「あぁもう!! 本当に何で私がお前の食い散らかしを片付けなくちゃいけないんだよ!!
お前マジ死ね! すぐ死ね! 今すぐに死ね!!」
「食い散らかしというより使用済みのゴムかティッシュの方が正確だね♥」
「なおさら私のやる気を削ぎにかかるな死ね!!」
ただでさえヒソカが元凶という時点で、この死者の念のターゲットがゴンやキルア、ズシではなかったらもう絶対に見なかったことにすること間違いなしなのに、その元凶がこれまた自業自得で責任とらせて片付けを押し付けることも困難だと知ってソラは、少し長くなった髪を掻き毟る。
挙句、ヒソカはソラの例えをさらに最適かつ最低極まりない例えに訂正して、余計にソラをブチキレさせた。もはやソラは、ヒソカに対して死ねとしか言っていない。
「おい! 気持ちはわかるけど言ってる暇があんのかよ!!」
幸か不幸か、ソラのマジギレの叫びは聞こえてもヒソカの最低な例えはソラの言いつけ通り部屋で籠城する二人には聞こえなかったらしく、キルアが扉の向こうから緊張感のないやり取りにツッコミを入れた。
そして実際に、キルアの心配通りそんな余裕はない。
首がありえない角度に曲がったまま、カストロは何度か前後にグラグラ揺れたかと思ったらいきなり走り出して突っ込んできた。
自分が、自分たちがこうなった元凶であるヒソカではなく、ソラの方に。
ヒソカの方に向かっていかなかったのは、やはり複数人の人格融合で本来の目的を見失い、「ヒソカへの復讐」の為の手段であった「器」を得ることに執着しているからか、それとも他の6人もカストロと同じく、自分の性質に合わなくとも選んでしまうくらいに、死んでからも直接対決など出来ないトラウマになるくらいヒソカが怖かったのかはわからない。
ただ、ヒソカは死者の念とはいえ自分が壊した、もう興味も用もない玩具が自分の最高の玩具候補に手を出すのを許す気はもちろんなかった。
だから、ヒソカはイノシシのごとき突進力で向かってきたカストロにバンジーガムを貼りつけて、拘束するつもりだった。
「こっちくんな邪魔!!」
ヒソカがカストロの体にガムの一端を貼り付けた時には、ソラの方もカストロの方に突っ込んでいき、そのままカウンターを決めて吹っ飛ばした。
ちなみに、カウンターで決めたのはパンチでもキックでもない。
カストロの踏み出した足に器用に乗って、そのままソラは自分の膝をカストロの鼻っ柱にめり込ませた。
所謂、シャイニングウィザードである。
いや、正確に言うと違う。本来のシャイニングウィザードは膝の内側で相手の横っ面を蹴りつけるもので、開発者が初期に使っていた大怪我間違いなしの膝蹴りタイプでも、蹴りつけるのはこめかみだ。ダメージとしてはこめかみもなかなか深刻だが、見た目の酷さとえぐさではソラがやらかしたものとは比べ物にならない。
しかしながら本来、相手が膝立ちの状態のところに飛び乗って決める技を、走って突っ込んできている相手に決めて吹っ飛ばしたのは、一種の芸術だった。
なのでヒソカは、バンジーガムがつけっぱだとゴムの反動で戻ってきてしまうので解除してから、「おぉ~♥」と感心したような声を上げて拍手を送る。
「え!? 何で拍手!?」
「ちょっと待て! 何で幽霊相手にこんな物理的な音がしてんだよ!? マジで何が起こってるんだよ!?」
そして部屋の中にいるので、ソラが幽霊と戦っているかと思ったらやたらと物理的な打撃音がしたこととヒソカの拍手が理解できず、また部屋の中から二人が困惑しながら突っ込む。
その突っ込みに答えたのは、ソラではなくヒソカだった。
「んー、相手は幽霊というよりゾンビだね♣ それを今、ソラがシャイニングウィザードで吹っ飛ばしたよ♠」
「お前は何の魔術師になる気だよ!?」
ヒソカの返答に、即座にキルアは突っ込んだ。その通りである。
