死にたくない私の悪あがき   作:淵深 真夜

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話しの終わらせどころを完全に見失って、文字数が最長になりました。
まさか、1話で2万字近くになるとは思わなかった……。


52:妄執の獣

『うわぁ……』

 

 思わず、3人のハンターは声を上げた。声を上げられただけ3人は優秀なハンターであることを、酷く癪だがアルバは認める。

 

 今まで協会が派遣してきたハンターは「これ」を見たら、たっぷり一分は悲鳴さえも上げることが出来ず絶句して立ちつくし、それからやっと悲鳴を上げるなり、無理だと悟って逃げる算段を立てたり、酷い者はアルバやアトラムに縋り付いていた。

 

 もちろんアトラムはそんな役立たずに情を見せるような人間ではないからこそ現在の状況であり、アルバも同業者だからと言ってフォローしてやるほどお人好しではない。

 むしろ、戦闘能力がないに等しいアルバの能力を見下す、武道派の能力者がなす術もなく死んでいく様自体は痛快で愉快なくらいだったので、「助けて」と縋るハンターを振り払って結界の外に蹴りだしていた。

 

 しかしさすがに最近は、そのような悪趣味を楽しむ余裕はない。

 酷く癪で癇に障り、そして何よりも不気味で仕方がないが、ひそやかにアルバは3人の反応に安堵を懐いていた。

「これ」を見ても恐怖や絶望で絶句するのではなく、あからさまに「面倒くさい」という感想を乗せた声は、酷く腹が立つと同時に頼もしい。

 

 そんなことを思っている自分にまた苛ついて、アルバは睨み付ける。

 屋敷の庭から、紅蓮から藍色に変わり始めた空を睨み付ける。

 

 自分の結界の効果によって目の前の屋敷が認識できず、辺りを浮遊するように彷徨うまさに無数としか言えない犬の生首を睨み付ける勇気は3秒も続かなかった。

 

 * * *

 

「あははは、そりゃ除念師じゃなかったら返り討ちに遭うわ! 除念師でも9割死ぬわこれ! むしろよく一人生き残ったね!!」

「マジであいつ生き残ったな! っていうか、これは確かに寄生型の念能力で間違いないわ! こんだけの数を一代で作り上げたらなんかもう純粋に尊敬するわ!!」

 

 実に面倒くさそうな声を上げてから、何故かソラとジンは笑いだす。

 想像以上の数の犬神を見てヤケクソで笑っているというより、素で変なツボにはまったらしい。

 二人そろって腹を抱えて笑い、アルバだけではなく仲間であるカイトにまで引かれていた。

 

「……おい、本当に大丈夫なのか?」

 何がそんなにおかしいのかわからない笑いどころで大笑いしている二人を、「親子か、お前ら」と思いながら眺めていたカイトに、怒っているのか呆れているのかひたすら微妙な顔をしたアルバが問う。

 屋敷を覆う犬神の群れという光景を見ても、「めんどくさい」程度にしか思わない3人に安堵を覚えていたが、さすがにこの爆笑で「やっぱり大丈夫なのか!?」という心境になったらしい。当たり前だ。

 

 カイトの方も「たぶん別の意味で大丈夫じゃない」と思っているが、それを口にしてしまえばカイト自身もなんだか虚しくなるだけなので、ポリポリと誤魔化すように頭を掻きながら、「……まぁ、大丈夫だ」と答えておく。

 しかし一度失った信頼は、もちろんそんな一言で取り戻せない。というか、まだ笑っている二人の声がカイトの言葉の説得力をなくすどころかマイナスにしている。

 

 この場の緊張感や犬神によるおどろおどろしさも爆砕させていくBGMにカイトは頭痛を堪えながら、「大丈夫じゃないだろ」と雄弁に語る顔をしたアルバに一応、「大丈夫」の根拠を語る。

 

「俺は死者の念なんてほとんど関わったことはないが、あの爆笑してるお嬢さんの経験上の見立てだと明確に具現化してるから、除念師じゃなくても念能力ならダメージは与えられるらしい。

 もちろんそれだけじゃ、あの『犬神』とやらはすぐに再生するから時間稼ぎにしかならないが、トドメを刺せる奴が一人いるのなら俺たちは時間稼ぎで十分だ。

 今日中に全滅はさすがに無理だろうが、無謀なことをしなければ確実に数を減らしていける。数日も掛ければ十分、犬神は殲滅できるはずだ」

「……そもそも、あの女が本当に『死者の念』を殺せるのかどうかが、私には疑問なんだがね」

 

 日没前の休憩時にカイトが「『死者の念』相手なら俺たちでは手も足も出せないのか?」と尋ねた時に返されたソラの言葉をそのままアルバに伝えると、彼はまだ胡散くさそうな目で問う。

 笑いはさすがに治まったが、今度は笑い過ぎてむせている女を横目で見て「そう思うよな……」とカイトは内心で深く同意した。

 ジンも同じようにむせているが、それは弟子の優しさで見ないことにする。

 

「プロとしてはルーキーでもアマチュアで活躍してきたらしいから、少しは信用したらどうだ?」

 

 カイト自身も、正直言って色んな意味で「大丈夫か、あの女」と思っているが、どうもライセンスを得る前から除念師として、それも死者の念に関して特化した活躍をしていることは事実であることと、あの車内のバックミラー越しに見た眼がその不安を払拭する。

 

 実物は見たこと無いが噂に名高い「クルタ族」の「緋の眼」のように、藍色の瞳の明度がいきなりスカイブルーにまで上がったことについては、驚きはするが本来ならただそれだけのこと。

 本来ならソラの眼の色が変質することと、死者の念の除念が結びつくわけがない。ただのクルタ族と同じく特異体質なだけと判断すべきであり、そうするしかないはずだった。

 

 なのに、カイトもジンも自然に結びつけた。どちらも、ソラ本人にはもちろん師弟で「あの眼をどう思う?」という確認もしていない。

 ただあの眼を見た瞬間、人体蒐集家などという反吐が出るほどに外道な趣味嗜好の一端を理解してしまいそうなほど美しいあの蒼天の瞳を見た瞬間、いくつもの死線を潜り抜けてきたハンター二人は、「この眼こそが、『死後の念』も殺している」と確信した。

 

 今まで自分たちが潜り抜けた死線よりも、はるかに濃厚な「死」の気配を引きずり出したあの眼にもはや理屈はいらない。

 

