死にたくない私の悪あがき   作:淵深 真夜
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71:嫌だ

「おっ、出た出たすげー!! 本っ当に真っ白だぜ。これ全部、卵か。うえ~~!!」

 

 陰獣に植え付けられた蛭の卵を、シャルナークの助言通りビールがぶ飲みで無毒化して排泄するウボォーギンはアホな小学生のようにはしゃいだ声を上げる。

 そしてスッキリした後は、澄ました顔で戻ってきて言った。

 

「待たせたな」

 

 ウボォーギンの言葉を、待ち人であるクラピカは無視した。

 ウボォーギンの方も無視されたことを無視して、まだ持っていたビールを飲み干し、スチール製の空き缶を片手でぐしゃぐしゃに潰しながら訊く。

 

「一つ、訊きたい。お前、何者だ?

 並の使い手じゃねー……。お前の念には特別な意思が感じられる」

 

 アルミ缶だったとしても人の手では不可能なほど圧縮されたビール缶の成れの果てを見せつけるが、クラピカはそんなもの気にも留めず、相変わらず取り澄ました無表情で答えた。

 

「その質問に答えるには、訊き返さなければならないことがある」

 

 言いながらケープやスカートに似た形状であるクルタ族の民族衣装を脱ぎ、動きやすい姿になって改めて尋ねる。

 

「殺した者達のことを覚えているか?」

「少しはな。まぁ、印象に残った相手なら忘れねーぜ。

 つまるところ、復讐か。誰の弔い合戦だ?」

 

 クラピカの問いがそのまま自分の問いの答えになっていたので、ウボォーギンは何気ない雑談のように軽く尋ねた。

 その何一つとして悪びれていない、本当に彼にとっては雑談に過ぎないことがよくわかる態度がクラピカの神経を全力で逆撫でするが、その顔に胸の内の感情が浮かび上がることはなかった。

 

 ただ彼は無表情のまま静かに、淡々と答えた。

 

「クルタ族」

「? 知らねぇな」

「緋の眼を持つルクソ地方の少数民族だ。5年ほど前にお前達に襲われた」

 

 クラピカの言葉に相手は心底不思議そうに首を傾げ、答える。

 

「ヒノメ? 何だそりゃ。お宝の名前か?

 悪いが記憶にねぇな。5年前なら俺も参加してるはずなんだが」

 

 センリツでなくとも、ダウジングチェーンを使わなくとも嘘ではないとわかるのが余計に憎悪を掻きたてる反応だが、それでもクラピカはまだ無表情のまま言葉を続ける。

 

「およそかかわりのない人間を殺す時…………お前は、……お前は一体、何を考え、何を感じているんだ?」

 

 どんな答えを期待していたのかは、クラピカ自身でもわからない。

 ただ、この答えだけは予想は出来ていたのに、それでも耐えられるものではなかった。

 

「別に何も」

 

 その即答に、頭の奥でブチッと何かが切れる音を確かに聞いた。

 憎悪や怒りを見せた方が調子に乗って喜ぶ相手であることがわかっていたので、自分がより不快な思いをしたくないから保っていた無表情が崩れた。

 

「クズめ」

 

 わかりきっていたことを改めて口にする。

 

「死で償え」

 

 それ以外の選択肢などありはしなかった。

 この男は生かしておいても悲劇と害悪しか生み出さないことなど、昨夜のマフィアと陰獣との戦いとは言えない虐殺で誰もが思うだろう。

 そして何より、クラピカにとっては同胞の仇であることと同じくらいに、相手を生かしてはおけない理由があった。

 

 センリツは言った。

 この男は「赤コート」と戦うことを望んでいる。執着していると。

 

 クラピカの憎悪と戦う理由が仇討ちだと知って、自分の一番の喜びはクラピカのようなリベンジ野郎を返り討ちにすることだと嬉々として語るようなヒソカと同じ狂人が、彼女に……ソラに執着しているという事実が許せなかった。

 

 同胞と同じように、あまりにも身勝手な理由で自分から彼女を奪おうとする相手が許せない。

 そして奪っておきながら、その心に何も残さず忘れ去るような者が今、目の前で生きているという事実だけでも許容などできない。

 

 だから、殺すと決めた。

 選び取った。

 

 間違いなく自分の本意で、自分の意志で選び取った。

 後悔などしない。こいつを殺さない方が間違いなく、自分は彼女を奪われる不安で苦しみ続けると確信したから選んだ。

 

(……だから、大丈夫だ)

 

 そう、心の中で言い聞かす。

 自分の脳裏に浮かび、心配そうに尋ねる人に。

「本当に、それでいいの?」と訊くソラに、クラピカは答える。

 

(君の所為なんかじゃない。これはちゃんと、私の意志で選んだ私だけのものだ)

 

 それは心からの本音だったから、自分の心に住まう彼女に向かって真っすぐに伝える。

 ……なのに、ソラの顔は変わらない。

 

 クラピカの中のソラは、酷く痛ましげな顔で彼の答えをただ聞いていたから……。

 その顔に耐えきれず、クラピカは眼を逸らす。

 

 眼を逸らして、何かを振り切るように、誤魔化すように自分が選んだ選択肢、戦いに集中した。

 

 

 

 

 

『ねぇ、クラピカ。君は本当にそれで――』

 

 

 

 

 

 * * *

 

「捕獲、完了」

 

 決着はあまりにもあっさりと着いた。

 時間にすれば十分ほどしか経っていない。

 

 元々、典型的なパワータイプの強化系と長時間ガチンコで戦う気などクラピカにはサラサラなく、狙い通りの相手が自分を操作系と思い込んでくれたおかげで、2度目でありながら容易く拘束は完了した。

 左腕の骨を粉々に砕かれたが、これは自分の「絶対時間(エンペラータイム)」による強化系の耐久度を測るにちょうど良かったと割り切る。

 

 クラピカの「束縛する中指の鎖(チェーンジェイル)」によって再び拘束されたウボォーギンは、血走った目でクラピカを睨み付け、獣のような唸り声を上げる。

 毒の所為で鎖がなくとも動けなかった昨夜と違って、万全に近い体調でも身動き一つ取れやしない自分の現状がどれほど絶望的なものなのか理解しているのだろう。

 

 それでもその眼に宿るのは絶望でも諦観でもなく、怒りと疑念。

 それも当然。相手からしたら、どんなペテンを使ったとしか思えないだろう。

 

