一瞬にしてソラの命令通り、カルナの宣言通り焼き尽くされて消滅した。

 

 それで、終わるはずだった。

 あの歪み壊れて狂いきった偽物の聖杯戦争はそれで、終わるはずだった。

 

 元々、魔術師としてさほど優秀ではない空が、5次のギルガメッシュと同レベルかそれ以上の規格外サーヴァントを満足に扱えるほどの魔力など持っているはずなどなかった。

 カルナとしてはおそらく全力の半分ほども出していなかった宝具の一撃でも、彼女の残されていた魔力を限界まで吸い付くし、使い切ったのだろう。

 

 カルナが宝具で「この世全ての悪(アンリマユ)」を焼き払って蒸発させて消滅させた直後、大聖杯が完全に破壊されたことで桜も「この世全ての悪(アンリマユ)」から解き放たれて意識を手放したのと同じタイミングで、糸が切れたかのように空がふらりと倒れた原因は、間違いなくそれだ。

 しかし、その直後に起こったことは、彼女の背後に出来た「あれ」は何が原因だったのか、「あれ」が正確には何だったのかのすら、未だに士郎はもちろん誰にもわかっていない。

 

 空の背後の空間に、亀裂が走った。

 その亀裂が大きな「穴」となり、倒れた空はそのまま背後の「穴」に、どこまでも深くて光さえも吸い込んで溶かして飲みこんで消えて行く「(うろ)」に落ちていくのを、士郎も凛もただ眼を見開いて見ているしかなかった。

 

「!? マスターっ!!」

 

 行動に移せたのは、カルナだけだった。

 彼も現状を、「あれ」が何なのか、何が起こったのかを理解できていたわけではないだろう。

 それでも彼は駆けだして手を伸ばし、空を助ける為に、空を引き上げるために躊躇なく「あれ」の中に飛び込んだ。

 

 しかし「あれ」は、半神の英雄さえも闇の中に呑みこんでしまった。

 士郎と凛が現状認識が出来ず、呆然とその光景を見送ってしまっていた時間はそう長くはない。せいぜい、十数秒の出来事だ。

 たったそれだけで、全てが終わってしまった。

 士郎が、凛が、彼女の名を叫び、手を伸ばした時には空間に出来た亀裂が逆再生でもするようにふさがってゆき、駆け出して駆けつけた時には「空間に亀裂」なんてものは存在しない。

 

 そんなものは、消えてしまっていた。

 空とカルナごと、何もかも。

 式織 空という少女が本当に存在したのかというのも怪しいくらいに、そこにはもう誰も、何もなかった。

 

 * * *

 

「……君がいたら、『まーた、何でもかんでも関係ないことまで自分に結び付けてウジウジしてるんですか?』と言って、私の尻を蹴り飛ばすんだろうな」

 

 苦笑しながらそんな独り言を呟き、士郎は公園のベンチに座って頭上を、いなくなってしまった少女と同じ名をもつ青を仰ぎ見た。

 どうか3年前のように蹴り飛ばしてほしいという願望は、さすがに口に出したら誤解を生みだしそうなので心の中で留め、そんなことに気をかける余裕が出来てしまったことに何とも言えない罪悪感がまた湧き上がる。

 

 その罪悪感が、答えの出ない自問自答を繰り返す。

 

 わかっている。

 今だにあの空間にできた亀裂、空とカルナを飲み込んだ「あれ」が何なのかはわかっていない。

 けれど、どうしても士郎は結びつけてしまう。

 空とカルナと一緒に、空が握ったまま手放さずに一緒に落ちていったあれが……、士郎が投影した「宝石剣」が原因ではないかという考えが消えない。

 

 宝石剣の性能は、人間が渡れるほどではない極小の「孔」を穿ち、隣り合う世界の大気の魔力(マナ)をこちらの世界に持って来て、光の斬撃として放つ第二魔法の限定行使。

 

 自分の投影が不完全だったから、自分が未熟だったから、あの礼装の効果が、宝石剣の出来が悪かったせいで、「極小の孔」ではなく人間が通れるほどの「穴」を穿ってしまったのではないか?