 理屈が理解できなくとも、あの「眼」が異常であることを確信して理解できた。

 もちろんあの「眼」がどういうものか、自分たちの「死」の気配をどうやってあの眼が引き出したのかという理屈もカイトは気にしているし、知りたいとも思っている。

 自分のハンターとしての分野以外のものに関してはさほど好奇心が働かないカイトでもそう思っているのだから、あらゆる分野に迷惑なくらい好奇心を働かせるいい意味でも悪い意味でもハンターの鑑なジンは、もちろん虎視眈々と言うには潔いほど堂々とソラの「眼」や「死者の念をどうやって『殺す』のか」という情報を得ようとしているのだが、未だ二人はほとんど何も情報は得ていない。

 

 何となく、車の中での会話や日が沈むまでの休憩時間でこの女は、基本的に訊けば「え? そこまで話すの?」とこちらが困るくらい真っ正直に話す、バカ正直というよりさらにその裏で何かを企んで狙ってそうで怖いくらいだという印象を受けたので、「眼」や除念についても訊けば答えてくれそうだと思ったが、ジンもカイトも訊かなかった。

 というか、訊く暇が残念ながらなかった。

 

 その訊く暇がなくなった要因の一人であるアルバを、カイトはちらりと横眼で見て尋ねる。

「……ところで、あんたはどういう経緯で雇われることになったんだ?」

 

 カイトの問いに、アルバは不愉快そうでありならが同時に飄々と答えた。

「ボスからの話を聞いていなかったのか?

 私はボスが死んだ妻の幽霊を見かけて、念のために雇われた。ただそれだけだ」

「それだけじゃねぇだろ」

 

 アルバの答えを即座にカイトは否定する。「それだけじゃない」根拠を語る。

 

「お前とボス……アトラムはこの件をきっかけに専属契約を結ぶようになったんじゃない。お前が最初に雇われたのは、2年半前。……アトラムの妻、キヨヒメが姿を見せなくなった時期と一致してる。

 

 ……お前の能力はまだよくわかってないが、これを見ればお前さんが相当優秀な能力者であることはよくわかる。が、お前の能力は戦闘能力がないどころか、何かを『守る』ことに特化してる訳でもない。『隠す』ことに特化している、使いどころが限られている能力だろう?

 そんな能力者であるお前が、2年半前はいったいどんな理由で雇われたんだ?」

 

 さすがにハンターになってからの年月も人脈もカイトがジンに勝てるわけもなく、アトラムの死んだ妻であり、「犬神遣い」という異色の操作系能力者、間違いなくこの事件のカギを握る「キヨヒメ」という女性の情報はジンの友人知人によって得ることが出来た。

 

 しかし残念ながら「キヨヒメ」は流星街出身だった為、肝心の「犬神を継承した者」である可能性が高い「キヨヒメの血縁者、特に同性」がいたかどうかは全く分からなかった。

 代わりに、類は友を呼ぶのか変に凝り性かつサービス精神旺盛なジンの友人達は、「キヨヒメ」のことだけではなく、彼女の周囲についてのことも事細かく、ソラが親友の父親を連想するレベルで何故か調べ上げて教えてくれた。

 

 そのおかげで謎そのものは深まってしまったが、何が、誰が怪しいかくらいの特定は出来た。

 その特定できたうちの一人が、このコルネリウス=アルバという男についてだ。

 

 カイトが言った通り、この男が初めにアトラムと関わりを持ったのは半年前ではなく、そこからさらに2年前。

 それはキヨヒメが死んだとされる半年前、彼女の姿が見せなくなった時期と一致している。

 

 そしてアルバの経歴や、この屋敷に入って感じた違和感から3人が予測した彼の能力は、特定の空間を外から認識できなくする、もしくはその特定の空間に入った者に認識を狂わせるといった類の、イルミやシャルナークのような正統派ではなく、キヨヒメの「犬神」とも全く違うタイプ、自分に絶対忠実な人形を少数作り出すのではなく、かなり効果は大雑把ではあるが不特定多数に有効な「暗示系」とでもいうべき操作系だろう。

 

 カイトの指摘を、疑問を、横で無視して黙っているアルバを無視して、カイトはさらに言葉を続ける。

 

「……キヨヒメは社交性がある人間じゃなかったみたいだが、皆無って訳でもなかった。親密でもないし多くもないが、多少の近所付き合いや友達付き合いもあった。

 なのに、彼女が死んで密葬が終わってしばらく経つまで、その多少なりとも付き合いがあった連中は全員、キヨヒメを半年も見ていないという事実に気付けなかった。完全に空白なんだよ。お前が雇われていた時期の半年間、キヨヒメがどこで何をしていたかがな。

 

 ……なぁ、これは偶然か?

 アルバ、お前はいったい何を、誰を隠していたんだ?」

 

 カイトの問いに、アルバは真横のカイトを見もせず笑って尋ね返す。

 

「それが、今回の件に関して何か関係があるのかね?」

 

 間違いなく関係はあるだろう。

 しかし、「関係がある」と言い切れるだけの情報は、証拠はない。その証拠こそが、カイトが尋ねた「2年半前にアルバが雇われた理由」だ。

 

 今回の件に関係がある証拠を得るために今回の件に関係がある証拠を出せという、北欧神話の神剣(レーヴァテイン)を得るための試練のような問答を交わし、カイトは早々に諦めた。

 初めから本人が答えるわけなどないことはわかっていたので、別に悔しくも何ともない。正直言って、この男が何をしたかなど死んでも知りたくないくらいだ。

 

 さすがに数こそはもう増えやしないが、この結界内でも肌がビリビリしてくるほどに殺気立った「犬神」を見ていたらそう思うしかない。

「犬神」自身は自分を極限まで飢えさせて殺した人間と誤認しているだけだろうが、これだけの数を「犬神遣い」がこの家にぶつけるほどの「恨み」の理由なんて、後味も胸糞も悪いに決まっているのだから。

 

 * * *

 

「あー、笑った笑った。じゃあ、そろそろ始めようか」

 

 カイトがあらゆる意味でげんなりしている中、散々笑ってスッキリしたソラが気を取り直して言い出した。

 ちなみにジンはまだむせているので、カイトは気を取り直すどころかより頭痛がひどくなる。

 師に対する敬意がなくなりそうな頭痛にこらえながらも、なんとかカイトはプロ意識を絞り出して「打ち合わせ通りにいくか?」とソラに尋ねる。

 

「うん。やっぱり間違いなくあれは犬の死後の念だから、打ち合わせ通り二人は自分に向かってきた奴の返り討ち、私の援護、私が刻んだ残骸の後始末の順に優先して行動してくれたらいいよ。

 ヤバいって感じたら、即撤退。数が予想以上に多いけどすぐに補充できるようなもんじゃないから、とにかく確実に数を減らしていけば時間はかかるけど日に日に有利になるのはこっちだから、無茶はしない。

