死にたくない私の悪あがき   作:淵深 真夜
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9:お手をどうぞ、マイフェアレディ

(女って怖い)

 若干9歳にして、カルトは心の底から思った。

 

 正直、父親に引き会わされた時はソラの事をカルトは男だと思っていた。

 男にしては細くて小柄で声も高いなどの違和感はあったが、男女比率が圧倒的に男に偏っているゾルディック家で生まれ育ち、まだ仕事でも外に出ることが少ないカルトでは、その程度の違和感は違和感と認識出来ず、「お見合い」という話題が出るまで相手を男だと信じ込んでいた。

 

 女だと認識しても、母や男と比べたら少ないが普通に存在する女の執事たちとは違って、凹凸の少ないソラの体格に自分のことを棚上げして「本当に女か、こいつ」と思ったぐらいである。

 まだソラがカナリアくらいの背丈なら、スレンダーな体格も「僕よりは大人だけどまだ『成長期』という奴なんだ」と勝手に納得していたが、ソラの背丈は母親のキキョウと同じく170前後なので、また世間知らずのカルトにとって性別を疑う大きな要因だった。

 カルトは、女は大人になれば自然と母親のような身長や体形になると思い込んでいた。

 

 なので、母親がただでさえ兄に刺されてからやたらと高かったテンションがさらに上がって、ソラを着飾らせることを楽しみにして連行していった時も、「燕尾服でいいのに。っていうか、あんな変なのいらないのに」と思って、引きずられて連れていかれるソラの方を見もせずに、母親の超音波並みの声から鼓膜を守るために耳を塞いでいた。

 

 それから父親に仕事の内容をさらに詳しく教えてもらってから昼食を取り、日課の鍛錬を行ってから休憩で少し昼寝をして、起きたら風呂に入ってパーティーに潜入するために用意した普段の振袖より華やかな赤い振袖に着替えて、ようやくソラと再会した。

 キキョウに連行されてから7時間ずっと、ドレスやアクセサリーをあれこれとっかえひっかえして、メイクアップされていたと聞いたときはさすがに心の底から同情したが、それ以上にまずは驚いた。

 

 カルトだけではなく、いつも表情筋さえも主人の命令がなければ動かさないと言わんばかりに無表情な執事たちも唖然として、シルバは軽く目を見開いて「……素晴らしい」と呟いた。

 その呟きを聞いたキキョウが、「あなた?」と恐ろしいオーラを湧き上がらせて声をかければすかさず、「キキョウのセンスがな」とフォローをした時は、カルトや執事、ソラも含めて「さすがだな」と知らないところでシルバは妙な尊敬を集めたのは余談だろう。

 

 それくらい、確かにキキョウのセンスも素晴らしいが、ソラ=シキオリ自身が素晴らしかった。

 

 キキョウの見立て通り、女性にしては背が高くヒールを履けば170を余裕で超えるソラに、体のラインがぴったりと出るワインレッドのマーメイドラインドレスが良く似合っていた。

 彼女が着ていたダボダボとしたツナギではボディラインが全然わからない小ぶりな胸と尻だが、ウエストがコルセットを巻いたわけでもないのに素晴らしく美しいくびれのラインを作っているので、おそらく男性勢が思っているよりも、そしてソラが自称するよりもはるかに女性らしい体形である。

 

 キキョウとしてはソラの眼に合わせて青系統のドレスを着せたかったらしいが、もうドレスを着ることは諦めたソラが最後の譲れない妥協として、アクセサリーは自分の武器である「宝石」、その中でも一番武器として使いやすく攻撃力も高い、ルビーなどの火属性のものを使いたいと主張したため、それらに合わせて赤系統で纏めたらしい。

 ただ、指輪やブレスレット、ピアスにはちょうどドレスに合いそうなものがあったが、ネックレスがどれもキキョウが用意したドレスに合わすにはよく言えばシンプルすぎる、悪く言えばみすぼらしかったので、ネックレスのみゾルディック家のゴージャス仕様にされた。