 そしてやはり、不完全だったせいであの穴に繋がるのはすぐ隣の「平行世界」ではなく「世界」と「世界」の狭間、どこでもないどこにも行けない何にもなれない場所ではないか?

 彼女はいっそ死ねたら楽な、「世界の狭間」に閉じ込められてしまったのではないか?

 

 あの日から、空が消えてしまった日からそんな考えが、不安が消えやしない。

 

 そしてこの考えも不安も、例えどんなに論理的にそれがあり得ないと説明されて証明されても、士郎は納得しない。

 それは第4次の聖杯戦争の結末。あの大火で生き残ったことと同じく、空が無事に帰ってこない限り消えない呪いとなってしまった。

 

 自分が生きていることが申し訳なくて、息をすることですら焼けつくような罪悪感を懐き、幸せだと感じたら感じた分の倍以上の罪悪感で押し潰されて、自分の首を折る勢いで締めつけたくなる呪い。

 そんな呪いを背負い込みつつも、士郎は生きる。

 

 生きてゆく理由を、生きていける訳を、思い出す。

 式織 空という少女の存在が今では、自殺したくなる呪いそのものと化してしまっているが、同時に彼女はあの決して色褪せない清廉すぎる騎士王との出会いの記憶や最愛の女性の存在と同じくらい、生きていたい、生きなくてはならないものをくれた少女でもあるから。

 

 そのことを思い出す為に、士郎はいつも柳洞寺を出た後はこの公園に立ち寄る。

 この公園のベンチで、思い出す。

 あの日、このベンチで交わした会話を、思い出す。

 

 * * *

 

『じゃあ、どうしろって言うのよ! 今更、あの子にあんたを渡せばいいの? そんなの、あの子のプライドをズタズタにする追い打ちでしかないじゃない!

 もう、無理なのよ! 何もかも遅すぎて手遅れで、もうこれしかないのよ!

 私の手で、せめてあの子を苦しませずに終わらせてあげるしか、もう何もないのよ!!』

 

 恋人は、凛は「優雅たれ」という家訓も、彼女自身の手放せない意地さえもかなぐり捨てて、泣き叫んだ。

 

『あいつは本当にバカなんだよ……。利害は一致してるんだからさ、僕に言っておけば協力してやったのに……。

 ……衛宮に惚れてるって、遠坂が邪魔だって正直に言ってしまえばよかったんだ。

 それだけじゃない。魔術だってそうだ! もっと前に、それこそ養子に来た初日にでも嫌だって泣き叫んで助けてって言ってれば、そりゃ初めはムカつくしうっとうしいから一発くらい殴るかもしれないけど、僕は魔術なんかなくても完璧なんだから、固執しなかったさ! ウチの魔術があんなんだって知ってたら、憧れないさ!

 助けてやったよ! 出来が悪くて愚図でバカでも、妹なんだからさ!!』

 

 悪友は、慎二はこんな時でも素直じゃなくて、けれどどうしようもない悔恨と嘆きを口にした。

 

 夜な夜な町に現れ、徘徊し、人を襲い殺す黒い怪物は、もう起きないはずなのに何故か起こってしまった6回目の聖杯戦争によるサーヴァントの仕業ではなく、桜がやったことだと知ってしまった時、実姉と義兄は同じ愛情ゆえに真逆の結論を出してしまった。

 

 そして士郎は、選べなかった。

 

「正義の味方」として、倒すべき「悪」と見据えた者の正体が、彼にとっても妹同然で大切で愛しくて仕方がなかった、日常の象徴だった後輩であることを知ると同時に、彼女が負の感情に支配されてしまった理由を知ってしまったから。

 自分が、桜の最後の拠り所を一番残酷な形で踏みにじって壊してしまったことを知ってしまい、彼は動けなくなった。

 

