死にたくない私の悪あがき   作:淵深 真夜

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76:歪な両義

 通話を切った自分のケータイを今にも壊しようなほど強く握りしめて、クラピカは目を伏せる。

 

「……どうして……、どいつもこいつも……」

 

 呟いた言葉は後に何を繋げるつもりだったのか、自分でもわからない。

 カラーコンタクトと瞼で隠す自分の緋色の瞳が、どのような感情で染まっているのかすらわかっていない。

 

 ただ、ソラの願いを諦められないくせに叶えられもしないまま、暗殺チームの一員として行動する酷い自己嫌悪により、マヒしていた胸の奥がまたグチャグチャに掻き乱れるのだけはわかった。

 掻き乱れながらも、掻き乱されながらも、鼓膜の奥で先ほどの会話は、ゴンとキルアの言葉は何度も何度も繰り返される。

 

 * * *

 

 競売がいつまでたっても始まらないわ、銃声どころか爆音が花火のように連発して聞こえるという状況に、さすがのマフィアの大幹部やその頭達も、自分たちに舐めた真似をする襲撃者に対しての苛立ち、怒り、そしてあの爆音がいつ自分たちの身に降りかかるのではないかという不安で、場は混乱し始めていた。

 

 そろそろオークショニアや競売運営の責任者といった中間管理職では収拾出来なくなるのも時間の問題だとクラピカは踏んで、早くその時が訪れないかとさえ思っていた。

 

 真の意味で命のやり取りをする気などないマフィアなどさっさと消え失せて、自分と旅団だけにして欲しかった。

 本当に他の暗殺者たちやキルアの家族であるゾルディック家さえもいなくなって、自分と仇である旅団のみが残されたら、何をすべきなのか、何をしたいのかすらわからないくせに望んでいた。

 

 極限状態になれば、また奴らを直接目にしたら、それこそもう一度吹っ切れることを期待して。

 

 ……その「吹っ切る」のは何なのか。

 旅団(やつら)を殺すことなのか、それとも一方的に罪を背負わせた彼女の願いを叶えることなのかも、やはりクラピカはわかっていない。

 選べない。

 

 脳裏で、彼女が言う。

 

『自分がどんな罪を背負うか、そしてその罪を背負ってでも生きていたい道を選ぶんだ。

 背負った罪で道を選ぶのは大きな間違いだ。罪を負うこと自体は、間違いじゃない。どんな道を選んだって、必ず私たちは幸せの代償に、罪を負わなければならないのだから』

 

 その言葉が正しいのはわかっている。自分がまさしく今、背負った罪で道を決めようとしていることくらいはわかっている。

 けれど、ソラの言葉が正しいとわかっていながらも、自分の幸福を望み、願い、祈ってくれた人に対して弱い自分は、あまりにも後ろ向きな言い訳ばかりを口にする。

 

 本当にその道の先で、その道を選び、歩む代償として背負った罪に値するだけの幸福が得られるとは限らない。

 ただ罪だけを背負って何も得られず、傷つくだけ傷ついて朽ち果てるだけではないのか?

 

 そんな弱音と同時に、脳裏に蘇るクラピカの「罪」

 

 ――体の内側が地獄の業火で焼かれているように灼熱していた、ソラの体。

 とめどなく流れ、溢れていた血の涙。

 今にも止まりそうな呼吸の合間、声すら出せぬ苦痛に苛まれていても、それでも彼女はずっと、それさえも言えなくなる方が耐えられぬのか、ずっとずっと、あまりにも高い熱を出していながら血色の悪い唇を震わせていた。

 

「ごめん」と、クラピカとの約束を守れなかったことを謝り続けてる彼女が、脳裏から消えない。

 

 そんな彼女の有様が、結果が、クラピカが弱かったから、答えを出すのがあまりにも遅かった所為で至った結末が、罪が、贖罪ですらないあまりにひどい逃避にクラピカを誘う。

 

 ……こんな罪を背負った挙句に彼女まで喪うくらいなら、それよりも先に死んでしまいたい。

 

 彼女があそこまで傷ついて、あまりに多くのものを失っても自分にくれたもの全てに対する侮辱だとわかっていても、自己中心な弱音が消えない。

 

 諦められないのに、幸福になりたいのに、彼女を救いたいのに、ソラを喪うかもしれないということがあの別れの4年前以上に、それは決してありえない空想ではなく、今この瞬間に訪れている現実かもしれないと突き付けられた。

 そして、その訪れるかもしれない未来を恐れて、あんなに苦しんでいる彼女から離れたこと、逃げたことにまた自己嫌悪する。

 

 抜け出せない自己嫌悪に陥っている中、ケータイの着信に気付けたのもただの逃避に過ぎない。

 

 考えたくないのに最悪の未来ばかり浮かぶ思考を、少しで他のことに逸らせるのであればなんでも良かった。

 きっとそんな考えの罰が当たったのだろうと、後になってクラピカは思う。

 

《あ、クラピカ!? 良かった、ようやく繋がった!》

「ゴン!?」

 

 彼女と同じくらい自分のことを思ってくれている仲間からの電話でさえも、クラピカを救ってはくれない。

 ただ身勝手に、今まで思考に上げず忘れていたくせに、自分にはまだ失いたくない人がいたことを思い出した途端、なおさらに失う前に死んでしまいたくなった。

 

 そんなクラピカの破滅願望とも言えない、そこまで思いきりも良くないただの逃避の思考に、もちろん電話の向こうのゴンやキルアは気付かずに、矢継ぎ早に言葉を続ける。

 

《今、大丈夫?》

「…………いや、悪いが忙しい。こちらからかけ直そう」

《ちょっと待って、じゃ一分だけ!! 用件だけ言うから!》

 

 相変わらずな人の気分を害しはしない、稀有なわがままさに「……それなら訊かねばよかろうに」と思いながらも、クラピカはゴンの言葉を待つ。この調子なら切ってもまた、クラピカが電話に出るまでかけ続けるのが目に見えたから。

 

