死にたくない私の悪あがき   作:淵深 真夜

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7:私は、幸せです

 ソラは別に強くなどなかった。

 それでも彼女に助けられた少年にとって、クラピカにとってソラは誰よりも何よりも強い、自分が欲する「一人で戦い抜ける力」を持つ者だったのだろう。

 

「死は全く怖くない。

 一番恐れるのは、この怒りがやがて風化してしまわないかということだ。

 だから、どうか教えてくれ。オレには、一人で戦い抜ける力が必要なんだ」

 

 強くなりたいと彼は言った。

 魔術を教えて欲しいと、憎悪の業火を宿した緋色の瞳で懇願した。

 今にもその瞳が溶けだして、血の涙になってしまいそうな悲痛な顔で、覚悟を語った。

 

 もうそれだけが、クラピカにとっての「生きる理由」だったのだろう。

 帰りを待っていてくれたはずの父母も、外の世界を忌避しながらも自分の気持ちを汲んで後押ししてくれた同胞も、同じ夢を懐いていた親友ももういないクラピカにとって復讐だけが、それだけが彼らに与えられる唯一だから、何としても果たしたい目的だったことを理解したうえで、ソラは答えた。

 

 13,4歳の少年が抱くべきではない、あまりにも悲痛な呪縛と化した覚悟に対して、ソラは夜空のような瞳で真っ直ぐ彼を見据えて言い放った。

 

「じゃあ、今死ねば?」

 

 クラピカは思わずと言わんばかりの顔で、目を見開いてソラの顔を見返していた。

 あまりにも衝撃的な返答に、滾っていた憎悪が混乱困惑によって鎮火して、クラピカの眼は緋色から普段の赤みかかった茶色に戻っていった。

 その変容をソラは椅子の背もたれに行儀悪くもたれかかって、言葉を続ける。

 

「死ぬのが怖くなくて、その怒りが風化してしまうのが怖いのなら、風化する前に死ねば?

 どうせいつかは必ず絶対に、どんな結果を残そうが何も残せなかろうが行きつく先は一緒なんだから、失う前に終わらせるのも一興じゃない?」

 

 何かを言いかけたクラピカの開いた口から、言葉は出てこなかった。

 バカなことを言うな、それじゃあ意味がないだろう、などといった反論はソラの言葉と闇というには少し明るいミッドナイトブルーの瞳に塗りつぶされて、憎悪が表に溢れ出てこないように耐えていたのが一転して酷く傷つき、悔やむような顔になってゆき、それを見たソラの方は「あ、ヤバい」と思い慌てて言葉を探した。

 

 出会って共に助け合いながら過ごすようになってまだ十日ほどの関係だが、本人が思う以上にわかりやすい性格をしているので、クラピカが自分の覚悟をバカにされた、否定されたと思って泣きそうになっているのではないことくらい、ソラは理解していた。

 

 むしろ、彼はソラではなく自分を責めていた。

 自分の覚悟と言葉は、いつかは誰もが、何もかもが行きつく最果てから逃げ出して、その結末から逃れられないと思い知らされる呪縛と化した視界で、それでも「死にたくない」と足掻くソラに対して、余裕なんかまったくなかったのに、それでも自分を助けてくれた彼女への侮辱だと思ったのだろう。

 だからソラが怒って、あんな突き放した言葉を言い放ったとでも思いこんだクラピカに、ソラは手を伸ばした。

 

 ソラがクラピカの頬に手を伸ばして、指で撫でれば彼は目を見開いて一瞬息を飲んだ。

 それからまた、自分など死ねばいいと言わんばかりに顔を歪め、かすれた声で「……ち、違う! 違うんだ、ソラ! 違うんだ!!」とソラに縋りついた。

 

「……死にたいなら、それが楽になると思ってるんなら、君を殺してあげるのはやぶさかじゃないんだけどさー」

 

 ソラが見る、ソラしか見えない「線」に、「死期」に触れられたかと思って怯え、その怯えた事実を怯えられた本人よりもショックを受けて悔やみ、必死になってソラに、そして自分自身に「違う」と言い聞かせる少年に、ソラは言った。

 

 別にソラはクラピカの発言にも反応に対しても、何も怒っていない。

 こっちの方が大問題だが、「今死ねば?」は完全に素だった。

 