 6回目の聖杯戦争が起こってしまったこと、桜が小聖杯とされてしまったこと、桜と凛が実の姉妹であることすら知らず、士郎は能天気に桜に相談した。相談相手に、彼女を選んでしまった。

 

『……そろそろ凛に、プロポーズしようと思っているんだ』

 

 桜がどんな思いを自分に抱き続けていたかなんて全く気付かず、彼女の家の環境なんか何一つ想像できず、彼女がずっと声にならない声で「助けて」と叫び続け、手を伸ばし続けていたことに士郎は、「正義の味方」は気付くことなく、桜に一番残酷なトドメを刺したことを知ってしまった。

 

 凛を選んだことに後悔はない。そもそも、桜に告白などされていなかったのだから、選ぶ選ばないという考えがおこがましい。

 けれど、思い返してみれば思い当たることばかりなのに、全く桜の想いに気付けなかった自分の朴念仁、鈍感っぷりを殺したくなる。

 気付いてさえいれば、「もしかして……」程度にでも察していれば、少なくともこんなにも惨いトドメなど刺さずに済んだという後悔が、衛宮 士郎の何もかもを停止させる。

 

「正義の味方」として一番助けなければならない「被害者」だった少女に気付かず、もっとも残酷な形で「加害者」にしてしまった罪悪感が、自分の今までを何もかもを停止させるのに、呼吸や心臓の鼓動は止めてくれないことを皮肉に思いながら、ただ一人夜中の公園のベンチで座り込んで、俯いていた。

 夜な夜な人を襲うのなら、桜がどうか自分を襲って殺して、それで恨みが少しでも晴れることを真剣に願いながら。

 

 しかし、その願いは叶わない。

 衛宮 士郎が真冬の夜の公園で出会ったのは、桜ではなかった。

 

「? 士郎さん、何してんの?」

 桜とはまったく似ていないけれど、同じように妹のように思っている少女が、気が付いたら目の前に立って首を傾げていた。

 全身が傷だらけのボロボロで、傍らには明らかに人間よりも高位な存在を思わせる美貌の青年を寄り添わせて。

 

 彼女が、空が聖杯戦争のマスターで、傍らの青年がサーヴァントであることは経験者の士郎には一目瞭然だった。

 驚きがなかったのは、なんとなく想像がついていたからか、それともそんな心の動きすら絶望が停止させたのかはわからない。

 ただ、空の問いにはわずかに動いた。

 

「何してんの? 凛さんや慎二さん、桜さんのこと放っておく気?」

 

 この時すでに、彼女はほとんど士郎達側の事情を知っていた。

 知らなかったのは、士郎が絶望の底で停止してしまっていることだけだった。

 

「……もう、いいんだ」

「はぁ?」

 

 空の問いに、投げやりにすらなれず無気力に士郎は答えた。

「もう……いいんだ。俺に出来ることは、もうないんだ……。俺は……桜を一番傷つけたくせに、……桜を殺す覚悟も、世界を敵に回しても桜を守ってやる覚悟もない……。何をしたらいいか、わからないんだ……。

 だから、……もう何もしない。……それが一番、いいんだ」

「いいわけねぇだろ」

 

 士郎の答えに、空は苛立ったようにガラ悪く即答する。が、それをいつものように「女の子がそんな口きくな」と小言を言う余裕など当然なく、否定も出来なかった。

 そんな士郎を、空は見下ろして言った。

 

「ねぇ、士郎さんって『誰』の味方なんですか?」

 

 出会って間もない頃にしたのと同じ質問を問いかける。

 あの頃、士郎が困り果てながらも出した答えを思い出す。

 

『助けを求める人、救われたい、生きていたい、幸せになりたい人の味方だ。

 確かにこの正義は借りものかもしれない。けど、絶対に乗り換えたりなんかしない。絶対に、溺れ死んだって手放さないって決めたんだ』

 

 忘れたことなどない。だからこそ、今の絶望で動けなくなった答えを思い出し、士郎は何も言えなくなる。

 

「ねぇ、士郎さんは今、誰の味方なんですか? あなたは、桜さんでも、凛さんでも、慎二さんでもなく、あなた自身の味方にもなってあげないの?

