更新がやや遅れてすみません。
私用+ちょっとだけ体調を崩していました。
ついでに、休み明けは仕事の予定が詰まっているので、更新が遅れると思いますが週一ペースは維持してゆくつもりなので、気長にお待ちしていただけたらありがたいです。
救われている。
初めからクラピカは、完膚なきまでに救われている。
あの日、あの眼に同胞の面影を見た時から。
本当は誰かを信じたい、独りきりで生きるのは嫌だという願いを取り戻した時から。
「助けて」と縋った声に、「いいよ」と笑顔で答えられた瞬間から。
ただ、彼女さえいれば、ソラが生きてさえいてくれたら、それだけでクラピカは幸福だった。
救われていた。
だからこそ、クラピカは救われない。
その救済を、幸福をただ享受するだけでいられるほど厚顔無恥ではなかった。
むしろ逆に、あまりにも誠実で善良だった。
ただ一方的に救われるのではなく、自分を救ってくれた人も自分に与えられたものと同じだけの、それ以上の幸福を返したかった。
ただそれだけの、あまりに真っ当で幼い、そして優しい望みを持っていた。
その望みが、自分に与えられた救済と幸福を罪悪感と自己嫌悪に変える呪いに成り果てても、クラピカは手離せない。
彼女が生きているだけで、どれほど傷ついても苦しんでも、彼女が死を望んだとしても、クラピカにとっては生きていてくれるだけで幸福なのは間違いないけれど。
だけど、それ以上に幸福なのはソラが何も苦しい思いも痛い思いもしないで、心の底から「幸せだ」と思いながら笑って生きてくれることだから。
だから、諦めきれず、手離せない。
* * *
「クラピカ。お前はあまりに善良で誠実すぎた。他者に厳しく接する分、己をそれ以上に厳しく律するその精神は尊い。
だが、クラピカ。お前の望みは正しくとも、お前のしていることは間違えている。それくらい、お前は本当はわかっているはずだ。わからないのなら、自分のしていることが正しいと思っているのなら、俺に教えてくれ。
与えられた幸福と等価の幸福を相手に与えることに意味はあるが、相手と同じだけ不幸になることにお前は何の意味を見出しているのだ?」
ソラの眼と自分の眼によく似た蒼緋の眼が、クラピカが目を逸らしていたいことも、クラピカ自身が気付いていないことさえも見透かすように、どこまでも真っ直ぐに向けられる。
その眼に見据えられ、見透かされたクラピカは力が抜けて重ねられたカルナの手でほぼ支えられてるような手に、再び力が入る。
カルナの首元を掴みあげて、彼は叫んだ。
「お前に何がわかる!?」
またしても感情が、醜い嫉妬を呼び戻す。
彼にいくら善良だの誠実だの評価されても、何も嬉しくない。
それが自分の救われない理由どころか、ソラを更に悲しませている原因だと突き付けられたのなら、なおの事。
「ああ、わかっている! それがわからぬほど愚かではない!!
何の意味もないどころか、ソラから与えれたものを投げ捨てて、オレだけじゃなくてソラをさらに不幸にしてることくらいわかっている!!
……だが、そこまでわかっていてもオレにはわからないんだ。わかっていたとしても、力が圧倒的に足りないんだ!」
相手がくれた幸せと同じだけの幸福を返すことが出来ないからといって、相手と同じだけ不幸になることが等価交換になる訳がない。
むしろ、幸福にしたいと思っている人が不幸になるのを見て、彼女がさらに傷ついて不幸になるという負のスパイラルとループを生み出しているだけだ。
しかし、だからといって真っ当な神経をしていれば、救われているからこそこの現状に、自分の幸福は一番大切な人の何もかもを犠牲にした上で成り立っているという現実に、耐えられる訳などない。
……結局、それは相手の為ではない。自己満足に過ぎない。
だが、それをしないとそれこそクラピカは、罪悪感で生きていけなくなる。
だから彼は、救われているからこそ、幸福だからこそ、その救済も幸福も投げ捨てて、自ら傷ついて不幸になる道を選んでしまう。
彼女を犠牲にして、自分一人だけ幸福であるという罪悪感から逃れるには、それしかなかった。
……したいことはあるのに、手に入れたいものはあるのに、彼女が望むあまりに最低限な唯一だけを守るには、こんな方法しか取れない弱い自分に嫌悪して、その嫌悪と妬みをクラピカは泣きながら、ただカルナにぶつけた。
「……お前に何がわかる? ソラに助けられ、守られる立場ではない、ソラを助け、守る立場のお前に……、それだけの力を持つお前に何がわかる!!
