死にたくない私の悪あがき   作:淵深 真夜

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47:それぞれの望み

「先程は大変、失礼いたしました」

『いえ、こちらこそ本当にすみません』

 

 執事用の屋敷のホールに招き入れられて、ゴトーが使用人代表として今までの無礼を詫びると即答で、ゴン・クラピカ・レオリオの3人が同時に誠心誠意で詫びた。

 もちろん、出会い頭でソラがかましたとび蹴りについての謝罪である。

 

 しかしやらかした本人は一切合財悪いことをしたとは思っていないので、もちろん謝りはせずにのんきに出された茶を啜って、隣のクラピカに睨まれていた。

 そして被害者であるゴトーも想定内の出来事だった為、蹴り飛ばされた直後と同じく「お気になさらず」と返答するので、逆にゴン達が反応に困る。

 

 本気でゴン達に気にしてほしくないと気遣ったフォローならば空気は和むものだが、どちらかというとゴトーの言葉はソラの行動は正当だったというフォローであり、「お前らに気を遣われる筋合いはない」という拒絶に近かった。

 

 ソラの行動に対しての謝罪だけではなく、20日前の電話に関しての謝罪も同じ調子で、ほとんどゴンの話を聞かずに彼は「あの時はご無礼な真似をしてすみません」と頭を下げ、話は強制終了されてしまった。

 低姿勢ではあるが以前よりもゴンの主張を全く聞いてくれないということは、むしろファーストコンタクトより悪印象を持たれていることを察して、ゴンは俯く。

 

「奥様から連絡があり、あなた方を正式な客人として迎えるよう申し付けられました。ごゆっくり、おくつろぎください」

 

 執事たちはそう言って、実際にゴンの顔の傷は丁寧に手当てし、お茶を出して歓迎の体裁はとっているが、本心では全く歓迎していないのがわかるほど、空気がどうも半端に重くて刺々しい。

 

 あまりの気まずさと肩身の狭さに、ゴンが助けを求めるようソラに視線を向けるが、ソラの横顔はしらっとしたままゴンに視線さえも向けてくれない。

 おそらくは、「自業自得なんだから自分で何とかしなさい」ということだろうと判断し、ゴンは「わかってるけどさぁ……」と彼には珍しい弱音を込めた溜息をついた。

 

 幸いながら、気まずさと肩身の狭さを感じているのはゴンだけではなかった。

 レオリオも執事の寮と言えど、十分豪邸と言い切れる屋敷と、歓迎ムードとは言えないピリピリした空気に耐えられず、「心遣いはうれしいが、俺たちはキルアに会うためにここに来た。出来ればすぐにでも本邸に案内してもらいたいんだが」と、要望を口にする。

 

「その必要はございません」

 

 レオリオの要望にゴトーは即答し、3人が顔を険しくさせる。

 今までのゾルディック家の言動からして、ここまで来て客人と歓迎しても、キルアに会わせることだけは許さないという、傍から見れば意味不明なことを言い出しかねないと思ったのだろう。

 しかしさすがにこの非常識の魔窟でも、そこまで無意味かつ破綻したことは言い出さなかった。

 

「キルア様がこちらに向かっておいでですから」

 

 今までが今までだったので、期待していなかった答えが返されて、一瞬ゴン達の反応が遅れる。

 

「!! 本当!?」

「ええ。もうしばらくお待ちください」

 

 尋ね返すゴンにゴトーが間違いなく肯定の言葉を伝えれば、彼は左右に座る仲間たちと顔を見合わせる。

「嬉しすぎて何を言えばいいかわからない」と、思いっきり表情で語るゴンに、クラピカやレオリオはその反応に和むやら、あまりにも「眼は口ほどにものをいう」の典型例がおかしいやらで、彼らも笑う。

 

 ソラもゴンに向かって笑い、「良かったね」と声を掛けて頭を撫でた。

 撫でながら、彼女は立ち上がって言う。

 

「じゃあ、お言葉通りしばらく寛がせてもらうよ。さっそくだけど、お花摘みに行きたいからトイレ借りるね」

 

 隠語の意味がないセリフで、ゴン達だけではなく執事達も反応に困らせながら、ソラはスタスタと勝手に屋敷の中を歩いて行った。

 あまりに自然体で歩いていくので反応が遅れてしまい、慌ててカナリアが「ソラ様! ご案内します!」と言って追うが、「トイレぐらい一人で行くよ」と断られてしまう。

 

 そんな女性二人のやり取りにゴトーは苦笑し、残されたゴン達も相変わらずのソラの変人っぷりに恥ずかしくなったのか、また3人そろって『すみません』と謝った。

 

「お気になさらず。……さて、ただ待つのは退屈で長く感じるもの。ゲームでもして時間を潰しませんか?」

「ゲーム?」

 

 3人の謝罪に相変わらずな返答を一言だけ返すが、ソラのボケが空気を弛緩させたからか、ゴトーの表情は若干柔らかくなる。

 少しだけ笑って親しみやすくなったゴトーが出してきた提案にレオリオがオウム返しをすると、ゴトーはゲームの内容やルールの説明をせず、まずはおもむろに取り出して見せた。

 

 それは、一枚の硬貨。500ジェニー硬貨ほどの大きさの金貨を取り出して、ピンッと指で弾いて上空にあげたかと思えば、落ちてきたそのコインを一瞬、両手を交差させるような動きでキャッチし、尋ねる。

 

「コインはどちらの手に?」

 