 具現化系と強化系は相性があまり良くないのにも拘らず、強化系を限界近く極めている自分の攻撃に耐えきれる防御力と、自分を拘束しきるほどの念の鎖を具現化など、あの赤コート並に有り得ない。

 有り得ない実例を既に一人見ているので、「有り得ない」と現実を否定して逃避して思考停止という愚かな真似はしないが、しかしいくらほぼ唯一自由が利く頭を働かせても納得できる答えは、戦闘時には結構機転を利かせるが、それ以外に関しては自他とも認める脳筋なウボォーギンにはわからなかった。

 

「解せないという面持ちだな。黄泉の手向けに教えてやろう。

『今の私』は特質系だ」

「!!」

 

 そんなウボォーギンに、クラピカは取りつけていたカラーコンタクトを外して答えてやる。

 血液そのものが燃え盛っているような緋色の眼を晒す。

 その眼を見て、ようやく相手はクラピカが語った「緋の眼」と「クルタ族」を思い出した。

 

「……その目! 思い出したぜ。キレると目が赤くなる奴等!! どっかの奥地でコソコソ暮らしてた。団長がいたく気に入ってたぜ。

 ありゃあ、大仕事だった。あいつら、強かったな……。その生き残りか。燃えてきたぜ……。てめぇの恨みと俺の怪力、どっちの方が強ぇか勝負!!」

 

 しかし、やはり思い出したからといって相手は罪悪感を懐きも覚えもしない。むしろ戦い甲斐の、殺し甲斐のあった者たちだったことを思い出し、捕らわれた屈辱で歪んでいた顔が歓喜に変化していった。

 今更、罪悪感にまみれて謝罪されても余計に憎悪が増すだけだったのでそんなものは求めていなかったし、相手が屈辱にまみれている所を見て溜飲が下げるような趣味などクラピカにはない。

 

 だが、それ以上に不愉快な「歓喜」という感情を全面に曝け出すことにさらに怒りを覚え、鎖に込めるオーラは増す。

 

「……外道め。お前の頭はそれだけか」

 

 昨晩、「赤コートはどうした?」と尋ねた時と同じことを言って睨み付け、宣言する。

 

「お前ごときにこの鎖は切れん」

 

 自身の憎悪と怒り、罪悪感と使命感、そして「彼女(ソラ)だけは手出しさせない」という意志を込め、自身の命もチップとして乗せて支払って得た鎖を、ウボォーギンは嗤う。

 

「どうかな? わからんぜ」

 

 不敵に笑って彼は出せるだけの力を振り絞って体を動かそうと、全身を覆う鎖を引きちぎろうともがき、足掻く。

 が、いくら足掻きに足掻いてもクラピカの中指に繋がるさほど太くもない鎖はびくともしない。

 鎖を引きちぎろうとウボォーギンが大声で喚くのが耳障りだったのか、クラピカは諦めさせるつもりでさらに教えてやる。

 

 生かすつもりなどないので、自分の「束縛する中指の鎖(チェーンジェイル)」以上の奥の手。鎖とはまた別の緋の眼の時だけ発動する能力を教えてやった。

 

特質系(いま)の私の能力(ちから)

『どの系統の能力(ちから)も100%引き出せる』」

 

 ソラに無理することだけは自分が絶対に許さないと言っておきながら、クラピカだってソラのことなど全然言えない。非難する資格など、本当はどこにもなかった。

 クラピカは、ソラには絶対に言えない一つの秘密を抱え込んだ。

 

 それこそが、この能力。「絶対時間(エンペラータイム)」と名付けた、どの系統の能力(ちから)も100%引き出せるという特質系としての能力。

 

 ……実際は、そこまで反則的に都合がいいものではない。

 緋の眼状態で水見式をしてみれば、全ての系統の反応が出るという結果を叩きだしたが、けれど何の誓約も制約もつけなければ、あくまで通常状態より緋の眼状態なら他の系統の能力も向上する程度だった。

 

 もっと別の能力(ちから)を持つ特質系だったら、きっとクラピカはこんな誓約を定めなかった。

 クラピカが持つ己の特質系としての能力は、もっと強力になれば自分にとって、一人で戦い抜く力を欲するクラピカにとってあまりにも都合が良かった。

 

 だからクラピカは、この能力を自分が望み求めるだけの性能にまで引き上げるために、それに見合う代償を支払って得た。

 1秒につき1時間の寿命という代償を払い、念能力者にとってソラの眼と同等なほど、反則的で想像ができない程の能力(ちから)を。

 

「全ての……系統の能力(ちから)を、100%引き出せる……だと!?」

「その通り。……折れた腕も」

 

 言いながらクラピカは左腕の袖を引きちぎって破り捨てる。

 ウボォーギンの“硬”によるパンチを受け止めて、開放骨折しなかっただけマシな腫れ上がった腕を晒して見せつけた。

 

癒す親指の鎖(ホーリーチェーン)!!〉

 

 鎖の先端についた十字架が傷口に触れると同時に、自己治癒能力が爆発的に強化・増幅されて、みるみるうちにクラピカの腕から腫れが引き、歪だった腕の形が、変色していた肌の色が元に戻っていった。

 同じ強化系、それも間違いなくクラピカよりレベルの高い能力者であるウボォーギンでも、彼は治癒系の能力開発などしてこなかったのでここまで驚異的な回復などできやしない。

 なのにクラピカは涼しい顔でやってのけ、ウボォーギンは驚愕と屈辱で歯噛みして睨み付ける。

 

 自分の命の時間を代償に支払っていることも知らず睨み付ける相手を、クラピカは色こそは燃え滾る緋色だが酷く冷めた目で無視して、自分がわざわざ一人でウボォーギンのリベンジに付き合ってやった理由を教えてやる。

 

 脳裏に浮かぶ人を無視して。見えてないふりをして。

 そのどちらも本当に出来るわけもなく、絶対にこの代償を許さない人に、心の中で何度も何度も謝りながら、許さなくていいからどうか泣かないで欲しいと願いながら、それらを振り払うように語った。

 

「最初の相手にお前を選んだのには……いくつか理由がある。

 お前がマフィアと陰獣の戦闘時……お前の仲間は全く加勢する様子を見せなかった。これはお前が単独で戦うことを好み、かつ戦闘に関して多大な信頼を得ているという証拠。一対一の戦いは私も望むところ。その点でお前は好都合だった。