 

 ぼさぼさで無造作にもほどがあった白髪は、綺麗に梳かされてヘアオイルもたっぷりなじませたのか艶を放ち、結うことが出来るほど長くはないので、真紅のバラとソラの髪よりややピンク帯びたパールのコサージュが飾られている。

 顔立ち自体はあの残念すぎる身なりでも整っていることを隠しきれず、下手に手を加えたら台無しになるのではないかと思えるような、女性にも男性にも見える絶妙なバランスを保った美貌だったが、キキョウ自ら手掛けた化粧はもはや芸術の域に達していた。

 

 パーティーに出席するのならドレスに負けないように化粧はある程度濃くすべきなのだが、ソラの顔立ちだと素材がすでに完成されている分、男からしたらすっぴんに見えるようなナチュラルメイクならまだしも、濃い化粧は余計なものを付け加えるにすぎず、化粧をした方が逆に女装した男に見えそうだった。

 というか、実際に学生の頃ソラが友人に化粧されて見た自分の顔の感想がそれだった。化粧を施した友人も、「自分で言ってくれてホッとした」と述べたくらいだ。

 

 だがキキョウはそれこそ何時間もかけた甲斐があるだけ、完璧なメイクを仕上げて見せた。

 マスカラで増やし、伸ばすまつ毛の量、チークや口紅の色のバランス、アイシャドウの陰影グラデーション、アイラインなど一ミリ単位でこだわって描き、施した化粧は夜会に出席するにふさわしい華やかさでありながら、ソラのユニセックスさを失わせていない。

 

 どこかの財閥令嬢と言われたら信じる華やかさと艶やかさを持ちつつ、戦うため、生き延びるために鍛えられた筋肉をその体は身に着けている。

 だが、女性かつ日本人という人種ゆえに元々筋肉は身に付きにくい体質からか、その体は筋肉質とは言い難く、むしろ子供から大人に移り変わる思春期の少年じみた印象を与える。

 そんな少年の印象と相反する大人びた化粧に、少なくとも確かにある女性らしい曲線を描く成長途中の少女じみた躰と、女であることを強調するドレスという、どこか背徳的で退廃的な美がそこにあった。

 

 もはやキキョウの最高傑作と言っていいぐらいにめかしこんだソラに、カルトは化粧マジックの恐ろしさを感じながら、同時に「綺麗だ」と素直に思った。

 ただでさえ退屈そうな仕事に、全然知らない変な奴がついてくることが嫌で嫌で仕方なかったのが、「……まぁ、ついてくるだけならいいか」と思えるくらいに、気持ちが軟化していた。

 それはまだゾルディック家以外のことを何も知らない、家族以外はいらないと思っている節の強いカルトからしたら、かなり大きい奇跡的な譲歩であった。

 

「………………帰りたい」

 だが、当の本人は当然そんなことは知らず目が死んでいた。

 

 * * *

 

「……ゴトーさん、どうせパーティー会場にはゴトーさんは入らずに車で待機でしょう? もういっそ服を交換しませんか?」

「しません」

 

 パーティー会場に向かう車の中で、運転手のゴトーに無茶な頼みごとをして断られるソラを、カルトは呆れ果てながら眺める。

 ドレスアップしたソラを見たときは不覚ながらも見惚れたが、少したって見慣れてくると「やっぱり、変な奴」としか思えなかった。

 

(……こんな奴が、僕や兄さんたちの内の誰かと結婚するの? こんな奴、僕も兄さんたちも絶対に好きになんかならないのに)

「結婚」とは具体的にどんなものかをまだ全く理解していないカルトだが、意外とシルバが惚気るほどに夫婦円満なゾルディック家はどうも、ここは普通に「結婚とは好きなもの同士がずっと一緒にいる為にすること」と教えているらしい。

 ここだけ普通でどうすると突っ込みたいところだが、とにかくそんな認識のカルトにとってソラは、自分はもちろん他の兄弟にもこの女と結婚などさせたくないと思うほどに論外だった。