 軽く握られた拳を4人に見せつけるように、薄く微笑みながら尋ねるゴトー。

 ここまでされたらどんなルールと主旨のゲームかは一目瞭然なので、3人は一斉に指をさして答えた。

 

「左手」

「ご名答。では、次はもっと速くいきますよ」

 

 握られていた拳を開くと、3人の答え通りゴトーの左手の中にあった。それを見せてから彼はもう一度コインを指で弾き上げる。

 そして宣言通り、先ほどよりも早い腕の交差でコインをキャッチしてまた両手の拳を3人に見せつける。

 

「さあ、どちら?」

 

 その問いに今度の答えも「また左手」と全員が即答して、今度はゴトーだけではなく執事達も拍手で「素晴らしい」と彼らを称える。

 もちろん客人相手のリップサービスなのはわかっているが褒められて悪い気は誰もせず、何より空気が和やかになっていることに全員が安堵していた。

 

 ……カナリアの表情だけ硬いままであることに、彼らは気付けなかった。

 

「じゃ、次は少し本気を出します」

 

 ゴトーは和やかに穏やかに笑いながら宣言し、そして実行した。

 コインを指で弾いて落とすまでは一緒だが、今度は腕を交差させるだけはなく、彼の腕が届く範囲にまでコインが落ちてきた瞬間、上下左右に両手を動かしていくつものフェイント、いったん掴んで離して逆の手でキャッチをしたかと思えば、また指で上空に弾き上げるを繰り返し、そしてまた先ほどまでと同じように両手の拳を3人に見せて尋ねる。

 

「さあ、どっち?」

 

 ゴトーの問いにレオリオが、「ん~、自信薄だが……多分、右……」と答えるが、ゴトーは他の二人の答えを促すこともなければ、正解か間違いかも答えず唐突に話を変えた。

 

「私は……キルア様が生まれた時から知っている。僭越ながら、親にも似た感情を抱いている」

 

 緩やかに、けれどはっきりと場の空気が変わってゆく。

 この屋敷に招き入れられた当初の半端に重々しい空気など可愛らしく感じるほど、彼らがカナリアに案内されていた時に覚悟していた「敵意」がその場に満ちた時、ゴトーが表情を一変させて3人に告げる。

 

「正直なところ…………キルア様を奪おうとしている、お前らが憎い」

 

『…………』

 やはり歓迎されていなかったことを思い知らされて、3人は沈黙する。

 何と答えるべきか迷う3人に、ゴトーは彼らの主張に興味はないと言わんばかりに今更、ゲームの答えを求めて促す。

 

「さぁ……どっちだ? 答えろ」

「左手だ」

 

 クラピカが答えると、ゴトーは無言で左手を開く。

 その掌には、紙を握りつぶしたかのように変形した金貨が1枚。それを見せつけてもう一度ゴトーは俯き、酷く何かを悔やむような声音で言った。

 

「奥様は……消え入りそうな声だった。断腸の思いで送り出すのだろう」

 ゴン達に向かって言ったのか、それとも独り言だったのかはわからない。

 ただ、伏せていた顔を上げて次に発した言葉は確実に、ゴン達に向けられていた。

 

「許せねェ」

 

 こめかみに極太の青筋を浮かばせて、ゴトーは一方的に宣言する。

 

「キルア様が来るまでに結論を出す。

 俺が俺のやり方でお前らを判断する。文句は言わせねェ。……ソラ様にもだ」

 

 ゴン達に対する敬語はとっくの昔に捨て去ったが、ソラに対しては本心から歓迎して「いた」のか、彼女に対しての敬称は抜けない。

 それでも、彼女すら敵に回すことも構わないと彼は宣言し、他の執事達もゴトーの言葉に同意するように隠し持っていた大振りの刃物を一斉に取り出し、ゴン達を取り囲むだけではなく、彼らを招き入れたことで裏切り者と認定されたのか、カナリアの首にその刃物を突きつけた。

 

「いいか、一度間違えばそいつはアウトだ。

 キルア様がくるまでに3人ともアウトになったら……この程度の実力しか持たない奴らを招き入れたソラ様も同罪だ。

 キルア様には“4人は先に行った”と伝える。2度と会えないところにな……」

 

 本気で、「出来れば敵に回したくない」はずのソラを敵に回す……つまりは死ぬ覚悟をして執事たちは、ゴン達が自分の大切な主を託すにふさわしいかどうかを見極めると言った。

 レオリオとクラピカが、こんな時に限っていないソラに文句をつけたいやら、いたらいたでさらに厄介な事態になりそうだったので少し安心するやら、もしかしたらあの女はこんな事態になることをわかった上で、席を外したのではないかという疑惑がグルグル頭に駆け巡り、とりあえず彼女が戻ってきたら一発殴ろうと二人して予定を立てる。

 ……戻ってくるまで、生き残って見せると決心して。

 

 そんな決心をしてる二人の間に挟まれて、ゴンは腫れていない右目でまっすぐにゴトーを見返し、そして……笑った。

 

 ゴンの反応にゴトーの表情こそは崩れなかったが、一瞬だけ戸惑ったのが全員にもわかった。当たり前だ。ゴンは、自信があるからこその余裕の笑みや挑発の為の嘲笑ではなく、本気で嬉しそうに彼は笑ったのだ。

 

「わかった」

 実に嬉しそうに、彼は笑ってカナリアだけではなく全員の命がかかったこの「ゲーム」続行に了承する。

 その返答に他の執事たちは明らかにドン引いた様子を見せ、ゴトーはリーダー格としての矜持か表情を崩さなかったが、背筋に悪寒が走る。自分が相手するものが何者かわからず、戸惑う。

