死にたくない私の悪あがき   作:淵深 真夜

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幕間:洒涙雨なんかじゃない

 その日、キルアは親の仇でも見るような……ではないか。キルアの親を殺せる者がいたら、キルアは憎むより先に「こいつ本当に人間か!?」という目で見るだろう。

 なので、口うるさい母親やウザい次兄を見るような眼で、窓の外を睨み付けていた。

 

 正確に言えば、窓の外の上空。

 分厚い雲に覆われて、大雨と雷、そして暴風を巻き起こしている台風を睨み付けて舌を打つ。

 

「……あのバカはどうしてこう、変な所で運がないんだよ?」

 

 その独り言はただ拗ねているだけなのか、それとも素直じゃない心配なのかは、キルア本人にもわからない。

 

 そんなアンニュイなのかただふてくされているだけなのか微妙なテンションで、荒れ模様というレベルではない天気を睨み付け続けるキルアを横目に、ゴン・ウイング・ズシは円陣を組むようにして相談を続ける。

 

「……どうしよう? どうしたらキルアの機嫌が直ると思う?」

「というか、あれは機嫌が悪いと言うべきっすか?」

「……ソラさんを心配しているようにも見えますが、キルア君の性格を考えるとそこを指摘した方が色々と爆発しそうですね」

 

 そこまで言って、3人はそれぞれ溜息をつく。

 キルアが拗ねて機嫌が悪くなるのは、正直言ってこの3人からしたらもはやいつものことだ。

 そしてその原因は十中八九ソラ(たまにゴン)なので、基本的に3人とも自分たちが口出ししたらキルアが余計に意地を張るのもわかっているし、幸いながらソラはキルアの割と理不尽な八つ当たりでさえもこの上なく微笑ましくて可愛いものと認識しているので、放っておけばそのうち沈静化することもとっくの昔に学習していた。

 なので、いつもならば生ぬるい目で放置しておく。

 

 しかし、さすがに本日は放っておくには忍びない。

 それは、今日もキルアの機嫌の悪さの原因はソラであるが、今回は本当に何一つとしてソラに非がないことと、キルアもそれをわかっているからこそ八つ当たりしないように我慢しているが、我慢しきれない理由があったから。

 

 今日はキルアが一番楽しくて幸せな日であってほしいと、ソラだけではなくゴン達も思っている日だから。

 

 今日は、大概のわがままが許される日だから。

 

 キルアの誕生日だから、何としても彼に笑ってほしかった。

 

 * * *

 

 誕生日だというのにキルアの機嫌が最低に近いのはもちろん、ソラがいないからだ。

 ただでさえ10日ほど前に、ソラが約束通りクラピカに旅団(クモ)の情報を話しに出かけて、帰ってきてからキルアの機嫌はずっと悪かった。

 

 帰ってきたソラの髪に飾られた、金糸で華美過ぎない上品な刺繍が施された真紅のリボン。

 やたらと不器用に結ばれたそのリボンが誰から贈られたものかなんて、誰と会ってきたのかを知らなくてもわかった。

 

 無邪気に「どうしたの、そのリボン」と訊けるゴンの首を、八つ当たりで絞め上げたくなった。

 その問いに照れくさそうに顔をそむけつつ、赤い頬を隠しきれずにソラが答えた時、自分の鼓膜を突き破ってでも聞きたくなかった。

 

『……えっと、……なんかクラピカから誕生日プレゼントだって言われて……もらっちゃった』

 

 そう言ってはにかんだソラの顔など、見たくなかった。

 照れくさそうで、けれどそれ以上にこの上なく嬉しそうなソラの顔に見惚れてしまったのが、この上なく癪だった。

 

 ソラの誕生日を過ぎてから知ったのは自分もクラピカも同じで、どちらも当日にちゃんとプレゼントを渡すどころか「おめでとう」すら言えなかったのに、同じ立ち位置だと思っていたのに、5カ月も遅れても渡そうと思って実行したクラピカに腹を立てて、悔しかった。

 

 ただでさえクラピカは当日に会えなくても祝ってもらえたのに、4年前の約束を守る為に自分達よりも優先してもらったくせに、さらにプレゼントまで遅れたがもらったくせに、ちゃっかり自分もプレゼントを渡している小賢しさが、キルアは気にくわなくて仕方がない。

 

