「……もう私、ツナギ以外着ない」
木の幹にしがみついて、耳まで真っ赤にさせたまま訳の分からない決意宣言する女の後頭部に針を投げつけてみたが、いつも通り背中に目があっても驚かないほど自然に避けられてイルミもいつも通り舌を打つ。
ようやく自分の腹の上からどいて、しかも自業自得の羞恥心で勝手に凹んでいるのをいいことにイルミは再び逃げ出そうかと考えたが、どうせ逃げてもこの女はメンタルが復活したらまた追ってくるのはわかっていたので、家族の前で先ほどのような無様な姿を見せるよりはマシだと思って、その場に留まることにした。
留まることにしたが、もちろんソラの羞恥による悶絶タイムが終わるのを待ってやる気はサラサラなく、「除念するならさっさとしろ。耳年増生娘」とある意味ではソラをよく表している罵倒をしながら、また針を投げつけた。
「うるさい! 好きで耳年増でも生娘でもねーよこのセクハラ能面!!」
「俺の言ってることがセクハラなら、お前は何なんだ? やらかしたこと以前に、格好がすでに痴女だろうが」
ある意味ではソラを端的に言い表しているが、ソラの本質からはかなりかけ離れてた印象を与える発言に、言われた本人はキレながら涙目赤面で針を受け止めて、針と一緒に言葉を投げ返すが、イルミも自分の針を受け止めて心底呆れたように言い返す。
ゴン達に「露出が高すぎる」と言われた時は、「服屋で売ってる服をその通りに着てるだけ」と言い張って全く気にしていなかったソラだが、さすがにこの露出で成人越えの異性相手にあのきわどい体勢を取ったことが、どれだけ女として大問題なのかは正しく理解出来ているようだ。
もしかしたら、イルミのマウントを取る為に飛びついて取っ組み合いをしていた際、腹の上に馬乗りよりもきわどく、「当ててんのよ」状態になっていたことも思い出してしまったのか、ソラはさらに顔を赤くして両腕で胸やむき出しの腹を隠そうとしながら、キャンキャンと喚く。
「痴女じゃないもん!! 服屋に普通にあった服だし、マネキンが着てた通りの格好だし、何でか知らないけどこの格好と髪型だとナンパされなくなったからしてるだけだ!!」
キャンキャンと小型犬のように喚いて自己弁護をするソラを、イルミはものすごくうるさそうでウザそうだが、意外なことに黙って聞いていた。
聞きながら、見ていた。
おそらく胸近くまで伸びた髪をポニーテイルにしている性別不詳な現在のソラと、相変わらず視界の端で挑発するように佇むあの冬の日のソラを見比べる。
現在のソラより短いが、その後に相対した時とは違って肩を少し超えるくらいの長さのツートンカラーな髪のソラは、今現在のソラよりもはっきりと女性だとわかる。
シルバは今現在のソラの格好を、「ナンパ避け」と説明されてもピンとは来ていなかったが、イルミは「バカだろ、こいつ」と思いながらも納得していた。
初めからこの女は髪が長ければ、その長い髪を下ろしていれば一目で女だとわかることを知っていたから。
「……え? ちょっ、……何?」
しばし涙目で自己弁護していたソラだが、珍しいどころか有り得ないくらいにイルミが攻撃を仕掛けず黙って聞いているという異常事態に気付いて、さすがに羞恥が薄れて困惑する。
しかし、ソラが尋ねてもイルミは無反応のままかっ開きすぎててどこを見ているのかがイマイチ良くわからない目で凝視し続け、さらにソラを引かせた。
ドン引いてるソラを、黙ってイルミは眺め続ける。
初めからこの男は、ソラの話などほとんど聞いていない。
ただ、視界の端に焼付いて再生し続ける過去と現在のソラを見比べて、思い出そうとしていた。
あの時、自分が何を考えていたのかを。
あの雪降る雑踏で、何故この女から自分は眼を離せなかったのか。
今も覚めない夢の中にいる理由を、考えた。
* * *
まず真っ先に思いつくのは容姿が端麗すぎたからだが、即座に「ないな」と否定する。
癇に障る事実だが、この女の容姿が奇跡的なまでに整っていることは認めている。けどそれは眼が離せなかった理由になっても、ソラが自分を「見なかった」ことに対する憎悪の理由にはなりはしない。
ソラの容姿に魅せられたのなら、イルミが欲しているのがただそれだけならば、ソラのことを憎みなどしない。
この女がどんなにバカげたことをしようが言おうが、自分の変装に気付かなかろうが、声を覚えてなかろうが、自分のことに一切の興味を懐かず、イルミを決して見なかったとしても、そんなことはどうでも良かったはず。
その芸術的な容姿が傷つきさえしなければ、イルミは間違いなくソラの言動なんかに、ソラという人格なんか気に掛けない。
