死にたくない私の悪あがき   作:淵深 真夜

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72:アド・エデムの魔剣

 クラピカの「何しに来た?」という問いに、ソラは即答する。

 

「余計な世話焼きに来た」

 

 助けに来たと言うつもりは、毛頭なかった。

 昨夜の様子を見ていた限り、タイマンならクラピカが搦め手でまた拘束できるだろうと予測していたのと裏腹に、何故かガチンコの決闘になってクラピカがズタボロなので、心の底から「来て良かった」とは思っているが、それでもソラのしている事は「助け」ではなく余計なお世話。

 クラピカの選択肢を狭め、彼の権利に越権している行為だということはわかっている。

 

 それでも、ソラは言葉にはできない答えを得てしまったから、決めてしまったから、来た。

 彼に言わなければならないことがあった。

 彼の手を掴んで、進みたい道があった。

 

 だから、出逢った頃のように緋色の眼で泣きながら見上げるクラピカを、抵抗しても抱えてこの場からひとまず逃げ出してやろうかと思っていたが、珍しいことにソラよりもクラピカの方が先に行動に出る。

 

 ソラの腕を掴んで引き寄せ、さらに胸ぐらをつかんだと思ったらそのまま勢い良くのけぞって頭突きを打ちかましてきた。

 

「!? 何事!?」

「うるさい!」

 

 クラピカは信頼して甘えている相手には、割と理不尽な八つ当たりをしてくることをソラが一番よく知っているが、それでもあまりにも唐突な頭突きは正直、痛みより先に困惑を生み出した。

 なのでソラが額を押さえて叫ぶが、クラピカは逆ギレで怒鳴る。

 

「お前が全部悪い!!」

「何が!? 何で!?」

 

 クラピカに怒られる覚悟でやって来たが、いくら何でも出会い頭にここまで怒られる、というかすべての責任をおっ被せられるとは思わず、ソラは素で尋ねる。

 おそらく出会ってから初めて、クラピカがソラのペースを崩して自分のペースに持ち込んでいるのだが、ブチキレているクラピカはそんな自分の快挙に気付かないまま、怒りをただ吐き出した。

 

「お前は何でいつもいつも、頼んでもないのに勝手なことばかりやらかすんだ!?

 自分のことを生まれた時から美人なのは知ってるとか言いながら、どれほど人体収集家が血眼でお前を剥製にしたがるかを何でわかってないんだ!? わかっているんだとしたら、どうして来たんだ! そんないい加減な変装で、誤魔化しきれる訳ないだろうが!!

 挙句の果てに何故、狙われているのをわかってて単独で旅団(クモ)にケンカを売る!?」

 

 まずは、本当は昨日の電話で言いたかったことをぶちまける。このあたりは正論で、絶対に言われるのはわかっていたので、ソラも「今それを言う?」とは思っているが、それを突っ込んでも止まるとは思えなかったので、困惑しながら「え? えっと、ごめん?」と素直に謝っておいた。

 

 が、謝っても完全に頭に血が昇っているクラピカにはソラの謝罪は耳に届いてない。

 ソラの謝罪に被せるようにクラピカは、ただひたすら頭に浮かび上がる感情をそのまま、吐き出して叫ぶ。

 

「何が『お疲れ様』だ!? 何が『頑張った』だ!? 全部、お前の所為だ!

 オレは! お前と出会っていなければ殺せたんだ!! お前と出会ってなければ、お前に助けられてさえいなければ、オレは旅団を何の迷いも、躊躇いも、後悔もなく殺せたんだ!! ゴン達に出会っていたって、躊躇わずに済んだんだ!!

 オレは、自分の意思で復讐を選び取れたんだ!!」

 

 酷い八つ当たりの言葉。

 いや、それは八つ当たりなんかじゃない。事実だ。

 

 ソラと出会ってさえいなければ、クラピカはウボォーギンを捕らえて殺せた。

 律する小指の鎖(ジャッジメントチェーン)は無力化することもなく、死刑宣告でしかない問いを口にして、心臓を握り潰せたはずなのに、それが出来なかったのは全て目の前のこの女の所為。

 

 だから、クラピカはキレて叫びながら、泣きながらその手を掴む。

 

「お前は! 頼んでもいないのに! むしろオレは絶対にして欲しくなかったのに! お前がその手を汚すのなら、オレだって同じ所まで堕ちてしまいたいのに!!

 なのにお前が、オレなんかの幸せをバカみたいにお前の全てを掛けて願って望むから、オレは諦められないんだ!!」

 

 ソラの手を掴んで、自分の額に押し当てるようにして叫ぶ。

 どうして、相手を殺せなかったのか。

 自分の今まですべてが台無しになっても、何を諦めきれなかったかを泣きながら訴えた。

 

「殺せたんだ! オレは!! 幸せになることさえ諦めてしまえば!! それさえ諦めてしまった方が、何もかも楽だったんだ!! また全てを奪われて壊されて失って絶望するくらいなら、もう初めから何も持たない方がずっとずっとマシだったのに!! 大切なものなど何もなかった方が楽だったのに!!

 なのに……なのに…………お前が……お前がいるから!!」

「……うん。うん。わかった。わかったよ、クラピカ」

 

 諦めきれなかったもの、諦められなかったものを叫ぶクラピカの頭を、捕まれていない方の手でソラは撫でて言った。

 撫でながら、彼女は笑った。

 

「……そうだね。それは、全部私の所為だ」

 

 この上なく嬉しそうに、長年の自分の夢が叶ったかのように幸福そうに笑ってソラは、クラピカの言葉を認める。

 認めながら、クラピカを宥めるように、褒めるように撫でていた手が離れる。

 振り向きざまに、その手を振るう。

 

 ミッドナイトブルーがスカイブルーに変質し、自分達に投げつけられた岩にその繊手が、指先が沈み込み、岩は初めから砂の塊であったかのようにさらりと砕け散った。

 

 誰も、何も殺せない、幸せになることを諦められないと泣いて訴えるクラピカに、何もかもを殺してしまえる、神様だって殺す覚悟をとうの昔に決めてしまったソラが答える。

 

「なら、私が責任を取らなくっちゃね」

 

 同じものを決して諦めぬよう、クラピカに捕まれた手を彼女も確かに握り返して。

 

 * * *

 

 自分の投げつけた子供ぐらいの大きさの岩が、音もなく風化するように砕けたのを見ても、ウボォーギンの顔から笑みは消えない。

 むしろ喜色満面とはこのことかと納得するくらい、彼は眼を輝かせてのしのしと歩いてくる。

 

 そこにクラピカに負わされた傷に対しての苦痛や、楽しんでいた戦闘を邪魔された怒りもない。

 彼は歓喜のままに、言葉を口にした。

 

「……白い髪に男か女かわかんねぇ面、色の変わる眼に何でもぶち殺す“念”とは違う力!! ……っはは! マチはともかくシャルもいい勘してんじゃねぇか!!