彼女を救いたいのに、いつだって彼女を犠牲にして、傷つけてばかりの弱いオレにどうしろって言うんだ!?
オレに何が出来るというんだ!?」
しかし、クラピカの涙ながらの八つ当たりでありながら真摯に答えを望む慟哭を、カルナはやはり無表情のまま、見透かすような眼で淡々と答える。
「悪いが、わからんな」
発作的に殴り飛ばしたくなる発言に、クラピカは唇を噛み、これはソラの体であると自分に言い聞かせて何とかその衝動を抑え込む。
抑え込んで、正解だった。
「……というか、お前は気付いていないのか?」
「何がだ!?」
何もかも見透かすような眼をしていながら、クラピカが何に対してこんなにも怒っているのか、無力感に打ちひしがれているのか、カルナの何に嫉妬しているのかを本気で理解できていないと良くわかる顔で、首元を掴まれていながらも首を傾げて尋ねるカルナに、クラピカは乱暴に突き放すように訊き返す。
訊き返されたので、カルナは事もなげに答えた。
「マスターも、お前と同じだ。
彼女を救おうだの幸福を与えたいだのという望みは、今更な話だ。彼女も、お前と出会った時点で完膚なきまでに救われている。お前がどれほど傷ついても、不幸であっても、生きている限り彼女は幸福だ」
カルナの首元を掴んでいた手が、今度こそ完全に力が抜けて離れる。
信じられないものを見るように、真紅に染まっている眼をクラピカは見開いて、唇を戦慄かせて呟いた。
「……う……そ……だ……」
「このような虚言に何の意味がある? というか、本気かお前は?
クラピカ。お前が罪悪感ゆえに自ら不幸になることを選んでも、自分の所為で彼女が不幸になると思っていておきながら自死を選ばなかったのは、自覚はなくとも気付いていたのではないか?
最も最低限な救済だけは、お前はいつだって、どれほどの罪悪感と自己嫌悪に苛まれて苦しんでも、マスターの為に守り抜いていたようにオレは見える」
少し困ったように、言葉通り「本気でそれを言ってるのか?」と呆れながらカルナは即答し、その言葉にクラピカは、そんな立派なものじゃないと内心で反論する。
言葉にはならなかった。
何度も何度も、死んでしまいたいと思った。
逃げ出したかった。
クラピカはソラが生きている限り救われているから、幸せだからこそ、そんな幸福が彼女の死という最悪の終わりを迎えるくらいなら、その前に自分が死んでしまいたかった。
彼女を喪う絶望を味わうくらいなら、幸福なまま何もかも終わらせてしまいたかった。
彼女の為ではなく、ただ自分の為に死んでしまいたかった。
カルナが語るほど、カルナが思う程クラピカは清廉ではない。
彼女の為に、彼女がこれ以上自分の所為で不幸になるのを厭って死を選ぼうと思ったことなどない。いつだって、自分が逃げ出したいから死を望んでいた。
けれど……、けれど、その望みを実行しなかったのは、虚無に己を明け渡しても、命そのものを捨てはしなかったのは、その理由はやはり清廉でも何でもない、ただクラピカ自身が「いやだ」と思ったから。
例え、自分がもう見ることが無くても、それでも想像してしまった。
想像だけでも耐えられなかった。
何の疑いもなく、信じて確信していた。
自分の死が、彼女の絶望になることを。
だから、自分の死でソラが絶望して生きることを、足掻くのをやめてしまう彼女が、自分の死後であっても存在することが耐えられなかった。
カルナが言っていることの大半は的外れだ。
だけど、核心だけは完璧に見抜いていたのがまた、理不尽だと自覚しながらもクラピカを苛立たせた。
「……そんな訳がない! オレは彼女に何もしていない! 今も昔も何もしてやれなかった!!」
「出会い、そして求めただろう。それだけで、十分だ」
だからクラピカは、カルナの言葉を、自分自身が知らぬ間に疑いもせずに信じていた前提を覆そうと声を荒げるが、カルナはやはり少し困ったような顔をしつつも、返事は即答だった。