 バズーカにさえ素手で立ち向かい、己の肉体のみで敵をなぎ倒す。自らの防御力・攻撃力に絶対的な自信を持つ強化系能力者。これは私が最初に戦っておかねばならない必須条件の相手。

 

 何故なら、その結果によって私の“束縛する中指の鎖(チェーンジェイル)”が旅団(おまえら)全員に通用するかどうかわかるからだ」

 

 クラピカの最後の言葉で、初めてウボォーギンは怒りでも屈辱でもなく焦りを顔に浮かべた。

 この鎖の危険性は自分一人に特化しているのではなく、「幻影旅団」という存在そのものに特化していることを知って、彼は初めて焦りだす。

 ようやく自分の個人的感情による復讐心とも言えなかった、ただの憂さ晴らしに等しいリベンジが、旅団(クモ)そのものを危険に晒す行為だったことを知ったのだろう。

 

 何としてもこの鎖を引きちぎって破り、目の前の男を殺さなくてはとウボォーギンは旅団(クモ)の手足としてまた全力で足掻きだすが、クラピカの言う通り強制“絶”状態にされてオーラは全く体から出てこない。

 それでもこの程度の太さの鎖なら、オーラに頼らず素の腕力で引きちぎれるウボォーギンだが、それは実際の鎖での話。

 

 その鎖の大きさや太さからは考えられないほどの密度のオーラが込められ、有り得ない強度となった鎖はいくらウボォーギンが全力を振り絞っても引きちぎることも振りほどくことも出来やしない。

 

 それでも足掻き続けるウボォーギンの懐にクラピカは入り込み、右わき腹にオーラを込めた拳を抉り込ませるように叩きつける。

 

「ぐっ、ほ……!」

 

 悶絶するが鎖の所為で倒れ込むことすら出来ないウボォーギンを、緋色の眼のまま冷めた様子で眺め、彼は淡々と成果と得た情報を口にした。

 

「生身のお前と強化した私の拳とでは、やや私の攻撃力の方が勝っているようだな。これは貴重な情報だ。

 捕えてしまいさえすれば、旅団全員、素手で倒せることがわかった」

 

 クラピカの言葉に、ウボォーギンは不愉快そうに睨み付ける。

お前がそんな目で私を見る資格があるのか? とクラピカはまた内心でひどく苛立ちながらも、そんな自分の怒りを見せるのもバカらしいと思い直し、感情を押し殺して情報収集に徹することにした。

 

「お前が知っていること、全て話してもらおう。 仲間の場所は?」

 

 しかし、ウボォーギンは答えない。

 

「殺せ」

 

 クラピカはその要望を無視して左腕を殴りつけて骨を折り、また別の質問を口にする。

 

「他にどんな能力者がいる?」

「…………殺せ」

 

 わかっていながら、続けた。

 この男は仲間の情報を決して吐かないと、一目でわかった。

 自分がしていることなど、時間と体力、オーラの無駄使いであることなどわかっている。

 

 こんなの、時間稼ぎであることなんてわかっていた。

 

 何の時間を稼いでいたのかは、クラピカにはわからなかった。

 

 

 

 

 

『…………ねぇ、クラピカ。君は本当にそれで――』

 

 

 

 

 

 問いかける彼女の幻影への「答え」の時間稼ぎであることから、眼を逸らし続けた。

 

 * * *

 

 どれほど時間がたったのだろうか。

 少なくともウボォーギンとの戦闘に費やした時間の倍以上をあまりに無意味な拷問に費やして、ついにクラピカは耐えきれずに言った。

 

「………………実に不快だ。

 手に残る感触、耳障りな音、血の匂い。すべてが神経に触る」

 

 クルタ族を滅ぼした、憎い仇。

 多くの人間を紙屑のように引きちぎって虐殺したのをその眼で見て、そのことを何とも思わないとこの耳で聞いた。

 この男は司法に引き渡しても死罪以外が有り得ない人間。生きていても害悪しか生み出さない、生かす方が罪深い。他の誰かがこの男を殺しても、クラピカは感謝こそすれど責めるなどあり得ないと言い切れた。

 

 なのに、いくら痛めつけても憎悪は消えず、心は晴れない。

 痛みに歪む顔を見れば、「お前が痛みを感じる資格などない!!」と余計に怒りを募らせると同時に、暴力行為をしている自身に自己嫌悪が積もる。

 

 間違いなく自分の本意で、自分の意志で選び取った選択肢でありながら、その結果がこうなることくらい予測も出来ていたのに、それなのにクラピカは泣き出しそうな声で叫んで問い詰める。

 

「なぜ貴様は、何も考えず!! 何も感じずにこんなマネが出来るんだ!!

 答えろ!!」

 

 しかし蜘蛛の足の一本は、どこまでもクラピカの望みを叶えてはくれなかった。

 

「殺せ」

 

 その言葉に応えるように、クラピカは小指の先端に繋がった剣のような楔をウボォーギンの胸に差し込んだ。

 

「最後のチャンスだ。

 貴様の心臓に戒めの楔を差し込んだ。私が定めた法を破れば、即座に鎖が発動し、貴様の心臓を握り潰す!!」

 

律する小指の鎖(ジャッジメントチェーン)」の先端が心臓に刺さってもぐりこみ、心臓に鎖が幾重にも絡みつく。

 この感触は既に自分自身で体験しているにも拘らず、それが他人のものだというだけで不快感が比べ物にならない。

 

 不快すぎて吐き気さえも催すが、その嘔吐感をねじ伏せてクラピカは告げる。

 

「定められた法とは、『私の質問に偽りなく答える』こと!! ……それさえ守れば、もうしばらく生かしておいてもいい」

 

 自分で言っておきながら、自分の命を削りながらしていることがあまりにも無意味でバカらしくて、笑いそうになった。

 これは最後のチャンスでも忠告でもない。ただの死刑宣告であることなどわかっている。

 

 間違いなくこの男は、仲間を売らない。

 それを確信しておきながらクラピカが尋問するのは、情報が欲しいからではない。幻影旅団は人の皮を被った鬼畜の集団だと思い知りたいから。そう思い込みたいから、自分の命を一秒でも生き長らえる為に、仲間を軽々しく売るような屑であってほしかったから、これほど心を摩耗させてまで拷問して、尋問した。

 

 そんな屑であってほしかった。

 

