死にたくない私の悪あがき   作:淵深 真夜

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8:ソラ、魔境を訪問する

「どっこらせー!!」

 実に年寄りくさい掛け声で、ソラは扉を開ける。

 本気を出せばもっと「開けられる」のだが、ここでオーラを無駄使いはしたくなかったので開けた扉は一つだけ。

 

 正直言って、ソラはこの仕事を受けたくはなかった。

 

 少し前に自分でやらかした、美術館倒壊の責任は大半を幻影旅団に押し付けたが、それでも仕事を承った立場であるソラが全く責任を負わずに済む問題でもなかったので、その責任は金銭という形で解決した。

 なので現在、懐が相当寒かったから了承した仕事であり、出来ればというか今すぐ全力で逃げ出したいくらいにこの家には来たくなかった。

 

 正確に言うと、この家の家族とは関わりたくなかった。さらに詳しく語ると、この家の長男とは顔を合わせるどころか、今ここに自分が来ていることすら知られたくない。

 理由は明確、その長男と関わった3回中3回とも殺されかかったからだ。

 

 最初の1回目は、まったくもって良くはないが仕方がない。仕事上敵対していたのだから、仕方がないことだ。

 しかし、のちの2回はその最初の出会いがきっかけで何故かソラを気に入ったその長男の父親兼この家の当主が、ソラに仕事を依頼したのだが……。

 

「お待ちしておりました。ソラ様」

「ぎゃあ!!」

 

 扉を開けてすぐ、待ち構えていた執事に頭を下げられたソラは、女らしさを彼方に捨て去った悲鳴を上げて猫のように派手に身を翻し、“硬”に近いぐらいにオーラを両手に込めて背後のバカ高い塀に手をめり込ませ、トカゲかセミのようにへばりついた。

 

 そんなソラの珍行動に執事は表情一つ変えず、傍に停めていた車のドアを恭しく開けて「どうぞ。屋敷までご案内いたします」と告げるが、ソラの方はまだ塀にへばりついたまま警戒続行。

 執事が表情を変えないまま彼女が今もっとも欲している言葉を告げるまで、ソラは降りてはこなかった。

 

「……イルミ様は仕事で屋敷どころかパドキアにすらおりませんよ」

「本当!? 私がいる間に帰ってこない!? っていうか、私が来ること知ってる!? あの能面、私が来てるってこと知ったらダッシュで帰って来て針を投げつけてきそうなんだけど!」

 

 忠義心の塊で執事の鑑のようなゴトーだが、珍しく自分が仕える家の長男に対して失礼極まりないことを喚くソラに対して、不快感を示さなかった。

 それはソラがこのゾルディック家にとってやや特殊な立ち位置の人間である事と、彼女が侮辱した長男であるイルミは自分の直属の主人ではなく、個人的に嫌っている部類であるのも確かだが、第一は同情である。

 

 ソラはゾルディック家当主のシルバには妙に気に入られているが、イルミには何故か一方的にやたらと嫌われている。

 前回訪れた時、たまたま仕事が予定より早く終わって帰宅したイルミと屋敷でかちあった瞬間、イルミが針を投げつけて針を持ったまま追い掛け回し、そのまま丸一日ククルーマウンテンで鬼気迫った鬼ごっこをやらかした事実を知っていれば、ソラが塀にへばりついたまま涙目で訴えかけてきた心配事を大げさと一蹴することは出来なかった。

 

 * * *

 

「すまない、待たせたな……。大丈夫だ、今日はイルミはいない」

 ゾルディック家で使用したことなど片手の指の数もあるかどうか怪しいほどの客間に当主のシルバが入ってきた瞬間、飛び上がってソファーの後ろに隠れてこちらをうかがうソラに、ゴトーと同じことを言って警戒を解いてもらおうとしたが、返ってきたのは反論しようのない抗議だった。

 