『正義の味方』を、諦めるの?」

 

 士郎は、何も答えない。それこそが、あまりに雄弁な答えだった。

 

「……もう、いいよ」

 数秒間の沈黙の後、一つ溜息をついて彼女は言った。

 諦めて、見限った、失望の溜息であることはわかっていた。

 

 * * *

 

「もう、いい。もう聞かない」

 それだけを言い残して、言い捨てて、足音は遠ざかる。

 士郎は顔を上げることも出来ず、ただその場で、公園のベンチで項垂れ続けた。

 

 が、いつまでも何があっても、雨が降ろうが槍が降ろうが「彼」が生まれたあの大火災が再現されようが不動を貫きそうだった衛宮 士郎の顔が上がる。

 遠ざかって行ったはずの足音が再び近づいて来たから、思わずとっさに顔を上げてしまった。

 ただ近づいてくるだけならおそらく士郎はその音すら認識できなかったが、その足音はものすごい勢いとスピードでこちらに突っ込んでくるような足音だったから、反射で顔を上げる。

 

「ような」ではなく、まさしくその通りだったことに気付いた時には遅すぎた。

 

「だらっしゃぁぁっっーっ!!」

「ごふっ!!」

 むしろ顔を上げた所為で、おそらくはエーデルフェルト家当主直伝のドロップキックが素晴らしく美しい勢いで、士郎の胸に決まった。

 

「あーっ!! 何でこんな肝心な時にヘタレてネガティブスパイラル大回転させてるんですかね、この人は!!」

 士郎に助走を存分につけたドロップキックをブチかましただけで、もちろん空の勢いも暴走も止まらない。

 芸術のような勢いで決まったドロップキックは、士郎をベンチごとひっくり返して公園の芝生に転がし、倒れた士郎に追い打ちで空が掛けた技は、ドラゴンスリーパーホールド。

 

 後方から脇で抱え込むように首をロックし、さらにもう片方の腕で相手の片腕をロックして脱出を困難にさせた変型のスリーパーホールド。締めだけではなく首関節も決まる、お得なプロレス技である。

 さらに体も足で挟み込んで拘束するため、脚が長い空だと大柄な士郎相手でも綺麗にクロスで挟み込めているので、傍から見るとこれまた大変芸術的なくらい美しく決まっている。

 士郎も男なので格闘技はそれなりに詳しいし好きだから、見たら間違いなく感嘆するだろう。かけられているのが、自分でさえなければの話だが。

 

 良い子も良い子じゃなくても、老若男女問わずやるべきではない技を夜の公園で完璧に決められながら、士郎は何とかその拘束から逃れようともがいた。もうこれだけで1分ほど前のシリアスは木っ端微塵となっているが、まさかもう壊れようがないレベルで粉々にされたシリアスがまたさらに爆砕させられるとは、士郎に予想できるわけがない。

 

「……マスター」

 サーヴァントの鑑と言わんばかりに、空と士郎とのやり取りに一切口を挟まず、黙って忠実に寄り添うカルナへ士郎が助けを求めて視線をやれば、彼はやや困りつつも真顔で口を開く。

 

「俺も何か協力した方がいいのだろうか?」

「なんでさ!?」

 控えめだが真剣そのものなセリフに、マスターである空ではなく首関節を決められている士郎が思わず叫ぶ。

 このサーヴァント、困惑しているのは間違いなく、マスターが20代半ばの男(ガチムチ)にプロレスの結構な大技を決めている現状ではなく、本気で自分が手伝うべきことが何かわからず困っているのが実によくわかる顔だった。

 

