死にたくない私の悪あがき   作:淵深 真夜

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81:運命の夜、最終夜開始

「カルナさんに悪気がないことはよく知ってるよ。そんで、男ならそんなところに気が回らないのも仕方がないとも思う。

 でも、言わせろ。なんでスリッパ履く気配りが出来て、上着は着なかった」

『すまない、マスター。本当に気の利かないサーヴァントですまない』

 

 上下左右の区別もつかない、お互い以外に何も見えない存在もしない闇の中でソラはカルナに膝を詰めて説教をし、カルナも某竜殺しの英雄のように「すまない」を連呼し続ける。カオス極まりない光景である。

 

「……まぁ、もういいけどね。どーせ透けたって目立たない、地震があっても揺れないうっすい胸ですから」

 

 しかしいつまでもこんなやり取りを続けている訳にもいかず、ソラは話を自嘲で切り上げようとするが、カルナはどこまでもマスター思いだが、同時にソラでも「大丈夫かこの人」と思わせる斜め上だった。

 

『いや、マスターの胸は小ぶりだからこそ戦闘時に何の負担にならないから誇りを持っていい。実際、男のオレが全く違和感を覚えなかったくらいだ』

「カルナさん、走馬灯の準備できてる?」

 

 ソラの自嘲をフォローしようとした努力は認めるが、まさかのソラの胸が貧しいことをこの上なくポジティブに訴えかけて来て、自分の胸に関してさほどコンプレックスを懐いていないソラでもさすがにこの発言にはキレた。

 

『すまん……、本当にコミュ障とやらですまん……』

「コミュ障というか……、カルナさんって4年前から思ってたけどポジティブすぎて逆に損してる珍しい人だよね?」

 

 カルナが無抵抗で自分の非を認めて受け入れているとはいえ、半神の英霊相手にソラはチョークスリーパーを決めながら素の感想で答えて、気が済んだのか絞め技から開放する。

 

「いや本当に、カルナさん変わってないね。私、君のこと大好きだし、尊敬してるし、頼りにしてるし信じてるし、君の他意も悪気もない天然発言は結構好きだけど、それでももう少しでいいから何とかならない?」

『……これでも、4年前より少しはマシになったつもりなのだがな。クラピカから、最後まで聞けば何が言いたかったがわかると言ってもらえる程度だが』

「……最後まで聞けばってことは、最初の段階で絶対に誤解されてるじゃん。それ、カルナさんが成長したというより、クラピカの方がカルナさんの付き合い方を学習しただけじゃない?」

 

 腕を組んで少し呆れるようにソラが言えば、カルナは珍しく少し拗ねたように弁解する。

 が、その弁解はしない方がマシだった。さらにソラから呆れられた上に、彼女の言う通り自分ではなく相手がカルナとの付き合いを学習して成長していたと言った方が正確な有様だったことに気付いたのか、本気で凹みだす。

 クールで感情の起伏に乏しそうな外見とは裏腹に、案外カルナの感情は豊かであり、そして色々と引くレベルでポジティブかつ結構自信家なのもあって、この男は自覚していなかった部分をズバリと指摘されることに弱い。

 

 そのことを4年前の付き合いで知っているソラは、本当に変わっていない相変わらずなカルナに和みたい気持ちもあったのだが、そんなことをしてるほど自分が今いる場所、そしてしていることに余裕はない。

 なので、ソラは「カルナさーん。凹んでないで私の話を聞けー」と彼の肩を掴んで揺さぶった。

 

 そしてやはりハイパーポジティブなカルナは、ソラに揺さぶられたことで気持ちの切り替えを果たしたのか、ややスッキリした顔で「あぁ、すまない。そして、指摘してくれてありがとう」と素で答える。

 人のことを言う資格はないと自覚しているが、それでも「この人の思考回路どうなってんの?」とカルナと会話をするたびに飽きもせずソラは思いつつもそのことを突っ込んでも意味がないことをとっくの昔に学習してきているので、疑問は頭の端に投げ捨ててカルナの肩をさらに強く掴んで訊いた。

 

「……カルナさん。君、クラピカとイルミに何言った?」

『……………………特別なことは、何も……』

「そんな嘘が通用すると思ってんの!? 目どころか、首も限界まで逸らしてるじゃん!

 ねぇ、マジで君は何を言ったの!? クラピカはまだしも、イルミに君は何を言ったの!? カルナさんとイルミ達の会話は全く思い出せないのに、イルミが私相手の時よりもブチキレて殺しにかかってる記憶はあるんだけど!!」

 

 ただでさえ記憶の共有は、カルナだけではなくソラの方もしてないよりはマシ程度なのに加え、イルミに関してもクラピカに関してもカルナが意図的に情報の大部分を隠蔽しているので、ソラからしたら訳の分からない記憶になっていることをカルナは心の底から申し訳なく思うが、だからと言って約束を反故して話す訳にはいかない。

 

 そんな不誠実を行えないが第一だが、さすがのカルナでもクラピカの話ならまだしも、気付いていない相手に他者からの恋情を頼まれてもいないのに伝える気はサラサラない。

 そんなことをしても誰も得しないし幸せになれないことくらい、いくら生前色恋沙汰にほとんど縁がなかったカルナでも、それぐらいはわかる。

 ……そこはわかるのに、関係ない相手の前で人格は自分とはいえ思い人の口から指摘したらブチキレるという事には想像つかなかったのかと言われたら、カルナはいつもの凛然とした真顔で「出来なかった。反省している」と答えるのだろう。どこまでも、イルミが救われない話である。

 