 ソラからしたらこの世の生きる上での辛苦や痛みよりも、あの深淵に行きついて融けてしまう事の方が怖いから、逃げ出して今に至る訳である。

 ただ単に苦痛や恐怖を天秤にかけて軽い方を選んだだけだから、「死」が怖くないのならいっそ死んだ方が楽なんじゃないのかなーと本気で思ったから、提案したに過ぎない。

 その考え自体は本気だが、否定されることを期待以前に前提としていたが。

 

 あの日、彼は「死にたくない」と同じ願いを懐いていたから出会って今に至るのだから、ソラの提案に対する答えは、「それは嫌だ」だと信じて疑っていなかった。

 生きることを選ぶと思い込んで言ってみたら、思った以上に大真面目に言葉を受け取られてネガティブスパイラルにはまっている可愛い弟分に掛ける言葉を探してみたが、早々に諦める。

 

 正直に怒っていない、素で言ったと教えてもいいのだが、それを伝えたら間違いなく照れ隠しも兼ねて殴り掛かって来るので、それは後回し。

 自分が悪いのだから殴られるくらい笑って受け止める気でいるが、この弟分は一度すねたら機嫌が直るまでがえらく長く、ものすごく根に持つ頑固者なので、間違いなくソラが本当に伝えたかったことを聞いてはくれない。

 

 だからソラは、「違う……違うんだ……」と繰り返し呟くクラピカのサラサラとした金髪を撫でて、無理やり話を進めた。

「でも、私としてはクラピカが生きて幸せになって、最低でも80年後あたりに子供や孫に囲まれて『良い人生じゃったの』とか言いながらピンシャンコロリと死んでくれた方が良いな」

 初めから、「生きたい」と返されたら答えるつもりだった自分の要望を告げた。

 

 ソラの言葉が聞こえているのかどうかは怪しかったが、クラピカの自分に言い聞かせる否定の呟きがピタリと止まって縋るように見上げたという事は、はっきりと意味も理解して聞こえていたのだろう。

 そのことに安堵して笑いながら、ソラはそのまま上体を少し倒して、こつんとクラピカの額に自分の額を当てる。

 

 熱を測るように、熱を確かめるように、互いに今生きている証を確認し合うように、あまりに近い距離でソラは弟に言葉を送る。

「死ぬのが怖くないとか言って、生き抜いた先に向き合わないで逃げるのはやめなよ。そんなんじゃ、無事復讐を終わらせた後も後悔しかないぞ。目的を果たして燃え尽き症候群になる気?」

 

 緋色に変容する瞳と、空に変幻する瞳が互いに相手を映す。

 色も、成り立ちも、何もかも違うのにあまりに似ていると感じた眼をただまっすぐに、クラピカは見つめた。

 この眼があったから、何もかもを奪われて人間不信の塊だった自分がまた、人を信じようと思えたことをクラピカは思い出す。

 同胞を色濃く想起させて、色褪せずに記憶に刻み付ける、もう自分一人だけの「クルタ族」の面影を持つ瞳の持ち主だからこそ、彼女の言葉はいつだってクラピカの胸に真っ直ぐに届くことを本人は知らない。

 

「クラピカ。君は君のしたいことをすればいい。しなくちゃいけない義務なんかない。あるとするなら、君のしたいことこそが義務だ。

 その為の選択肢を、自分から減らすよう真似はするな。死んでもいいから、たった一つの目的の為に全てを犠牲になんかしないで、もっと貪欲になりなよ。どうせ死んだら、何もかもが意味をなくすんだから、それなら生きている間に手に入るものは全部手放すな。欲しいものに手を伸ばせ」

 

 きっと他の誰かの言葉なら、「綺麗事をほざくな」と言って耳を塞ぐ。

 自分がわがままを言って、長老が先に卑怯なマネをしたとはいえ反則的な手段で外に出る許可を得て、そうして生き残ってしまった罪悪感がいつだってクラピカを苛ませた。

 

 例えば自分と親友が、パイロが逆の立場ならパイロが生き残ったことに対して喜び、復讐などという不毛で危険なことなどせず幸せに生きて欲しいと望むのは確信できるくせに、自分一人生き残ったことに対して妬み、恨み、自分の人生を犠牲にして復讐を望むような家族や親友、同胞ではなかったからこそ、今も喪った傷が癒えないのはわかっているくせに、それでも生き残ったことに対しての罪悪感は消せなかった。

 