「……オレはあまり、マスターとの記憶を正確に共有はしていない。夢として情報処理されている所為で、起こった物事も特に印象深いことだけしか覚えておらず、それさえもかなり曖昧にしか思い出せない。人物も、顔と名前が一致している相手は両手の指で足りるほどだ。
だが、クラピカ。お前の事だけは、お前と出会った日の事だけはあまりにも鮮明に覚えている。
それほど、マスターにとってお前との出会いはかけがえのないものであり、そしてオレ自身にとっても忘れ難いものだった」
困ったように、あまりにも今更な事を改めて説明しなくてはいけないことに困惑しているカルナに、クラピカは否定する。
「……有り得ない」
疑いもせず信じていた。だけど自覚はなかった。
自覚できるような、自分が納得できるような理由がなかったからだ。
そしてやはり、その理由に心当たりなどない。
「オレは彼女に助けられてばかりだった。衰弱しきっていた彼女に、無様に泣いて縋りついて、命を救われたことに対しての礼も言わず、図々しく『助けて』と懇願しただけだ!
そんな身勝手で弱い子供が、どうやってソラを救ったと言うんだ!?」
ソラが何故、何もできない、何もしてやれない無力な自分なんかと出会ったことで救われているのかなど、クラピカには想像出来なかった。
救われる道理など、どこにもなかったはずだった。
「だから言っているだろう? お前と出会い、そしてお前がマスターを……ソラを求めたことが、マスターにとって己の全てをかけてお前を守り抜く理由に値する救済だった」
「だからそれのどこに、彼女は救いを見出したというんだ!? そんなことが救いになるというのなら、誰だって良かったはずだろう!」
しかしクラピカの否定も問いも、どうもカルナにとっては本当に根本的すぎるものらしく、彼にとってこれ以上の説明は出来るのものではないのか、答えはループする。
そのループする答えに苛立ってクラピカが反論すると、初めてカルナはクラピカを睨み付けた。
わずかだがその眼に怒りの感情が灯り、一瞬クラピカは本能的に身を引くが、それでも彼は納得など全く出来ていなので同じように睨み返す。
「……『そんなこと』と言うのならば、お前の救済も『そんなこと』で済まされる、マスターでなくとも良かったものだろうが」
両者はしばし無言で睨み合い、先に口を開いたのはカルナだった。
「クラピカ。お前は別に悪漢から助けられたことがきっかけで、マスターに救いを見出したわけではないだろう? それに関してはせいぜい、恩義を懐いている程度だ。
お前がマスターに助けを求めた理由、マスターがどれほど傷ついても苦しんでも、彼女自身が死を望んでも、それでも生きていて欲しいと望むほど、彼女の存在自体が幸福であり救済であると思ったきっかけは、マスターの『眼』だろうが」
核心を貫かれる。
誰も、何も信じられなかった。この世の全てが己の敵だと思い込んでいたクラピカが、「信じたい」と願ったきっかけ。縋り付いて、離したくないと思ったもの。
それは、同胞を虐殺し、尊厳を踏みにじって凌辱と蹂躙の限りを尽くしている輩と変わらぬ、あまりに身勝手で一方的な理由。
クラピカは、ソラに命を救われたから彼女を信じた訳でも、側にいたいと望んだわけでもない。
ただ、あの「眼」に同胞の面影を見たから。
きっとクラピカが悪漢に襲われて命の危機でなくても、どのような状況でもあの「眼」を見たのなら、クラピカはその時点で彼女に泣いて縋りついていた。
「自分は独りではない」という、救いを見出した。
「…………あぁ。そうだ。その通りだ。
オレは、ソラのことなど見ていなかった! 彼女という個人を尊重もせず、助けられておきながら感謝などしていなかった! 彼女が望んで得た訳ではない、むしろ呪いでしかないあの『眼』に縋り付いたんだ!!」
だからこそ、クラピカには理解できない。