 

 アルバ。そういう訳だから、結界の範囲を屋敷内に限定して庭は開放して。

 こっちが結界外に出たら、それを狙ってる犬神の総攻撃をくらうのは目に見えてるからね。庭だけ開放して、こちらがいきなり現れた方が犬神の意表を突けて先制攻撃をかませるだろうし。

 あと、こちらが撤退する時はバカなこと考えないでちゃんと結界内に入れてよ。言っとくけど、あれはマジで私以外じゃたぶん手も足も出せないレベルだし、この数だとさすがに私一人だと殲滅は無理だから」

 

 もう一度ソラは事前に決めていたどのようにそれぞれ動くかという打合せ内容を確認し、そして今初めてそんな作戦とも言えない立ち回りを聞かされたアルバに対しても、勝手に何をすべきかを決めて命じる。

 まだ20歳になったかならないかくらいの小娘に、表面上の礼儀すらなく命令されたことがアルバのプライドをひどく傷つけ、彼女の言う「バカなこと」である「撤退する3人を結界内に入れない」を実行してしまいたいという思いに駆られるが、この上なく屈辱的だが冷静で客観的な自分がそれは結局自分の首を絞める行為であることを認めているので、思いとどまる。

 

 未だにアルバはソラが本当に「犬神」をどうにか出来るのかを信じてはいないが、それでもまさに藁にもすがる思いで期待している。

 本当に彼女が「犬神」を殺せるのであれば、この3人を見殺すのは一瞬だけ自分の溜飲を下げるだろうが、結果は間違いなく自殺行為同然だということが良くわかっている。

 

 そう、自殺行為だ。

 アルバはわかっている。自分はもう、逃げることなどできないということを。

 アルバはアトラムに忠義の類は持ち合わせていない。だから、本来ならこんな最悪の類である死後の念に狙われている男の護衛なんていう危険度があまりに高い仕事など、とっくの昔に契約破棄して逃げ出して見殺している所だ。

 

 それをしないのは、もう逃げ出すことが出来ないから。

 

 ……初めは、ただの「仕事」だった。

 ビジネスに徹していれば、もしかしたら「彼女」はアルバがアトラムを見捨てて逃げ出しても、追い打ちに襲いかかることはなかったかもしれない。

「彼女」のしてきたこととアルバのしたことなど大差がないのだから、あくまで「ビジネス」に徹していれば、「彼女」はアルバ個人に恨みは抱かなかったかもしれない。

 逃げ出すのであれば、「彼女」の邪魔さえしなければ、「彼女」にとって一番殺してやりたい、殺さなければならない相手はアトラムただ一人だったのだから、アルバなど眼中にもなかったかもしれない。

 

 しかしアルバは、欲を出してしまった。

 自分で選んで作り出し、そして研鑽を重ねて磨きぬいた念能力だが、戦闘能力が皆無であることはアルバにとって唯一で最大のコンプレックスだった。

 そのコンプレックスを払拭するために、アルバはアトラムの甘言に乗ってしまった。

 

「彼女」の逆鱗に、触れてしまった。

 

 だから、アルバは逃げ出せない。

 もう自分は、アトラムに利用されて関わってしまっただけの人間ではない。

「彼女」にとってアルバは、アトラムと同じくらい罪深い、何を犠牲にしても全てを失っても殺す以外の選択肢は無いほどに憎悪の対象なのだから。

 

「……いいだろう」

 

 自分がどれほど危うい立ち位置にいることを改めて自覚することで、小娘に命令されたという屈辱を抑え込み、アルバは了承の言葉を吐き捨てるように言ってから、指ではじいてソラ達3人にそれぞれ渡す。

 渡されたものは金属のシンプルな指輪であり、その表面にはびっしりと奇妙な模様……「神字」が刻み込まれていた。

 

「それが私の結界の『鍵』のようなものだ。それさえ持っていれば、君たちは屋敷を認識できるしフリーパスで出入りが可能だ。

 なくした場合は自己責任を取ってくれ。さすがにそこまで面倒を見る義理も義務もない」

「りょーかい」

 

 アルバの言葉にソラが軽く応じ、3人はそれぞれなくさないようにその指輪のサイズにピッタリかややきついくらいの自分の指を探してにはめる。

 が、ジンは小指すら第一関節の辺りで指輪は止まってしまった。

 

「……すまん、もっと大きなサイズか指輪以外のなんかねーか?」

「チェーンならあるよ?」

 

 ジンがさすがに少し気まずげに頼むと、ソラが宝石を入れているウエストポーチから適当なペンダントを取り出して、チェーンとペンダントトップを分離してチェーンだけジンに渡す。

 アルバが何も言わないということは、別に指にはめていないと効果がないものではないらしい。

 

「もういいか? いいのなら私は屋敷に戻るぞ。

 それから、あまり派手な広範囲の攻撃は勘弁してほしい。君たちの予測通り、私の結界は防御ではなく隠すことに特化しているものだから、攻撃そのものを無効化はしていない。攻撃の余波などは直接、結界内にも伝わる。

 ボスも庭や塀はもちろん屋敷に多少の損傷は理解も覚悟もしているが、言うまでもないと思うがプロならば被害は最低限に抑えて欲しいね」

 

 ジンも指輪を通したチェーンを首にかけたのを確認して、アルバは最後に本当に言うまでもないことを一応忠告しておいた。

 アルバの判断は正しい。が、言っても無駄な破壊魔であるソラは相変わらず「はいはい」とアルバの神経を逆撫でする軽い返答で応じる。

 

「じゃ、あなたは屋敷で待機しといて。まぁ、フリーパスで入れるんなら、別に見とかなくていいよ。屋敷に入ってすぐに、庭の結界を開放してくれたらいいから」

 

 完全にアルバを戦力として計算していない、眼中にもない指示にアルバは酷く癇に障るが、戦力として期待されて「お前も戦え」と言われた方が困るのも事実なので、彼は舌を打ってさっさと屋敷内に退散する。

 そしてさすがに庭園のみとはいえ雇い主に報告なしで結界の範囲を狭めるのはまずいと判断して、彼はまず電話を取り出したが、取り出した時点でアトラム自らやって来た。

 

「アルバ、あの3人はどうだ? 『犬神』もあいつも……『キヨヒメ』も本当に始末できそうか?