そしてゴンもゴンで、格闘技に詳しくないがやたらとカッコイイ技名に心惹かれたのか、「え! 何それ!? どんな技!?」と明らか目が輝いているとわかる弾んだ声音でキルアに訊いてきたので、キルアは親友にも「後でお前に実演してやるよ!!」とキレた。
こちらもこちらで愉快なやり取りだとヒソカは思いながらも、意識をソラの方に戻す。
カウンターで威力倍増した膝蹴りを受けて、当然カストロの顔面は酷いなんて言葉では済まされない惨状となる。
鼻は折れるどころか完全に潰れて、芸能人のように整っていた面影はもはやどこにも残っていない。
生きている人間ならば、この一撃で意識を完全に飛ばしていたら良い方だ。蹴り飛ばされた勢いでカストロは思いっきり床に後頭部をぶつけて、またしても硬いものが割れるような嫌な音をさせていたから、間違いなく生きていたらこの一撃で死んでいる。
しかし、このカストロはすでに死んでいる。
生きた死体という矛盾そのものの存在は、鼻を潰され、後頭部を割られてもやはり操り人形のように奇妙な動きで起き上がり、ソラに手を伸ばす。
何よりも求める器に、自分という混沌を収めるであろう無色透明の器、「 」へと通ずる躰に、死にたくないからこそ死んでしまいたいという
「死が、私の前に出るな」
スカイブルーの瞳が、冷厳に、冷徹に、冷血にそれを映して、そして冷酷に言い放つ。
カストロの腕が自分の首につかみかかる前に、ソラは足を踏み鳴らす。
さほど高く足を上げた訳でもないのに、一瞬確かにその場が揺れた。
その揺れによってがくりとカストロが体勢を崩した隙に間合いに入り込み、踏み込み、体当たりじみた肘鉄を入れてもう一度、先ほどよりも遠方、廊下の端まで吹っ飛ばす。
おそらく我流なのか、さほど詳しくないヒソカでもまだ荒いと気付く技だったが、それでも素晴らしく上手く決めた震脚と肘撃だ。
生前のカストロならば、おそらく今と同じく自分がくらっても絶賛したかもしれない。
「……やっぱりキミはいいね♥」
歓喜によるぞくぞくとした悦楽を背筋に感じながら、思わず殺気をソラに向けて飛ばすが、もうソラはヒソカにあの魂を引きずり出す空色の目を向けてもくれず、「お前、何もしないか邪魔するなら帰るか死ね」と言われてしまう。
「酷いなぁ♠ 手伝う気はあるよ♦ ただソラが有能すぎるんだよ♥
プロレス技だけじゃなくて八極拳も得意なのかい? というか、格闘技が好きなのかい?」
「私の国には『美人は格闘技をしなくてはいけない』っていう哲学があるんだよ!」
「良い国だねぇ♥」
口で言うほどソラの隙あらばの自殺推奨を気にしていないのがよくわかる、上機嫌な声音で尋ねるヒソカにソラはヤケクソ気味で答える。
割と本心からヒソカはソラの答えとソラの故郷の哲学を称賛するが、そんな 哲学は ない。
「それにしても、今日は『眼』の調子が悪いのかい?」
「相手が悪いんだよ。体だけを殺しても、中身を殺せてないのなら意味がない。
中身ごと殺すには、見にくいんだよ。死体には『線』も『点』も多すぎるから」
満載な突っ込みどころをヒソカは放置して、ニヤニヤ笑いながら気になったところだけを尋ねれば、ソラはそっけないながらも素直に答える。
しかしもちろん、直死の魔眼がどういうものかの説明をしてもらったことが無いヒソカには、割と意味不明で首を傾げる。
しかしそれ以上ソラの方も詳しく説明してやる気はなく、ソラは自分が廊下の端まで吹っ飛ばしたカストロを睨み付けながらさらに眼の明度を、精度を上げる。
ソラが珍しく直死を使わずにまず吹っ飛ばしたのは、ゴンやキルアから離したいのが第一だが、そもそも今の段階で安直に直死を使う訳にはいかなかった。
ソラの「眼」ならば、もうとっくに壊れて死んだはずの死体すらも、今度こそ二度と目覚めぬ死を与えることが可能だが、その場合は「死ぬ」のはあくまで「器」である「死体」のみであり、その死体を動かしていた中身である「死者の念」自体は多少のダメージは連動しても逃げられる可能性が非常に高かった。
