「おい、起きろ!!」
9月2日になって初めにウボォーギンが聞いたのは、聞き覚えなどない男の怒鳴り声。
まだ重い瞼を開けてみれば、予想通りの光景が広がっていた。
見覚えのない人間が2人と、見覚えのある人間が3人。
その見覚えのあるうちの一人、女のように澄ました顔をした金髪を見つけ、薬と寝起きという状況でまだぼんやりしていた頭の霞が晴れる。
おそらく薬の影響がなくてもなす術もないほど強力な拘束力を鎖に込めた能力者は、何の感情も読み取れない程に無機質な顔で佇んでいた。
ただでさえ自分が囚われるという屈辱的な扱いに内心では相当苛立っているウボォーギンは、その無表情を見てさらに苛立つ。
あの車の中での憎悪一色の眼ならば嗤ってやれたが、今のように虫けらとすら思っていないような無関心な眼が、それほど自分を「弱い」と思って相手にしていないような眼が酷く癇に障る。
「これから何をされるかわかるな? 盗んだ競売品はどこにやった?」
しかしどんなにウボォーギンが内心で苛立っていようが、それを表だって見せることがこの状況で得になる訳もないので、こちらも澄ました顔で苛立ちを覆い隠す。
その所為でなおさら鎖使いはウボォーギンを相手にせず、代わりに見覚えのない男が神字の刻まれた刀剣を自分に見せつけて訊いた。
「……今、何時だ? 俺はどの位寝てた?」
もちろん、ウボォーギンからしたらそのような問いに答える義理もないので逆に尋ね返せば、リーダー格の割に器が小さい男はキレてウボォーギンの体に刀剣を突き立てるのだが、それは割り箸よりも脆かったのではないかと言わんばかりに、あっさりと折れた。
『!!』
ただの刃物ならまだしも、この状況で“念”を補助する神字が刻まれた刀剣を折るほどの装甲に、全員が目を剥く。
その中には鎖使いも含まれていたので、少しだけウボォーギンの溜飲が下がり、思考に冷静さが戻って来た。
質問には答えてもらえなかったが、自分の腹の具合から夜中の12時前後とあたりをつけて体の調子も確かめるが、陰獣の病犬から受けた毒に加えてさらに筋弛緩剤でも投与されたのか、まだまだ動けそうにはないと判断する。
なので、あまり気が進まないが今現在動かせる口を使って交渉した。
「取引しねーか? 命は助けてやるから今すぐ、これはずせ」
頭を使う駆け引きは自分の分野じゃないと思っているので、ウボォーギンはシンプルに自分の要求とそれを飲んだ場合の見返りを語る。
が、当然その言葉は最初から本気とは取られない。
「な……何だと?」
「本気……みたいね」
「なにぃ!? 正気か!? 命乞いしなきゃいけねーのはこいつの方だろうが!!」
パクノダほど高性能ではないが相手の心……心理状態を見抜ける者がいたので、鼻で笑われて無視されるということはなかったが、それでも指一本動かせない男のこんな交渉なのか脅迫なのかわからない言葉は信じられず、その場にいる者の大半が困惑する。
その様子を冷めた目で眺めて、ウボォーギンは疲れたような溜息をついてからもう一度、仕方なさそうに言ってやる。
交渉でも脅迫でもなく、これは最大限に譲歩して見せてやってる慈悲であり忠告であるということを教えてやった。
「ふう……。もう一度だけ言うぜ。
俺たちが欲しいのは地下の競売品だけだ。お前たちはそのありかを知らねーようだから用はねぇ」
ウボォーギンの言葉に、全員がさらに戸惑って「お前が盗んだんじゃないのか!?」と口々に問い詰める。
そんな情報さえも知らなかった末端に、ついには憐れむような視線を向けて薄ら笑いさえも浮かべてさらに彼は言葉を続ける。
「勘違いは誰にでもあるさ。俺達はまだ何も盗っちゃいねーんだ。だからこいつをはずして、『その後のこと』も見て見ぬふりしてくれよ。
そうすれば、命だけは助けてやる」
ウボォーギンの言葉を本気だと感じたのか、全員が一線を引いて絶句している中、一人だけ逆に前へ出て来て口を開く。
「……会場に現れた、赤いコートを着た人物はどうした?」
「?」
前に出て来てウボォーギンを見下ろしながら尋ねたのは、忌々しい鎖使いだった。
が、その存在に苛立つよりも先に質問の意味がよくわからず、さすがにウボォーギンも少し困惑した。
「答えろ。その『赤コート』がヴェーゼを助けた後、お前らと交戦したのか? 交戦したのなら、その『赤コート』はどうした? 逃げたのか?