 もちろん、クラピカが小賢しく自分に「ソラは自分のだ」というマーキングをアピールするためにプレゼントを渡したわけではない、そんな奴ではないことくらいわかりきっている。

 この送り主を連想させる色の組み合わせは恥ずかしい独占欲じみたものかもしれないが、自分と似たタイプだからこそあからさまなマーキングは恥ずかしくてとても出来やしない奴だと、キルアは割と冷静に分析していた。

 

 だからこれは完全に自分の被害妄想と嫉妬、そして自分だって後からでも用意して渡せばよかったのにそんな発想が全く出なかったことに対する八つ当たりなのは自覚している。

 

 自覚しているからキレるには勢いが足りず、だからといって納得することも出来なかったキルアは、何とかこの胸に溜まるモヤモヤとしたものを消化しようと努力した。

 けれどあんなに女らしい恰好を嫌がって、妥協してたチューブトップに短パンすらも何故かイルミの除念を行ってからはしなくなったのに、あまりにも可愛らしい、女性どころか少女らしさの象徴のようなリボンで毎日髪を結っているのが、キルアの気に障って仕方がなかった。

 

 白い髪に映える赤い布の切れ端が視界にかすめるたびに、何度そのリボンを切り裂くことを空想したかは数えきれない。

 その衝動にかろうじて耐えたのは、それをしたらどれほどソラが悲しむのかも容易く想像がついたから。

 

 きっとソラは、切り裂いた自分を責めて怒ってさえもくれない。

 ただ、そのリボンを失ったことを嘆き悲しんで、大切にできなかったことを悔やんで、クラピカに謝り続けるのが目に浮かんだからやめた。

 

 やめて、我慢して、耐えた。

 

 あと10日もすれば、きっとこのイライラは治まると信じて。

 そして事実、日が過ぎるごとにキルアの苛立ちはほんのわずかだか少しずつ治まっていった。

 

 それはただ、見慣れただけではない。

 自分が主役になれる日、ソラも「楽しみにしてて」と言ってくれた日、祝ってくれると約束した日が近かったから。

 

 自分の誕生日が近かったから、その日を楽しみにして耐え続けた。

 

 なのに、そこまでして耐えたのに、自分の苛立ちの元凶であり、この苛立ちを治めることが出来る人がいないことにキルアはまたムカムカとしながら、雷雨の空を睨み付けて舌を打つ。

 

「……あのバカはどういう星の下に生まれたんだよ。色々と持ちすぎなんだよ、バーカ」

 

 台風を睨み付けながら、キルアは憎まれ口を叩く。

 

 わかっている。ソラにとってキルアは、クラピカ程大切じゃないから約束を守ってくれなかったわけじゃないことくらい、わかってる。

 ソラに非などない。ソラが今、天空闘技場にいない理由はむしろ自分の所為だ。

 

 ソラが出かけたのは、昨日のことだった。

 出かける理由を言わなかったので、ふてくされたキルアに何度も絶対に今日の昼には帰って来ると約束してくれたのに、キルアは信用しなかった。

 その結果、ソラは隠していたことを話してくれた。

 

 出かける理由は、キルアの誕生日に渡したい、キルアにピッタリな「石」を見つけたから、それを手に入れる為に出かけると話してくれた。

 

 5月のゴンの誕生日にも、そして10日ほど前に渡した3ヵ月遅れのクラピカへの誕生日プレゼントにも、ソラはもらうことに遠慮が生まれない程度に安価な宝石を使ってシンプルなアクセサリーを作って贈っていた。

 自分のオーラを込めた、ソラが普段使っているほどの効果などない、気休めの「お守り」程度しかないが、宝石魔術師らしい贈り物をしていた。

 

 キルアにも同じように、そんなプレゼントを送りたかったと語った。

 

 もちろん前日になってもプレゼントを用意していなかったわけでもない。ただ、用意していたものはソラから見てどうしても納得がいく質や種類の石が見つからなくてだいぶ妥協した石だったから、せっかく見つかって誕生日に間に合うのなら、どうしてもその石に自分のオーラをこめて作った「お守り」を渡したかったといわれたら、もうキルアは文句を言える訳がなく、赤い顔で「さっさと行って帰ってこい!!」と蹴りだしてからもう丸1日近く経つ。

 

 「探してる石が入ったよ」という連絡をくれたビスケの繋がりで親交を持つ宝石バイヤーは、運よく隣の国に滞在していたので、確かにほとんど休まず急いで行って帰ってくれば次の日の昼間には余裕で帰ってこれる距離だった。