 空の方もカルナの申し出は予想外だったのか、一瞬固まったがすぐに気を取り直して「えーと、じゃあこの馬鹿の靴でも脱がして足裏でもくすぐって」といろんな意味でとんでもないことを言い出した。

 

「やめろ! サーヴァント、それも半神の大英霊に何を命じてるんだお前は!!」

 当然、士郎は自分の為にも、そしてカルナの為にも抗議の声を上げたが、そんな声を無視して答えたのは当の大英霊。

 

「了解した」

「するなぁぁぁぁっっ!!」

 これまた真顔でその場にしゃがみ込み、士郎の靴を脱がせて自分の肩に掛けているファーでくすぐられた時はいろんな意味で死にそうになりながらも、自分が被害者なのに何故かカルナにこんなことさせて申し訳ないと妙な罪悪感に襲われたのは、やはりカルナの聖人性の人徳だろうか? カルナは悪くないが、実に迷惑である。

 

「あー、前からバカだバカだとは思っていたけど、ここまでバカだったとは思ってなかったよ。

なーにが、何もしない方が良いだ! なんでよりにもよってあんたは、一番自分も誰も望んでいないことを選ぶのかね!!」

 そこまで言って空は、士郎を締め上げるのをようやくやめる。言いたいことを全部言ったからではなく、たぶんそろそろやめないとマジで死ぬと思ったからだろう。

 

 実際、絞め技、関節、くすぐりで真剣にお花畑が見えかかっていた士郎は、空が拘束を解いてカルナにくすぐりをやめるように指示した途端、二人から転がって距離を取った。つい先ほどまで死にたがっていたのに現金なことだと少しは思いはしたが、さすがにこんな死にざまは嫌だと思うのは悪くはないと自分に言い聞かす。

 そんな自分に対しての説得をしてる間に、空がまた士郎に近づいてきて、今度は胸倉を掴みあげて士郎を睨み付けながら言った。

 

「もーいいですよ。士郎さんが桜さん達の味方をしなくても、自分の味方すらしなくても、正義の味方を諦めようが、どうでもいいです。

 どうでもいいから、あんたは私の味方を黙ってやってろ!!」

「…………は?」

 

 間の抜けた声が上がった。

 その声が気にくわなかったのか、空はさらに胸倉を締め上げながら、ガクガク士郎を揺さぶって一方的に決めたことを言い放つ。

 

「私は、桜さんも凛さんも慎二さんも、この町も世界もついでに幸福アレルギーのあんたも救ってやるって言ってんだよ!! 正義なんかどうでもいい! 知ったこっちゃないっつーの! 私がやりたいから、私がそうしたいから、私が欲しいのは皆が救われましたっていうハッピーエンドだから、終わっていない限りは大逆転どんでん返しを狙って諦める気はないんだよ!!

 あんたは! どうなんだ!? 本当にあんたは、『何もしない』がしたいのか!? それがあんたが心から望む『結末』なの!?

 そうじゃないのなら、私のしたいことがあんたのしたいことでもあるのなら、グダグダ腐ってないで黙って手伝え!!」

 

 それは、あまりに幼くて現実味がない理想論。

 士郎も、士郎を「正義の味方」に駆り立てた義父も、屈して諦めた夢。

 

 それは夢だった。あまりにも遠すぎて、目をそらした夢だった。

 

 けれど……それでも、それは確かに、間違いなく士郎が、例え正義ではなくても貫き通したい、本当に心からしたくてたまらないことだった。

 

 あまりにも簡単すぎて忘れていたものを、教えられた。

 

 * * *

 

(……あそこに座ると大切な、何よりも大切なことを思い出せるのはいいとして、どうしてもシリアスが爆散させられたことも思い出して凹むのが難点だな)

 そんなことを思いながら、士郎は歩く。

 公園からはだいぶ遠い、ちょっと休憩にわざわざ喫茶店に入るほど士郎の金銭感覚は緩くない。

 