電池で動く電化製品の回路をめちゃくちゃに破壊して、修復不可能にしても、それを動かしていた電池自体は使えるような理屈の話。
これが操作系能力者に操られていた死体ならば、さほど問題はない。操作系ならば、その死体を操っていた「電池」に当たるものは基本的に何らかの物体なので、ソラの眼で死体を殺して動きを止めてからゆっくりと、その「電池」に当たるものを探して破壊すればいいだけ。
しかしこのカストロの場合、「電池」に当たるものは意志らしきものはもう何も残っていないのに、勝手に動き回る「死者の念」だ。
死体を殺して使えなくしてしまえば、間違いなく器を捨ててそのまま逃げる。それをされるとソラはまた振り出しに戻らなければならないので、せっかく現れたこのチャンスを逃す気など毛頭になかった。
幸いながら廊下の端まで吹っ飛ばしたカストロのゾンビは、痛みなど感じていないだろうが吹っ飛ばされて受け身も取らずに廊下をバウンドした際に足の骨が派手に折れて、上手く立ち上がれないでいた。
だから、眼の明度を上げてさらに深く見る。
縦横無尽に走る「死の線」のさらに奥、いくつも穿たれた「死の点」のさらに深淵。
その体ごと、その体に巣食う混沌の「死」そのものを、美色の青が探る。
しかしその「死」を見つけるには、相手どころか場所も悪かった。
「おい! うるせーな!! 何やってんだよ!?」
「! 部屋から出るな!!」
ソラとヒソカの周囲の部屋の闘士たちは、ソラの「ヒソカがいやがった!!」発言からどんなにえげつない音がしようが、ソラの震脚で一瞬とはいえ地震のようにフロアが揺れても出てこなかったが、それは間違いなく「ヒソカ」というさわらぬ神に祟りなしという心境だろう。
しかし、ソラがカストロを吹っ飛ばしたあたりの部屋の闘士にはさすがに初めの「ヒソカがいやがった!!」発言が聞こえなかった所為で、何人かが一瞬の揺れに驚いて、もしくは廊下で激しく騒いでいることに腹を立てて出て来てしまう。
ソラが部屋から出て来てしまった闘士たちに戻るよう命じるが、もちろんその命令が優しさであることは気付かれず、ある者はいぶかしげに、ある者はいきなり意味不明な命令されたことからさらにイラついて、「じゃあ騒ぐんじゃねーよ!!」と怒鳴りつける。
が、その威勢が続いたのはものの数秒。
「おい! そっちのてめーも、戦いたいのなら明日、闘技場で…………」
ソラに廊下の端まで吹っ飛ばされたカストロが、またしても奇妙な動きで起き上がるのに気付いて、一人の闘士がこちらにも文句をつけたが、薄暗い廊下でパッと見ただけでは気付けなかったことに気付いてしまい、一瞬言葉を失う。
鼻は折れるどころか完全に潰れて、ただの赤黒いぐちゃぐちゃに潰れた傷になった顔に繋がる首も、有り得ない方向と角度に曲がっている。
濁りきった両目がてんでバラバラの方向に動き回り、あごも破損したのか青白く変色した舌がデロリとはみ出ている。
どう見ても生きてはいないものが、あまりにもぎこちないがそれでも確かに動いていることをようやく脳が理解してから男は悲鳴を上げた。
「ぎゃあああああぁぁぁっっっ!!」
* * *
一人の悲鳴で他の気付いていなかった者たちも、そこにいる者が何であるかを理解して、しかしそれと出会った時の最適・最善な行動が何であるかは理解できず、一瞬にして場が阿鼻叫喚の修羅場となる。
「部屋もどれって言ってんだろうーが! っていうか、この程度のゾンビでパニクんな!!」
そのパニック状態にソラがキレて怒鳴るが、もちろんそれで鎮静されるわけがない。
というか、鼻っ柱にカウンターのシャイニングウィザードをぶちかまして、ただでさえ酷いことになっていた見かけがさらにえげつないものになっていることが、このパニックの大きな一因だとヒソカは思ったが、ヒソカ的には良いものを見たと思っているので、無粋なことは言わないでおいた。