「前回もそう言われたのにかち遭いましたよ! 何でお宅の長男は私に会った瞬間、反射的かつ全力で殺しにかかってくるの!?」

「すまん。俺にもわからん」

 涙目で訴えかけるソラに対して申し訳ないと思うのは本音だったが、実はイルミの殺意に関しても本音でシルバにとっては謎だった。

 

 無関係の一般人も利用して殺すことが多いが、基本的にイルミもシルバやゼノ同様に殺しは仕事でしかなく、快楽など感じていないので仕事以外の殺しはしないし、自分の仕事に好都合な技能を持っていれば、敵対したことのある相手だろうが生理的に気に入らない相手だろうが、ビジネスライクな関係を普通に結べるはずなのだが、何故かイルミはソラを異常に嫌っており、ソラの言うとおり出会い頭に反射的かつ本気で殺しにかかっている。

 

 前回など、さらにその前に殺しにかかったことを反省してわざと仕事を入れて家を空けさせている間にソラを招いたのだが、イルミは「何か嫌な予感がする」と妙な勘を働かせ、予定よりずいぶんと早く仕事を終わらせて帰ってきて、その結果が丸一日デッドオアアライブな鬼ごっこだ。

 

 ちなみに、もちろんシルバはソラとイルミが遭遇してしまった瞬間にイルミを止めたが、イルミはシルバの制止さえも無視してソラに針を投げつけて、そのまま屋敷に大穴を開けて逃げ出したソラを追いかけて行った。

 (のち)に何故、自分の命令を無視したのかを訊いてみれば、無視ではなく本気で聞こえていなかったと言われた挙句、そこまで冷静さを失うほどにソラを嫌う理由を尋ねてみれば、息子は小首を傾げて「……さぁ? なんとなく?」と返答し、シルバは頭を抱えた。

 

「とにかく、今回は大丈夫だ。何とか理由をつけて俺の直属の執事をつけさせて、行動を監視している。イルミがまた予定より早くこちらに帰ってこようとすれば、即座に連絡するように命じているから大丈夫だ」

 シルバの言葉にソラの方はまだ疑わしげだが、疑って仕事の話が進まずこの屋敷に長居してまた遭遇してしまうより、さっさと話を終わらせた方が安全だと判断して席に着く。

 

「で、今回は私に何を依頼する気なんですか? 知ってると思いますけど、私は殺しはしませんよ。っていうか、それはそっちの仕事でしょ?」

 慇懃無礼な物言いに、シルバの傍らに控えるゴトーやその他の執事はかすかに怒りや不快感を表すが、無礼な態度を取られたはずの当の本人はまったく気にせず話を進める。

 

「あぁ。その通りだ。

 頼みたいのは、さっそく今晩で悪いがウチの末っ子の仕事の同伴だ。パーティーに潜入する予定で母親と行くはずだったんだが、少し前に母親が三男に顔を刺されて怪我を負ってな。家の者で都合がつく者が他にはいないんだ」

 

 修羅場というレベルではない内容も交えてしれっと語られた仕事内容に、ソラは数秒絶句してから「本気ですか?」と尋ねる。

 ソラの問いかけは当然だろう。暗殺一家という時点で常識がぶっ飛んでいるが、いくら何でも子供のお守りに報酬8桁は本気どころか正気を疑う。

 母親が三男に顔を刺されたという部分も正気を疑うが、そこは聞かなかったことにしておく。自分の関係ない部分にまでこの家の事情に突っ込んでいたら、命がいくつあっても足りないからだ。

 

 第一この家なら家族に都合がつかなくとも、ソラに外注する必要がないだろうと思い至る。念能力が例えソラより劣っていても、自分の生存が最優先なソラより執事たちの方が護衛としてよっぽど優秀に働くだろうし、そもそも戦闘力で語るならこの家の人間に護衛は多分いらない。

 

 だが、シルバは鷹揚な笑顔を見せて「もちろんだ」と答える。その笑みの種類は少し前に出会ってソバットでぶっ飛ばした、幻影旅団団長が初めに見せていた笑顔とよく似ていた。