 だから、ここに訪れるのは明確な理由がある。

 会ったのは去年だけ。約束なんかしていない。それでも、きっとここにいると確信しながら、士郎は喫茶店、「アーネンエルベ」の扉を開けた。

 

「こんにちは、『空の味方』さん。一年ぶりですね」

 

 入った瞬間、声を掛けられた。

 とても言葉通りとは思えない、一年ぶりどころか昨日も会ったように気安く、美女は言った。

 歳は二十歳前後なので、いくら美しくても普通なら「美女」という表現は若干浮くが、水に濡れたような長い黒髪に、年上の士郎より遥かに大人びた理性(ひかり)を持った青い瞳が特徴的だが、同時にその面差しには幼い愛らしさを持つという、まさしく美女の見本そのものな美女だった。

 

 そんな美女を見て、士郎は一瞬はっと目を見開いてから、困ったように笑う。

 去年も同じ勘違いをしておきながら、またするんじゃないかと思いながら、予想通りしっかり見間違えた自分に苦笑した。

 

 式織 空も、黙ってさえいれば極上と言い切れるほど美しい容姿をしていたが、今、喫茶店のテーブル席で座って優雅に紅茶を飲む女性とはタイプが違う。

 女性らしさの極致のような彼女とは違って、空は両性にして無性とでも表現すべきある意味誰よりも何よりも稀有な美人だった。

 

 なのに、聖杯戦争が終わったらここのパイをおごるという空との約束が果たせなかったことを思い出して去年、なんとなく感傷で入った時と同じように見間違えた女性に、士郎は声を掛ける。

「……こちらこそ、久しぶりだ。……末那(まな)。元気そうで何よりだ」

 

「さん」か「君」か何らかの敬称をつけようかと一瞬悩んでから、去年会った時に「敬称はいりません。年下というだけでつけられる敬称は、何も敬っていませんから好みません」ときっぱり言われたことを思い出し、呼び捨てると美女は満足そうに笑った。

 

 その笑みに、また面影を見る。

 色が違う。彼女の眼はもっと夜のように暗く、それでも確かに光のあるあたたかな藍色だった。

 なのに、末那の眼と空の眼はよく似ていた。

 

「相席しても?」

「どうぞ。ちょうど私はもう、出る所でしたから」

 

 どうやら去年と違って彼女の方は士郎とさほど会話を交わすつもりはないらしく、ナンパを軽くあしらわれたようになった士郎はまた苦笑しながら、席に着く。

 伝票は置いて行けと言っても、未那はおそらくこれから必ずとはいえ一年に一度しか会わない男に甘えるつもりはないらしく、伝票を白い指先でつまんで席を立つ。

 

 そして、レジに向かう前に彼女は士郎に訊いた。

「ところで、私の大事で可愛い幼馴染で親友は見つかりました?」

 

 士郎は目を伏せて、答えた。

「いいや」

 

 彼女がいないという事実は士郎の罪悪感そのもののはずなのに、目を伏せて答える士郎は笑っていた。

 そして未那も、その答えに微笑んだ。

 

「そう、良かった。便りがないのは元気な証拠とは言うけれど、よっぽど向こうの居心地がいいのかしら?」

 

 そう言って、彼女は喫茶店から出て行った。

 心の底から安堵して、嬉しそうな笑みと声を思い返しながら、士郎は本日おすすめのパイと紅茶のセットを注文する。

 

 去年、何気なく入って出会い、まさかの初見で「空の味方」と言われた時は、驚きよりも警戒が先立った。

 空の幼馴染で親友と名乗られて、そういえば空は自分の親友のことを「魔術師でも超能力者でもないのに、やたらと万能感があふれてる」と言っていたことを思い出さなければ、ただひたすらに不気味に思っただろう。正直、思い出しても普通にまだ不気味なくらいだ。

 

 空の言う通り、彼女は何もかもを見透かしているようで、やはり正直言って長く話したい相手ではない。

 それでも、彼女の存在が士郎の罪悪感をわずかに薄めて減らす救いとなった。

 