 何のトラブルもなければ、帰ってこれるはずだった。

 

 接近していたとはいえ、全然違う方向に向かっていたはずの台風が、今日の朝方になって急に進路を変えて、その国と天空闘技場周辺を襲いさえしなければ。

 

 天空闘技場から隣国へ台風が移動してくれたら、ソラは移動できる所まで進んで、足止めくらった所で数時間程度待てば、約束の昼過ぎは無理でも今日中には帰ってこれただろう。

 しかし現実は残酷なことに、進行方向は逆。隣国から天空闘技場方面に台風は移動する所為で、完全に交通機関が麻痺して足止めをくらったという電話が最後にあったのは、もうすでに5時間ほど前。

 

 ……その電話でソラは、何度も何度も謝っていた。

 酷い雨音と風の音で掻き消されそうになりながらも、何度も何度もソラは涙声で謝り続けた。

 

 ハンター証の特権を駆使して、この台風の中で何とかいける所まで来て、大雨の中を走り回って機能している交通機関を探して闘技場まで帰ってこようとしているのは、何も言わなくてもわかってる。

 

 何も、言わなかった。

 

 ソラは台風を言い訳にせず、交通機関が全滅していることを言い訳にせず、ずっと謝り続けて、ずっとキルアの元に帰ってこようと努力してくれた。

 キルアの元に帰ってきて、キルアの誕生日を祝おうとしてくれたことくらい、痛いくらいにわかっている。

 

 あんなに拗ねて、ふてくされて、八つ当たりしていた嫉妬がどれだけバカなことだったか、ソラにはそんなつもりなどない、心からキルアの誕生日を祝いたがっているからこその真摯さが、キルアの罪悪感をさらに重ねて思い知らす。

 

《ごめんね! キルアごめんね! 待ってて! 絶対に今日中に帰るから!!》

 

 大雨でかき消されそうな声で、それでも泣く寸前だとわかる声がまだ耳に残っている。

 その声を掻き消したくて、上書きしたくて、……「わがまま言ってごめん。無理すんな」と言ってやりたくて、キルアはもう何度目か数えきれないほど繰り返えす。

 

 ケータイでソラに連絡を取ろうとする。

 しかし、ケータイから聞こえる声はまだ泣き出しそうな、もしくはもう泣いてしまっているソラの声ではなく、酷く無機質な合成音声。

 

《おかけになった電話番号は、電波が届かない所か電源を切っております。改めて、お電話してください……》

「……やっぱり繋がらない?」

 

 ゴンが、おずおずと話しかけてきた。

 話しかけづらい空気を作りあげているのは自分だとわかっているが、その腫れ物対応が癇に障り、「見てわかんねーのかよ!!」と叫びそうになったのを堪えて、ぶっきらぼうに「……あぁ」とだけ答える。

 

 その返答にゴンは悲しげな眼で溜息をついて、彼もまた窓の外の台風を睨み付けた。

 

「……じゃあやっぱり、ソラのケータイは水損しちゃったのかな?」

「……だろうな。っていうか、音からして水没してたからな。あいつ、どこで何してんだよ?」

 

 わかってる。

 ソラからの連絡が5時間前から途切れているのは、ソラが動いている交通機関を探して走り回っている最中に手が滑ったのか、ケータイをキルアの言う通りどこかに水没させてしまったからであることくらい、キルアはわかっている。

 

 自分に謝りながら「あっ! !? あああぁぁーーっっ!」という盛大な悲鳴と同時に、ボジャンという音がしてから通話が切れ、それから一向に繋がらないのだから間違いない。

 

 ……そう言い聞かせながらも、キルアは不安で泣きそうな顔で自分のケータイを睨み付けながらまた、リダイヤルし続けた。

 

 もういいと言いたかった。

 もう無理なんかしないで、こんな大雨と暴風だけではなく雷まで何度も落ちる天気の中、走り回ることはないと言ってやりたかった。

 

 言って、安心したかった。

 

 ソラは自分の為に走り回っている。自分の為に無茶して帰ろうとしてくれている。

 自分の誕生日を、祝おうとしていることをもう一度確認したいから、キルアは何度も何度も連絡を取ろうとする。

 

(……最低だな、俺は)

 

 そうやってソラのことが心配だからではない、どこまでも自分のことだけを考えた、自分の誕生日だからといって決して許されないわがままに自己嫌悪しながら、それでもソラの声をもう一度聞きたかった。