 

 しかしクラピカとレオリオは数秒間、その反応をきょとんとした顔で見ていたが、すぐに呆れが一周回って感心に変化したような顔になって「あぁ……」と納得した声を上げる。

 彼は本当に喜んでいることを理解して、そのポジティブさに「有り得ない」と思いつつ感心していた。

 

 ゴンは本気で嬉しかったのだ。

 ゴトーに向かって言いたかったこと、証明したかったこと、同じ「キルアの幸せ」を願いながらも同じ結論には向かえない、分かり合えない人に対して、「キルアを守る」という自分の誠意がやっと見せられるこの機会を、彼は本心から喜んで笑ったことを、彼らだけが理解した。

 

 2人の理解が間違いではない証拠に、片目の瞼が腫れあがって、ガーゼで塞がれているというハンデを負っているにも拘らず、相変わらず嬉しそうな笑顔のままにゴトーに向かって言う。

 

「さっそく、始めようよ」

 

 その輝く笑顔と先を促す言葉に、ゴトー達どころか刃物を突きつけられているカナリアでさえも、同じことを思った。

 

(類は友を呼ぶ……)

 

 誰が類かは、言うまでもない。

 

 * * *

 

「さて、どーしようかな?」

 

 わざわざ複数あるうちで一番ホールから遠いトイレから出てきたソラは、手を拭きながら独り言でぼやく。

 トイレに行きたかったのは事実だが、クラピカとレオリオが疑った通りこの女は、ゴトー達が「キルアを任せるにふさわしい実力を持っているか」を判断する為に何かやらかすことをわかってて、それがしやすいように席を離れた。二人はこの女を殴っていい。

 

 しかしソラからしたらゴトー達の気持ちもわかるから、気持ち良くキルアを見送るのは無理でも、ゾルディック側の不満を最小限に抑えてるには、おそらくこれは必要な通過儀礼だと思った。

 

 だからこそ、ゴトー達が自分に遠慮しないように、ゴン達はしないとは思うが自分一人に頼らないように、そしてキルアに甘い自覚がある自分が余計な手出しをしてしまわないようにが一番大きな理由で、ソラはあの場から離れ、そしてゴトー達の「試験」が終わるまで屋敷のホールに戻る気はない。

 

 3人を黙って置いてきたことを悪いとは思っているが、不安はない。

 ゴトーは他人に対して非常に厳しいが、同じくらい自分にも厳しい人間であることを、さほど深くも多くもない付き合いしかしていないソラでも、よく知っている。

 

 なので、彼がどのような手段でゴン達を判断するかは全くわからないが、ゴトーは自身の「キルアを奪われたくない」という個人的な感情で、彼らに無茶ぶりを吹っ掛けることはないと確信している。

 同時にソラは、どのような内容でもゴン達がゴトーの試験に合格すると信じている。そうでなければ、ソラはまだ彼らをここに連れてはこない。誰が何と言おうとも、まだあの山小屋で鍛えあげているだろう。

 

 その為、ソラの関心はゴン達やゴトーのことよりも、ゴトーの試験が終わるまで自分の暇をどう潰したらいいかに向けられる。

 さすがに無許可で屋敷の中のをうろつくのはどうかと、今更しても意味がない常識的な遠慮をしつつ、だからといってトイレの前で突っ立ているのも退屈以前に普通に嫌だ。

 

「……とりあえず、ホールの近くまで戻って終わるまで隠れて待つか」

 

 ゴン達に見つかったら気まずいことこの上ないが、それ以外に行先もすべきことも浮かばないので、ソラはのろのろ歩きながら来た道を戻る。

 しかし幸か不幸か、自分からとはいえ微妙に情けなくて寂しい蚊帳の外にならずにすんだ。

 

「……ソラ」

「みゃっ!?」

 

 ソラが階段の前を通り過ぎると、その階段わきの暗がりから声を掛けられ、猫のような悲鳴を短く上げてソラは、垂直に飛び上がった。

 本気で相当驚いたのか、ソラは飛びのいて壁に背をぴったりくっつけてた挙句、胸に手をやって動悸を押さえながら目を丸くして、自分に声を掛けてきた相手を確かめる。

 

「え!? え? ……何だ、カルトか。びっくりした。姿を確かめても悲鳴出そうだった」

「悪かったな」

 

 殺気や敵意のない相手には常人よりも鈍いのではないかと思えるソラの反応に、そんな事情は知らないカルトが本気で呆れたようなジト目でにらんで言った。

 しかしソラの反応と言い分は、あまり悪くない。

 暗がりでいきなり声を掛けられて、振り向いた先には日本人形のような、おかっぱ振袖美少女にしか見えない無表情の美少年がいたら、普通は絶叫する。失神する者も多分少なくない。

 

 完全にホラーな登場だったが、ソラに本気でビビられたことと、そもそも気づかず素通りされたことにカルトが頬を膨らませて拗ねると、一気に不気味の谷じみた人形っぽさはなくなって年相応の子供らしくなり、ソラもビビったことは忘れて頭を撫でながら、「ゴメンゴメン、それで? どーしたの?」と尋ねる。

 

 しばし頬を膨らませたまま、……しかしもう拗ねているのではなく、まだ頭を撫でて欲しいからそのフリをしているとわかるくらい嬉しそうな目をしていたカルトだが、ソラに尋ねられて目的を思い出したのか、今更になって「触んな!」と拒絶した。

 

