死にたくない私の悪あがき   作:淵深 真夜

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35:最終試験開始

 4次試験から3日後、審査委員会が経営するホテルを貸し切って最終試験が行われた。

 

「戦い方も単純明快。武器OK、反則なし、相手に『まいった』と言わせれば勝ち!

 ただし……相手を死にいたらしめてしまった者は即失格。その時点で残りのものが合格。試験は終了じゃ。よいな」

 

 ネテロが最終試験の説明を終えた直後、勢いよく手が上がる。

「はい! 会長! まいりました! 負けました! 負け上がりします!!」

「試合始まってから言わんかい」

「始まってからじゃ絶対に言わせてくれない相手をぶち当てたのはお前だろうが、クソジジイィィィッッ!!

 殺したら不合格は、この変態クラウン相手じゃ何の救いにもなってねーんだよ!!」

 

 試合開始前にいきなり敗北宣言をして却下されたソラがその場に膝をついて絶叫し、ゴン達4人がそれぞれ同情してソラの肩にポンと手を置いた。

 他の受験生も試験担当官もゴン達と同じような視線をソラに向け、クラピカは「気持ちはわかるが……」と言いたげな顔をしつつも、呆れたように言う。

 

「というか、私と当たる可能性もあるのをわかっているのか? むしろ、認めるのは癪だがそっちの方が高いぞ」

 

 言ってから横目でクラピカもネテロを睨み付けるが、ネテロはソラの絶叫もクラピカの視線も、しらーっと受け流している。

 その反応にまた少しイラつきながら、もう一度彼は負け上がりのトーナメント表に目をやる。

 

 順番で言えば、クラピカとヒソカが第2試合で戦わなければならない。この時点でクラピカにとっても割と最悪なのに、この次に負けた方と戦う相手はソラだ。

 面談時に「悪い意味で注目している」と言った相手と真っ先にブチ当てることといい、どのような理由があっても戦いたくないし、戦えない、戦わないと決めていると宣言した相手をその次に当てる、ネテロの性格の悪さに本気でクラピカはムカついた。

 

 ムカつきつつも決められたことを今更どうにかできるわけもないので、クラピカは今後のことを考えるが、考えれば考えるほどに頭が痛くなる事態であることを理解してしまう。

 合格のチャンスを2回も捨てるのは惜しいが、今現在ものすごく上機嫌でトーナメント表とソラを見ながら笑っているヒソカを見れば、ソラの言う通り「相手を殺せば不合格」は何の救いにもならない。むしろ死なない限り相手の反則による不合格が確定しないのだから、ライセンスが最優先ではないヒソカにとって都合のいいルールだろう。

 

 だから自分が真っ先に降参して自分が負け上がった方が、ソラとの試合も棄権同然に負けてもまだ3回チャンスのあるクラピカにとってはさほど大きなデメリットはない。

 が、もうまず初めにクラピカと戦わなければならないことを理解しているのか怪しいくらいに、気色悪い殺気を機嫌よくソラにぶつけているヒソカが、大人しく自分に敗北宣言をさせてくれるわけがないのも目に見えている。

 

 自分とヒソカの試合は、何故かどちらが先に「まいった」と言えるかという本来とは真逆の趣旨の試合になりそうだなと思いながらクラピカがため息をついた時、ソラがしゃがみこんだままきょとんとした顔で自分を見上げていることに気付く。

 何をそんなに不思議そうな顔をしているのか、クラピカがそう尋ねる前にソラの方が心底不思議そうに訊いてきた。

 

「え? クラピカ、負けるの? 何で?」

 

 その疑問に、クラピカは固まる。もちろん、素直とは程遠い性格の彼が「お前の為だ」と言えるわけもなく、同時に「ヒソカに勝つ自信がない」とも、この真っ直ぐにクラピカが勝つことを信じて疑っていない目で見られて言える訳もなかった。

 

「ま、負けるわけないだろ! 絶対に勝つ!!」

 

 思わずつい先ほどまでの考えとは真逆の宣言をしてしまうクラピカを見ながら、しれっとゴン達の近くにやって来たヒソカがおかしげに笑いながら彼らに言う。

 

「くくっ♥ ソラって珍しいタイプの悪女だね♣」

 

 いつの間にか近づいてきたヒソカから距離をとりつつ、ゴン・キルア・レオリオの3人は内心で深くヒソカの言葉に同意した。

 

 * * *

 

 心底同情するが同時に心底アホなことをソラが叫んでいる間に試合の準備は整ったらしく、サングラスにスーツ姿の試験官が試合開始を宣言する。

 

「それでは、最終試験を開始する!!

 第1試合、ハンゾー対ゴン!」

 

 試合会場と言っても闘技場があるわけでもないので、呼ばれた二人は広間(ホール)の中央にそれぞれやってきて向き合ったところで、立会人を務める試験官がまずは名乗った。

 

「私、立会人をつとめさせていただきます、マスタです。よろしく」

「よぉ、久しぶり。4次試験の間、ずっと俺を()けてたろ」

「!」

 

 サラッと言われたハンゾーの発言にゴンは目を丸くさせ、マスタも感心したような様子で「お気づきでしたか」と答えるが、ハンゾーの方はやはりしれっと当然のごとく答える。

 

「当然よ。4次試験では受験生一人一人に試験官が尾いてたんだろ? まあ、他の連中も気づいてたとは思うがな」

 