このフロアの闘士ならば全員が念能力者のはずだが、正しく“念”を学んだ訳ではないものが大半なため、カストロのゾンビは念能力によるものとは思えず、非現実非常識な能力の持ち主でありながら、あまりにも悪夢的な存在を前にして悲鳴を上げながらとにかくカストロから離れようと、逆方向のソラとヒソカがいる方向に闘士たちは殺到する。
その人波に逆らってソラはカストロの方に向かおうとするが、ここの念能力者は先輩闘士の「洗礼」という名の暴行によって“念”に目覚める為、大半が体の一部が欠けるなどの重大な後遺症や障害を抱えている所為で、パニックを起こした闘士たちの多くがうまく逃げられず、立ち往生に近い形になって阻まれる。
そして、ただでさえ闘士たちが出て来てしまったことでカストロが良く見えず邪魔だというのに、最悪なことにカストロのゾンビも動き出した。
やはりカストロは、その中身である「死者の念」はただ一つの物事だけに執着し、その執着していた理由すらわからなくなっている妄執そのものだった。
彼は自分の前から逃げていく闘士たちに、自分の中身を収めきれない「器」に何の興味も示さなかったが、興味がないのならもちろん相手に気を遣う訳もない。
開放骨折している足を無視して無理やり動かしている所為か酷く動きはぎこちないが、とっくに死んで壊れた体をどう扱おうがもはや負荷など関係ない。
カストロは錯乱して逃げ惑う闘士たちを薙ぎ払って、求めた。
器を。
ソラを求め、死んでいる筋肉繊維がブチブチ引きちぎれるのも気付かず、逃げ惑う闘士たちを薙ぎ払って壁に叩きつけ、頭をわし掴んで床に叩きつけて、道を切り開いて歩を進め、修羅場が地獄絵図に変化する。
膨大なオーラで無理やり体を動かしているカストロが、障害物でしかない逃げる闘士たちを排除するのに手加減などする訳もなく、そしてパニックを起こしてまともに“纏”も保てない闘士たちは“念”に目覚めていなかった頃と同じかそれ以上に酷い「洗礼」を受けて倒れ伏す。
さすがに本当に死んだ者はいないと思うが、廊下はまさしく死屍累々という有様に成り果て、その屍山血河を築きながらも突き進む。
「ひぃっ!?」
ガスマスクのような仮面をつけ、たった一本の義足でぴょこぴょこと跳ねながら逃げていた小男が、倒れ伏し、ついていた杖は手から離れて自分の手が届かぬところまで転がってしまう。
自分が倒れてもカストロは足を止める訳もなければ、左右のどちらかに少しずれて避けるなどという常識的なことをしてくれるわけもなく、その小男が無残に踏みつぶされる前にそれは現れた。
「借りるよ」
男の杖を拾って、ソラはその杖で切り飛ばす。
男を踏みつぶそうとしたカストロの足は、名刀で達人級の剣士が切り払ったかの如くの切れ味で切り飛ばされるが、それでもカストロは止まらない。
残された片足を踏ん張って、両手を伸ばしてソラの細い首に掴みかかる。
「イケナイなぁ♠ ボクに壊された残骸が、ボクより先につまみ食いなんて♥」
しかしそれも投げつけられたトランプによって、カストロは右手の掌の半分と一緒に薬指と小指を失う。
が、左手はこの階にやって来るための外壁クライミングで削れた指先以外は無傷のまま、掴みかかった。
ソラの首を、カストロの左手と半分残った右手が掴み、締め上げる。本当に蘇る為に「器」を求めているのならば、自分のしていることは悪手だとは気付いていない。
ただ、せっかくの極上そのものの「器」を壊してでも、欲した。
性能や価値が下がっても、このチャンスを逃したくないという考えすらこの死後の念たちにはなく、ただ目の前にあるから欲する。
その光景を、ヒソカはただ見ていた。
こんなにも簡単に捕まったソラに対して興味を失ったわけではない。
逆だ。
ヒソカは目や口を細く吊り上げて、彼独特の笑みになってその光景を、ソラが何をするのかを恍惚と期待しながら見届けようとする。
ソラが、わざとカストロに捕まったことを理解しているからこそ、期待した。
ヒソカはカストロの両手を破壊するつもりで、トランプを投げつけた。