 だが次の瞬間、通話を切って電源さえも切ってしまわなかったことを後悔した。

 

《俺とキルア、旅団に会った》

「!!」

《――っていうか、捕まっちゃったんだけど》

 

 鮮明に、あまりにもリアルに脳裏が描いた。

 旅団によって、自分やソラの情報を得るためにありとあらゆる苦痛を加えられ、かろうじて人間であった原型が留めていたらマシなほど……、かつて奴らがより鮮やかな、より美しい緋の眼を得るために、自分の同胞に行った凌辱と蹂躙の限りを尽くした拷問の果ての、ゴンとキルアの残骸という幻視する。

 

 その幻覚が頭と両目に血を昇らせて、思わず叫んだ。

 

「何を考えてるんだ、お前達は!! 相手がどれだけ危険な連中かわかっているのか!!」

 

 クラピカの叱責で、話し相手がゴンからキルアに替わるが、何を言われてもこの時点でクラピカの答えなどもう決まりきっていた。

 

《わかってたつもりだったけど……、会って痛感した。

 確かに奴らは強い……。今の俺達だと手も足も出ない。だから、クラピカの協力がいるんだ。俺達も力になりたい》

「ふざけるな。お前たちの自殺行為に手を貸す気はない」

 

 即答した。

 ソラでさえ、自分より強くて“念”に関しての知識も実戦経験も豊富にあって、あの反則中の反則である「直死の魔眼」があってもああなった……、求めたものは手に入らず、賭けに負けたというのに、ソラの話では四大行をマスターしただけの彼らが旅団に挑むなど、まさしく自殺志願以外の何でもない。

 

 しかし、わかっていたが相手は素直に退きやしない。

 

《奴等のアジト……知りたくない?》

「……情報提供者はちゃんといる」

《団員の能力についてもわかったことがある》

「いい加減にしろ!! 頼むから、お前達まで旅団に……私に関わるな!!」

《……お前達()()?》

 

 クラピカの怒ると言うより泣き出しそうな、懇願するような叫びにキルアは一瞬戸惑ったが、すぐに彼は相手の言葉で見過ごせない部分に気付く。

 自分たち以外に前例が既にいるというニュアンスを、感じ取った。

 

《……やっぱり、ソラも関わってんだろ?

 ソラはどうしたんだよ? 今、どうしてんだよ!? お前の所にいんのか!? あいつらが探してる『赤コート』ってやっぱソラのことなんだろ!?》

 

 わかってはいたがやはりキルアは、ソラがクラピカや旅団と関わっていたことにすぐ気付き、そして敏い彼はクラピカが何故、泣き出しそうな声で自分に関わるなと叫んだ理由まで察してブチキレた。

 

《何が関わるなだ!! んな今更なこと言うくらいなら、それこそお前はもっと前にソラと縁を切っとけっつーの!!

 あいつがお前のこと、あの死にたくなくて逃げ続けて悪あがきをやめられないあいつが、自分の命よりもお前を大事にしてることくらいわかってんだろ! それともわかってなかったのか!!》

 

 責め立てる自分自身と全く同じ断罪の言葉を喚きたてるキルアに、クラピカは何も言い返しはしなかった。

 むしろ、少しばかり気が楽になったくらいだった。

 

 自分以外の誰も、責めてはくれなかった。

 ソラをあそこまで傷つけて、壊してしまったのはクラピカなのに、誰もクラピカを責めようとはしなかったから、誰も罰を与えてくれなかったからこそ、自分自身をひたすら責め立てて、幸福から目を逸らして己を罰することしか出来なかった。

 

 だから、初めて他人がはっきりと「お前が悪い」と言ってくれたことは、救いだった。

 わかりやすい目に見える形での罰が与えられたのなら、その罰による責め苦を受けて耐えきった時こそ、自分を許すことが出来るのではないかと期待した。

 

 しかし、罰とはそんな優しいものではないからこそ罰であると、すぐに思い知らされる。

 

《ソラは今、どこで何してんだよ!? 関係ないとか言うなよ!! ソラはお前のじゃねーし、そんで俺らもお前とは無関係じゃねーんだ!!

 お前が俺達のこと、仲間とも対等とも思えないのなら、それこそ遠慮なくこっちはお前の事情に土足で踏み入って協力してもらうからな!!》

 

 関わるなというクラピカの懇願を、誰よりも何よりもクラピカに対して怒り、彼を許しはしない裁定者が聞いてくれる訳などなかった。

 クラピカが死を以てしてでも逃げ出したい、失いたくない人たちと共に旅団と戦えという罰を、キルアは叩きつけるように告げる。

 

「………………やめろ」

 

 苦しげなか細い息さえも途絶えてしまった、あの灼熱していた体が嘘のように冷たくなって横たわるソラと、拷問の果てに打ち捨てられたゴンとキルアの残骸という幻を見て、クラピカは絞り出すような声で言う。

 その罰だけはやめてくれと、懇願する。

 

《クラピカ》

 

 罪人である彼の懇願など、誰も聞いてはくれない。

 何よりキレて言いたいことを全部言ったら、あとはもう声も聞きたくなくなったキルアはともかく、彼に代わって再び電話口に出たゴンにとって、クラピカは罪人なんかじゃない。

 

 だからこそ彼は、クラピカにとってあまりにも残酷な「罰」を告げる。

 

 ゴンは何故、旅団に捕まって相手の力量や危険性を目の当たりにしておきながら、奴らを捕えることを諦めないのか、その理由をクラピカに語る。

 

 旅団のメンバーの中に、ウボォーギンの親友らしき男がいた。

 その男は、親友を殺した相手を絶対に許さないと言って、赤の他人かつ子供であるゴンやキルアの前で泣いて訴え、復讐の決意を口にしていた。

 

 それを見てゴンは、無性にやるせなかったと同時に許せなかったと語る。

 

 自分以外の誰かの為に泣けるのに、誰かを思いやるということが出来るのに、大切な人が奪われた心の痛みを知ったのに、それなのにその痛みをどうして、自分たちが犠牲にしてきた人たちに向けてはやれなかったのか。

