死にたくない私の悪あがき   作:淵深 真夜

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37:セレストブルーに届いた

 守りたかった。

 

 たった一人の、血の繋がりもなければ紙の上での関係すらない。

 生まれた世界さえも違う、「魔法」のような「奇跡」と「運命」のような「偶然」が重なって出逢った。

 そして、互いに「家族になりたい」という願いによる「必然」で、どうしようもなくぎこちなくて曖昧で、結局のところ偽物にすぎないけれど……それでも確かに、離れがたい、愛しくて大切な家族になった。

 

 ソラが一方的に思っているにすぎないけれど、それでも何よりも誰よりも大切な、生きる意味そのものである最愛の弟を守りたかった。

 

 けれど、あまりに足りなかった。

 

 何もかも足りない。

 武器である宝石は、もうすでに使い果たした。

 ソラが撃ち出すガンドの威力では、牽制にしかならない。

 頼みの綱の「直死の魔眼」ですら、それは直接ソラが「線」や「点」を突かなければ、ただ視界から消えない邪魔なものでしかない。

 

 どうしようもなく、力が足りなかった。

 それでも、ソラは諦められなかった。

 

 自分が諦めたら、自分が死んだら、それこそ彼は、弟は、クラピカは絶望する。

 そして、その燃え盛る業火のような憤怒と絶望を刻んだ緋色の眼が抉られて、殺される。

 

 それだけは、嫌だった。

 死にたくなくて死にたくなくて死にたくなくて、足掻きぬいた先で出逢った生きる意味である彼の心の中に、思い出の中にでも自分が生きていれば、もしかしたら逃れることが出来ない終わりも怖くなくなるかもしれないと期待したからこそ、そんな風にクラピカの中に自分が絶望として刻まれることも、そんな風にクラピカも、彼の記憶と心の中で生かされる自分が死ぬのも嫌だった。

 

 だから、また足掻いた。

 

 クラピカの全てを奪った、クラピカの心の大部分を殺した絶望のまがい物。

 幻影旅団を騙った、偽物にして同じくらい罪深い集団と対峙しながら、ソラはまた自分自身の大きな何かを壊しても、手放さないと決めたものだけを守るために、悪足掻く。

 

 死にたくないから、生きていたいから、足掻いた。

 

 そうして、得る。

 

 物事には、何にでも代償が必要だ。

 無から何かを得ているように見えて、それは必ずどこかで得たものと同じだけの何かを支払っている。

 本当に無から何かを生み出すこと……、「無の否定」はそれこそ「奇跡(魔法)」の領域。

 

 だから、ソラは支払った。

 

 守りたい人がいる。

 敵は直死の間合いの外。

 長時間かけて戦えない傷。

 

 それらのハンデを負っても、諦めきれなかった。

 

 だからそれらの「ハンデ」を、「チップ」として支払った。

 

 そしてまた今も、支払う。

 

 偽物にして本物の奇跡を、手に入れる為に。

 守り抜きたいものを、手放さない為に。

 

 ――守り抜きたい、生きる意味そのものが今、自分の背に手を伸ばしていることにすら気づけないまま、ソラは叫んだ。

 

 * * *

 

虚構細工(キシュア・ゼルレッチ・)宝石剣(シュバインオーグ・レプリカ)!!」

 

 ソラは投影し、具現化した宝石剣を振るい、魔力(マナ)そのものの光の斬撃を放つ。

 

 本来ならば「直死の魔眼」以上にソラが得られるはずのない、奇跡の一撃。

 

 魔術の系統でも念能力の系統でも、魔力(オーラ)そのものを他の何かに変質させて具現化するという芸当は、ソラには不可能とまではいかなくとも、かなり不得手かつ取得には相当な時間が掛かるほど相性の悪いもの。

 しかし、物事には何にでも「例外」が存在する。

 

 この「宝石剣」を投影した「正義の味方」こそ、その典型例。

 後天的に起源も魔術属性も「剣」というあまりに特殊なものに変質してしまったがゆえに、魔法級の、世界を塗り替える魔術のみに特化している彼と同じく、ソラは「例外」となった。

 

 あの日、あの歪み狂い穢れ果てた聖杯が安置されていた大空洞から「 」に落ちた際、自分の体と一緒に融けて、そして無理やり構築し直した体の中に混ざった異物。

 もはや異物としては認識出来ないほど、何の意味もなさないほど分解されつくして溶けきっていても、それが「宝石剣」であった事実は失われない。

 

 自分の一部として取り込んだ、確かに「有り得ないが存在するもの」だからこそ、そしてソラの魔術属性が「有り得ないが具現化するもの」である「架空元素・無」だからこそ生まれた「例外」であり、正確に言えばこれは投影魔術でも具現化系念能力でもない。

 自分の骨、血、肉の一部となったものを抉り出して武器としての機能と形を再生させ、使用するような行為にすぎないからこそ、投影魔術など学んだことがなくとも、念の系統が具現化系からかなり遠い強化系であっても、これだけは、「衛宮士郎が投影した宝石剣」だけは形作ることが出来るという「例外」だった。

 

 ……しかし、それは順当に修行をしていればという前提を含んだ話。

 正しい手順で修業をしていれば、強化系能力者でありながら、宝石魔術の使い手でありながら、正統派具現化系や衛宮士郎と同じぐらい、「宝石剣」に関しては100%の精度で自由自在に物質化して使いこなす「例外」になっただろう。

 

 だが、3年前のソラにそんな代償は払えなかった。

 幻影旅団を騙ったならず者の集団から、クラピカを守り抜くには時間を代償にした力なんて意味がない。

 だからソラは、別のもので支払って本来ならば数年後に得るはずだったものを手に入れた。

 