 お前か! お前が、ソラ=シキオリか!!」

「……何でテンション上がってんですかねぇ? ヒソカと同じタイプで脳筋かよ」

 

 ウボォーギンの歓喜に対して、ソラの方は逆に嫌そうにテンションを下げて呟く。

 昨夜にセメタリービルでわずかにだが交戦して、マフィアと陰獣に対しての虐殺をも見ていたので初めからわかっていたが、死にたくないソラにとって相手にしたくないタイプ筆頭に本気でうんざりしていた。

 

 それでも、逃げる気はない。

 相手がこちらを逃がす気がないのをわかっているからでもあるが、それよりも相手に逃げられて旅団に戻す訳にはいかない。

 

 赤コートの正体がソラであることは、おそらくすぐにばれるだろうとソラは想定していたので別に何も気にしていないが、クラピカの様子からして彼の能力も大半が相手にばれていそうなので、旅団にその情報が渡れば最悪だ。

 そして何より、クラピカとソラの接点を知られてしまった。

 

 それだけは絶対に知られるわけにはいかなかった情報。互いにとって、己の死以上の最悪の未来を想起させる、「ブランカ」に至る可能性を見た。

 

 絶対にこの情報だけは、幻影旅団に渡さない。

 

 そう思うのはもちろん、ソラだけではなくクラピカも同じ。

 むしろ、ソラよりもクラピカの方がソラをここに来させてしまったことを後悔し、責任を感じており、彼はソラの手をさらに強く掴んで引いて訴える。

 

「! 余計なことをするっ……かはっ! ごふっ!」

 

 しかし腹にくらったウボォーギンの一撃が未だに重大なダメージを残し、また彼は血を吐き出しながら酷く咳き込む。

 その様子をソラは一瞬、酷く痛ましそうな顔で見ていた。彼女もクラピカと同じように、自分が来るのが遅かったせいだと後悔して、責任を感じているのが一目でわかる顔だった。

 

 あまりにも似た思考で、どちらも自分の罪を絶対に相手には渡さない。

 己が潰れそうになっても、まるで宝物のように抱え込むのは相手からしたら腹が立つくらいに痛々しいものでしかないことを、クラピカはソラの顔を見て思い知る。

 

 ソラだって思い知っているはず。

 なのに、それでも彼女はクラピカがまた泣きたくなるくらいに大人だった。

 

「やだよ。というか、どう考えても君一人でどうにかできる状況じゃないでしょ」

 

 彼女は自分の方が傷ついているような痛ましい顔を、一瞬で塗り替える。

 もう何も心配などない、この上なく安心できて何もかも投げ出して頼って甘えてしまいたくなるほど、彼女は朗らかに笑って言い放つ。

 

 その笑みの裏にどれほどの痛みや後悔を隠しているのかなんて、クラピカには想像できぬほど彼女は自然に、輝くように笑う。

 笑って、ソラは宝石をいくつか取り出してクラピカに渡す。

 

「だから、クラピカ。それ使ってまずはダメージを少しでも回復させて。怪我したところにしばらく押し当て続けるだけでいいから」

 

 宝石を渡し、そしていつものように安っぽいボールペンを取り出し、眼をギラギラと輝かせつつも、戦いに集中したいからこそなのか、こちらの会話に邪魔をせず律儀に待つウボォーギンへ向き合って、彼女も不敵に笑う。

 

 繋いだ手が、離れる。

 

「さっさと回復して、手伝ってよ。私一人じゃ君との約束を守れそうにないから」

 

 繋いだ手は離れてしまった。

 けれど、クラピカの手にはまだその体温が残っている。

 

 4年前のようにただ守られるだけではなく、逃げることを望まれるのではなく、隣り立つことを望んでくれた。

 交わした約束は、まだそこに残っていたから。

 

「……許さないからな」

 

 だからクラピカも、まだ少し咳き込みながらも答える。

 

「……約束を破ることも、守って死ぬことだってオレは許さないからな」

 

 もう一つ、言うまでもないが言っておかないとやりかねない女であることを思い出して、クラピカはもう一つの「絶対に許さない」ことを伝えると、ソラは少しだけ振り返って返答する。

 

「わかってるよ」

 

 振り返った笑顔は、やはりその裏側に何を隠しているのかなどクラピカには知り得ない程、澄んだ笑顔だった。

 

「話は終わったか?」

 

 その笑みの裏に隠されたものが何であるか、クラピカに考える暇を与えずウボォーギンは問う。

 苛立っている様子は見えない。逆に、楽しみで楽しみで仕方がないと言わんばかりに喜色に溢れた声だ。

 

 多少は自分のオーラで回復しただろうが、それでも昨夜の陰獣との戦いの傷が残っている時点で彼は、自身の強化系のオーラを戦闘方面に全て割り振っており、治癒系の能力は得意分野な系統でありながら不得手なのは確実。

 

 だというのに、ウボォーギンからは余裕の色が消えない。

 クラピカが散々、心が擦り切れそうなほど耐えて痛めつけたというのに、拘束が外れた時に受けたダメージなしでも、万全の状態であってもやはりクラピカでは真正面からのガチンコで勝てるとは思えぬほど力強いオーラを放ち、彼は凶悪だがこの上なく純粋に楽しそうに笑う。

 

 その笑みに対して「死」の気配を感じ取り、悪寒がクラピカの背筋を舐め上げる。

 

 ウボォーギンが浮かべる笑みには、ヒソカのように粘着質なものはない。良く言えばカラッとして実に爽やかなものだ。

 だからこそ、ヒソカと同じくらい狂っていることが際立つ笑み。

 

「歓喜」という正の感情による殺気を真正面から受け止めながら、ソラはやはり不敵に笑いながら答えた。

 

「終わってねーよ。むしろ、話したいことも話さなきゃいけないことも、山のようにあるんだよ。

 ……だから、お前の方をさっさと終わらしてやる。かかってこい脳筋ゴリラ」

 

 ワンコインショップのボールペンをクルクルと回してから、騎士の剣のようにソラは突き付けて宣言する。

 その宣言に、こちらの鼓膜をぶち破りそうな勢いでウボォーギンは笑う。嘲笑うのではなく、やはりどこまでも純粋に楽しそうに、彼は笑った。

 

「ははははっ! いいなお前! いい女だ!!