 撫でていた手を払いのけられ、ソラは目を丸くする。

 いきなり理不尽なことを言われようがされようが、叱らないで自分の言葉を待つソラに、カルトは苛立った。

 彼女と出会う前なら決して感じなかった、「理不尽な拒絶」に対する罪悪感を抱いたことに苛立って、カルトは癇癪を起した。

 

「……兄さん、だけなの!?」

 

 唇を嚙みしめて、尋ねるというよりソラを責めたてるカルトにソラは、「訳がわからない」と言いたげだった目を細めた。

 もうその表情で、全部わかった。

 ソラは傍から見れば訳がわからず、唐突で理不尽な自分の言い分を、怒りを、苛立ちを全て理解していることを、カルトも理解してしまった。

 

 それぐらいにソラは困ったように、「仕方ないなぁ」と言わんばかりに笑ったから。

 自分を責めて、八つ当たりすることで気が晴れるのならいいと言って許すような大人の笑顔を睨み付け、カルトは地団太を踏みながら喚く。

 ソラの想像通り、どうしようもなく自分が子供であることを思い知らされながら、そのことを悔しく思いながらも自分の激情を抑え切れず、ただ吐き出した。

 

「……ソラが……イルミ兄さんでも、お母様でも、誰であっても『敵』だって言うのは、『キルア兄さんの敵』だけなの? ……ソラは、兄さんが自分の敵だって言ったら、僕もソラの敵だっていうの!?

 僕の敵は、ソラの敵にはなってくれないの!?」

 

 地団太を踏み、綺麗なおかっぱを振り乱しながらカルトは叫ぶ。

 色々言いたいことはあった。

 彼はずっと、カナリアの所までゴン達がやってきた時から、彼らのやり取りをずっと見ていた。母にゴン達がやって来たことを知らせたのは、カルトだ。

 

 彼も彼なりに、キルアを託すに相応しい奴らかどうかを、自分の眼で確かめたかったのだろう。

 その結果が、あれだ。

 この家の者にとって最低限とはいえ、試しの門を自力で開けられる実力を持ちながら、カナリアに対して無抵抗で殴られ続けたくせに、全く諦めず歩み続けたゴンと、それを止めずに見守り続けた3人。

 

 カルトからしたらその行動は、キルアを託すに相応しいかどうか以前に、正気かどうかを疑うレベルな挙句、カナリアの「助けてあげて」がとてつもないショックだった。

 ソラと初めて会った時、ソラに「君と結婚はしない」と言われた時以上に、自分の今までや世界の全てである「ゾルディック家」を否定する言葉に、酷く傷ついた。

 

 しかし、カルトにとってそれは序の口だったことを思い知らされた。

 母が立ち去る間際、ソラが宣戦布告のように宣言した言葉が、今まで耐えていた何もかもを爆発させる。

 

『――あの子の敵は、誰であろうとも例外なく私の敵だ』

 

 境界が越えられなくてもいい。分かり合えなくてもいい。ただ時々、遠く離れていても話せたら、ごく稀でもあの体温を感じられることが出来るのであれば、それでいいと言い聞かせていたが、そんなのは綺麗事の虚勢。

 本当は、そう言って欲しかった。

 

 相手が誰であろうと自分の味方に回って欲しかった。

 自分の世界や価値観を肯定してほしかった。

 自分の世界の内側にいて欲しかった。

 自分と同じものを見て、同じものを好きになって、同じ生き方をして欲しかった。

 

 自分自身は何一つ譲る気がないくせに、一方的にただ求めているわがままであることがわかっているからこそ、ずっと「これでいい」と現状で満足しているフリを続けていたが、自分が譲る譲らない以前に何も理解できない侵入者(ゴン達)の行動、カナリアの言葉と涙、そして……自分が一番欲しい言葉を家から出て行くキルアに与えるソラがトドメとなって、カルトの癇癪は爆発した。

 

「なんでだよ……。兄さんが、殺し屋をやめるから? 殺し屋ってそんな悪いことなの? 僕らに依頼する奴らより?

 僕は仕事のリスクをちゃんとわかってて、覚悟してやってるのに! 自分が死ぬかもって覚悟もなく、僕たちにゴミ捨てを頼むように依頼する奴らより、ソラにとって殺し屋は悪い奴らなの!?

 金で自分の犯罪をもみ消して無罪を買ってるような奴らがいるのに、金で死刑を売るのは何でダメなの!?」 

「ん? いや、殺し屋を嫌いだとか否定した覚えはないよ?

 なくなった方がいい職業だとは思うけど、それは警察が必要なくなる世の中になればいいって思うのと同じような理由だし」

「……は?」

 

 ソラの発言に、言いたいことを全部吐き出すまで止まらないと思われていたカルトの駄々が、呆れたような怒っているような、理解できないと言わんばかりの顔と声で一旦停止。

 ソラもソラで、カルトの癇癪を困ったような申し訳なさそうな曖昧な笑顔で聞いていたのだが、「殺し屋」の何が悪いかという、本筋から離れた八つ当たりに関して真顔で言い放ち、カルトの反応が理解できないのか、今は不思議そうに首をかしげている。

 

 その相変わらずなエアブレイクにイラつきつつも、既に彼女の思考回路斜め上に慣れてきたカルトは、「……こいつはこういう奴だよ」と呟いてから、少しは頭が冷えたのか改めてソラに尋ねる。

 

「……ソラは僕の家……ゾルディック家のことをどう思ってんだよ」

 本当に改めて、かなり根本的なことを尋ねてみるとソラは、力強く即答した。

 

「とにかくお前ら全員人の話を聞け、かな?」

 