 どうして、自分たちと同じように消せない傷を、永遠に埋まることのない喪失感を、あまりにも多くの人に与えていることに気付かないのか。

 

 彼らがまったく自分達とは理解しえない、仲間の死すら気にもかけない、血も涙もない相手ではないと知ってしまったら、余計に奴らのしていることが許せなくなった。

 だからこそ、ゴンは旅団を止めたいと語る。

 

 同じことを知っても、拷問をされても口を割らず、一時の延命の為に仲間を売りはしなかった相手を見て、知ってもクラピカが思えなかったこと、ただ余計に憎しみが増したクラピカとは違い、彼は純粋に幻影旅団さえも思いやって、「止めたい」と願った。

 

 その願いだけでもクラピカの自己嫌悪をさらに増幅させるのに、なのにゴンはどこまでも残酷に、真っ直ぐに、無自覚のままクラピカを断罪する。

 

《……それに、クラピカ。……何があったか知らないけど、ソラはさ、笑ってたんだ》

 

 唐突に話は旅団からソラに、クラピカにとって一番逃げ出したい、諦めてしまいたいのに手離せない、諦められない「罪」そのものの話に変わる。

 

《クラピカとソラと旅団の間に何があったかなんて知らないけど、昨日、俺たちまず初めにソラに協力してって頼んだんだ。

 初めはクラピカと同じように、俺たちじゃ相手にならないから諦めろって言われたんだけど……俺が、クラピカに復讐してほしくない、人を殺さないで幸せになって欲しいっていう、クラピカの気持ちを全然考えてないわがままを言ったら、……何か全然何言ってるのかわかんないけど、ソラはすっごく嬉しそうに笑って俺の言ったことを褒めてくれたんだ。肯定してくれたんだ。

 

 ……ねぇ、クラピカ。俺はあの時、ソラが何を言って何に納得してたのか全然わかってないけどさ……でも、これだけはわかるよ。

 ソラはクラピカに誰も殺してほしくないし、一人きりで戦ってほしくなんかないって思ってることくらい、初めからわかってるよ》

 

 そんなの、クラピカの方が知っている。

 彼女がどれほど、クラピカが失うものを、クラピカの行く末を案じて、願って、祈って、望みながらも、それでもクラピカの為に口には決して出さなかったのかも。

 

 ――どんなに分が悪いギャンブルにでも、どれほど傷ついても、汚さなくて良かった手を汚し、背負わなくて良かったはずの罪を背負ってでも、クラピカに選んでほしかった道であることなど、知っているからこそ諦められない。

 

《だから……頼むよ。クラピカ。……これは俺たちのわがままだよ。それはわかってる。わかってるけど……、お願い。もう、独りで戦わないで欲しいんだ》

 

 諦めたいのに、手離してしまいたいのに、そうした方が楽になれるのに、なのに誰もクラピカに諦めさせてはくれない。

 誰もかれもがクラピカを逃がすのはもちろん、贖罪の道だって歩ませてはくれない。

 

 失うのが何よりも怖いのに、目の前で失う絶望が何よりも有り得る道を選べと言う。

 そこにしか、クラピカが諦めきれない、手離せない「答え(幸福)」はないと言う。

 

「――こちらから、かけ直す」

 

 結局、拒絶しきれずクラピカはそれだけを言って通話を切った。

 

 諦められないのに、けれど覚悟は決まらない。

 諦めきれないからこそ、覚悟を決められない。

 

 昨夜のように吹っ切ることも、幸福な未来を夢見ることも出来ず、最悪の事態ばかりを脳裏に描くクラピカは、ただ立ち止まって無為な時間を過ごすことしか出来なかった。

 

 積極的に旅団討伐に向かわず、ネオンやライトに付き従ったのもただの時間稼ぎ。

 ソラの願いを叶えてやれなかったからこそ今ここにいるというのに、未練がましく彼女の願いに縋り付いて、旅団を殺すチャンスを自らクラピカは捨て続けた。

 

 だからこそ気付かなかった。

 窓の外でも見てみたら、そこから上空を少し見上げて見れば気付けただろう。

 

 重力なんかにその身は囚われていないと言わんばかりの空中戦を繰り広げる二人に。

 その内の一人が誰であるかなんて、遠目からでもクラピカならわかった。

 

 ……その「中身」まではどうだったのは、わからない。

 

 

 

 * * *

 

 

 

 ビルの屋上や壁を跳躍し、空中を飛び交いながらカルナはその辺のビルの屋上からブチ折った避雷針を槍代わりにして、イルミの針やら攻撃やらを弾き返していなしながら、自分の「体」の調子を確かめる。

 

(マスターのオーラとやらは、肉体強化を得意とするタイプのものだったのが幸いだな。魔力放出も出来そうだが……使わずに済むのなら使うべきではないか。

 宝具も無理すれば威力は下がっているだろうが、『梵天よ、地を覆え(ブラフマーストラ)』か『梵天よ、我を呪え(ブラフマーストラ・クンダーラ)』なら使えそうだが、確実にオレではなくマスターがその負担を背負うことになる。よほどの時でもなるべく使用は避けよう)

 

 生前の自分の身体とも、サーヴァントとしての魔力で出来た仮初の肉体でもない、本来の自分の体ではない、傷一つつける権利はなく、守り抜くべき(マスター)の体はどの程度の「力」を使えるかを確かめ、考える。

 

 もちろん、だからといって目の前のイルミをないがしろにする訳ないのだが、相手は十分に優秀な実力者である為、カルナが全く本気を出していないことくらい気付いている。

 そして自分を瞬殺するのはもちろん、殺したくないのなら殺さないまま、無力化することも可能なほど実力に開きがあるというのに、自分から攻撃を一切しようとはしない防戦は舐めプだと判断し、イルミの怒りはさらに増してゆく。

 