 

 しかしクロロの笑顔は企みを隠すための笑顔だったが、こちらは裏があることはあからさま、それがばれても痛くもかゆくもないという余裕の笑顔。

 このあたりは年の功だなと思いながら、ソラは行儀悪くソファーの肘置きに頬杖をつき、呆れかえっていっそ感心したような声を出す。

 

「……まだ、私を息子の嫁にするのを諦めてなかったんすか?」

「年上や少し下より、将来性のあるもっと年下が良いと言っていたからな」

「それ、長男と次男を断る方便だから、受け入れる方向で真に受けられると私が困るんですけど」

 ソラの言葉をほぼ肯定する答えを笑いながら返してくる男に、せめてもの名誉挽回に訂正だけを入れてソラは諦めたように溜息をついた。

 

 どうもシルバは、ソラを「息子の嫁候補」として気に入ってしまったらしく、今回「も」仕事とかこつけて「息子との見合い」を企んだようだ。

 

 念能力者としてアンバランスなところがあるが総合的に見ればレベルが高く、何よりソラは彼らに目の事を話した覚えはないが、念能力すら無効化する念能力では説明がつかないソラの異能は、「眼」を起点としているものであることは察しているらしい。

 人はもちろん念能力すら殺す眼を持つソラは、そりゃ暗殺一家からしたら何としても一族に取り入れたい人材だろう。

 

 一応ソラは最初の仕事の依頼が建前の見合いであることを察した段階で、自分の異能は遺伝するものではないことは話しているのだが、自己申告だから信じていないのか、遺伝しなくてもソラが敵に回るより「一族」として取り込んで敵に回らないようにした方が得だと思っているのか、諦める気はないらしい。

 

 しかしソラの方もゾルディック家の嫁になる気はもちろんないので、彼女は頬杖をついたままシルバにとって一番突かれて痛い所を遠慮なく言葉でぶっ刺した。

 

「長男が殺す気満々なのに誰の嫁になれと?」

「…………さすがに義妹になれば、あれも大人の対応を……」

「むしろ義妹になる前に私を抹殺しようと、あの能面のまま頑張る姿しか想像できない……」

 

 ソラの言葉にシルバは若干強張った笑顔で眼を逸らして言葉を絞り出すが、ソラがゲンドウのポーズで呟いた追い打ちの言葉で、同じポーズを取って沈黙した。

 執事たちも掛ける言葉なく、気まずい沈黙が客間をしばし支配する。

 おそらくその場の全員が脳裏に、無表情のまま針を構えて投擲し、ソラを死ぬまで追い掛け回すイルミをリアルに想像してしまったのだろう。

 

 しかしこのまま気まずい沈黙で無駄に時間を過ごし、その沈黙の原因である長男が帰ってきて想像が現実にでもなったらシャレにならないので、ソラは持ち前の場の空気を気にしない図太さで話を進めた。

 

「まぁ、仕事自体は受けますよ。金欠だし。

 でも、見合いは勘弁してください。特に末っ子なら未成年でしょ? 次男が確か19か18くらいだったし。この家で言うのも変な話だけど、その条件で喜ぶ女はド変態の犯罪者でしょうが。んな女を嫁に迎えないでください」

「まぁ、そうだろうな。俺もそんな義理の娘は嫌だ」

 

 気を取り直したのか、シルバもソラの言葉に軽く苦笑して少しだけ本音を話す。

「さすがに以前の断り文句を本気にはしていない。が、下の子たちがお前を気に入ったら、少しはイルミの態度も軟化するんじゃないかと期待しただけだ。

 まぁ、末っ子の仕事に同伴できるものがいなくて困っていたのも事実だから、仕事を受けてくれるのはありがたい。カルトはまだ“念”については“燃”の方も教えていないから、執事をつけるにしても心配だったものでな」