 ハンゾーの言葉で、見事に受験生の反応はゴンとレオリオのように、全く気付かずに呆然としている者と、「え? 今更それ言う?」と言わんばかりの者に分かれる。

 その中でただ一人、全然違う反応をする者がいた。言うまでもなく、ソラである。

 

「マスタさん、マスタさん」

 何故かいきなり自分の名を呼び、ひょこひょこ近づいてきたソラにマスタは「何ですか? もう試合を始めますから下がっててください」と答えるが、ソラは笑顔で「すぐにすむから」と答えてから言い放つ。

 

「マスタさん、一発殴っていいですか?」

「「何を言ってるんだ、お前は!?」」

 

 ソラの最大レベルで突拍子のない発言にクラピカとレオリオが仲良く同時に突っ込んで、ゴンも一瞬呆気にとられながらもソラを止めようとする。

 が、キルアとハンゾーは「……あぁ、なるほど」と言いたげな顔をして何も言わない。よく見れば、会長や他の試験担当官たちも同じような顔をしており、何よりもマスタ本人が一瞬だけ困惑したが、「……お手柔らかにお願いします」と言い出してサングラスを外して大人しくソラに殴られるのを待つ態勢に入り、受験生たちの謎をさらに深めさせた。

 

 そしてソラは本当に一発、ビンタでいい音を鳴らした後、「ごめんなさい、あなたは悪くないけど、ちょっと殴らないと私が死にそうだから」と言って頭を下げた。

 マスタの方も頬に立派な紅葉をつけつつもサングラスをかけ直し、「いえ、お気持ちはわかります」と言って、ソラの傍から見たら理不尽すぎる行動を受け入れる。

 そしてそのまま他の受験生たちのように部屋の端に戻る途中でソラは、ついでにハンゾーの頭も一発殴ってから「あと、キルアと私を尾けてた試験官見つけなくちゃ」と不穏なことを呟いた。

 

 謎が謎を呼ぶソラとその周りの言動に、クラピカは目を丸くして「……お前は本当に4次試験、あの忍者と何があった?」ともう一度、4次試験終了直後にした質問を繰り返す。

 

「何もないったらないよ! 何もなかったもん!!」

 その質問にやはり前と同じく涙目で、どう考えても何かあったと言ってるも同然の反応を返されるが、「嘘をつかない」と約束している彼女がそう言い張るのは、クラピカに聞かせたくないというより本人が嘘であってほしい、自分の言ってることが本当であってほしいと思っているようにしか見えないため、クラピカはソラから真実を聞き出すことを諦めつつ、自分も後でハンゾーを殴ろうと決めた。

 

 理不尽なのか正当なのかよくわからない予定が決定されているのを当然ハンゾーは知る由もなく、殴られたマスタと互いに気まずげに顔を見合わせて、気を取り直して話を続ける。

 

「あー、何ていうか巻き添えで悪いな。けど、礼を言っておくぜ!! 俺のランクが上なのはアンタの審査が正確だったからだ! まー、当然のことだが。

 それはそうと、訊きたいことがあるぜ!」

「何か?」

 よくしゃべる奴だと内心で呆れながらマスタが先を促すと、ハンゾーは改めて試合のルールを確認した。

 

「勝つ条件は『まいった』と言わせるしかないんだな? 気絶させてもカウントは取らないしTKOもなし」

「はい……それだけです!」

 

 確認し、ゴンの方にチラリと視線を向けて思う。

(なるほど……、こいつはちっと厄介かもな)

 

 脳裏に一つの「お願い」が浮かぶが、すぐに意識の奥底に沈める。

 早速そのお願いを叶えられないどころか、一番酷い形で裏切る謝罪ごとハンゾーは沈めた。

 

 元々初めから叶えられないことなどわかっていたし、本人にもそう伝えている。

 しかし本人が、ソラ自身がわかってて言ったように、その願いは良心に付け込まれている。

 

「それでは、始め!!」

 

 だから、それはハンゾーの良心と甘さと優しさだった。

 

「おおかた足に自信アリってとこか。認めるぜ」

 

 試合開始発言直後に、いきなり走り出したゴンの自信を真っ二つに折る勢いで余裕たっぷりに追いつき、延髄に手刀を決めたことも、「認める」という発言も。

 すぐに諦めて最小のダメージで次の試合に臨めるようにという、彼なりの優しさだった。

 

 ――だが

 

「気分最悪だろ? 脳みそがグルングルンゆれるように打ったからな。

 わかったろ。差は歴然だ。早いとこギブアップしちまいな」

「いやだ」

 

 即答したゴンに、平手で殴りつける。傍から見たらただのビンタだが、絶妙に脳を揺らして大きなダメージを与えるくせに、気絶出来るほどではないもの……完全に攻撃ではなく拷問の手段を用いて彼は冷たく言う。

 

「よく考えな。今なら次の試合に影響は少ない。意地はってもいいことなんか一つもないぜ。

 さっさと言っちまいな」

「~~~~誰が言うもんか!!」

 

 ゴンの意地を、ハンゾーは冷めた目で眺めながら次は腹部を蹴り上げる。脳がダメなら内臓を痛めつけることにしたらしい。

 蹴り転がしながら、彼は考える。内臓を痛めつけてもまだ意地を張るなら、次はどこにするか。拷問の手段と順番を、完全にいつもの仕事の一環として冷静に、冷酷に、冷厳に考える。

 

