死にたくない私の悪あがき   作:淵深 真夜

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58:大人の話、子供の話

 ソラが何を生業としているハンターなのかはよく知っているので、ズシから眼を離すなと言った理由が「死者の念」であることは予測していたが、ウイングの予想以上の「死者の念」であることを明かされて、彼はぎょっと目を見開いた。

 

「ちょっ! それ、本当に厄介どころじゃないですよ! 肝心な三人置いてきてしまいましたけどいいんですか!?」

 

 そして、眼を離すなと言った対象全員を闘技場に置いて来てしまっている現状に思わず突っ込むと、ソラは青い眼のままやはり闘技場を睨み付けながら答える。

 

「いや、そこまで心配するほどの相手でも事態でもないから大丈夫ですよ。

 っていうか、眼を離すなっていうのは保険だし、正確に言えばズシとゴンはほとんど心配いらない。心配なのはキルアだけ」

 

 言って、いくら睨んでも最初に見つけた「死者の念」を見つけることは出来ないと諦めたのか、眼の色の明度を落としながらソラは闘技場に背を向けて、近くのスーパーに足を運ぶ。

 

「けど、ズシにこのことを言わないでくださいね。こういうのって、知らないままの方が自然に無視できるから安全なんであって、知ってしまって意識しちゃったらそれが相手の『付け込む隙』になりうるので」

「すみません、ソラさん。私は死者の念に関してはあなたほど詳しくないので、色々と初めから説明してくれませんか?」

 

 歩きながら語るソラの話に、ウイングはどう対応したらいいのかわからず困惑しながら願い出て、ソラも「そうですね、ごめんなさい」と謝ってからまずは自分が見たものの話から始めた。

 

「まず初めに、私が見つけたものは普通の幽霊じゃない。念能力者の死者の念がたぶん6人分くらい融合しちゃってる、人としての形はもちろん、理性や知性も残していない混沌(カオス)そのものでした。

 たぶん全員200階クラスの闘士で、『死にたくない』っていう同じ未練を持った者同士で融合しちゃったんじゃないかなぁ? とにかく、生きてる人間の体を奪って乗っ取って蘇ることを狙ってました」

「どのあたりが大丈夫なんですか!?」

 

 改めて初めから説明されたら、ウイングは素で突っ込んだ。ソラの話ではどこにも「大丈夫」と言える要素はない。

 しかしソラはやはりウイングよりも、下手したらこの世のどんな念能力者よりも死者の念に関しては専門家だった。

 

「んー、正確に言うと大丈夫というかそもそもあれが他人の体の乗っ取りに成功する確率が極端に低いんです」

 

 自分の唇に指を当てて、上空を仰ぎ見ながらソラは答える。

 ウイングも見たことがない女性らしい格好でその稚気溢れる動作は実に可愛らしいが、その唇から紡がれる言葉は何も可愛くはなかった。

 

「偶発的なのか、それとも他者のオーラを吸収する能力者の念が、同じような未練を持つ相手を取り込んだのか知らないけど、どっちにしろ死者の念にしてはレベルが低い。

 ここの念能力者って、我流で“念”を覚えて四大行すらよく知らない奴も珍しくないから、死者の念でもちゃんとした能力にならないで、吸収した他者のオーラをただのエネルギーに変換できず、他者の人格までも吸収しちゃってるんですよ。吸収した相手も同じように強力な死者の念だったから、人格を潰してエネルギーに変換が出来なかったのかもしれないけど。

 

 その所為で、一人二人くらいなら多重人格みたいな感じになるか、吸収した人格が混ざり合って新しい人格になるぐらいだったけど、さすがに6人分だと整合性のとれた人格になるはずがないから破綻して、自我が混濁して人間らしい知性や理性はほとんど残っていない、ただ自分たちを繋ぐ共通点である『未練』そのものに執着してるのが現在の状態です」

 

 ソラの話は中々に興味深い話だが、相変わらずどのあたりでソラはズシやゴンを「大丈夫」と言い切り、何故キルアだけが心配と言ったのかがわからない。

 本人もこの段階の説明でそこらへんがわかるわけがないことくらい承知の上なので、ソラは人差し指を立てて教師のように滔々と説明を続ける。

 

「これだけ聞くと相手は念能力の災害みたいなもんで実際にそうなんですけど、複数人の自我が混ざり合って混濁して混沌(カオス)になってる所為で、あれは基本的に『誰からも知覚されない』っていう状態になってるんですよ。

 ほら、怪談やホラーもので『霊感なんてないはずなのに、何故か波長が合って見えてしまう』みたいな状態があるでしょう? あれとは逆に、混濁して破綻した自我の所為で私みたいにああいうのに敏感なタイプ以外、誰とも波長が合わなくなっているんです。

 

 だからこそ、まだ“念”に関して素人なゴンやキルア、ズシはもちろん、ウイングさんも200階クラスの闘士たちも誰もあれの存在に気付いていない。気付いていたら、それこそとっくの昔に私に依頼が来てるんじゃないかなぁ?」

 

 言われて、納得した。

 確かにソラの言う通り、天空闘技場に6人も融合して徘徊している死者の念なんてものが住み着いていたのに、自分が今まで気づかなかったことは異常だ。

 ウイングは自分が優れた念能力者だと思ったことはないが、ただでさえ強力無比な死者の念、それが6人分、さらに言えば無差別に生者の肉体を狙って常時誰かに悪意や殺意を向けているものなんて、ウイングどころかまだ“念”に目覚めたばかりでほとんど修行をしていないゴンやキルアはもちろん、少し勘が良ければ一般人でも気づくレベルのはずだ。

 

 なのに自分は全く気付かず、他の200階クラスの闘士たちの間でも話題に上がっていないということは、ソラの言う通りその死者の念はかなり特殊な状況で信じがたいが、強力なオーラを持つが誰にも波長が合わず、認識してもらえない状態だというのは事実なのだろう。