……貴様らは、『赤コート』が何者なのか知っているのか?」
そこまで言われて、どうやらあの赤コートが助けてたった一人生き延びた客は、こいつらの仲間だったらしいことは理解できたが、そこを理解しても鎖使いの質問の意図はやはり理解できない。
「何だ? あの赤コートが何者だったかなんて、俺の方が訊きてーよ。……っくそ、あの
そこまで言って、唐突に鎖使いがウボォーギンの顔面を思いっきり殴りつけた。
極めて冷静沈着だと思っていた者が訳の分からないタイミングでキレたので、さすがにオーラ量を調節してガードは出来なかったらしく、折れはしなかったがウボォーギンの鼻から大量の血が溢れ出た。
「……貴様の頭の中には
しかし鎖使いの方も、強化系を極めたに近いウボォーギンの“纏”でダメージを受けたのか、拳は相手だけではなく自前の血でも汚れた。
それでも彼はまだ拳を固めたまま、あの車の中と同じ眼で自分を見て吐き捨てるように言い、もう一度その拳を振り上げた。
「よせ、クラピカ!」
しかし鎖使い……クラピカの意味不明すぎるマジギレが他の連中の冷静さを取り戻させたらしく、彼は仲間に取り押さえられ、ウボォーギンから引き離される。
その光景を、少しは「いい気味だ」とでも思っているのかウボォーギンは薄ら笑いを浮かべて見ていたが、そんな彼に神字入りの刀剣を折られた男が彼を見下ろしながら他のメンバーに告げる。
「競売品が無事なら、こいつはもう役済みだ。このままコミュニティーに引き渡す」
「……取引不成立ってことか」
それでも、ウボォーギンは笑みを浮かべたままだった。
* * *
コミュニティーへの連絡はリーダーのダルツォルネに、旅団の11番の見張りは先輩格のスクワラに任せて、新人メンバーは別室でそれぞれ体を休めている。
ちなみに、リンセンとヴェーゼはこの場にはいない。コミュニティーに競売襲撃のことを報告した後、さすがにスクワラの犬のみがネオンの護衛では心配だったのか、ダルツォルネがそのままホテルに戻れと指示を出したからだ。
ヴェーゼがいたらもっと奴から情報が取れたかもしれないのに……と、クラピカは少し惜しく思うが、陰獣との戦いとは言えないし言いたくもないおぞましい虐殺を思い出せば、逆にいなくて良かったと思い直す。
あの11番の実力ならば、気を失っている間でも自分に危害を加えようとして近づけば、その気配を察して目を覚ますだろう。そして、口が動くのならばヴェーゼは蛭を操っていた能力者の二の舞になっていた可能性が高い。
そんなことを思いながらクラピカは、自分の携帯電話を取り出して届いていたメールを開く。
『約束通り、例の場所で♥』
メールの文面でも粘着質な思惑が見て取れて、クラピカは自分が選んだことだがうんざりしつつ、どうやって仕事を抜け出そうかと考えていたら、センリツが自分の元にやって来た。
「ちょっといい?」
「……何だ?」
センリツに話しかけられて、未だに
クラピカの応答にセンリツが肩をすくめる。
その動作は、自分の何もかもを知った上で「しょうがないな」と言わんばかりに受け入れる彼女とよく似ていたので、理不尽なのは承知の上だがクラピカを苛立たせた。
「用があるのなら早くしてくれないか?」
「それじゃあ単刀直入に訊くけど、……クラピカ、あなた『赤コート』に心当たりあるでしょ?」
本当に単刀直入に尋ねたセンリツに、クラピカの表情が変わる。
少し拗ねているような年相応に苛立っていた顔が、人形じみた無表情に固まってしまうが、鼓動はどんどん早くなっていく。不安を煽られた典型的な反応の鼓動に、センリツは慌てて言った。
「クラピカ、落ち着いて。あの11番は……」
「ない」
しかしクラピカはセンリツの言葉を遮り、無視して無表情で言いきった。
「心当たりなどない。知らない。
表情こそは人形じみたものだが、センリツに対して言い連ねた否定の言葉は少しずつ熱を帯びて、最後は吐き捨てるように言い放つ。
ヴェーゼは赤コートのことを「女だと思う」とは言っていたが決して断言はしなかったというのに、クラピカは「女」だと断言して。
彼の剣幕に我関せずだったバショウの注目までも集めてしまうが、クラピカは俯いて自分のつま先だけを睨み付けていた。
11番を殴りつけて、治療したばかりの右手をまた血がにじむほど握りしめて、左手は縋るように自分の耳に下がるイヤリングを握りしめたまま俯き続ける。
誰が聞いても彼の否定は大嘘だが、センリツでなくてもそれがどんな心理で言い放った嘘であるかもわかったので、誰もそれ以上は問い詰めなかった。
どう考えても彼の言葉は、誰かを騙したいから、誤魔化したいからついた嘘ではなく、クラピカ自身が一番信じていたい言葉であることくらい、無表情では取り繕えない、あまりに痛々しくて泣き出しそうな眼を見れば誰にでもわかる。
クラピカ自身もわかっている。自分の言葉や行動が、どれほど浅慮なものだったかだってわかっている。
「赤コート」が彼女ならば、顔を隠して変装しているのはクラピカに正体をばれたくないからであることは確かだが、それは決して仕事だと嘘をついて余計な世話を焼いていることがばれたくないからではないことだって、わかっている。