 プロハンターでも、ここまで子供に拷問なんて行為を冷徹に割り切れる者はごく少数だというのに、おそらく相手と10歳も離れていない青年がやってのけていること、そしてどこまでも合理的に痛めつけられる拷問に耐える少年に、メンチは戦慄しながら呟く。

 

「全く……会長の性格の悪さときたら私たちの比じゃないわよ。気軽に『まいった』なんて言える奴がここまで残れるわけないじゃないの。

 一風変わったどころか、とんでもない決闘システムだわ……!! あのコ、やばいわよ」

 

 いっそ死んだらいい方、下手すれば一生ハンター試験を受けるどころか、日常生活すらままならない後遺症を残す結果になってもおかしくない決闘システムを最終試験にしたネテロに、メンチは非難するような視線を送るが、本人は試合前にクラピカに睨まれた時と同じようにしらーっとしている。

 

 しかも、今度は聞こえないふり気付いていないふりをして受け流しているのではなく、どこか本気で退屈そうに眺めていた。

 そんな残酷すぎる反応をしているのは、ネテロだけではない。

 

「……バカな奴」

 キルアは思わず、横で壁にもたれかかって試合を見ている女を見上げる。

 キルアの耳に届いたソラの呟きは、彼女が自分の両親や家の話をする時と同じような、彼女には珍しい侮蔑の色があるように感じられた。

 その感覚を肯定するような、無表情だった。

 

 表情からは何も感じられないが、真っ直ぐにゴンを甚振るハンゾーを眺める夜空の眼はひどく退屈そうにキルアには見えた。

 

 * * *

 

「!! …………ッ」

 

 痛みの悲鳴さえ、もう出てこなかった。

 3時間の血反吐も出なくなる程の拷問にゴンが、耐えて耐えて耐え抜いた結果、ついにハンゾーが「取り返しのつかない結果」も辞さなくなり、手始めに腕を折った。

 左腕を折られて悶絶し、床に額を押し付けるようにして腕を押さえて悶えるゴンに、ハンゾーはさすがに後味悪そうな顔をしつつも言う。

 

「さあ、これで左腕は使い物にならねェ」

 彼の発言に反応したのは、ゴンではなくレオリオだった。

 

「クラピカ。止めるなよ」

 つい先ほどまで試合に乱入する気満々で怒鳴り散らしていたレオリオにしては冷静に見えたが、彼は拳を握り締め歯を食いしばって、額に極太の青筋を浮かべている形相を見れば、嵐の前の静けさという状態であることがよくわかる。

 

「あの野郎がこれ以上何かしやがったら、ゴンには悪いが抑え切れねェ」

 ギリギリと強く歯を噛みしめている音の合間、クラピカにそんな宣言をするが、返された答えはレオリオを止めるものではなかった。

 

「……止める? 私がか? 大丈夫だ。おそらくそれはない」

 クラピカの方も、ギリギリ緋の眼にはなっていない、なるのを必死で押さえつけているのか、目を見開いて蒼白の顔でまだ痛みに耐えようとしているゴンを見ていた。

 

 そんな二人の反応に気付いていながら無視して、ハンゾーはゴンに言う。

 

「痛みでそれどころじゃないだろうが、聞きな。

 俺は『忍』と呼ばれる隠密集団の末裔だ。忍法という特殊技術を身につけるため、生まれた時から様々な厳しい特訓を課せられてきた。以来18年、休むことなく肉体を鍛え、技を磨いてきた。お前くらいの年には人も殺している」

 

 何故かいきなり片手で逆立ちをしながら語りだす、自分が何者でどんな修行をしてきたか、自分とゴンとでは経験も実力も差がありすぎるというのを見せつけようとしているのだが、ゴンの方は初めにハンゾーが言ったように痛みでそれどころではなく、他の連中も怒りで彼の話など聞いていない。

 キルアはちゃんと聞いていたが、彼からしたら自分の家と同じような環境なので、「いばる程のことじゃないや」と内心で切って捨てられた。

 

「こと格闘に関して、今のお前が俺に勝つ術はねェ!!」

 

 いろんな意味で報われない反応をされていることに本人は気付いていないのか、ハンゾーは自分の身体能力を誇示する為、体を支えるのを掌から五指に、そして指の数も一本一本減らしてゆき、ついには人差し指一本で逆立ちをしたままキメ顔で言った。

 

「悪いことは言わねェ。 素直に負けを認めな」

「ただいま~。……え? 何でまだゴンとハンゾーの試合やってんの?」

 

 しかしこの男は憐れなほどに、どこまでも報われない。

 キメ顔で言った直後に気の抜けた声が会場にやたらと響き、思わず全員の視線と注目がハンゾーとゴンからいつの間にか会場から出て、そして戻って来たらしいソラの方に移った。

 当の本人は悶絶しているゴン以外全員から注目されること、そして未だに第1試合が終わってないことを心底不思議そうに、藍色の眼を丸くさせていた。

 

「……お前、いつからいなかったんだよ? っていうか、何してたんだ?」

 唐突なソラの帰還にブチ切れ寸前だったレオリオが毒気を抜かれて、やや脱力しながら尋ねたらソラはまだ現状がわかっていないのか、困惑しながら答えた。

 

「え? トイレ行ってついでに外で電話してた」

「お前何してんの!?」

 

 ついさっきまで、そういえばカルトに時間があるとき電話すると言って忘れていたことを思い出し、つい話し込んでしまっていたケータイを持ち上げて見せて言えば、先ほどと同じようなツッコミを違う意味合いでレオリオは叫ぶ。