 

 天空闘技場は念能力者が何人も常駐しているという、特殊な場所であることもその死者の念に誰も気付かなかったことに拍車をかけているのかもしれない。

 間違いなくその死後の念のオーラは膨大で強力だが、ここの念能力者はソラが言った通り四大行すらよくわかってないまま我流で“発”に至った者ばかりなせいか、オーラ量をセーブして実力を隠せる者が少ない。

 

 つまりは多数の強力なオーラが常に入り混じっている状態なので、その死者の念のオーラも紛れてしまっているからこそ、誰もその死者の念の存在に気付いていないとウイングは推測し、その推測を口にしてみるとソラは肯定した。

 どうやら、彼女が見つけても始末しきれず逃がした要因がそれだったようだ。

 

「で、あれは誰とも波長が合わないせいで気付かれないだけじゃなくて、誰かの体を乗っ取るってことも相当難しくなってました。人格と同じようにオーラの系統も混濁して、元が何系だったかわからなくなって、どの系統でもあるしどの系統でもない状態になってるから。

 系統別に切りかえてオーラや能力を使用できるのならともかく、ただ全系統を取り込んだだけだからグチャグチャに入り乱れて混ざって不活性状態なんですよ。

 

 その所為であれは、物理的な干渉力もほとんど失ってます。自分らと同じ、オーラそのものの死者の念に関しては最強の捕食者かもしれませんが、生きた人間には基本的に見えない、気付かれない、何もできない、ただそこにいて『死にたくない、生き返りたい』と喚くだけの存在です。

 

 ……例外を除けばね」

 

 スーパーでソラがカレーの材料をポイポイとウイングに持たせた籠に入れながら語り、説明の第一幕を締めくくる。

 ソラの説明でようやく、大丈夫と言っていた理由を理解するが、最後の言葉でソラの不穏なセリフを思い出す。

 

 ズシとゴンは、ほとんど心配が要らない。

 キルアだけが心配だと、ソラは言った。

 

 キルアだけが、例外なのだ。

 

 * * *

 

「……キルア君は、その死者の念と波長が合ってしまうのですか?」

「波長が合うというより、キルアが絶好のターゲットなんですよ」

 

 ソラの説明を思い出し、キルアが何故「例外」になり得るのかという可能性を推測してみたが、ソラはウイングの推測を否定する。

 

「あれはあらゆる属性を取り込んで混濁した混沌(カオス)で、その混沌を収まりきる器を求めてる。

 物理的な干渉力を失っていなくても、そもそもあれはそう簡単に人の体を乗っ取れるようなものじゃないんですよ。オーラが膨大すぎて間違いなく生半可な器じゃオーラを収めきれず、容量オーバーになって器の方が壊れるから。

 

 その点、キルアはとびっきりの逸材。これだけならゴンやズシにも同じことが言えるけど、もう一つあの死後の念が器に求める条件があって、その条件を満たしてるのはキルアだから、……今の所あの死者の念はキルアに気付いてないし、気付いたからってやっぱり干渉は出来ないからそこまで心配する必要は今のところないけど、油断は禁物」

「条件?」

 

 膨大なオーラを収めるに値する器という話で、キルアが狙われる理由は理解できた。

 確かに彼はまだ12歳にもなっていない子供だということが信じられないくらい、目覚めたばかりで膨大なオーラを発し、それでいながら容易くそのオーラを制御して“纏”をマスターした。間違いなく、死者の念6人分も耐えうる器だろう。

 しかしソラも自分で言ったように、それだけならばキルアだけではなくゴンも同じ条件を満たしているし、残念ながら二人より劣っているが、ズシも下手な200階クラスの能力者よりよほど才能にあふれた逸材だ。

 

 ソラはカレーの肉を選びながら何気ない雑談、世間話のように淡々とゴンとズシにはなくてキルアにはある、死者の念に絶好のターゲットになる条件を口にする。

 

「これはあの死者の念に限らず、生き返りたいと望む類の奴全般に言えることだけど、そういう奴は生き返る為だから狙った相手の体を傷つける真似はめったにしない。でも、体を傷つけないで相手の体を乗っ取るなんて操作系でも困難でしょ?

 だから、そういう奴らはもともと乗っ取りやすい、付け入る隙がある奴を狙うんですよ。

 

 ……心に『(うろ)』がある人間。自殺願望があったり、自分に自信が無かったり、自分のしたいことがわからなかったりして、自分の立っている地盤があやふやで脆くて、心のどこかで消えてしまいたいとか、本当にここにいていいのかって迷ってる人間に、あいつらは付け込む。

 その体が要らないのなら、消えてしまいたいのなら、自分によこせって脅したり甘言を用いたりして、自ら捨てさせて体を乗っ取るっていうのがあいつらの常套手段ですよ」

 

 ソラの言葉を聞き、ウイングは酷く痛ましそうな顔で呟く。

 

「……キルア君は、ズシやゴン君にないものがあったから狙われたのではなく、ないから狙われたんですか」

 

 思い出したのは“念”について問われ、まだ早いと判断して“燃”についての説明を行った時。

 ウイングの“錬”でいつもの強気で自信満々な態度が一変して、部屋の隅どころか天井に張り付いて怯えた少年。

 

 そして200階に登録する為、ヒソカのオーラを超える為にウイングが“纏”状態の二人に“練”でオーラをぶつけた時は、自分のオーラの何億倍も嫌な感じにしたものが兄のオーラだと彼は言っていた。

 

 ウイングはまだ何も、キルアの詳しい事情は知らない。

 けれど、ゾルディックという悪すぎる意味で有名な家名と、過去の言動で彼がどんな扱いをされて、どんな思いで生きて、そして今、ここにいるのかはだいたい想像がつく。

 