どうしてこんなにも身勝手な理由で縋りついた自分なんかを、ソラは大切にしてくれるのか。
クラピカが希った「助けて」に、「いいよ」と即答してくれたのか。
どうして、彼女も自分の存在そのものに「救い」を見出しているのか。
「そんなオレがどうして、彼女の救いになるんだ!?」
今は彼女の眼などどうでもいい、その眼で彼女が苦しみ続けるのならば、ソラが望むのならば、どんな手段を用いてでもあの魔眼を、普通の眼に戻してやりたいと本心から思っている。
彼女から与えられた分だけ、もらった分以上の幸福を返したいという思いは本当。
だけど、そのきっかけは間違いなくソラ自身など何も見ていない、知らなかったとはいえソラの苦しみも不幸も全てないがしろにして、自分と同じように色が変幻する眼を持つ人を求めていた。
そんなクラピカが最も憎悪する者達と変わらぬ理由で彼女を求めた自分なんかに、あまりにも醜い執着をしていた自分のどこにどうやってソラは救いを見出したのか、クラピカには本気でわからなかった。
が、カルナはクラピカのその答えでようやく、彼がどうして自分の言葉で何も納得できていないのかを理解したのか、二色の眼から怒りは消えて、彼自身が納得したように何度か頷いた。
「あぁ。なるほど。お前はそのことに関しても罪悪感を懐いているのか。本当に真面目な奴だな」
「オレのことはどうでもいいだろう!」
感心したように言うどこまでもマイペースなカルナに、クラピカはもう一度つかみかかりそうになったのを堪えて言い返せば、それでもマイペースに「そうだな」とカルナは納得して、ようやく彼はクラピカが求める答えを口にした。
「そのことに関して、罪悪感を懐く必要はない。マスターが見出した救いは『それ』だ。
マスターも初めから、お前個人を正しく見ていたわけではない。マスターは何の意味もなく、ただ『死にたくない』という一心だけで逃げ延び、足掻く己の生を肯定したお前に、……魔眼が保有する能力や美しさではなく、ただマスターの『悪あがき』の証明でしかない眼にお前が価値を見出したことでマスターも、自らの生に意味を見出すことが出来た。
つまりは、お前もマスターもどっちもどっちだ。きっかけだけを語るならば、どちらも自分本位で相手のことなど尊重していない。だが、救われたことを感謝しているからこそ、相手にその『救い』と等価値の幸福を返したいと望み、向き合ったからこそ今がある。
――ただ、それだけのことだ」
* * *
頭の中をグチャグチャに掻き乱していた怒りや嫉妬が、カルナの答えで解きほどかれた。
もつれにもつれて絡まっていたはずの疑問が、何もかも一本筋の答えとなる。
疑う余地もなく信じて確信していたが、何もしてやれず、何もできなかった、救われたきっかけさえも自分本位なものであると思っていたクラピカには、どうしてソラがあそこまで最初から好意的で献身的だったのか、理解できなかった。
「助けを求めてくれた、必要としてくれたお礼」なんてことをソラは言っていたが、そんなの到底納得できる理屈ではなかった。
だが、カルナの答え、ソラもソラでクラピカ個人の人格などといったものは見ていなかった。ただ、死にたくないのに生きている理由も、生きてゆきたい理由もなく、死んだ方が楽だとわかっていながらも死の恐怖に耐えられなかった彼女にとって、泣き縋って自分を「助けて」と求める子供へ、責任転嫁に近い形で自分の生に意味と価値を見出した。
それだけのことだ。
呪いと化していながらも決して手離せない、「自身が今ここで生きている証」であるあの眼を、異能を利用するために欲するのでもなく、その美色を閉じ込めるケースとして眼球を求められるのでもなく、「その眼を持つ者」としてクラピカが縋り付いたことが、ソラにとっての救い。
「眼」単品では、クラピカにとっても救いには成り得ない。
緋の眼によく似た眼を持つ、生きた人間だからこそクラピカは、ソラを求めたのだから。