右手はともかく、カストロの左手を破壊するには前に立つソラが邪魔だったが、ソラなら間違いなく避けるだろうと確信してそのまま投げつけたのだが、ヒソカの信頼と期待通りトランプに気付かずその背に、最終試験とは全く別の情けない理由でトランプが突き刺さることなどなかった。
しかし彼女は、避けるだけで済まさなかった。
避けつつ、カストロの左手を破壊する前に杖でトランプを払いのけた。
とっさの一瞬で避けるだけではなく迎撃までしておいて、技能も駆け引きもありはしないカストロの首絞めを避けられなかったわけがない。
現にソラは首回りにオーラを集めてダメージを最小限にしながら、両目を見開いて見ている。
その眼の明度をさらに高めて、深く深く見据えて、見透かして探る。
カストロの中身を満たす混沌の「死」を、至近距離で逃げられぬように探した。
ソラの言っていた言葉の意味がわからなくても、彼女が生きることを諦めていないこと、諦められる訳がないことくらいわかりきっていたので、ヒソカはただ見ていた。
ヒソカ以上に、ソラが生きることを諦められないことくらいわかっていた。
ヒソカと違って、ソラの眼のことを知っていたから、ソラの行動の真意くらい想像がついた。
それでも、ヒソカのように何もしないで見届けるなんてことは出来なかった。
不安で心が押しつぶされそうで、何も行動しない自分が嫌で、何もしないで守ってもらってばかりの自分が嫌で、思わずソラとヒソカ以外の人間の悲鳴が響いた時、止める友人の腕を振り払って部屋から飛び出てしまった。
「俺なんか何の役にも立たない」という未来を確定したくなくて、そんな未来を壊すのならば「役に立った」という形で壊したくて、さらなる最悪な結末の未来を作りたくなかったから、だから、だから、勝算などなくても飛び出して、逃げ惑う烏合の衆をすりぬけて、行動に移した。
考えることは出来なかった。
これも一種の思考停止だったのかもしれないが、それでも動いた。
「ソラァァァッッ!!」
ソラに渡された、離すなと厳命されていた宝石を思いっきり投げつけた。
ソラを助ける為に、キルアは動いた。
* * *
念能力者である闘士たちが逃げ惑っているので気配もオーラも混迷していたことと、性格上ゴンならともかくキルアの方は来ないだろうと思っていた為、ヒソカさえもキルアが部屋から出て来ていたことに気付かず、目を丸くした。
ヒソカが目を丸くした理由はそれだけではない。
完全に無意識でやったことだろうが、キルアは投げつけたソラの宝石に自分のオーラをコーティングして、“周”を施して投げつけたのだ。
まだ“纏”を覚えただけで、ゴンと違って修行をしていたとしても1か月しか経っていないのに、四大行の応用技を使ったことだけでも驚異的だが、ヒソカの見立て通りならばキルアは変化系だ。
キルアにとって操作系よりはマシだろうが、“周”を施した物質を投げつけるのならば、それは放出系寄りの技であり、変化系にとってはやや相性が悪いはずなのに、火事場の馬鹿力という偶然の産物だろうが、それでもセンスの塊だとヒソカは内心で称賛した。
そして、ソラが渡していた宝石がお守り程度の効果しか期待できないものとはいえ、死者の念を寄せ付けない為の物だったせいか、キルアのオーラのコーティングとその効果が合わさって、投げつけられた宝石がカストロの頭に当たった瞬間、カストロの頭が弾け飛んだ。
さすがに自分の予想以上どころじゃない威力に、キルアの方が本気で驚き「いっ!?」と声を上げて眼を見開く。
だが、次の瞬間絶句して固まってしまった。
カストロの頭は上半分が吹っ飛んだが、それでもソラの首から奴は手を離さない。
手を離さないまま、下あごのみの顔をキルアの方に向けた。
その下あごから、喉から何かが這いずり出てきたのをキルアは見た。
見えてしまった。
本来なら誰とも波長が合わない、万物の属性を持つからこその無意味、不活性の