「軟化どころか、弟を取られた怨みでさらに殺されそうな気がするんですけど……」

 

 またソラが身もふたもなく、そして可能性が高すぎる未来図を言い出してシルバが頭を抱える。

 しかし今度はシルバの方がさっさと気を取り直して、「仕事を受けるのなら、さっそく末息子を紹介しよう」と言って、執事に息子を連れてくるように命じる。

 

 それまでの間、ソラは出されていた紅茶を飲みながら軽く雑談……というか、言葉の端々でソラの「眼」についての情報を得ようとするシルバの話を適当にかわしていた。

 別にソラとしては話しても全く構わないのだが、また自分から手の内をばらす真似をしたら師匠であるビスケにぶん殴られて正座で説教されるのが嫌だったので、うまくごまかす努力もせずに本当に適当にかわす。

 

「直死の魔眼」のことを知られても、この眼の特性を踏まえたうえで殺しにかかってくる相手のことなどとっくの昔から今もずっと頭の中で想定済み、そしてどう動くかのイメトレも会話をしながらめまぐるしく行い続けるソラにとって、「話さない」の選択肢を選ぶ理由なんてそれくらいにすぎなかった。

 

 * * *

 

「ちょっと待て」

 

 ゾルディック家の末っ子と引き合わされた時の、しばし固まった後に発したソラの言葉はその一言だった。

「どうした?」と不思議そうにソラを見返すシルバに、無表情ながら同じように悪意も他意もない不思議そうな感情をわずかに見せる執事たち。

 そして、黒曜石のような瞳をきょとんと丸くさせてソラを見上げる末っ子のカルトに囲まれて、ソラは一瞬、「あれ? 私がおかしいのかな?」と不安になるが、自分が狂っていると自覚はしているが、さすがにこれに関しては自分が正しいと言い聞かせつつ、まずは頭痛を堪えて言った。

 

「ちょっと待って、マジで待って。突っ込みどころが多すぎて、追いつかない。

 …………とりあえず、まずはじめに『末息子』はどこ!?」

 

 何とか情報を整理してソラはまずはじめに一番気になったところを突っ込みを入れるが、やはりゾルディック家の面々は不思議そうな顔をして、シルバはしれっと答える。

「今、紹介しただろう。これがうちの末息子、五男のカルトだ」

「シルバさん、和服の男物と女物の区別ついてる!?」

 

 その答えに反射でさらに突っ込み返すソラ。

 ソラが自分で思った通り、この状況で一番真っ当な反応をしているのはソラである。

 たとえソラのように異世界の「日本」から来た人間でなくとも、この世界にとって「日本」に近い文化を持つ島国「ジャポン」出身者や、その文化に詳しいものでなくとも、ほぼ確実にわかる。

 いま彼女の目の前にいる子供が来ている物は、女物であることくらいはわかるだろう。

 

 黒地にきらびやかな花の刺繍が施された女児用の振袖を完璧な着付けで着こなした、おかっぱに口元のほくろが子供ながらに色っぽい10歳前後の子供を「末息子だ」と紹介されて、「いや、娘だろ!? 息子はどこ!?」と叫んだソラは何も悪くない。

 悪いのは常識が彼方にぶっ飛んでいるこの家と、違和感が全く仕事しないで振袖を着こなすカルトの方だ。

 

 しかしながら、ここはゾルディック家。

 例え世間一般ではソラの方が正しくとも、その常識は悲しいことに通じずシルバの少し困ったような笑みでスルーされる。

 

「あぁ、恥ずかしながらジャポン文化には詳しくない。だが、妻は流星街出身だが生まれはジャポンだからか、こういうのが好きでな。特にカルトは妻によく似ているから、親バカだと思うだろうがよく似合うだろう?」

「シルバさん、私たち同じ言語で話してる!? なんか会話がかみ合ってませんよ!