 だから、数少ないが稀にいたおせっかい、自分の事情を察して「復讐なんかよせ」と説得する人の言葉など耳には入らなかった。本心であろうが偽善であろうが、その言葉が正しいことはわかっていたのに、自分を責め立てる罪悪感が決して許さなかった選択肢。

 なのにソラの言葉だと、大切な人が、家族が、親友自身が自分に言っているような気がして、罪悪感に縛られてもつれた感情や望みがほどけてゆき、「復讐」しか目に入らなかった世界を再び広げてくれる。

 

 記憶の中の同胞を鮮明に思い出せて、甦らせる人は、「家族になろう」と失ったものとは別物でも、再び与えてくれようとする人がまた、何も返せない無力な子供に過ぎない自分に与えてくれる。

「一人で戦い抜くなんて言うな。私が寂しい。

 手伝ってやるからさ、だからクラピカは『しなくちゃいけない事』じゃなくて、『したいこと』を探して、向き合いなよ。何がしたいのかすらわからないなら、とりあえず私が選択肢を増やしてやるし、君のしたいことを邪魔する障害物は、罪悪感だろうが迷いだろうが、何だって殺してやるから、私に頼りなよ」

 

 復讐も無益で不毛なものとして否定しないで「手伝う」と言って、そのうえでさらにその先を、その次を見据えろという言葉をくれたことが、どうしようもなく嬉しかった。

 親友を喪うことで見失った夢を蘇らせて、もうそんな夢を抱いてはいけないんだという罪悪感を殺してくれる人がはっきりと宣言する。

 

「君の幸せを殺す相手なら、神様でも私が殺してやるから。

 だから、クラピカは生きなさい」

 

 その言葉に、クラピカの素直ではなく意地っ張りな涙腺が崩壊して、その顔を見せたくないというプライドとあまりにも素直な欲求に従って、ソラにしがみついて彼女の肩に自分の顔をうずめて泣いた。

 

 縋り付いて嗚咽を漏らす背中をソラは撫で、軽く叩いて血の繋がりなどない、付き合いもまだあまりに短い、それでも愛しい弟をなだめながら思う。

(……やばい。今度は謝るタイミングを逃した)、と。

 

 この後、やはり空気を読むのを面倒くさくなってソラが、「ところでごめんクラピカ。今死ねば? は特に何も考えずに素で言った」とバカ正直に伝えたことで、空気をぶっ壊したことと真剣に受け取りすぎた自分に対する羞恥心でクラピカがマジギレをして、木刀で殴られたことまで思い出してしまった。

 

 自分たちは考え方が全然違うし、言葉が足りなければすぐに誤解しあってすれ違うし、何よりシリアスに対する温度差があまりにひどかったが、それでも確かに、姉弟にはなれなくても、血縁はもちろん書類上の関係にすらなれなくとも、「家族」になろうとしていたことを思い出した。

 

 彼に与えると約束したものを、ソラは思い出した。

 

 * * *

 

「バカじゃん、私。頭に血が上り過ぎたわ」

 

 光球を蹴り飛ばし、闇が満ちる美術館の床に降り立ったソラが前髪を掻き上げて一人勝手に語り出す。

「今ここで、私が勝手に殺したらあの子の『選択肢』が減るじゃん」

 

 復讐も肯定したから、それさえも手伝うと約束したから、だから自分の手で勝手に旅団(クモ)を殺してはいけないことを思い出した。

 ソラの知る弟は、クラピカは、たとえ憎い仇であってもその死を割り切れず、いつまでたっても罪として背負い続けるタイプだと記憶しているので、出来れば割り切れる自分の手で彼が知らないところで知らないうちに始末してしまいたいが、それは出来ない。

 

 ただ一つ、ソラが彼に望み、願ったのは彼の幸せ。

 彼にとって「復讐」は、幸せに至る為に必要な過去の清算なのか、罪悪感による強迫観念でやらされていることなのかどうかの答えをまだ聞いていない。

 それを聞かない限り、ソラは旅団(クモ)を殺せない。

 

 選択肢を与える約束をしたから。

 過去の清算として、たとえ罪を背負ってでも自分の手でしなくては前に進めないというのなら、それこそ勝手にソラの手で旅団を潰すことは、あの「今死ねば?」という言葉以上に彼の覚悟を侮辱する余計なお世話だから。

 