『守りたい人を守れたら、それだけでいい! 自分のためになんか使わない!』

『直死が使えないから、別の力が欲しいんだ!』

『こんなところで無駄に垂れ流すくらいなら、私の血を、私の命を代償にして、何かを! 何でもいいから力が欲しい!!』

 

 あの絶望的な状況を打破するだけの力が欲しかった。

 だからこそあの絶望を、「ハンデ」を「チップ」として支払った。

 正当な「年月」と「鍛練」という代償ならば、支払い終えたらいつだって自由自在に扱えたはずのものを、いくつもの条件下とさらに細やかな制約で縛りつけることで限定的に行使可能とした魔術にして礼装。

 

 それが、(うろ)から構築されし奇跡の欠片。

 

 虚構細工(キシュア・ゼルレッチ・)宝石剣(シュバインオーグ・レプリカ)

 

 光の斬撃が解き放たれる。

 ソラから消耗されるオーラ以上という矛盾すらも切り裂くような一撃。

 それもそのはず、この斬撃に矛盾などない。ソラが支払っている魔力(オーラ)は、宝石剣の具現化と、宝石剣の性能の一つ、「隣り合う平行世界へ繋ぐ、極小の『孔』を穿つ」ためのもの。

 刀身にまとうオーラ、放たれる光の斬撃はソラの物ではなく、その「隣り合う平行世界」の大気から持って来た魔力(マナ)

 

 別の世界から無尽蔵に魔力を汲み上げて、光の斬撃として解き放つというシンプルさゆえに、対処が難しい。

 使い手によっては、それこそ本物を作り上げた魔法使いならば、星そのものの精霊が月を落としてこようが質量で押し切って月を破壊して防ぐことも可能である。

 

 なので、ヒソカは運が良かったと言っていいだろう。

 いくら別の世界から無限に魔力を汲み上げるとはいえ、その汲み上げる量は使い手による。

 魔法使いが一度に汲み上げられる量が海に匹敵する程ならば、ソラが汲み上げられる量などせいぜいマグカップ一杯分ほど、魔法使いが放つ斬撃の威力が対空ミサイルならば、ソラの一撃は玩具の水鉄砲に過ぎない。

 

 ……もちろんそれはあくまで、魔法使いと比べた話ではあるが。

 

 * * *

 

 地震のような衝撃とともに、斬撃が壁に大穴を開ける。

 建物そのものが倒壊しなかったのは、その斬撃の威力があまりに鋭く壁を紙のように切り裂き、穴というより紙にカッターで突き破ったような縦に真っ直ぐな割れ目という形で納まったから。

 

 その威力を、誰もが呆然と……どの試合も眠そうな目で眺めていたネテロでさえも、目を見開いてその穴を見つめていた。

 

 それに目も向けないのは、二人だけ。

 

「……くくっ、はーははははははははっ!!」

 

 哄笑を上げてヒソカは駆け、オーラを纏ったトランプを振るう。

 避けつつわずかに触れそうだった左腕は“凝”どころか“硬”を施したが、それでも斬撃はヒソカのオーラを貫通し、左肩にはトリックタワーで受けたような右と同じような位置に、比べ物にならぬほど鋭く切り裂かれたのがわかる生々しくて痛々しい傷を負った。

 

 しかしヒソカは自分の“硬”による装甲すら貫通したその威力に、脅威を感じるどころか狂喜乱舞しながら、鮮血と狂気と殺気をまき散らし、叫ぶ。

 

「ははははははっ!! ソラ! キミは本当に本当に本当に素晴らしい!!

 さあ! もっともっと見せておくれよ! キミの『魔術』とやらを!!」

 

 ヒソカの狂った哄笑に、ソラは低く、静かに答えた。

 

「――――殺す」

 

 ヒソカとは別種の狂気のままに、セレストブルーの目は宣言する。

 

 そして、その宣言を実行するために、「殺戮」を犯すために彼女も駆ける。

 

「!? ソラっ!!」

 

 背後の声は、聞こえていない。もう、自分の名前すらわからない。

 守りたいから、何を犠牲にしても守りたいから、自分の守りたかった大切な何かすら捨てても守りたかったから。

 だから、その守りたかったものすら忘れてしまうという、あまりに惨い矛盾も壊れた心では認識できない。

 

 トランプが突き刺さったままの、鮮血で染まった自分の背中に誰が、どんな顔で手を伸ばしていたかもソラは気付くことなく、駆け出した。

 

 刀身に纏うそのオーラ量に、ゾクゾクと背筋を疾走する絶頂に近いものを感じながらも、ヒソカは距離を詰める。

 しかし、ソラの方が今度はヒソカが近づくことを許さない。駆けだしつつも、彼女はヒソカから一定の距離を取って、剣を振るう。

 

「世界を、穿て!」

 

 叫び、振るい、斬撃を放つ。

 剣が振るわれる軌道に斬撃は現れ、真っ直ぐに撃ち出されるので、実はヒソカでなくとも回避はさほど難しいものではない。

 が、斬撃の大きさはゆうにヒソカの身長を超えている。一撃一撃が高レベルな念能力者の“硬”を貫通させるほどの威力でそんな大きさの斬撃に、またしても会場は阿鼻叫喚に陥る。

 しかも先ほどまではまだ、なんだかんだで他の受験生を巻き添えに殺してしまえばその時点で試合終了だったからか、ヒソカはどうやら一応は手加減をしていたらしい。

 

 その手加減に気付いてしまう程、もうヒソカはもちろんソラもハンター試験であることを完全に忘却し、死闘となった会場内に安全な場所などない。

 

 受験生たちは会場から逃げ出そうと辺りを見渡すが、一歩動いた途端にその逃げようとした方向にトランプや光の斬撃が飛び交い、結局のところその場で二人の戦いから目を離さず見ることしかできない。眼を離してしまえば、それこそ自分の方に攻撃の余波が来てしまった時に対処が出来ないからだ。