 ……仲間のために、自分の命を捨ててでも情報を渡さないなんて選択を取れるような相手だと思いたくなかった。

 何一つとして自分とは分かり合えない「敵」であってほしかった。

 自分と同じ思いを懐いているなんて知りたくなかった。

 

 仲間のために拷問に耐え、一刻も早く死ぬことを願う相手に比べたら、今の自分の方がよほどの屑であることを自覚しながら、クラピカは歯を食いしばって罪悪感を振り払って、断頭台の刃である自分の言葉を口にした。

 

「………………他の仲間はどこに――――」

 

 

 

『ねぇ、クラピカ』

 

 

 

 罪悪感は、振り払うことが出来た。

 でも、これだけは振り払えない。

 手離せない。

 逃げ出せない。

 

 どんなに眼を逸らしても、耳を塞いでも、それは現れる。

 

 自分が傷ついたような顔をして、自分が傷つくよりも痛ましげな顔をして、彼女はまっすぐにクラピカを見据えて尋ねる。

 

 

 

 

 

『君は本当にそれで――』

 

 

 

 

 

 間違いなく、自分の本意で選んだ選択肢。

 

 嘘偽りなどない、自分の意志で決めた答え。

 

 背負った罪で選んだ道ではない。その道を選んだことで、背負う覚悟を決めた罪。

 

 本当なのに、今の自分は全て本意で、自分の意志でここに立つと決めた場所に立って、やると決めたことをしているのに、何もかも本当で本物であるはずなのに、なのに、なのに――

 

 

 

 

 

 

 

 

 

『本当にそれで、幸せになれるの?』

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 その問いに、返せる答えなどなかった。

 

 * * *

 

 殺してやりたいのは、本当。

 だけど、殺したってきっとこの恨みは晴れないことだって初めからわかっていた。

 

 どんなに憎い相手でも、誰かを傷つけ、殺すことで気分を晴らすことが出来る人間になりたいとも思えなかった。

 だけど、何もしないままでいることは到底、出来やしなかった。

 

 嘘なんて何もない。

 全てが本当。

 

 殺してしまいたいのも、殺したくないのも。

 

 必ずどちらかを選ばなくてはいけないのに、どっちを選んでも同じくらい後悔するとわかっている選択肢。

 

 後悔するとわかっていながら、選んだ選択肢。

 

 選んだ理由は――

 

(……もう二度と、奪われたくなかったから。

 ……君だけはこの忌々しい蜘蛛の餌食になるという未来など、起こりうることが無いようにしたかったから)

 

 彼女との未来が欲しかったから。

 

(オレの所為で、君は大事に守っていた『自分を殺す権利』を失ったのだから……。

 だから……君と同じだけの罪を背負いたかった)

 

 彼女と同じ場所に立っていたかったから。

 

(君が、オレに何を望んでいたかなんて知ってる。

 けど、それは選べない。だって選んで後悔してしまったら……、君が望んだとおりオレが幸せになれなかったら……、君は絶対にオレではなく自分を責める。自分のワガママがオレの人生を狂わせたと、自分を責める。

 それだけは見たくなかったから……。だから……、だから――)

 

 彼女にこれ以上、自分が背負うはずだった罪を肩代わりになどさせたくなかった。

 そんな罪を背負うような道に、彼女を歩ませたくなどなかった。

 背負うのなら自分が、彼女の分まで自分が罪を背負って受け持って、どんなに傷ついても歩いてゆきたかった。

 

 それが、本当。

 それが自分の、クラピカの本意であり自分の意志であり、この選択を選んだ理由。

 

 幻影旅団を潰す。旅団員を殺すと決めた理由。

 

 人を殺す、理由。

 

 けれど、それは同時に――

 

『ねぇ、クラピカ。君は本当にそれで、幸せになれるの?』

 

 痛ましげに尋ねる彼女に、答えを返せない。

 まだ誰も殺していないのに、それでもあまりに身勝手な暴力による血で汚れた手では、彼女に触れられない。

 例え彼女が笑ってこの手を取ってくれたとしても、あのハンター試験の自分のように「いつも通り綺麗な手」だと言ってくれても、それが嬉しいからこそ余計に苦しくなる。

 

 人を殺すということが、自分も殺すということだと彼女が語っていた理由を、ようやくクラピカは心から理解できた。

 

 誰かを殺してしまえば、もう今まで通りに生きてなどいられない。

 誰かを殺しておきながら、自分と同じように誰かを慈しみ、守り、幸福を望んで生きてきた人間を殺した自分を許せなくて、嫌悪して、殺した相手以上に自分を殺してしまいたくなる。

 自分自身を誰よりも何よりも汚らわしく感じるから、目の前にいるのに触れられなくなる。傍にいるだけで幸せだからこそ、その幸福が自分の心臓を握り潰したくなる罪悪感となる。

 

 クラピカが望んだものは本当。

 自分の本意で、自分の意志で、自ら望んで選んだのは本当だ。

 そしてそれはきっと、手に入るはずのもの。

 

 ……ただ一つを、永久に失えば全て手に入った。

 

『クラピカが幸せになりますように』

 

 彼女が祈り、願い、望んだ夢を……

 

 あまりに些細でかけがえのない幸福な夢を諦めてさえしまえば――

 

 

 

 

 

(……………………それだけは、嫌だ)

 

 

 

 

 

 鎖を断ち切ったのは、そんな「答え」だった。

 

 * * *

 

 あまりに澄んだ、音だった。

 

「「!?」」

 

 クラピカの小指から繋がり、ウボォーギンの胸を刺し貫いて心臓に絡みついていたはずの鎖が突如、切れた。

 切れてクラピカから離れた鎖は、霧が薄れて散るように消えてゆく。

 

 ウボォーギンは何が起こったのか理解できなかった。

 クラピカは、理解できた。

 

 法を定め、法に従って刑に処す裁定者にして処刑人である自分が、定めた法を否定してしまったから、拒絶してしまったから……、「殺したくない」と思ってしまったから、鎖は断ち切れた。

 彼の「心」そのものが具現化された鎖だからこそ、その望みに、願いに対してあまりに融通が利ないほど、忠実に従っただけのこと。

 

 そしてそれは、小指の鎖に限らない。

 

「! ぬうおぉぉおおおぉぉっっ!!」

「!!」

 

 オーラは相変わらず、全く体から出てこない。

 しかし、拷問されてどれほど体を痛めつけられてもウボォーギンは諦めてなどいなかった。

 