 

 ぐちぐちとこんなの自分には似合わない、スカートもハイヒールも動きにくいとゴトーや念のためにつけられた執事二人に文句をつけているソラを、カルトは改めて睨み付けながら観察する。

 カルトが見たところ、自分が殺してきたターゲットの人間よりはるかに鍛えられた体をしているが、ツボネと比べたらマッチ棒のように貧弱で、父親はこの女のどこを気に入ったのか、こんな女を息子である自分や兄たちが好きになると本気思っているのかがわからずにむくれる。

 比べる相手がおかしい、ツボネのような嫁でいいのか? と、ゾルディック家以外のほとんどを何も知らない彼でも素で思いそうな部分に、カルトは気づいていない。

 

 カルトは無自覚なまま、ソラに対して不満な部分を心の中で次々上げていく。

 

(だいたい、何だよ。殺しは嫌って。僕や兄さんたちと結婚するんなら、そんなのわがままじゃないか。

 仕事だって一度了解したくせに、ドレスを着るのが嫌だからっていきなり断って、大人のくせにあんなに情けなく叫んで、恥ずかしくないのかな?)

 

 カルトは気づかない。

 家族以外は生まれた時から面倒を見てもらってきた執事でさえも、生き物ではなく道具と認識していたはずの自分が、難癖をつけるためとはいえ他人をこんなにも意識しているという事実に。

 どうしようもなく、ソラに興味を抱いている自分に気付かない。

 

 だが、ソラの方が自分を不満げに睨み付けるカルトの視線に気づく。

 

「え? 何? やっぱり引くか? 私の女装は犯罪的か?」

「だからソラ様、女装ではなくそちらが正しい装いです。確かに美しさは犯罪的ですが」

 

 カルトが自分を睨む理由にソラは見当はずれなことを言い出すので、ゴトーがフォローなのか突っ込みなのか微妙なことを言った。おそらくこれに関しては、お世辞や社交辞令はなく、珍しく本音だろう。

 カルトも、ソラの問いに関しては唇を尖らせたまま「……別に」とだけ答える。

 ムカつくので「似合ってない」とでも言おうかと一瞬思ったが、言ってもこの女はショックを受けるんじゃなくてむしろ喜びそうな気がしたのと、この上なく癪だが嘘でも言えないぐらいにソラの容姿だけは認めているから。

 

 だが、カルトが認めているのはそこだけ。それ以外は何一つ認めていない。気に入らない。

 だからカルトはそらしていた視線を戻し、きょとんとしているソラをまた睨みつけて宣言した。

 

「僕は、お前なんかと結婚なんかしない」

「私だってしないよ」

 

 即答されたことに目を丸くして言葉を失うカルトに、ソラの方も「あれっ?」と言いたげな顔になって小首を傾げてから、ゴトー達にソラは訊く。

「私、変なこと言った?」

 

 ソラの問いを、ゴトーも他の執事達も答えなかった。

 ソラは何も悪くない。イルミやミルキならともかく、9歳のカルトはどんなに将来有望だろうが、気が合って互いに気に入ろうが、社交辞令やあくまで未来の彼に対して言うのなら問題ないが、本気で現在のカルトと「結婚したい」と言い出せば、それは犯罪的な性癖の暴露でしかない。

 家が家なので通報はされないが、そのままあの世直行コースになるのは間違いない。

 

 だからソラの返答に関して執事たちは皆、内心では「いいえ。まったく」と力強く同意しているが、カルトからしたら納得がいかない返答だったことも理解しているので、彼らは何も言えずに沈黙を守るしかなかった。

 

 大人からみたらカルトは「まだ9歳」で、まだまだ何もかもが幼くて未熟で拙い、守ってやらなければいけない子供だが、カルト本人からすれば「もう9歳」だ。

 自分が大人ではないことは認めているが、それでも大人が思うほど弱くなどない、自分一人でたいていのことは出来るという、根拠のない万能感が芽生え始める時期である。

 