 

「会長! 何してんですかー!! これもう試合は中止でしょう!!」

「うーむ……。そうしたいのはやまやまじゃが、今の所どちらもルールは犯してないしのぉ。先ほどのヒソカの攻撃も、結局受けたのは対戦相手のソラの方じゃし」

「死者が出るのは時間の問題ですよ!」

「っていうか、死人が出る前にここが倒壊する!! どう考えても止められるのは会長だけなんだから、何とかしてー!!」

 

 試験官側も、ろくな対処が出来ずにほぼ全員がネテロに泣きついた。

 プロハンターで全員が念能力者と言えど、その実力はピンキリである。プロの中でも数少ないレベルで念の精度が高く武闘派な二人の死闘に乱入して取り押さえて試合を中止させることが出来るのは、間違いなくハンター協会最強のネテロだけなのだが、本人はどうもあまり止める気はないらしい。

 

 それはさすがにネテロもこの死闘に横入りする勇気がなかったのか、それとも乱入してしまえば血沸き肉躍る久方ぶりの闘争本能を押さえきれそうになかったからかは、わからない。

 わからないが、なんだかんだでさすがは協会のトップ。

 ネテロは自分の髭を撫でながら、冷静にぽつりと呟いた。

 

「まぁ、そこまで決着に時間はかからん……というかかけられんじゃろう」

 

 ネテロの言葉を肯定するように、ヒソカは相変わらずヤバいくらいのテンションでソラにトランプを投げつけ、バンジーガムで繋がったがれきをソラの死角から跳ね飛ばしながら、尋ねた。

 

「どうしたんだい、ソラ? オーラのペース配分を間違えるなんてキミらしくない♦ ボクはまだイってないのに、先にイくなんてずるいなぁ♠

 イくならイくで、最後にもっともっとボクに見せてよ! 脳髄まで駆け巡っていきり立つくらいの、キミが引きずり出す『死』を!!」

 

 ヒソカの危なすぎる発言を普段ならばブチ切れるか狼狽えるソラが、酷く冷めているようにも、灼熱しているようにも見える、美しすぎてこの世のものではないセレストブルーで受け流す。しかし無視しながらも、ソラの呼吸はヒソカの言葉を肯定するようにやや荒い。

 

 当然である。背中に刺さったトランプは、ヒソカとの交戦でいくつか抜けてしまい、出血がさらにひどくなっている。

 それだけではなく、宝石剣の斬撃は平行世界からの魔力(マナ)で賄っているが、宝石剣を物質化すること、平行世界に繋がる「孔」を穿つための魔力(オーラ)はソラ自身のもの。

 

 順当に正しく修行をしなかったせいか、これも3年前のあの日、無意識・無自覚に制約(ルール)として組みこんだのかは不明だが、ソラの具現化した宝石剣はオリジナルとはもちろん、士郎が投影したものと比べても、欠陥が多い劣化品。

 威力だけを本物と同等にまで求めた為か、本来なら最初に「孔」を穿てばそこから平行世界のマナを自分に取り込んで消費した魔力を回復して無限に扱えるはずが、ソラの宝石剣は光の斬撃に「孔」から取り込んだ魔力を全て使ってしまう。

 なので、宝石剣を具現化し続けるのも「孔」を穿つのも、それらは全て自分の魔力で賄わなければならない。

 

 挙句、士郎の宝石剣はオリジナルと違って振るうたびに筋肉繊維が一本ずつ引きちぎれるという副作用があったが、これがソラの宝石剣では増幅して、一度振るうごとに一本なんて優しいものではない激痛が走る。

 

 強力かつどこに攻撃を仕掛けてくるかが予測不可能な直死だが、「死」を捉えるソラ自身が干渉しなければ効果がないため、近接戦、肉弾戦も優れるヒソカ相手なら強化系と変化系なんて系統の違いも、男女の性差と体格差で無効化され、ソラの方が不利である。

 なので、遠距離から飛び道具を選んだソラの判断に間違いはないが、元々時間などは掛ける余裕などない戦いだった。

 

 そんなこと、ヒソカよりもネテロよりも、ソラ自身が一番よく知っている。

 

「……足りない」

 

「殺す」宣言から初めて、ソラが口にした言葉はそれだった。

 いつもの騒がしさなど面影もなく、無機質な声音で吐き捨てるように呟いて、ソラはツナギのポケットから取り出した。

 小さなバタフライナイフを。

 

 それを見て一瞬だけイルミが不審げに顔を歪めたことに、テンションはハイでも戦闘に関しては常に冷静に頭を働かせているヒソカが気付く。しかしさすがに何故ソラがナイフを取り出したことを、不審に思ったのかはわからなかった。

 

 イルミ自身も、なぜ自分が何の変哲もないナイフを不審に思ったのかがよくわからなかったが、思い返してみれば暗殺者という職業柄、同じ相手と4度も戦うことはほとんどなく、そのイルミとしては屈辱的なほど多い過去の戦闘を思い出すと、違和感に気付く。

 その全ての機会でソラは、刃物を決して武器として使っていなかったことを思い出した。

 

 まるで見せつけるかのように、もしくは制約か何かなのか、いつも刃物ではなくその辺にあるものを使って、人体や鉄筋はもちろん念能力そのものも切り裂いていたソラが、刃物を取り出したことを一瞬疑問に思ったが、その疑問は早々に解決する。

 

 右手に宝石剣を持ったまま、左手でバタフライナイフの柄を持ってそのまま柄に収納されていた刃物をクルクル回して取り出す。

 そして、一瞬だけ両手をクロスさせたかと思えば、バタフライナイフが床の上に落ちた。

 落としたのではなく、捨てた。

 宝石剣を握る自分の右手首を切り裂いたナイフを、無表情でソラは投げ捨てた。

 

『!?』

 