 末那は空が行方不明になったとしか知らないはずなのに、彼女は空が死んだ可能性を一切考慮に入れなかった。

 空が魔術師であること、宝石翁の弟子であることすら知らないはずなのに、彼女はまるで見てきたかのように、第二魔法や宝石剣の存在さえも認知してるかのように、青い瞳でまっすぐに士郎を見据えて話した。

 

『あの子が死ぬところなんて想像できませんし、したくないし、してもいいことなんかないからしません。

 空が帰ってこないのは、たぶん今いる世界の方が居心地良いんでしょう。悪ければ空は、さっさと帰ってきますよ。

 むしろ私としては、帰って来て欲しくないですね。だって1年くらいならともかく、もう2年も経ってるのにまだ帰ってこれない、今いる世界を好きになれない、帰りたいと願ってやまないという方が可哀想じゃないですか?』

 

 根拠など何もないのに、まるで神様と話している錯覚するほどの万能感を漂わせる彼女の言葉だったからか、慰めや希望ではなく事実のように思えた。

 思えば、末那にそう言われるまでおそらく空に関わった人物の中で自分が一番空の生存を信じていなかったことに、士郎は思い至ったくらいだ。

 

 凛が決して、空が消えたこの日一緒に大空洞を訪れてくれないのは、墓参りみたいだから嫌だと言っていた。

 時計塔のエルメロイ教室には、未だに空の籍が残されている。

 

 一番信じたくない可能性ばかりを見て、またゆっくりと動けなくなりそうに、停止してしまいそうだった士郎を動かす言葉だった。

 信じていたい可能性を信じろと彼女は言ったから、したいことをしろと彼女の親友と同じことを言ったから、だから士郎も彼女たちほどうまく出来ないけれど、どうしても考えたくない嫌な可能性が消えず、後悔ばかりしているけれど、それでも何とか頑張って信じて行動する。

 思い浮かぶ、呪いと化した後悔と同じくらい、望んだ夢を、望む夢を見る。

 

「お待たせしました」

「あぁ、ありがとう」

 

 持ってこられたパイと紅茶のセットは、手を付けずに自分の向かいにまず置いた。

 そしてそのまま、30分ほど、紅茶が完全に冷めてしまうまでただ待った。

 もしかしたら彼女が、空が約束を覚えていて、パイ目当てでひょっこりやってくることを、戻ってくることを期待しながら。

 

 戻ってこなかったら来なかったで、士郎は冷めてしまった紅茶を飲み、同じく冷めたパイを食べながらまた思う。

 きっとここのパイ以上に美味い物がある世界にでもいるのだと、信じていたい可能性を信じる。

 

『式織は、何か願いがあるのか?』

 

 昔、何かの拍子に尋ねた問い。その質問の答えを思い出しながら。

 その答えがきっとどこかで叶ったからこそ、戻ってはこないのだと士郎は信じた。

 

 

 

 

 

 * * *

 

 

 

 

 

 ソラの話が自分がやって来た世界や魔術・聖杯戦争の話から、いかに自分の周りの変人たちが面白おかしかったかという雑談に、逸れるとこまで横道に逸れて話し込み、さすがに腹が減ったので食堂で夕飯でも食べるかという話になって、全員がソラの部屋から出て食堂に向かって歩いている途中、何気なくゴンが言い出した。

 

「あんな話聞いた後でこう思うのはダメかもしれないけど、やっぱり俺、聖杯戦争っていうのがこっちの世界にもあったら、俺も参加してみたいなって思っちゃうな」

 

 ゴンの発言に全員が、不謹慎と叱るべきか子供らしいなぁと微笑ましく思うべきか、やや微妙な顔をした。

 ゴン自身もちゃんと不謹慎な部分に自覚はあったらしく、少し気まずげに笑いながら自分の言葉を補足する。

 