何の意味もなく足掻いた生に、クラピカが救われ、求めたという事実によって彼女も救われた。
全く同じ経緯で救われたからこそ、クラピカはその答えで緋色に染まっていた眼の色が戻る程に頭が冷えて、納得してしまった。
ソラが自分のことを見ていなかったことに、ショックはない。自分も同じようにソラを見てなどいなかったのだから、そんな資格はないことはわかりきっているし、むしろ安堵を覚えていたくらいだ。
ソラが何故、あんなにも自分を大切にしてくれたのかがわからなかったから、自分にそんな価値があるとは思っていないから、だからこそソラが自分に対して懐く好意や愛情は何かの間違い、勘違いをしているのではないかとさえ思っていた。
いつかソラがその勘違いに気付き、クラピカにそんな価値がないと知ってしまえば、この関係は壊れ、崩れるという不安があった。
だが、クラピカの身勝手な懇願、一方的な救済が奇跡的に噛み合ってソラ自身も救っていたというのは、色々と脱力ものな真実だが良い意味でも気が抜けた。
クラピカを個人として見ている今も、どうしてあそこまで献身的なのかという謎は結局残っているし、自分がそんな献身を与えられるほどの人間だという自信はクラピカにはないが、それでもソラに対しても失礼だった不安はカルナの答えによって消えてなくなる。
「……誰でも良かったといえば、確かに誰でも良かったのだろう。お前もマスターも、条件さえそろっていれば他の誰でも良かったはずだ」
力も張っていた気も抜けて何も言えなくなっているクラピカを、相変わらず色々と失礼で空気をぶち壊す発言をカルナは言い出すが、もうクラピカは食って掛からない。
そんな気力も今はないというのが大きいが、さすがにそろそろクラピカは学習していた。
カルナの言葉は、ここでは終わらない。
この男は本当にあり得ないくらいに言葉が足りないのに余計なひと言は付け加えるし、そもそも言葉のチョイスが悪いという信じられないくらい口下手でコミュ障だが、……ソラの言っていた通り、そしてソラのパートナーだっただけあって、自分より他者を思いやって損ばかりしている相手だというくらい、もうクラピカは十分に学習していた。
だから彼は、黙ってカルナの言葉の続きを待つ。
「……だが、お前やマスターが望む『救い』の条件が揃っている人間など、他にいると思うか?
お前の同胞を想起させる眼を持ち、お前の懇願に即答で応えられる者も、異能を操り、異端の眼を持つマスターに全幅の信頼を即座に預ける者も……、いないと言い切れないが、一番救われたい時にそんな相手と出会い、救われることは、『運命』と呼んでも過言ではないとオレは思う」
カルナは言った。
「奇跡」ではなく、「運命」と。
決して偶然ではない。誰でも良かったわけじゃない。
出逢うべくして出逢ったのだと彼は言ってから、少しだけ笑った。
「クラピカ。どうもお前はオレを羨んでいるようだが、オレにはお前がオレなんぞのどこを羨んでいるかわからない。むしろ、オレの方がお前を羨ましいと思う。
オレは、サーヴァントでありながらマスターにあまりに多くのものを与えられた。……戦士としての誉れ、人としての営みの安らぎ、そしてほんの一時だが生前に母が望んだ弟との共闘。聖杯ではなく、オレが望んだことは全てマスターが叶え、与えてくれたが……オレは何もできなかった。
マスターに負担を掛け続けた挙句に、マスターが『 』に落ちてもオレは引き上げることが出来ずにこの様だ。
……だから、オレはお前が羨ましい。マスターを救い続けるお前が、心から」
クラピカと同じように自分もクラピカを羨んでいたと語るが、その言葉にも真っ直ぐこちらに向ける瞳にも嫉妬の類はなく、ただただ純粋な羨望だけを向けられることにクラピカはいたたまれなくなるが、あらゆる意味で言葉にオブラートを包むことが出来ないカルナは、さらにクラピカの良心にトドメを刺す。