 あまりに唐突かつ思い切りの良すぎるリストカットに、またしても会場内の全員、ヒソカでさえも度肝を抜かれる。

 もちろん、カッコつけたバタフライナイフの取り出し方を豪快に失敗した訳ではない。

 

 自分の手首を切り裂いて血が噴き出た瞬間、痙攣のようにビクンと背をのけぞらせてながらもソラはオーラを増幅させ、そして増幅される端から消耗されてゆく。

 剣が纏うオーラは相変わらず、ソラが消耗するオーラの量と矛盾して明らかに過分だったものがさらに数倍と膨れ上がり、念能力者でなくとも放たれるオーラの余波で肌にビリビリとした痛みを覚えるほど。

 

 元々、「 」から落ちてこちらにやってくる前までのソラの魔術回路のスイッチの開き方は、軽くとは言えど自傷だった。

 だからこそ、この制約はソラにとっても馴染んだ当たり前の等価交換。

 

 自分の傷が深ければ深いほど、流す血が多ければ多いほど、宝石剣が並行世界から汲み上げる魔力の量を増幅させる。

 

 ソラがしたことは、さらに制約(チップ)を払い、威力を底上げしただけのこと。

 本人はもう、そうとしか認識できない。

 その行為は自分の命を削っているということが、認識できていない。ただ、目の前の敵を排除することだけしか考えられない。

 何故、自分がそんなことをしているのかすら、もうその理由も怒りすらも覚えていない。

 

 ただ、敵を殺さなければならない、そうしないと生きてゆけないということだけを認識して、ソラは笑った。

 ヒソカのように命の取り合いを愉しんでいる笑みではなく、勝利を確信した不遜の笑みでもなくそれは、そのセレストブルーの目が捉える死の運命から逃れられない脆弱な人間に対する、慈しみさえもいっそ感じられる憐れみの笑み。

 

 この世のものとは思えぬほど美しく、この世にあってはならぬほど人間性が欠如した、死神の笑みを浮かべ、ソラは自分の血にまみれて毒々しく輝く宝石剣に命じる。

 

「――世界を、穿て」

 

 * * *

 

 その宣言に、死神の笑みにヒソカは狂った喜悦の笑みを浮かべ、躊躇なく距離を詰める。直撃したら自分の体が真っ二つならいい方、跡形残さず消滅してもおかしくない一撃が来ることを理解しているからこそ、そんな大きな一撃を外してしまえば、その外した直後に間合いへ潜り込むことが出来れば、この死神を殺せると計算したのだろう。

 

 こちらはこちらで、死というリスクを正しく知った上で自分の命をチップとして支払い、最高のスリルと低い可能性をつかみ取っての勝利を得るために、奇術師は死神の鎌と化したトランプを携えて駆ける。

 

「ソラ! 何してんだよ!!」

「もうやめろ! まいったとか言わなくていいから逃げろ!!」

 

 レオリオとキルアは、叫ぶ。

 初めからずっとずっと叫び続けている。

 自分たちがヒソカとの死闘の巻き添えに遭いたくないからではなく、ソラの安否だけを案じて、背の傷も自ら負った手首も、まるで自分たちの傷のように顔は苦痛で歪んでいる。

 

 それでも、声を張り上げて、届くことを願って叫び続ける。

 たとえ一度も彼女が、自分たちに目を向けなくとも。

 

『会長!!』

「うむ! さすがにこれはいかん!」

 

 そして試験官たちが同時にネテロに縋るように、もしくは逆ギレ同然に叫んで視線を向け、ネテロもさすがに重い腰を俊敏に上げた。

 

 そして、行う。

 出来る限り二人を穏便に止めるため、ネテロが即座に選んだ手段は彼が約60年前に、悟り、会得した、これもソラの世界で言えば「魔法級」と呼ばれる一つの至高。

 100というさほど多いとは言えない有限の型を、走馬燈じみた時間の圧縮を錯覚させる程の刹那で放つ、ネテロが編み出し未だネテロ以外には至れない武術の極み。

 

 百式観音。

 

 その型は零の手を除き全て、両掌を拝むよう祈るように合わせる所作から攻撃に移るという、戦闘においては無意味で余分な動作が必要だが、その動作こそネテロをその高みにまで至らせた祈りそのものであり、矛盾しているようだがこの動作無くして、刹那という単位すら長いと感じる速攻は行えない。

 

 だから、これはただの偶然。

 ネテロの百式観音のスピードを超えた訳ではない。

 ネテロが行動に移すだいぶ前に、行動に移したから先回れただけの話。

 

「――虚構(キシュア)……」

 

 けれど、確かに早かった。

 ソラの一撃より、ヒソカの攻撃より、ネテロの百式観音よりも。

 その祈りは、願いは、望みは真っ先に響き渡る。

 

 

 

 

 

「ソラアアァァァァッッ!!」

 

 

 

 

 とうにヒソカが興味をなくして解除されて、自由になった足で立ち上がる。

 そして、叫ぶ。どこにいても、遥か彼方に離れても、世界の裏側に渡っても届かせるつもりで、叫んだ。

 

 伸ばした手が届かなかった時、呼び止めた声が届かなかった時、挫けて諦めてしまった。

 やはり自分では、彼女の狂気を加速させて余計に壊すだけで、何も出来やしない。そう思ってしまった。

 

 止められなかった。

 今更、止めてしまえばそれこそソラはヒソカの狂気の餌食となる。この死闘の最中で「殺したくない」という甘さは、ソラの自傷以上に自分の命を削る行為だと思った。

 

 けれど、あの笑みを見た瞬間、諦観も無力感も全てを忘れて、ただ叫んだ。

 どんなに言い訳しても、正当化しても、諦めきれない、無力だと思い知らされても、何もできなくても、子供のわがままのように願いを泣き叫ぶだけに過ぎなくても、足掻き抜きたい願いが溢れ出て、叫ぶ。