「と、いう訳でやっぱ殺し合いはなしっつーことで」

「何が『という訳』なのか、さっぱりわからんわ」

 クロロの背後に降り立って振り返って言い放ったソラの笑顔は、実に名前にふさわしい晴れ晴れしさだったが、彼女の言い分が理解されるわけは当然なく、呆れた様子のクロロに突っ込まれる。

 

 が、ソラの空気を完全粉砕する一方的なボケのおかげで、彼女の眼に魅せられて浮かれていた熱が若干下がり、クロロにいつもの計算高さが蘇る。

 ソラの方に向き直り、呆れを全面に出しながらも彼女に対する警戒を怠らず、同時にクロロはペラペラと本をめくって確認する。

 

 爪先で死の点を貫いて、消滅した黙示録の獣(ワールド・エンド・ビースト)の発動条件であり起点の光球。

 この光球によって作られた自分の影から念獣を生み出して使役する能力なので、光球が消えたら残っていた念獣も消えるのは当然のことだが、今現在クロロが捲る盗賊の極意(スキルハンター)にはもうどこにも、黙示録の獣(ワールド・エンド・ビースト)が記されていない。

 

 能力の本来の持ち主が死なない限り失われることなどない、除念でも相手に掛けたものではなく奪い取るタイプである為、クロロ本人をどうにかしないと取り戻せないはずの能力が消失したことに、さすがに危機感を覚えた。

 遠くの方でパトカーのサイレンらしき音も聞こえてくる。

 能力者でもない警官なら何人来ようがどうにでもなるが、可能性は低いが警官の中に念能力者がいたら、もしくは賞金首ハンターと連携を取られていたら、相手のレベルや人数によるがさすがに他の能力者とこの女を相手取るのにクロロとシャルナークの二人では少々厳しい。

 

(……まぁ、収穫がなかったわけでもないから、今日のところは退くか)

 ソラの能力どころか宝石も盗めなかったが、それでもあの眼の存在を知ったことと、自己申告なのでどこまでが事実か確証はないが、「直死の魔眼」の情報だけでもクロロにとっては良い収穫となった。

 巻き込んだ団員には少しばかり悪いと思いながら、だからこそ今日のところは撤退しようと判断し、彼は本を閉じて言う。

 

「まぁ、いいだろう。今日のところは……」

「え?」

「ちょっ!?」

 

 クロロが撤退を口にしたタイミングで、ソラからはきょとんとした声、シャルナークから切羽詰まった声が同時に聞こえ、そしてクロロも目を見開いて危うく具現化を解除しかけていた本を再び開く。

 

 が、さすがに即座にテレポート系や飛行系の能力のページを開き、能力を引き出すことよりもソラが床にボールペンを、床の「死点」を突く方が早かった。

 この女、やめたのは「殺し合い」だけであって戦いそのものをやめる気はなかったらしい。

 

 戦いはやめる気がないくせに、そもそも自分たちが戦う理由、仕事の存在を完全に忘れ去っているソラが、躊躇なく床にボールペンを突き刺す。

 ペンは柔らかい粘土に刺したかのように全体が沈み、同時に美術館全体が音もなく()()()

 壁が、床が、柱が、天井が無造作に何の法則性もなく、おそらくはソラだけが見える「線」の通りに亀裂が入ってバラバラに崩れる。

 崩壊や切断というより、初めからどこも溶接をしないでこういう形の積み木を重ねて、奇跡的なバランスで保っていたものが崩れ落ちるように、美術館そのものが解体されて、死んでゆく。

 

 クロロもシャルナークも死にゆく美術館の崩壊に巻き込まれて死ぬほど、ぬるい世界で生きてはいない。

 重力など無視して崩れ落ちる床や壁、天井のがれきを足場に跳躍し、脱出を図る。

 

「どこまで無茶苦茶で空気を読まないんだ、あの女は!?」

「だから、退こうって言ったじゃん! 何で今日は妙な意地を張ってたんだよ!!」

 

 クロロの愚痴はシャルナークの正論で完封されて、さすがにあの眼に執着しすぎたことを反省したが、次の瞬間、クロロはソラ=シキオリという女に関わったことを本気で後悔した。

 

「エーデルフェルト家当主直伝!!」

 自分たちがこんな美術館の崩壊から脱出できるのなら、常に死の淵に立たされて紙一重で逃げ続ける女も脱出できない訳がない。

 むしろ、自分たちと違ってどこがどう崩れるかがわかっているのだから、少しばかりの余裕はあったはず。

 