“念”に関して何も知らなかったのに、“念”の恐ろしさはゴンどころか下手したらズシよりも、自分よりもよく知っていた。

 それほどまでに、“念”による脅威で締め付けられて縛られてどこにも行けないように育てられていたことが、容易く想像がいてしまった。

 

 ゴンやズシと楽しげに笑う彼の胸の内に、未だふさがることなくぽっかりと空いた(うろ)を見てしまったような気になって、ウイングは悲しげに眼を伏せる。

 

「うわっ!」

 

 ウイングが目を伏せたタイミングで、ソラはわしゃわしゃとウイングの髪を両手でかき混ぜた。

 ただでさえいつも一部に寝癖が残るウイングの髪はさらにグチャグチャになり、「何するんですか!?」と怒りよりも戸惑いで彼は叫ぶ。

 そんなウイングを、やや呆れた様子で仕方なさそうにソラは見て言った。

 

「ウイングさん、キルアがゴンやズシと同じものを持っていないことに同情するのは、キルアに対して失礼だよ。

 人によって幸せの形なんて違うのだから、同じものを持ってないことが不幸だとは限らないし、欲しいのなら手に入れたらいいだけの話なんだから、なかった頃全てを不幸に思って、これからも手に入らないって決めつけるみたいに同情するのは、一番最低な侮辱だ。

 

 それにさ、空っぽって別に悪いことじゃないよ。悪いのは、ずっとずっとそうであること。

 空っぽってことは、それだけ自分で選んだ好きなものを詰め込めるってことなんだからさ、私たちがすべきことは同情や憐みなんかじゃなくて、あの子が望んだもので一杯になる未来を期待することじゃない?」

 

 ウイングの頭を両手で掴んで、しっかりと自分と目を合わせてソラは兄弟子を叱りつけた。

 キルアを勝手に不幸だと決めつけるなと、怒った。

 

 その言葉に、叱責にウイングは一瞬きょとんと眼を丸くしてから淡く笑う。

 

「……そうですね」

 

 ソラの言う通りだと思った。

 ウイングは勝手にキルアの過去を想像して憐れんで、今はあんなに楽しそうで幸せそうな彼の笑顔ですら不幸の象徴のように思ったのは、キルアは幸福になどなれやしないと決めつけた侮辱他ならない。

 

 なので「すみません」と謝罪したが、ソラは「謝らなくていいから、絶対にキルアの前でさっきみたいな顔しないでくださいね」と念押しされ、その念押しが何故か妙に笑えたのでウイングは無理に笑いをこらえて、ソラに怪訝な顔をされた。

 

 笑えたのは、自分やズシに対してあからさまな嫉妬のオーラをぶつけてきたキルアを思い出したからだ。

 自分達に嫉妬する必要がないほど、ソラから大事にされている少年の珍しい年相応な様子を思い出すと、あまりの微笑ましさにウイングは頬が緩むのがこらえきれなかった。

 

 そんなウイングにソラは怪訝そうな顔をしつつも気にしないことにして、話を再開させる。

 

「で、話を戻しますけど、キルアの心には今まで自分が歩いていたレールから外れたことに対する不安っていう『虚』があるけど、それは同時に自分が望んで得た『自由』でもあるから、今の所は付け入る隙になってないからやっぱり神経過敏になる必要はないです。

 ただ、あの死者の念は物理干渉は出来なくても、あれそのものが『気分をマイナスにさせる嫌な空気』だから、あれが側にいたら存在に気付けなくても間違いなく気分が落ち込んでマイナス思考になって、ふとした何気ない瞬間に『死にたいな』って思ってしまうかもしれない。

 

 そこに付け込んで、あれは対象のオーラを取り込んで、完全に空っぽになった体を奪うつもりだから、一応ウイングさんも気を付けて欲しいんです。

 今の所、絶好のターゲットはキルアだけど心の『虚』なんて誰でも抱えてるもんだし、相手はその『虚』を広げる存在だから、ウイングさんがなんか今日は気分が上がらないなとか思ったら、遠慮なく私を呼んで。あれが近くにいる可能性があるから。

 それから、ズシのメンタルを良く見てあげて。あの子たぶん、キルアやゴンに対してちょっとコンプレックスを持ってたみたいだから、そこを付け入られる可能性がある」

「……ズシを出会い頭に褒めてくれたのは、それでですか」

 

 割と唐突だったズシへの賞賛の理由も理解して、知ってはいたがこの妹弟子のすさまじさに改めて感服し、ソラが肉体的な理由で他者に“念”を教えることに向かないことを本気で惜しむ。

 それさえなければ、彼女なら自分よりよっぽど優れた教師になれただろうとウイングは本気で、ソラの長所が生かされないことを嘆く。

 

 そこに自分が彼女より教師の適性がないと落ち込みも劣等感を懐きもしない辺り、ウイングも十分すぎるほど教師向きであることに彼は気付かない。

 

 そしてもう一つ、彼は気付いていなかった。

 

「わかりました。ズシに関しては私が責任を持って守ります。

 ですが、ソラさん。あなたも何かあったら遠慮なく私に頼ってください。私はあなたほど優秀な能力者ではありませんが、それでも私はあなたの兄弟子であり、そしてゴン君とキルア君の師でもあります。

 ……あなた達を守る責任も、守りたいと望む権利も、私にはありますから」

 

 ウイングの穏やかな言葉に、ソラは嬉しげに笑って答える。

 

「……そうだね。

 ありがとう。ウイングさん。大丈夫、ちゃんと頼りにしてるし、ウイングさんは私の尊敬する念能力者の一人だよ」

 

 言いながら、今度は少し困ったような顔をして寄ってきてこんなことを言い出した。

 

「……で、早速ですがウイングさん。ちょっと頼っていいですか?」

「? 何ですか?」

 

 小首を傾げて尋ね返すウイングに、ソラは彼の腕をいきなり縋るように掴んで懇願した。

 

「やっぱりこの格好耐えられないから服交換して!!」

「いやですよ!!」

 