 

 ソラの狂気を肯定するからこそ、それだけは受け入れられない。

 彼女自身も受け入れたくなかったから、どんなに壊れてもそれだけは守り抜きたいと望んでいたものだから、だから届かなくても、喉が裂けて声を枯らしても、それでも叫び、訴え、そして手を伸ばす。

 

 ソラがソラであることを守り抜くために、生きていたい世界から踏み外さぬように、その手を必ず掴めるように、クラピカは叫んだ。

 

 

「やめろ、ソラ!! お前は、『生きていたい』んだろうが!!」

 

 

 止めれば、ソラの方が危ない。ソラの方が殺されるのはわかっていた。

 だから止めるべきではないと自分に言い訳して、正当化したが、無理だった。

 この状態でソラがヒソカを殺せば、もうソラは戻れない。あのかろうじて保っていたバランスは、もう取り戻せない。

 

 そう思ったのは、理屈ではない。

 ただ単純に、あの笑みが嫌だった。見たくなかった。ソラのものとは思えなかった。

 ソラのしようとしていることは、ヒソカを殺すことではなく、ソラ自身を殺す行為にしか見えなかった。

 

 だから、叫んだ。

「生きていたい」のならば、ただ「死んでいない」だけに過ぎない存在に成り果てたくないのなら、思い出せと懇願した。

 

 その願いが、望みが、祈りが響いた直後、ソラは走り出す。

 ヒソカの方へ、背後の手を伸ばしたクラピカに見向きもせずに、宝石剣を構えたまま相手と同じく距離を詰めて、そして叫ぶ。

 

虚構細工(キシュア・ゼルレッチ・)宝石剣(シュバインオーグ・レプリカ)!!」

 

 その反応に、レオリオとキルア、そして他の受験生や試験官たちは絶望的な顔をした。

 この祈りさえも、あの狂気には、死神には届かなかった、と。

 

 しかし、二人だけが気付いた。

 ネテロは、一度合わせた両手をそのまま静かに下ろす。

 

 クラピカは、零れ落ちかけた涙を拭って、真っ直ぐに見た。

 

「……なんちゃって」

「!?」

 

 あまりに澄みきっているからこそ、深く淀んでいるようにも見えるセレストブルーの瞳のまま、ソラは舌をチロリと出す。

 その瞬間、ヒソカと拮抗するほどの殺気が霧散する。彼女が持つ宝石剣が、光の粒子となって消えていくのと同じように。

 

 ヒソカに対して「してやったり」という顔をしたソラは、相変わらず黙っていれば美人なのに口を開けば残念この上ない、いつものソラだった。

 人間らしい、晴れやかな笑顔だった。

 

 * * *

 

 元々、この宝石剣は近接専用の直死が使えない・役に立たない状況で、直死に代わる遠距離対応の力が欲しくて得たもの。

 制約として「直死が使えない間合いに敵がいる」状況でしか、具現化出来ないもの。

 

 だから、直死の有効範囲内に入った瞬間、宝石剣は形崩れ、刀身に纏っていた光の斬撃もただの魔力(オーラ)そのものに変わる。

 代わるだけで、オーラそのものが消失するわけではない。

 

 宝石剣を失ったことで光の斬撃は維持も構成も出来ないが、同時に「光の斬撃のみに使う」という制約が失われ、並行世界の魔力の使い道は自由になる。

 さすがに全てとはいかない。半分どころか1/10にも満たないが、それでもソラは並行世界からかき集めてきた魔力を自分に取り込み、そのオーラの大半を右手にかき集め、ヒソカの振るったトランプを彼の拳ごと掴んで止めた。

 

 宝石剣の消失とソラが正気に戻ったこと、そしてどんな攻撃も避けるか受け流してきたソラが、真っ直ぐに受け止めるのは完全にヒソカの想定外。

 しかし、同時にこの好機を見逃しなどしなかった。

 

 受け止められた拳のオーラを増幅させて、バンジーガムを貼りつけると同時に蹴りつけた。

 ソラの直死でバンジーガムか、バンジーガムごと自分の腕か、それとも蹴りつけた足を切り裂かれるリスクは承知の上。むしろ、その自分の手足を代償に生まれる隙を狙っての行動だった。

 

 しかし、ヒソカの思惑は外れる。

 ソラが正気に戻れば防戦一辺倒であることを理解していたが故の計算だったが、自分のそういう所を知られていることなど、ソラ自身も理解している。

 だからこそ、それこそが唯一の付け入る隙。

 

「!?」

 ヒソカの膝蹴りがソラの鳩尾に思いっきり入るが、驚いているのは血ヘドを吐くソラよりも蹴りつけたヒソカの方だった。

 ソラは蹴りつけられても、逃げず、ヒソカの手足を切り落としもせず、かき集めていたオーラを少しだけ腹部に回して最低限のガードを施し、手を伸ばす。

 ヒソカの左腕。

 ヒソカがクラピカに攻撃を仕掛ける前に施した、「呪い」が内包する傷口を掴み、そこに思いっきりオーラを送り込んで、蹴りつけられた嘔吐感を無理やりねじ伏せて叫ぶ。

 

「私に、隷属しろ!!」

 

 パンッ! とソラの叫びの直後、何かが弾けるような音が響く。

 音と同時に、会場内でソラ以外の全員が驚愕し、目を見開いた。

 

 ヒソカの体が一瞬で、血に染まった。

 全身ではない。ごく一部だが唐突にヒソカの体から血が噴き出た。

 特にひどい出血は、背中と右手首。

 

 ソラと全く同じ位置から血が噴き出たこと、そして腹部の、自分がソラを蹴りつけた位置に自分も鈍痛を感じたことで、今度こそ完全に虚を突かれる。

 ヒソカの意識が刹那、ソラから完全に離れたその瞬間、その隙をずっと待っていた。

 

