死にたくない私の悪あがき   作:淵深 真夜

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62:休息の終わり

 昨夜起こった出来事の顛末を全部聞いて、頭痛に堪えながらまず初めにウイングが思ったことは、ズシを宿に置いて来て良かっただった。

 ソラを未だに「優しくて美人なおねえさん」と思っている節が強いズシに、その評価は別に何も間違っていないが、そんな彼女の優しさは大切な人のためなら死体相手にプロレス技や八極拳でぶちのめして吹っ飛ばすという、えらく物理的かつバイオレンスだという現実を突きつけるのは、さすがに酷だと思ったからだ。

 

「……色々と言いたいことはありますが、とりあえず全員無事で何よりです」

 

 ウイングがしばし悩んでから最初に言った言葉に、ソラ・ゴン・キルアの3人が誤魔化すように笑った。

 しかしもちろん、ウイングがそんなもので誤魔化されて色々と言いたいことを忘れる訳がない。

 

「けど、私は結構怒ってますよ。3人全員に」

 

 いつも柔和な眼鏡の奥の眼に、強い光を灯して自分の前にそれぞれ座る3人を見渡すと、まず初めにキルアが誤魔化すように笑うのをやめて言い出した。

 

「! ソラの言いつけ破って部屋を飛び出したのは俺で、ゴンは俺を庇ってくれたんだ! ソラだって俺が役に立たなかったからあんな無茶したんだ!

 ……ゴンは、ちゃんとあんたの言いつけを守ってあの状況でも“纏”もしてなかったんだ! だから、ゴンはあと1か月でまた修行をさせてくれ! もう教えるのはやめるって言うんなら俺だけにしてくれ!」

 

 あれほど強くなるために、戦うために危険を冒して、そして今はその求めた力が目の前にあるのに使うことを禁止されている状態の友人が、このまま修行できなくなることを恐れて、キルアは自分の非も無力であったことも認めて、ゴンを弁護した。

 

 その弁護に真っ先に噛みついたのは、庇われているゴン自身だった。

 

「! 違うよ! 俺だってキルアを突き飛ばした後に、見えてなかったけど目の前にすごく嫌な感じがしてたから避けようと思ったら避けれたのに、俺は危ないことをわかった上で避けなかったんだ! ギドとの戦いの時よりバカで性質の悪いことしたんだから、悪いのはキルアじゃなくて俺の方だよ!

 キルアが言いつけ破ったのは、ソラが心配だったからじゃん! ソラの為だったじゃん! 俺のわがままとは違ってソラを助ける為に出て行ったキルアが悪いわけないし、ソラは初めから全部何も悪くないよ! 一番悪いのは俺だよ!!」

 

「二人とも落ち着きなよ。どっちも悪くないよ。二人とも、それぞれ誰かを助けようと行動したんだから、二人が悪いわけがない。

 悪いのは、初めからきちんと説明しないで、心配ばかりかける方法しか取れなかった私だよ。

 ごめんね。君たちに危ない目と嫌な目に遭わせて」

 

 ゴンがキルアに怒りながら全力でキルアを庇えば、ソラが自分が悪いと全部の非をひっくるめて持っていこうとするので、今度はソラに向かってキルアとゴンが噛みついて、「一番危ない目にも嫌な目に遭ったのはお前の方だろうが!」「ソラが俺もキルアも助けてくれたのに、何でそんなこと言うの!?」とあまりにも心優しいマジギレをしだす。

 

「あなたたち、全員それぞれ相手が大好きなのはわかりましたし、すごく心が洗われるような思いやりですが、これ以上は本末転倒な喧嘩になるのでやめなさい」

 

 お互いがお互いを大好きだからこその大喧嘩になりそうだったので、ウイングがストップをかけて、3人も「何言ってんだろ、俺・私ら……」と思ったのか、やや気まずそうだが素直に黙る。

 

「なんというか、3人とも反省すべきところはもう言わなくても必要以上に反省しているようですから、これ以上私からは何も言いませんが…………」

 