 奥さんの惚気は聞いてないから! ラブラブなのはいいけど聞いてない! それは後で末永く爆発してください!!」

 

 まさかのゾルディック家当主から嫁の惚気を聞かされるという予想外な精神ダメージを喰らったが、めげずにソラは突っ込む。

 

「っていうか、お断りしたけどよくこの子と私をお見合いさせようと思いましたね!

 未成年とはいえ私とお見合いさせるなら14,5歳かと思ってましたよ! っていうか、この子いくつ!?」

「9歳だが?」

「せめて年齢二桁をすすめて!!」

 

 見合いだということを聞かされていなかったのか、ソラの突っ込みにカルトは驚いたように眼を見開いてから、ソラの方を一度頭の先からつま先まで眺めてから嫌そうな顔をしたという傷つく反応をされが、幸か不幸か突っ込みで忙しいソラは気づいていなかった。

 

「まぁ、いいじゃないか。先ほども言ったように、本気でカルトが相手で喜ばれたらこちらが困る。それより、カルトも来たことだしもう少し詳しい仕事の話を始めるか」

「…………もういいです。話が早く終わってこの家から出れるんなら」

 

 何を言ってもどこがおかしいのか全く自覚してない連中相手では、大声あげてる自分が疲れるだけと判断して、ソラは諦めた。

 しかしまさか仕事の内容も突っ込みどころ満載で、突っ込みたいけど自分の突っ込みが通じないで話が長引くだけ、でも突っ込まないで話を進めるとものすごくムズムズするという新手の拷問じみたことが起こるとはソラも予想外だった。

 

「まぁ、カルトの方の仕事は簡単だ。このパーティの主催者を殺せ」

「はい」

(はい、まず最初から色々おかしい! 暗殺は簡単なお仕事じゃないですよ! そもそも9歳にやらすな!!)

 

 口に出すと話の腰が折れるだけなので、脳内でただひたすら突っ込む。すでに、9歳以前にいくつでも暗殺はするなという常識を忘れ去っている時点で、ソラもこの家にだいぶ毒されていることに気付いていない。

 

「ソラはカルトの保護者、まぁ姉という設定で一緒にいてやってくれ。基本的にただのカモフラージュ役だから、一緒にいるだけでいい。

 だが、一応カルトに注意を払っておいてくれ。この子はまだ幼くて我慢が足りないから、ついうっかり殺し過ぎてしまうかもしれんから」

(そんなお菓子を食べ過ぎないように的なノリでいいの!?)

「……了解」

 

 喉から出かけた突っ込みを何とか飲み込んで了承するが、もうこの時点でやっぱり断ればよかったという後悔しかない。

 けど、この時点ではまだ我慢できていた。

 次の瞬間、ソラから我慢が吹き飛んだが。

 

「そのパーティー潜入の為のドレスや装飾品の類は、こちらで用意するが何か希望はあるか?」

シルバの問いかけに、突っ込みを我慢してひたすら俯いていたソラが顔を上げて聞き返す。

「……ドレス?」

「そうだ。そういえば、ソラもジャポン出身か。和装がいいのならそれでもかまわんが?」

 

 後半のシルバの気遣いは、ソラには聞こえていなかった。

 ただ肯定の言葉が耳に届いた瞬間、彼女の顔が強張ってはっきりと告げる。

「すみません。やっぱり無理です。勘弁してください!!」

「は?」

 

 唐突過ぎるソラのキャンセルに、思わず素で声を上げるシルバ。

 執事もカルトも同じくソラの言葉が理解できずに呆然としているところを、ソラは胸に手をやってこの仕事を断る理由を熱弁した。

 

「仕事キャンセルが無理なら、せめてドレスじゃなくて燕尾服あたりで!! すみません、本当に女装は勘弁してください!!」

「落ち着け! 女装じゃないだろ! お前の場合はむしろ普段が男装だ!!」

 