「クラピカ。オレが今日、マスターの体を借りて表に出たのはそうしないとマスターが危なかったが第一だがな……オレはずっとマスターを救ってくれたお前に会いたかった。礼を言いたかった。
ありがとう。マスターを救って「もういい! もうわかった!! 私が全面的に悪かったからやめてくれ!!」
ソラもソラで好意をどストレートに表すが、カルナの淡々としていながらストレートで、しかもこちらからしたらポジティブすぎる好意的解釈と過大評価に気恥ずかしいやら、いたたまれないやらでクラピカは赤面でカルナの口を手で塞いだ。
いきなり口をふさがれてカルナはしばし目を白黒させていたが、何か合点したような顔になってクラピカの手をはがして言い出したのは、「あぁ。オレに好かれても嬉しくないか。安心しろ。オレよりも誰よりもお前の事が好きなのはマスターだ。一瞬、オレを押しのけて起きたくらいにな」という、あさっての方向のフォローだった。
「そうじゃない! お前は人の心を見透かしているのか、究極の朴念仁なのかどっちだ!?」
もちろんクラピカはあまりにも見当はずれな挙句、また更にクラピカを羞恥で殺しにかかる発言にキレて言い返す。
言い返してから、気付く。
カルナの発言の発言。最後の言葉が何を意味しているのか。
急に呆気にとられた顔をして固まったクラピカに、「どうした?」とカルナはマイペースにと尋ね、クラピカは訊き返す。
「……起きた? ……それは、いつの話だ?」
気のせいだと思っていた。
幻だと思っていた。
ソラの体を借りたカルナが現れたから、自分に都合のいい幻を見て、幻聴を聞いたのだと思っていた。
「? 何だ? 気付いてなかったのか?
気付いたからこそ、正気を取り戻したのではなかったのか?」
しかしそれは否定される。
「見つけた時は捨て鉢にしても酷すぎるほど自暴自棄だったからな。マスターには悪いがいったん殴って意識を失わせて止めるしかないと思ったが、マスターがオレを押しのけて一瞬だが覚醒してお前を呼んだらあっけなく解決したから、オレが来る意味はあったのだろうか? と思ったぞ」
あれは、幻ではなかった。
『クラピカ』と呼んだ声は、幻聴なんかではなかった。
『良かった。無事で』と言って、心の底から幸せそうに、嬉しそうに笑った笑顔は、確かにそこにあった。
幸せの形は、クラピカの求める幸せそのものは、そこにあったという事実がただでさえカルナの発言で集めていた顔の熱をさらに上げ、顔を真っ赤にさせながらとっさにクラピカは口元を隠す。
が、カルナの優れた動体視力は見逃さなかった。
どうしようもなく嬉しそうに上がった口角を見て、カルナは少し呆れたように言う。
「……幻か何かだと思っていたのか? まぁ、一瞬でまた俺に代わったから無理もないな。
だが、これでわかっただろう。クラピカ。マスターはお前の肉体も命も心も全てを守ろうとしているが、彼女はあれほど自暴自棄となって何もかも見失いかけていたお前であっても、生きているというだけであれだけ喜んだ。
お前の心をないがしろには決してしていないが、彼女は失ったのならまた取り返すなり与えるなりすればいいという考えで、決してお前がどれほど不幸であっても、何に傷つき、何を失っても彼女は、同じだけ不幸になろうとは思わない。
いつだって、お前の生を喜び、そしてお前の幸福を探してそれを与えられるだけ全て与える。
……これが、同じ救いを見出しながら、マスターは救われ続けているのに、お前が決して救われない訳だ」
「…………あぁ。嫌になるほどよくわかった。すべては相変わらず、私の自業自得という訳だな」
言われて、心の底から思った本日のまとめをクラピカは羞恥と歓喜の狭間で答えると、カルナは少し困った顔をした。
たぶん彼は、クラピカをフォローしようとしたのだろう。