 その万能感と、自分の家が代々続く由緒正しい暗殺稼業のエリートであるというプライドから、お見合いや結婚話を断る権利は自分の方にあり、ソラの方が断る可能性をまったく想像していなかったゆえに、ソラからしたら当たり前すぎる即答が理解できず、フリーズした。

 

 30秒ほどカルトはポカンとした顔で固まっていたが、徐々に言われたことを理解したのか、少年にしてはまつ毛が長すぎるパッチリした目に涙を浮かべ、頬もリンゴのように紅潮させていく。

 今にも癇癪を起して大泣きしそうなカルトに、自分の言ったことの何が悪かったのかわかっていないソラは慌てるが、幸いなことにカルトの高いプライドが泣くことをゆるさなかった。

 

「な、な、なんなんだよ、お前は!! 何でお前の方が嫌だなんていうんだよ!!

 僕の何が嫌だっていうんだ!? 僕だって、僕の方がお前なんか大っ嫌いだ!!」

 

 泣きこそはしなかったが、顔を真っ赤にさせて脈絡があるのかないのかよくわからないことを叫び喚くカルトにソラはきょとんとした顔でただ眺める。

 バックミラー越しに二人のやり取りを見て、さすがにこれに関してソラに非はないので、ゴトーがソラとカルトを同時にフォローしようと口を挟む。

 

「カルト様。ソラ様はカルト様に対してご不満があるのではなく、カルト様とお歳が離れすぎていることを……」

 しかし、カルトと会話をしていた女は空気を読まないことに定評のある女だった。

 ソラは、ゴトーの助け舟をぶち壊して言い放った。

 

「むしろ、何で断られないって思ってたの?」

 

 心底不思議そうに聞き返すソラに、またカルトは言葉を失って固まる。

 

「……な、何でって……」

 フリーズが解けて言葉を発したのは先ほどよりも早かったが、カルトはソラに言われた言葉の情報処理をまだできてはいない。

 むしろ、グチャグチャと絡まる曖昧な思考をはっきりとさせるために、無理やり言葉を紡いで叫んだ。

 

「ぼ、僕はゾルディック家の……」

「そこで君自身のことじゃなくて家の名前が出る時点で君は、自分に価値はないって言ってるも同然だよ」

 

 しかし、カルトの言葉をソラは途中でぶった切り、身もふたもなく言い切る。

 

「……ソラ様、お言葉が過ぎますよ」

 空気を読まないどころか爆砕してゆく女に、ゴトーがこめかみに青筋を浮かばせてバックミラー越しに睨み付けた。

 イルミに関しては彼女が被害者なので、多少の侮辱や暴言は聞かなかったことにできたが、今の発言はゴトーの逆鱗をかすめた。シルバやキキョウが気に入ってる、ゾルディック家の嫁候補でなければ、今すぐに車から叩き出してそのまま轢くか、自分の得意技であるコインの散弾を浴びせるところだったぐらいに、ゴトーの胸の内に怒りが満ちる。

 

 他の執事も同じく、忠義心から湧き上がる怒りを忠義心をもってして押さえつけつつ、殺意は隠しもせずソラにぶつけるが、ソラは車内に満ちる自分に対しての殺気にやや呆れた様子で肩をすくめて、「事実じゃん」と言い返した。

 自分がぶつけている殺意に気付けないほど、相手が鈍感ではないことをゴトーは知っている。

 こんなあからさまの殺意に気付けないのなら、殺意を込めて投げつけた針の軌道にぴったり合わせて、殺意を完全に隠した針を投擲という二段構えを行えるイルミから逃げ切れるわけがない。

 

 しかし、執事風情とはいえ複数の念能力者からあからさまで激しい殺意をぶつけられても、余裕というより「過保護だな、こいつ」と言わんばかりの顔をしながら、ソラはさらにゴトーに対しても言い放つ。

 

「カルトにフォローの言葉を入れないで私に文句つけたってことは、ゴトーさんも言わないだけで同じこと思ってるも同然じゃない?」

「!? 黙れっ!!」

 