 もちろん、即答で却下された。

 

 * * *

 

 ソラの訳の分からない懇願と、ウイングの即答の拒否で変な注目をスーパー内で集めてしまったが、言われた方も言った方も周りの視線どころではなかった。

 

「というか、そこまで恥ずかしがるんなら何でそんな恰好をしてるんですか!?」

「ストーカー対策の変装ですよ! 女怖い!!」

「訊くまでもなかったことでしたね、すみません!」

 

 意味不明にもほどがあるソラの懇願を反射で拒否してからウイングが根本的なことを尋ねたら、ソラもほぼ反射で即答し、そしてまたウイングも即答で謝った。

 ソラが天空闘技場(ここ)の闘士だった頃、ビスケが仕事等でソラの試合や修行を見てやれない期間は代理で見てやっていたのが、この兄弟子と妹弟子の出会いと付き合いのきっかけなので、ウイングは当然、ソラのストーカーの域に達したファンの存在を知っていた。

 

 なので、尋ねなくても気付けて良かったことに気付けなかったことを謝罪してから、ソラの肩に手を置いて改めてソラのあさっての方向に暴走している被害妄想を正そうと試みる。

 

「ソラさん、とりあえず落ち着いてください。

 ソラさんの今日の格好は変なんかじゃありません。とても似合っています。私がどうしたのか尋ねたのは、あなたの普段の服装の傾向を知っているから意外に思っただけです」

 

 しかし、そんな当たり障りのないセリフで彼女のトラウマじみた強迫観念が解消されるわけもなく、ソラは涙目で反論する。

 

「……でも、キルアは似合わないって言ったし、なんかこの格好で歩いてるとすっごい視線感じるんですけど……」

「キルア君のはどう考えても照れ隠しだと思いますし、視線はあなたが避けたかったストーカーの男性版ですよ! そういう意味では確かに着替えた方が良いかもしれませんが、その前にあなたの勘違いを正してください!」

 

 もちろん、ソラの反論もあさっての方向にカッとんだ勘違いの被害妄想だったので、ウイングは力強く否定して修正しておいた。

 それにしてもよく考えたら、女性らしい恰好をすれば男のストーカーに、男装すれば女のストーカーにまとわりつかれるとは、何とも難儀な美女だなとウイングはなかなか珍しい同情を懐く。

 

「……そういえば、今思い出しましたけどソラさんって、自分のこと美人だって自覚してませんでした?」

「え? うん。そんなの生まれた時から知ってる」

 

 同情してから、ソラは男からだろうが女からだろうが、ナンパなどで容姿を褒められたりしても照れずに、「うん、知ってる」と言い切る女だったことも思い出して、それならば何故この格好は似合わないと思い込んでいるのかがよくわからず尋ね返すと、ウイングの記憶通りソラは自慢げでもなく真顔で言い切った。

 

 その潔い言い切りに脱力しながら、「……なら、何で似合わないって思うんですか?」と尋ねたら、ソラは頬を紅潮させて眼を逸らし、唇を尖らせて拗ねたように答える。

 

「……私が美人なのは生まれた時から知ってる事実だけどさ、美人やら美形やらイケメンと言われることはあっても、可愛いって言われたことは……今日のゴンを抜けば一回だけもん。それだってたぶん、私がテンパって馬鹿なこと言ったりやったりしたからフォローのつもりだろうし……。

 可愛いと美人は全然系統が違うから、私はこういう可愛い系が似合うとは思えない」

 

 もう恰好云々は関係なく、その言動だけでも十分可愛いとウイングは素で思った。

 確かにソラは可愛いというよりカッコいい、もしくはキレイ系の美人だとウイングも思っていたが、それは今までこのような可愛い系の格好をせずに、男装じみた格好ばかりだったからこそ出来たイメージであることを、本日の格好で思い知らされた。

 

 髪が短いままならばやはりあまり似合わなかったかもしれないが、ボブカットより少し長めと言うべき今の髪型は、今までのあまり目立ちはしなかったソラの女性らしさを強調して、可愛らしいウサ耳パーカーもフリルのついたショーパンもニーソックスも、全てを調和させている。

 どこからどう見ても凄腕の除念師にもプロハンターにも見えない、ごく普通の今どきの少女にしか見えないソラの、本来感じる必要がないコンプレックスにウイングは苦笑した。

 

 苦笑しながら、ソラの白い髪を先ほどお返しと言わんばかりにかき混ぜるように撫でて言う。

 

「安心なさい。ソラさんはちゃんと可愛らしいですよ。今まで言われたことが無かったのは、そういう可愛らしい恰好をしたことが無かったからにすぎません。

 変な所はどこにもありません。あなたはごく普通の可愛いらしい女の子で私の自慢の妹弟子ですから、いつものように胸を張って歩いたらいいんです」

 

 そう言ってレジまで歩きながらフォローしてやるが、それでもソラは納得しきれないように唇を尖らせたまま呟いた。

 

「……でもキルアは似合わないって言った」

 

 キルアの言葉を本気にしているのか、それとも照れ隠しだとわかっていても傷ついたのかはさすがにウイングでは判別できなかったが、とりあえずキルアが「ソラを取られた」と思って自分やズシにぶつけていた嫉妬は、全くもってする必要がない無意味なものだったことだけは理解する。

 

(キルア君。君は私たちに嫉妬する必要も意味もないくらいに愛されてますよ)

 

 心の中でそんなことを告げながら、自分じゃ説得しきれない妹弟子をキルアにもう任せてしまおうとウイングは、やや無責任だと自覚しつつも投げた。

 

 自分よりもはるかに精神的に達観した大人だと思っていたが、実はまだあまりにも子供だった妹弟子の説得は、同じく子供の方が向いているだろうと言い訳しながら。

 

 

 

 

 

 * * *

 

 

 

 

 