 

 連絡をしないのは、「もういいや」とキルアが止める前に諦めたのではないと思いたかった。

 誕生日に聞いたソラの声が、あんな泣きそうな声だけだというのは嫌だった。

 何より、キルアはまだ聞いていない。

 

 ソラは謝ってばかりだった。謝って、「絶対に今日中に帰るから!」という無茶を言うだけで、言ってはくれなかった。

 

 ソラから「誕生日おめでとう」という言葉をまだ、聞いてない。

 

 プレゼントよりも何よりも、それだけは今日中に聞きたかった。

 それだけが欲しかった。

 

 * * *

 

「……えっと、キルアさん。何か飲むっすか? 自分、飲み物買ってくるので、ついでに何か買って……」

「……いい。自分で行く」

 

 ズシが気を遣って、何とか少しは空気を和らげる為にとにかく話題を上げて提案してみたが、キルアの答えは芳しくなかった。

「いらない」と言って切り捨てなかっただけ、キルアも気を遣わせていることに対して悪く思っている証なのだが、やはり自業自得といえど腫れ物対応は癇に障る。

 

「っていうか、ウイングもズシも自分たちの宿に帰ったらどうだ? もう9時じゃねーか」

 

 なので、散々気を遣わせて申し訳ないと思いつつ、二人におかえりを願う。

 割と理不尽な要求だが、正直言って二人も帰るタイミングを失っていたからこそ、こんな時間までいたのだろう。

 どちらもキルアの提案に少しだけホッとした様子を見せ、キルアは飲み物を買うついでにゴンも一緒になって、ズシとウイングをエレベーター前まで送ることにした。

 

 その道すがら、気を遣って言うべきかどうか悩んだ様子を見せてから、ズシは意を決したようにキルアに言う。

 

「……えっと、キルアさん。今更っすけど、誕生日おめでとうございます」

「……あぁ、そうだね。……キルア君、12歳の誕生日おめでとう」

 

 キルアが誰からの「おめでとう」という言葉を、生まれてきたことを祝福する言葉を欲しがっているかをわかっているからこそ、気を遣って言えなかった言葉を贈る。

 家族以外でそんなことを言われたのは初めてだから十分に嬉しいはずなのに、ズシのことをゴンと同じくらいとは言えなくても、もう十分友達だと思っているし、ウイングのことも何だかんだで信頼して尊敬しているのに、それでもキルアの心は満たされず、「どーも」と投げやりな返答しか返さない。

 

 昨夜の12時になった瞬間、7月7日になった瞬間、ゴンが言ってくれた「おめでとう」はあんなにも照れくさくってむず痒かったけど、自分の歩んできた今まですべてを肯定してもらえた幸福感に満ちていたのに、明日になれば、明日の昼頃になればまた同じものが与えられると信じていたのが、天候というどうしようもないものに奪われたことが悔しくて仕方なかった。

 

 キルアはせっかく買った缶コーラを開けもせずに無気力に手に持って、やはり無気力なままエレベーター前で二人に「今日は悪かったな」と謝った。

 

「キルアさんは悪くないっすよ!」

「そうだね。今日は本当に全員の運が悪かった。

 ……だから、明日は今日の分まで楽しみましょう」

 

 キルアの謝罪にズシは慌てて否定して、ウイングは穏やかに笑ってフォローする。

 いくら誕生日だからと言って、ずっと不機嫌と不安で仕方がない情緒不安定を丸出しにして、居心地最悪の空気を作っていたのに全くキルアを責める気はない二人が、やはり八つ当たりだが癇に障った。

 

 だからさっさと理不尽なキルアの怒りが爆発する前に帰って欲しかったが、キルア達は200階闘士。

 エレベーターは運悪くだいぶ下の方で止まっていたらしく、超高層階まで上がって来るには時間がやたらとかかった。

 

 そんなエレベーターがやって来るまでの気まずい沈黙を破ったのは、ゴンだった。

 

「……何か、音がする」

『音?』

 

 ゴンの言葉に3人もこの気まずい沈黙を何としたかったので、同時に反応する。

 しかし、ゴンは気まずさを何とかしたくてとにかく何かテキトーな話題を上げた訳ではなく、かなり困惑した様子でその「音」がした方向を指さした。

 

「……うん、……あそこから」

 