 ついに敬語をかなぐり捨ててゴトーは叫ぶが、ソラの言葉は既に最後まで言い切られていた。

 自分の言葉がソラにぶった切られた時から呆然としていたカルトが、目を見開く。

 同時に、彼の紅葉のような小さな手が、そんな小さな手でもうすでに何十人も縊り殺してきた手がソラの首に伸びる。

 

『! カルト様!!』

 

 ゴトー達がカルトの名を呼んだのは、止める為。

 シルバから直々に、死んでも最優先で実行して守り抜けと承った命令を実行するため、ゴトーは急ブレーキをかけ、他二人の執事たちはそれぞれカルトとソラを押さえつけようと手を伸ばす。

 カルトの手がソラに触れる前に、カルトがソラを本気で殺しにかからぬように、ソラにカルトが、「自分の生命を脅かす敵」だと認識されぬために。

 

「カルト」

 

 しかし、ゴトーの制止よりも、執事たちが二人を取り押さえるよりも、カルトの指先がソラの首に触れるよりも、早かった。

 黒いレースの手袋に包まれたソラの指が、カルトの柔らかな頬に触れて、不規則に、まるで何かの線をなぞるように指を滑らせる方が、誰よりも早かった。

 

 * * *

 

 突然急ブレーキで止まった高級車に、後続の車もかろうじて衝突を避けて止まり、そしてクラクションを派手に鳴らしてさっさと進めと抗議する。

 さほど混んでいない道だったため車間距離が十分にあったことが、お互いにとって幸運だったことに後続の車は気づいていない。

 下手すれば、自分たちはこのパドキアで一番有名な一家の犠牲者になっていたことに気付かないまま、クラクションを鳴らす。

 

 そんな雑音を無視して、ソラはカルトに言う。

「別に、怒ってないよ。そっちが怒って当然のことを言ったことはわかってるから。

 でも、話は最後まで聞け。自分の都合の悪いことを殺して消してなかったことにして逃げるのは、最終的に自分を縛りつけて押しつぶして殺すぞ」

 

 青い瞳に自分を映して笑いながら語るソラにカルトは、何も言えず何もできず、ただ半端に腕を伸ばした姿勢のまま固まっていた。

 ゴトー達も同じく、二人に手を出せないままただ中途半端な体勢を維持していた。

 

 ソラは何も持っていない。カルトに触れているのも、顔ではあるが目や首ではなく頬であり、致命傷を与えるには難しい部分である。

 なのに、動けなかった。

 

 ソラの触れるか触れないかという、かすかな指の感触が、その指が不規則な線を描くことが、恐ろしくてたまらなかった。

 理屈ではなく、本能がカルトに叫んで訴える。

 今、自分の生命を握るのはカルト自身でも、家族でも、神様でもなく目の前の女であることを思い知らされる。

 

 目の前の死神は、少しだけ困ったように笑いながら言う。

「私が怒らせるようなことを言ったんだから、怒ってないし君がしようとしたことも許すよ。むしろ、言葉がきつくてごめん。

 でもな、カルト。私は、死にたくないんだ」

 

 カルトの頬から、ソラの指が離れると同時に彼女は困ったような笑顔のまま言った。

「だから次からは、覚悟しなさい」

 

 何を? とは訊けなかった。

 ただカルトは首振り人形のようにがくがくと何度か首を上下させる。訊く必要などない。今、魂に刻まれた。

 

 殺すのなら殺し返される覚悟をしろと笑顔で、弱い自分を嘲るでも、逆に憐れむような笑みではなく、自分のわがままに困って苦笑する執事と同じ笑みを浮かべてソラは言う。

 彼女からしたらカルトのしたことなどまさしく子供のわがままと癇癪で、それをたしなめつつ一応注意しておくかくらいの気持ちでしかなかった。

 