 ソラは自分たちと同じように崩落する瓦礫を足場に、生きることに執着して逃げて回っていたくせに、こんな時に限って実に楽しそうに、自分たちの仲間の強化系最強と同じ笑みを浮かべながら追って来ていた。

 腕や頭部に回していたオーラも両足に回して、ほとんど“硬”状態の右足を振りかぶられた時はさすがにクロロも顔色を変え、本を閉じて具現化を解除し、自分のオーラを左腕から肩、わき腹にかけて集中して纏って叫んだ。

 

「ちょっと待てお前ーっ!!」

「淑女の、フォーークッ、リフトォッ!!」

 もちろんソラはクロロの叫びを無視して、プロレス好きの姉弟子直伝の技名を実に無邪気に楽しそうに笑いながら叫び、空中でソバットを思いっきり決めた。

 

 強化系のソバットと、特質系の防御。

 どちらが勝って結果がどうなったかは言うまでもない。

 

 * * *

 

「やっぱあれは、ちゃんと足場があるとこでやらなくちゃだめですね。あと、“硬”でソバットはダメだ。強力すぎてそのままぶっ飛ぶから。

 あのドラゴンボールみたいにぶっ飛んでいくのはちょっと面白かったし爽快感もあったけど、ソバットからのジャイアントスイング、バックドロップのコンボを決めるなら初めのソバットはやっぱし手加減すべきであだだだだっ!!

 師匠! ギブギブギブアップ!! 折れる折れる関節外れるどころか関節が逆方向にボキッと折れる!!」

 

 腕ひしぎをビスケに決められてなお、美術館崩壊についての反省ではなくクロロに淑女のフォークリフトを完全に決められなかったことに関しての後悔を語っていた弟子の悲鳴が、ホテルの一室で迷惑なくらいに響く。

 そんな弟子の反応を眺めながら、ビスケは「限界まで悲鳴を上げるのを我慢して、言いたいことをほとんど言ったのだけは尊敬するわさ」と呆れながら、さらにソラの腕の関節の逆方向に力を掛ける。

 

「すみません! 仕事だったことは綺麗さっぱり忘れてましたごめんなさーい!!」

「うるさい!」

 ようやくソラが素直に謝ったところで腕ひしぎから解放してやる代わりに、頭に拳骨を落としてベッドにビスケは腰かけた。

 そしてそのまま足を組んで、ソラに「正座」と命じる。

 

 腕を押さえながらも素直に正座する弟子の白髪を見下ろしながら、まずは溜息。

 言いたいことは山ほどあった。

 あれほど言ったのに、美術館をやっぱりぶっ壊したこと、その所為で宝石が完全に全滅したことを師として説教するなら丸一日、私怨も含めれば三日三晩はぶっ続けで言えただろう。

 が、それらは何だかんだで襲ってきたのが「幻影旅団」であったため、美術館崩壊はビスケが彼らに責任を全面的に転嫁したので、案外こちらに火の粉がかからずに済んだから、後回しにしてやってもいい。

 

 ビスケが何よりも許せない弟子の行動は、ただ一つ。

 

「ソラ。あんたは何で、わざわざ敵にあんたの『眼』の事を話したの?」

 

 ソラの「直死の魔眼」は強力だが無敵でも万能でもない。

 ソラ本人が線や点に干渉しなければ効果が発揮されないし、だからソラ自身も基本的に接近でしか使えない。

 能力の名称や効果だけではなくその欠点までほとんど包み隠さず語ったことに対して、ビスケは怒っていた。

 

 が、当の本人は予想はしていたがやはり真顔で言い放つ。

「この眼の唯一の利点はこの中二病全開のかっこよさなんだから、かっこつけて説明がしたかったから!」

「さすがにもっと他にあるだろ利点!」

 なんとなくだの、その場のノリという答えを予想していたが、ビスケの予想以上にアホな答えが返されて、思わずソラの頭をぶん殴りながらズレた突っ込みをかましてしまった。

 

「あいたたたた……。いや、けどぶっちゃけ説明したからってそんな痛手になると思わないからしたんですけど、なります?」

「……確かにあんたは割とその眼の欠点を克服してるからあんまり問題にはならんけど、情報は与えない方がいいに決まってんでしょ」

 