「まいった!!」

 

 勝利宣言のように清々しく、実にいい笑顔でソラは宣言した。

 

 * * *

 

「結局、お前が負け上がんのかよ!」

 

 ソラの宣言がある意味で気付けになったのか、唖然としていたレオリオが勢いよく突っ込んだ。

 それに負けじと、ソラが怒鳴りつける。

 

「当たり前だ! こいつはゴンとは逆ベクトルで同じくらい言う訳ねーだろ!!」

 

 言いながら、ソラは自分の左手に貼りつけられたバンジーガムを直死で切り離すと同時に、その場に座り込んだ。

ソラが座り込んだ直後、弾かれるように二人が飛び出して駆け寄り、そして叫ぶ。

 

「ソラ!!」

「っこの! 大馬鹿者!!」

 

 キルアが泣きそうな顔で駆け寄り、クラピカの方はかろうじて涙が溢れ出していないぐらいに涙を溜めて、叫ぶ。

 

「何してんだよ、お前は!! あんなもん出せるんならもう初めから出しとけ! っていうか何でリストカットしてんだよ!? お前は死にたくないのか自殺志願なのかどっちだ!?」

「どうしてお前は、いつもは死にたくない死にたくないと言っているくせに、肝心な時ほど自分を大事にしないんだ!! あんな逃げられずに座り込んだオレなんか見捨てたらよかったんだ!

 ……いや、違う。悪くない。ソラは悪くない、何も悪くないのはわかってる。オレが全部悪いんだ。それはわかってる。……すまない、……本当に、すまない」

「お前ら、言いたいことが山盛りなのはわかるけど、とにかくそれは後にして止血しろ!!」

 

 キルアが半泣きでひたすらにソラのやらかしたことに対して怒り、クラピカも同じように怒っていたが途中で自虐スイッチが入って謝り続けるのを遮って、レオリオが試験官が持って来たタオルを奪っててきぱきと手首に巻いたり背中を押さえる。

 ソラの方は本当に限界が近いのか、キルアとクラピカに「あー、ごめん。マジごめん。ホントごめん」を顔面蒼白で繰り返し、しがみついて泣かれようが腕や背中にタオルを押し付けられようがされるがままである。

 

「おい、とにかくこいつの傷塞いで輸血すんぞ! それまでこいつの試合は延期でいいよな!?」

「……あの、レオリオ選手。手伝ってくださるのはありがたいのですが、それはこちらで手配しますのでとりあえずお下がりください」

 

 医者志望の為、かなり正確に応急処置を施して試験官に指示を飛ばすレオリオに、試験官はやや困惑しながらこちらも指示を出す。

 言われて自分がやる必要がなかったことにようやく気付いたレオリオが少し赤面して下がり、向こうの言う通りあとは試験官達に任せようと、ソラから引っ付いて離れない二人の首根っこを掴んで引きはがす。

 

 その前に、ソラが手を伸ばす。

 クラピカの柔らかな金髪に、無傷の左手を伸ばして撫でた。

 

「ソラ……」

「クラピカ。君は悪くないから」

 

 クラピカがまた、泣きながら謝ろうとする前にソラは言った。

 いつもと比べて覇気がない、顔色も血の気を無くして紙のように白いのに、汗がにじんだ顔を上げて、笑って言った。

 死神の笑みではなく、その名にふさわしい晴れ晴れとした笑顔。

 クラピカが望む笑顔で、ソラは言う。

 

「君は悪くない。あの時、逃げられなかったのも避けられなかったのも転んだのも、あれは本当にクラピカの所為じゃない。慰めじゃないよ。マジであれ、ヒソカの罠だから。

 だから、お願いだから自分を責めるな。普通に全部ヒソカが悪いから……だから、……えーと、……まぁ、あれだ。後でヒソカを殴れ」

「……わかった。殴る」

「待て、わかるな」

「何をわかったんだよ、お前」

 

 クラピカの頭を撫でながら、ソラがそもそもこうなった元凶はヒソカであって、クラピカに非はないとフォローするが、さすがに疲れ果てているのかただ単に面倒くさくなったのか、ソラは最終的に雑な纏め方をして、色んな意味で感情が昂ぶっているクラピカも妙な素直さを見せ、レオリオとキルアが同時に突っ込んだ。

 

「くくっ、ボクも重傷なのに怖いなぁ♠」

 妙にコントじみたやり取りに笑ったのは、ソラの敗北宣言を無視して反撃せず、黙って今まで4人のやり取りを見ていたヒソカだった。

 4人全員が心底不快そうな目でヒソカを睨み付けるが、ヒソカはソラと同じぐらい血まみれのままケロッとした顔でその視線を受け流し、結局は消化不良に終わったはずなのに、割と機嫌良さそうに笑って尋ねた。

 

「ソラ、一応訊くけどボクに何したの?」

「私の傷をそのまんまお前に返しただけだよ。……死痛共有の呪い。名前の通り今、お前と私の痛覚は共有してる。

 魔術師舐めんな。呪いは得意分野だっつーの」

 

 自分の手の内をさらすとは思っていなかったので、本当にヒソカとしては一応以外の何ものでもなかった問いに、ソラは即答してから中指をおっ立ててクラピカに「やめろ!」と叱られ折りたたまれた。

 とはいえ、別にバカ正直に晒したわけではない。実際、呪いが得意分野など大嘘。ソラにとって黒魔術や呪術系は大の苦手分野である。

 

 ソラがヒソカに掛けた呪いは、その名の通り対象に自分と痛覚を共有させる、奴隷が主に反旗を翻さない為に旧い魔術師の貴族が作り出した呪いだが、ソラとはあらゆる意味で相性が悪い魔術の為、オリジナルなら解呪しない限り死さえも共有した呪いも、ソラだと共有させる痛みに限界があり、その限界を超えた時点で効果がなくなるし、超えなくてもやはり丸一日もすれば自然に解呪される、脅し程度の効果しかないもの。