 3人の庇い合いでお説教をする必要はないとウイングは判断したが、それでもまだ普段の柔和な雰囲気には戻らず、恐れているようにも見えるほど心配そうな顔で一番肝心なことを尋ねた。

 

「3人とも、怒りませんから正直に言ってください。

 最初に報告してくれたところ以外に、どこか痛い所や何か違和感を覚える所はありませんね? 怪我や何か不穏な情報を隠したりなどしていませんね?」

 

 ウイングの念押しの問いかけに、最初に答えたのはまたしてもキルアだった。

 

「俺は初めに言った通り、手の怪我くらいだよ。刺さってた硝子も抜いたし、これくらいの怪我ならすぐ治る」

「俺も飛び降りた時に窓ガラスでちょっと切ったのと、後は……胸に痣が出来たくらいかな?」

「ちょっと勢い付けてぶち込んでごめんなさい」

 

 包帯が巻かれた両手を見せながら答えたキルアに引き続いて、ゴンも正直に答える。

 そして最後は正直すぎて胸を撫でながらソラからちょっと眼を逸らすと、ソラが改めてゴンに頭を下げた。

 ソラに謝られてゴンは「ソラは悪くないよ!」とフォローしつつも、やはり眼を逸らして「……でも、ソラが俺の胸を手で貫こうとした時は死ぬほどびっくりした」とやはり正直な感想を答えてしまい、ソラはますます頭を上げられなくなる。

 

 どうやら、死者の念が体に潜り込んで自我を表層化出来なくなってもゴンの意識自体はちゃんとあったらしく、自分を追って何の躊躇もなく飛び降りてゴンの中の死者の念の「死点」を貫くソラははっきりと見えていたし、覚えているようだ。

 

「……っていうか、痣で済んでよかったな」

 

 二人のやり取りをキルアは呆れたように見ながら、これまた正直な感想を口にする。

 実際、ソラの眼の反則っぷりを知っていれば、勢い余って胸に痣など無傷同然だ。この女なら、うっかりで神すらも殺せるのだから。

 

「そりゃあ、ブチ切れて無意識無自覚の時以外なら上げたことが無いくらいに精度を上げて見つけた、あの混沌の『点』だからね。ゴン自身の体の『点』じゃないから、勢い余って強く突いちゃった以上の被害はないさ。あったら、私は切腹するしか謝罪のしようがないけど」

「そんな謝罪は求めてないから! 正真正銘、大丈夫だからやめて!」

 

 キルアの正直な感想に、ソラは頭を上げてちょっとドヤ顔で答えつつ重すぎる誠意を表し、ゴンに本気で止められた。

 そしてまた話が脱線しそうな気配を感じたウイングが、無理やり話に割って入って話題の軌道修正を図る。

 

「ゴン君、怪我はそれだけだとわかりましたが、何か体に違和感などはありませんか? ふと気分が暗くなるとか、意識が一瞬遠のくとか」

「え? んー……今のところはそういうのはないです。というか、あの幽霊? みたいなのがまだ俺の中にちょっとでも残ってるんならはっきりとわかると思う。

 なんかあれが入ってきた時、明らかに自分とは違う、絶対に混ざらないグチャグチャしたものが体の中で暴れてた感じがすごかったから」

 

 ウイングが死者の念に短い間とはいえ体を乗っ取られてたことに関する後遺症と、その死者の念が残りかす程度でもゴンの中に残していないかという不安を、ゴンはあっけらかんと否定する。

 その否定は、素直に信じた。

 左手の小指に巻かれた“念”を使えば切れるように神字で細工した「誓いの糸」が未だに切れていないということは、ゴンは本当に死者の念と対面しても、ウイングの言いつけを今度こそ守っていたという証明だ。

 

 それはギド戦とは逆の意味で愚かな選択だが、彼の性根の真っ直ぐさをあまりにも如実に表しているので、ウイングはゴンの言葉を信じて「なら良かった」と彼を労わるように、愚かな選択だったが「友達を守りたかった」という思いだけは否定せず、褒めるようにゴンの固い髪を撫でる。