 そして、あいつらは他に何か……『あれ』についても気付いているか?」

 

 ソラの所為で苛立ちっぱなしのアルバだったが、アトラムはそれ以上に余裕もなく苛立ち、いつも以上に横暴横柄に問う。

 その口ぶりに、ソラの言動以上にアルバは苛立ってついつい相手が雇い主であることを忘れかけて、棘も毒も隠しきれていない口調で答えた。

 

「……『犬神』に関しては、外のあれを見ても爆笑出来るくらいだから、大丈夫なのでは? 別の意味で心配極まりないですけど。

 

 他のことに関しては……、『キヨヒメ』が死ぬ前の半年の空白は私の仕業であることには、気付いているようですね。さすがに『あれ』についてはまだ誰も、何も気づいていないと言うより想像も出来ていないようだが。

 まぁ、どうも3人とも人は好い部類のようだから想像は出来なくて当然かもしれませんね。あんな、鬼畜としか言いようがない所業など」

 

 アルバの返答にアトラムは片眉を不愉快そうに跳ね上げる。

 そして余裕などない狭量で小心な男は、甚振るような笑みを顔に貼りつけて言い返した。

 

「……そうだな。そして、アルバ。他人事のように語るがな、お前も私と同じ『鬼畜』だ。

 

 お前はとっくの昔から、ただ私に雇われたハンターではなく私の『共犯者』なのだよ」

 

「お前一人だけ逃げることなんて許さない」という副音声をわかりやすく携えた言葉に、アルバは悔しげに唇を噛みしめる。

「全ては貴様の所為だろうが!!」という、自分のしたこと、そして今もしていることを全部棚上げした呪詛を心の中で吐き捨てながら、アルバはアトラムの言葉……「共犯者」という自分の立場から目をそらすように、「奴らが戦いやすいように結界の範囲を狭める」という報告をした。

 

 アルバの報告に、アトラムの歪んだ笑みはまた余裕がない苛立って不愉快そうな顔に戻る。雇い主たる自分に一切相談もなく、結界の範囲を狭めて庭を戦場にすることを決定されていたことが不満なのだろう。まぁ、それはアトラムの性格など関係なく当然だが。

 

 しかし、アルバから伝言されたソラの言い分が正論であることも考えるまでもなくわかっているので、アトラムは渋々だが許可を出し、そしてそのままアルバから背を向けて自分の部屋に戻ろうとする。

 アルバの結界の効果が対象の存在を認識出来なくするというものであり、攻撃そのものは防げないことを良く知っているので、アトラムはとばっちりをくらいかねないのにわざわざ3人の仕事ぶりを見学する気はサラサラなかった。

 

 が、アルバが「庭園を開放しました」という報告の直後、屋敷にまで響き渡った轟音に思わずアトラムもアルバも一瞬素で飛び上がって、二人して庭園に目を向ける。

 

「おっ! 本当にダメージは通るみたいだな!」

「おっさん何してんの!? アルバの話聞いてた!?」

「っていうか、ジンさんわざとでしょ!? ただ単にうっぷん晴らすために念弾をぶっ放しましたよね!?」

 

 そこには、無数の首だけの犬の亡霊と、なんだか騒いでる3人のハンター、そして一瞬にしてめちゃくちゃにされた庭園があった。

 どうやら、アルバが念押しで忠告すべきだったのはソラよりもジンの方だったらしい。

 

 * * *

 

 アルバが庭園のみ結界を開放して、屋敷の外を飛び交っていた犬神たちがソラ達の存在に気が付くと、犬神たちは意表を突かれた様子もなく即座に3人へと襲い掛かってきた。

 残念ながら、飢えと憎悪で正気を失っている獣は唐突に人間が現れても、意表など突かれなかった。それが驚くべき予想外な出来事だと思えるほどの知能さえもとうの昔に失われ、彼らを動かすものはもはや本能とさえ言えない狂気だけ。

 

 しかし、言い出したソラはもちろんジンやカイトも「犬神の意表を突ける」は、宝くじの当選よりも期待していない。

 自分たちにとって一番都合のいい、楽観的な予測だけして他の可能性が思いつけないようなおつむで生き残れるほど、平和ボケした人生を3人は送っていない。

 

 3人とも、想定しているのはいつだって最悪の可能性。

 だから、犬神が即座に襲いかかってきても思うことは何もなく、犬神が襲い掛かって来るよりも早く3人は行動する。

 

『ひゃっはははは! いい目が出ろよー!! ドゥルルルル……4!!』

 カイトは自分の念能力「気狂いピエロ(クレイジースロット)」を具現化して、スロットを回す。

 ソラはいつも通り、何の変哲もないボールペンを取り出して構える。

 

 しかし、やはり歳もハンター歴も最年長は伊達ではないのか、ジンが一番早かった。

 

「ショットガン!!」

「「えっ!?」」

 

 アルバの忠告を綺麗に無視して何の躊躇いもなく犬神数匹に何発か念弾をぶっ放し、庭園の美しく手入れされた木々や花壇、小さな噴水等はもちろん、屋敷を取り囲む塀も一部だが大きくジンは最速でぶっ壊した。

 おそらく対極の具現化系でも習得だけなら可能な、放出系の基礎の基礎程度の念弾だったが、それでも一瞬で庭園にトラックでも突っ込んできたかのような惨状を作り上げる威力は、ジンの念能力者としてのレベルの高さを物語るが、同時に彼の精神年齢の低さも物語っている。

 

「おっさんは何なの!? あんたの耳、鼓膜入ってる!? 風通しのいいメッシュ加工にでもされてんのか!? ゴンでもこの時点じゃたぶん少しは遠慮するよ!!」

「ひでぇ言い草だな、おい! っていうかそこでゴンを引き合いに出すって、あいつもあいつで何してんだ!?」

 

 自分でもさすがにしないほど高速に遠慮をかなぐり捨てた破壊活動に、思わずソラが激しく突っ込む。

 ソラの性格や今までしたことを知っている者が聞けば、「お前が言うな」なセリフだが、悪魔が言っても真理は真理。まさしく言われても仕方ないことをジンはやった。

 

 そんなギャースカと状況をわかっているのかいないのか、騒がしくものんきな言い争いにまたしてもカイトはやや呆れて引く。

 

『……おい、カイト。あのバカ二人に交じりたそうなところわりーが、そんな暇ねぇぞ』

 

 が、カイトが呆れているとライフルに変形したピエロがいつも通り鬱陶しくてずいぶん心外なことを、珍しいどころか初めて見るようなテンションの口調で言った。

 それは、ショック状態の絶句からようやく話せる程度に回復したような、異様にかすれた声音だった。

 

 そしてその理由は、尋ねるまでもなくわかった。

 異常事態に、気付いた。

 