ならどうしてあの日、ただ一瞬目が合っただけで自分はこんなにもこの女に執着しているのか。
その理由を探って、未だ戸惑って狼狽しているソラとあの日の刹那を、確かに目が合った一瞬を見比べながらイルミはようやく口を開く。
「……お前はどうして、『あの時』俺を除念した?」
「はい?」
唐突な問いかけに、ソラはさらに狼狽えつつもまずは確認する。
「えーと……それって初めて……じゃないらしいけど、あの地下室での話だよね?」
「そうだ」
やはりまだファーストコンタクトを思い出せず、あの仕事での敵対を初対面だと思っていることにイラつきながらイルミは肯定し、座り込んでいるソラの前に立って彼女を見下ろして訊く。
見下ろしているのに、視界の端の彼女は自分を見下ろして笑っている。
笑って、『大丈夫?』と尋ねる。
「お前が今、俺に掛けられた“念”を除念しようとしているのは仕事として依頼されたから、カルトが気にしてるから、なんだかんだで腐れ縁の俺が死んだら後味が悪いからっていうのは、理解できない部分の方が多いけど、まぁ納得してやるよ。
けど、『あの日』は違うだろ?
お前にとって俺は初対面で、お前は雇い主なんてどうでも良かったんだろうけど便宜上どころか、俺は全力でお前を殺しにかかってたんだから普通に敵だった。
今のお前と違って、いいチャンスだと思ってトドメを刺す理由も見捨てる理由もあったのに、逆に俺を助ける理由なんかなかったのに、何でお前は自分を殺しに追ってきた奴を助けた?
その理由が『憐み』じゃないとしたら、何なんだ?」
憐みだと思った。
あまりに無様に倒れ伏すイルミを憐れんで、同情で施したとしか思えず、だからイルミは除念された直後もソラを追いまわして、武器である針をすべて無くすまで追い回した。
……けれど、そうじゃないということはソラに先ほど否定される前から感じ取っていた。
だってソラは、自分が本気で殺そうと追い回しても逃げ切る実力を持つが、だからといってイルミを憐れむ余裕があるほど格上ではない。
むしろ、イルミの方がおそらく実力としては上だ。
この女は反則としか言いようのないあの眼の性能と、人間性を犠牲にして得た予知能力レベルの危機察知能力をすべて防衛と逃亡に費やして逃げ切っているし、一番ヤバかった「殺らなきゃ殺られる」モードに入った時は、ほとんど防御を忘れて捨て身特攻でこちらの数を減らすことを優先していたので、虚を突かれた一度目はともかく同じ状況がもう一度あったのならば、イルミの方が有利に立ち回れる自信はあった。
防衛と逃亡に関したらソラの方が格上なのだろうが、戦闘そのものでは自分の方が上だと自惚れではなく、愚かな意地でもなく、暗殺者らしい眼力で見極めているし、他の家族も認めている。
だから、本当はとっくの昔に知っている。
『大丈夫?』
あの日の笑顔も、言葉も、憐みなんかではなかったことくらい、本当は知っている。
だけどイルミは、その気付いている事実を頭から振り払う。
あれは「憐み」だと言い聞かせる。
そうでないとしたら、期待してしまうから。
あの雪降る雑踏で立ち尽くしたイルミと同じ何かを、この女も抱いたのではないかという期待をしてしまいそうな自分が殺してしまいたいほど嫌だったから、イルミは気付いていたものから目をそむけ続けた。
だけど本日、その眼をそむけて「憐み」だと思い込ませていたものを本人に「違う」と否定されたイルミは、ようやく目を向ける気になった。
それは、ソラが「憐みじゃない」と断言したと同時に、自分の自殺してしまいたいほどしたくなかった「期待」も有り得ないと確信したから。
この女はどこまでも自分を、「イルミ」を見ていないことをわかっていたが改めて思い知り、確信して、あの捨て去りたいのにまとわりついていた亡霊のような「期待」を、ようやく捨て去れそうだったから。
だから、イルミは尋ねた。
「憐み」でも、イルミがしたくなどなかった「期待」でもないのなら、あの時の「大丈夫?」は何だったのか。
何故、自分を殺しに来た相手を助けて、笑って『良かったね』などと言ったのかを、イルミは問いかける。
その問いかけに、ソラはやはり戸惑って狼狽していた。
初めよりも「何言ってんだ、こいつ?」と言いたげな顔で、イルミを見ていた。
とっくの昔にソラ目の眼は、ガチギレのセレストブルーから普段の藍色に戻っている。
あの日と同じ、あの雑踏で一瞬、確かに見合った時と同じ瞳。
夜空のような、闇とは違ってどこかに光を灯しているが、その光源がどこかわからない深い瞳がイルミを映して答えた。