 

 現に同じだけの傷を負っていながら、ヒソカの方はソラと比べてぴんぴんしてるのは、傷を負ってから動き回ったソラと違ってまだそこまで出血が多くないからというだけではなく、共有する痛みの閾値がとっくにオーバーしており、実際にヒソカの方が軽傷だからに過ぎない。

 

 元々、「まいった」と言う隙を得るためだけではなく、棄権した後にこれ以上、少なくとも今日は自分に危害を加えさせないように、閾値オーバーでもハッタリに使えそうと思って掛けた呪いであるので、もちろんそれ以上詳しくは語らず、今も呪いが継続しているように取れるように言ったのだが、ヒソカは「怖い怖い♥」と嘯いた。

 

 ソラの念系統は強化系だとばれているため、念で言えば操作系に当たるこの呪いがそこまで強力ではないことくらいばれているのかもしれない。

 が、ヒソカの方もそのことは指摘せず、相変わらずにやにや笑って「ついでにもう一つ、訊いていい?」と尋ねた。

 

 その言葉は無視してクラピカや試験官達に掴って立ち上がり、ソラはさっさと治療を受けに行こうとするが、ヒソカはソラに無視されていることを無視して、質問した。

「キミ、どうしてその『呪い』をかける前に、『まいった』って言わなかったんだい?」

 

 無視するつもりだったが、何を思ったのかソラは立ち止まって振り返った。

 多少は血の気が下がってもまだ怒っているのか、眼の色は青空の美称、セレストブルーのまま。

 その眼で見据えられ、ヒソカは背筋にゾクゾク走るものを感じながら、言葉を続ける。

 

「言おうと思えば、その前に言えたよね? ボクの蹴りを避けずにそのまま受けた時点で♦

 でもキミは、負け上がる気満々だったのにわざわざこの呪いを発動させてから負けを宣言したのは何故だい?」

 

 ヒソカの問いに答える前に、ソラはまず鼻で笑った。

「わかってるくせにわざわざ訊くんじゃねーよ。面倒くさい」

 

 ヒソカに言われて同じことを疑問に思った受験生たちが、ソラの答えに謎を深めるが、ヒソカの方はソラの言う通りらしく「キミの口から答え合わせがしたいんだよ♥」と言い出した。

 ソラはその返答に心底面倒くさそうなため息をついたが、無視したらしつこくついて回りそうな気がしたので、答えてやる。

 

「その方が、面白かっただろ?」

 

 答えではなく、質問で返す。しかし、その問いこそがヒソカにとっての正答。

 この戦闘狂にただ隙をついて「まいった」と言うだけでは、その宣言を無視して襲いかかる可能性の方がはるかに高かった。

 だから完全にヒソカを出し抜いて、ヒソカの予想を裏切っても期待を裏切らず、彼にとって最高に面白いものを見せてやることによって、満足させてやっただけ。

「何で私がわざわざそんなことしなきゃいけないんだよ?」と思いはしたが、後の苦労を考えたらその方が楽だと思ったから、そうしただけ。

 

 それだけの行動に、答えに、ヒソカは実に満足そうに笑って告げる。

 

「正解♦ ソラ、キミって本当に最高だよ♥」

「最低でいいから、お前の中から私の存在をマジで抹消してくんないかな?」

 

 至極上機嫌なヒソカとは対照に、ソラはこれ以上なくテンションを落として即答した。

 

 * * *

 

「……にしても、これは酷いのぉ」

 

 ソラが救護室に運ばれて、ヒソカの方は自力で止血したらしくケロッとした顔で会場内に残り、そして審査委員会が砕けた壁や床、天井の破片残骸をある程度片付けてようやく、次の試合に移れそうになった会場を見て、ネテロは他人事のように言った。

 

「……まぁ、倒壊しなかっただけマシということで。では、次の試合に移ります」

 

 ネテロの発言に、「いいのか、最高責任者。それで終わらせて」と思いつつ、立会人のハンターが第5試合開始を宣言するが、それはほとんど会場を片付けた意味がない結果で終わる。

 

「まいった」

 

 開始直後、キルアは両手を軽く上げて即答した。

 そしてそのまま、呆気に取られている対戦者のポックルに向かって、笑って言い捨てた。

 

「悪いけど、あんたとは戦う気がしないんでね」

 

 面談の時、「面白くなさそうだから戦いたくない相手」として上げた相手という時点でテンションが下がったのに、ゴンとハンゾーの試合といい、ソラとヒソカの試合といい、自分のプライドを刺激させるものばかりを立て続けに見てきたキルアにとって、ここで楽に合格はとっくの昔に選択肢から失われていた。

 

 子供にそこまで舐められたポックルは何か言い返そうとするが、ここまで残ってきた実力者であり、何度も受験したベテランだからこそ、ルーキーであり子供でここまで来たキルアがどれほどの化け物かを正しく理解したのだろう。

 結局、彼は何も言わず屈辱に唇を噛みながら、悲願だったハンター試験合格を果たす。

 

「……いいのかよ、お前」

「べっつに~、次で勝てる自信あるし。逆に、俺が負けてやらねーとあいつの方が可哀想なくらいだし」

 

 さっさと会場の端に戻って来たキルアに、レオリオが尋ねると彼は余裕たっぷりに答える。

 その余裕にレオリオは「クソガキ」と率直にムカつき、クラピカの方もわずかに顔を険しくさせて注意した。

 

「自分に自信があるのは良いことだが、相手を愚弄するな。そんな理由で一度棄権してから次で勝っても、ソラは評価しないぞ」

 