彼女が顔を隠さなければならないのは、そんな子供が失敗を誤魔化すようなくだらない理由ではない。もっと切実で、そしてこれも彼女は自分自身のことよりもクラピカを想っているからしていることであることも、自惚れではないとクラピカは確信している。
だから、わかっているのならば自分は「赤コート」になんかに興味を持たず、何も知らないフリを続けるべきだというのに、それが出来なかった。
自分の知らない内に、知らない所で、彼女が同胞と同じように12本足の蜘蛛に奪い尽くされたという可能性を消し去りたくて仕方がなく、駄々をこねるように叫んだことを後悔しつつも、それ以外出来ることが何もない自分に歯噛みしながら、ただ俯き続ける。
「……クラピカ」
だからセンリツは、遮られた言葉を続けた。彼のあの否定こそ自分が尋ねた問いの答え、クラピカの持つ心当たりは競売襲撃が起こる前の雑談で知った、彼の大切な人であることを確信したから。
彼にとって信じたくない現実でありながら、わずかばかり救われる言葉を告げる。
「あの男……赤コートの話が出た時、悔しそうだったけど同時に期待していたわ。
だから……、その『赤コート』は生きて逃げ出したはずよ。あいつは、戦い甲斐がある相手に逃げられて悔しがっていたのであって、別の誰かに殺されて自分の手で殺せなかったことを悔しがってた訳じゃないわ。
だから悔しがりつつも再戦を期待していたし、それに赤コートは大きな怪我も負ってないわ。負っていたとしたら、自分が楽しめるような殺し合いが出来るとは思わないでしょうから期待の中に諦観が混ざるはずだけど、一切それはなかったから」
クラピカは俯いたまま、センリツの言葉を聞いた。顔は上げない。
けれど固く握りしめていた右手の力が緩やかに解けて、彼は呟くように言った。
「……そうか」
あまりにささやかな声音だったが、十分センリツには伝わった。
不安で張り裂けそうだった鼓動が、安堵を刻み始めたことも彼女には隠せず伝わった。
「おい」
色んな意味で爆発寸前だったクラピカが落ち着き、メンバーが一息ついたタイミングでダルツォルネが部屋に戻ってきて指示を出した。
「これからコミュニティーの連中がくる。俺が見てるから、皆は少し休んでおけ。念のため、そいつに筋弛緩ガスをあと3人分はかがせとけ」
おそらく手柄を自分の物にしたいだけだろうが、部下に見張りを押し付けず自ら率先し、簡単な仕事を終わらせたら休憩していいと言い出したので、色んな意味で疲れ果てているメンバーはさっさとその最低限の仕事に取り掛かった。
クラピカも休憩が入るのなら適当に言い繕って仕事を抜け出す手間が省けたのと、
黙って従って、何も訊かなかった。
ダルツォルネも何も言わなかった。言う必要などないと思っていた。
追っ手は撒いたし、このビルの地下室に連れ込む際に発信器の類がないかのチェックもした。もちろん“念”によるマーキングがついていないかも“凝”で確認していたから、見つけられる訳がないと思い込んでいた。
ダルツォルネは、気付いていない。
コミュニティーに連絡した際、「陰獣は全滅した」と告げられた事実は疑っていない。
疑っていないのに、気付かなかった。
陰獣が全滅したというのなら、誰がそのことをコミュニティーに知らせたのだ? という簡単な矛盾に、彼は気付いていなかった。
* * *
「早かったね♥」
一人でカードゲームをしながら暇をつぶしていたヒソカが、振り向きもせずに言った。
座ったままゆっくり振り返る奇術師を一切クラピカは信用していないので、“凝”で周囲やヒソカ本人に何か仕込まれていないかを確認すると、その念能力者として優秀な反応に対して、嬉しそうにヒソカは笑って言った。
「安心しなよ♣ 今、キミと
もちろん、そんなことを言われてもクラピカは信用などしない。
しないが、それでもヒソカが言い出した「
「無駄話はしたくない。早速、お前達のことを聞かせてもらおう」
だから彼はセンリツと同じように単刀直入に話を始めた。
クラピカの性格をある程度知っているからか、ヒソカはそれ以上挑発じみた無駄話はせず、クラピカの要望通り
前半の幻影旅団という組織についてのメンバーの人数や入団の仕方、活動内容などは既に既知だったのでさっさと話を先に促すと、話は
「ボクも2・3年位前に4番の男と交代で入った♦
目的は団長と戦うことなんだけど、なかなか達成できなくてね♠ ガードが固いんだ♣ 常に2人は団長の側にいる♦
そして一たび仕事が終わると姿を消して、手がかりすらつかめなくなる♣」
はっきり言ってクラピカからしたらこの上なくどうでもいい話だったが、この話が前置きであることくらいわかっている。
ヒソカが自分に何を提案してくるかなど、この男のことを不本意ながら少しでも知っていれば簡単に想像がつく。
「そこでお互いへの結論だが、一人では目的達成が困難だと思わないかい?」
「……何が言いたい?」
わかっていたが、自分からは口にしない。
下手に自分が何かを言って、この男に言質を取られたら厄介事しか起きないことも想像がついている。
「団員の能力を教えようか? ボクが知っているのは7人だけだがね♥」
それでも、ヒソカはもったいぶってクラピカにとっては喉から手が出るほど欲しい餌をまずはぶら下げる。