 カルトの想像とも聞きたかった答えとも違う、相変わらずな斜め上に思わず脱力し、カルトはその場に膝をつく。

 脱力した理由は「そこじゃねぇよ」という呆れが9割だが、ほんのわずか……聞きたくない、怖くてたまらない「答え」ではなかったことに対する安堵があったことを、カルトは無視しておいた。

 

「カルト、どうしたの?」

「……どうしたもこうしたもないよ」

 

 いきなり膝から崩れ落ちてOTLのポーズになるカルトを、さすがのソラも戸惑いながら自分も膝をついて尋ねるが、その呑気な反応にまたカルトは脱力する。

 何もかもがバカらしくなってきたカルトに、まだ自分の発言の何が悪かったかがわかっていないソラは首を傾げつつも、その手を伸ばす。

 一度拒絶されたカルトの頭に、再び手を伸ばして、乱れたおかっぱを手櫛で撫でて直してやる。

 

 今度は、拒絶できなかった。

 

「カルトもさ、話聞きなよ」

 髪の乱れがあらかた直っても、ソラはカルトの頭から手を離さない。彼を落ち着かせるように、何度も何度もつややかな髪を撫で続けながら語る。

 

「私はキルアが好きだから、キルアの敵は例外なく私の敵だ。で、君のことも好きだけど、君の敵は私の敵だとは言ってあげれない。

 

 だって君の敵は、君個人の敵というより仕事のターゲットのことじゃん。殺し屋じゃないキルアなら、あの子が理不尽な逆恨みか何かで『俺の敵だ』って言っても、『敵じゃないだろ』って指摘や説得できるけど、君の場合は『仕事』っていう、究極的に正当でありながら理不尽なんだからね」

 

 自分の頭を撫でる体温が、ささくれていた胸の内を癒す。刺さっていた不満という氷の棘を、緩やかに溶かしてゆく。

 

「私が口出しする資格はないけど、だからといって逆恨みを買っちゃって、何の非も罪もないのに君に殺されそうな人がいたら、私はそっちを守るよ。仕事だから仕方がないとはいえ、そういう殺しをしたら君や君の家が恨みを買うのをわかってるからこそ、私は君の敵に回っても殺してほしくないって思う。

 だから、悪いけど君の敵を例外なく私の敵にはできない。君のことを肯定してあげれないけど、見捨てることもできないから、半端な対応だけどそうするしかないんだ」

 

 境界は越えられない。結局、ソラはやはり自分の家を、仕事を肯定はしてくれない。

 けれど否定はやはりしないで、殺し屋だから自分はキルアよりも好きになってもらえない、何の条件もなく守ってもらえないと思い込んでいたカルトの誤解と不満はときほどかれる。

 

 ……嫌われていたから、否定されたから言ってもらえなかったわけではないことを知った。

 好きだから、「殺し屋」という仕事を尊重してくれたからこそ、「味方にはなれない」と言ってくれた。

 

 相変わらず自分とソラやキルアの生きる世界、生きたいと望む世界は断絶していて、カルトには近寄れないことを思い知らされるが、それでも自分の世界を尊重して、否定しないで壊さないで大切してくれるソラの言葉が嬉しかった。

 しかし、彼女がそこまで尊重してくれていること、自分を好いてくれていることを理解したからこそ、今度は不満や八つ当たりではなく素直な疑問として浮かび上がり、カルトはうつむいていた顔を上げて尋ねる。

 

「……ソラ。ソラはどうして、『殺し』がダメだと思ってるの?」

 

 前々から、カルトにとってそこが疑問だった。

「殺し屋」という職業をソラは決して悪くは言わない。肯定こそはほとんどしていないが、否定もしないで、その仕事に携わるゾルディック家の思想を尊重してくれている。

 興味がなくてどうでもいい事柄だからこその寛容にしては、ソラは何かと「殺し屋」としてのアドバイスをくれるくせに、明確に自分と「殺し屋」の境界線を作りあげて、そこから先には来てくれない。

 

 カルトからしたらもうすでに彼女は少なくとも一人、自分と一緒に仕事をした時に殺しており、兄たちの話によればハンター試験でも殺しているのだから、そこまで殺人を忌避しているようにも見えないからこそ、疑問だった。

 カルトからしたら、一人殺した時点でもう人殺しであることは変わらないのだから、少しでもその手を汚す血の量を減らそうとすることに、何の意味があるのかがわからなかった。

 

 だから、訊いた。

 あまりにも単純で素朴な、疑問として。

 

 真っ直ぐに自分を見つめて問うカルトを、ソラも見つめ返して言う。

「知らない方がいいよ」

 

 空が何故青いのかを尋ねる程度の疑問だった。だから、そう言われたのなら「ならいいや」と退いても良かったはずなのに、カルトは先ほどの「兄さんだけなの?」という問い以上に、退く気にはなれなかった。

 

「教えてくれないら、兄さんを連れて行くのを邪魔してやる」

 

 これが自分とソラを断絶する「境界線」そのものであることを確信したからこそ、知ろうとした。知る為に、退かなかった。

 知ってしまえば、もうこうやって会話することさえも出来なくなるかもしれないことはわかっていたが、それでも知りたかった。

 

 知らなければ、いつまでたっても自分は「ここ」にしかいられないと思ったから。

 

 越えられなくてもいい。向こう側に行けなくても、こちら側に来てもらえなくてもいい。

 ただ、ソラのように少しでも触れられるように、近くに寄れるように、近くに来てくれた時、手を伸ばせばこの体温に触れられるようになるには、知るべきだと思ったから。

 