 

 ただ、ウイングはゴンの言葉が無くてもさほど心配はしていなかった。

 自分よりはるかに手慣れたプロである妹弟子が何の心配もしていないのだから、ウイングも大丈夫だと確信していた。

 

 この質問や念押しは、キルアやゴンを疑っているのではなく、「彼らは正直に答えたのだから、あなたも正直に答えなさい」というプレッシャーのつもりだ。

 なので、ウイングは少し厳しめの目つきでソラを見て訊いた。

 

「で、ソラさんの方はどうなんですか?」

「ぜーんぜん、問題なしです」

『嘘つけ』

 

 しかし、そんなプレッシャーがこの女に通じる訳がない。

 ソラは首にくっきりとした首を絞められた痕である手形をつけ、ゴンと同じように硝子で切った怪我の所為で体のあちこちが包帯や絆創膏まみれになって、いつものミッドナイトブルーの眼ではなく深く鮮やかなサファイアブルーの眼で、実にいい笑顔を浮かべて即答したが、3人から即答で嘘認定された。

 

「お前の『問題なし』ほど信用できねー言葉はねぇんだよ! どの面下げて言ってるかわかってんのか!?」

「俺の怪我なんかよりも、ソラは自分のことを心配してよ! 眼は本当に大丈夫なの!? ちゃんと元に戻るの!?」

 

 あまりにいけしゃあしゃあと言い切ったソラに、ウイングは頭痛を堪えるように片手で頭を押さえて「あなたという人は……」とお説教を開始しようとしたが、その前に子供二人がやはりあまりに心優しいマジギレで、ウイングの言いたいことは全部先に言われしまう。

 

 しかしソラは、おそらくは「線」や「点」以外はっきり見えるものがない視界で、そんな気が狂いそうな世界を見ているとは思えない程、しれっとした顔で全くゴン達のお説教を気にせずに言い返す。

 

「だって、私にとっては自分より君たちが無事かどうかが一番の気がかりだし。それに、それは君たちも同じでしょ?

 君たちが今みたいにバカな私にお説教するくらいならいいけど、君たちを悲しませるのは嫌だから絶対に私は大丈夫しか言わないし、実際にそうさせる」

 

 ソラのセリフにキルアだけではなくゴンも、隣の友人ほどではないが赤くなって、ぴたりとお説教が同時に止む。

 

 ソラの言う通り、ゴンもキルアも自分の怪我よりも相手の怪我の有無や傷の深さの方が気がかりであり、大問題。だからこその、マジギレの説教だ。

「そんなことを言うのなら、そもそも怪我をするな」と言ってやりたいが、ソラの怪我は全部、自分たちを守るために負ったものであることをわかっているからこそ、これ以上二人は何も言えなくなってしまう。

 

 ソラの言う通り、正直に首や体が痛いと言われても、目がまたしばらく見えないと言われても、ゴンやキルアの罪悪感をさらに重くするだけで、二人に出来ることは何もない。

 あまりに堂々とした大嘘の「問題なし」は確かに腹が立ったが、ソラがそんなことするわけないと思いつつも、「君たちの所為で」と責められなかったことにホッとしたのも事実。

 

 どこに支障があるかを正直に報告されるより、嘘でも「平気だ」と言われたことに救いを感じた自分たちの身勝手さと、ソラに負担ばかりかけて何もできなかった自分たちの無力さが、顔の熱が冷めるころにまたじわじわと湧き上がって、二人は黙って俯いてしまう。

 

 そんな二人を、ソラは両手で二人同時に引っ掴んで抱き寄せた。

 

「「!?」」

 

 相も変わらず唐突に行動を移す女に、ゴンもキルアも眼を白黒させることが精一杯で、二人は無抵抗で抱き寄せられる。

 そんな二人を両腕に抱え込んで、二人の耳朶にソラは告げる。

 