 レオリオだけではなく、クラピカやキルアはもちろん、ヒソカや試験官達、ほとんど無関係の他人と言っていいポックルやボドロにまでソラの発言で呆気に取られているが、ソラの方は相変わらず周りの反応が理解できないらしく、周囲の人間に説明を求めるようにキョロキョロと見渡す。

 

「……え? っていうか、何でマジで試合終わってないの? まだ『まいった』って言ってないの? バカじゃない?」

 困惑しながらソラが言い出したセリフに、レオリオが顔色を変える。

 つい先ほどまでもキレてはいたが、「まぁ、こいつのエアブレイクはいつものことだ」と思っての突っ込みでしかなかったが、今度の発言はレオリオの逆鱗に触れた。

 

「……お前、今、何て言った?」

 3時間。血反吐も吐かなくなるほどの拷問に耐え続けたゴンを侮辱する発言に、レオリオは先ほどクラピカに「止めるな」と言った時と同じ顔をして、尋ね返す。

 まだわずかに残った理性が、何かの聞き間違いや勘違いであることを期待したからこそ訊き返したのだが、ソラはまだ怪訝そうな顔をして言い切った。

 

「いやだってどう考えてもバカだよ、バカ。大バカだ。

 何でさっさと負けを認めないの? こんなの誰が見ても勝ち目なんか初めっからないし、時間の無駄で疲れるだけじゃん」

 

 怪訝そうだが同時に心底呆れた様子でソラが言い放ち、会場内の人間ほぼ全員が信じられないものを見るような目でソラを見た。

 レオリオからブチッと何かがキレる幻聴を聞いたのも、おそらくほぼ全員。

 

 ただ、クラピカだけが何かに気付いたように眼を見開いて、レオリオの振り上げた腕を掴んで止めた。

「! よせ! レオリオ!!」

「離せ! 見損なったぜ! 確かにさっさと負けを認めちまった方が良いのはわかりきってるさ! けど、お前はあれを見てマジでそう思ってのかよ!! 3時間も拷問に耐えた仲間見て、思うことが『バカじゃねぇか』ってお前の方が人情なしの大バカヤローだ!!」

 

 レオリオに殴りかかられても、叫ばれても、ソラは揺るがない。

 むしろ彼女は会場に戻って来て一番不思議そうな声を上げて言い放つ。

 

「はぁ? レオリオいつからハンゾーの仲間になったの?」

「は?」

 

 しばし会場に何とも言えない空気と沈黙が支配したのは言うまでもない。

 

 * * *

 

「……何でお前、ハンゾーの方を『さっさとまいったって言えよ、バカじゃねーの?』って言ってんだよ?」

「むしろ私が何でゴンのこと言ってるのかと思ったかが訊きたい」

 

 とりあえず、お互いの反論と反応で誤解が解けたらしく、レオリオは振り上げた拳を下ろしてまず訊いて、それに対してソラが真顔で訊き返す。

 

 その質問返しに、会場内の全員……ヒソカやギタラクルまでポッカーンと呆気に取られている。

 ただ、クラピカとネテロだけは「こいつはこういう奴だよ」と言いたげに頭を抱えていた。ネテロは面接で、クラピカは3年前の一カ月で嫌になるほど、彼女独特の視点による思考回路から生み出された発想と言動に振り回されたのを思い出し、頭痛がしてきたらしい。

 

「な、何言ってやがるんだ、お前は! どこをどう見ても俺の方が有利だろうが! 目玉腐ってんのか!?」

「いや、見てもなんもわからん。ハンゾー、何で君、逆立ちしてんの?」

「うるせェ! そこはほっとけ!!」

 

 真っ先にフリーズから解凍されたハンゾーがソラに向かって反論するが、ソラから心底呆れたような目で訊き返されて思わず逆ギレした。

 自分の実力を誇示するつもりが、ソラの帰還によって不発に終わった挙句に逆立ちをやめるタイミングも見失ってしまったハンゾーは、人差し指で逆立ちしたまま会話を続行する。実にシュールな光景である。

 

「俺とこの小僧の実力差がわかんねーほど、目が曇ってるわけでもねーだろ! 何で、俺の方が初めから勝ち目ねーとかほざいてるんだてめェは!!」

 これがレオリオやクラピカからの言葉なら、自分から冷静さを奪うための挑発だと思い聞き流せたが、自分の攻撃を完全に先読みした実力者として認めている人物から「ゴンより劣っている」という評価は、さすがに大きくプライドが傷つけられたようだ。

 

 そもそも、挑発のつもりなら初めからハンゾーの名前を出しただろう。

 ハンゾーの名を出さなかったということは、彼女にとっては言うまでもないほどにこの試合は、ハンゾーの敗北が決定事項らしい。

 プライドを傷つけられた怒りだけではなく、彼女にそんな確信をされるほどの「何か」をゴンが持っていること、それを見逃している自分のふがいなさと、純粋にそれが何なのかを知りたいとも思ってしまい、ハンゾーは怒鳴り散らしつつ訊いた。逆立ちで。

 

 何とも締まらない状況に、割と元凶のソラがやはり呆れたような表情で壁にもたれかかり、腕組みしながら即答した。

 彼女にとって当たり前だから、隠すようなことではない。むしろ何故、ハンゾーはもちろん周りの奴らも気付いていないのかを不思議そうにしながら、答えてやった。

 