 だけど、カルトにとってそれは、死神の宣言。

 理屈の上では理解していたが、カルトはこの日初めて実感を持って理解した。

 自分が今まで仕事としてしてきたこと、そして自分の癇癪を晴らす手段として行ってきたことのリスク、「死」は自分が誰かに一方的に与えるものではなく、自分にも平等に降り注ぐものだということを。

 

 同時に、これはカルトにとって人生初めての「挫折」だった。

 

 自分が一番強いという自惚れなど、カルトは持っていなかった。少なくとも、持っていないつもりだった。

 しかしゾルディック家以外を知らない、「勝てない敵とは戦うな」を弟たちに教え込んでいる長兄の方針もあって、まだ幼く相手の力量をうまく計れないカルトは、「確実に殺せる相手」以外の仕事をやらせてはもらえなかったし、その仕事も万が一の失敗に備えてフォロー役に他の兄弟や家族と組んでいた。

 カルトより相手の方が上だと他の家族が判断した場合は、カルトを下がらせて仕事をさせなかった為、カルトはまだ「失敗」を経験したことがなかった。

 

 そんな初めての「挫折」が、「失敗」が、カルトの芽生え始めていた万能感と自立心を粉々に打ち砕く。

 気に入らないで見下して、バカにしていた相手にその「挫折」を与えられたのが、そしてそれは子供をたしなめる程度にすぎないと思い知らせる笑みを浮かべていたことがまた、彼のプライドを砕く大きな要因だった。

 

 未だにばくばくと脈打つ心臓は、目の前の死神に怯えている証。

 もうこの心臓も、女の喉に手が届かなかった短い手も、何もかもが未完成な自分がたまらなく嫌になって、カルトは小さな手をぎゅっと握りしめて膝の上に置き、唇を噛みしめて胸の中のグチャグチャに荒れ狂う、整理がつかない感情を抑え込もうとする。

 

 そんな小さな主を痛ましそうに、三人の執事たちは見やるが、その元凶はやはり相変わらずに空気を読まない。

 

「発車しないの?」

 足を組み直して、運転手であるゴトーにソラは言う。

 

「……いい加減にしろよ。どこまでカルト様を侮辱する気だ」

 ゴトーが眼鏡のブリッジを指で押し上げて、ソラを睨み付ける。もうそこに、ソラに対する礼儀は存在しない。

 ソラに対して礼を持って接しろという命令は受けていたが、ゴトーはもちろん、執事たちにとって第一はゾルディック家。つまりこの場なら、カルトが第一だ。

 

 そんなカルトを侮辱する言葉を吐き、カルトの自尊心を粉々に砕いて傷つけた女に対しもう遠慮などする必要はないと判断した執事たちはそれぞれ、オーラを練る。

 しかし、運転中にぶつけていた時とは違って隠し立てしなくなったむき出しの殺意の中でも、ソラは揺るがない。

 彼女はまた、心底呆れたような顔と口調で言い返す。

 

「……は? むしろいつ、侮辱した?

 カルトやゴトーさんのセリフじゃ、まるでカルトがいいとこなしみたいに思えるから、そのこと突っ込んだだけじゃん。言い方が悪かったのは認めてるからさっき謝ったけど、そこまで怒るんならマジで、私を責めるよりカルトの良いところを言ったげなよ。私はフォローしたくても初対面なんだから、外見以外褒めるところなんて見つけてあげられないんだから」

 

 ソラの言葉に、車内に満ちていた一触即発の殺意が霧散した。

 カルトはソラの言葉に驚いたようにまた眼を丸くさせてから、「そういえばそうだ」と言わんばかりに執事たちを睨み付ける。

 その幼くともゾルディック家の一員であることが感じられる、肌に痛みを覚えるほどビリビリした怒りの視線を気まずく思いながら、ゴトーはもう一度ブリッジを押し上げてから言葉を発する。

 

「……確かに。おっしゃる通りです。

 申し訳ありません、ソラ様。そちらのお気遣いを誤解して、頭に血が昇り大変な無礼を働いてしまいましたことを深くお詫びを申し上げます」

「だーかーらー、私はいいからそこまで怒るくらいに大切なら、カルトをフォローしてあげてって言ってるじゃん!」

 