 自分の居場所を捨てる気はないが、ソラのように自分の大切なものを手放さないまま、彼女の大切なものも尊重してやれる「大人」になりたいから、だからこそ望み、尋ねる。

 

「ねぇ、ソラ。何で人を殺しちゃダメなの?」

 

 疑問は素朴で単純だ。そして、望みも。

 だからこそ退けない。

 

 少し言葉を変えて問うた二度目の疑問に、ソラは少し目を細めてまずは言った。

「……男の子はホント、すぐに子供じゃなくなるなぁ」

 

 失うかもしれないものを理解したうえで望むカルトに感嘆の言葉を与えてから、ソラは答える。

 

「人はね、誰だって人を殺していい権利を一回だけ持ってるんだ」

 

 カルトの頬を撫で、答えながら思い出す。

 普段は不愛想の権化のようにぶっきらぼうなくせに、時々とはいえ自分と同い年の一児の母とは思えぬほど少女らしくて可愛らしい、……あまりに「異常」でありながら、あまりにありふれて尊い「日常(幸福)」を得た人を。

 

 ソラがここに来る前から、この眼を得る前からずっと「こうなりたい」と無意識に、無自覚に望み続けていた人からの教えを。

 

「その一回の権利は、自分が死ぬ時に使うんだ。人は、自分で自分を殺してやらないと天国にも地獄にも行けない。生まれ変わることだってできない。何もかもが生まれて、そして帰り着く万象の深淵に、根源に、混沌に……何もかもがそこにあるからこそ何の意味もなさない虚無の中に溶けて、消えてゆくしかないんだ」

 

 自分も昔は、カルトと似たようなものだった。

 何故、人を殺してはいけないのかわかっていなかった。人を殺したことがなかったのは、殺したいと思える相手がいなかった、たまたまその機会がなかっただけに過ぎない。

 

「自分を殺せないと、自分がしてきたこと、自分にとって大切だったものがすべて無意味になる、あまりに寂しい場所に溶けていくしかないんだ。だから、人を殺しちゃダメなんだ」

 

 彼女が、ただの娘の友達に過ぎなかった自分に何を思って、こんなことを話してくれたのかは未だに分からない。

 ただ、あまりにも真っ直ぐに自分を見て、言っていたことだけは覚えている。

 

 何かを悔やむように見えて、同時にもう会えないと思っていた人と再会したような、奇跡を目の当たりにしたような顔で、その人は教えてくれた。

 

「だから人を殺しちゃダメなんだ。誰かを殺して、自分のためのその権利を使ったら、もう自分を殺せない。死んだらどこにもいけないで、空っぽの虚の中に溶けて消えるしかなくなるから。

 だから、ダメなんだ。人を殺すってことは、自分を殺すってことなんだ。死ぬ前に、生きている自分を殺してどこにも行けなくして、何もかも失って消えるしか出来なくなることだから……、だから、人を殺しちゃダメなんだ」

 

 その教えが、「魔術師」という生き物に過ぎなかったソラを「式織 空」という少女に、人間に変えてくれた。

 当時のソラに生きていたい理由なんかなかったが、その教えによって「死にたくない」理由が出来た。

 

 ソラの骨子となった言葉を、教えを、守り抜きたかった、もうとっくに権利を使ってしまった、守る意味などなくしてしまっても、それでも手放せない「人間」としての拠り所を、ソラはカルトに教える。

 自分に教えてくれた人のように、真っ直ぐに彼を見て。

 

「……意味わかんない」

「だろうね」

 

 けれどカルトは、当たり前だが当時の自分のように納得してくれず、怪訝そうに首を傾げた。

 自分自身もはっきり言って当時どころか、「 」に落ちるまで、この教えの意味をよくわかっていなかった。

 ただ完全な直感で、この教えが今まで「魔術師」として教えられてきた常識よりも好ましいと、理屈などなく「これがいい」と思ったから大切にしてきただけのものなので、ソラはカルトの言葉に苦笑しながらさらに詳しく話そうとはしなかった。

 

 むしろ理解してほしいとは思わなかった。

 この教えが真理だとするならば、カルトどころかゾルディック家は皆、とっくの昔に手遅れで救いがないのだから、出来れば話したくなかったし、理解もしなければ信じて欲しくもない。

 とっくの昔に自分の意思関係なく、自分を殺す権利というものを捨てざるを得なかったカルト達に、この教えを押し付ける気はない。

 

「わかんなくていいよ。これは私個人の価値観というか考えだから。

 ……君は信じなくていいし、理解できなくていい。ただ、私がそういう理解できない考えに固執してることだけを、知ってくれたらそれでいいよ」

 

 そう言って話を締めくくり、ソラは腕時計で時間を確認する。

 自分が「トイレに行く」と言ってホールから離れ、そろそろ30分は経つ。本邸からこの屋敷までの距離からして、キルアの足ならそろそろ到着してもおかしくない時間であることを確認して、自分もホールに戻ろうと考えた。

 

「じゃ、カルト。悪いけど私はもう行くよ。

 カルトはどうする? 一緒に来たら、キルアに挨拶ぐらいはできるんじゃない?」

 

 立ち上がってカルトも来るかどうかを尋ねても、彼は無言で首を横に振る。

 やはり、ゾルディック家以外の者とはとことん関わりを断つ頑なな人見知りを、少しだけ残念そうな苦笑をしてからソラは、「そっか。じゃあ、またね」と手を振って背を向ける。

 

 その手を、カルトは掴む。

 

「カルト?」

 