何も言わず、表情も変えなかったが、クラピカの眼は間違いなく反応し、食いついてしまったのだろう。
ヒソカはにやりと口角を吊り上げて、言った。
「ボクと組まないか?」
クラピカは答えない。
ソラから団員の能力を多少は聞いたが、はっきりと能力がわかったのは団長とシャルナークという男くらい。
少なくともあと5人の能力を知れるのは、自分の目的からして美味しいことこの上ない。
が、相手はヒソカ。
団長と戦うために入団したという情報は信用しているが、それ以外は何も信用できないという信用をハンター試験で嫌になるほど積み上げてきた男だ。
そこまで信用されていないことをヒソカはわかっているのかいないのか、彼は飄々とクラピカに答えを迫る。
「さあ、どうする? キミ次第だ♦ ボクと組むか♥ 一人でやるか♠」
しかしクラピカが答える前に、ケータイの着信という邪魔が入る。
ヒソカは気にした様子もなく、「どうぞ」と電話に出ることを許したのでクラピカが応じると、センリツが切羽詰まった声で何が起こったかを端的に伝える。
《クラピカ! 大変よ!! 旅団の11番が逃げたわ!》
「何!? 奴が!? 自力でか?」
《いいえ! 旅団の仲間がコミュニティーの連中に化けてきたらしいの。どうやらリーダーが電話で連絡した時にはもう入れ代わってたみたいよ! おそらく、リーダーは殺されたわ……》
「リーダーは殺された」という言葉に、また胸が痛む。
新人である自分をそれなりに気を遣ってくれていたトチーノやイワレンコフと違って、ダルツォルネは自分の目的達成のための踏み台ぐらいにしか思っていなかったし、今でもそう思っている。
だからこの痛みはダルツォルネに対する悼みではなく、自分の周りにいて当たり前だった人が奪われるという古傷が再び血を噴き出しているのだろう。
自分のいない所で、自分の知らない所で、自分の手が届かない所で、自分に関わりのある誰かが死んでいくことで、全然大切な人でなくともクラピカはぶり返したトラウマによって、罪悪感と無力感に苛まれる。
《私達はパターンBに向かってる。すぐに戻って来て!》
センリツも焦って余裕がないのか、それとも電話越しだから心音が良く聞こえないのか、クラピカの荒れ狂う心情に気付かぬまま帰還を求め、クラピカは機械的に「あぁ」とだけ返答して通話を切った。
そして考えたり駆け引きをする時間が無くなってしまったので、クラピカはまたしても単刀直入でヒソカに尋ねた。
「…………ヒソカ、一つ訊く。
緋の眼の行方を知っているか?」
黒のコンタクトの内側で、自分の眼が紅蓮に染まっていることを感じながら問う。
本当に緋の眼の行方を聞きたいわけではない。知りたいのは、この男が5年前のクルタ族虐殺に関わっているかどうかということ。
「残念ながら僕が入る前のことだ♠
団長は獲物を一頻り愛でると全て売りはらう♣ 緋の眼も例外ではないはずだ♦ それ以上のことは知らない♠」
クラピカにとってもヒソカにとっても幸いなのかどうかはちょっとよくわからないが、ヒソカの言葉が事実だとこっそり垂らした
どんなに有益な情報をもたらしたとしても、クルタ族を殺めた者と手を組むなどクラピカにとっては論外以前の問題だった。
一番最低限、手を組んでいい条件は満たしていることを確認したクラピカへ、追い打ちをかけるようにヒソカは言った。
「…………一つ言えることは、頭を潰さない限り、旅団は動き続ける♥」
手足を一つや二つ、もぎ取ったぐらいでは意味が無いと告げる。
「組むかと訊いたが一蓮托生ってわけじゃない♣ 情報交換を基本としたギブ&テイクだ♥ 互いの条件が合わなければ。それ以上の協力の無理強いなし♦
気楽だろう?」
ヒソカの誘いに、クラピカは答えないまま背を向ける。
だが、「返答は?」という問いには足を止め、少しだけ振り返って告げた。
「明日、また同じ時間に」
ヒソカはそれを、Yesと取る。
この上なく癪だが、それは間違いではなかった。
まだ考えるつもりなら、「後で連絡する」と言えばいい。断るのにも直接会って言わなくてはいけないという律儀な礼儀を、この男相手に発揮するつもりはもちろんない。
だからこれは、手を組むことを同意する言葉。
今ここでヒソカから悠長に情報を聞く時間などないから、次回の約束を取り付けてクラピカは廃ビルから出て行き、自分が乗ってきた車に乗り込む。
そしてそのまま、エンジンをかけて急いでパターンBまで向かうつもりが、どうしてもアクセルを踏み込むことが出来ない。
一秒でも早く向かうべきなのはわかっている。
自分の能力が旅団に対して有効だと見せてしまったから、センリツ達は間違いなく自分を頼りにしている。
そう仕向けたのは自分なのだからと、目的のため、雇い主にもっと近づく為という打算と、少なくともセンリツはダルツォルネとは違い「仲間」と言えるようになりたいと思っている人だから失いたくないと、クラピカ個人の感情が訴えかけているが、それ以上に声高に叫んで訴える自分の声に、弱さに負けてクラピカは運転席でケータイを取り出して電話を掛けた。