役に立ちたい。
守って欲しい。
立ち向かいたい。
逃げ出したい。
死んでも守りたい。
絶対に死にたくない。
相反する願望がグルグルと胸の内を渦巻き、自分が何をしたいのか、何が出来るのかがわからなくなって、心の「
その「虚」が混沌を視覚化させる。
複数人の人間のパーツが混じった、不定形の何かがカストロの死体から湧き出て来て、いくつもの眼球がキルアを捉えて嗤った。
愚かな獲物を見つけた歓喜の笑みが、キルアの思考を逃げの一色に染め上げる。
頭の中で
なのに、足は動かない。
キルアの目に映るのは、キルアの耳に届くのは、自分を食いつぶそうとするおぞましい死者の念だけでも、身勝手でありながら純粋な兄の狂愛の言葉だけではないから。
首を絞められながらもソラは、自分の首を締め上げる手を引きはがすこともせず、キルアに手を伸ばして叫んだ。
「……キ、……ルア! に……げて!!」
言いつけを守らず飛び出てきて役に立ったとは言えない自分を、自分が一番ターゲットであり、狙われていると言われていたのに、飛び出てきた自分を責めず、泣きそうな顔で逃げることを懇願したソラに、キルアも泣きそうな顔になって、思ってしまった。
(俺 な ん て 死 ね ば い い)
心の虚が極限まで広がりきった瞬間、混沌はその虚に飛び込んだ。
操り人形の糸が切れたかのように、急にカストロの死体は力をなくして倒れる。
自分の方に倒れかかった死体を蹴り飛ばして、ソラは「キルア!!」と叫んで追う。
トカゲのしっぽ切りのように、壊れた器を捨ててキルアの付け入る隙に、心の虚めがけて7人の妄執が融合した死者の念が、混沌そのものが蟲のようにおぞましい動きと速さで這いずってキルアに向かう。
ほとんど何の事情も分かっていないヒソカだが、自分の玩具を壊されそうだということだけはわかっていたので、見えないながらも戦闘狂の本能なのか的確に地を這う死者の念にトランプを投げつけ、バンジーガムを貼りつける。
しかし、死者の念であるそれにオーラでコーティングされていてもダメージなど皆無に等しく、バンジーガムに引き寄せられるのも力づくで無視して、混沌はキルアに向かって飛びかかった。
キルアは、動けなかった。
逃げ出したいけど、逃げたくなくて。
助けたかったけど、助けて欲しくて。
死にたくなかったけど、死んでしまいたいキルアは、動けなかった。
「キルア!!」
だから、代わりに動かした。
逃げて欲しかったから。
助けたかったから。
生きて欲しかったから。
だから何の迷いもなく、彼は渡されていた宝石をキルアに押し付けて突き飛ばし、そして真っ直ぐに向き合った。
見えてなどいないはずなのに、見えるわけなどないはずなのに、それでもゴンは混沌に立ち向かって言った。
「キルアは、渡さない」
混沌をその身に受け入れた。
* * *
ゴンに突き飛ばされたキルアは、自分の代わりにゴンの体にあのおぞましい、人間が材料のスライムみたいなものが入り込むのを見てしまい、顔面蒼白のまま数秒、唇を戦慄かせてから叫んだ。
「ご……ゴン!? ゴン!!」
ひらひらと、死者の念に突き刺さったはずのヒソカのトランプが床に落ちる。
死者の念をその体に全て収めたゴンは、その場に膝をつき、自分の体を抱きしめるようにして、体を奇妙に前後に揺らす。
その眼に、先ほどまでの太陽の輝きはない。
カストロの死体と同じくらいに淀んだ虚ろな目は焦点がどこにも、誰にも合わず、ただ前後に体を揺らしながら意味のないうめき声を呟き続けた。
そんなゴンの壊れた姿を見て、ヒソカは舌を打つ。
意外に珍しい反応だが、そんな反応をしてしまう程に自分にとって一番の、最高の玩具候補だったゴンが一番つまらない形で自分以外の誰かの手で壊されたのが癇に障ったのだろう。
だからせめて、自分の手で完全に、完膚なきまでに
別に温情でも何でもない。ただそうしたら少しはこの鬱憤が晴れるかと思っただけだ。