「ったく、なんなんだよあいつは……」

 

 ウイングを連れて買い物に行ったソラにキルアはぶつぶつと文句を呟き続けるが、先ほどよりも機嫌は直っていることにゴンは安堵してから、ズシに声を掛けた。

 

「ズシ、何してんの? 早くおいでよ」

 

 ゴンの言葉に、未だぽーっとやや赤らんだ顔のままソラが去って行った方向を見つめ続けていたズシがようやく再起動を果たし、そして興奮気味に振り返って言った。

 

「キルアさんのお姉さん、めちゃくちゃ優しくて美人ですね! 羨ましいっす!」

「はぁっ!?」

 

 ナチュラルにソラをキルアの実姉だと思い込んでいるズシに、キルアは怒ればいいのか、怒る必要などないのか自分でもよくわからずちょっと困惑した声を上げ、ゴンの方はキルアの反応が面白かったのか噴き出していた。

 ズシの言葉には怒ればいいのかどうかがわからなかったが、ゴンの反応には普通にムカついたので、「てめぇ! ゴン!」と言いながら掴みかかってきた。

 

 ゴンはキルアに「ごめんごめん」と謝ってから、自分の言葉が原因だとはわかっているが、何が悪かったのかわからず狼狽えるズシに、まだ少し笑いながら説明する。

 

「あはは、ズシ違うよ。ソラはキルアのお姉さんじゃないよ。似てるけど血は繋がってないよ。

 ソラは俺たちがハンター試験を受けた時に一緒に受けた仲間で、あとキルアにとって憧れのおねーさんだよ」

「ゴン! てめぇ、何も悪いって思ってねーだろ! あんなバカ女に憧れてなんかねーよ!!」

 

 ゴンの説明にキルアはさらにキレるが、今度は謝らなかった。

 むしろ少し怒っているが割合としては呆れが強い目で見られて、キルアの方が戸惑って「……何だよ?」と言いながらも掴みかかっていた手を離す。

 

「キルアさぁ、どうしてそんな意地を張るの? 本当はソラの今日の格好も可愛いって思ってるのに、どうして素直に言ってあげなかったの?

 ソラ、キルアに引かれてると思い込んでた時、泣きそうになってたじゃん。あれを見ても、何で『似合ってない』なんて意地張ったの? ソラが泣いちゃっても良かったの?」

「え!? キルアさんそんなこと言ったんすか!? めちゃくちゃ可愛い恰好で似合ってたじゃないっすか!? 何でそんなこと言ったんすか!?」

 

 キルアが手を離したら、ゴンは彼にしては珍しい非難する目つきで実際にキルアのしたことを厳しく叱責し、ズシも素で驚いてそんなつもりはないのだろうが完全に責めるように詰問する。

 二人がかりの非難に、キルア自身も無意味な意地で悪いことを言ったという罪悪感があったからこそ、彼は眼を逸らしてまた「うるせー!! 似合ってないもんを似合ってないって言って何が悪い!?」と逆ギレた。

 

 その逆ギレに、ズシはまた更に困惑し、ゴンは呆れたため息をついた。

 

 ズシはともかくゴンの目が今日は何故かやたらと怖かったので、キルアはそのまま自分の個室に逃げ出そうとしたが、その前にゴンに腕を掴まれて止められた。

 もちろん、キルアからしたらゴンの腕を振り払って逃げるくらいは容易かったが、それは出来なかった。

 

「逃がさないよ、キルア。今回はソラが許しても、ソラに謝るまで俺が許さないから」

 

 今度は怒りの割合が強い眼だった。

 その眼からキルアは眼を逸らし、唇を尖らせてそっぽ向いたが、振り払って逃げ出すことは出来やしなかった。

 

 * * *

 

 ゴンの個室に連行されて椅子に座らされたキルアは、不満そうにふてくされていた。

 そんなキルアの態度に、ゴンはやけに大人びた疲れたため息を吐く。

 

「キルア。もう一回訊くけど、何でソラに『似合ってない』なんて嘘ついたの?

 ソラは何かテンパって何故かお礼言ってたけど、下手したら泣いてたよ。泣かせたかったの?」

 

 ゴンの言葉に、キルアは痛い所を突かれたような顔に一瞬なるが、ここで素直に謝れたらそもそも初めからあんな暴言は吐いていない。

 なのでキルアは椅子の上に胡坐をかいて、「嘘なんかじゃねーよ!」と意地を張り通す。

 

「っていうか、むしろ何でお前らは可愛いだの似合ってるだのそんな恥ずかしいことを平気で言えんだよ!!」

 

 完全に逆ギレセリフであるが、割とキルアからしたら素で疑問だった部分もついでに言ってみたら、ゴンだけではなくズシからもきょとんとした顔で返答された。

 

「え? だって、実際にソラすっごく似合ってて可愛かったもん。本当のことを言うことの何がそんなに恥ずかしいの?」

「あんだけ美人さんなら、美人過ぎて緊張して言えないことはあっても、別にほめることは恥ずかしくも何ともないっすね。むしろ、ありきたりな言葉しか浮かばないことが恥ずかしいっす」

「お前らが恥ずかしいわ!!」

 

 好意には好意で返す、直情バカの典型例二人に尋ねた自分がバカだったと思いながら、やはり逆ギレでありながら素の感想をキルアは叫ぶ。

 逆ギレされた二人は二人で、キルアは何をそんなに恥ずかしがっているのかが心の底から理解できないらしく、二人して首を傾げていた。

 

 そんな首を傾げる片割れのズシが、ふと気になったことをゴンに尋ねる。

 

「そういえば、今更ソラさんの格好を似合ってるとか似合ってないとか言うってことは、普段はソラさん全然違う格好なんすか? というか、ソラさん本人もなんか似合ってないと思い込んでたっすよね?」

 

 ズシの改めての質問に、ゴンだけではなくキレていたキルアも急に遠い目になった。二人してソラの「この世で一番怖いのは女」という話を思い出したらしい。

 二人の反応にズシは困惑し、そんな彼にどこまで説明しようか二人はしばし悩んでから、ゴンがとりあえず最低限な説明をすることにした。

 

「ソラって普段は男装みたいな恰好で、最近まではずっと髪が短かったんだよ。キルアより少し長いくらいだったかな?