連絡は取りたくなかった。彼女の外見や眼のことを万が一でも雇い主に知られたら、間違いなく自分に差し出せと命じられることが容易く想像ついたから、信用できると判断し、なおかつ雇い主以上に除念師という利用価値があることを教えたことで、まず敵に回ることはないセンリツ以外、誰にも彼女との接点を知られたくなかった。
だけど、未来に対する不安よりもすでに手遅れではないかという不安が勝り、クラピカは念には念を入れてアドレスも消去していた番号を手押しで掛ける。
繋がって声を聞いて安心したかった。けれど同時に、繋がって欲しくもなかった。
量子論の箱の猫のように確定させてしまえば希望すら懐けなくなるから、どんなに不安でも懸念があっても確かめられなかった電話を掛ける。
1コール、1コールが異様に長く感じた。あんなにも長い4コールは初めてだった。
《どうしたの、クラピカ?》
その声に、いつも通りすぎるソラの声音に思わず泣きそうになった。
完全に自身の精神安定剤となっているイヤリングでも足りなかった、トチーノやイワレンコフ、ダルツォルネのように、自分の知らない内に、自分がいない内に、自分の手が届かない所で奪われることを何よりも恐れる人は、例え自分の手が届かない所でも無事であることが確認できたことで、ようやく荒れ狂っていた胸の内が徐々に落ち着きを取り戻す。
「……すまない。こんな時間に急に電話をかけて」
《いや、それはいいんだけどね》
落ち着きを取り戻せば、今現在の時刻は夜中の一時過ぎであることを思い出し、突然特に用もなく生存確認の為だけに連絡するには非常識すぎる時間であることに気付いてまずは謝るが、ソラは言葉通りまったく気にした様子はなかった。
《それよりも、本当にどうしたの? 何か君、覇気がないというか今にも死にそうな感じの声なんだけど》
誰の所為で生きた心地が今までしなかったんだと思ってるんだ!? と怒鳴りたくなったが、赤コートがクラピカの望み通りソラじゃなかったとしたら、クラピカの怒りは理不尽この上ないのでまずは堪えて、そしてクラピカはソラに確かめようとした。
「……ソラ。お前の仕事は――」
《? 私の仕事が何?》
確かめようとして、本当にお前は仕事でここに来ているのかと訊こうとして、ヴェーゼを助けて旅団と交戦した「赤コート」はお前ではないかという核心を突こうとしたが、それは言葉にならなかった。
肯定されたら自分は何を言ったらいいかがわからなくなって、訊けなくなった。
余計な世話だからやめろと言いたかったが、今の自分にそんなことを言う資格があるのかと、無力で罪にまみれた自分が言う。
……ヴェーゼを守り、助けたソラに、蜘蛛の刺青を目にしてまた頭に血が昇って、センリツが止めなければメンバーを危険にさらした自分が、誰も守れず死人ばかり出している自分がどの面さげて「やめろ」と言えばいいのかがわからなくなって言葉を失っていると、電話の向こうで溜息が聞こえた。
《はぁ……。クラピカ。君はまた背負わなくていい罪に自縄自縛されてるだろ?》
呆れたような声音で見事にクラピカの現状を言い当てて、ソラはそのまま言葉を続けた。
《クラピカ。罪悪感を背負うなって言っても無理なのはわかってるから言う気はないけどね、でも君がもしも罪悪感で自分が歩む道を、未来を選ぶって言うんなら、口も手も足も出せるものは全部出して阻止させてもらうよ。
……罪悪感で、罪で自分が生きる道を選ぶのは大きな間違いなんだよ、クラピカ》
ソラの言葉に、デジャビュを感じた。
《人は生きている限り、必ず罪を背負うんだ》
いや、デジャビュではない。それは間違いなく聞いたことのある言葉。
《罪を背負わない生き方なんて、出来ないんだ。だから私たちは、選ぶんだ》
夢の中で泣きながら過去を変えたくて追い求めて、追いすがった自分に、彼女は言った。
クラピカが絶対に背負わせたくなかった罪を、こちらに渡してほしい罪を、大事に大事に抱え込んで手離そうとはしないで、彼女は告げた。
《自分がどんな罪を背負うか、そしてその罪を背負ってでも生きていたい道を選ぶんだ。
背負った罪で道を選ぶのは大きな間違いだ。罪を負うこと自体は、間違いじゃない。どんな道を選んだって、必ず私たちは幸せの代償に、罪を負わなければならないのだから》
それは、クラピカ自身の「許されたい」という願望に過ぎなかった言葉だったはずなのに、あの日の……再開した日の夢と同じことをソラは告げる。
《だから君は、君が歩みたい道を選びなさい》
本意ではないくせに、自分で自分を縛って自ら望まぬ道へと歩みかけていたクラピカを引き戻し、また一から選択肢をくれた可能性の魔法使いに、思わず笑みがこぼれた。
こぼれた笑みのまま、クラピカは言う。
「……良いこと言っているが、それは誰かの受け売りなんだろう?」
《!? 何でばれたし! え? 言ったことあったっけ?》
夢の中で歪みなく言い放っていたことを言ってみれば、電話口でソラが驚いていたが、普通にクラピカも驚いた。
もしかしたら、互いに忘れるくらいに他愛なくて何気ない日常の合間でソラは話し、クラピカは聞いていたからこそ、あの夢でソラの姿を借りた自分自身が言ったのかもしれない。
覚えてもいないくらいにささやかな、けれど忘れられないくらい愛おしい言葉だったのだろう。