 ゴンが指さした方を見て、3人もまた困惑する。

 そこは、非常階段。しかも屋外階段だ。

 

 おそらくは建築法か何かの都合で、一応作っただけのものだろう。

 超高層階なので、火事であっても使えるかどうか怪しい。むしろここに殺到した方が危ないのではないかと思うような階段だ。

 そこから台風のさなかに音がすると言われても、普通に雨か風の音、もしくは飛んできた何かがぶつかっている音だとしか思えない。

 

 キルアもズシもウイングもそう思って言ってみるが、ゴンはまだ非常階段の扉を凝視したまま否定した。

 

「……ううん、違う。そんなんじゃなくて、なんかべちゃっ、べちゃっっていう足音……にしては重い音と何かを引きずってるような音がしてる。……というか、どんどん近づいて来てる」

 

 ゴンのセリフ、特に最後の言葉に3人はそれぞれ血の気を引かせて目を見合わせた。

 

 現在自分たちがいる建物の高さといい、外の天気といい、ついでにいうとさほど遅い時間ではないがもうとっくの昔に夜と言える時間であることといい、ゴンの台詞から導き出される想像は穏便なものでも、現実的なものでもない。

 

 キルアの脳裏には、3か月前のトラブルが蘇る。

「あんなのは滅多にない」と専門家であるソラが断言していたが、同時にこの天空闘技場という施設は人の生き死にを商売にしているので、その「滅多にない」を普通の場所よりもよっぽど引き当てやすくなっているとも言っていた。

 

「……あいつがいない時に限って」

 

 キルアが舌を打ち、非常階段の扉を睨み付ける。

 ウイングはちらりと背後の弟子たちを見て、「……逃げろと言っても聞いてくれませんよね」と、自分の弟子たちのことをよくわかっている独り言を呟いてから、指示を出す。

 

「……ズシ、ゴン君にキルア君。私はソラさんのような専門家には程遠いですが、それでも君たちよりはマシです。

 だから、私の後ろにいなさい。絶対に前に出てはいけませんし、“纏”を解いてもいけません。そして、逃げろと言ったら迷いなく逃げなさい。

 ……大丈夫です。私も無理も無茶もする気はありませんから、私の心配などせず、まずは自分の身を守りなさい」

 

 言って、ウイングは自分の眼にオーラを溜めて、相手が何であれ出来る限り対応出来るようにしながら、非常扉のドアノブに手を掛ける。

 その背に、3人はしがみつくようにしてついて行く。

 ウイングに縋りついているようで、3人とも言葉通り無茶しないなんて思っていない、弟子の為に自分の命を盾にしかねないウイングを、いざという時に3人がかりで引っ張って逃げ出すためにそれぞれしがみつく。

 

 そんな弟子たちの行動を、ウイングは困ったように苦笑した。

 苦笑にしては、酷く嬉しそうな笑顔だったが。

 

 しかしその笑みはすぐに引き締められる。

 引き締めて、扉は開けられた。

 

 鍵はついていなかった。

 不用心だなと一瞬ウイングは思ったが、さほどレベルが高くないとはいえ念能力者の巣窟であるこの階に、窃盗などしょうもない犯罪目的で訪れる者もいないかと納得する。

 そもそも200階の屋外階段は別に高所恐怖症でもないウイングでも、上り下りしたいとは思えない。こんな荒れ狂っているとしか言いようがない天気ならなおのこと。

 

 押し戸だったので風の所為でなかなか開けることが出来ず、何とか暴風に逆らって開けて、そしてウイングは、その背から覗き込んだ3人は見た。

 

 まず初めに思ったのは、布団でも飛んできたのかな? だった。

 階数からして有り得ないが、それくらい真っ白な塊にしか見えなかった。

 よく見たら泥で全体が薄汚れていたが、全体的に白っぽい塊がガタガタと風で揺れて危なっかしい屋外階段に張り付くように存在していた。

 

 しかしそれが、布団なんかではない事はすぐに知れた。

 

 その白い塊は、べちゃり、べちゃりとゴンが言っていたような音を立てて、這い上がる。

 階段にしがみつき、這いずってそれは進み、自分達の元に近づいてくる。

 

 白い塊がつき出す、病的なほど生白い手にズシは息をのみ、ゴンは唇を戦慄かせて呟いた。

 

「――幽霊?」

「!? 幽霊!? どこ!?」

「お前だーーーっっ!!」

 