 犬神が、自分たちに向かって来ない。

 結界が解放されて唐突に現れた自分達に意表を突かれなかった時点で、ジンの攻撃に怖気着いたという可能性などあり得ない。

 あり得ないはずなのに、犬神は自分達ではなくジンに攻撃された数匹の犬神の方にいきなり方向転換して向かって行った。

 例外などなく、全ての犬神が。

 

 その異常事態に、カイトだけではなくジンもソラも気付いたのか、いつの間にか言い争いは止んでいる。

 代わりに、ジンが「げっ!」と声を上げた。

 カイトも、同じものを見て同じように声を上げて顔から血の気が引いていくのを感じる。

 

 犬神は、発狂しても同じように殺されて使役されている仲間を心配しただとか、守ろうとしたわけじゃない。

 

 グチャグチャと肉を咀嚼する音、ズルズルと血を啜る音、ガリゴリと骨を砕く音がいくつも聞こえる。

 ただの飢えではなく、生き埋めにされて目の前に餌があるのに届かないという拷問の果てに狂わされた挙句に殺された犬は、本能による仲間意識さえも完膚なきまでに壊されていた。

 

 ソラの言った通り、犬神は念能力により攻撃はダメージが通ったが、普通の念獣のように消滅させることは叶わなかった。ジンの攻撃をくらっても、頭の半分が吹っ飛んでもじわじわと再生しながら動いていた。

 そんな、亡霊に言うのはおかしな表現だがまだ生きている犬神を、他の犬神が貪り食っていた。

 

 彼らにとって怪我を負って弱った個体は、守るべき弱者でもなければ自然の掟にしたがって見捨てる敗者でもない。

 ただの獲物に過ぎなかった。

 

 自分達の飢餓はもはや永遠に満たされないことに気付かず、犬神は仲間だった……いや、彼らには仲間の概念などない。おそらく弱って「獲物」になってやっと存在を認識した同族を、他の犬神たちと争いながら血の一滴すら残さず食らいつくす。

 

 これだけでも十分におぞましい光景だが、これだけならばジンもカイトも声など上げない。血の気が引くほどのことではない。

 これほど生々しくものはなくても、飢えで共食いなんて自然ではよくあること。

 

 血の気が引いたのは、ただ食って終わりではないから。

 犬神は獲物をむさぼり喰らいながら変質していったから。

 

 シャム双生児を連想させる異形の犬に。

 頭部しかない犬に、あるものは前後に、あるものは左右にもう一つの頭部が生える。

 頭部の形をしているのもはまだいい方だ。頭部の形を成しておらず、一つの犬の頭にもう一匹の犬の頭部のパーツがてんでバラバラに融合しているものもいる。

 

 もうすでに死んでいるから食われたって死ねない犬の亡霊が、自分を喰らった自分の同類に寄生してさらなる異形と成す獣たちに男二人は絶句していると、ソラがその沈黙を破る。

 

「……私が知ってる奴よりもずいぶんと躾がなってないね。けど……まぁ好都合だ」

 

 二人の背後からの声が、背筋に悪寒を全力疾走させ、全身に鳥肌を粟立たせる。

 違う。声ではない。

 悪寒も鳥肌も、この声変わり直前の少年じみた声ではなく、どこか嬉しそうな余裕が見える言葉に反応したものではない。

 

 どちらも、見ていなくてもわかった。

 自分達の背後で、ソラが再び「あの眼」になっていることを、あの車内と同じであの時よりも強引に引きずり出さるような死の気配が告げる。

 

 それを肯定するように、ソラは続けて言った。

 

「喰らって数自体を自分たちで減らしてくれるのなら、好都合」

 

 他の犬神を喰らい、さらなる異形と化した犬神は見た目がおぞましいだけではなく、明らかにオーラ量も格段に増えていた。喰らうことで、その個体のオーラを取り込んで強化されていた。

 確かに数そのものは減るが、一匹一匹がさらに厄介になっているというのに、ソラから余裕は消えない。

 

「で、何で二人は呆けてんの? おっさんは最初の勢いはどこに行ったんだよ?」

 

 彼女にとって厄介な点は「数」だけだった。

 

「先に行っちゃうよ?」

 

 少しおどけるように言って、ジンとカイトの間をすり抜けて駆ける。

 何の変哲もない安っぽいボールペンを携えて、それにオーラを込めもせずにジンから攻撃を喰らった個体を食らいつくし、再びこちらを獲物認定した犬神の群れに突っ込んでいく。

 

 蒼天にして虚空の瞳で。

 死に続ける死ねない獣を殺しに行った。

 

 * * *

 

「『……化け物か、あいつは』」

 

 思わず、ピエロと感想がハモった。

 

 空中を跳び回って襲い掛かってくる犬神相手に、4番のライフルだと使い勝手が悪くさっさとまたスロットを回して武器を変えたいところだが、間違いなくいったん武器を解除してまたスロットを回している隙に、犬神からの総攻撃を喰らうことくらいわかりきっているため、カイトは仕方なくライフルで犬神を撃ち落とし、近づいてきたものはライフルで殴って吹っ飛ばす。

 

 武器を変える余裕はないが、目でソラの姿を追うことくらいは出来た。

 むしろ、そんなことをしなければ武器を変更する余裕くらいはあったかもしれないが、カイトは余計にひどい武器が出るかもしれないギャンブルより、「神様だって殺してやる」と言った女の戦いを観察することを選んだ。

 

 彼女の言葉は、真実だということは最初の一撃で十分だった。

 

 オーラなどこめていない、何の変哲もないボールペンでソラは犬神を、亡霊を、死者の念をいともたやすく解体してゆく。

 解体という言葉さえも、違和感を与える。

 歪で不規則な形だが、あまりになめらかな切り口を見せてばらけていく犬神を見ていれば、初めからそうやって外れる構造だったのではないかと疑う程、犬神たちはソラがボールペンを振るうごとにバラバラに分断されていく。

 

 初めのジンの攻撃同様に、犬神はソラに解体されてもまだ動いた。が、ジンの時とは違ってあまりに動きは鈍く、そして再生する様子もない。

 

 そしてやはりダメージを負って弱った個体は、他の犬神によって捕食されて消えてゆく。

 けれど、複数の頭部や頭部のパーツを持つ異形の犬神は生まれない。

 ソラが解体した犬神を喰らっても、犬神はその個体のオーラを取り込むことが出来ず奴らはまさしく自分たちで数を減らして緩やかに自滅していく。

 

『マジで何だありゃ? 獣よりも獣じみた動きしてるだけでも化け物じみてるのに、死者の念を、もうとっくの昔に死に切ってる残骸をさらに殺しつくしてるぜ! 念能力に対する死神かよ!?