 団長が何であそこまでお前を気に入ってるのかは俺にはよくわからねーけど、俺はお前のこと気に入ったぜ! メンバーに空きがあったら勧誘してたくらいだ!! 団長は『ねぇよ』って即答してたけど、俺は結構マジで惚れそうだ!!」

「おい、何気にムカつく情報ばらすな」

 

 一人爆笑しながら、サラッとソラの言う通り執着している側が言うべきではない団長の発言をばらして突っ込まれるが、それでもウボォーギンは上機嫌で笑い続ける。

 彼の言ってることが全て本音であることは、ダウジングチェーンを使わなくてもクラピカには不愉快なくらいに理解できた。

 

 認めたくないがこのウボォーギンという男は、自分の大事な仲間であるゴンという少年に似ている。彼と同じくこの男は、嘘をつけるようなタイプではない。

 だからこそこの男は、ヒソカと同じくらい狂っていることが良くわかった。

 

 涙が目に浮かぶほど笑ってから、笑いながら奴は言いだしたから。

 

「ははっ! じゃあとっとと終わらせてやろうじゃねーか。あの世でたっぷり好きなだけ、話をさせてやるよ!!」

 

 この男がソラのことを本気で気に入ったこと、「惚れそうだ」というのも事実だと見るだけでよくわかるほど楽しげに笑っておきながら、何の躊躇もなく、むしろ気に入ったからこそと言わんばかりに奴はオーラをさらに膨れ上がらせて向かってきた。

 

 クラピカは、腹にソラから渡された治癒系の魔術が充填された宝石を押し当てるだけではなく、「絶対時間(エンペラータイム)」を発動させて「癒す親指の鎖(ホーリーチェーン)」も併用して回復を促し、早めた。

 ソラと生きるために、自分の生きる時間を削るこの能力を使う気はほとんどなくなっていたが、皆無になったわけではない。

 

 今、この場で傷が深くて動けなかった所為でソラを喪うぐらいなら、ソラのいない世界で生き長らえるくらいなら、自分の未来を削ることをクラピカは選ぶ。

 幸いながらソラの宝石を併用してなので、完全回復ではなく動くのに支障がない程度までの回復ならばそう時間はかからず、代償に支払う寿命(じかん)も長くて数日程度で済むとクラピカは考え、実行に移す。

 

 そしてソラも、動き出す。

 

「それは最低でも90年後ぐらいの予定だ!!」

 

 ウボォーギンの挑発じみた発言に言い返し、ソラはいつものようにオーラを込めてもいない何の変哲もないボールペンを振るうのではなく、相手と同じくオーラを込めた拳で真正面からそのパンチを受け止めた。

 強化系同士の拳のぶつかり合いは、風圧だけでも凄まじい衝撃波となってソラのすぐ後ろにいたクラピカは勢い余って吹っ飛ばされた。

 

「!? ああ! クラピカごめん!!」

「おお! わりぃな!!」

 

 何故かソラだけではなくウボォーギンからも謝られたクラピカは、吹っ飛ばされて倒れたままちょっと冷静さが戻った頭で思う。

 

(……私が回復したところで、私に手伝える余地があるのだろうか?)

 

 強化系同士のガチンコ戦闘の非常識さをさっそく身を以て体験したクラピカの疑問は、割と切実だった。

 

 * * *

 

 良くも悪くも単純なウボォーギンは、もうすでにクラピカに対しての怒りや屈辱どころか、興味もほぼ失っていた。

 

 もちろん、彼を逃がす気も生かす気もない。自分が生きて逃げ帰り、旅団に彼の能力に関しての情報を共有してしまえば、その能力自体の脅威はほとんどなくなるだろうが、「相手に自分の情報を知られてしまった」ことを向こうも知っていれば、この小賢しい相手なら対策などいくらでも立ててくるであろうことくらいわかっている。

 

 だから鎖野郎ことクラピカはこの場で確実に殺すつもりだが、それはこの「赤コート」にして団長から話を聞いていた時から興味を懐いていた能力者、ソラ=シキオリと思う存分戦ってからと決めて、ウボォーギンは凶悪に、凄絶に、そして何よりも純粋に楽しそうに笑いながら拳を振るう。

 

 自分とソラが戦っている間に、クラピカの方が逃げるとは考えなかった。

 我が身可愛さでそんなことが出来る相手でも、見捨てることが出来るほど浅い関係でもないことは、先ほどまでのやり取りで十分理解できたし、この二人にも自分をこのまま逃がすわけにはいかない理由があることも理解していた。

 

 クラピカの方は負傷しているとはいえ、2対1というだけでも厄介だというのに、ウボォーギンは多少回復した程度でクラピカと同じくらい負傷しているしオーラも消費している。

 対して乱入してきたソラは当然のことながら無傷で、オーラも有り余っている。挙句の果てに団長が他のメンバーの反対に聞く耳を持たぬほどに執着する「直死の魔眼」という、“念”とは違う訳のわからない異能を宿す眼に、昨日のセメタリービルでのやり取りで体験した、やはり“念”の常識にとらわれていない能力の数々。

 

 向こうからしたらウボォーギンに逃げられると、自分たちの情報が洗いざらい旅団に知られてしまうのだから、せっかくもう一度有利になったこの状況を逃すわけなどない。

 そして同時に、ウボォーギンもこの最高に戦い甲斐のある相手に背を向けて逃げ出す気など有りはしなかった。

 

 不利になればなるほどテンションが上がって燃えてくる性質のウボォーギンからしたら、この状況は美味しいものでしかない。

 だから彼は、滾るテンションのままにソラへと向かって突っ込んでゆき、まだ完全に骨が繋がっていないはずの両腕で連打して殴りつける。

 

 彼女の「眼」のことを考えたら、接近戦など怖くて出来やしないのが大半だが、ウボォーギンの考えは逆だった。

 遠距離の攻撃手段は、そこらの石を投げつけるくらいしかないからこそ、ウボォーギンは接近戦で向こうが攻撃する隙をなくすことを選ぶ。

 

 団長たちの話を聞いた限り、神話や童話の化け物のようにさすがに目が合っただけ、見られただけで殺されるほど非常識な「眼」ではなく、向こうが刺すなり切るなりの行動に出なければ意味がないのなら、その行動に移せぬよう防御されてもただひたすらに拳を雨にように浴びせる。

 

「っっっっの、脳筋ゴリラ!! 意外に理にかなった行動取ってんじゃねーっっ!!」

 

 ウボォーギンの思い切りの良い選択は正しかったらしく、ソラは腕にオーラを回して持ち前の予知能力じみた狂った詰将棋で導き出した通り回避と防御を続けるが、それだけで精一杯となって攻撃には移れない。