「あ、もちろん俺は、自分の願いの為にいくら参加者でも殺したくないし、関係ない人を巻き込むのはもっと嫌だけど、ソラの話を聞いてたら神話や歴史の英雄も人間らしくて面白い所があったんだって思えたからさ。

 うん、良く考えたら俺は聖杯戦争に参加したいんじゃなくて、ソラの友達みたいに俺も英雄と友達になりたいだけだね」

「ゴンらしい」

 

 わざわざ捕捉しなくてもわかっていた答えに、ソラはおかしげに少し笑う。

 キルアはゴンを「無欲な奴」と感心したような呆れているような目で見ながら、続けて言った。

 

「でもまぁ、確かに『万能の願望器』って言われても、普通はいきなり願い事なんか浮かばねーもんな。俺も、もし今すぐ参加するなら楽しみなのは、賞品よりもサーヴァントの方だな」

「お前もゴンのこと言えねーぞ。子供は純粋でいいよな。

 俺ならさすがに、人が材料だったり絶対に誰かを不幸にさせる形で願いが叶うっていうのは論外だけどよ、やっぱり何でも願いが叶うっていうんならそれに目が眩むな」

「その前提を『論外』と言える時点で、レオリオも無欲で純粋だよね。汚染聖杯じゃなくて普通の聖杯をレオリオが手に入れたら、世界が平和になりそう」

 

 ゴンとキルアは召喚するなら誰がいいという話で盛り上がり、レオリオは相変わらず偽悪的に「そんなんじゃねぇ!」とソラの発言を照れて否定する中、何気なくクラピカはソラに尋ねた。

 

「ソラは、聖杯に何か願わないのか?」

「私?」

 

 特に他意はない。ゴン達と同じく、雑談のつもりでしかなかった。

 ただ、出会った時から彼女はわがままなように見えて、「何かしたい」「何か欲しい」という類のことは「死にたくない」以外ほとんど言わない。言っても口先だけで、いつだって他者を優先してばかりだった。

「聖杯を探そうか」と言い出した時も、クラピカに使わせることを前提で語り、自分の願いなど絶対に教えてくれなかった。

 

 だから、知りたかった。

 彼女が何を願うのかを。

 もしも自分が「聖杯」を得た時に願う、「ソラに幸せを」はどのような形で叶うのかが、知りたかった。

 

 しかし、クラピカのそんなささやかな願望は叶わなかった。

 ソラは一瞬、答えようとしてくれたが何故かクラピカの方を見て軽く目を一度見開いてから、彼女は柔らかく微笑んだ。

 その笑みはクラピカが願い望むものであったが、何故このタイミングでそんな風に笑うのかがわからず首を傾げているとソラは、自分の唇の前に人差し指を立てて答える。

 

「……秘密」

「何故だ?」

 

 尋ね返しても、ソラは答えてはくれず笑って言い返す。

「ははっ。じゃあ、ヒントだけあげる。

 ……もう、叶ってるよ。だからあえて今の願いを言うとしたら、それがずっとずっとこの先ずっと守り抜けますように……かな?」

 

 ソラの「ヒント」に今度はクラピカだけはなく、横で聞いていたレオリオやゴン達も理解できず首を傾げるのを、ソラは慈しむように笑って見ていた。

 

 

 

 

 

 * * *

 

 

 

 

 

『式織は、何か願いがあるのか?』

 

『聖杯に託す願い事はないですね。だって、万能の願望器に頼らなくっちゃ叶わないくらい絶望的な願い事だとは思いたくないですもん』

 

 そんな前提を語ってから、式織 空は少し寂しげに笑って答えた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

『――家族が欲しい、かな』




型月側の話をお話でした。
第6次聖杯戦争はまだ妄想レベルだからかなり曖昧で部分的な描写ですが、とりあえず大聖杯破壊のシーンが書けて満足です。

あと、士郎のこの頃の年は多分サーヴァントとして召喚されたアーチャーと同じくらいか少し若いくらいだと思うので、彼の口調はアーチャーの方を意識して書いてます。

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