 だから小指の鎖が断ち切れてクラピカが呆然としている隙に、また足掻く。

 足掻いて、全力を振り絞り体を動かすと先ほどまでびくともしなかった鎖が音を立ててひび割れていった。

 

 そのことに気付いたクラピカが、彼を拘束する中指の鎖にさらにオーラを込めるが、鎖のひびからオーラが漏れ出しているかのようにまるで意味がない。

 

「おおおるぅらあぁぁぁああぁぁっっ!!」

 

 ウボォーギンにとって幸いなことに、クラピカの拷問は上半身への暴行に留まり、足は無事だったので思いっきり踏ん張ることが出来た。

 足に踏ん張りを利かせ、出せるだけの力を振り絞って上半身をねじるように動かして拳を振りかぶると鎖は限界を迎え、こちらもあまりに澄んだ音を立てて粉々に引き千切られる。

 

 引き千切られると同時に、ウボォーギンは反動をつけて振りかぶっていた拳をクラピカに叩きつける。

 拷問で折られた右腕で殴ったことと、鎖が千切れてオーラが出せるようになったとはいえ、強制“絶”から解放された直後というのもあって、それこそ初めになめてかかっていた時と同じくらいの力でしか出なかったが、それでも小指と中指の鎖が無力化・弱体化した事実に戸惑っていたクラピカも防御に遅れ、胴体に一撃を受けてそのまま数メートル先までブッ飛ばされた。

 

 ブッ飛ばされて何とか体を起こすが、起こした途端に咳き込んで血を吐き出す。

“纏”こそは保ったままだったのと、ウボォーギンも全力をとっさに出せる状態ではなかったので最悪の事態は免れたが、アバラはいくつも折れて砕け、内臓にも多大なダメージをくらってしまったクラピカは、しばし鎖を具現化させることも出来ず咳き込み続ける。

 

 訳が分からないが、やっと反撃のチャンスが巡ってきたことにウボォーギンは凶悪な笑みを浮かべるが、その笑みはすぐに苦痛で歪む。

 鎖の拘束から解放されたとはいえ、ダメージが大きすぎてすぐには自分でブッ飛ばして倒れたクラピカにトドメを刺しに行くことは出来ないことに歯噛みしながら、それでも向こうにもやっと大ダメージを与えたこと、そして先ほどまでと打って変わって冷静さを失って武器が具現化出来ぬほど混乱しているので、ウボォーギンは彼に注意を払いながらひとまず苦手な自己治癒能力の強化にオーラを使って、多少の回復を試みた。

 

 クラピカの方も、ブッ飛ばされて倒れ伏した体を何とか起こして回復のための再び親指の鎖を具現化させるが、オーラが上手く廻らない。能力行使に集中が出来ない。

 それは受けたダメージが大きすぎるということは、ほとんど関係ない。

 

 小指の鎖が無力化したのも、中指の鎖が弱体化したのも、今も上手く鎖の能力を扱えないのも、全ては自分の心の問題。

 

『歓喜・狂気・悲哀・恐怖・憎悪・油断・忠義・激昂・疑心・愉悦・羞恥・覚悟……。

 ありとあらゆる心の動きが作用して念を加減する』

 

 水見式で自分の系統を知り、本格的な能力開発に取り組む直前、師であるイズナビの言葉を思い出す。

 

“念”とは、本人の心そのもの。

 自分に嘘をつけても、眼を閉ざして耳を塞いで何も知らないふりをして逃げ続けても、“念”はあまりにも残酷なくらいに心の真の在り様を形にして、効果に反映する。

 

 どんなにこと細かい制約や厳重な誓約で縛って調節しても、逃れられない“念”の絶対的な性質。

 それがよりにもよってな状況で、現れ出ただけの話。

 

 曝け出されただけだ。

 クラピカが自ら刺し込んだ楔よりも深い、決して抜くことが出来ない奥底に住まう人。

 自らを縛りつけた鎖よりも、決して離れることが無いように自分を包み込む人が、気付きたくなんてなかった、気付かない方が楽だったものを暴いて曝け出して、何もかもを台無しにした。

 

 せっかく捕えて殺せた絶好のチャンスも、能力もその能力を得る為に費やした修行の日々も、差し出した代償も、クラピカの覚悟も全て何もかも水泡に帰した。

 

 その事実に、クラピカは激しく咳き込みながら…………

 

「?」

「…………は、ははは、はははははははは!!」

 

 咳き込みながら、血を吐きながらもいきなり哄笑しだした相手に、さすがのウボォーギンも若干引いた。

 頼みの綱の能力がいきなり役に立たなくなり、そのことに絶望して狂ったのかと思ったが、それは見当違い。

 

 クラピカは笑う。

 あまりにも、あまりにも恐れ、それゆえに本来の目的を見失って愚かな選択を本心から、本意で選んでいた自分に気付いて、それが本気でおかしかったから笑った。

 

「ははっ、かっ、こほっ……。あぁ……バカだな、オレは……。

 幸せになりたくて選んだ道の先で幸せになれないことを恐れるがあまりに、幸せになれなかった時の予防線を最優先にしてどうする?」

 

 幸せになりたいと言っておきながら、絶対になれと言われたのに、幸せになれない理由を作ろうと躍起になっていたことに、真逆の方向に突き進んでいた自分にようやく気付く。

 どうしてこんなことに気付けなかったのか、その理由は簡単だ。

 

 クラピカは、自分の幸せがどんなものかを知ってしまったから、自分が幸福になる為にすべきことは何もかも手さぐり状態なのに、その道の先で得られる幸福そのものはどんなものであるかを具体的にもう知っているから。

 

 ……ただ、ソラと笑って寄り添ってあまりに何気なくて他愛のない、あの4年前の一か月のような、ゾルディック家の山小屋で過ごしていた日々のような、無為だからこそ珠玉の日々こそが、クラピカがたどり着きたい幸福の形だから。

 

 だから、ソラを悲しませるのだけは嫌だった。

 泣かせたくなかった。泣き顔なんて見たくなかったし、泣きたいのを隠して自分に気を遣って笑う顔はもっと見たくなかった。

 

 クラピカが幸福になれなかった時、一番不幸なのは自分ではなく彼女であることをわかっていたから……。

 

 だから、「君の所為じゃない」と言いたかった。

 それだけは、クラピカが幸福になれなかった責任だけは、ソラには絶対に渡したくなどなかったから。

 