自分を苦しめるものでありながら、もう二度と取り戻せない「思い出」そのものである罪悪感を背負ったまま、幸せになっていいと言ってくれた言葉は。
「……あぁ。言ったよ」
だからクラピカは、覚えてもいないくせに肯定する。
そして、やっと見つけた言葉を、自分の方が罪深くてもそれでも歩みたい道を選び取って、ソラに伝える。
「ソラ。…………無理するな」
ソラがヴェーゼを助け、旅団と交戦した「赤コート」かは尋ねない。確かめない。
ソラが何を目的に何をしているかは訊かないと決めた。それは、彼女がどんな罪を背負ってでも手に入れたいと望んで選んだ、幸福への道筋であることを知ったから、クラピカは口出しをせず、ただ彼女の言葉を信じる。
例え嘘よりも卑怯で姑息な言葉であったとしても、信じることをクラピカは選んだ。
ただ一つの例外を除いて。
その例外を静かに伝える。
「お前がバカで、何を言っても無駄なことはもう嫌になるほど良く知っているからな。好きにしたらいい。
ただ、どんな理由でも無理することだけは許さない。それだけは、お前であっても絶対に許さないからな」
ソラが背負う罪の中で、絶対にクラピカが許せない罪を、クラピカがどんな罪を背負っても選びたい幸福への道を失わせる選択肢が何であるかを告げると、電話の向こうでソラは少しだけ間を置いてから、彼女も笑った。
《ひっどいな。その通りだから、文句言えないけど》
「自覚があるのならもう少し何とかしろ」
クスクス笑いながら開き直ったソラに、いつも通りの軽い説教をすれば、ソラもいつも通り「あー、はいはい」と軽く流し、それでも言ってくれた。
《……うん。わかった。『約束』する》
はっきりと、「努力する」だの「善処する」だのといった曖昧に誤魔化す言葉ではなく「絶対に守る」と言ってくれた「約束」をソラは口にした。
その言葉が、自身の誓約として刺して絡めた鎖以上に心臓を握りしめるように絡みついていた不安を溶かしていくのをクラピカは感じとった。
「……そうか」
ソラの言葉を、ソラがくれたものを噛みしめながらクラピカも自分が選んだ道を告げる。
「……ソラ。私は、幸せになりたい」
あまりに曖昧で、何をしたらいいのか手探りでもわからない。それでも確かに辿り着きたい結末を告げれば、ソラは即答した。
《なりなさい。絶対に》
選択肢を狭めはしない人がはっきりと言い切った、それ以外は許さないという答えがクラピカの背負った罪悪感の重さで鈍った足を先に進ませる。
「――ありがとう」
* * *
ソラが通話を切ってから、窓辺に近寄る。
赤いコートのフードを被るべきかどうかを少し悩んだが、未だソラは“絶”で気配を消しているのでクラピカは気付いた様子もなく、仮に気付いても黒いカツラは未だ被ったままなのでこのままでいいやと開き直って、廃ビルから離れてゆく車をソラはそのビルの一室から眺めて見送った。
その背中にいつの間にやって来たのか、くつくつと笑いながらヒソカは粘着質な声で「相思相愛だねぇ♥」と言い出し、穏やかだったソラの顔が一転して不機嫌極まりないものになる。
「そうだろう。羨ましいか。やらないからな。非リア凝縮しろ」
振り返って胸を張り、何故か「リア充爆発しろ」の対義語を生み出して言い放つが、ヒソカはニヤニヤ笑いながらソラの発言を無視して尋ねる。
「君も隣の部屋にいたことと、自分より先にボクと手を組んでることを知ったら、彼はどんな顔をしたんだろうね?」
構われたがりなSもMも両方いける変態は、さらにソラが不愉快そうな眼で自分を睨み付けることを期待して言うが、予想が外れてソラの顔から不機嫌さはむしろ薄れてしまう。
彼女は、「何言ってんだこいつ?」とでも言いたげな顔になって、即答した。
「隣の部屋はともかくお前から情報もらってることくらいあの子なら勘付いてるだろうから、今更言ったって特に反応なんかしねーだろ。旅団の襲撃場所にピンポイントでいた時点で、情報提供者がいたことくらい想像つくはずだし。
あと、ヒソカ。何度も言わすな。私はお前となんか手を組んでない。あくまで私のやってることは仕事だ。
お前が『
あっさりと言い切り、そしてヒソカからしたらまったく意味のない屁理屈にこだわるソラへ、ヒソカは呆気にとられたような顔をして、しばし絶句する。
彼にしては珍しい反応だが、そのことに日頃の溜飲を下がるどころか、ソラはさらに不思議そうな顔をして首を傾げた。
その反応でさらに珍しいことにヒソカは困惑したような表情を浮かべ、言う。
「……キミたちって互いのことを理解し合ってるからこそ、ものすごく面倒くさいことするね♠」
「それは正直、自分でもそう思う」
ヒソカの発言を素直に認めて、その「面倒くさいこと」であるウィッグの毛先を摘まむ。
先ほどの電話の会話の通り、クラピカは「赤コート」の正体はソラであると確信しているし、ソラだって気付かれていることに気付いている。
元々、隠し通せるとも騙し通せるとも思ってなどいない。嘘ではないが屁理屈で取り繕った本当など、初めから疑われていることくらいわかっていたし、こんな変装はしないよりはマシ程度でしかないことも承知の上。
それでも、ソラにとっては全てが必要不可欠なもの。