「……いや、別に理由はないけど?」
その答えを肯定するように、その瞳に宿る感情の色は困惑のみだった。
イルミの問いに対して、どのように答えるべきなのかという困惑以外、そこにはない。
イルミ自身に対して、何の感情も印象もその瞳に浮かべはしない。
あまりにも無色透明な眼だった。
それこそが、イルミの「答え」だった。
* * *
まるで路傍の石でも見るような、何の感情も印象も抱いていないと一目でわかる、無色透明な眼だった。
顔を上げた理由は、イルミと同じように「なんとなく」でしかなかったはずだが、それでも自分の意思で見ておきながら、確かに目が合ったのに、それなのにソラの眼はイルミに対して何の感情も、印象も抱かずに、路傍の石という認識のまま視線を外して通り過ぎた。
そんな風に見られたのは、初めてだったことに気付く。
家業柄、基本的に家族と執事以外で関わる相手と言えば、依頼人とターゲット。あとはめったにないが、依頼人の要望で同業者と一時的に協力するくらい。
依頼人と同業者の場合は、初めからイルミが「ゾルディック家」の者であることを承知の上なので、イルミを「伝説の暗殺一家の一人」という期待や嫉妬や畏怖が入り混じった目で見る。
ターゲットは、当たり前だが自分を殺しに来たと知れば、恐怖と絶望にその眼は染まる。
そして、基本的に仕事以外では自宅であるククルーマウンテンから出ないゾルディック家だが、逆に言えばミルキ以外は仕事なら普通に出歩くし、皆無と言っていいのであまり意味はないが私的な外出だって、「もう一人前」と認めてられているのなら別に文句も言われない。
さらに言えば、変装スキルを持つイルミでも「素顔じゃだめだ」という明確な理由がない限り、結構疲れるので針による変装はせずに素顔を晒して歩く。
なので、ただでさえ容姿が整っていることにプラスして人形でないのが不思議なくらいに無機質な表情と雰囲気、そして武器である針を体に刺しているわ、割と服装のセンスが方向性は違うがヒソカと並んでいるほど奇抜だわという特殊すぎる特徴を数多く持っているため、暗殺者としてだいぶ問題だがイルミはそこらを歩けば、暗殺一家の長男なんて情報を知らなくても普通に老若男女から注目を浴びる。
イルミが何もしていなくても、何も語らなくても、自分を「見る」人間はいつだって勝手にイルミという人間を知る前に勝手に形作った印象を見て、その印象から抱いた感情をその眼に宿す。
そのことに、思うことは何もない。
むしろ、そんなことを意識したことなどなかった。
他者にどう思われていようが、それが自分が唯一大切にしている家族であっても、イルミは自分の考えや行動を曲げるつもりはない、ヒソカ曰く「典型的な操作系らしいマイペース」だ。
誰にどう思われても、その作られた印象がどんなに見当違いでも、イルミからしたらどうでも良かった。
自分が自分を理解していれば、それで良かった。
……けれど、あの日初めてイルミは、自分のことを何とも思わない「眼」と出会った。
イルミのことを背景の書き割り程度にしか見ていない、個人認識していなかったのならあの眼が無色透明なのは当たり前で、イルミだって何も気になどしなかっただろう。
彼女は、ソラは確かに自分の意思で、イルミと同じく「なんとなく」程度でも間違いなく彼女自身の意思で顔を上げてイルミの姿を見て、存在を確かめたのに、その眼は初めから変わらぬ無色透明な、何の感情も印象も抱いていない、路傍の石を見る眼だった。
イルミでさえも、今でもひどく癪だが「奇跡的なまでの美人だな」くらいの印象を一目見て抱いたのに、ソラは本気でイルミを見ても何も思わずそのまま立ち去った。
上っ面すら、見なかった。
何の印象も持たず、自分の中に「イルミ」という存在のイメージを作らず、そのまま立ち去って行った。
……それがどうしてこんなに気に入らないのか、どうしてこんなにもこの女が自分を「見ない」ことに苛立つのかは、やはり未だにわからない。
いや、わかっている。わかっているけど、そう思う「理由」はやはり見つからない。
だからイルミは、「気に入らない理由」から目を背ける。
気付いてしまったあの日の自分の「期待」から、どうしてあんなにも初めて自分を見たと思った眼に宿っていたのが「憐み」だったことが気に入らなくて屈辱だったのか、その理由から眼を逸らして、見ないことにして、なかったことにして、胸の奥の深淵に鍵をかけてしまいこむ。
あの無色透明な眼は、どんな『自分』を見るのだろう?