 で、そんな格好だとソラってかっこいい男の人に見えるから、なんていうか……ちょっと厄介な女の人に好かれることが多くて、それで昔ソラがここの闘士だった頃はそういうトラブルがあったみたいだから、もう2年も前らしいからいないとは思うけど一応用心して変装で、普段とはまるっきり違う格好をしてるんだよ」

 

 ズシにとってソラは先ほど見た姿と言動が全てで、彼にとっては「めちゃくちゃ美人で優しいおねえさん」という印象しかなかった為、普段は男装同然の格好だの、髪が短いと男に見えるだの、2年前まで自分たちと同じ闘士だったことなど、信じられない事実が次々に出されてどこに驚けばいいのかわからなくなっていたが、「同性のストーカー対策」という情報が一番インパクトがあったのか、最終的にはゴンやキルアがしたように、やけに遠い目になって「……ソラさん、お疲れ様っす」と労った。

 

「だから自分の格好を恥ずかしがってるし、自信もないんすね。もったいないっす。あんなに綺麗な人なのに」

「そうなんだよ。だから、ソラはちゃんと綺麗で可愛い女の子の格好も似合うって自信付けてあげたいのに、キルアが変な意地張っちゃうし……」

 

 ズシがソラの言動に納得して、ゴンが同意しながら再びキルアの無意味な意地に話が舞い戻り、また強くキルアを睨み付け、睨まれている本人はやっぱりふてくされてそっぽ向く。

 

 その反応にもう何度目かわからないため息をついて、ゴンはキルアが座る椅子の前に立ち、彼を見下ろしながら言う。

 

「……キルア。ソラに謝って」

「…………謝らなくちゃいけねーことなんかしてねぇよ」

「した。本気で似合ってないって思ってるんならまだしも、キルアは自分の意地を優先してソラにひどいこと言った。ちゃんとソラに謝って、正直に似合ってるって言ってあげて」

 

 自分も頑なな自覚はあるが、それ以上に、そしていつも以上に頑ななゴンに戸惑いつつも、自分がどんな思いで傍から見たら無意味にしか見えなくても、キルアからしたら譲れない意地であるかもわからないまま自分を責め立てるゴンにキレて、キルアはそっぽ向くのをやめて彼もゴンを睨み付けて言った。

 

「お前には関係ないだろ! どうせ変装のつもりで一時的に着てるだけなんだから、別に自信なんかつける必要ねーじゃん! あいつが好きな格好させとけばいいじゃねーか!!

 むしろお前は何で、あいつが嫌がってるのにあんな恰好を褒め続けるんだよ! 似合ってようが似合ってなかろうが、本人が嫌がってる格好なんて一番見たくねーよ!!」

 

 キルアからしたら、どうしてゴンがここまで自分が意地を張って「似合ってない」と言ったことにキレているのか、どうしてソラが「似合ってない」と思い込むことを嫌がっているのかはわからなかった。

 

 本音では確かに似合ってると思っているし、ソラのあんな恰好が今回一度きりしか見れないとしたら惜しいとも思っている。

 しかし、あそこまで本気で恥ずかしがって嫌がっているソラを見たら、そこまで常に見たいとも思わないのは本当。

 

「似合ってない」と叫んだのは、意味などない愚かなプライドに過ぎないけれど、ソラにはソラがしたい恰好をして、自然に笑っていて欲しいと思っているのはキルアの本音だから、キルアからしたらゴンの言動の方が信じられないし、許せなかった。

 

 だからゴンを睨み付けて怒鳴り散らすと、怒ったように強く睨んでいたゴンの目が、急にいつものゴンの目に戻った。

 優しく、穏やかな凪の海のような目で笑った。

 

「……そっか。キルアはちゃんと、ソラの気持ちも考えてくれてたんだ」

 

 何故かキルアの言葉に急に安心したように笑うゴンに、キルアも完全に蚊帳の外状態だったズシも戸惑って呆気にとられる。

 そんな二人をしり目にゴンは「ごめんごめん」と謝りながら、ベッドに座って話を続けた。

 

「うん、ごめんねキルア。キルアばっかり責めちゃって。そうだね。ソラがしたい恰好をして笑ってくれてるのが、一番いいよね。

 ……でも、キルア。ソラは多分、女の子らしい恰好が本気で嫌な訳じゃないんだ」

 

 最後のセリフは、どこか寂しげで痛ましそうだった。

 だからキルアは、「どういうことだよ?」と尋ねた。

 

 尋ねた理由は、親友の痛ましい様子など見たくなかったからか。

 底抜けに明るい彼に、そんな顔をさせてしまう程の「理由」を、ソラの「何か」を知りたかったのか。

 

「……キルア。ソラはさ、10歳くらいの時に無理やり結婚させられそうになったんだって。

 髪を伸ばさないでずっと短くしてたのも、女の子らしい恰好が嫌いになったのもそのころからだって言ってた」

 

 少しだけ、自分の口から言っていいのかどうかをゴンは悩んだが、ソラの性格からしてゴンから話しても別に怒らないのは目に見えていたし、キルアの性格だと素直にはソラに訊けないとわかりきっていたので、ゴンはあのパドキアに向かう飛行船でソラが語った話をキルアにも伝える。

 

 ズシが「10歳で結婚!? どういうことっすか!?」と衝撃を受けているが、悪いが彼への説明は後回しにさせてもらった。

 それよりも先に、ゴンはキルアに知って欲しかったから、眼を見開いたまま固まってしまったキルアに告げる。

 

 ソラの、自覚させてもらえなかった傷を教える。

 

「キルア。キルアはソラの家が、ソラの両親がどういう人かはもう知ってるよね? なら、わかるでしょ?