 驚いて振り返ったソラに、カルトは手を掴んだまま言った。

 

「ソラ。僕はお前の言ってることは全然意味わかんないし、やってることも訳わかんない。もうとっくの昔に権利を使って失ってるのに、何でそんな訳わかんない考えに固執してるの? バカじゃない?」

 

 きっぱりはっきりソラ自身も自覚していることを改めて突き付けられて、さすがにソラも少し凹んだのか、「どうせ私はバカですよー」とそっぽ向いて少しやさぐれた。

 

「そうだよ。バカだ。大馬鹿だ」

 

 そのやさぐれた発言をカルトは肯定し、そして続けた。

 

「だから、そんなバカな考えに疲れたら、いつでもうちに来たらいい。

 うちは人を殺しちゃダメなんか言わないから、絶対に気が楽になるから」

 

 カルトの言葉に、そっぽ向けていた顔を彼の方に戻し、ソラは丸い夜空色の目で見つめ返す。

 

 結局、ソラの話を聞いてもソラと自分を分かつ「境界線」の意味はよくわからず、ソラが守るものを尊重もしてやれなかった。

 ソラの考えはバカだとしか思えなかった。自分で自分のしていることの意味を無くして行って、傷つきに行っているようにしか思えなかった。

 

 だから、この言葉がカルトに出来た精一杯だった。

 

 ソラが固執するもの、ソラにとって大切なソラの骨子となったものを否定しても、ソラを否定しない。

 例え何人殺したって、ソラに価値はある、意味はある、傍にいて欲しいということを伝える。

 

 そんな自分の精一杯がどれほど伝わったか、カルトにはわからない。

 

「……そっか。ありがとう、カルト」

 

 ただ、ソラは嬉しそうに笑ってくれた。笑って、カルトの頭を撫でてくれたから、きっとカルトの精一杯は……ソラに苦しんでほしくない、幸せになって欲しいという望みは受け取ってもらえたのだろうと思い、彼はソラから手を放す。

 

 ……笑ってくれても、礼を言ってくれても、それでも「じゃあ、疲れた時はよろしくね」とすら言ってくれないことに、文句はつけまいと耐えながら。

 カルトは別の世界で生き抜くことを決めた人に、手を振って告げる。

 

「……じゃあね、ソラ」

 

 別れの言葉を告げた。

 

 * * *

 

「ゴン!! あとえーとクラピカ!! リオレオ!!」

「ついでか?」

「レオリオ!!」

 

 ソラがホールに戻ると、ちょうどキルアが屋敷にやってきたタイミングだったらしく、何とも締まらない再会を果たしていた。

 

「ただいまー。……そういやキルアってレオリオの名前、一度も呼んでなかったね」

『!? ソラ!』

 

 今更戻ってきたことを告げながら、キルアの豪快な名前の間違いにツッコミを入れると、全員が振り返ってソラの名前を呼ぶ。

 ゴンは「あ、忘れてた」と言わんばかりのやや失礼な反応で、クラピカとレオリオは「このタイミングで戻って来るってことは、やっぱりわざとか!」と正しくソラの離席理由を理解して、当初の予定通り殴って抗議しようと拳を固めるが、二人より早く反応したのはキルアだった。

 

「ごふっ!」

「キルア様!?」

「ソラ!?」

「ちょっ、キルア何してんの!?」

 

 いきなりソラに向かって走って行ったかと思ったら、そのまま体勢を低くしてソラの腹部にロケット頭突きをかましたキルアに、執事もゴン達も全く同じように困惑する。

 しかしやらかしたキルアは周囲を無視して、ほとんど受け身を取らず後ろに倒れたソラを見下ろし、睨み付ける。

 彼女の反応速度を知っているキルアからしたら、自分の頭突きをわざと受けたことくらいわかりきっているので、お腹を押さえて咳き込むソラを見ても罪悪感はない。むしろ余計にムカついた。

 

「いったいなー。いきなり何すんだよ、君は」

 

 起き上がって床に胡坐をかくソラに、キルアはその苛立ちを露わにして訊いた。

 

「……何で家に来なかったんだよ?」

「は? 行ったよ何回か。あ、そういえばアップルパイは食べた? どうだった?」

「そうじゃねーよ!! 食べたよ! 美味かったよ! でもパウンドケーキも食いたかったから、あの豚にはちゃんとトドメ刺しとけよ!!」

 

 そのやり取りでキルアの頭突きの理由を全員が察して、クラピカ以外は皆、やや和んだように苦笑した。

 ゴン達と違ってフリーパスな身の上でありながら、会いに来てくれなかったことに拗ねているだけだと全員が判断し、執事達とゴンはしばらくキルアをそっとしてやろうと、おそらく初めて意見が一致し、レオリオは相変わらずソラのことに関して心が狭すぎるクラピカに、からかい交じりのフォローをする。

 

 何とも言えない生あたたかいからこそ、悶絶級の優しさに包まれていることに、今までの不満を爆発させてヒートアップしているキルアは気付かず、ギャーギャーとソラに怒涛の文句をつける。

 

 こういう所はキキョウとミルキに似てるなと、ソラは口に出したら余計に怒られるか、ショックのあまりに寝込みそうなことを思いながらしばらく「うん、ごめん。ごめんってば」と合間に謝罪を入れながら大人しく聞いていたが、すぐに面倒くさくなったのか話を無理やりねじ込んで変えた。

 

「ところでキルア。誰から家を出ていいって許可をもらったの?」

「お前全然悪いって思ってないだろ! 親父に決まってんだろーが!!」

 