 

「ははっ! そんなに褒めんなよっと!」

「どこを褒められたと思ったんだ!? 脳筋!? それともゴリラの方!?」

 

 ソラの騒がしいが実は全く余裕のない叫びに、ウボォーギンの方も連打が途切れたら、連打の隙を突かれたら一瞬で勝敗が決することを理解しながら、こちらは実に楽しそうに笑って、やはりソラを叩きつぶさんばかりに殴り続ける。

 

 そんな呵呵大笑する相手に、やはりどこか気の抜ける突っ込みを入れつつもソラは思考をさらに加速させる。

 同じ強化系であり、焼き切れても加速し続けて動き続ける、死を退ける為の死の夢想のおかげで何とかソラは防戦一辺倒とはいえやり合えているが、ソラには本当に余裕がない。

 相手が怪我している、オーラをだいぶ消費しているなんて気休めにしかなっていない。むしろそのおかげで今自分は、なんとか生きていることくらいわかっている。

 

 それぐらいこの男は、あまりにも真っ直ぐに強い。周到に罠を張り巡らした上で、意外と頭も回るのでこちらのペースに持って行って冷静さを奪わない限り勝ち目などない相手であることを痛感しながら、思考は一つの答えを弾き出す。

 

 ソラは両目にオーラを送り込む。

 ソラの眼に送り込まれたオーラに比例して、その眼の明度が上がってゆく。

 

 その眼がゾクリと、ウボォーギンの背筋に寒気を走らせる。

 何年振りだろうか。戦闘中にここまで「死」の気配を感じさせられたことは。

 

 自分の魂そのものを引きずり出すようなその眼は、確かに引きずり出されても、もっと近くで見てみたいと思えるほどに美しい。

 盗賊であるが芸術品など「美しさ」が第一の価値である品に興味がないウボォーギンでも、確かにこの眼だけは文句なしに、心の底から美しいと思えた。

 

 しかし、やはり彼がこの眼を美しいと思えたのは、この眼に惹かれたのは、緋の眼のように何の変哲もない色からあまりに鮮烈な美色に変幻することではない。

 その眼の色そのものなど、ウボォーギンにとってはどうでもいい。

 重要なのは、その眼に宿る感情。

 

 自分がブッ飛ばした後、何があって何を吹っ切れたのかはわからないが、それでも死を覚悟して挑むのではなく生きるために戦おうとした暁の眼と同じ、死を見て、死を引きずり出しながらも、ただひたすらに生きる蒼天の眼がウボォーギンの心をわし掴んだ。

 

 間違いなく、団長がこの眼に執着している理由と自分の気に入った理由は違うと思いながらも、あそこまでこの女を、この眼をクロロが求めたことに納得して、実は結構あの執着ぶりに引いていたことを心の中でちょっとだけ謝りながらウボォーギンはソラの顔面めがけて、遠慮なく拳を叩き落とす。

 

 この生きるために足掻く蒼天の眼を潰してしまいたい訳でも、逃れられない死による絶望で濁らせたい訳でもない。

 もちろん、ホルマリン漬けにして保存など論外。この眼は、生きているからこその輝きと美しさだ。そんなことをしてしまえば、それこそこの眼に対する最大の冒涜であることくらいウボォーギンでもわかる。

 

 だけど、この眼が一番輝くのは死と隣り合わせている時であることも、一目で知れる。

 安全が保障されてしまえば、死が遠ざかれば、濁りこそしなくてもその輝きは格段に鈍ってしまうことを理解しているからこそ、ウボォーギンは一秒でもその輝きを長引かせるため、さらなる輝きを求めて殺しにかかるという矛盾を、何の疑問もなく、そして実際に殺してしまっても何の後悔もなく実行する。

 

 そしてソラも、行動に移す。

 ウボォーギンの「その眼を長く見たいからこそ、殺しにかかる」という矛盾した願望に、応えるつもりは毛頭ない。

 

 彼女はただ、己の願望に忠実に動いただけ。

 死にたくない。そして、守り抜きたい。

 

 相反する二つの狂気はまた今日も、軋んだ音を立てて人として大きな何かを壊して失って犠牲にしながらも、奇妙なバランスを保つ。

 

 ソラはスカイブルーの目を限界まで見開いたまま、上半身を限界までのけぞらしてウボォーギンの拳を避ける。

 そのまま彼女はバランスを崩して背中から倒れるが、倒れた直後に転がって距離を取って、転がった反動でくるりと起き上ったかと思えば即座に足にオーラを回して、ウボォーギンに向かってロケットのごとく突っ込んできた。

何の変哲もないボールペンを、剣のように突き出して。

 

 そのボールペンの切っ先を、ウボォーギンはオーラを纏った拳でやはり真正面から受け止めようとする。

 この女にしか見えない、「死」そのもの「点」や「線」を貫かれたら致命傷であることはわかっていたし、それは“堅”はもちろん“硬”でも防げるようなものではないことも、クロロとシャルナークにさんざん聞かされて知っている。

 それでも逃げて距離を置いた方が、この女のペースに持ち込まれた方が不利だと判断した。

 

 見えていないからこそのハッタリであることに賭けたウボォーギンの拳が、ボールペンを握ったソラの拳とぶつかり合う……前に、ソラの腕が急に後ろに引かれた。

 

「うえっ!?」

 

 相手の方も予想外だったのか、変な声を上げてそのままソラは宙に浮かんで後方にエスケープ。

 ……というか、言葉通りに強制的に釣り上げられて回収されて、ウボォーギンの拳は空ぶって地面を叩きつける。

 

「ちっ! もう回復しやがったか!!」

 

 言葉こそは悔しげに言いながらも、睨み付ける眼はやはりギラギラと歓喜で輝いている。

 その眼にクラピカは実に不快そうに鼻を鳴らして睨み返し、薬指の鎖で釣り上げて引き寄せたソラの頭に一発、拳骨を叩き落としておいた。

 

「痛い! 何で急に私の方に攻撃!?」

「うるさいこの奇跡の大馬鹿者! お前は本当に人の話を聞いてないな! 守る気がないのなら約束などするな!!