 カルナとしてはマスターであるソラの体で人を殺すのはもちろん、可能な限り傷つけることもしたくない、マスターの体で無理すべきではないというだけではなく、自分の発言でイルミがキレたことくらいはさすがにわかっているので、自分が怒らせたのに怪我をさせるのは悪いと思っての防戦なのだが、それはそれでやはりイルミの怒りを買う真実なので、どちらにせよこの現状に至ることは変わらない。

 

「っっっどこまで俺をバカにする気だ!?」

「そんなつもりも覚えも一切ないのだが、気に障ったのならば謝罪しよう。しかし今後の参考までに、オレのいったいどのような言動がバカにしているように見えたのかを教えて欲しい」

「そういう所だ!!」

 

 イルミが跳躍するカルナに針を投げつけながら叫ぶと、相も変わらず涼しげな顔で大真面目にカルナは答え、逃げ場のない空中で針をすべて弾き落とす。

 本人は嫌味ではなく本気で言っていることを、イルミがわかっているのかどうかは不明だが、どちらにせよイルミの殺意が納まるわけもなく、操作系なのに自らカルナの方へ駆けて蹴りつけた。

 

「誰が、殺せもしないだ! 今の俺に殺意がないと本気で思ってるのか!?」

 

 軽々と自分の蹴りをいなすが、やはりカルナは受け流して避けるだけで、カウンターや反撃をする余裕があるにもかかわらず全くしない。どこまでも防戦を貫く。

 それが余計に癇に障り、イルミは自分が仕事を放りだしてキレる元凶の発言を、誰よりも何よりもイルミが聞かなかったことに、なかったことにしたい発言を自ら掘り返す。

 

 自分で自分の言葉に対して、憎悪と殺意を増幅させてこちらにぶつけてくるイルミを、カルナは困ったように柳眉を下げて答えた。

 

「今、本気で殺す気になれているのは、相手がオレだからだろう?

 お前がマスターの見目だけに惚れるような、短慮な男ではないことくらい、それも見ればわかる」

 

 カルナにとっては、相手を気遣った言葉だったのかもしれない。もちろん、彼にお世辞を使って機嫌を取るなんて器用な真似ができるわけないので、口に出した言葉は全て本音だ。

 ただ相変わらず彼は、絶望的なまでに空気を読めていない。

 

 イルミにとってその発言は、何もかもが逆効果。

 さらに増した殺気をオーラごと右腕に集中して纏い、イルミはカルナに無言で殴りかかった。

 

「うるさい!! 黙れ!! 死ね!!」

 

 キレた理由はよりにもよってカルトやヒソカの前で堂々と、しかもソラの顔で言い放ったのはもちろんなのだが、一番許せない理由は、最も許しがたい理由はただ一つ。

 

 ……それは、「夢」だ。

 いつの日か必ず、現実の前で折れ、現実に儚く破れる、そんな「夢」だ。

 

 だからこそ、その日まで見ることを選んだ。

 それに何の意味も価値も求めてなどいない。

 

 何も期待などしたくない。それ得るためにきっと失うであろうものはわかっている。

 とっくの昔に天秤にかけて、選んだのは夢ではなく現実と家族()だ。

 

 それでも……目覚めたらもう二度と見ることなど出来ない、見ることは許されない夢だから。

 

 だから、悪あがきのように見続ける夢。

 いつの日か必ず、自分の手で終わらせる夢。

 

 だから、だから、だからこそ許しはしない。

 

 自分のことを知っているのか知らないのか、相手が何者であるかなど関係なく、自分以外の誰かがその「夢」を語ったこと。触れたこと。

 

 その言葉が正しいのか、的外れなのかも関係ない。触れた時点で、許しはしない。

 それは自分だけの、自分自身でさえも最後に手折り、破り、目覚めるまで、失うまで許せない「夢」だから。

 

「……あぁ、なるほど」

 

“硬”で殴りかかってもやはりただ相手は避けるだけ。オーラを纏った拳以外が無防備になっていることに気付けていない訳もないのに、反撃はせずただ(マスター)の身を守りながら、彼は蒼緋の眼を細めて言った。

 

「お前は、オレが土足でお前の聖域に踏み入ったことに対して憎み、憤っているのか」

 

 その言葉が、またさらにイルミを苛立たせる。

 

「黙れ!!」

 

 叫び、針を投げつけるが、屋上を飛び交っているので地上とは違い灯りは月と星くらいにしかないにも拘らず、釘や鋲に近い太さの針はもちろん、髪より細い針すらもカルナは見極めて、槍代わりにしている避雷針で叩き落とす。

 

「しかし、それほどまでにマスターを想うのならば、なおさらにオレは口を出させてもらうぞ。

 お前はお前自身の意志でマスターに思いを告げぬことを選んだのならば、それは確かに誰にも口を出す権利などない。余人にはいかに無意味に見えようが、本人にとってこれ以上ない幸福というものなど、多々あるものだ。

 だが、イルミよ。その選択は本当にお前自身の意思によるものか? お前は、誰でもない誰かの評価を恐れて、自分ではない誰かが望む自分を演じているだけではないのか?」

 

 カルナの言葉を掻き消すように、「わかったような口を利くな!!」と怒鳴りつけるが、さほど声を上げていないにも拘らずやけに通る声は、イルミの剣幕など子供の駄々のように受け流し、まさしく子供に言い聞かせるように言葉は続く。

 

「イルミ、己を誤魔化すな。お前の俺に向ける憎悪は正しいが、マスターに向ける怒りや憤りは正しくなどない。

 自らの真の望みの為に黒き己を作りあげるのならば、それは一つの救いだ。だが、望んでいないことをするために、白き自分を殺すことに何の意味がある?