 ゴンの言葉に反応して、勢いよく振り返って4人を守ろうと背を向けた後頭部に、キルアはせっかく買ったコーラの缶を命中させて叫んだ。

 

 真っ白い塊は、髪を下ろして白いツナギを着たソラでした。

 

 * * *

 

「痛いよ! 何すんだ!?」

「そりゃこっちのセリフだ!! 何してんのお前!? 何つー登場してんだよ!? 幽霊どころか妖怪にしか見えなかったぞ!!」

 

 キルアに中身入りのジュース缶を投げつけられた後頭部を押さえて、ずぶ濡れどころではないソラが文句をつけるが、負けじとキルアも突っ込み返す。

 

「キルア君、言いたい気持ちはわかりますし、私も初め見たときは妖怪だと確信しましたが、とりあえず中に入りましょう」

「ちょっ! ウイングさん“凝”してたのに私は妖怪だと思われたの!?」

「むしろあれが妹弟子だなんて気づきたくなかったですよ!!」

 

 台風の中、超高層階の屋外階段で喧嘩をし始めた二人を宥めてとりあえずウイングが中に入るように促すが、ぽろっと本音がこぼれてソラがさすがにショックを受ける。だが言い返された言葉に反論の余地はなかった。

 

 室内に入ったソラに、ゴンとズシは慌てて部屋に戻って取ってきたタオルをソラに被せるように渡す。

 渡しながらも二人は引いてるような困惑しているような、何とも微妙な顔をしながら「ソラ、何があったの?」「ソラさん、どうしてあんな所であんな登場したんすか?」とそれぞれ尋ねる。

 

 その問いにソラは受け取ったタオルでごしごしと髪の水気を取りながら、しれっと答えた。

 

「いや、エレベータがあまりにも遅かったから自分の足で駆け上がった方が早いかなと思って」

『そんな理由!?』

 

 まさかの、謎しか呼ばない理由だった。

 もちろん、ソラの答えは突っ込み総攻撃をくらった。

 

「ソラさん、ここが何階かわかってます!?」

「っていうか、どこから駆け上がってきたの!? まさか一階から!?」

「つーか、エレベータより早く駆け上がれる自信があったんすか!?」

「お前頼むから一回死んでバカを治せ!!」

 

 さすがのソラもこの突っ込み総攻撃には困ったような顔をして、決まり悪げに言い訳をする。

 

「今思えば自分でもバカやったなーとしか思ってないよ。正直、自分でも何がしたかったのかはわかってない」

「そんなんでお前は立って昇れなくなるまで屋外階段昇ったのか!?」

「いや、這いずって昇ってたのは100階あたりでこの高さと天気じゃ立ったまま昇った方が危ないと思ったからであって、体力の限界じゃないよ」

「どうでもいいわ! 無意味な所だけ冷静だな!!」

 

 ソラの言い訳にキルアがキレながらさらに怒鳴ると、ソラはまたしれっとした顔で訂正を入れるが、その訂正はキルアの言う通りどうでもいいし、確かにこれ以上無意味な冷静さはない。

 

 いくら何を言っても、この妹弟子のバカげた行動がリセットされるわけがないことをウイングはよく知っているのか、一度溜息をついて怒鳴るのはやめて改めて「ソラさんはいったい何がしたかったんですか?」と尋ねると、ソラは誤魔化すように笑って答えた。

 

「いやー、本当に意味はないんですよ。なんか、ランナーズハイで変なテンションのまま駆けあがっただけで」

「? ランナーズハイ?」

 

 ソラの本当に意味はなかったという、しない方がマシな言い訳に頭痛を感じながらも、何故か上がった単語をオウム返しする。

 ウイングがオウム返しした言葉で、また何か怒鳴ろうとしたキルアも、それぞれ苦笑していたゴンやズシも目を丸くする。

 

 あまりに衝撃的な登場で、すっかり忘れていた前提を思い出した。

 

「……お前、まさか……」

 

 どうして、自分は今日一日ずっと機嫌が悪かったのかを思い出したキルアが、信じられないものを見るような目でソラを見て訊いた。

 

「…………走って……帰って来たのか?」

「あはは。うん、そうだよ。もうそれしか方法なかったし」

 

 笑って、当たり前のように言った。

 

 最後に電話があったのは、5時間ほど前。その連絡では確か、国境はやっと越えたが交通機関が完全にマヒしていると言っていた。

 