 まさかの断る理由にシルバが至極当然な突っ込みを入れる。

 が、ソラの方も堂々と「普段の男装が普通になってるからこそ、もう今更女の格好するのが恥ずかしいんですよ! スカートだけでも罰ゲームにしか思えないのに、いきなりドレスってなんの拷問!?」と言い返す。

 

「……仕事の内容からして、正装が求められることはもっと早くに気づいてもいいのでは?」

 差し出がましいとは思いつつゴトーがこれまた至極当然のことを指摘してみると、本気で嫌がっているのかソラは涙目で、「女の子も『メイド』じゃなくて『執事』扱いで燕尾服や黒スーツ着せてるこの家なら、正装はドレスより燕尾服だと思って何が悪い!?」と返されて、言葉を失う。

 別に言い返そうと思えばいくらでも反論の余地はあるのだが、仕事柄、外と内を繋ぐパイプの役割も持つからこそ、雇い主よりは世間一般の常識も知っているゴトーは何も言えなかった。

 

 どう言い返そうとも、「じゃあカルトは何で女物!?」と訊かれたら困るからだ。さすがに、母親の趣味だと告げて、また気まずい沈黙が落ちるのだけは避けたかった。

 

「そんな訳で本当にお願いします! ドレスだけは! ドレスとか振袖とか、とにかく女らしさ全開な煌びやかなものだけは勘弁してください!!」

 ついに土下座で懇願しだしたソラにカルトは全力で引いて、「父様、僕一人で大丈夫だよ。お守りなんかいらないよ」と訴えかけ、シルバの方も眉間に指を当てて考え込む。

 

「カルトの格好はいつも通り和服の予定だから、ソラが燕尾服でいっそ兄妹のフリでも俺は構わんのだが……」

「マジですか!!」

 

 シルバの言葉にソラは夜空色の瞳が星を散らしたかのように輝く。

 ドレスを着なくて済むという情報しか耳に入っていないソラには、「俺は構わんのだが……」という歯切れの悪い後半のセリフは聞いていなかった。

 が、困ったようなというより気まずげな表情を浮かべて、こちらに目を合わそうとしないシルバに、ソラの方もさすがに期待通りの答えでないことに気が付く。

 

「…………すまない。もうすでに、用意は任すと言ってあるんだ」

 シルバが目をそらしたまま告げた言葉の直後、客間の扉が開いて耳がキンキンと痛くなる金属質な声が響く。

 

「まぁまぁ、あなたったら! ソラさんがもういらしているのなら教えてくださればいいものを!

 いらっしゃい、ソラさん。お久しぶりですわね。まぁぁぁっ、相変わらず綺麗に脱色された御髪に、女性美男性美、少女の愛らしさに少年の愛らしさも兼ねそろえた貌と体躯!! あぁ、お手入れをしていないのが本当にもったいない!!」

 

 扉を開けた瞬間、怒涛の勢いで夫に文句をつけたかと思ったら、ソラの容姿を褒めちぎってからあまりにも自分の容姿に気を使わないソラに嘆く豪奢すぎて時代錯誤なドレス姿に、その服装から異様な存在感を放つモノアイのスコープをつけた女性、ゾルディック家当主の妻、キキョウにソラは強張った笑顔で「……お、お久しぶりです」とだけ返した。

 それだけ返して、視線をシルバに向けて睨み付ける。

 

「……顔の怪我で同伴できないんじゃなかったんですかね?」

 確かに顔に包帯を巻き、その包帯に血がにじんで痛々しいが、怪我人とは到底思えないハイテンションでやってきた奥方に対して嫌味の一つをぶつけてみたが、シルバは困ったように一つ息を吐いて答える。

 

「あぁ、この程度の傷くらいならどうということはないのだが、三男に刺されてその成長が嬉しくて仕方ないらしくて、外に出すと誰彼かまわずそのことを自慢して話が止まらなそうだから、落ち着くまで屋敷で静養させるつもりだ」