何の偏見も先入観もない、清らかな真水のように見えた無色透明の眼だったから。
そんな風に思いながら、あの一度も振り返らなかった背中を眺めていたことを、イルミはなかったことにした。
出来るわけがないことを、覚めない夢を再生し続ける視界が、幻影が嗤っているのも無視する。
幻影の嘲笑は自身の鏡像であることを、未だにきょとんとしている本物が嫌になるくらい突き付けているから、イルミはあんなにも手が届かないとわかっていても殺してやりたかった幻を無視して、もう一度尋ねる。
「……お前は、理由もなく自分を殺そうとした相手を助けるのか?」
「え? うん」
ソラはやはり、きょとんとしたまま即答する。
即答してから、さすがにこの答えはおかしいと感じたのか、腕を組んで首を何度か傾げつつ、自分も納得のいく補足をひねり出す。
「っていうか、うーん……。私からしたら、殺さなきゃいけない理由がないのなら生かす一択だからなぁ。
イルミの言う通り、あの時なら見捨てても私にとってお前は別に亡霊になんかなりはしなかったよ。でも後味が悪いことには代わりなかったし、あそこでちょっと確かめるもん確かめたらもう雇い主を守る気もなかったし、むしろ本気で死ね! って思ってたから除念した……のかな?
うん、ごめん。やっぱり理由を訊かれたら、特にない。そこにいたし、除念出来たからしたとしか言いようがないわ」
ひねり出したが、それは結局後付けのような理由だと自分でも思ったのか、謝る必要などどこにもないのにソラはとりあえず一言、イルミに詫びた。
当然、そんな軽い詫びでイルミの今までの苛立ちが解消されるわけがない。むしろまたイラっときた。
「本当、お前は存在全てが癇に障るな」
「はいはい、悪うございました。……その割には、今日のお前は機嫌がいい方だな」
「はぁ?」
その苛立ちを言葉でぶつければ、ソラは面倒くさそうに流したかと思えば何かに気が付いたように、意外そうな顔をして見上げてきた。
その「気付いたこと」がイルミからしたら、どこをどう勘違いしているのかさっぱりな発想だったので、思わず心底呆れたような声を上げる。
「……お前の眼は、『死』を見ること以外は節穴なのか? どこをどう見たら俺の機嫌が良く見えるんだ? 誰の所為でここ数日ろくに眠れもしないで、執事どころかカルトにまで八つ当たりする羽目になってると思ってんだ?」
呆れながら、むしろ機嫌はお前の所為で最悪だと表しながら訊き返すが、ソラはしれっとイルミの機嫌がいいと思った理由を語る。
「だってイルミ、今は私を殺そうと思ってないじゃん」
その答えに、イルミは目を丸くして黙り込んだ。
そんなイルミを見返して、ソラは淡々と語る。
相も変わらず、何の感情も印象も抱いているとは思えない、無色透明な眼にイルミを映して。
「何か今日は、いつもと違って基本的に私を殺す気あんまりないでしょ? そんな逃亡最優先にするくらい私に除念されたくなかったのかよ? お前のその意地、マジで何?」
「うるさい、黙れ、死ね、消えろ」
いつも通りのシンプルな三つの要求をしながらイルミは針を投げつけるが、簡単に受け止められた挙句にソラはいつものように距離を置きはしない。
認めるのはものすごく癪だが、この女の殺気の感知能力は本気で予知能力か読心が出来ているのではないかと疑う程だ。テキトーな勘でものを言っている訳ではないことを、一番その感知能力に煮え湯を飲まされてきた自分自身が良く知っている。
つまり自覚はなかったがこの女が逃げ出す必要もないと思わせるくらい、自分はソラに対しての「殺意」を懐けていなかったこと思い知らされて、またさらに苛立った。
けれど、酷く苛ついているのにソラはやはりイルミから距離を置いて逃げ出そうとはしない。
苛ついても、気に入らないと思いながらも、「殺したい」と思えない今日の自分が本当に気に入らず、少しは意趣返しになることを期待して、イルミはソラに尋ね返す。