 イルミよ、お前は何の為に生きている?」

「黙れっっっっ!!」

 

 何もかもを見透かしたように、本当にイルミの心の内にソラ以上に、ソラが可愛らしく思えるほどに土足で踏み入るカルナにイルミは咆哮し、自らの体に刺し続けてオーラを充填し続けた針を抜取り、それを構えてカルナに向かって突進する。

 

 数年単位でイルミのオーラが充填された針は確かに、“纏”はもちろん生半可な“堅”ならば容易く貫通するほどの威力を持つが、これは刺した対象の脳を即座に破壊して体のリミッターを外すと同時に、溜めこんでいたオーラでさらに操り人形をドーピングして強化させるためのもの。決して、直接的な武器としての使用は想定していない。

 

 なのに、イルミの頭の中にはそんな本来の使用法は消え去っていた。

 カルナがイルミの能力を覚えているから意図的なのか、それともただ単に被害が出ないようにとお人好しな判断をしたからか、彼は地上には降りず、ビルの屋上や壁を跳躍しながら空中戦じみたことをやっているので、イルミの武器である人間を補充できないのはほとんど関係ない。

 

(何の意味がある? 何の為に生きている?

 黙れ黙れ黙れっっ! お前こそ、俺の何を理解してそんなわかった様な口を叩いてるんだ!!)

 

 イルミからしたら、「それ」を認めてしまえば、それこそ自分が今まで何の為に生きてきたのかがわからなくなるから、自分の今までをきっと「それ」は否定し尽くから、だからこそ求めはせずに、ただそこに「夢」としてあることだけを許したもの。

 

 イルミ(自分)ゾルディック家長男(自分)である為に、大切なもの(家族)を手離さない為に選んで切り捨てた……いつか必ず捨てると決めているものだからこそ、それを今更になって、もうとっくの昔に答えを決めたものなのに、自分に突き付けてくるカルナが許せなかったから、殺してしまいたかった。

 

 ここまで決めたはずの答えを揺るがされるくらいなら、それこそ今、ここであの「夢」を自分の手で、ヒソカでも誰でもないイルミ自身の手で手折って、壊して、捨ててやると決めて、イルミは駆ける。

 

 そんなイルミを、カルナは相変わらず憐むような悲しげな眼で見ていた。

 

「オレを憎むあまりに自棄を起こすな」

 

 相変わらず「どの口が言う?」と言いたい言葉を吐きながら、ビルの屋上に着陸したカルナは槍代わりの避雷針を構えたまま、深く腰を落とす。

 初めて、相手が攻撃態勢になった事でイルミは弟たちと同様に自分の体に、精神に刻み付けて染み込ませた警鐘が鳴り響く。

 

 だが同時に、やはり相手にはまだ殺す気などみじんもないことを冷静に見抜いていた。相手の力量はどこまで怒り狂っていても、客観的どころか機械的に判断できるのに、自分で導き出した答えにまたイルミは憎悪する。

 

「アルジュナの真似事ではないがな……ッ!」

 

 言いながら、余裕でカルナの身長を超えていた避雷針を軽々と投げ槍のように、イルミに向かって投げつけた。

 その避雷針をイルミは空中にいながら身をひねり、かすりそうになった脇腹にオーラを集めて避けきる。

 しかしこれはイルミが実力者だからこそできた芸当であるのは間違いないが、それ以上にカルナはイルミの実力を正しくどの程度か理解して、避けきれると判断していたからこそだ。

 

 その証拠に、イルミはまんまとはまってしまった。

 

「!?」

 

 空中で身をひねって投擲された避雷針を回避したとはいえ、だからと言って着地を失敗するほどイルミは未熟でも無様でもない。

 しかし、さすがにソラよりも強化系らしい力の使い道をしている相手がブン投げた避雷針など、同じ強化系でも真正面から受け止めるのは御免こうむる威力であるのは明らかだったので、かなり本気で避けた。

 その所為で、気付けなかった。

 

「がっ……くっ!!」

 

 自分が投擲した針は一つ残さず全て、そのブン投げた槍代わりの避雷針で器用に叩き落としていると思っていた。

 どうやら、何本かはその手で受け止めてそのまま拝借していたらしい。

 

 イルミに避雷針をブン投げ、そちらに気を取られている隙にカルナは、その拝借した針を数秒も満たないほどの時間差を置いて、同じように投擲していた。

 ソラとは違ってカルナは他の系統の応用が出来ないのか、その針にはイルミのオーラがわずかに残留していたくらいで、彼のオーラを纏ってはいなかったが、避雷針をかすりかけたわき腹にオーラを集中して纏ったせいで、他の箇所は極端にオーラが少なく、カルナは他の系統を使わない分、肉体強化に全振りした力加減で投げつけられたので、イルミの装甲を貫通して手足にいくつかの針が突き刺さる。

 

 と言っても常日頃から自分の体に突き刺しているものなので、ダメージなど無いにも等しい。

 だが、イルミのプライドをその行為が傷つける。

 

 迫力だけならカルナの「梵天よ、地を覆え(ブラフマーストラ)」さえも超える眼力で彼を睨み付けながら、イルミはもはや着地の事すら考えずに針を投げつけた。

 

 そしてカルナも、その針を今までのように弾き落としも避けもせず、オーラを身に纏って真正面から受け止めた。

 イルミのなりふりも後先も構わない攻撃を、そこに込められたものを汲んだかのように。

 

 そんなこと、イルミは求めていないのに。

 イルミがその針に込めたのはただの殺意と憎悪であり、求めているのは、カルナの死だけだというのに。

 

(……空回ってんのは、お前の方だろ)

 

 どこまでも、それこそソラよりも相手と自分は決して分かり合えないことを思い知りながら、イルミは完全に体勢を立て直すことは出来ず、そのまま落下する。

 落下しつつ、どうせ「玩具は多い方がいいから」という自分本位な理由だろうから、助かったとか恩を感じる必要もないと思い、そのままビルとビルの間に張られたオーラのロープに捕まった。

 

 * * *

 

 そのオーラのロープの上で綱渡りのように器用に立つ道化師は、笑って尋ねる。

 

「や♥ ちょっとは頭が冷えたかい?」

「死ね」

 

 ただ一言、イルミは正直な自分の要望を口にすると、ヒソカは相変わらず全く気にした様子もなく、むしろ嬉しそうなくらい気色悪い笑みを浮かべて「酷いなぁ♠」と答える。

 