が、その考えはソラの言葉によって早々に放り捨てた。
「――ゴン。
どう見ても、壊れて廃人状態のゴンを見てソラは言った。
その声には、確かな歓喜に満ちていた。
そしてソラは、カストロの足を切り払った杖を投げ捨て、人が到達できないからこそ焦がれる彼方の空、天上の青、セレストブルーの眼で彼を見据えて言った。
「そのまま、逃がすな!!」
この混沌そのものの死者の念にとってキルアは最高のターゲットだが、ゴンは違う。
ゴンは莫大なオーラを収める容量としては申し分なかったが、それ以外は「天敵」と言えた。
この少年に「虚」はない。
したいことを、やらなくてはいけないことを見失わず、迷わない。
未来を確定させないくせに、自分が望んだ未来以外を妥協しないで突き進む。
勝算は計算しないし、考えないが、思考停止もしない。
確固たる「自分」を持ち、それゆえに割と常に傍迷惑なことばかりしている少年だからこそ、混沌は彼を取り込めない。
本来ならばその身に潜り込もうとしても弾かれたはずだが、ゴンはキルアを助けるために混沌を受け入れた。
が、決して自分の体を明け渡そうとした訳ではない。
自分の体に、閉じ込めただけだ。
7人もの人格を取り込んだ混沌は、どこかに必ず共通点がある。
性格でも、趣味でも、オーラの系統でも、好きだった食べ物でも、何でもいいからその共通点をとっかかりにして、混沌は潜り込んだ器の魂を、生命エネルギーを、オーラを吸収して取り込むつもりだったのだろうが、間違いなくゴンにも何かしらの共通点はあっても、それでもゴンからオーラを奪えない。
「俺と、お前は違う」
そんな当たり前を忘れない、自分を失わないからこそ、体の中に混沌を収めても彼は混沌に染まらない。
器を得てもまた別の器を得ることに執心していたこの混沌が、ゴンの体を得てもすぐ隣のキルアに何もしないのがいい証拠だ。
さすがに7人分の死者の念によってゴンの自我が押さえ込まれているようだが、体の主導権を渡さず抵抗している。キルアに危害を加えないように、傷つけないように自分の体を、自分の体の中に入って来たものを押さえ込んでいる。
そしてゴンは、この押さえ込んだ死者の念を逃がす気もない。
ソラやキルアを狙った死者の念を許す気も逃がす気もなく、自分の体を檻にして捕え続ける。
何より、ソラもゴンの無謀でありながら一番効果的な捕獲を無駄にする気などない。
限界まで眼の精度を上げて、ゴンを見据える。
カストロの死体とは違って、生者相手なので「線」や「点」の数は少ないが、生者だからこそ間違いは犯せない。
ゴンの中で、今は太極図のように二分されている中身のうちの一つのみを殺す為、天上の青がその最深まで「死」を探る。
「……あ、…………ああああああああああああっっっ!!」
「!? ゴン!?」
前後に揺れているだけだったゴンが、急に叫び出してキルアを振り払って走り出す。
そして、そのままカストロの死体が破った窓から飛び出した。
ゴンの魂を取り込めず、このままこの身体に捕らわれるくらいなら、ゴンを、この身体を一度殺して手に入れるという手段に打って出て、渾身の力を振り絞ってゴンの抵抗をねじ伏せて、飛び降りた。
飛び降り、そして捕まる。
肩を、掴まれる。
振り向いた先に、星と月を背景に蒼天がこちらを見ていた。
何の躊躇もなく、こちらもゴンの後を追って飛び降り、ゴンを捕えてソラは凄絶な笑みを浮かべて言った。
「
混沌にとって、最大の天敵が笑う。
死によって生まれた混沌を、万物が溶け込んでいるが故の無意味を、本物の無意味に、虚無に還すその眼に捕らわれて、混沌は絶叫した。
忘れていたはずの、忘れたかったからこそこうなった末路が、思い出してしまった。
「死」とは、こんなに恐ろしい終わりであったことを思い出しながら、蒼天の死神の手でその「死」を貫かれた。
* * *
「ソラ!! ゴン!!」
キルアが叫びながら窓に駆け寄り、割れたガラスで手が傷つくのも物ともせずに身を乗り出す。