 涙目で頭を押さえながら妙に幼い表情で聞き返されたら、もうどこから説教すべきかわからなくなってきて、ビスケの方も頭を抱えた。

 実際、ソラの言うとおり彼女の魔眼はタネが知れたらもう終わりという類ではない。

 接近戦を避けられたら不利ではあるが、彼女にはガンドに宝石魔術という中遠距離対応の攻撃手段があり、戦う相手が距離をとっても「念能力」そのものを殺せるのだから、おそらくソラが殺しきれない念能力は殺す暇なく打ち出されるオーラの散弾くらい。

 しかしそれも、防御方面が苦手とはいえソラの系統は強化系。遠距離から彼女の装甲を貫通できるほどの能力者は少ないし、そもそもこの女は相手が距離を取っているのなら、これ幸いと普通に逃げることを優先する。

 

「だから、距離とって私が逃げやすくなるようにとか、向こうからこいつの能力、性質悪いなーとか思って退いてくれることをどっか期待してたんじゃないですかねー。頭に血が昇ってたから、自覚はないですけど」

 いつの間にか正座から胡坐になってのうのうと言い切る弟子に、もう一発拳骨を落とそうと拳を固めた直後、ソラは笑って言った。

 

「それに、なんかあのデコ十字のイケメンはどうも私の眼に御執心だったみたいだから」

 自信満々に、誇るように彼女は笑って言い切った。

 

「さらにすげーレアだって教えとけば、(クラピカ)に会っても私が一緒なら私の方を狙ってきてくれそうじゃん?」

 

 その言葉で、ビスケは殴る気はおろか完全に言葉を失う。

 

 自分の命が大事だけど、大切な人を命がけで守りたい。

 それは実に真っ当な価値観で生き方だ。だから普通に付き合っていればソラという女は、バカな変人でややお人よしがすぎるが、普通の善人に思えるだろう。

 

 けれどこれは、真っ当や普通からはかけ離れた二重の狂気の産物だ。

「死」から逃げる為に常に「死」を想定して「壊れかけているからこそ、今は壊れていないと実感できて安心する」という人間性を食いつぶして、ただ原始的な「死にたくない」という本能のみを優先させた狂気。

 その狂気に呑まれてしまうのは、常に世界が「死」に満ち溢れているということを思い知らされる眼を持つから、そんな視界でも「死にたくない」という願いを捨てられず、その願いを実行する為にはこの狂気に呑まれるしかなかった。

 

 なのにソラは、出会ってしまった。

 命に代えても守りたいと思える大切な人に出会って、誰かを守ることに価値を、意味を見出してしまった。

 

 それは、生き物の中で特に人間が持ちうる狂気(バグ)

 自己犠牲という、生存本能に反する衝動(あいじょう)

 

 ソラがここまで狂い果てているのに一見まともに見えるのは、マイナスの掛け算がプラスになるようなもの。二つの相反する狂気が奇妙なバランスを保って、ソラを真っ当に見せているだけ。

 だから彼女は、あまりに危うい。

「死にたくない」という狂気(ねがい)も、「大切な人を守り抜きたい」という狂気(あいじょう)も、どちらかに大きく傾いた瞬間、ソラは必ず破滅する。

 

 大それたものなどソラは何も望んでいないのに、ただ当たり前のように、ごく普通に生きてゆきたいだけなのに、それはここまで狂い果てて、奇跡のようなさじ加減でバランスを保っていなければいけないことが憐れで、けれど何もしてやれることなどないことを、彼女よりも長く生きてきたビスケは知っている。

 どんなに強くなっても、結局自分にできることなどほとんど何もないと思い知らされるビスケに、ソラは勝手に立ち上がって背筋を思い切り伸ばしながら言った。

 

「そんな顔すんなよ、ババア。頭がいかれた奴に感情移入したって頭痛がして、同じくミイラ取りがミイラになるだけだよ。あ、ミイラの方が本来の姿か」

「なっ!?」

 いつものように師匠を師匠と思っていない暴言を言い放ちながら、彼女は笑う。

 狂気などどこにも見当たらないからこそ狂い果てている証明のような、晴れやかで穏やかな笑顔で彼女は言う。

 

 * * *

 

 ビスケと同じような顔をした人を、ソラは知っている。

 弟も、クラピカもソラがぶっちゃけた謝罪をした後、照れ隠しにしては凶暴すぎる怒りを見せてしばらく拗ねてから、ソラに言った。

「お前は、狂っている」と。

 