嘘をついてもクラピカを守りたいのも本当だが、彼のために嘘をつきたくないというのも本当。
クラピカに心配を掛けたくない、不安など懐かせたくないのは何よりも最優先すべき、本当にソラが望むこと。
だからこそ、とてつもなく面倒くさくて遠回りでややこしいことをするしかない。
していることは結局、「ヒソカと手を組む」と全く同じでありながら、あくまで「仕事」という形式にこだわるのも。
不安がどうしても生まれるのならば、どんなにおざなりでも「ソラではない」という可能性を量子の箱に閉じ込めて、不安と同じだけ希望を与えることも。
それらは何もかも、ソラが選んで目指し歩む道の先、望む結末に必要なことだからしている。
例えそれが、クラピカが既に気付いている茶番に過ぎなくても。
ソラもクラピカも、互いに気付いているからこそこの茶番を続けている。
お互いの本音も何もかもを気付いていながら、お互いに気付いていないフリをする。
ヨークシンでの関わりを極端に減らして、接点などないように見せかける。
「ねぇ、キミたちって何がしたいの?」
結果より過程をヒソカも重視する方だが、それにしてもソラとクラピカのしていることは意味がわからず、真剣に不思議そうにヒソカは尋ねたので、ソラは少しだけ話すか話さないか悩んだが話すことにした。
この男なら自分が、自分たちが最も恐れていることくらい既に思いついている。というか、最終試験で実行した。
だから教えるも何も今更だったので、教えてやる。
こんなのは少し調べればすぐにバレる悪あがきでしかないこともわかっているけど、旅団に自分の正体がばれてもいいが、例え表面上であってもクラピカには「赤コート」がソラではないと思ってほしかった、自分とクラピカとの接点をなるべく隠し通したかった理由を語る。
「ブランカになりたくないし、なって欲しくないからだよ」
しかしわかりやすく教える気はサラサラなかったソラだが、思惑が外れてヒソカはソラの言葉をすぐに理解した。
「ブランカ? ……あぁ♦ 『狼王』か♣ なるほどなるほど♥ 確かにキミ達なら、どちらも『ロボ』にも『ブランカ』にもなり得るね♥」
「…………こっちにもあんのかよ、シートン動物記」
まさかの似たような話どころか、作者も登場人物というか動物も同じ名前のものが存在することにむしろソラの方が驚き、相変わらず中途半端に似通った世界に対して呆れる。
もちろんヒソカはソラの反応が理解できず首をまた傾げるが、しかしそれよりも面白いことを知れたと思ったのか、彼はニヤニヤしながらソラに近づく。
「なるほどね♦ キミがおざなりでも変装して、そしてクラピカがわかっていながら知らないフリをする訳だ♣
彼の方なら『眼』さえ隠せばどうとでもなるけど、キミは『眼』のことを知らなくても、クロロじゃなくても、彼の雇い主や地下競売の客にとっても極上の『獲物』だからね♥」
言いながら、ソラのウィッグを少しずらしてその中に押し込んだ白髪を零れ落とす。
ソラは不愉快そうにヒソカを睨み付けるが、何故か特に抵抗もせず好きにさせた。抵抗した方が喜ぶとでも思っているのだろう。正解である。
しかし抵抗されないならこれはこれでいい機会だと思っているのか、そのままヒソカはじっくりとソラを見下ろして観察する。
手触りの良い、アルビノじみた白い髪。男にも女にも、そして大人にも子供にも見える不可思議な美貌。
サイズが大きめのコートが意図通りに体格を隠すが、ヒソカはハンター試験の飛行船やら天空闘技場やらで露出の高い彼女を見てきたので、何の意味もない。
思い返す彼女の肢体は、良く鍛えていることがわかる筋肉がつきながらも、同時に女性らしい曲線を描き、やはりどちらの性別も内包する、奇跡的なバランスで整ったプロポーションだった。
もはや存在そのものが人体コレクター垂涎の逸品と言わんばかりの女であることを、改めて観察して思い知って感心する。
ヒソカとしては、この奇跡的な容姿をさらに輝かせて魅力的に見せているのは、彼女自身が自分の外見など気にも留めず、ただ生きるためにどれほど傷ついても歩み続ける生命そのものだと思っているので、彼女を剥製にすることは実にバカらしいとも思うが。
そんな一番の魅力に気付けないであろう愚か者どもを嘲るように、彼はウィッグからこぼれた髪をつまみながら語る。
「キミと彼の関係が知られたら、クラピカは間違いなくクルタ族であることに気付かれていなくても、投げ縄で縊り殺されて、その死体は君をおびき寄せる餌にされるかもね♥」
ソラが一番恐れている最悪の可能性を、ソラが語った「ブランカ」の最期に趣味悪く例えて。
……「ブランカ」とは「シートン動物記」という作者自身の体験や見聞を基に創作された動物物語で、特に有名かつ人気が高い「狼王ロボ」という物語に登場するロボという狼のつがい、妻であるメスの白狼のこと。
話の筋としては、家畜を襲う狼の群れを何とかしてくれと頼まれた主人公シートンだが、その狼の群れのリーダーである「ロボ」は、ただでさえ巨躯でなおかつ自分の倍ほどはある牛をも引き倒す体力を持ち合わせているだけではなく、人間並ではないかと思うほど頭のいい狼でいかなる罠も看破して家畜を狩りとっていく、現地の人々から「魔物」と呼ばれるほどの古狼だった。