 お前、さっきのはわざと『線』も『点』もないのに突っ込んで行っただろ! 最終試験での『あれ』を出すつもりで!!」

 

 クラピカの急な援護というか回収と攻撃にソラが抗議するが、即座に言い返されてソラは気まずそうに眼を逸らした。

 どうもソラの悪い癖、「殺さなきゃ守れない」モードが試験中のヒソカ相手時ほどではないが発動して、接近戦より遠距離戦の方がいいと判断したから、死にたくないくせに怪我を恐れずほとんど自傷同然に怪我することで、「虚構細工(キシュア・ゼルレッチ・)宝石剣(シュバインオーグ・レプリカ)」の発動条件を満たそうとしていたことは、クラピカにはお見通しだったようだ。

 

「……あ、あはははは~。落ち着きなよクラピカ。そんなに怒鳴ったらまた血を吐き出すよ」

「誰の所為だ!!」

 

 誤魔化しようがないほどに見透かされていたが、ソラはそれでも笑って誤魔化して話をすり替えようと試みるが、もちろん上手くいくわけがない。

 しかしクラピカがキレたからと言って、この女は下手に出ることがあっても、もう自分の中で決まっていることがあるのなら引くわけがない。

 だからソラは、場違いなほど明るく弾んだ声音で言い出した。

 

「ごめんねクラピカ。約束破ろうとして。そんでごめん。約束は守れないかも。ちょっと、無理させて」

「おい、お前ら! いちゃつくのは俺かお前らが死んだ後にしろ! さすがに気まずいわ!!」

 

 ソラのやたらといい笑顔で言い放ったわがままに対し、文句をつける前にウボォーギンの方が文句をつけてきた。

 文句と同時に、相手はまたしても地面を殴りつけて砕いた地面の岩を散弾銃のようにこちらに飛ばしてくるので、クラピカは導く薬指の鎖(ダウジングチェーン)で礫を受け止め、ソラは持ち前の反射で避けるなり叩き落とすなりして逃れるが、相手は距離を置かれてしまってもこちらのペースに持って行かれないためにか、「石を投げつける」というひたすらにシンプルだが、場所柄、弾切れの期待が出来なくて厄介な手段に出た。

 

 さすがに石を拾い上げる、もしくは地面やらその辺の大岩などを殴りつけて礫を飛ばすという手段なので、礫の一つ一つにオーラがコーティングされている訳もなく、避けることや防御することは接近での拳の雨あられよりはずっと楽。

 

 次に礫が飛んでくるまでに若干のタイムラグもあるので、距離も詰める隙も存在する。

 ソラとクラピカが二手に分かれて避けて、逃げてしまえば、ウボォーギンに遠距離の二人を同時に攻撃する手段のない。

 どちらか接近に気付いていても、許さざるを得ないだろう。

 

 しかし、接近できたからといって、その先をどうにかしないとそれは死にに向かうだけのこと。

 クラピカが接近しても、意味はほとんどない。中指の鎖で捕縛しない限り、この強化系を極めたバトルジャンキーにまだ“念”を覚えて日が浅い、重すぎる誓約と制約で借金して能力を底上げしているクラピカに勝ち目などありはしない。

 

 ソラ相手なら、そもそも距離をいったん取られたのなら逆に距離を詰められるのをもう許しはしないだろう。

 いや、そもそも距離を詰めたところで、この遠距離から奴に対しての攻撃手段があったとしても、それに何の意味がある? とクラピカは頭の中で自分に問う。

 

 この男を殺す手段なら、思い浮かぶ。一番楽であり確実なのは、自分が防御や援護に徹してソラに任せてしまえばいい。

 あの時、ソラを回収しないで放っておけば決着は早々についたかもしれないとわかっていながらも、その選択は考えるまでもなく捨て去る。

 

 クラピカが選んだ選択肢は、どれほど傷ついても後悔しても手離さないと決めた選択肢は、「殺さない」だ。

 そしてそれは、自分自身だけのものではない。

 

 ソラにも、殺させはしない。

 もう二度と、彼女の手を誰の血にも汚させはしない。これ以上、彼女に罪を背負わせはしない。とっくの昔にどこにも行けなくなって、最期は逃げだしたはずの深淵に溶けるしかないというのに、これ以上さらにどこにも行けなくなるような真似はさせないと誓ったから。

 

 だからこそ、クラピカは石礫の散弾を鎖で受け止め、弾き、避けながら考える。

 思考を停止させず、詰将棋のようにいくつもの未来を想定して、その想定した未来で何度死んでも、何度最悪の結末を目の当たりにしても、歯を食いしばってさらに考えて考えて考えて、脳髄が焼き切れそうなほどにいくつもの可能性を演算する。

 

 しかし、いくら人よりも優れた思考能力の持ち主でも、とっくの昔に焼き切れて、壊れ果てて、もはや「そういうもの」として作り変えた演算機構の処理スピードに敵う訳などなかった。

 

「……クラピカ。本当にごめん。でも、この一回限りでいい。無理をさせて」

 

 自分と同じように、礫を叩き落としながら逃げ惑うソラが言う。

 交わした約束を破らせてほしいと、彼女は初めて言った。

 

「……っざけるな!」

 

 礫をはじく合間に、現状を打破する方法が何も浮かばない苛立ちもぶつけてクラピカはソラの要望を却下した。

 それでも、わかっていたがソラは引かない。

 

「……ごめん。でも、他に浮かばないんだ。

 確証なんかない。可能性は低くて自信なんかまったくない。それでも、あいつを『殺さない』でこの戦いを終わらせる方法は、私が無理するしかないんだ」

「!」

 

 一瞬だけクラピカの眼が、憎悪の炎ではなく生きるための意志の炎である暁の眼が、ソラを横目で捉える。

 ソラは少しだけ困ったように、笑っていた。

 

「あいつを殺していいんなら、無理なんてしなくて済むよ。でも、嫌なんだ。私は、殺さずにこんな戦いを終わらせたい。

 でも、その為に実行できそうな方法は、私が結構無理する方法しか浮かばないんだ。しかも、それだけしても成功するかどうか、微妙な所だしね」

 

 何とも頼りのない言葉。

 期待などできないセリフを、自分でもわかっているからかソラは苦笑しながら語った。

 

「……でも、私はこの可能性に賭けてみたいんだ」

 

 苦笑しながら、迷いなど見当たらない強い光を灯す目で訴える。

 

 その眼からクラピカは自分の眼を逸らし、また礫を鎖で受け止めながら答えた。

 

「…………許す気など、ない」

 

 自分が告げた絶対に許さない条件に妥協はないと告げる。

 

「……それでも良いのなら、勝手にしろ。オレだって、勝手にするからな」

 

 許さないことを前提に、それでもクラピカは止めることなど出来なかった。

 ソラが、とっくの昔に何もかも、クラピカの幸福への障害になるのなら神様すらも殺すと決めてしまった彼女が「殺したくない」と言ったのなら、ソラが無理することを許せないというのは変わりなくとも、天秤は傾いた。

 