「その子は『まいった』って言わない。ただそれだけ。

 TKOとかカウント制とか他にルールがあるんなら、ゴンには悪いけど確かにハンゾー相手じゃ勝ち目はない。でも、このルールならここにいる受験生は全員、その子に勝てないよ」

 

 またしても、会場に沈黙が落ちる。

 その沈黙を、静寂をソラは破って続きを語る。

 彼女からしたら、当たり前すぎて退屈なくらいだったことを、淡々と。

 

「ハンゾー。その子に拷問は通用しないよ。

 拷問は、通用しない人間と通用する人間で分けられる。訓練してるかどうかなんて関係ないさ。

 どんなに苛烈な訓練をしてても、『これ以上は耐えられない』っていう閾値を見積もって計算する奴は、訓練で限界の上限を上げてるだけでいつか必ず耐え切れなくなる。

 その子は通用しない人間の中でも、とびっきり。ゴンは猪突猛進で自分のしたいことと絶対にしたくないことしか見えてないから、したいことを最優先にしすぎて暴走して、結局何もかも台無しにする危なっかしさの塊だけど、したくないこともよくわかってるから、したくないことだけは絶対にしない。妥協や譲歩、折れるってことをしないし出来ない、発想がない、限界を見積もらないからノーブレーキでその限界をぶっ超える。

 

 この試合でその子に勝ちたいのなら、戦う前に君たちの試合限定でカウント制とか、先に気絶した方が負けとかのルールを取り入れるべきだったね。それをしたらゴンはお馬鹿で素直だから、自分が不利になるってことに気付かず受け入れて、普通に君が勝てたのに。

 それをしなかった時点で、ゴンに拷問が通用すると見誤った時点で、君はもう勝ち目なんかないんだよ。拷問が通用するかしないかの見分けがつかない時点で、君は忍者として、諜報として未熟だ。諦めてさっさと負け上がりしたら?」

 

 バカにしてるというより、教師が出来の悪い生徒に諭すような言い方が癇に障り、ハンゾーはソラをきつく睨み付けて反論する。

「はっ! そりゃ、お前の親バカ的な期待じゃねーの? ……そこまで言うんなら、本当に通用しないかどうか、確かめさせてもらおうじゃねーか」

 

 暗に「さらにゴンを痛めつける」というハンゾーの発言に、レオリオとクラピカが向き直って再び彼を睨み付けるが、ソラの方はその発言を鼻で笑った。

「必要ないさ。君の未熟さなんて、わかりきってるんだから」

「あぁん?」

 

 もはや忍者というよりただのチンピラ同然の巻き舌で唸り、睨み付けるが、ソラはそれでも余裕ぶって笑いながら言った。

 

「ハンゾー。君の相手は私か(・・・・・・・)?」

「!?」

 

 ゴッ!! と、ソラの言葉の直後、ハンゾーの鼻っ柱に強い衝撃が走って、指一本で体全体を支えていたハンゾーは当然、派手に倒れた。

 同時に、ゴンは自分の入れた蹴りの衝撃に折れた左腕が耐え切れず、彼も転んで倒れる。

 が、すぐに体を起こして、左腕を押さえながら涙目で言った。

 

「って~~くそ!! ……でも、痛みとソラとの話のおかげで、頭はだいぶ回復したぞ!」

 

 それを聞いて、真っ先に反応したのはソラ。

 

「あーっはははははははははははは!! ゴン! ナイスタイミーング!!」

 もたれかかっていた壁をバンバン叩きながら爆笑し、ソラはゴンに向かってサムズアップ。それにゴンも、痛みに顔をしかめつつもちょっとドヤ顔で、同じくサムズアップして応える。

 

「よっしゃァアア! ゴン!! 行け!! けりまくれ!! 殺せ! 殺すのだ!!」

「それじゃ負けだよ、レオリオ……」

 ソラとゴンの反応に便乗して、レオリオもテンションが上がって無茶苦茶なことを言い出し、逆に冷静さを取り戻したクラピカが静かに突っ込んだ。

 

 そして蹴っ飛ばされた挙句に転ばされて顔面を床に打ち付けたハンゾーはというと、その打ちつけた痛みで反射的に出た涙と鼻血をぬぐう前に起き上がって、ソラに向かってキレた。

 

「てめぇ! あの長々とした話はこいつを回復させるのと、俺の注意をそらすためかよ!

 お前俺に何の恨みがあるんだ!?」

「な い わ け ね ぇ だ ろ」

「ですよね!! すみませんでした!!」

 

 しかしハンゾーの言葉に、急にソラは笑うのをやめて真顔で静かに言った。その様子の急変にゴンやクラピカ達はビビッて一瞬引くが、ハンゾーは何故か素直に認めてその場で土下座した。

 やはり何があったのかはわからないが、クラピカの「後でハンゾーを殴る」という予定がさらに強固になったのは言うまでもない。

 

「ゴン」

 土下座するハンゾーにゴンは呆気に取られていたが、土下座させているソラの方が早々にハンゾーから興味をなくして、相変わらず壁にもたれて腕組みをしたまま、ゴンに言った。

 

「君は本当に反省も学習もすることはしてるんだけど、した端から結局すっぽ抜けて意味が無い、いっそしない方が清々しくていいくらいのバカだな」

 もはや4次試験終了時の皮肉さえも被せず、率直な感想を淡々と述べるソラに、ゴンは一瞬肩を震わせてから、怯えるように、恐れるように俯いた。

 また怒られる、今度はあまりの馬鹿さ加減に失望される。そんな不安が見てとれるゴンに、ソラは困ったように一度息を吐く。

 