 自分の所為なのに「私の所為だ」と言って一番傷ついて不幸なくせに、それをクラピカに気付かれないように笑う彼女が一番、何よりもクラピカが見たくない、恐れる未来だったから。

 

 だからクラピカは、ソラが背負わなくていい罪や責任を背負い込まないように、ソラが悲しまず、泣かずに済むにはどうしたらいいかばかり考えた結果がこの様だ。

 あさっての方向に迷いに迷って、結果として本末転倒を起こして最終目的地を知っているくせに逆方向に突っ走った自分のこの結果は、本当に笑ってないとやってられない。

 

 だからクラピカは、笑いながら罵った。

 

「はは……、あの……奇跡のバカが……。全部、お前の所為じゃないか」

 

 笑いながら、ソラに対して怒り、罵る。

 八つ当たりのつもりはない。正当な怒りだとクラピカは自身に断じる。

 

 だって、こんなにもバカな迷走をしたのは、本末転倒を起こすくらいにソラの悲しむ顔を見たくなかったから。

 見たくないのに、悲しんでほしくないのに、悪いのはクラピカの方なのにソラはクラピカの罪を自分の罪だと言って聞かず、自分であまりに大事そうに抱え込んで渡してくれない所為だから。

 

 全部全部、ソラが悪い。オレはあんまり悪くないと、クラピカは笑いながら、……泣きそうになりながら思う。

 

(だってお前はいつだって、あまりにも簡単に笑うから。オレが守ったり、与えたりする必要なんかないんじゃないかと思うくらい、些細なことで笑うから……。

 お前の為じゃなくても、お前はあんなにも幸せそうに、嬉しそうに笑うから……。

 だからどうしても、お前がどうしたら笑ってくれるかよりも、どうしたら悲しまずに、泣かずに済むかを考えてばかりだったオレは悪くない。お前を笑わせることなんか簡単だと思ったオレは、悪くない)

 

 今だって、自分の能力がもうどれほど相手に通じるかわからないものになり下がって絶体絶命だというのに、なのに、クラピカの網膜にだけ映る目の前の彼女は笑っている。

 クラピカの出した答えに、満足そうに、幸福そうに、晴れ晴れしく笑っている。

 

(お前の所為だ。お前がいなければ、お前と出会っていなければ、オレはこいつを殺せたんだ。

 自分が死ぬことだって怖くなかった。こいつらを殺す為なら、オレの命なんて全部そのために使い捨てても良かったんだ。お前と出会ってさえいなければ、例えゴン達に出会っていてもオレは何の迷いもなく、後悔もなく、オレは躊躇いなくこいつを殺せたんだ。

 殺せたんだ…………。『幸せになる』という夢さえ諦めたら、オレはいつだってこいつらを殺せるのに……なのに……なのに!!)

 

 そんな彼女をクラピカは睨み付けて罵るが、クラピカの心に住まう彼女は全然困っているようには見えない苦笑を浮かべる。

 クラピカの素直じゃないけどあまりにわかりやすくて可愛らしい意地を、微笑ましそうな顔をして、愛おしげに、慈しむように見てまた笑う。

 

 笑う彼女に、ソラにクラピカは言った。

 本物にはまだ素直に言えない。

 けれど絶対に見抜かれるであろう、「お前の所為だ」と怒るクラピカの言葉の裏側を。

 

 本音を。

 彼女の問いに対する答えを。

 

 

 

 

 

(――――ありがとう。

 君がいるから、オレは(幸せ)を諦められない)

 

 

 

 

 

 クラピカは、ウボォーギンなど見ていなかった。

 だが、ウボォーギンは急に笑い出したクラピカをいぶかしげに見ていたのが、徐々に様子が変わってくる。

 

 彼もまた、笑った。

 もうこの時のウボォーギンには、挑発と反則的な能力で拘束されたこと、仲間の情報を売れと拷問されたこと、相手が自分達旅団の天敵であることを忘れて、ただひたすらに、純粋に、あまりに迫力があって凶悪な面相だが、それでも子供のように楽しげに笑った。

 

 笑いながら、かろうじて骨が繋がった右腕で地面を殴りつけて抉り、その抉った石つぶてを散弾のようにクラピカに向かって放つ。

 

 自分が地面を殴りつけたせいで土埃が当たり覆い隠して何も見えない。

 それでも、ウボォーギンは笑ったままその土埃が晴れるのを待っていた。

 

「――邪魔、するな」

 

 土埃が薄くなり、人影が見え始めたあたりで声がした。

 自分が殴りつけたダメージはまだ回復できておらず、腹を押さえて咳き込みながら、それでも右手を振るった。

 薬指の鎖で受け止めた石つぶてを、振るって払い落として彼はまだ辺り覆う土埃の中で言った。

 

「もう、わかった。もう、邪魔はさせない」

 

 今度こそ選び取った。

 

 今度は後悔しないとは言えない。

 むしろ絶対に、何度も何度も後悔をすると言い切れた。

 

 それでも、「これがいい」と思えた道を、選択肢を選び取った。

 

「もう絶対に、オレの……オレ達の邪魔はさせない。

 だから消えろ。邪魔するな。オレは……帰るんだ」

 

 だから手始めに、もうこんなバカらしくて意味などない戦闘を終わらせると決めた。

 こんな筋肉バカゴリラの相手をしている時間は1秒でも惜しい。

 こんな相手の為に、自分が生きる時間を使うなんて馬鹿げている。

 

 クラピカには、今すぐに帰らなくてはいけない理由があった。

 

 帰って、「お前の所為だ」と怒らなくちゃいけない。

 怒って、そして考えなくてはならない。

 

 自分と彼女が誰も殺さないまま、幻影旅団を捕えるにはどうしたらいいか、どうすべきなのかを考えてなくてはならない。

 彼女から離れてはいけない。彼女の側に自分がいなければ、彼女は、ソラは間違いなく自分一人の手を汚して終わらせると決めてしまうから、彼女が「絶対に幸せになれ」と言ったからには、そのために越権であっても、クラピカの方が言う資格のないくらい無理をしている身であっても、それでもクラピカはソラの行動に「無理するな」以上の干渉をしてやると決めた。

 

 ソラの手を掴んで離さないと決めた。

 その手を掴んで、共に歩むと決めた。

 自分の生きてゆける時間を、彼女と共に使うと決めたから。

 

 そうしないと、自分は決して幸せになどなれやしないから。

 