 ソラが無理してでも、誰も殺さないという選択を選んでくれたのならば、それを叶えて欲しいと思ってしまったから。

 だから、自分が彼女に無理をさせないという選択を選びたくてもあまりに力が足りない自分に歯噛みしながらも、それでも選び取って答えた言葉に、自分の背後でソラは小さく笑った。

 

「そっか。じゃあ、私の無理が少しでも少なくなるように、勝手に手伝ってくれる?」

 

 その身勝手な要望に、クラピカは振り返りもせず答えた。

 

「――卑怯者」

 

 その一言で全て相手が理解することをわかっているから、本音を口にしない自分も十分、甘ったれの卑怯者だと理解しながら。

 

 * * *

 

 しばし二人が何やら会話を交わしていたことに、当然ウボォーギンは気づいていた。

 ソラとクラピカが寄り添うようにして自分が撃ち出す石の散弾を叩き落として、弾いて、避けていたのが急に、左右に二手に分かれたのはどう見ても作戦会議が終了したからだ。

 

 そのことに気付いていても、ウボォーギンの顔から笑みは消えない。

 

 元より、多勢に挑んで無双することを好むウボォーギンは、相手の小細工を「うっとうしい」と思って苛立つことこそあれど、それを卑怯だとは思わない。

 そういう小細工を真正面からぶち壊すのが性に合っており、それも楽しみ一つにしているので、ウボォーギンは当初のクラピカとの戦闘も、彼の小細工よりもそれに手も足も出ず無様に捕まった自分自身に苛立っていた節が強く、今は綺麗サッパリそのことに関しては何も気にしていない。

 

 なので、ウボォーギンは獣のように歯をむき出しにして笑いながら、攻撃対象をソラに絞る。

 もちろん、クラピカにも注意を払う。彼の中指の鎖に捕らわれてしまえば一貫の終わりであることを、もう嫌になるほど実感したから相手を舐める気はない。

 

 しかし逆に言えば、クラピカは既に中指の鎖以外はそこまで驚異ではないと、ウボォーギンは戦闘狂らしい観察力で既にクラピカの実力を見極めていた。

 

 あの反則的な「絶対時間(エンペラータイム)」という能力を使われたら話は別だが、反則的な性能なだけあっておそらくは制約のリスクも高いのか、どういう訳か吹っ切れてからは使っている様子はなく、防御力も自分並ではなくなっていることに気付けば、注意すべきなのは中指の鎖と未だ能力が明かされていない人差し指の鎖のみと判断し、ウボォーギンはソラだけに投擲を続け、クラピカの接近を許す。

 

 接近したところで、今度こそ「超破壊拳(ビックバンインパクト)」をぶちかますつもりだったのだが、相手も自分が接近したところでそれは自殺志願であることを理解しているのか、向こうは一定の距離を開けて近づかず、鎖で攻撃を仕掛けてくる。

 

 そして、ウボォーギンがその鎖を避け、撃退している隙にソラが距離を詰める。

 蒼天の眼を見開き、さらに明度を上げながら彼女は一歩、二歩と駆け抜ける。

 

 ウボォーギンの何かを、見透かすようにその眼はどんどん輝きを増してゆく。

 そして、輝きが増すごとに目と頭に溜まる熱も上がってゆく。

 オーバーヒートを起こしていると脳髄も眼球も訴えるが、壊れた心はその訴えを無視してさらに精度を上げる。

 

 灼けつくような熱の中、ソラは言葉を紡いだ。

 

「――水底に灯を(消える)大地に翼を(墜ちる)断頭台に正義を(無くす)

 

(あの光の斬撃を飛ばす武器が、フェイタンと同じような条件で具現化するんなら、そりゃ鎖野郎の方に遠距離からの攻撃を任せて、こいつは距離を確実に詰めることに集中した方が良いに決まってんな)

 

 ソラとクラピカの行動で、二人がどのような作戦を立てて実行しているのかを察して、ウボォーギンは笑う。

 やはり彼はどこまでも、純粋に楽しそうに笑い続ける。

 

(なら! こっちを先にぶっ殺す!!)

 

 決めてしまえば、ソラやクラピカよりもはるかに思いきりのいい行動に移す。

 ソラに投擲していたのをあっさりやめて、ウボォーギンはクラピカに向かって距離を詰める。

 

 クラピカは舌を打って、鎖を振るいながらバックステップで距離を取るが、ウボォーギンはその辺の大岩を発泡スチロール製なのかと思う程軽々しく掴みあげて鎖の盾にして、そのまま距離を詰める。

 

 そして同じく、その背にソラが距離を詰める。

 眼の明度はとっくの昔に、最高精度であるセレストブルーに達している。

 それでも、まだその眼にオーラを込め、さらにソラは何かを探して、見透かそうとしている。

 

 ブチブチと音が聞こえそうなほど、眼球やその周囲の血管が千切れてゆく。

 だけどその痛覚も、心は無視してさらに精度を上げる為、深く沈んでゆく。

 

 この眼を得た深淵にまで感覚を沈ませながら、ソラは同時に逃げるように言葉を絞り出す。

 

 

 

光は影の国へ(何もない)万象は海の底に(何もない)そして天空は檻の中(何もない)

 

 

 

 絞り出すように紡ぎながら、放り投げる。

 香水のミニボトルのように、小さな小さな小瓶。

 コールタールのように粘着質な真っ黒い液体が詰まった小瓶を、ウボォーギンに向かって投げつけた。

 

「っっっはっ!!!!」

「「!!??」」

 

 しかし、その小瓶はソラの起爆の言葉の前に叩き割られた。

 ウボォーギンの体毛を操る陰獣を始末した、音の弾丸によって。

 

 ソラが小瓶を投げつけた瞬間、クラピカは眉根を寄せてかなり大きく後ろに飛びのいた。

 ただそれだけの反応でソラが自分の後ろで何かしたことを察し、その何かは昨夜のセメタリービルでフェイタンが語った、「オーラを吸収して無効化する液体」ではないかと考えついたウボォーギンの頭脳は、脳筋というには失礼なほど戦いに関しては最高の働きをする。逆に言えば、戦いじゃないとここまで働かないので、結局のところ脳筋であることに変わりはないのだが。

 

 そして、投げつけられた物が自分の予測通りならば、自分に降りかかる前に、起爆する前に割って中身をこぼしてしまえばいいと考え、ウボォーギンはとっさに物質には防御不可能な方法で叩き割った。

 

 ソラとクラピカはその音の弾丸が鼓膜をぶち破る前に、昨夜の仲間と同じように手で耳を押さえて威力を和らげるが、彼の目論み通り小瓶は音の衝撃に耐え切れず音を立てて割れる。