 侮蔑や恐れはなく、憐みというには言った本人が痛みに耐えるようなあまりに悲痛な顔をしてソラに告げたが、言われた当の本人はクラピカにそんな顔をさせたことを悔やむ以外に思うことなど、特になかった。

 せいぜい、ざっくり言い切ったなとしか思わなかった。

 その感想こそが、手遅れなほどに狂っている証明だということに、彼女は気づいていなかった。

 

 気付いていたのは、クラピカだった。

 そしてそれは、自分にはどうしようもないことだということにも気づいていた。

 

 彼女の狂気は、消し去ることなど出来ない。

 直死の魔眼を普通の眼に戻せても、むしろそれこそ彼女を破滅に追いやることさえ予想出来た。

 世界の脆さを目にして、その線や点を避けて逃げて生きる彼女に普通の視界を今更与えても、見えないだけで存在する「死」に耐えきれないことくらいわかっていた。

 

「今死ねば?」は、それこそクラピカが言うべきセリフだ。

 彼女は生きているからこそ死を常に恐れて、休む間もなく狂い果てるほどに逃げなくてはならないのだから、死んでしまった方がきっと本当は楽なはず。

 

 きっとそれもとっくの昔にソラ自身が考えて思い至り、それでも彼女は生きることを選んだのだろう。

 だから、クラピカは彼女に伝えた。

 

「それでもいい」と、肯定した。

 

 復讐さえも肯定して「その先」をくれた人だから、クラピカも彼女が選んだものを否定しない。

 憐れまない。かわいそうだとか、救いたいとか、何とかしたいなど思ってはいけない。

 彼女の狂気こそが彼女を生かし、そして自分と出逢ったのだから。

 

「お前がどんなに狂っていようが、狂い果てていようが、そんなのどうでもいい。

 ソラがソラであるのなら、それさえ変わらなければ、いい。それだけでいいんだ」

 

 だから、クラピカは彼女の狂気を肯定した。

 そして、自分がソラに与えられる、渡せる精一杯の「その次」を口にした。

 

「ソラ。オレは自分が本当にしたいことがなんなのかはまだ見つけられない。

 でも、オレは君が……ソラも幸せであってほしい。何があっても生きぬいて、ソラがしたいことをして、幸せであってほしいという思いだけは、今確かに願うことだ」

 

 その言葉がなければきっと、もっと前にソラは破綻していた。

 正気になりたい、普通に戻りたいという願いこそ、彼女の少なくとも表向きは普通を取り繕えている狂気のバランスを大きく崩す。

 普通なら死ぬ以外なかったところを生き延びた彼女が、普通に戻るということはそれこそ本来ならあの日に起こるはずだった破滅を受け入れるということに他ならないのだから。

 

 だから、彼女は自分の狂気を肯定する。

 自分の異常を受け入れて、自分が望んだものの大半が手に入らないことに少しだけ寂しく思いながら、何をしてもしなくてもいつか必ず訪れる終焉で後悔するとわかっているからこそ、だからこそ生きているうちは後悔をしないように生きようと決めたから。

 

 だからソラは、地獄の中でも穏やかに笑って言いきる。

 

「救いたいとか、何とかしたいなんて思うなよ。

 そんなんしなくたって私は、生きているだけで、目覚めてるだけで幸せなんだから」

 

 ソラの言葉に、ビスケはまたしても言葉を失う。

 今度は憐みや無力感ではなく、逃げ場のない地獄で時間稼ぎに逃げ続けるしかない自分の生を、本心から「幸せ」と言い切る弟子に、思わず素で感心してしまった。

 

 それも結局は、狂気の産物だろう。

 が、確かに口出しは余計なお世話にすぎない。

 

 狂気から生まれたものでも、常人には理解できないものであっても、偽りの、嘘にまみれた幸せは存在しても――

 

 幸せだと感じている瞬間に、嘘や偽物なんてありはしないのだから。

 

 * * *

 

「ぎゃはははははっ!」

「吹っ飛んだのかよ! 団長もフェイタンも、女相手に吹っ飛ばされたのかよ!」

「おいおい、相手はどんなゴリラだったんだよ!?」

「黙れ」

「黙るね」

 

 骨をバッキバキに折られて左腕を三角巾で吊るしている団長と、肋骨と内臓に大打撃を喰らって実は話すどころか呼吸も辛いフェイタンが、爆笑する強化系トリオに不機嫌オーラをぶつけながら命じた。