 ゴトーの謝罪に、ソラは足をバタつかせてキレた。

 カルトよりも幼い動作で、カルトよりも感情をむき出しにしてまっすぐに、自分ではなくカルトに謝れ、カルトをフォローしろと言って怒った人を、もう一度カルトは丸くした目で見る。

 いつしか、鼓動のペースが変わっている。

 早鐘のように短いペースで大きく脈打っていた心臓が、今は大きさは変わらないがゆったりとしたペースで鼓動を刻む。

 まるで何かを、期待しているかのように。

 

「……お前は、僕のことが嫌いじゃないの?」

 ソラに言われて執事たちがカルトに何かを言っているが、そんなのカルトの耳には入ってこなかった。

 カルトが知りたいのは、自分を全肯定する執事からの言葉ではないから。

 

「ゾルディック」が世界の全てではない、小さな一部でしかない彼女からの答えが知りたかった。

 そんなカルトの問いに、ソラはまたきょとんとした顔で即答する。

 

「嫌いになるほど、君のことは知らないよ」

「じゃあ何で、結婚したくないって言うんだよ?」

「いや、普通に君相手だと犯罪だし、あと君のことを何も知らないからだよ」

 

 さらに重ねたカルトの問いも、何故そんなことを訊くのかと言わんばかりに即答する。

「君が『結婚』っていうものをどの程度分かっているかは知らないけど、結婚はな、その相手が好きで一緒にいたくて、ずっと守っていたくて守られたくて、その理由をいちいち説明するのが面倒だから一言で纏められる『家族』になるためにするもんなんだよ。

『ゾルディック』の一員になる為なら、相手が誰であろうと好きでも嫌いでも、何も知らなくてもいいかもしれないけど……『君』と結婚するんなら、好きか嫌いかもわからない、何も知らないうちはそりゃ断るしかないよ。

 そんな状態でOKするってことは、『君』なんか見てないで『ゾルディック』しか見てないってことなんだから」

 

 ソラの説明は、カルトの胸の内に「納得」という形で簡単に落ち着いた。

 ソラは知らない、意外とここだけは普通な「結婚」というものに対するカルトの認識に、ソラの説明は正しく一致していたから。

 

 カルトにとって「ゾルディック」は世界であり、同時に自分自身だった。

 だからこそ、ソラの方が結婚を断ったことが信じられなかった。それは自分が、自分の家だけが決める権利を持っていると信じて疑わなかったから。

 ソラに「何で断られないと思った?」と訊かれて、ゾルディック家の名を出したのもそれは自分自身だからにすぎなかったものを全否定された時は、自分の足場が、世界が崩れ落ちたようなものだった。

 

 けれどカルトの崩壊した世界は、崩壊させた女の言葉で蘇る。

 前とは少し違う、「ゾルディック家のカルト」ではなく、「ただのカルト」としての世界が構築される。

 

 それは、否定ではなくむしろ「ゾルディック家」の一部となっていた「カルト個人」を見つけ、認める行為であると知った。

 彼女はカルトに価値はないと言ったのではなく、カルトに価値はあるはずだから教えて欲しいと言っていたことに気付いた瞬間、砕かれたはずのプライドがバネになる。

 

 もう二度と負けない。もう情けない所なんか見せない。

 今、カルトの胸の内にある悔しさはソラを殺せなかったことではなく、自分の価値を答えられない自分自身に対してだった。

 

 いつしかまた走り出した車の中で、カルトは俯いたままソラに言う。

「お前なんか、嫌いだ」

 ソラが何をしようが、何を言われようが、この結論は変わらない。

 変な奴でバカでムカつくという印象は、どうやっても覆らないから。

 

「ははっ、そりゃごめんね」

 カルトの言葉を笑って受け流すその様が、余計に気に入らずさらに「嫌いだ」と思う。

 カルトをフォローしないゴトー達に怒った癖に、自分の為に怒らないところが無性に気に入らなかった。

 