 唐突かつかなり根本的な質問に対して、突っ込みつつも律儀にキルアが答える。

 

「へぇ、ゼノさんじゃないんだ」

「……まぁ、俺も正直親父があんなにあっさり許してくれるとは思ってなかったけどな。でも、俺が正直に思ってることを言ったら、全部認めてくれたぜ。一つだけ条件があったけど」

 

 ソラが会いに来てくれなかったのは、家族と向き合うためにこの家へ戻ったキルアがソラに甘えて、向き合うことから逃げない為であることくらい本当はわかっていたので、キルアは八つ当たりをやめにして語る。

 自分が向き合った結果で得た答え、そして覚悟によって手に入れた「今」を誇るように胸を張って答えたら、ソラは何故かキルアからしたら予想外な部分を拾ってオウム返しする。

 

「条件?」

「? あぁ。仲間を裏切るなって、これだけは誓えって言われた」

 

 ソラの反応に少し戸惑いながらも、やはりキルアは嬉しげに誇りをもって答え、誓いの証である親指の傷をソラに見せて笑う。

 しかし、ソラからの返答は「ふぅん」という生返事で、キルアの困惑がさらに大きくなる。

 

 けれどキルアは、ソラの反応のおかしさを指摘することが出来なかった。

 

「キルア。もう一回、魔法をかけてあげる」

「は?」

 

 ようやく立ち上がったかと思えば、やはり唐突なことを言い出して、これまた先程とは別の方向性でキルアを困惑させるが、これくらいの言動は可愛い方だったとキルアは思い知る。

 

 ソラが立ち上がって近づいてきたかと思えば、額にかかるキルアの髪を指でどけ、彼女は躊躇なく落とす。

 自分の唇を、キルアの額の中心に。

 

「!? なっ…………………」

『…………は?』

 

 まずはキルアが声を上げ、そして数秒の間をおいて今度はゴン達も執事達も分け隔てなく、全く同じ意味のない言葉を発する。

 

 その反応をソラは無視して、ソラはキルアの額から唇を離して彼に伝える。

 

「――君は、大丈夫」

 

 可能性の魔法使いが、断言する。

 

「絶対に、大丈夫」

 

 何がとは言わなかった。それでも、それ以外の可能性はないという「魔法」を与えて微笑んだ。

 

 

 

 ……キルアの額から放射線状に伸びる、薄くて細いが確かにある「線」と、その中心に仕込まれた「何か」を青い目で見据えながら。

 

 

 

 初めから、キルアと出会った時から見えていた。

 奇妙な死の線。それは、彼の額に……脳に何かが仕込まれているのは明白だった。

 

 初めのうちは何が何だかわからなかったので手の出しようがなく、キルアがゾルディックの跡取りだと知ったことで「イルミの針」だと勘づいたが、ソラは気付いても手を出さなかった。

 仕込まれた針は相当小さくて、埋め込まれている位置も位置なので簡単とは言えないが、自分の目ならその針だけ殺すことは可能だったが、しなかった。

 

 キルアの埋め込まれた針の影響である死の線は、彼に危険が迫った時、その危険から逃げ出した時ほど色濃くなっていたから、イルミの能力が発動しているのは主に、キルアを危険から遠ざけて生き延びさせるためだということに気付いたから。

 だからソラは、何もしなかった。

 

 打算は多大にあるだろうが、キルアを人形にするのではなく、あくまで自身の生存を優先させる程度にしか誘導していない。キルアの自由意思を奪っていないということは、あの家なりにキルアを尊重していると解釈していたから。

 キルアの無事を願う過保護な愛情であることくらいわかっていたから、その辺の親心と兄弟愛に口出しする気などなかった。

 

(……けど、今回は別)

 

 心の中でソラは、イルミとシルバにそう言った。

 

 彼らの家族愛は尊重してやるが、ソラはキキョウに宣言した通り、キルアの敵を自分の敵と定めている。

 だから、その愛情故にまた起きるかもしれないキルアの絶望が、仕組まれたも同然だったことを種明かししない、むしろ破滅の種として利用するのならば、ソラも同じように対抗策を仕込む。

 

 針を取り除いても安心はできない。この針を殺したところで、長年染み込ませてきた洗脳自体は消えないから、ただ後押しがなくなるだけで、根本的な解決など何もしていないのだから、針は殺さなかった。

 

 ソラから見たら今のキルアでは、針を抜いたところで「勝算がない敵とは戦うな」という癖が抜けないことはわかっている。

 ソラが針を殺してもキルアが本能に勝てなかった場合は、今度こそ言い訳のしようがなくなったキルアが、自分を責めぬいて精神を崩壊させるのが目に見えた。

 

 だからソラは、イルミの針を「殺す」のではなく、「魔法」を掛けた。

 

「なりたい自分になれる」ことを「絶対に大丈夫」と保証してやって、不自然なほどに本能を後押しする呪縛はどこから来るのかのヒントを与えてやった。

 

「……呪縛と魔法、どっちが勝つかは君次第だよ」

 

 ソラから額への口づけに、真っ赤になって額を両手で押さえつけているキルアの頭を撫でて、ソラはそれだけを伝える。

 もちろん、キルアは聞こえていないがそもそも意味が理解できるように話していないので、ソラは気にしない。

 

「キ、キルア様おめでとうございます?」

「よ、良かったね、キルア」

「君たちは何言ってんの?」

 

 だから代わりに、ゴトーとゴンが大いに戸惑いつつもキルアへ拍手をしてる現状に首をかしげておいた。


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