 

 もちろんそう言われて素直に黙る奴らではない。それくらいで黙るのなら、「暇なら来い」という招集命令では来なかったくせに、「団長とフェイタンが女にブッ飛ばされた」とシャルが送った連絡で、わざわざ笑いにホームまでやってこない。

 結局3人が黙ったのは、マチとパクノダがやや疲れた顔で、「……私たちの方は、ちょっと本気でゴリラだった」という言葉を聞いてからだった。

 

 ビスケの方に向かっていた3人は、別に相手の姿で舐めたり油断なんてしていなかったが、さすがにビスケが旅団の強化系トリオレベルのパワータイプであることは予想外だったらしく、まさかのフェイタンが能力発動前にブッ飛ばされた挙句に意識を手放すという珍事に見舞われて、敗走を余儀なくされたそうだ。

 それを聞いて、ノブナガたち3人はとりあえずフェイタンには謝っておいた。

 

「俺には謝らないのか」

「だってそもそもはクロロのわがままじゃん」

 

 同じく女にブッ飛ばされたクロロが不満の声を上げるが、シャルナークが呆れをもう隠す気もなくさらけ出して突っ込んだ。

「明らかにヤバいから忠告したし、退こうって言ってんのに何でか知らないけど変に意地張っちゃって、あれなんだったの?

 もう弾丸みたいな勢いでブッ飛ばされた時は、心配で心臓が止まりそうだったんだけど」

「その割には、俺が蹴り飛ばされた時爆笑していたな」

「あ、ばれてた?」

 

 いけしゃあしゃあと、「心配」なんて気色の悪い発言をするシャルナークを横目でにらみつけるが、そんな視線は痛くもかゆくもないと言わんばかりに彼は舌を出す。

 お前は俺がリーダーであることを忘れてないか? と若干本気で問いただそうかと思ったが、ウボォーギンが相手は怪我人であることも忘れているのか乱暴に背中を叩き、「しかし、団長も災難だったな!!」と励ましなのかトドメなのかよくわからないことをやらかす。

 

「で、どっちの方が強そうなんだ?」

 どうも、励ましでもトドメでもなく、ただの獲物の物色だったらしい。

 団員一の戦闘狂が団長と戦力トップクラスのフェイタンを吹っ飛ばす女二人と聞いて、血が騒がない訳がなかったなとクロロは、わかっていたが集団なのに自由気ままな連中にちょっとしばらく放っておいて欲しいと望むのもバカらしくなって、最低限のことだけ伝える。

 

「ウボォー、師匠の方はともかく弟子の方は殺すなよ」

「え? まだクロロ諦めてないの?」

 

 クロロの言葉にシャルナークは心底驚いて声を上げると、クロロの方もただでさえ童顔なのがさらに幼く見える表情で言い返す。

「何故、諦めなければならない?」

 

 その返答に、シャルナークだけではなくその場にいた全員が絶句して、クロロは団員の反応が理解できず首を傾げた。

 先ほどまでいつものクールさはどこに行ったんだと言わんばかりに、自分をソバットでブッ飛ばした女がいかに面倒くさい空気を読まない訳のわからない女だったかを語っていたのに、未だに彼女の「眼」を諦めるつもりはない、むしろ諦めるのがあり得ないと言い切るクロロに団員は、率直に言ってドン引いていた。

 

 強化系トリオと同じく団長がブッ飛ばされたと聞いてやって来たのに、そのことを笑いもしなければ団長を心配もせずマイペースに本を読んでいたシズクが、そんなクロロにシャルナークが「……まさか」と思いつつも恐ろしくてとても聞けなかったことをサラッと訊いた。

 

「団長、一目ぼれですか」

 勇者の発言に、クロロは即答した。

「それはない」

 

 真顔だった。そして、真顔のまま続けた。

「あの『眼』に対してなら肯定するが、あの女に対してならそれはない。マジでない。

 あれは、マジで、ない」

 

 * * *

 

「……なんか急に、あのデコ十字のイケメンに玉天崩をぶちかましたくなった」

「一体急にどうしたんだわさ? 去勢する気?」

 




とりあえず、設定の説明回みたいな旅団とのファーストコンタクト編は終了。

次は3話くらいで終わる話をしてから、原作の試験編に入りたいと思ってます。

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