 コールタールのような液体は、ボドリと何もない地面に零れ落ちた。

 

 それを振り返って確認したウボォーギンが口角を吊り上げるが、すぐさま彼は自分の判断の失敗を悟って眼を見開いた。

 

 ……振り返った先にいたソラは、白目部分を真っ赤に充血させて、今にも血の涙を溢れさせそうな眼をしながら、耳を押さえて……笑っていた。

 目論み通り上手くいったと思って笑ったつい先ほどの自分と、同じ笑みを彼女も浮かべていた。

 

 ひゅんと、頭上で風を切るような音がしてとっさにウボォーギンが見上げる。

 自分の頭上にあったものは、流星のごとく引き寄せられた鎖と、星のごとく煌めく色とりどりの宝石……。

 

 二手に分かれる前に渡されていたのか、それともウボォーギンがソラよりクラピカを先に始末しようと背を向けた時に、ソラが横手にでも放り投げていたものを鎖にひっかけて引き寄せたのか。

 どちらにしろ、小瓶の方は読まれることを前提にしたブラフ。

 本命がこちらの、装飾品だとしたら成金趣味で悪趣味なほどいくつもの大粒の宝石が連なったネックレスだ。

 

 それを確信させるように、振り返った先でそのネックレスを薬指の鎖にひっかけて、引き寄せてたクラピカも向き合う女と同じ笑みを浮かべていた。

 

(やられた!)

 

 この宝石に何の意味があるのか、ウボォーギンに理解できていたわけではないが、それでも自分が、蜘蛛の足の一本である自分が、この二人がしかけた蜘蛛の巣(ワナ)の上におびき寄せられていたことには気付けた。

 しかし、もう遅い。

 

 

 

 

 

秩序は混沌に溶け墜ちる(そこに、意味はない)!!」

 

 

 

 

 

 ソラが最後の呪文の一小節を唱え終わると同時に、ウボォーギンの頭上の宝石が一斉に砕けた。

 いや、砕けたというよりそれは一斉に溶け合わさり、宝石だった面影はどこにも残さず、あの小瓶の中身のように粘着質な汚泥に成り果てて、ウボォーギンの全身に降り注ぐ。

 

「ぶはっ! なんだこりゃ!! お前マジで系統何なんだよ!?」

 

 明らかに体内に入れたくない液体だったので、とっさに口を塞いで飲み込むことだけは防いだのだが、あの小瓶の中身よりも大量の液体を被ってしまい、ウボォーギンはとっさに横手に逃げた。

 

「……念、能力者としては、強化系だよ! 一応、それも変化系の応用だ!!」

 

 眼球と脳髄が訴える灼熱と激痛に耐えながらも、ソラは笑って軽口に応じながらまた一歩、距離を詰める。

 

 ソラの言う通り、「オーラを無効化する」という特質系能力に見えるがこれは、念能力で言えば変化系の応用。

 ソラの姉が得意とした魔術を、応用して再現したもの。

 

 ソラの姉の念の系統は当然、ソラは知りようがない。しかしおそらくは変化系だったのだろうと思っている。

 何故なら姉はソラとは逆ベクトルだが同レベルなほど珍しい魔術属性、「五大元素(アベレージ・ワン)」の持ち主だったからだ。

 

 土・水・火・風・空、五つの属性を全て高い水準で持ち合わせた「五大元素(アベレージ・ワン)」は、全ての属性を持ち合わせているからこそ、どの属性魔術に手を付けて伸ばせばいいかわからないという贅沢な悩みを抱え込むものだが、姉は全ての属性を使用することを選んだ正当にして異端の魔術師だった。

 

 彼女は、五大元素全てを同時使用して混ぜ合わせることで「混沌」を作り出し、そこから「根源の渦」に至ることを計画し、研究していた。

 そのことをあの天空闘技場の死者の念を見て思い出し、そして思いついて作り上げた、姉の魔術の模造品がこれ。

 

 様々な属性の宝石に魔力を充填し、同時起爆させて溶け合わすことで、万象を有するがゆえにお互いがお互いを反発し合って何の現象も起こさない、それどころか何の結果も生み出さず消えるだけだというのに、貪欲に周囲のエネルギーをも食らう、不活性の混沌(カオス)

 

 ソラの魔術属性は五大元素どころか、珍しすぎて研究者が皆無に等しくてどう修行したらいいかわからないと、時計塔のカリスマ教師にさえも本気で嘆かれたレベルでレア中のレア、架空元素「無」だったのでもちろん上手くいく訳もなく、宝石その物の属性に頼って何とか創り上げたもの。

 だからコストがかなりかかる割に、効果時間も短い使い捨ての礼装に過ぎない。

 

 使い捨てに過ぎない。

 これはタネがわかってしまえば誰も引っかからない、つまらない手品でしかないもの。

 しかし、手品であってもタネがわからなければ、それは魔法に等しい。

 使い捨てで構わない。このたったの一度だけの奇跡で十分だった。

 

 ウボォーギンにとって幸いながら、この混沌の泥はクラピカのチェーンジェイルと似て非なる効果、フェイタンの言っていた通り強制“絶”ではなくオーラを発する端から吸収することで蒸発してゆくものなので、体そのものには支障はない。

 もったいないがオーラを出して蒸発しきってしまえばいいので、ウボォーギンは丹田に力を入れて“練”を行うが、被った量が多い。

 

 多いと言ってもせいぜいコップ一杯分程度なのだが、それでも十数秒間はオーラを出す端から食われていくのは、この状況だと致命的だった。

 

 オーラを放出する端から泥に食われていくので、素の身体能力でしか体は動かない。足にオーラを溜めて大きく距離を取ることが出来ない。

 ソラが肉薄して迫る中、やっとひっ被った泥をすべて蒸発し尽くしたウボォーギンが拳にオーラを込めるが、その腕がグイっと背後に引かれた。

 

「!?」

 

 いつの間にか、自分の右腕には鎖が巻き付いている。

 あの忌々しい、影旅団(自分たち)を殺す為だけに生み出された凶悪無比な効果を宿す鎖が。

 

 いつのまに? と考えるのも馬鹿らしい。間違いなく、ここまでが作戦だ。

 ウボォーギンが混沌の泥を被った時には、もうすでにクラピカは再びウボォーギンに鎖を放っていた。

 もちろん、鎖を放ってもウボォーギンの被った泥の所為でその鎖もオーラを食われて無効化されていただろうが、そんなことお構いなしに彼も鎖にオーラを注ぎ込んでいた。

 