 おいおいカイトどうするよ? 年上も男の面目もねーぞこのままじゃ! 何なら新しくスロットに0の目でも追加して俺様もボールペンになってやろうか?』

「うるさい。お前こそ後で頼んで切り刻んでもらうぞ」

 

 主であるカイトとは対極にテンション高く騒がしいピエロで犬神の頭を叩きつぶしながら、それでも目でソラを追う。

 ピエロの言う通り、あまり洗練された動きとは言えない立ち回りなのに、四方八方から飛び交って襲い掛かる犬神に傷つけられるどころか一人でも十分だったのではないかという勢いで殲滅していくソラは、悪いが化け物としか表現のしようがない。

 

 完璧に死角を突いていたはずなのに、完全に逃げ場を塞いでいたはずなのに、ソラはその完璧と完全のか細い糸のような隙を必ず見つけ出して避けきり、反撃する。

 これだけでもこの女の「異常さ」は気味が悪いくらいに浮彫だが、それよりも主張する「異常」はやはり、変質した瞳の色と“念”では説明できない異能。

 

 事前に本人が言っていた通り、完全に「死者の念」を無効化していくだけでも有り得ないが、この女は解体する以外に宝石を投げつけるなり、拳を“凝”状態にして殴り飛ばすなどの牽制も行っている。

 それは“念”の常識に当てはまるからこそ、肝心の犬神を殺しつくす異能の正体がわからない。

 

「……ジンさん。あなたの方は少しはあいつのあの『力』について知ってるんでしょ? 何なんですか、あれ?」

 

 ソラを目で追いつつ、犬神を撃ち落として叩きのめしながら、カイトはジンに助言を求めた。

 今回の件にジンが首を突っ込んだのは、ただパリストンが気に入らないから邪魔したくなったとしか聞いていないが、ジンはパリストンが嫌いだからこそそこまで積極的に関わりはしないことをカイトは知っている。

 あの構ってちゃんは邪魔をされても気にしないどころか喜ぶ、無視が一番いいと言っていたのは本人だ。

 

 だから、早い段階で本当の関わった理由はこのルーキーであることくらい予想ついていたが、予想以上の「異常」っぷりにカイトは身の程知らずだと自覚しながらも、心配になってしまった。

 ジンはいったい、彼女のことをどこまで知っていて、何に興味を懐いたのか。

 そしてその興味はただ「知りたい」だけなのか、知った上でさらに先があるのか、その先は何なのか。

 

 人でなしのろくでなし、父親としてはダメ親父としか言いようがない人間であることを良く知っているが、決して人として失ってはいけないものを手放すような人ではないことも良く知っているからこそ、師として誰よりも何よりも尊敬して慕っている人なので、別にジンのやることやしたいことに対して心配や不安はない。

 あったとしたら、「俺や他人に迷惑をかけないでください」くらいだ。

 

 不安なのは、この「異常」はきっとジンでさえも手におえないと思わせたから。

 だからカイトはジンに尋ねたのだが……

 

「あぁっ!? カイト、何だって!? っていうか、ちょっとお前こっちを手伝え!!」

「!? 何してんですかジンさん!?」

 

 しかし、カイトの問いは聞かれていなかったどころか割と本気で焦っているような返答が返されて、ソラが犬神に特攻してから初めてカイトがジンに目を向けて見れば、意外な光景が繰り広げられており、思わず素で訊いた。

 

 何故か、やたらとジンの周りに犬神が群がっていた。

 ジンの切羽詰まった声音とカイトの突っ込みでソラも彼の方を見てみると、まるで夜の街燈に群がる羽虫のように何故か全体の6割はジン一人に集中して襲いかかっている光景がまた変なツボにはまったのか、まずは盛大に噴き出した。

 

「あははははははっ!

 おっさん、すげぇな! いいハンターは動物に好かれるっていうのは本当なんだね!!」

「これを動物とカウントするなら、今この瞬間は最低なハンターでいたいわコンチクショー!!」

 

 ジンの言う通りである。おそらくゴンでも、これは遠慮する。

 どちらも犬神を切り刻んだり殴り飛ばしながらも言い争い、カイトは「お前ら空気を読め」ともはや師に対する遠慮や礼儀を投げ捨てて突っ込みたかったが、カイトもそのやり取りに噴き出してしまったため説得力がないので、無言でジンの周りの犬神を何頭か撃ち落としておいた。

 

「けどマジで何でおっさんだけ狙い撃ちされてんの? 実は最初の一撃を根に持ってんのかな? それとも、おっさん食肉として上質?」

「やめろ! そんな事実知りたくねぇよ! っていうか、お前らマジで手伝え!!」

『いや、お前らだいぶ余裕あるだろ。遊んでねぇで真面目にやれよ』

 

 ソラとジンのやり取りに、カイトの代わりにピエロが割と冷静に突っ込んだ。普段は主であるカイトとは似ても似つかない人格だが、たまにやはり自分が生み出したものなのだなと思い知らされることがある。

 

 ピエロの突っ込みにジンは「カイトーっ!!」とキレるが、カイトはしれっと「言ったのは俺じゃなくてピエロの方です」と責任転嫁する。

 自分の能力に責任転嫁する弟子にまだ何か文句をつけようとジンはカイトの方に体を向ける隙に乗じて、背後から犬神が一匹猛スピードで突っ込んできたが、それをソラよりも軽やかにひらりと上半身をのけぞって避けるジンは、やはりピエロの言う通りだいぶ余裕があった。

 

 が、装飾品の類を身に着ける習慣などないから生じた油断だろう。

 撤退する時、結界を張られた屋敷を見失わないように、結界に拒まれぬようにと渡された神字が彫り込まれた指輪。指にはめれなかったそれを通して首から下げたチェーンがのけぞった拍子に浮かび上がり、犬神に当たってチェーンが千切れた。

 

「げっ!?」

 

 カイトたちに「手伝え!」と言っていた時以上に、本気で切羽詰まった声を出してジンはチェーンから外れて空中に投げ出された指輪に手を伸ばす。

 手を伸ばすと同時に、初めからジンに襲い掛かっている奴らはもちろん、カイトやソラに攻撃していた犬神たちも二人を無視して犬神が軍勢となって襲い掛かり、群がった。

 

 ジンにではない。

 ジンが手を伸ばしてつかみ取ろうとした、指輪にだ。

 

『!?』

 