狼を狩るためのあらゆる手段をやりつくしたシートンは、ロボたちの群れを観察していてあることに気付く。
狼は徹底した上下関係を築くもので、リーダーであるロボに逆らう狼など一匹たりともいなかったが、逆らいこそはしないが妙にロボが寛容な態度を見せる狼が一匹だけいた。
それこそがロボのつがい、白狼のブランカである。
狼は一夫一妻制の動物であり、はっきり言って人間よりも一途に伴侶を尊重する動物だ。
そんな狼の習性と、そしてブランカはロボほど頭も良くないごく普通の狼であったことを利用して、シートンはまずブランカを捕らえ、殺した。
生涯唯一の伴侶を失ったことでロボは冷静さを失ったのか、ブランカを失う前なら考えられなかったほど単純な罠に引っかかり、そして動物研究のためかシートンは捕えたロボを殺しはしなかったが、彼はエサも食べなければ水も飲まず、そのまま息を引き取った。
……この際、ブランカは「投げ縄」という方法で殺されるのだが、その「投げ縄」という殺し方はブランカの首に縄をかけ、二頭の馬にその縄を結んでそれぞれ逆方向に走らせて縊り殺すというもの。
罠にかかって捕まえたのだから、殺すのであれば毒餌を食わすでも檻の外から槍か何かで突き殺すでも良かったはずなのに、わざわざ手間のかかる殺し方をした理由は書かれていない。
ただ、ソラが読んだ本だとシートンは作中でブランカの殺し方があまりに残酷だったと後悔している文章があったが、それを読んだときは思わず鼻で笑った。
その時と同じように、ソラはヒソカの言葉を鼻で笑う。
「あぁ。そうだよ。私もあの子も人体コレクターからしたら同じ、コレクション棚に並べて自慢したいただの『物』だ。
……『物』扱いしてるくせに、こういう時だけ『人間』としての感情を理解して利用できるのが信じられねぇよ。クズの分際で、自分自身より大切な人を失えば絶望するってことを知っているのも、知った上でそれを実行できるのもね」
…………ロボは、本当にブランカを亡くしたことで冷静さを失ったのだろうか?
ソラからしたらむしろ、冷静さを最期まで失えなかったからこそあの結末に陥ったとしか思えなかった。
彼は妻が死んだことだけではなく、どれほど惨たらしい最期を迎えたのかまで、その聡明すぎる頭脳で理解してしまったのだろう。
罠にかかったのではなく、彼は自らかかりに行ったのだ。ロボはきっと、自ら死にに向かったのだろう。
なのに、妻を惨殺した人間は自分を捕らえたのに殺してはくれなかった。妻を殺しておきながら、またさらに自分とブランカを引き離そうとしたから、彼は施しを拒否して息を引き取った。
そうとしか思えなかった。
ロボは確かに、農場主からしたら災害そのものだった。
狼たちの縄張りに人間が後から来て農場を作ったのだから、むしろ狼側に同情の余地が大きいが、それでもこの狼と人間の攻防戦自体をソラは否定も非難もする気はない。
ただ、ブランカの殺し方だけは別。
どんな殺し方でも良かったはずなのに、あえて選んだ殺し方があまりに惨い「投げ縄」だというのは、どう考えても悪意だ。
それは、家畜を殺された恨みによるものか、あらゆる罠を看破されたことにプライドが傷つけられた怒りによるものか。
……それとも、意味など本当になかったのかも分からない。
ただ一つ分かることは、ロボを殺したのは人間の英知なんかじゃない。
人間の悪意が、ロボを絶望に至らしめて殺したのだ。
……そして
だからこそソラは、人体コレクターとは目的が違うが同じ「悪意」をいつか必ずまた向けてくるであろう天敵の手を払いのけ、そしてその胸倉をつかんで引き寄せて言った。
「だから、お前はさっさとクモの頭を潰せ。私とクラピカ、どっちがブランカになってもロボになっても、お前からしたら癪だろう?
クモの糸なんかに縊り殺されるのも、絶望で生きながらに死に果てた残骸を見るのも」
自分に向けられた「悪意」を理解したうえで、その「悪意」を利用して同じ「悪意」を排除しようとする、あまりにも美味しそうな果実にヒソカは満足そうに嗤う。
嗤いながら、やはり彼は悪意たっぷりに言い返す。
「そうだね♦ ……でも、ソラがブランカならクラピカはロボと同じ結末を辿りそうだけど、キミがロボならすごくボク好みの結末になりそうだから、楽しみだ♥
キミなら、ブランカを殺した相手全員を殺し尽くすまで全力で追い詰める『復讐者』になってくれるだろう?」
「なるか、バーカ」
しかしソラは即答で否定した。
否定して、答える。
「『復讐者』で済むと思ってんのか? おめでたいな。
……クラピカがブランカになったら私は、あの子を悪意で殺した人間種そのものを許さない。あの子がブランカになったのなら、私は
暗闇の中、燦爛と輝く天上の美色をその眼に宿して言い切った。
さすがに正確な時期は覚えてませんが、たぶん丁度1年位前、少なくとも2016年の頃にはロボとブランカの話をヨークシンに入れようと何故か決めてました。
なので、新宿のアヴェンジャー見て、「……おぉう、……マジか?」と思いましたよ。
もしも去年の内にヨークシン編をかけてたら、飛んだ予言者になるとこだった。