「この程度で終わるのなら、初めから君たちに正直に話して協力してもらえば良かったな」

 

 自分の怪我を、自分が負った負担を「この程度」と、「問題なし」と何度だって伝える。

「君たちの所為じゃないよ」と、泣きたくなるくらい後悔と罪悪感と自己嫌悪で潰れてしまいそうな子供に、手を差し伸べる。

 

「本当、男の子はすぐに成長しちゃうなぁ。君たちはもうこんなにも強くなっていたんだね。

 ……キルアもゴンも、お疲れ様。助けてくれて、手伝ってくれて、ありがとう」

 

 言いつけを破って、守られていたのに出て来てしまったキルアの行動を肯定する。

 親友を守るために、一番危なくて愚かなことをしたゴンの行動を肯定する。

 

 二人が苛む無力感の源泉であった出来事に、意味を与える。

 

 慰め程度の言葉であることはわかっている。

 それでも、その言葉はお世辞同然の中身なんかない、空っぽの言葉だなんて卑屈なことをは思いたくなかった。

 

 自分達と同じように「傷ついて欲しくない」と願うソラの気持ちをそんな風に卑下してしまうことは、自分たちの同じ願いも貶めることだから。

 

 だから、ゴンはソラの背に手をやって抱き返し、キルアはソラの方に顔を埋めるようして二人は同時に言った。

 

「……ソラ。助けてくれて、ありがとう」

「…………助かった」

 

 どれだけ傷ついても、それでも「大丈夫」と言ってくれた人に、大丈夫にしてみせると誓っている人に礼を告げ、そしてゴンとキルアは同じ未来を誓う。

 

(強くなろう)

 

 強くなることを、誓った。

 

 そんな二人と妹弟子のやり取りを見て、ウイングは柔らかく微笑む。

 ソラの怪我や眼のことももちろん心配だったが、ウイングが一番心配していたキルアとゴンがソラのことで気が病んでないかということは、きっちり本人が解決させたことに安堵して、そして解決させたのなら遠慮はいらないなと判断し、ニッコリ笑顔のままソラに言う。

 

「ソラさん。お二人は良いとして、私はまだ納得してませんよ?」

「うっ……」

 

 二人を抱きしめたまま痛い所を突かれたような声を上げ、ソラはそっとサファイアブルーの眼をウイングから逸らした。

 ビスケと違って鉄拳制裁に出ることはめったにないが、ウイングは「普段怒らない人ほど怒った時がヤバい」の典型であることを、このバカ娘はさほど長くも深くもない付き合いでありながら嫌になるほど知っているので、何とかウイングがまだソラの言動に怒っているという事実から逃げようと足掻く。

 

 しかし、ソラの言葉に納得したと言えばしたが、それでもやはり自分たちを守る為とはいえ、ソラ自身を囮にして首を絞められても死者の念の「点」を探っていたという、自殺志願同然のやり方に関してはゴンもキルアもまだ怒っていた。

 

 なので、抱きしめるというより縋り付くに近くなっていたソラの抱擁を二人は無情にべりっとはがして、ウイングに差し出した。

 

「ウイングさん、ソラをよろしく」

「お前ちょっとは絞られて来い」

「ちょっ! 弟二人が急に辛辣!!」

 

 ゴンとキルアからありがたく妹弟子を受け取り、「別に急じゃないですよ」とソラの泣き言にこちらも辛辣に言い返して、ウイングはソラの首根っこを掴んでそのまま部屋から出て行った。

 

 * * *

 

 幸いながら、ウイングのお説教はかなり短く済んだ。

 言いたかった事の9割方はもうゴンとキルアに言われていたのもあって、ウイングは『あの二人が大切なのはわかってますし、二人を守ろうとしたあなたの意志も行動も尊敬に値しますが、もっと自分を大切にしなさい。二人を悲しませて傷つける為に、戦った訳じゃないでしょう?』とだけ、改めて注意しただけだ。

 