「まったく、どっちも助け甲斐がないなぁ♣ カルナなんて、助けに来たのにボクにめがけて避雷針投げつけたし♥」

 

 くつくつと低く笑いながら、やはり言葉とは裏腹に非常に嬉しそうにヒソカが語り、それですべてを察したイルミはさらに不愉快そうに眉間の皺を深めて舌を打つ。

 どうやら、カルナに対しての憎悪とカルナが自分よりはるかに格上であったため、眼を離しては勝ち目どころか生き延びることすら困難だと冷静に判断し、カルナしか見ていなかったイルミは、背後でたぶんカルナにでも恩を着せる為に自分を捕えようと追い、迫ってきていたヒソカに気付いていなかったようだ。

 

 カルナの方は向き合っているのもあって早々ヒソカに気付いたからこそ、相手の意図を壊すためか、それとも2対1はさすがに面倒だと判断したのか、もしくは追ってくるヒソカがただ単に気持ち悪かったのか、なんにせよわざとイルミとヒソカが直線状に並ぶように誘導して、イルミの体勢を崩すだけではなく、ヒソカも撃退するつもりで避雷針を投げつけたのだろう。

 

「誰がいつ、誰を助けようとした? 無粋な真似をするな」

 

 そしてヒソカの言葉に、ビルの屋上から二人を見下ろして若干不愉快そうなカルナが答える。

 

「ヒソカ。己の死を覚悟しての殺し合いに横やりを入れて介入ほど、無粋なものはないことくらい、お前ならわかるだろう?

 正直言って俺としてはこの戦いに何の意味も見出せずにいるが、イルミからしたら何かしらの意味はあるのだろう。友人ならば、その思いを汲んでやれ」

「……うーん♠ いいこと言ってるけど、ボクよりキミがまずイルミの色んなものをさすがに汲んであげて欲しいなぁ♦」

 

 おそらくはイルミのフォローのつもりで本人は言ったのだろうが、本当に何の美徳にならない正直さを発揮して、相手の神経を全力で逆撫ですることを言い放つカルナに、イルミはヒソカが張ったバンジーガムのロープに捕まったまま、また針をカルナめがけて投げつけ、ヒソカも呆れたように呟く。

 

 ちなみにイルミは「誰が誰の友人だ! 目玉腐ってんのか!?」と、ヒソカの友達扱いされたことに対して盛大にキレていた。

 

 そういう扱いはヒソカにとってはいつものことなので、イルミのマジギレを気にせずヒソカはカルナを見上げながら、いけしゃあしゃあと話しかける。

 

「無粋だったのは認めるけど、キミは別にイルミと戦いたかったわけではないんだろう? なら、説得とかが苦手そうな君の代わりに、キミが無益な争いをして、キミの大事なマスター(ソラ)が傷つかないようにしてあげたかったボクの気持ちも汲んでほしいなぁ♠」

「「お前は自分の獲物が減るのが嫌なだけだろうが」」

 

 いけしゃあしゃあとしたヒソカの発言は上下から突っ込まれて、さすがにヒソカも苦笑いを浮かべる。

 そして見事な突っ込みユニゾンを決めてしまったイルミは、ものすごく不本意そうな顔をしてカルナを見上げて睨み付けるが、カルナは何がそんなに気に入らないのかわからないと言いたげに首を傾げていた。

 

「カルナ。キミって人の心を見透かしているのか、ものすごく鈍いのかどっち?

 まぁ、どっちでもいいけど♦ で? イルミはこの後どうする? 仕事を放ってカルナに遊んでもらうのかい?」

 

 カルナの反応に再びヒソカが呆れたように呟いてから、バンジーガムのロープに捕まったままのイルミに問う。

 答えなどわかりきっているのに、わざわざ尋ねるヒソカにイルミは舌を打ってから嫌々答える。

 

「……どうせお前が邪魔するんだろ。さっさと仕事に戻る。この借りは後で返すよ」

 

 さすがに頭が冷えて自分のしていることがだいぶバカらしくなったのか、素直にイルミは仕事に戻ると決めた。

 非常に忌々しいが、自分とカルナの実力差を考えるとヒソカの言う通り、自分がしていることは殺し合いではなく、カルナに遊んでもらっているが正確だ。

 これ以上どう足掻いてもそれは変わらないことくらい、イルミは初めからわかっている。

 

 なので、未だ胸の内で煮え立つような憎悪を、少しでも押さえつける程度に頭が冷えているうちに、彼は撤退することにした。これ以上、カルナと関わっていたらそれこそイルミの堪忍袋の緒は、いくつあっても足りやしないのが目に見えたから。

 

 そしてついでに、なくてもどうにでもなったが、一応ヒソカが張ったこのロープのおかげで楽に助かったのは事実なので、さっさと返すと宣言してイルミは、懸垂の要領でロープに上がりながら言っておく。

 もちろん恩など感じていない。ヒソカ相手に借りを作るのは、どう考えてもいつか自分を破滅させるとしか思えないから、出来る限り早急に突っ返したいだけだ。

 

「そう♥ ならこれでキミ達二人は一件落着だね♦

 所で、カルナ♥ キミはこの後何か、予定でもあるのかい?」

「ある。忙しい」

 

 ヒソカの「暇なら今度はボクと遊ぼうよ♥」と続いたであろう言葉を予測していたのか、それとも素か、……十中八九後者だろうが、カルナは即答でぶった切る。

 そのような反応はもう既に、ある程度「カルナ」という人格を理解したヒソカにとっては予想の範疇だったが、この従僕は主に似ているのか、どこまでも他人(ひと)の予測の斜め上を行く。

 

「だが、無粋だったとはいえ、お前の介入がこの争いを終わらせるきっかけになったのは事実だ。だから、お前の言う通り、お前の意図を汲もう。

 ヒソカ。お前が望むのならば、今すぐには無理だが、拳を交えることを約定しよう」

 