 幸いながらソラがだいぶ一人で数を減らしたとはいえ、まだ余裕で3桁はいる犬神が全て小さな指輪に群がっても、それはお互いが邪魔をして盛大な衝突事故を起こすだけ。

 大半は自滅で終わり、初めから自分の近くにいて衝突を免れた犬神は自力で撃退して、何とか無事指輪をつかみ取ると同時にジンは叫ぶ。

 

「ソラ! これは『受け継いだことも知らない無自覚の暴走』じゃねーぞ!!」

 

 言われなくても、ソラもカイトも理解できた。

 この犬神に知能の類がないことは、初見でわかりきっている。

 もしもキヨヒメから知らない間に「犬神」を継承されて、キヨヒメの死に対してアトラムを「許せない、死ねばいいのに、殺してやりたい」という憎悪によって能力が無自覚で行使され、犬神が暴走しているのであればただ犬神はひたすらアトラムを探し求めるだけのはず。

 

 そんな知能は、ないはずなのだ。

 指にはめているソラやカイトよりチェーンで首からぶら下げているジンの方が、結界の鍵である指輪を奪いやすいなんてわかるはずがない。

 

 ならば考えられるのは、ただ一つ。

 この犬神は明確に、知性ある誰かの意思の代理として動いている。

 

「…………っていう事は――」

 

 そのことに気付き、ソラはボールペンを握りしめて笑った。

 獲物を袋小路にまで追い詰めたような、凄絶な猫のような笑みで彼女は呟く。

 

「もう、遠慮する意味はないってことだね」

 

 言うと同時に、突き刺した。

 ジンが握り込んでしまったので指輪を奪うことを諦めたのか、今度は3人に対して同じくらいの配分でまた犬神は襲い掛かる。

 その犬神の鼻っ柱に何の躊躇もなくソラがボールペンを突き刺すと、柔らかい粘土に突き刺すように深々とペンが沈む所までは今までと同じだが、その後ソラが不規則にペンを動かして犬神を切り刻みはしなかった。

 

『■■■■■■■!!』

 

 苦痛なのか怨嗟なのか、それとも恐怖ゆえか判別のつかない断末魔を上げながら、ソラにボールペンを突き刺された犬神は風化するように形が崩れて消えていった。

 正直言って、「犬神を殺すと連鎖的に能力者も死ぬから、相手が無自覚ならしたくない」という発言を本人が覚えていたのかどうか怪しいくらいにソラは無双していたが、本当に彼女はちゃんと遠慮していたことを、この一撃でジンとカイトは思い知る。

 

「線」ではなく「点」を使うことを解禁してしまえば、ただでさえソラ一人で十分に思えた無双っぷりに拍車がかかる。

 全ての犬神を言葉通り一撃で殺してゆくソラは、先ほど以上に「化け物」や「死神」の名にふさわしく、今度こそ本当に自分たちは必要なのかと少し自嘲してしまう程だが、幸か不幸かジンとカイトに役目はあった。

 

「っち! キリがないな……。おっさん! カイト! ちょっとだけ犬神引きつけて時間稼ぎお願い!!」

 

 もはや流れ作業じみているほどに次々と犬神を殲滅させていたソラが舌を打って、大きく飛びのいてジンとカイトの後方に回り、そして言った。

 

「一撃で決める」

 

 一瞬、言っている意味がわからなかった。彼女は十分に一撃で犬神を殺していた。

 意味を理解したのは、慣れたと思っていた恐怖が蘇った時。

 背筋に悪寒が脳髄まで走り、全身に粟立つ鳥肌が「逃げろ」と訴える。

 

 生存本能が、絶叫してこの場から逃げることを訴えて求めることで、理解する。

 まだ、ソラは本気ではなかったことを。

 

 両目にオーラを集中させて、その「眼」の精度を上げる。

 鮮やかなスカイブルーからさらに明度が上がって行き、この世のものとは思えぬほどの美色の青が顕現する。

 そしてその青が、空が、虚無が「死」を引きずり出す。

 

 ソラから引きずり出される死の気配による恐怖は、知能さえも壊されて失ったケダモノでさえ思い出すほどに原始的なものだった。

 初めて犬神たちが、怯えるように戸惑うように動きを止めた。

 

 しかし、それを許さないものがいる。

 

『……ロセ…………殺セ!!』

 

 もっとも原始的な恐怖、抑止力級の願望さえもねじ伏せて、ソラを最も厄介な「敵」と認識した「それ」は犬神たちに命令する。

 

『殺セ殺セ殺セ殺セ殺セ殺セ殺セ殺セ殺セェェェッ!!』

『!?』

 

 唐突に響き渡った、甲高い犬の鳴き声を無理やり人間の言葉をあてはめたような絶叫が響くと同時に、それは現れた。

 おそらくは“陰”状態で初めからいたのだろう。姿を現したのは、“陰”を保つ余裕がなくなったのか、他に理由があるのかはまではわからない。

 

 ジンが初めに壊した塀の前に、大型の犬が一匹いた。

 犬神のように頭部だけではなく、ボルゾイのように細くしなやかな体を持つ人間ほどの大きさの犬だが、遠目からでもその犬は全体がやけに歪で、体毛も頭部がやけに長いのに体の毛は妙に少なくて短い、奇妙な犬だった。

 

 その犬は、唸り声を上げながら叫ぶ。

 

『カ……エセ……返シテ返シテ返シテ返シテ返シテ返セッッ!!』

 

 犬神よりは真っ当な知能を保有しているだろうが、どう見ても意思疎通が出来るほどの理性は残っていない獣が叫び、その叫びに犬神は呼応して襲い掛かる。

 完全に敵認定したソラに向かって、先ほどまで感じていた恐怖も忘れて、自分たちをここまで壊して狂わせて殺した主と誤認して、最も憎い主のために襲い掛かる。

 

 しかしそれでも、ソラは揺るがない。

 

「お前が司令塔か!」

 

 むしろ嬉しげな声で呟き、駆ける。

 ジンとカイトが自分たちを無視してソラに襲い掛かろうとする犬神たちを撃ち落とし、殴り、蹴り飛ばして作った道を疾走し、二人でも防衛しきれなかった犬神はボールペンで切り伏せて、この犬神の軍勢を指揮する犬の元まで駆け抜ける。

 

 ソラでなくても、この奇妙な犬こそが「犬神」という特殊な操作系能力の要であることは一目瞭然だった。

 ソラだからこそ、見てすぐに分かった。

 あの「犬」さえ殺せば、あの「犬」の点さえ突けばこの犬神はもちろん、能力者本人も連鎖的に死に至ると確信していた。

 