 ウイングがわざわざ部屋からソラを連れて出たのは説教の為ではなく、ゴンとキルアの前では本当にソラはどんな重篤な傷を負っていても晴れやかな笑顔で「平気」と言うので、本当に怪我の具合や眼の調子がどうなのを確かめる為であり、むしろお説教よりもウイングに本当に平気であることを納得してもらう方が長引いた。

 

 ソラからしたらあのセリフは、二人が気に病まないようにするための嘘でも強がりでもなく、まぎれもない事実。

 怪我に関してはソラからしたら全部かすり傷の範疇であり、目に関しても最終試験の時と変わりなく、丸一日もすれば視力は戻ると確信しているし、それまでの生活にも支障はさほどない。

 

 全く見えなくなるわけではなく曇りガラス越しのような視界になるため、人の顔の認識がほぼ不可能で、よほど大きな字の看板でさえ読めるかどうか怪しいが、シルエットくらいは見えているので出歩く程度ならば何の支障もない。

 今一番支障が出ているのは、さすがに料理は危なっかしいので無理だというくらいだとウイングに説明してようやくウイングの説教と心配から解放される。

 

 が、解放されたらされたでソラは暇だった。

 

 ゴンの部屋に戻れば、さっそく二人は「強くなる」という誓いを実現させる為、瞑想して“燃”の修業中だったので邪魔するのも悪く、そのままソラは闘技場のロビーへと向かいベンチに座る。

 

 目がよく見えていないのであまり確かなことはわからないが、昨日の騒ぎのわりに闘技場は今日も盛況だった。

 昨日のカストロのゾンビという死者の念の騒ぎは、さほど遅い時間ではないとはいえ全試合が終了した夜であり、起こった場所も闘士宿泊スペースフロアだったので、どうやら一般人の客は昨日の騒ぎ自体を知らないらしい。

 

 もちろん闘技場側は把握しているが、怪我人は出たが死人は出ておらず、試合外での出来事だったことと、闘技場側からしたら予防や対策のしようがないとはいえ「死体が死者の念で動いて、他人を襲った」という事実は、“念”による戦闘を売り物にしているここでは周知されたくない情報だったのもあって、解決しているのをいいことにもみ消したのだろう。

 

 なので、客はともかく闘士たちは200階クラスならもちろん、それ以下のクラスの闘士も噂程度で知っている者が多いのか、昨日までとは違う意味合いでチラチラとソラを気にするような視線を受けるが、ソラは気にせずベンチで待ちぼうける。

 

 ソラとしては自分も一緒になって瞑想しても良かったのだが、というかむしろせっかくできた時間をこのような形で使うくらいなら、可愛い弟分たちと瞑想していた方が億倍楽しいが、したくないことを後回しにしていると余計にしたくなくなるので、ソラは先に済ますことにした。

 

 しかし、だからといって自分から出向くことは死ぬことと同じくらいしたくなかったので、往生際が悪くソラは向こうが来ることを待つことにしているのが現在。

 ソラにとって、それは幸福なのか不幸なのかは本人すらも良くわからないが、約束をしたわけでもないのにそれはソラが思ったよりも早く、ソラの意図通りやって来た。

 

「や♥ ソラ、もうあの可愛い恰好はしないのかい?」

「……する必要がないのならしねーよ、あんな恰好」

 

 昨夜と違っていつも通りのピエロルックで現れたヒソカが、胡散くさいほど爽やかに笑って近づいてきたのをソラは睨み付けて答える。この時ばかりは、ヒソカの殺意を覚えるほどムカつくニヤけ面を見なくて済んだ視界に感謝した。

 

 そしてソラの格好はヒソカの言う通り、三日間続けていたウサ耳フードパーカーではなく、ハンター試験時と同じようなツナギ姿である。

 昨日の一件、特にカストロの足を杖であまりにも滑らかに切り飛ばしたことで、ソラが2年前に芸術的な大技で闘技場を沸かせたエンターテイナーにして、稀にだが素手で相手の手足の一部を解体するように切り飛ばす残虐さという二面性を持つ、伝説じみた女性闘士「雪髪戦姫」だとついに200階闘士たちにバレてしまったのだ。