「ゴン、君に『魔法』をかけてあげるよ」

「え?」

 

 唐突な発言に、ゴンは顔を上げる。自分と同じように、きょとんとした顔でハンゾーも顔を上げ、他の受験生や試験管たちも怪訝な顔をしてソラを見ている。

 そんな周囲の反応をソラは無視して、彼女は笑っていた。

 晴れやかな笑顔は、まったく似ていないはずなのに何故かミトとカイトを連想させる、ゴンが一番安心できて、信頼できる笑顔だった。

 そんな笑顔で彼女はゴンに向かって指をさし、その指をくるくる回し、本当に魔法をかけるような動作をしながら穏やかに言葉を紡ぐ。

 

「そこに、意味は、ある」

 

 ゴンを真っ直ぐに指さし、言った。

 

「それに、価値は、ある」

 

 全身がハンゾーの拷問によってズタボロで、もっと早くに降参しておいた方がここで負けてもあと4回もチャンスがあるのだから、そっちの方が賢い選択だと誰もが思っていたのに、ゴンの味方だったレオリオやクラピカでさえゴンが間違えていると思っていた選択を、肯定する。

 

 ゴンが選んだ選択に、意味がある。

 ゴンがしたことに、価値がある。

 

 ソラは、そう言った。

 

「君は最終目標ばかり見て、足元お留守になって自滅同然のことばっかしてるけど、『本当にしたいこと』を絶対に見失わない、間違えない、手放さないのは偉い。そして、この試合は『それ』こそが一番大事。

 だから、今回は肯定してあげる。私で良ければ、君の愚直な意地に意味と価値をあげる。

 

 ――君の進みたい未来(みち)を私が整備してやったんだから、踏み外して迷走は許さないよ」

 

 それだけ言って、ソラはもう試合など見る必要もないと言わんばかりに、壁にもたれかかったまま目を伏せる。

 傍から聞けばゴンに対する激励に近い、ただの「おまじない」くらいの意味で使った言葉だと思うだろう。

 けれど、ゴンは知っている。ソラは決して自分が「魔法使い」だとは言わなかったこと。面倒だからと一緒くたになどせず、「魔術」と「魔法」を明確に分けていたことを、知っている。

 

 そんな彼女が、「魔法をかけてあげる」と言った。

 多くを認めた第二魔法、並行世界の運行、可能性の魔法使いの弟子がそう言った。

 

「――うん! ありがとう、ソラ!!」

 

 元より、諦める気も妥協する気も毛頭になかったが、なおさら諦める意味が無くなったゴンは輝くような笑顔で立ち上がった。

 

 * * *

 

「ソラの言う通りだ。そっちがいくら強くたって、俺は絶対に『まいった』なんて言わない!!」

 

 改めてハンゾーに折られていない右手で指さして宣言するゴンに、ハンゾーは不愉快そうに舌打ちしながら鼻血をようやくぬぐって言った。

 

「わかってねーぜ、お前。おれは忠告してるんじゃない。命令してるんだぜ。

 俺の命令はわかりにくかったか? もう少し、わかりやすく言ってやろう」

 

 言いながら、腕に巻いたさらしから刃物をすらっと取り出して、こちらも宣言する。

 感情の見当たらない目のまま、人形じみた不気味な薄ら笑いを浮かべて。

 

「――脚を切り落とす。2度とつかないように。

 取り返しのつかない傷口を見ればお前もわかるだろう。だが、その前に最後の頼みだ。『まいった』と言ってくれ」

 

 今度こそ、正真正銘の「取り返しのつかないこと」を実行すると宣言し、ソラによって完全粉砕された殺伐とした緊張感が蘇る。

 

「それは困る!!」

 

 しかし、速攻でまた粉砕された。

 ソラの「レオリオいつからハンゾーの仲間になったの?」発言と同じ沈黙がまたその場に落ちて満ちる。

 そしてゴンはその何とも言えない空気の中、真っ直ぐに堂々と言い放った。

 

「脚を切られちゃうのはいやだ! でも、降参するのもいやだ!

 だからもっと別のやり方で戦おう!」

「な……っ、てめーー自分の立場わかってんのか!?

 勝手に進行すんじゃねーよ、なめてんのか!! その脚、マジでたたっ切るぜコラ!!」

 

 あまりのわがまま発言に、レオリオは顎が外れそうなほど口を開けて唖然として、クラピカは「……ゴンがソラに似てしまった」と嘆いた。ヒソカは耐えきれなかったのか低く笑いだし、それにつられて堅物そうなボドロも噴き出す。

 

 当然ハンゾーはブチ切れて怒鳴り散らすが、それくらいでゴンは揺るがない。このくらいで揺らぐのなら、ハンゾーは一時間足らずで試験に合格している。

 ゴンは相変わらず真っ直ぐにハンゾーを見据えて答える。

 

「それでも、俺は『まいった』とは言わない!」

 

 言い切ってから彼は、しれっと付け加える。

 

「そしたら、血がいっぱい出て俺は死んじゃうよ。その場合、失格するのはあっちの方だよね?」

「あ、はい!」

 

 マスタの答えにゴンは胸を張って、ハンゾーにまたもや堂々と提案する。

「ほらね。それじゃお互い困るでしょ。だから、考えようよ」

「……! ……!!」

 