「……そこまで一方的にお前が悪いとは思わんが……、まぁ、その自身に厳しいお前の性格をオレは好ましく思うが、少しは自分を許すのも大事だということだな。
というか、クラピカ。言っては何だが、マスターに対しては本当にそこまで罪悪感を背負う必要はない。彼女は善人であることは確かだが、お前が思っているほど昔はもちろん、今も自己犠牲精神が旺盛という訳ではない。
あれは自己犠牲というより、後先のことを考えていないだけだ。『 』から逃げ出したことがきっかけでブレーキが完全に壊れてたのは事実だが、はっきり言ってその前からマスターは似たようなものだ。
危ないから下がっていろと言っても聞いてはくれず、オレを押しのけて敵サーヴァントに助走をつけて殴ったこともあるからな」
間違いなくクラピカがこれ以上、必要ないと思われる罪悪感を背負わずに済むようにと思いやって、フォローのつもりで入れた言葉であるのはわかるが、こいつは本当にソラのサーヴァントか? と思う発言をぶちかまし、クラピカをまた脱力させる。
ちなみに、ソラがカルナを押しのけて殴ったのは彼の宿敵でもある異父弟であり、さらに言うと正確には殴ったのではなく喉笛に地獄突きを決めていた。
もう空気を壊しているのはカルナなのか、ソラの方なのかわからない。
「…………もうそれはただの馬鹿だろう。あの馬鹿はいったい誰を相手に何をしてるんだ?」
抜けた気を何と入れ直し、項垂れたまま突っ込みを入れてクラピカは運転席に、ハンドルに向き直る。
最後の最後で主従揃ってのエアブレイクをかまされたが、それでもクラピカが抱えていたもの、答えの出なかった迷いに整理がついた。
ついたが、色んな意味でやはりカルナは、クラピカにとっては気に入らない、苦手な相手だ。
向こうは自分を羨ましいと言うが、クラピカにとってはやはりソラに頼られる立場であるカルナの方が羨ましい。
運命だと言われても、それでもやはりソラを救えたのはただの偶然で、そして身勝手で自分本位なものであることには変わりない。
始まりはただ「同胞の面影を持つ人」だったからに過ぎないが、今はどうしようもなく「ソラ」という一人がクラピカの幸福であり救済そのものだから、自分と同じようにクラピカが生きているだけで彼女は救われて幸福だと言われても、ただ生きるだけで納得できる訳はなく、そしてソラと同じだけの幸福を返せない劣等感や罪悪感だって消えやしない。
だから、やはり強いカルナが羨ましくて、そして彼のように純粋な羨望だけを懐くなんて出来ず、醜い嫉妬が胸の内に確かにあるが……。
それでも、回りくどいというか向こうが勝手に回り道をして迷走気味だったが、クラピカが抱えていた不安や罪悪感を軽くしてくれたこと、自分の「救い」そのものである彼女をここに連れて来てくれたことは確かに感謝していた。
だから、向き合ってでは子供のような反感が表に出そうだったから、クラピカは運転を再開させて礼を言うつもりだった。
「……カルナ。礼を……」
「待て。クラピカ。まだ発車させるな。訊きたいことがある」
しかし、本当にどこまでも、ソラと比べてもソラに謝りたくなるレベルでこの男は空気を読まなかった。
途中で言葉を遮られてまたしても脱力したクラピカが思わずハンドルに向かって突っ伏し、額がクラクションに当たって耳障りで間抜けな音がする。
「…………何だ?」
やっぱりこいつに礼を言う必要はないとクラピカは内心で判断しながら、もう抜けた気を入れ直す気にもなれず覇気なくカルナの問いを促す。
バックミラー越しのカルナは、やはりあんな空気を読まない発言をしたとは思えぬほど、凛然とした真顔。
ソラの顔でありながら彼女と面識があれば瞳の色など関係なく「別人だ」と断言するであろう程、雰囲気が違う。
カルナは、最初から変わらぬあまりにも真っ直ぐに、人の本質も深淵も照らし、見透かすような蒼緋の瞳で見据えて、尋ねた。
「クラピカ。お前は己の命を代償に何を得た?」