 

 バレた経緯が経緯なので、カストロのように「ファンです!」と奇特なことを言い出す奴はおらず、むしろ怯えられているのはソラ本人も幸いかどうかはわからないが、とりあえずバレても2年前のようなストーカーが出ないのならいい機会なので変装はやめたらしい。

 

 ソラとしてはさっさとやめたかったのでようやくすっきりした気分なのだが、ヒソカはゴンやウイングと同じように「残念♠」とソラの変装を惜しんだ。

 ゴンやウイング、そして口には出さなかったがキルアにソラの変装でしかなかった可愛らしい恰好を惜しまれるのはソラも少しばかりは胸がチクチク痛んだが、ヒソカに惜しまれても「やめて良かった」としか思えない。

 

 しかしヒソカの方は割と本気で残念なのか、一度ため息をついてさらに言葉を続ける。

 

「やめちゃうのならやっぱり昨日のうちに写真撮って、イルミに送っておけば良かったなぁ♠」

「……それ、どっちに対する嫌がらせなんだよ? 両方?」

「ボクとしては早めのお中元のつもり♥」

 

 ヒソカの後悔にソラは困惑しながら突っ込むと、ソラからしたら更に訳がわからなくなる発言をにこやかにかます。

 ヒソカにとっては本気で「お中元」くらいの気持ちなのかもしれないが、しかし間違いなく本当にイルミに送ったら、ソラが思っているのとは別の理由かもしれないが、ソラの言う通り普通に嫌がらせである。

 

「嫌がらせでも中元でも何でもいいけど、私を巻き込むのはやめろ。つーか、話を進めさせろ」

 

 ソラにとっては完全に黒歴史と化した格好の写真が、何故お中元になると思ったのかに興味が引かれない訳でもないが、この変態の思考を理解したいとは思えなかったので、ソラはヒソカの世迷い事を流して、話を進めようとする。

 ヒソカも、眼を細く釣り上げて笑って「良いよ♥」と実に機嫌よく応えるので、ソラはベンチに座ったままヒソカから距離を取った。

 

 その行動を「ひどいなぁ♠」と実にうきうきした説得力皆無の声音で言ってから、ヒソカはソラの前に立ってソラの背後の壁に両手をついて、壁ドン体勢でソラを見下ろして逃げ場をなくす。

 

「キミの方から誘ってくれたのに、逃げるのかい? ようやく、ボクと遊んでくれるのかと期待したのに♣」

 

 ソラが珍しく、“練”ほどではないが自分の存在を主張するようにオーラ多めの“纏”をしていたからこそ、気付いてやって来たヒソカが舌なめずりで問うが、ソラはサファイアブルーの眼でうざそうに相手を見上げて即答で否定する。

 

「んな訳ないだろ。というか、お前は今、私の眼がどういう状態かわかってるだろ? 万全じゃない奴相手にしか戦えないヘタレじゃないんなら、がっつくな」

「今、その状態だからこそ()り合いたいくらいだけどね♥ 今のキミならうっかりで神様だって殺せてしまうんだろう?」

 

 しかし、ヒソカはソラの答えでさらにねっとりとした気持ちの悪い殺気が膨れ上がらせた。

 どうも、ソラとの最終試験を思い出して「あれは良かった」と悦っているらしい。

 

 ただでさえヒソカが現れたらどんなに混雑していてもモーゼの十戒状態に人が避けて道が出来るというのに、思い出し悦楽というハイレベルな変態行為によって漏れ出す殺気の所為で、完全にソラとヒソカの周りには人がいなくなってしまった。

 

 そのことに支障はない、むしろ好都合なくらいだが、間違いなくこの変態と同類だと思われていることに頭痛がしてきたので、ソラはさっさと話しを終わらせて帰りたかったのだが、もちろんソラがお気に入りの粘着質な変態がそう簡単に解放してくれるはずがない。

 