 ゴンの言っていることは、わがままであるが同時に正論でもあった。

 ハンゾーがゴンの脚を切り落とすことは容易だ。しかし、それをやっても本当にゴンが「まいった」と言わなければ、ハンゾーの不合格が確定する。

 彼の脅しは完全に自分の墓穴となり、逆にゴンによって脅される結果となった。

 

「……もう、大丈夫だ。完全にゴンのペースだよ。ハンゾーも、我々も全部巻き込んでしまってる。全く……」

 ゴン相手に何も言い返せず、だからと言って先ほどまでと同じような拷問も出来ずにタジタジとなったハンゾーを見ながら、クラピカは薄く苦笑してちらりと後ろで壁にもたれて目を閉じているソラに視線をやる。

 

「見る必要がないからと言って、さすがに寝るなよ」

「それはさすがにしないさ。むしろこれは、ハンゾーへの恩情だ。さすがにこのやり取りの後で敗北は見られたくないだろう?」

 ソラに注意の言葉をクラピカが掛ければ、彼女は目を伏せたまま答える。

 やはりゴンの勝利を疑わないソラに、キルアは無性に苛立った。

 

(なんだよ……!? 現状は何も変わってない!! ゴンがあいつより強くなったわけでも、折れた腕がくっついたわけでもない!!

 なのに、なんでこいつはゴンが勝つって信じて疑わないんだよ!? なんであの殺伐とした空気が、一瞬にしてこんなにゆるんじまうんだ!?)

 

 無性に腹が立って、苛立った。

 トーナメント表の試合回数が、チャンスの数が自分よりゴンの方が多かったこと、資質では自分がゴンに劣っていると暗にネテロに言われた時と同じ苛立ちが、胸の内を掻き毟る。

 

 その感情の名を、彼はまだ知らない。

 

 ゴンの提案を却下することも、提案を受けて何か違う戦い方を考えることも出来ず、戸惑っていたハンゾーが急に険しい顔になって、取り出していた刃物をゴンの額に突き付けた。

 刃物はゴンの額の薄皮を突き破り、一筋の鮮血がゆっくりと流れる。

 

 再び、緊張感が舞い戻る。

 今度は壊されなかった。ゴンも、ソラも黙っている。

 

 ソラは黙って、何も見ない。

 ゴンは黙って、真っ直ぐに見返している。

 

 そのまっすぐな目に、ハンゾーは答えた。

 

「やっぱり、お前は何にもわかっちゃいねェ。

 死んだら次もくそもねーんだぜ。かたや俺はここでお前を死なせちまっても、来年またチャレンジすればいいだけの話だ!!

 俺とお前は対等じゃねーんだ!!」

 

 ゴンの言っていることは正論だったが、それはあくまでこの試合での、今年のハンター試験合格にこだわった上での正論であり、長期的に見るならばハンゾーの言っていることの方が正しい。

 別にハンゾーは今年の試験で合格しないといけない理由などない。どうしてもゴンが引かないのであれば、自分をここまでコケにした少年を合格させるくらいならという自棄を起こして、殺されてもさほどおかしくないのが現状だ。

 

(その通りだぜ、ゴン。

 いくらお前やソラが口八丁で煙に巻こうが、お前とそいつじゃ戦闘経験に差がありすぎる。

 その差をこの場でなんてうめられっこない!! しょせん、実力差が全てなんだ……!!)

 

 キルアも同じようなことを思い、ゴンが折れることを願う。

 その願いは友人を案じているからか、それとも……自分にとっての「当たり前」が、「常識」がゴンによって壊されて、崩れ落ちるのが怖かったからかはわからない。

 

 数秒間、どちらも動かず、何も言わない。

 

 爆発寸前の緊張感の中、クラピカが半歩前に出る。

 ゴンに恨まれるのを覚悟で、最悪の事態を防ごうとしたのだろう。

 しかしその覚悟は止められる。

 

「クラピカ」

 

 後ろから声で、前からは手で制されて止められた。

 

 何故止める!? と言いたげにクラピカがレオリオを見れば、彼は先ほどの憤怒はどこへやら、何を期待するように薄く笑いながらゴンを見ていた。

 その表情に戸惑うクラピカに、ソラは後ろから静かに声を掛ける。

 

「大丈夫」

 

 そう言って、ソラは目を開ける。

 黒に近い、闇に似ているのに柔らかな光を灯すミッドナイトブルーの目で見た。

 決して揺るがない少年を、慈しむように、何も不安など抱かずに彼女は真っすぐに見た。

 

 そしてゴンも、真っ直ぐに見ている。

 刃物を額に突き付けられても、ゴンはどこまでも真っ直ぐにハンゾーを見据えている。

 

「――なぜだ……。たったの一言だぞ……? それで来年、また挑戦すればいいじゃねーか」

 

 その瞳は、揺るがない。光が消えない。

 真っ直ぐに、真っ直ぐに、彼はハンゾーすら見透かしてさらにその先しか見ていない。

 

「命よりも意地が大切だってのか!! そんなことでくたばって、本当に満足か!?」

 

 ゴンは、答えた。

 

 

 

 

 

「――親父に会いに行くんだ」

 

 

 

 

 

 揺るがない、失えない、手放さない、自分の最終目標。

 魔法使いがくれた道の先にあるものを。

 

 * * *

 

「親父はハンターをしてる」

 

 それは本当に、ただの意地でしかない。

 

「今はすごく遠い処にいるけど、いつか会えると信じてる」

 