 無性に気に入らないから、嫌いだから、悔しいから、だからカルトは言ってやった。

「お前なんか、大嫌いだ。だから、今に見てろ。僕と結婚しなかったことを後悔させてやる」

 

 まだ自分の価値を答えられないけど、この女が「価値がある」と言ったのならそれを否定するような人間にはなりたくなかった。

 ゾルディックという家名に勝る価値があることを証明したくなった。

 砕かれたはずの万能感と自立心は、明確な目標を持って再び形作られた。

 

 ソラはそんな幼い夢の始まりを、宣言を聞いてまたきょとんとしてから笑った。

「そりゃ楽しみだ。でも、そもそも君がどんなに魅力的になっても歳の差という壁があるし、何より私は君の長兄が怖いから多分後悔しない」

「ソラ様、何故『楽しみだ』で終わらせないんですか?」

 

 ぶれずに空気をぶち壊すソラに、ゴトーが突っ込む。

 カルトの方もイラッときた様子を隠さず、「そもそもお前は何で、イルミ兄さんにそんなに嫌われてるの?」と尋ねてみると、ソラは拗ねたように唇をとがらせて「別に心当たりなんかないよ」と答えた。

 

「ただ、あいつの針人形をバッサバッサ切り倒して、あいつの変装を一瞬で見破っちゃって、あとはあいつの素顔を見た時、『能面みたいなイケメンだなー。爆発しろ』って言ったくらいだよ」

「心当たりしかないの間違いだろ」

 

 執事たちが突っ込む前に、カルトの9歳にしては鋭い突っ込みが見事に決まった。

 

 * * *

 

「それでは、お二人とも。行ってらっしゃいませ」

 ゴトーら三人の執事が深々と頭を下げて、ターゲットが主催するパーティー会場入り口で二人を見送る。

 ここから先は、招待状を持つ者とそのパートナーしか入れない。

 

「はい、じゃあ行ってきまーす。カルト、ほい」

 せっかくの艶やかなドレス姿が台無しになるような軽い言葉を執事たちにかけて、ソラはカルトの方に自分の手を差し出した。

 

「……何? 僕が迷子になるとでも言いたいの?」

 嫌そうな顔をしてソラを睨み付けるカルトに、ソラは少しだけ挑発するような笑みを浮かべて答える。

 

「おやおや。君はやっぱり男の子じゃなくて女の子なのかな?」

「どういう意味だ!?」

 ムキになって声を荒らげるカルトに、やはりからかうような笑みのままソラは言葉を続けた。

 

「この場合、どんな格好でも、歳がいくつでも、紳士ならレディをエスコートするために手を引くのが普通だろ? ただでさえ私は、履き慣れないハイヒールなんか履いてるんだから。

 それともやっぱり、君は紳士じゃなくてレディの方なのかな?」

 

 言われて、もう今日で何度目かわからない、けれど長年仕えてきている執事たちが断言するくらいに珍しく、カルトがポカンとしてから胸を張って言う。

「……ふん! お前が一応、本当に本当に一応、レディだってことを忘れてただけだ!」

 

 怒りながらもどこか子ども扱いではなく紳士として、大人の男として扱われたことに対する嬉しさが隠しきれていない様子でカルトは、紅葉のような小さな手でソラの手を取ってそのまま会場内に入って行く。

 

 そんな二人を見届けて、執事たちは安堵の息を吐く。

 道中のトラブルが案外カルトの警戒心を解いたようで、素直ではないが少しソラに懐いたらしく、これならまたソラを殺しにかかって返り討ちに合うことはないだろうと確信したからだ。

 

 手を繋いで歩いていく二人は、どこをどう見ても仲のいい姉弟にしか見えなかったから。

 ……正確に言えば姉妹にしか見えなかったが、そこはカルトのプライドを執事たちは尊重した。




思ったよりも長くなってしまった……。
次回で終わるかな、これ?







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