「……そう言うお前は、何で執事や父さんたちを連れてこなかった? 執事はともかく、父さんたちなら自分の家のことだから俺を取り押さえることくらい普通に協力しただろうに」
「だってシルバさん達に頼んだら、お前絶対にさっき以上に逃げるし意地張るじゃん」
しかし、イルミの問いは意趣返しになどならなかった。
自分と同じく、いつも逃げ回るソラが逆に自分を追う立場になったこと、そして父親や祖父たちに協力してもらえば、少なくとも自分の生存率は格段に上がることくらい理解していたのに、誰も連れず一人でやってきた、イルミと同じくらいあまりに「らしくないこと」を指摘したつもりだったが、ソラからしたらこれは1年前のイルミの除念と違って、明確に理由がある行為だった。
「執事さんを連れてこなかったのは、連れて来たらお前の肉壁増やすだけだってわかってたからだけど、私が来たって察した時点で逃げるくらいにお前は私に除念されたくなかったんでしょ?
死んだ方がマシなんて馬鹿な意地を優先させてやる気はサラサラないけど、家族大好きなお前がそこまで家族の迷惑だってわかってても意地を張るくらいなら、少しくらいは尊重してやるよ」
全く迷いもなく即答するソラに、イルミはきょとん顔のまま「……何で?」と妙に幼い言葉でさらに問う。
その問いに、ソラは少しだけ笑って立ち上がる。
無色透明だった眼に、ある
「イルミ。私はお前と違って自分の家が嫌いで、家族も一人を除いて大っ嫌いなんだよ」
それは、キルアやカルトに向けられる眼と同じ。
「だからこそ、家族を心から大切にして愛してるお前のことを、私はそれなりに尊敬してるんだよ。まぁ、どう考えてもやりすぎ、重すぎ、歪み過ぎっていうドン引きの方がでかいけどね。
……それでも――」
夜空によく似た暗い青に、柔らかな光を燈した眼がイルミを映して、ソラの右手がイルミの左頬に触れる。
「お前が思ってるより私はお前のこと、嫌いじゃないよ」
弟たちに向ける「慈しみ」と同じものを灯した瞳が、少しだけ青みを増す。
すっと、イルミの瞼から眉にかけてなぞられた指が焼付いた幻影を断裂させて、殺した。
なのに、イルミの視界にはまだ「夢」が焼付いたままだった。
あの日と同じように、あの日と全く別の理由でイルミを「見て」、そして笑うソラが焼付いた。
* * *
「隙あり!!」
「だから、ねぇよ」
しかしソラは歪みなくソラだった。
やっとイルミに掛けられた“念”を殺して、除念してからまずやったのが、イルミへの目つぶしリベンジだった。
もちろんイルミがそれを許すわけがなく、ソラの細い手首を掴んで防ぐ。
除念の際に触れたのが瞼から眉にかけてだったので、どうやら初めの方の目つぶしも本人が言ったように除念ではなく、ただ単にソラ個人がやってみたかっただけのようだ。
「お前はマジで何がしたいんだよ?」
「いや、そんだけいったいいつ瞬きしてんのお前? っていう目をしてたら、なんか目つぶししたくなるのが人情じゃん?」
ソラの手首を遠慮なく握りつぶさんばかりにイルミは締め付けるが、ソラは“凝”でその握力をガードしながら真顔でまた訳の分からないことをほざきだす。
訳の分からないことだった。
言っていることの理解など出来ない方が良かったとイルミはこの後、真剣に思った。
「どこの世界に目つぶしが人情なんて言うんだよ?」
「お前に限っての話だよ。そんな眼をかっ開いてんのに、なんかいつも寝てるような生き方してるんならなおの事、眼をぶっ潰しても起こしてやりたいじゃん?」
何気ない、あまりにも馬鹿げた発言に呆れて反射で出た突っ込みに過ぎないイルミの言葉に、ソラは自分の手首をつかむイルミの手を引き離して答えた。
「寝てる?」
「眼がかっ開きすぎ」はよく言われることなので何も気にしていないが、だからこそ言われたことが無い表現に素でイルミは首を傾げた。