「そういう理由!? 同伴できない理由は怪我でも、息子の反抗期による精神的なショックでもなく、むしろこの家庭内暴力が嬉しすぎて躁状態だから!?」

 

 さすがに重くてスルーしていた家庭の事情が、案外軽いものだったことに衝撃を受けつつ突っ込む。どこまでも常識が斜め上にぶっちぎっている家である。

 

「あぁ、まずはお風呂かしら。執事を呼んで、体と髪を洗ってしっかり全身のスキンケアをしてもらって、衣装は何がいいかしら? ソラさんは背が高いからやっぱりマーメイドラインのドレスがお似合いね! 髪と肌の色からして、ドレスの色ははっきりとした色が良いかしら?」

「……はい?」

 

 そんなこの家の中でも常識斜め上トップクラスのキキョウが、恍惚としながら勝手に語る内容にソラは顔色を変えて振り返る。

 モノアイのスコープがキュインと音を立ててソラの姿を捉え、濃く紅を掃いた唇が実に楽しそうに笑みの形に吊り上がった。

 

「カルトちゃんのお仕事についていけないのは残念ですけど、その分、私は私の仕事を全うさせて頂きましょう。

 ソラさんに関しては以前から、せっかくの素材がもったいないと思っていましたので私にとっても僥倖ですわ」

 

 何が? とは聞かない。

 自分がするのは嫌がるくせに、ソラ自身も他人を着飾らせるのは割と好きだったりする。その欲求は、女性としての本能的な何かなのかもしれない。

 ソラでも好きなのだから、こんな着せ替え人形でもないような凝ったドレスに身を包み、いくらよく似合うからと言って息子に振袖を違和感が仕事しなくなるくらいに着つけている彼女が、シルバから何を頼まれ、そしてソラに何をしようとしているかなんて、そしてそれがどれほど本人が楽しみにしていたかなんて、想像するまでもない。

 

 思わずソラは身を翻して逃げ出そうとしたが、命の危機に関しては常に狂い果てた思考回路が焼き切れてもシミュレーションをし続けているせいで、予知能力じみた超反応で回避して逃げ切れるのだが、逆に言えば命の危機がなければ暗殺一家当主の妻からソラ程度の小娘が逃げられるわけがなかった。

 

 この重そうなドレスで、ここまでフリルやレースを重ねたスカートからどうやって衣擦れの音を出さずにあの距離を詰めれたのか、ソラにはさっぱりわからない。

 ただ気付いた時には、キキョウのよく手入れされた爪が美しい両手がソラの両肩をしっかりつかんでいた。さすがは暗殺一家の嫁である。

 

「うふふふふふふ……。ソラさん、どうなさいました?」

 背後から耳元で声をかけられ、逃げられないことを悟ったソラがせめてもの抵抗か力を抜いて自分から歩かず、ハイテンションなまま執事に衣装やアクセサリー、化粧の準備を命じながら風呂場に連れて行くキキョウに引きずられていった。

 

 ちなみにシルバはわずかに同情するような視線を向けてくれたが、カルトはおそらく母親が客間に入ってきた時から耳が痛くなる怪音波のような声のダメージを避けるため、耳を塞いでいた。

 仕事のパートナーを助ける気、ゼロである。

 

 そんな二人が遠くなっていくのを死んだ目で眺め、ソラはキキョウに引きずられたまま呟く。

 

「この魔境(いえ)、ボケしかいないのか……。私が突っ込みに回るなんて、相当だぞ」




作中でカルトを「9歳」としてますが、これは時期が原作でゴン達が受けたハンター試験の少し前の話なため、HxHのファンブックに載っていた年齢は、「物語開始時の満年齢」と想定して、現時点でのカルトは9歳ということにしております。

そして割とどうでもいいことですが、以前書いたソラのプロフで「年齢:21歳・誕生日:2月12日」とありましたが、あの年齢も満年齢と考えて頂けたらありがたい。
つまりは、現時点ではまだソラは20歳です。

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