 交通機関が全滅して、連絡手段のケータイもマンホールの水があふれかえって川のようになった道に落として水損したソラが選んだ手段は、最もシンプルなものだった。

 ただ彼女は、走って走って走り抜けて、駆け抜けて戻って来た。

 

 そのことを理解しきれず呆然とするキルアに近づき、ソラはまだ全身からボダボダと雫を垂らしながらも笑う。

 笑いながら、ウエストポーチから取り出したものを、キルアの首にかけてやった。

 

「遅れてごめん。でも、間に合って良かったよ」

 

 まずは謝って。それから、心から安堵したように笑ってキルアの首に掛ける。

 深く鮮やかな赤い宝石が飾られたペンダントを贈って、ソラはキルアの柔らかな銀髪を撫でた。

 

「12歳の誕生日おめでとう、キルア」

 

 * * *

 

 全身がずぶぬれで、白いツナギは泥水に浸かったように薄汚れている。

 顔色も良く見たら、あんな登場じゃなくても幽霊だと見間違えそうなほど青白い。

 自分の頭を撫でる手は、あまりにも冷たい。

 

 どれほど長く雨に打たれていたのか想像できぬほど体温をなくした体で、それでもソラは笑う。

 

 まるでソラの方が祝われる側のように、この上なく嬉しそうに、楽しそうに笑ってキルアの首に掛けた赤い宝石を手に取って言った。

 

「うん、やっぱ似合うね。ルビーと最後まで悩んだけど、君も色素が薄いからより赤みが濃い宝石が似合うよ」

 

 ソラがまさかの5時間爆走で帰って来たという衝撃の事実から、真っ先に回復したのはゴン。

 ゴンはソラの後ろから覗き込んで、「わっ、本当だ! キルア! 良く似合ってるよ!!」とソラと同じように笑って言った。

 

 そんなゴンの反応につられたのか、ウイングとズシも寄ってきて「あぁ、やはりソラさんは私より師範の弟子にふさわしいですね」だの、「ソラさん、これなんていう宝石っすか?」だのそれぞれ好き勝手に語る。

 ソラがそこまでして走って帰ってきたことには、誰も触れない。

 

 触れる意味などないと言わんばかりに。

「大丈夫?」だの「寒くない?」という心配などしない。

 

 それをしてしまう方が、無礼だと感じたのだろう。

 

 寒かろうが、疲れ果てようが、それでもソラは約束を守りたかったから駆け抜けたのだ。

 結果が出てから後でグダグダと口出しするのは、その行為も結果もまるで「無意味だ」と断じるように感じたのだろう。

 

 だから、誰も言わずただソラのしたかったこと、あげたかったことだけを見る。

 キルアに贈ったものを見て、言った。

 

「これは、カーネリアンだよ。ルビーと同じく、7月の誕生石」

 

 ズシの質問に答えているだけなのか、それともキルアに語っているのか、ソラはキルアの首にぶら下がるペンダントトップの宝石を手に取ったまま説明する。

 

 どうして妥協できず、どうしてもこれをキルアに送りたかったのかを語る。

 

「宝石言葉は『友情』と『明晰な思考』。キルアにピッタリだろ?

 あと、『不屈』ってのもあるな。

 

 これはね、『迷いの心』を断ち切る石だ。何か新しいことを始めようとしてるときに、胸の隙間に吹く臆病風を退けて勇気を与え、目標の達成や成功に導くとされてるんだ」

 

 ただ友達といたい。

 もう人殺しなんてしたくない。

 普通になりたい。

 

 それだけを願って家から飛び出して、今までの自分を捨てたキルアにソラは贈る。

 ペンダントトップの宝石を両手で包み込み、自分の願いをその石にもう一度込めた。

 

「キルアの夢が、叶いますように」

 

 目先のしたいことしかない。

 将来どころか、この天空闘技場にすらもう目標などない。

 そんなにキルアに、可能性の魔法使いは贈る。

 

「君が選んだ道が、望んだ未来が、どれほどの苦難に満ち溢れていても、その心が決して屈しない支えになりますように。

 君が歩んで来た道で得たもので、さらに切り開いたその先に、君が願い、望み、心から笑える未来がありますように」

 

 無限の可能性を与える。

 

 

 

 

 

「キルアが、どこにだって行けますように」

 

 

 

 

 