 ソラを引き合いに出されて、キルアはクラピカを睨み付ける。が、何も言わずに舌だけ打ってそのまま彼に背を向ける。

 内心、「誰の所為で俺が棄権したと思ってる!!」と八つ当たりしながら。

 

 真っ先にソラに庇ってもらえたクラピカが、暴走したソラにクラピカの声だけが届いたことが、悔しかった。

 隣にいたければ、自分から近づけばいい。逆隣を陣取ればいいという結論を出したが、それでもまだ二人の距離に届かないのが、悔しくて妬ましくて仕方がなかった。

 

 庇ってもらえたのがうらやましかったのに、同じように守られるのがごめんだった。

 守る必要などない、クラピカより強い、むしろ頼られる立場になりたかった。

 

 キルアがポックルとの試合を棄権して、その次の相手と戦おうと思ったのはそんな意地。

 相手が別の誰かだったら、もしかしたらキルアは素直にポックルと戦って、お遊び程度の拷問にかけてさっさと合格していたかもしれない。

 

 4次試験中、初日に交戦したとソラが語った全身に針を刺した怪しい男。

 そのことをソラから聞いていなければ、ソラが交戦して、『二度と戦いたくない』と言っていなければ、キルアはこんな選択肢を選ばなかったかもしれない。

 

 そんな後悔は、あまりにも早く訪れた。

 

 ソラの治療がまだ終わっていないことから、ボドロが出来れば終わるまで延期を申し出て、次の試合はさっさと棄権したので無傷で体力も余裕なキルアと初戦のギタラクルだったので、本人同士もそれに同意して順番を前後して執り行われた。

 

 そして、試合開始早々にギタラクルが言った。

「久しぶりだね。キル」

 

 いきなり、「久しぶり」と言われてキルアは本気で引きつつ、怪訝な顔をした。

 一目見たら忘れられないほど特徴的どころか化け物じみている相手に、キルアは間違いなく見覚えはない。「キル」と馴れ馴れしく呼ばれる覚えも、「久しぶり」と呼びかけられる覚えも間違いなくキルアにはなかったのだが、何かが妙に頭に引っかかった。

 

「……そんなに俺の声ってわかりにくい?」

 

 ぼそっと相手が呟いた言葉は、幸か不幸かキルアには聞こえていなかった。聞こえていたら、この時点で気づいていたかもしれない。

 わかりにくかったわけではない。ただ、同じ声だと認識できないほど外見が違い過ぎていたことに、気付けていたかもしれない。

 

 しばらく待ってもキルアが全く気付く気配がないので、ギタラクルは顔面に突き刺さった針を一本ずつ抜いていく。

 ベキベキと音を立てて、不気味に蠢いて変形するギタラクルの顔面に、ヒソカ以外の全員がもれなくドン引く。

 キルアも全力で引いたが、その顔の変形が治まって行くにつれて……素顔になるにつれて驚愕の種類が変化する。

 

「!?」

 

 ばさりとモヒカンがあまりに艶やかな黒髪に変化して肩に落ちた時、信じたくない、嘘で、幻で、何かの間違いであってほしいと心の底から願いながら、キルアは呟いた。

 

「………………兄……貴!!」




死痛共有の呪いは、プリヤで凛がクロ&バゼットに使ってたあれの、ソラ流アレンジというか劣化版です。
あと、宝石剣のもうちょっと詳しい制約とか、下記の通り。



虚構細工(キシュア・ゼルレッチ・)宝石剣(シュバインオーグ・レプリカ)

3年前のクラピカとの別れのきっかけである、偽旅団との戦闘で偶発的に生まれたソラの魔術にして念能力。

3年前に「死にたくない」と、「クラピカを守りたい」という願いを両立させるために生まれた能力なので、「自分の為ではなく、他の誰かを守る為」、「直死が届かない、使用できない状況」、「自身が長時間戦っていられないほどの傷を負っている」という当時のソラの状況がそのまま制約となっており、この3つの条件がそろわないと、発動は不可能。
ただし三つ目の「自身が長時間戦っていられないほどの傷を負っている」は、ソラの元々の魔術回路を開くスイッチである自傷のなごりでもあるため、敵につけられた傷ではなく自傷によるものでも可。

また、発動してからも「第2魔法の限定行使」、「威力をオリジナルと同等レベル」という無茶な効果を実現させるために、「直死が使用可能な状況・間合いに入る、もしくは宝石剣から手を離すと宝石剣が消失する」、「平行世界から持って来た魔力は全て、光の斬撃に使用する。『孔』を開けることと宝石剣具現化の維持は、自らの魔力で賄う」、「『一振りごとに筋肉繊維1本切断』という副作用が重くなり、一振りで5,6本は一気に切断される」というさらに細かい制約をいくつか背負っている。
(作中で「士郎の投影品だから、筋肉繊維切断という副作用がある」となってますが、今現在の所、本当に士郎の投影品だから出来た副作用なのか、オリジナルにもこの副作用があるのか、はたまた原作での使用者である凛の細腕が、宝石剣の重さに耐えきれず起こったただの筋肉痛なのかはわかっていません。なので、「士郎の投影品だからある副作用」というのは、あくまでこの話内限定での設定です)

能力の効果は、第2魔法を限定行使して、平行世界へと繋がる極小の「孔」を穿ち、そこから大気の魔力を掻き集めて光の斬撃として撃ち出すというシンプル極まりないものだが、その「光の斬撃」が純粋かつ濃密度の魔力そのものの為、これを防ぐには物理的に回避するか、質も量も同じだけの魔力(オーラ)でガードしなければならない。
平行世界から魔力を持ってくるので理屈上は無尽蔵だが、一度に汲み上げられる魔力の量には限界があり、ソラは発動条件である「自分が負っている傷の深さ」を汲み上げる魔力の量と比例させる制約を課して、さらに威力を底上げしている。

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