「……あぁ♦ もしかしてあの格好はイメチェンじゃなくて変装だったのかい? 確かに、『雪髪戦姫』の頃とは全然方向性が違うから、気付かれなかっただろうね♠ でも、昨日の件で気づかれちゃったのかな?」

「何でお前もその名前知ってんだ!?」

 

 ソラが「いつまで悦ってんだ、キモイ」と言ってヒソカを現実に引き戻す前に、自分で勝手に帰ってきたのは良かったが、さらりと唐突にソラからしたら昨日までの格好以上の黒歴史な名前を出されて、思わず胸倉を掴んで叫んだ。

 

「いや、すっかり忘れてたけどボクが天空闘技場(ここ)に登録したきっかけは、キミのここでの試合の動画だよ♦ 昨日の容赦ないけど芸術的なシャイニングウィザードで思い出したね♥」

 

 胸倉を掴まれてもヒソカはもちろん狼狽も悪びれもせず、むしろなんかちょっと嬉しそうであることが目が見えてなくてもわかるほど弾んだ声で答える。弾んでいても、やはり印象としてはなんかねっとりとした独特の声音なのがすごいなと、ソラは完全に現実逃避で思った。

 

 キルアの空想であってほしいと願った予想は大当たりだった。

 ヒソカもカストロと同じく、ソラの試合の動画を見て彼女と戦うために天空闘技場に登録したようだが、入れ違いというかほぼ直前にソラが引退してしまって、二人はソラにとっては幸運、ヒソカにとっては不幸なことに出会わなかったらしい。

 

 引退してると知ってもしつこくソラを探そうとはしなかったのは、ソラの「直死の魔眼」を知らなかったからそこまで執着していなかったのと、200階闘士になってすぐカストロという青い果実を見つけたこと、そしてそもそも過去に興味がないヒソカの性格もあって、どうやら本当に昨日の芸術的なまでにえげつないシャイニングウィザードを見るまで、ここに登録したきっかけをきれいさっぱり忘れていたようだ。

 

「私のバカーっ! やっぱシャイニングウィザードじゃなくて淑女のフォークリフトにしとけば良かった!!」

「そっちの方が印象深い技だから、どっちにしろ思い出すね♥」

 

 ただでさえ2年前のストーカーが可愛らしく見えるくらいの変態に執着されているというのに、さらに執着される理由を思い出させてしまった後悔で、ソラはヒソカの胸倉から手を離して自分の顔を両手で覆って嘆くが、その後悔はヒソカの言う通り同じ結末しか導かない。

 

 ソラの本気なんだかボケなのかよくわからない叫びを、クスクス楽しげに笑いながらヒソカは眺めるが、これはこれで面白いがやはり自分にはこんな平和なやり取りは物足りないので、ソラに「それで? 結局ソラは何の用なんだい? デートのお誘いなら、いつでもOKだよ♥」と茶化しながらもようやくこちらも本題に入ってくれた。

 

 おちょくられていたソラは恨みがましげにヒソカを睨むが、見えていなくても相手が悦んでいることがわかったので、ソラは一度舌を打ってからもう一度手を伸ばして胸倉を掴み、ヒソカを引き寄せて言った。

 

 

 

「つれないな、ヒソカ。

 9月1日にヨークシンで待つのは、クラピカだけか?」

 

 

 

 ソラに引き寄せられ、サファイアブルーの眼が至近距離でヒソカを映す。

 その眼に映る奇術師は一瞬だけ目を丸くしたが、すぐに細く細く、悪魔のように釣り上げて笑って答える。

 

「……いいや♠

 キミなら9月とは言わず、今すぐにでも♥」

 

 

 

 

 

 9月1日までの猶予期間(モラトリアム)

 

 休息期間、終了。

 

 準備期間、開始。





今回で、天空闘技場編は終了。
次回からは「9月1日までのモラトリアム(下)」です。

今回のモラトリアム中編は、ソラとイルミのラ……ブ?コメ風味予定です。
楽しみにしていただけたら、幸いです。

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