そんなソラの前では珍しい素直な反応がちょっと嬉しいのか、ソラもイルミを前にして珍しくおかしげに、楽しそうに笑って答えた。
「イルミ。お前が家族も家も大好きなのは知ってるし、さっきも言ったようにそこは尊敬してるし羨ましいとも思ってるよ。ドン引きもしてるけど。
でも、キルア程じゃなくてもいいからもう少しは外や他のことにも目を向けてみたら? 世界なんて目覚めてるだけで楽しいんだから、引きこもって限られた環境で夢見続けるのはもったいなくない?」
ソラが予測していた反応は、即答で「余計なお世話だ、偽善者」と切り捨てられて、針を投げつけられると言ったところだった。
しかし、数秒間の間が開いてソラが「あれ?」と思ったタイミングで爆発した。
「!? 何事!?」
言いながらソラは持ち前の反射神経で飛びのき、逃げる。
ソラが飛びのいた瞬間、ソラが今まで立っていた場所に大小問わず様々な針がいくつも突き刺さった。
いきなりいつも通りの殺意を爆発させたイルミの攻撃に、相手にとって気に入らないことを言った自覚はあるが、それ以上に気に入らないことを散々言ったしやらかした自覚もあるので、何故あの発言で珍しく殺意が薄かったイルミが、いつも通りのイルミになったのかがソラにはさっぱりわからず、「え!? 何で!? 何がそんなに気に入らなかったの!?」といつも通り逃げながら尋ねる。
そんなソラの問いがイルミの殺意にガソリンとなってさらに爆発して、一生の不覚レベルのことをイルミは口走る。
「うるさい! 黙れ! 誰の所為で夢を見てると思ってるんだ!?」
「えっ!? 私の所為なの!?」
口が滑って一生の不覚な発言をしてしまったが、イルミにとっては幸いなことにいつも通り殺す気でかかられたらソラは逃げることに集中しないと逃げられない為、とっさの突っ込みだけで精一杯となってイルミの顔を見る余裕などなかった。
口を滑らせた直後のイルミは、顔色こそはいつも通り死人じみた青白さだったが、表情はソラにストレートな好意をぶつけられた時のキルアそっくりだったことを、ソラは知らない。
* * *
言われなくても、知っている。
これが「夢」でしかないことを。
夢はいつか現実の前に折れるものであることなど、考えるまでもなく知っている。
星には手が届かない。
自らを燃やして駆け抜ける流星なら、なおの事。
流星は離れているからこそ見えるものだ。
見つけた時点で、もうそれは自分の元には落ちてこない。
例え墜落した流星を見つけたとしても、それはもう夜空を彩った刹那の輝きではない。
ただの、石ころだ。
もしかしたらそれは、この星には存在しない鉱物かもしれない。
何かしらの価値はあるのかもしれない。
けれどそんな価値は、たかが知れている。
だって墜落した流星など、あらゆるものを摩耗して、燃え尽きて、失って落ちて来た残骸に過ぎないのだから。
「夢」に見たほど、期待したほどの価値などないことくらい、わかっている。
それでも、もうしばらくは夢見ることを選んだ。
例え、自分の元に落ちてくることはないとわかっていても
落ちてきたものなど、芥同然の残骸に過ぎないと知っていても
それでも、流星の輝きが焼付いてしまったから。
だから、目覚めぬ限り幸せになれないとわかっていても、だからこそもうしばらく夢を見る。
目覚めたらもう二度と、同じ夢は見れないから。
いつか現実に儚く破れるその日まで、イルミは一つの「夢」を見ることを選んだ。
ゼルレッチのアルクに与えた祝福の言葉である「いつか気がつく。君の人生は、目が覚めているだけで楽しいのだ」はものすごく好きな言葉だけど、アンデルセンの語った、現実・愛・恋の三すくみの話も好きなので、組み合わせてみたら本当にイルミがロマンチストになった。
拗らせすぎだろ、この人。
次回はクラピカ回なので、コーヒー豆とカカオ豆でも食べながら読んでください(笑)