 まさかの、本当にヒソカの欲望丸出しだった意図を汲んで、自分から提案してきたカルナにヒソカ本人はもちろん、もう二人を無視して仕事に向かおうとしていたイルミも、思わず目を丸くしてカルナを見上げた。

 

「……へぇ♥ 絶対にキミは主人の為に断ると思ってたから、意外だなぁ♥ もしかして、カルナもボクと遊びたいと思ってくれたのかな?」

「いや。むしろお前に対してはおそらくオレは初めて、理屈ではない生理的嫌悪感で戦いたくないと思っている。

 ただ、どれほど断ってもお前はしつこく付きまとうのも、了承するまで手段を選ばぬことも目に見えている。それがオレに対してのみならともかく、マスターにまで及ぶのは避けたい。だから、諦めてその要望を受けようと思っただけだ」

 

 ヒソカの言葉にどこまでも容赦ない正直さを発揮して即答するカルナに、さすがのヒソカもどんなコメントを返せばいいのかそろそろわからなくなってきたので、苦笑をただ浮かべておいた。

 

 だがさすがに、「でも、いいのかい? 主人(ソラ)の許しなくそんなこと言って?」という問いに対して、「俺が説得する。だからオレがマスターを説得するまで待っていて欲しい」と言われた時は素で「え」と声を上げた。というか、イルミも上げていた。

 どう考えても、この口下手どころではない相手が詐欺師レベルで口が回るソラを説得できるとは思わず、「……彼とのタイマンは本当に出来るのかな?」と、期待が一転して大きな不安となる。

 

 しかしヒソカがカルナに、「本当にそれ、大丈夫なの?」と尋ねる機会には、残念ながら恵まれなかった。

 

 それ以上にヒソカにとっては聞き捨てならないことを、相変わらずこの男はしれっと暴露したからだ。

 

「それと、悪いがオレと本気で戦うことは期待するな。これはお前の事を甘く見ている訳でも、俺が自惚れている訳でもない。出したくてもオレは出せないのだ。

 歪んだ形の執着とはいえマスターを……ソラの事を俺よりも好ましいと思っているのなら、()()()()()()()()()()()、それ以上は望むな」

「…………それは、どういう意味だい?」

 

 ヒソカには珍しい、どう答えたらいいのかわからないと困り果てた苦笑が一転して、これもこれで珍しい真顔になって尋ね返す。

 今度こそ3度目の正直で帰ろうとしていたイルミも、無言で足を止めてカルナを再び見上げた。

 

 両者の眼をカルナは蒼緋の眼、……ソラとは違う眼で見降ろし、二人を見据えながら彼は静かに答える。

 

「オレとマスターは、初めに語った通り別人だ。

 同じ精神が二つに分かれた二重人格でも、何かの間違いで一つの体に生まれつき二つの魂を持ち合わせた者でもない。赤の他人である俺が、マスターの体に居候しているようなものだ。

 

 ……だからこそ、この身はあまりにも危うい。

 自分で言うのもなんだが、オレとマスターでは魂としての質や大きさそのものが俺の方が強大だからこそ、オレがマスターにはない、オレとしての力を行使すればするほど、マスターの精神や魂をオレは食いつぶし、マスターはオレへと置換される可能性が極めて高い。

 そして、逆も同じだ。この身はマスターのものなのだから、オレはしようと思えばマスターの持つ異能(ちから)は使えるだろう。夢として処理されている曖昧な記憶も、マスターの体なのだからマスターの脳に間違いなくあるはずなのだから、やはり思い出そうと思えば思い出せる。だが、そうやってオレがマスターに干渉し、境界を曖昧にしてしまえば、結局は同じようにオレという自我が、マスターの自我を食いつぶす。

 

 そのような結果はオレの本意ではないどころか、オレが最も避けたい最悪の結末だ。

 だからこそ、オレはオレとマスターが共通して扱えるであろう力しか使えない。それ以外を使う気など、毛頭ない」

 

 元々訳の分からない関係であったが、どうやらヒソカやイルミが思うよりはるかに説明されても訳が分からず、そして数少ないわかった部分といえば、カルナはソラにとって便利で頼もしいどころか、呪いじみた存在だった。

 カルナの性格が「サーヴァント」という肩書にふさわしい従順さなので、守護霊のような役割を果たしているが、おそらくこれは本質的には悪霊という呼び名の方がふさわしい。ただ単に取り憑いている側が奇跡的な程に聖人だから、ソラはソラのままでいられるのだろう。

 

「……下僕どころか、寄生虫だな」

 

 イルミがカルナを睨み付け、忌々しそうに吐き捨てた言葉を本人は、「そうだな」と何ら傷ついた様子もなく、淡々と受け入れる。

 

「お前がオレを忌々しく思うのは当然だ。オレも、マスターを危険に晒す爆弾でしかないオレ自身が忌々しい。

 しかしながら、厄介なことにオレとマスターは完全な別人でありながら、今は同一存在として『セカイ』に扱われている。

 オレは『カルナ』でありながら座から完全に切り離されてマスターに取り込まれた所為か、どうやら魂としてのラベリングは『ソラ』となっているようで、オレが消えるということはマスターもおそらくオレに引きずられて死に至るだろうから、オレはマスターの中でオレという爆弾を爆発しないように努力するしかない」

 

 カルナとしては自分が把握しているだけの事情を丁寧に説明したつもりだが、当然、魔術など知るはずもなく、英霊の座という概念など聞いたこともないヒソカとイルミには全く、何を言っているのかわからない。

 しかしヒソカとしては、相手がどれほど強いか、そしてその相手とどうしたら本気で戦えるかが第一であり絶対なので、ソラとカルナの在り様に興味がないわけではないが、積極的に詳しく知ろうとは思わなかった。

 そもそも、訊くならソラに尋ねた方がいいと判断した。カルナに説明を求めたら、間違いなく倍以上の時間がかかることくらい、容易く想像はついていたから。

 