200階という超高層階から飛び降りて無事なわけがないとわかっていながら、その可能性を否定したくて、諦めきれなくて、涙を浮かべて下方を覗き込む。
奇跡を願った。
「……おーい、キルアー」
「……へ?」
しかしながら、キルアの願いはあまりにもあっさり叶えられて思わず拍子抜けして、涙も吹っ飛んだ。
思ったよりもはるか近くに、ソラもゴンもいた。おそらく10階分もない、せいぜいここより6.7階くらい下らへんの外壁に、ソラがぐったりしたゴンに抱き着いてぶら下がっている。
もちろん、ソラやゴンを繋ぐロープの類は何もない。そしてソラが外壁のわずかなとっかかりにしがみついてる訳でもない。
何故か、気を失っているゴンに見えないロープでも結び付けられているように、ゴンが宙ぶらりんでぶら下がっており、ソラはそのゴンにしがみついて落下を防いでいた。
ある意味ではカストロのゾンビや、そのゾンビから出てきたもの以上に不可思議な光景に、キルアがひたすら困惑していたが、ソラはぶら下がりながらキルアに頼んだ。
「キルアー。ヒソカにもうちょっと下まで下ろせって言って。あと3メートルほど下ろしたら窓があるから、それ破って中に戻るわ」
「OK♥」
キルアに伝言を頼むまでもなく、いつの間にかやって来たヒソカがオーラを放出して、ゴンに繋がる「
「これで責任は取ったことになるのかな?」
「完全な偶然の産物で恩着せるんじゃねーよ。責任とりたかったら死ね」
下ろしながらヒソカが訊けば、ソラは一度鼻を鳴らしてから言い捨てて、窓ガラスを蹴り割って中に入って行った。
ソラの言う通り、ゴンに「
見えていないながらも、ヒソカは死者の念に投擲してトランプを突き刺し、バンジーガムを貼り付けた。
死者の念がゴンの中にもぐりこんだ時トランプは外れてしまったが、死者の念そのものに貼りつけたガムはゴンの体にもぐりこんでもまだくっついていたのはわかるが、ソラがその「中身」を殺してもヒソカのバンジーガムは殺されず、ゴンの体の中に潜り込んで引っ付いたままだったことに関しては、完全に想定外で素直に驚いた。
「本当、非常識な眼だなぁ♥」
見た限りゴンは気を失っているが普通に生きていたし、怪我をした様子もなく、どうやらソラは見事にゴンの中にもぐりこんだ死者の念だけ、その念に繋がっていたはずのヒソカのバンジーガムも命綱にするつもりで避けて殺しきったらしい。
お気に入りの玩具が全部無事なのを確認し、ソラによってゴンに繋がっていたガムを切られてから、ヒソカはちょっと無茶をして痛みがぶり返してきた両腕の継ぎ目を軽く撫でる。
せっかく美味しくなることを期待して、2年間楽しみにしていた青い果実が残念な出来だったことでこれでも落ちていたテンションが向上し、ヒソカはぶり返した痛みも心地よいと思いながら、キルアに話しかけた。
「じゃ、ボクは帰るね♦ お休み♥」
よくよく考えたら、キルアに対して自分の能力をばらしたも同然なものを見せてしまったことに気付くが、キルアなら今日の試合でも“凝”を覚えたら間違いなく見破るだけの頭があり、何よりヒソカの能力は効果がばれても損などほとんどない能力なので、まったく気にしなかった。
むしろ、ヒソカはずっとキルアがきょとんとした眼で自分を見ていることが気になった。
別れを告げてもまだきょとん顔が続行されてたので、何でそんな顔をしているのかを尋ねようかと思ったが、その前にキルアがその答え同然のことを訊いてきた。
「……え? ……お前が、ヒソカ?」
「……気付いてなかったんだ♠」
どうやら、素顔のヒソカが自分の知っているヒソカと結びついていなかったらしい。
最後の最後で、ヒソカはちょっとだけ凹んだ。
自分で書いてて、私はカストロに何の恨みがあるんだろう? と思うくらい、死体とはいえひどい扱いで申し訳ない。
ごめんなー、カストロ。恨みは何もないんだ。けど同時に君に関しては何の興味もないんだ。