 根拠など何もない。それこそ気休めの、「おまじない」のようなもの。

 

「……でも、もし俺がここで諦めたら、一生会えない気がする」

 

 けれど、手放せない。

 父が自分をどう思っていたかなんか知らない。会いたいとは思っているが、愛されたいとは別に思っていない。

 ただ、同じものが見れたらいいなと思った。

 

 あの日、自分を助けてくれたカイトが憧れるような人がどこで、どんなことをしているのかをただ知りたい。

 たったそれだけの思いだけど……

 

 何か一つでも妥協してしまえば、折れてしまえば、諦めてしまえば、もうそこへの道は閉ざされてしまう気がするから。

 仮に出会えたとしても、きっと自分は胸を張って対面することなどできないから。

 

 諦めてしまった自分は、もうあの日「会いたい」と思った自分とは別人になってしまう気がしたから。

 

 生きている意味を、なくしてしまいそうだから――

 

「だから、退かない」

 

 ゴンは答えた。

 例え自分にとって大切な人を泣かせる呪物に成り下がるとわかっていても、それでも意地を、プライドを、ゴン自身が絶対に手放さない、ゴンがゴンである為に、ゴンとして生きるために必要な「望み」を貫いた。

 

「退かなきゃ……死ぬんだぜ?」

 

 そう言ってハンゾーがわずか刃物をさらに前に突き付ける。

 薄皮一枚を突き破っていた状態から、肉の表面をかすかに傷つけた程度だが、痛みは確かにあっただろう。

 それでも、彼は表情一つ変えず、反射で後ろに退くこともしない。

 

 光が、消えない。

 

(理屈じゃねーんだな……)

 

 そう確信したからには、もう答えは決まってしまった。

 

「まいった。俺の負けだ」

 

 突き付けていた刃物を引き、さらしの中に仕舞いこんでハンゾーはゴンから背を向けて言った。

 言われた本人は、それを望んでここまで意地を張っていたというのに、信じられないと言わんばかりにポカンとしている。

 そんなゴンにハンゾーは呆れたような視線をやって、自分の降参宣言の理由を教えてやる。

 

「俺にはお前は殺せねェ。かといって、お前に『まいった』と言わせる術も思い浮かばねェ。俺は負け上がりで次にかける」

 

 答えられてゴンのフリーズが解凍されるが、この場合は解凍されない方がお互いの為だった。

 

「そんなのダメだよ、ずるい!! ちゃんと2人でどうやって勝負するか、決めようよ!!」

 

 本日何度目か、もう数えたくもないエアブレイク発言にハンゾーは一度笑ってから呟く。

「……いうと思ったぜ。

 バカかこの!! テメーはどんな勝負しようがまいったなんて言わねーよ!!」

 

 笑ってから、振り返ってゴンに指を突けつけて怒涛の勢いでキレた。笑ったのは、堪忍袋がキレて怒りが一周回った結果だろう。

 しかしゴンは、まだ揺るがないし譲らない。

 もはや意味不明な強情さで、完全にハンゾーに向かって逆ギレする。

 

「だからってこんな風に勝っても、全然嬉しくないよ!」

「じゃ、どーすんだよ!?」

「それをいっしょに考えよーよ!!」

「おーい。周り皆困ってるから、ちょっとストーップ」

 

 もはやただの子供のケンカになってきたやり取りに、受験生はもちろん立会人であり審判のマスタも困り果てたので、ソラがひょこひょこ近づいて来て仲裁する。

 ちなみに本来仲裁すべき最高責任者ことネテロは、ハンゾーとゴンのやり取りをおかしげに笑っていた。仕事しろ、ジジイ。

 

 とりあえず二人の間に入ったソラが、呆れたような目でゴンを見ながら向き直り、まずはゴンの言い分を簡単にまとめたものを確認する。

 

「……ゴン。要するに君は、負ける気満々のハンゾーにもう一回、勝つつもりの真剣勝負をしてもらい、その上で君が気持ちよく勝てるような勝負方法を一緒に考えろって言いたいの?」

「うん!!」

 

 素晴らしくいい返事を、同じくらいいい笑顔で言い放ったゴンにソラは、微笑みかける。

 ハンゾーに渾身のビンタを決めた時と同じ、実に女性らしくて美しい花の貌だが目が一切笑っていない笑顔に不穏さをゴンが感じ取った時には、遅かった。

 

 ガゴン!! 重くて鈍い、痛そうな音がしたと同時にゴンの眼から星が飛び出て、そのままぶっ倒れる。

 ソラが無言で垂直に振り上げた足が振り落とされ、ごついエンジニアブーツの踵が見事ゴンの脳天に直撃した。死んでもおかしくなさそうな踵落としが決まったが、当然ながら誰もゴンの心配をしなかった。

 

「誰がそこまでわがままを貫けって言った? 意地を貫け、意地を」

 ぶっ倒れたゴンを呆れ果てたように見下ろして言い捨てる。

 それからソラはゴンを肩に抱え上げて振り返り、ハンゾーと向きなおって伝える。

 

「とりあえず、私の発言がこのわがままの一端なんで、責任は取っておいた。なんかごめん」

「……それは、感謝するわ」

 

 割と本心から、ハンゾーは答えておいた。




途中で切りどころがなかった為、原作で2話分のハンゾーVSゴンを1話にまとめたらめっちゃ長くなってしまった。
けど久々の原作沿いにソラのエアブレイクを書けたから、楽しかったです。

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