 願いながら、そうなることしか想像できないと言わんばかりの笑顔と共にそれは贈られた。

 そんな贈り物に、祝福にキルアが返せたのは、赤くなった頬を隠すように顎を引きつつ呟くように言った精一杯の素直さだけ。

 

「…………あ、ありがとよ」

 

 可愛げなんか全くないことくらい、自覚している。

 それでも、ソラはやはり自分の誕生日のように幸福そうに笑った。

 

 そんな二人のやり取りを外野の3人は微笑ましく見ていたが、ソラが「くしゅん!」と割と可愛らしいくしゃみをして、さすがにソラの行動を侮辱したくない云々言ってる場合ではないと思い、全員がソラにシャワーを浴びることと着替えることを全力で薦めた。

 

「ソラ! 俺の部屋でもキルアの部屋でもどっちでもいいから早くシャワー浴びなよ!」

「おい、預けてた荷物に着替えはあるよな? なかったらえーと……サイズ的にウイングから借りるしかないな」

「え? 私ですか? シャツとスラックスしかありませんけど……」

「いやいや師範代のシャツ、皺だらけのしかないっすよ!」

 

 4人でとにかく持ってこれるだけのタオルを全部使ってもまだ濡れ鼠状態なソラを、とりあえずゴンの部屋まで連行してユニットバスに放り込む前に、ちょっと勢いに押されて珍しく口を挟む暇がなかったソラが慌てて話に割りこんだ。

 

「ちょっ、ちょっと待って。着替えはあるから、私の鞄持って来てくれたらそれでいいから! あと、これ誰か預かっておいて! っていうか、乾かすのお願いしていい?」

 

 言って、ツナギの胸ポケットに入れていたものをとりあえず一番近くにいたゴンに渡す。

 それを見てゴンはまたキルアの機嫌が悪くなるんだろうなと思って、苦笑した。

 横目で見るとやはりまだ少し照れていたキルアが唇を尖らせて、ゴンに渡された服よりも何よりも真っ先に「乾かして」と頼まれたものを睨み付けた。

 

 クラピカから贈られた、真紅のリボンを睨み続ける。

 

 おそらく、濡れるのはまだ仕方がないが暴風でほどけて飛ばされるのを何よりも恐れて、外していたのだろう。

 この暴風雨の中だと髪はまとめていた方が視界がマシだったはずなのに、わざわざ下ろしていた理由なんてそれしか考えられない。

 

 キルアは相変わらず被害妄想だとわかっていながらも、「ソラはお前のじゃない」と主張するようなリボンが気にくわず、贈られたばかりのペンダントを指先で弄りながら、部屋の端に置いてあったソラの着替えが入っているらしい鞄をソラに押し付けるように渡す。

 

 渡して、ソラをシャワールームに蹴りいれて、扉を閉める前に言った。

 

「……来年……」

「え? 何?」

 

 呟くように言うキルアにソラは訊き返すと、キルアは猫のような目でキッと睨み付け、宣戦布告のように言った。

 

「……来年のお前の誕生日は、絶対に予定空けとけよ! 忘れて連絡さえも取れない所に行くんじゃねーよ!!」

 

 同じようにプレゼントを渡すのは二番煎じとしか思えなくて嫌だったという意地がさっそく後悔になったから、もう来年は絶対にこんな後悔をしないように可愛げもくそもない予約を入れる。

 

 やたらと気の早い予約に、ソラはポカンとしてから笑った。

 笑って、答えた。

 

「楽しみにしてるよ」

 

 その答えに、キルアは鼻を鳴らして八つ当たり気味にドアを閉めた。





キルアの誕生日会でした。
初めはキルアの誕生日の時期はもうくじら島に帰って来てるだろうと思い込んで、ミトさんとソラのファーストコンタクト、ジンに対しての愚痴で盛り上がるというネタがあったのですが、読み返してみたらゴンVSヒソカの試合が7月10日でしたので、泣く泣く没りました。

書きたかったなぁ。「ジンにジャーマンかましちゃったけどごめんなさい」と謝るソラに、「遠慮しなくていいのよ」と即答するミトさんとか、去勢拳に食いつくミトさんとか(笑)


まぁ、それは置いといて今回で「9月1日までのモラトリアム(下)」は完全に終わり。
次回から、ヨークシン編です。
色々「こう来る!?」と思ってもらえるようなネタを溜めこんでいるので、早く書き連ねたいです。
そしてそれらを楽しんでもらえたら幸いです。

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