 なのでとりあえず、別人なのに一心同体であることと、カルナが本気を出せない理由だけは理解できたので、ヒソカは「ふぅん♦」と相槌を打ってから、ニヤニヤ嗤って言ってみる。

 

「つまりはソラを犠牲にすれば、君の本気が見れるってことか♥」

「望みもしていないことを口にするな」

 

 しかし、ヒソカの質の悪い冗句は見抜かれており、あっさりと即座に言い返される。

 

「お前は戦う為なら、どれほど悪辣な手段も使うことは知っている。そして、戦士としてはマスターよりオレを求めていることも理解しているが、オレよりもマスターを人として好んでいることも見ればわかる。

 マスターと戦い尽くして、彼女の人格さえも甚振りつくして壊した後ならともかく、今の段階でオレを選ぶ訳がない」

「……キミって本当、洞察力は素晴らしいのに、どうして空気に関してはああなの?」

 

 ヒソカの発言が質の悪い冗談でしかないと即座に気付いた根拠をサラッと口にして、ヒソカは何とも言えない目つきで訊くが、カルナはやはり真顔で「オレにもわからん」と即答した。

 やはり初めに思った通り、そしてカルナの言う通り、ヒソカにとってカルナは殺し合いの相手としては最高だが、それ以外に関してはとことん関わりたくない相手だと再認識したので、今日の所はこれで退こうと決める。

 

 間違いなくそろそろ、ヒソカの会話を盗み聞き(というより、ヒソカは承知の上で聞かせているのだが)をしているマチが、何度か出ている「ソラ」という人物名に反応して、彼女本人がこちらにやって来るか、団長に余裕があるのならもう既に連絡が行っているだろう。

 おそらくカルナは旅団全員がかりでも仕留められるか怪しい相手なので、彼を失う心配は無用だが、旅団もヒソカの美味しい玩具候補なので、とっとと帰ってテキトーに旅団を言いくるめてカルナを逃がすことにした。

 

 なのでヒソカは、ソラと面識があったのにその情報を一切口に出さなかった言い訳を考えながら立ち去ろうとするが、その前にカルナの天然に振り回されて、イラついてはいないが調子を狂わされてちょっと欲求不満なので、ふと思いついた置き土産を投げつけた。

 

「キミは約束をきちんと守ってくれそうだから、今日の所はその約束に期待して、ボクは退くよ♦

 ところでちょっと気になったんだけど、キミはあんまりソラの記憶をちゃんと覚えてないみたいだけど、ソラの方はどうなのかな? 君と同程度に覚えてるのかな? それとも、自分の体のことだから、キミより記憶が鮮明だったりして♥」

 

 ほぼヒソカの八つ当たりの置き土産は、もちろんカルナに投げつけられたものではない。

 ヒソカの疑問に、二人の会話を今度こそ無視してバンジーガムが張られてたビルの外壁、そこから一番近い窓からビル内に入ろうとしていたイルミが、石化したように固まった。

 言われて気付いたのだろう。カルナのトンデモ爆弾発言を、体の持ち主であるソラが、覚えている可能性があることを。

 

 カルナだと全くなかったからかい甲斐を、イルミで代わりに発散してヒソカはニヤニヤ笑うが、やはりカルナはどこまでも空気を読んでくれない。

 

「……おそらくは俺と同程度、下手したら俺よりも曖昧だろう。マスターの方が、俺の記憶を夢として見ている時間は圧倒的に短いからな。

 それと、イルミ。そもそも見られたくない記憶や覚えて欲しくない情報は十中八九、オレ達は共有していない。お前があそこまで否定しようとしていたものをマスターに見せるほど、さすがにオレは無神経ではない。この記憶は俺の中で封じておくから、安心してほしい」

「うるさい!!」

 

 ヒソカのあまりにも不安を煽る発言を即座に否定してくれたのはイルミにとって幸運だろうが、もちろんカルナの発言がそれだけで終わるわけがない。彼の発言はだいたい、全範囲を色んな意味で爆撃する。

 全くフォローになっていない、そもそも全ては自分の所為だということもわかっているのかどうか怪しい発言にイルミがキレて振り返り、怒鳴りつける。

 

 そしてヒソカは、イルミの反応に笑いながらも、めげずにまだ煽った。

 

「キミ達、今までにも同じように人格交代したことあるの? ないのなら、『知られたくない記憶は共有しない』って根拠はどこから来たんだい?」

 

 カルナの言動と、カルナがソラの体を使うリスクからして、おそらくは今日初めて人格交代してみたのであろうと踏んでいるヒソカが、素で気になったのもあって訊いてみると、カルナはやっぱり真顔であっけらかんと答えた。

 

「いや、オレも言われて気になり、マスターに干渉しない程度に記憶を思い返してみたら、どれほど記憶を思い返してもマスターの風呂やトイレに関する記憶は一切ないから、まず間違いなくオレ達は記憶共有しても、『見られたくない・見せたくない記憶』は、互いに認識できないようになってるはずだ」

「お前は何を思い返そうとしてるんだ!?」

 

 カルナの語った根拠に、イルミがまたブチ切れて針を投げつけたのは言うまでもない。






クラピカが出るとどこまでも暗くなって、そしてカルナが出るとシリアスが瀕死になるんですが……

書いてて本当に、イルミに申し訳なくなってきた今回。
本当、空気読まないし肝心な言葉は足りないのに余計な言葉は多くて、でも「貧者の見識」のせいで図星をドスドス突きまくる人でごめん。

ちなみに、作中で説明した通りカルナセコムだと特殊能力系が全部使えない、使えるのはオーラによる肉体強化と体術のみというハンデがありますが、貧者の見識は普通に使えます。
あれ、特殊能力というよりその域に達するほどの洞察力だし。
というか、さすがにカルナ程じゃないけどたぶんソラも持ってます。貧者の見識。


所で、次回の話についてここで先に謝っておきます。

クラピカとシリアスごめん! 本当にごめん!!
本っっっ当にごめんなさい!!

うん。ここまで言えばみんなわかるな。
次回、クラピカとカルナ邂逅します。

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