 自分が被った泥を蒸発しきることに精一杯だったウボォーギンが、泥を蒸発しきった瞬間、彼のオーラと同じく食われて無効化されていた鎖を一気に伸ばして、絡み付かせ、その身を再び捕らえられるように。

 

 自分の手首に巻き付き、絡まった鎖は急激に成長する蔦のように伸びて、ウボォーギンの太い腕を覆いつくす。

 ……しかし、その鎖は捕らえられたのはその右腕だけ。

 

「っっっ舐めんなああぁぁぁっっっ!!」

 

 自分の腕に絡みつくその鎖に気付いた瞬間、ウボォーギンはまたしても二人の鼓膜をぶち破る気としか思えない雄たけびを上げて、……自らの腕をもぎ取った。

 左手にオーラを込めて爪を立て、そのまま引き千切ってもぎ取って鎖に絡まったその右腕を投げ捨てた。

 

 血しぶきが噴き出すのを、オーラだけではなく筋肉の凝縮を意図的に行って自力で止血し、そしてそのままさすがの激痛で脂汗が滲む顔に、それでも消えぬ笑みを浮かべたままウボォーギンは込められる限りのオーラを残された左腕に込めて、振りかぶる。

 

 もうすでに、ソラは間合いの中。

 彼女の間合いであり、自分の間合いでもある。

 

 先に手が届いた方が勝ちという、シンプルな一瞬の戦い。

 

 もうウボォーギンの頭の中には、今自分に残されたオーラ全てを込めた渾身の「超破壊拳(ビックバンインパクト)」をソラに決めて殺した後のこと、クラピカのことは頭にはなかった。

 ただ、この一瞬が至高の瞬間だと思った。

 

 それほどに、楽しい殺し合いだった。

 それほどに、美しい「眼」だった。

 

 ……その眼は、ソラの「殺したくない」という願いを叶えるため、ウボォーギンの「念能力」のみを殺すために、限界まで精度が上げられていた。

 彼の念の系統が他の、操作系や具現化系ならここまで精度を上げる必要などなかっただろう。

 

 操作や放出と言った、オーラを体の外に出して切り離すことを得意とする系統の能力ならば、その放出された“念”そのものか、オーラが込められた能力の依り代である物体を殺しても、能力者にその「死」が連鎖することはまずなかった。

 

 具現化系は逆に身体の外にオーラを出して切り離すことが不得手だが、オーラを具体的な物質化するので、その能力者本人にも見えない、能力と能力者を繋ぐ「パス」を断絶させてしまえば、能力者に「死」を連鎖させずに済むことは学習済み。

 

 特質系は能力個人個人で能力が別物すぎるので一概には言えないが、それでも相性の良い系統が具現化系か操作系の為、やはり同じように能力のみを殺せる場合が多かった。

 

 簡単に能力そのものを殺せないのは、自分の身から切り離す必要がない変化系と強化系。

 特に強化系は、己の体そのものを強化するタイプならば体にも魂にもオーラが癒着している状態なので、仮に一部分だけオーラを殺すつもりでも、間違いなくソラの直視で殺された体の一部はもう二度と機能を取り戻さないだろう。

 

 考えるまでもなく、そんなことわかっていた。

 それでも、ソラは縋った。

 

 自分が悪あがきだと理解しながら、時間稼ぎでしかないと思い知らせるこの眼に。

 万物を殺せるのならば、「殺す以外の方法などない」という結末こそを殺してしまいたくて、だから約束を破ってまで、灼熱する眼球と脳髄に耐えてまで精度を上げて見透かす。

 

 ウボォーギンの「念能力」を殺す為、彼を殺さないまま無力化したいという人間らしい願いの為に、人間の部分を、その身体を、命を焼き尽くして、削り落として、壊し尽くすその酷く身勝手で矛盾した在り様は……、恵みを無くし、死んだはずの星の上でその死の世界に適応して生き永らえた人間種、……鋼の大地の騎士が持つ、星を喰らう魔剣に似ていた。

 

 白目の血管は全て引き千切られたのかと思うほど真っ赤に染まり、涙のように両目からドロリと血を溢れ出しながら、……それでも、どこまでも澄み切った天上の青、至高の美色、遥か彼方の蒼天、セレストブルーの瞳もまた、「星の触覚(アルティメット・ワン)」の血で紅く染まった空を魔剣が切り裂くことで垣間見せる青空に似ていたことなど、誰も知らない。

 

 知らなくても、知っていても何も変わらない。

 

 その眼の壮絶な美しさに、何かが変わる道理などない。

 その凄絶な美しさに確かに心を奪われながらも、躊躇いなく振り落とされた拳も変わらない。

 

 躊躇う理由になどならない。

 その眼があまりにも美しいと思ったからこそ、この戦いがあるのだから。

 

 

 

 

 ――だからこそ、その拳が振り落としきれなかったのは、ウボォーギンの弱さなどではない。

 

 

 

 

 

「……なめるな……だと? ……それは! こちらの台詞だ!!」

 

 ウボォーギンの左腕に絡まる鎖。

“陰”によって不可視だったが、けれどオーラは何の支障もなくその腕に纏っている。

 

 中指のものではない。

 それは、人さし指の鎖。

 

 何の力も有していない。

 ただクラピカの意思で動き、伸び縮みする程度の鎖。

 何の力も宿していない、まだ何の意味もつけてなどいない、無色で無力の鎖だった。

 無色で、無力だからこそ、それはクラピカの「心」そのもの。

 

「……お前ごときに、この鎖は切れん!!」

 

 ウボォーギンを捕らえた時と同じ宣言をする。

 あの時の宣言は、クラピカ自らの「迷い」とその迷いが見て見ぬふりをしきれずに認めてしまった「答え」によって破られた。

 

 そして今、その「答え」が無色であり無力の鎖を、決して切れない鎖に変える。

 

 拳を振り下ろせなかったのは、ウボォーギンが弱かったからではない。

 ただ、向こうが強すぎただけ。

 

「ソラを殺させはしない」

 ただそれだけの願いが、想いが自分の全力の“硬”よりも強かっただけの話。

 

 そのことが、あまりにも綺麗にウボォーギンの胸の内に落ちて納得してしまう。

 

 どこまでが作戦だったかも考えるのも馬鹿らしい。

 作戦であれ、そうでなかったにしても、結局は同じ。

 死んでほしくなかったから全力を出しただけのこと。

 

 ただそれだけのことが、ひどく癪だが…………どうしようもなく腑に落ちてしまったから、潔く受け入れた。

 

 

 

 

 

(――あぁ……、俺の負けだな)

 

 

 

 

 

 ソラの指先が、ウボォーギンの胸を突き刺し、沈み込む。

 

「死」が、貫かれた。


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