 だから、クラピカは今すぐに帰らなくてはいけない。

 ノストラード組ではなく、今もどこかで余計な世話を焼いているであろう彼女の元に。

 

「おかえり」と言ってほしい人の元へ。

「ただいま」と言いたい人の元に帰るため、クラピカは再び右手に5本の鎖を具現化し、完全に土埃が晴れた荒野の真ん中で、ウボォーギンと再び対峙した。

 

 焔のごとく燃え盛るような緋色の眼で。

 

 ――あまりにも晴れやかに、笑いながら。

 

 * * *

 

 完全に何かを吹っ切ったように、その眼は鮮やかな緋色のままだが、そこに滾っていた憎悪や憤怒はもうどこにも見当たらない。

 闇を照らし、朝を迎えるような暁の瞳がそこにあった。

 

 ウボォーギンにとって「緋の眼」は、その名の通りただの赤い目にすぎず、珍しいとは思ったのでクラピカの眼を見て思い出したが、それよりも興味を引いたのは彼らの強さであって、眼に関しては団長のように「美しい」と思うようなことはなく、興味は一切湧かなかった。

 

 が、この眼は別だった。

 

 抉ってホルマリン漬けの標本にしたいとは思わない。

 これは、生きているからこそ価値のある眼だ。

 

 それはリベンジ目的の相手を返り討ちにする以上に、ウボォーギンが求めてやまない戦いをもたらす者の眼。

 

 生きるという、意志そのものの眼だった。

 

「……ほぉ、いきなり腑抜けたかと思ったら、いい面できるんじゃねぇか。今ならちゃんと、タマがついてるように見えるぜ」

「無駄話をしてる暇などない」

 

 クラピカの今の様子に関してウボォーギンは他意なく素で称賛したつもりだったが、女顔を気にしているのか一瞬ムッとした顔になって相手の言葉を切り捨てる。

 が、やはり先ほどまでの様子とは打って変わって、クラピカは口の中に溜まっていた血を吐き捨ててから、またすぐ不敵に笑う。

 

「初めに一応、謝罪しておこう。

 お前の願いは叶えられない。オレは……オレ達はお前も、お前達も殺してやるものか。お前達は全員、捕える。だが、殺してなどやるものか!

 お前達は、オレ達のあずかり知らぬところで勝手に無意味に! 無価値に! 自分自身を殺してやれないままのたれ死ね!!」

 

 自分が決めた答えを宣言し、クラピカは再び具現化した中指の鎖を鞭のように叩きつける。

 もちろんウボォーギンはほぼ唯一無傷の足にオーラを溜めて、飛びのいて避ける。

 先ほどは何故かオーラのブースト無し、素の筋力で引きちぎれるほどに弱体化していたが、再び具現化した中指の鎖は当初と同じか、それ以上の力強いオーラを、“念”を、意志を感じたので甘んじて受けるなどという真似はする訳がない。

 

 元々、旅団を捕えることに特化させているが、殺傷能力そのものは中指の鎖には皆無だ。

 絶対時間(エンペラータイム)時でないと使えない訳でもないので、迷いを吹っ切って答えを見つけてしまえば、もうこの鎖は弱体化などしない。

「殺さない」と決めたのならば、なおさらにこの鎖は役に立つのだから、鎖はクラピカの心に忠実に猛威を振るう。

 

 しかし、だからと言ってクラピカは決して有利ではない。むしろ、現状は不利極まりない。

 

 相手に回復する時間を与えてしまったというのに、自分の方は精神的には整理がついて絶好調この上ないが、体の方は何一つとして回復していない。

 そして中指の鎖は問題ないが、攻撃手段である小指の鎖がほとんど意味を失ってしまった。

 一応、心臓ではなく腕など他の体の部位に差し込んで鎖を絡み付かせ、条件を守れなければその部位を鎖が締め上げるくらいの効果はあるかもしれないが、この土壇場でそんな想定などしていなかった使い道にどれほどの効果があるか試す隙など間違いなくないだろう。

 

 そもそも、もうクラピカには絶対時間(エンペラータイム)を使う気はほとんどないので、小指と親指の鎖は創り上げて数か月もしないうちに無用の長物へと成り果ててしまった。

 

 実際の鎖ではなく念の鎖であることもばれているので、もう搦め手はほとんど使えない。

 ただ人差し指の鎖だけは使っていなかったので、クラピカが人差し指の鎖を振るえば相手は中指の鎖以上に警戒をするので、それをうまく利用したいところだが、実は人差し指の鎖は正真正銘ただの鎖をオーラで具現化しただけのものだ。

 

 イズナビの、「5本の鎖に初めから全部、能力をつけるのはやめろ。一つは残しておいて、どうしても足りない、必要な能力はこれだと思ったものが出来たらそれに使え」という助言に従って、人差し指の鎖だけ未だに特殊な効果は何もなく、せいぜいクラピカの意志で伸び縮みや自由自在な動きが可能なくらいである。

 

(今、使うべきか? だとしたら、何だ? どんな効果をこの鎖に付加すれば、この現状を打破できる!?)

 

 薬指の鎖を駆使して相手の動きを探りながら防御し、そして具現化された鎖と“陰”で見えなくした鎖をウボォーギンへと向け、何とか再びウボォーギンの隙を作り出して捕縛を試みながら、クラピカは必死に頭を働かせる。

 人差し指の鎖は警戒すべき対象のブラフとして良い働きをしているが、この鎖に特殊効果、少なくとも攻撃手段などないことがばれるのは時間の問題だ。

 

 緋の眼状態のクラピカなら、念の系統による習得率や相性をほとんど考えずに済むので大概の能力は作り上げることが出来るが、戦闘中という余裕のない状況で、しかも「殺さない」ことを条件にした能力など早々思いつかないし、思いついたとしても付け焼刃の能力が期待通りの効果を発揮する可能性はあまりにも低い。

 

「おらおらおらあああぁぁぁぁ!!