 ソラの両親は言っちゃなんだけど、最低な人たちだ。ソラが本気で嫌がって抵抗しても、ソラの意思を尊重どころか、説得さえもしてくれなかった。ただ暴れないように押さえつけて閉じ込めたような人たちだ。

 

 ……女の子ってだけでそんな風に扱われたから、ソラは女の子らしい恰好とかをしたくなくなったんだと思う。

 そのことに……ソラ本人は気付いてなかったよ。俺が指摘して初めて、それぐらいの頃からスカートが嫌いになったことに気付いてた。

 ……自分みたいな扱いされる子供なんて珍しくもないから、あれぐらいで傷つくほど自分が繊細だとは思ってなかったって、ソラは言ってたよ」

 

 ゴンの言葉に、ズシはしばらく戸惑っていたが最終的には絶句していた。

 当たり前だ。下手に暴力的な虐待よりも、人間の尊厳全てを踏みにじるようなことをされていながら、それを「珍しくもない」という環境など、ズシは知らないし想像などしたくもないだろう。

 

 キルアは、何も語らない。

 絶句というより、何かに耐えるようにただ黙って床を見つめていた。

 口を開けば、ソラにそんな傷を負わせた、もういない彼女の両親に対するぶつけどころのない怒りばかりが出て来て止まらなくなりそうだから、キルアは歯をくいしばって耐えていた。

 

「……キルアの言う通りだよ。いくら似合うからって、ソラがしたくもない恰好をするよりも、ソラが一番自分らしくいられる格好をして笑ってくれたら、俺もそれでいいよ。だから、本気でああいう格好が嫌なら俺だってもう可愛いとか似合うとか言うのはやめる。

 

 ……でもね、キルア。ソラはさ、クラピカに『髪を伸ばしてみたらどうだ?』って言われた時、『髪が長いソラを見てみたい』って言われて、すごく嬉しそうな顔をしたんだ。……女の子らしい恰好が、本気でしたくもないし嫌いだとはオレには思えないんだ」

 

 クラピカの名が上がって、さらにキルアは強く歯を噛みしめる。

 

 振り返って見た瞬間、悔しいが見惚れた。

 ただ以前より少しだけ伸びた髪が、無造作にただ肩を少し超える辺りまで伸びただけだというのに、それだけでソラが間違いなく「女性」であることを現して、雰囲気を大きく変えていた。

 

 ショートカットが似合ってなかったわけでもないけれど、間違いなくキルアは髪の長いソラの方が好ましいと思ってしまった。

 

 髪の長い、女性らしいソラを綺麗だと思った。

 

 そんな風に思わせたきっかけが、自分ではなくて自分からソラの隣をその場にいなくても奪う男だと思えば、腸が煮えくり返るくらいに悔しかった。

 そうしてその場に自分がいなかったのか、どうして「髪を伸ばせ」と自分が先に言えなかったのかと、理不尽で無茶苦茶だとわかっていながらも思わずにはいられない。

 

 そんなキルアの悔しさも、全て理解しているような深い目でゴンは彼を見て、そして言った。

 

「だから、キルアも一回でいいから本当のことをソラに言ってあげて。

 ソラにとっては、自分が似合うかどうかよりもきっと、キルアが似合うって思ってくれるかどうか、キルアが見てみたいと思ってくれるかどうかが大事だと思うから」

 

 ゴンは言った。

 クラピカの言葉と同じように、キルアの言葉に意味はあると。

 ソラが自覚させてもらえなかった傷を癒す力になりうると、言った。

 

 ゴンの言葉に、キルアは何も答えない。

 ただ、ひたすらに悔しそうに、悔やみながらずっとずっと床を見つめていた。

 

『似合ってねーよ! バーカ!』

 

 自分の意味のない意地で叫んだ言葉と、その言葉の直後の泣き出しそうなソラの顔ばかりがずっとずっと脳裏に繰り返し流れ続けていたのを、ただ見ていた。

 

 * * *

 

 俯いて床を睨み続けるキルアに、ゴンは何も話しかけなかった。

 何を考えてるかはわからないが、ゴンからしたら意味のない意地を張って拗ねてそっぽ向いていた時とは違って、自分の言ったこと、したことと向き合っていることくらいはわかったので、ゴンはこれ以上余計な口出しはしないと決めて、ズシにソラのことを少し説明し続けていた。

 

「たっだいま~」

 

 さすがに異世界からやって来たあたりのことは、話すとややこしいことこの上ないので、何とか頑張ってそのあたりのことをぼかして大部分を説明したタイミングでソラはウイングと一緒に帰ってきた。

 そして、まず初めにゴンとズシ、そして叱られるのを恐れるように顔を上げたキルアが眼を見開く。

 

「!? ソラ! 髪! どうしたの!?」

「え? 髪がどうしたの?」

 

 ゴンが思わず叫ぶと、ソラが質問の要領得ずにゴンの質問と同じことを言って小首を傾げる。

 その傾げた小首の後ろから、短い尻尾のように無理やりまとめた髪がぴょこんと見えたことで、驚愕していたゴンやズシから力が抜けて、ソラは更に困惑し、ウイングは事情を察する。

 

「……あぁ。たぶん、ソラさんがいきなり髪を切ったのかと思ったんですよ」

「あ、なるほど。切ってないよ。料理するには邪魔だから、ヘアゴム買ってまとめただけ」

 

 ウイングの言葉に納得して、ソラは説明しながら自分のうなじあたりで纏めた髪を3人に見えるように摘まんで振る。

 どうやら3人とも、髪をまとめて縛ったことで正面からだとハンター試験の頃以上のショートカットに見えたので、買い物のついでに髪を切ってしまったのかと思って驚いたらしい。