 ……確信すれば、脳裏でまた「彼女」が儚げに笑った。

 確かに自分の意思で復讐を果たしたけれど、決して自分の本意ではなかった、血にまみれた自分の手に絶望した彼女を思い出したけれど、それでもソラは止まらない。

 

 殺してやりたいのは、「犬神遣い」よりも依頼主であるアトラムの方だ。

「犬神遣い」に関しては今も昔も、同情しかない。

 

 それでも、ソラが「殺す」と決めたのは、切り捨てたのは今も昔も「犬神遣い」の方だった。

 

 パリストンの手の内で踊るのはいい。あの男を楽しませるのは業腹だが、それでも良かった。

 自分にとって何よりも大切な人が、奴に悪趣味によって壊されるくらいならソラ自身が玩具になることを選んだからこそ、そして絶対に奴の作り上げた舞台もシナリオもぶっ壊すと決めてソラはここにいる。

 

 だから、揺るがない。迷わない。止まらなかった。

 

「無垢し――!?」

 

 その「犬」を、真正面から見るまでは。

 

 * * *

 

 司令塔と思わしき「犬」の元まで辿り着き、突き刺すつもりで振り上げたボールペンが止まる。

 蒼天の瞳が見開き、「犬」を凝視してソラは唇を戦慄かせた。

 

「……お……まえ……は……」

 

 犬神の総攻撃をかけても道を切り開いて自分の元までやって来たのに、何故か攻撃をやめて一時停止してしまったソラに「犬」自身も一瞬困惑した様子を見せたが、ジンとカイトが「何してるんだ!?」と怒鳴ると同時に、「犬」の方も絶好のチャンスであることを気付いたのか、自らソラに跳びかかる。

 

「っち!」

 

 しかし常日頃「死」を回避する詰将棋をし続ける狂人には、「犬」の狂気すら届かない。

 舌を打ってバク天の要領で飛びのいたついでに「犬」を蹴り飛ばし、そしてソラは叫ぶ。

 

「ジン! カイト! 撤退!! いったん屋敷に帰って!!」

 

 言いながら、彼女は自分に襲い掛かる犬神をやはり今までと同じように切り伏せながら、一目散に屋敷へ走り出す。

 ソラの指示に、二人は何が何だかわからないことだらけだからこそ素直に従う。その疑問を尋ねて答えてもらうには、ここではなくアルバの結界に守られた屋敷が的確であることは明白だ。

 

 犬神の性質にしてもアルバの結界の効果にしても、物理的な鍵の類は無意味なので初めから掛けておらず、ソラ達はスムーズに撤退して屋敷内に転がり込むことが出来た。

 

「!? な、どうした!? 何があったんだ!?」

 

 転がり込んだ3人のハンターに、アトラムは思わず声を掛ける。どうも、ジンが初めにやらかしたあまりにも遠慮なしの攻撃とその被害に呆気を取られてしまい、自分の部屋に戻るタイミングを逃してずっと3人の仕事を見ていたらしい。

 ただ、今までずっと呆気に取られて呆然としていたわけではない。

 

 念能力者ではないアトラムには、犬神は“陰”状態でなくても見ることが出来ないが、それでもソラ達が今までのハンターとは違って勝手に全身が食いちぎられて血まみれになって死んでいくことが無い時点で、「今度こそはこの犬神どもを消し去ることが出来るのではないか」と期待したからこそ、アトラムはずっと見ていた。

 

 アルバが唖然としながら、「……あの女は本当に死神か? ……犬神を殺している、だと!?」と呟いたのも、手のひらを反して彼らを信用するには十分な材料だった。

 

 なので、ソラ達が転がり込んで撤退してきたことに対する「どうした!?」には珍しく、皮肉や嫌味らしき毒や棘はなかった。

 だが、そんなことお構いなしにソラは行動する。

 

 アトラムが「どうした!?」と訊いている途中からすでに彼女は手を伸ばしていた。アトラムのセリフが終わると同時に、ソラがアトラムの胸倉を掴んでそのまま床に引き倒す。

 

「ぐっ!!」

「ボス! 何をしてるんだ、君は!?」

 

 いきなり引き倒されてマウントを取られたアトラムは背中や腰を思いっきり打ち付けた痛みに呻くことしかできず、アルバは一応アトラムを案じてソラに抗議したが、ソラの無双っぷりを見たからか明らかに及び腰だ。

 ジンとカイトも、ソラの唐突でまたしても斜め上な行動が理解できず、安全圏というのもあって無防備に目を丸くしてただ眺めていた。雇い主を助ける気は、表面上さえもゼロらしい。

 

 そんな三者三様な反応をソラは無視して訊いた。

 

「……お前……何をした?」

 

 マウントを取られて胸倉を掴まれて首を締め上げられながら訊かれ、アトラムは怒りと屈辱と恐怖の中、訊き返す。

 

「……何の……話だ?」

 恍けているのではなく、本心からソラが何を言っているのか、何を訊きたいのかがわからなかったから尋ね返したのだが、ソラからの返答はさらにわけのわからないものだった。

 

「――『キヨヒメ』だった」

 

 ソラのぽつりと、静かに呟いた言葉に一瞬沈黙が落ちる。

 アトラムの方はさらに不思議そうな顔になったが、他の者は、あの光景が、犬神の軍勢と奇妙な一匹の「犬」が見えていた者にはそれだけで十分だった。

 理解した証拠に、3人全員顔から血の気が引いて絶句していた。

 

 そんな3人の様子のおかしさには気付いても、アトラムにはやはりソラの言葉の意味がわからなかった。

 そのことに、見えていないのだから仕方がないという常識はもはやソラの中にはない。

 理不尽な言い分であることを理解しつつも、彼女は未だに自分の罪深さに気付きもしていない元凶の首をさらに締め上げて、スカイブルーよりさらに明度を上げた、青空の最上級の美称であるセレストブルーにふさわしい瞳に薄く涙を浮かべて叫ぶ。

 

 

 

「あの『犬』は、あの『司令塔』の犬は、キヨヒメ……お前の妻が変質したものだった!!

 答えろ! お前は……お前らは彼女に何をした!?

 

 死んでから自分の姿かたちや在り様が変質するほど、変質しなきゃいけないほどに、彼女に何をして、何を奪ったんだ!?」






本編がシリアスに終わってるのに、あとがきでこんなことを書くのはどうかと思うけど、書いとかないと盛大な誤解が生まれそうなのでエアブレイクでも明言しておきます。

アトラムはもちろん、アルバにも型月での安珍様と同じ性癖はないですから。こいつらは共犯者なだけですよ。警告タグは追加されませんから。
アトラムの嫁がメディアでも玉藻でもなく清姫なのは、全く別の理由からです。

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