 どうした!! 俺を! 幻影旅団(クモ)を捕えるんじゃなかったのか!!」

 

 攻防を続けるにつれてクラピカから余裕が失われていくことに気付き、……それでも、暁の眼は決して生きることを諦めていないことを喜ぶように、ウボォーギンはさらに発破をかけるように叫び、またしても大振りの一撃を地面に叩き込み、土埃で姿を隠す。

 

 しかしクラピカはまだ“円”はほとんど習得できていないが、“凝”と薬指のダウジングチェーンを使えば、粉塵で巻き上げ“陰”で気配を隠してもどこにいるかはほぼ把握できた。

 そしてそのことを相手もとっくに気付いていた。

 

“絶”ほど完全に経ってはいない、わずかに漏れ出しているオーラと気配を捕え、クラピカはそちらに向かって中指の鎖を伸ばすが、酷く硬い音を響かせてそれは弾かれる。

 

「なっ!?」

 

 薄れゆく土埃の中から見えたのは、ウボォーギンが自分の倍ほどの岩を抱えてそのままその岩をを盾にしながら突進してくる所だった。

 岩を砕くほどのパワーを中指の鎖に込めることは可能だが、もうだいぶオーラを消費してしまっていることと殺さないと決めてしまった為、今の鎖にはそこまでのパワーは込めて込めていなかったことが仇となった。

 

「おらあぁっ!!」

 

 ウボォーギンはそのまま抱えていた岩をクラピカに向かって投げつけ、さすがにそれは鎖では防御不可能だったので転がり込むようにクラピカは避ける。

 避けて、そして激しく咳き込む。避ける際に折れたアバラや痛んだ内蔵に負担をかけて、また酷い錆の味がする嘔吐感がこみあげて気管を塞ぎ、その異物感を吐き出すために激しく咳き込んだ。

 

 こんなことしている暇などない。体を動かさなくては、逃げなくてはと頭は体に動けと命じるが、体は言うことをきかずただ咳き込んで、また血を吐きだした。

 

 あっけない。

 そんな風に少し残念に思いながらも、ウボォーギンはこの隙を、チャンスを逃さない。

 もう一度、今度こそ自分の右こぶしにオーラをすべて込め、クラピカに向かって振りかぶる。

 

 クラピカに出来たのは、自分に向かって来るウボォーギンをただ見るだけだった。

 暁の眼で、「死んでたまるか!!」と生きる意志を未だに燃やし続ける眼で睨み付け、吐き気を押さえつけ再び鎖を構えようと渾身の力を振り絞った時――

 

 

 

 

 

「炸裂しろ!!」

 

 

 

 

 

 自分たち以外誰もいないはずの荒野で響いた声。

 男にも女にも聞こえる、変声期直前の子供のような声音の直後、自分の背後の上空で何かが爆発する音がした。

 

 クラピカの背後ということはウボォーギンの視界の先でそれが起こったのだから、思わず彼はクラピカよりもそちらに目を向けてしまう。

 そして、見た。

 

 いつからそこにいたのか、昨晩、マフィアや陰獣との戦いを仲間が見下ろして観戦していた丘の上に、赤いフードを被った赤いコートを身に纏った人間が…………

 

 

 

「ふっ飛べぇぇぇっっ!! 戦乙女浪漫砲台(ヴァージンレイザー・パラディオン)!!」

 

 

 

 

 自ら起こした爆発の爆風を、自分自身を打ち出す砲台にして突っ込んできた。

 

「「!!??」」

 

 自分の師と悪ノリで作りあげた師弟コンビネーション技を、まさかの一人自力で再現し、人間砲弾と化してとんでもないとび蹴りをぶちかましてきた赤コートに、その蹴りをくらったウボォーギンどころかクラピカも何が起こったのかわからなかった。

 いや、正直に言うとわかったが理解したくないだけだ。

 

 その証拠に、彼の頭の中にはいくつもの文句ばかりが浮かんでくる。

 

 どうしてお前はそうめちゃくちゃなんだ?

 どうしてお前は天才的に空気が読めてないんだ?

 

 ……どうしてお前は、いつもいつもいつだって、一番会いたくない時に、一番弱っていて、情けなくて、かっこ悪くて見せたくない姿をしている時ばかり――――

 

 赤コートがぶっ飛んできてかました蹴りをガードするため、“硬”状態の拳でウボォーギンはガードしたが、“硬”だったせいで足にオーラは全く纏っていなかったから踏ん張りが利かず、そのまま彼は吹っ飛んだ。

 

 ウボォーギンを吹っ飛ばし、クラピカの前に降り立った赤コートはうっとうしそうにフードを跳ね除け、そして安っぽいカツラをゴーグルごと外して投げ捨てた。

 

 黒い人工毛髪から零れ落ちたのは、老人のように、アルビノのように白い髪と……その髪を一つに束ねる、金の刺繍が施された真紅のリボン。

 

 リボンとそれに束ねられた髪を揺らし、その人物は、赤コートは振り返る。

 

(……どうして、お前はいつもオレが一番助けて欲しい時に現れるんだ?)

 

 そんなクラピカの心の中の文句も知らず、彼女は笑う。

 

「や。クラピカ。お疲れ様」

 

 ボロボロのクラピカを見て、心配するよりも、「無理するな」と言った本人の方が無理していることに対して怒るよりも先に、彼女はまずは労った。

 

「頑張ったんだね」

 

 クラピカを一人で戦わせたこと、ここまで傷だらけにさせてしまうまで助けに来れなかったことを悔やみ、背負わなくていい罪悪感を背負っているのかなんてわからないほど、痛みや苦しみを全部全部覆い隠して彼女は笑う。

 晴れやかに。晴れ晴れしく、ソラは笑った。

 

 クラピカが一番見たくなくて、一番見続けていたい笑顔。

 

 どれほどの罪悪感を背負っていても、今だけはそれらを一瞬忘れて、クラピカが無事であることを、生きていることを喜んでいる笑顔に向かって、彼はいつものように素直じゃないが真っ正直な言葉を吐きだす。

 

「……何しに来たんだ、この大馬鹿者」

 

 

 

 

 

 初めて出逢った日のように、滂沱の涙を流しながら。






この回はシリアス一辺倒にするつもりだった。
するつもりだったんだけど……、何故かソラさんはいつも通り歪みなくやってくれました。

本当はG.I編のオリジナル回にでも、ちゃんと師弟のコンビネーション技でお披露目するつもりだったんですよ。ヴァージンレイザー・パラディオン。
何故かソラさん、一人で自力でやってくれました。どういうことなの?
ついでに言うと、現在の原作の王位継承編でもせっかく同じ船にビスケがいるんだから、チャンスがあればこの師弟でやらかそうと思ってます。

ちなみにヴァージンレイザー・パラディオンは型月には珍しく日本語表記がないっぽいので、「戦乙女浪漫砲台」は私がテキトーに型月っぽくHxHっぽくつけた。







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