 

「……本当に髪の長さで、雰囲気がすごい変わる人っすね」

 

 脱力した体の力を何とか入れ直し、ズシは呟く。

 ズシからしたら、どうやったらソラが男に見えるのかが不思議で仕方なかったようだが、実物を見て深く納得したようだ。

 そしてゴンとキルアは、ソラは髪が長ければ女に見えるが、その髪をまとめてしまえばやはり男にも女にも見える両性にして無性に逆戻りすることも改めて知った。

 

 ついでに言うと、普段のソラになってしまうと今日の格好が似合わないと思っていたが、意外と違和感はなかった。

 しかし、やはり髪を下ろしている時ほどはっきりと女性だとは分からない。全身を見れば女性であることは一目でわかるが、ウサ耳パーカーだけならちょっとポップ&パンクな服装好きの美少年に見え、相変わらず何とも稀有なタイプの美人であることを思い知らされる。

 

 ゴンはそんなソラを苦笑しながら見ていた視線を、そっとキルアの方に移す。

 すると、ソラもキルアの様子に気付いたのか、また小首を傾げて彼女は尋ねる。

 

「? キルア、どうしたの? 何か、鳩が豆鉄砲をくらって未だ現実認識できてないような顔してるけど」

 

 訳の分からない表現だが、実際にソラの例えは絶妙だった。

 キルアはソラが髪を切ってなかったと知っても、未だに安堵はしきれておらず、眼を見開いた顔で呆然と固まっていた。

 

 さすがにソラに訊かれてフリーズが解凍された彼は、いつものように「何でもねぇよ!」と意地を張った。

 その意地に、ゴンどころかいろいろ事情を知ったズシも仕方なさそうにため息をつき、キルアは二人を睨み付けた。

 

「……君たち、私たちがいない間に何があった?」

「……まぁ、ある意味では親睦を深めたようですけど」

 

 ソラだけではなくウイングも3人の様子に困惑しつつも、深追いしたらキルアがキレるだけであることくらいの想像はついたので、そのまま特に何も訊かずに買ってきたものをキッチンに運ぶ。

 

 それを手伝おうとゴンとズシは駆け寄って、キルアも仕方なそうに椅子から立ち上がる。

 狭いキッチンで、それぞれカレー作りを手伝おうとわちゃわちゃしてる中、キルアだけが特に何も言わずソラの後ろに立ち、そして腕を振るった。

 

「え?」

 

 ふわりと、後頭部というかうなじの辺りに開放感を感じてソラが振り返ると同時に、頬に自分の髪が当たった。

 

 振り返った先には、キルアが立っていた。

 ネコのように変形した指先には、はさみで切ったかのような切り口を見せる、ソラの髪をまとめていたヘアゴムを摘まんでいた。

 

 以前より長いが、まだ「長い髪」とはとても言えない長さの髪。

 ショートカットでも、十分にソラは似合っていた。ショートカットでも、女らしい恰好は別に不自然ではなかった。

 

 ソラが嫌がる格好なんて、してほしくない。

 嫌がるような恰好なら、どんなに似合っていても意味はないと思っているのは本当。

 

 それでも、キルアは思った。

 髪を切ったのかと思い込んだ瞬間の衝撃と、ただ後ろで縛ってまとめただけだとわかっても、安堵しきれなかった後悔が胸の内に渦巻いた。

 

 それぐらい、好ましかった。

 失いたくないと思ってしまった。

 

 ――ソラ自身も、嫌ではないのならなおのこと。

 

 いきなり、ちょっとしたいたずらにしてもあまりにも唐突で、そしてらしくもないキルアの行動に、ヘアゴムを奪われたソラ本人はもちろん、ウイングもゴンもズシもきょとんとした顔でキルアを見ていた。

 そんな全員を八つ当たり気味で睨んでから、キルアはそっぽ向いて囁くように呟く。

 

「…………あってる…………」

「え?」

 

 思わず、訊き返す。

 あまりに小さな声だったが、聞き取れなかったわけではない。

 だけど、信じられなかったからソラは訊き返すと、キルアはさらにソラから顔をそむけて、それでも確かに言った。

 

「……髪、下ろしてる方が似合ってるんじゃねーの?」

 

 相変わらず、素直さが全くもって足りていないのに、逸らした顔どころか耳まで赤くしているキルアは、素直に本音を語るよりもわかりやすくて微笑ましい。

 そんな微笑ましさ全開なキルアの、精一杯な素直な言葉に事情を知るゴンとズシはもちろん、事情を知らないはずのウイングですらやたらと優しい目で微笑み、それがキルアの癇に障って全力でキレた。

 

「お前ら何だその顔はーっ!!」

 

 キレてとりあえず近くにいたゴンとズシに掴みかかり、掴みかかられた二人はキルアに謝るが相変わらずやたらと生ぬるい視線で自分を見ていることにさらにキルアがキレ、ウイングとソラの二人がかりでキルアを引きはがす。

 

「はいはーい、落ち着けキルア。これ以上暴れるのなら、君がリクエストしたカレーがただの野菜炒めに変更されるぞ」

 

 既にカレーの口になっている身としては地味に嫌すぎる脅し文句を出され、ようやくキルアが大人しくなってソラにされるがまま、掴みかかっていたゴンとズシから引きはがされる。

 引きはがされつつも、まだ赤い顔で唇を尖らせるキルアに、ソラは仕方なさそうに苦笑してから言った。

 

「――キルア、ありがとう」

 

 苦笑にしてはやけに嬉しそうな笑顔と声だった。

 そんなソラの言葉に、キルアはさらに顔を赤くしてそっぽ向いた。






大人side(ソラ&ウイング)の話と子供side(ゴン&キルア&ズシ)の話ではなく、実は精神的にまだ子供な所があるソラの話と、少し大人になろうとするキルアの話でした。

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