 とにかく、ソラは自分に対するイルミの殺意がさらにグレートアップしたことだけは理解しているので、せめてその理由を知りたいとカルナをがくがくと揺さぶって訴えかけるが、我欲がなく、いつでも自分より他者を優先する施しの英雄だが、一度決めたことは曲げない槍兵らしい真っ直ぐな頑固者は、激しく揺さぶられながらも器用に舌を噛まずにソラに伝える。

 

『すまない、マスター。本当にオレの所為で、余計な恨みをマスターに背負わせることになってすまない。

 だから、マスター。遠慮はするな。オレはお前のサーヴァントなのだから、そんな必要はない。イルミ(やつ)と出会ったのならば、すぐに俺と代われ。あいつの殺意はオレが相手するべきものだ』

 

 カルナの言葉に、半泣きで揺さぶっていたソラがきょとんと目を丸くして揺さぶるのをやめる。

 そしてその丸くした目を細めて笑い、言い返す。

 

「酷いな、カルナさん。私の体狙ってる?」

 

 言ってから棒読みで「きゃー、エッチ!」とふざけるソラに、カルナの方は申し訳なさそうだった顔が真顔に戻して答える。

 

『マスター。オレに気を遣わなくていい。今のオレが望み願うものは、お前の平穏と幸福だけだ。お前の人格を食い潰してしまうくらいなら、ここで永遠に眠り続けることを望む。

 だからこそ、お前は死にたくないのなら少しは頼ってくれ。わかっているのだろう?

 マスターが望んでオレに肉体の使用権を一時譲渡するのならば、リスクはないに等しい。いや、そのリスクはオレをマスターが内包しているという時点で、何もしていなくても抱え続けているリスクだ。

 何もしていなくても抱えているリスクならば、オレを使った方がいい。オレを使えばマスターの体に負担は掛かるが……』

「カルナさん」

 

 いつしかカルナの肩から離れていた手の指先で、カルナの唇に触れて言葉を途中で止めて、ソラは笑って伝える。

 聞き分けのない子供に、強情で意地っ張りだけどその言い分があまりに優しいものだから、それを慈しむように笑いながら、ソラは答えた。

 

「うん。わかってる。

 カルナさんは私のことを想っているからこそ、私の意見やしたいことを無視なんかしない。いつだって私を最大限に尊重してくれる。

 ……だからこそ、悪いと思っているよ。だって私、明らか死にに行ってるような行動は多いし、私のことを心配してくれているのならヤキモキして当然だし、いつカルナさんの愛想が尽きてもおかしくないな!」

 

 そう言って、朗らかにソラは笑った。

 笑って、笑顔で彼女は答える。

 

「でも、ダメだ。この体は私のものだから、この体でしたことは私の責任だよ」

 

 4年前から、この娘はそうだった。

 従僕に過ぎない、道具に、兵器に過ぎないサーヴァントを「人」として尊重し、カルナのことを言えないくらいに自分をないがしろにして他人を大切にする。

 あまりに尊い笑顔で、苦労を苦労と思わず、思わせずに背負い込んでいかなる苦難の道も走り抜ける。

 

 だけど、4年前から予測出来た答えを告げるソラの笑みに、4年前にはあった幼さはない。肉体年齢はまだカルナの方が年上だというのに、カルナよりも大人びて見えた。

 その笑みに浮かべる余裕は本物ではない。けれど、相手の為に本物にしてみせるという意志さえも隠しきった、4年前の意地と強がりの笑みではない、本物の強い笑顔だった。

 

 自分と違って彼女は変わっていくことを、カルナは思い知らされた。

 

 * * *

 

 カルナとソラの関係は、ソラが持つ宝石剣とほぼ同じだ。

 

「 」に落ちて、ソラを庇い続けて先に「 」に分解されて溶けてしまったはずのカルナを、ソラが「 」から逃げ出す際に取り込んでしまった。

 しかし、どうもカルナはソラを庇って自分の体と同化しているはずの鎧を、体から引きはがしてまでしてソラに着せて、ソラが「 」に溶けて消えるまでの時間を稼いだ為か、どうやらソラが取り込んだ「カルナ」という存在の要素は宝石剣よりもはるかに大きかったらしい。

 それこそ、自分の中で「カルナ」という人格を取り戻すほどに。

 

 そして本来なら、カルナ以外のサーヴァントを同じように取り込んでいたのなら、おそらくソラの人格はサーヴァントが望んでいるいない関係なく、とっくの昔に食い潰されていただろう。

 

「 」に落ちたことで英霊の座から完全に切り離された分霊とはいえ、それこそ魔法使い級に規格外な人間ではない限り、英霊の魂に人間の魂が匹敵するわけがない。取り込んだ時点で、そのサーヴァントが受肉を望んでいるのならば、ソラの人格を食い潰して体を奪い取っただろう。

 

 そして、そんな意志などない、カルナと同じようにソラを守りたいと望んでいたとしても、おそらくはその望み故にじわじわとソラの人格を侵食していったはず。

 

 何故ならこの女、自覚している通り「死にたくない」と「守りたい」の狂気で何とか正気に近いものを取り繕っているので、死にたくないくせに自殺志願同然の行為を何の躊躇もなく突発的にやらかす。

 彼女を真っ当に思う者なら、力づくでも止めようとするのが当然。

 だが、その当然が彼女の人格を侵食する。

 

 人格交代の決定権は、ソラではない。英霊という強すぎる魂だからこそ、体の持ち主のソラを無視して、サーヴァント側の意志で無理やり彼女の人格を眠らせて表に出ることが可能だが、もちろんソラは自分の望まない人格交代に激しく抵抗する。

 その抵抗により、ソラの魂が、人格が消耗されてゆく。

 

 また、記憶の共有が曖昧すぎるのは、全くしていなければソラの中のサーヴァントは「異物」と判断されて拒絶反応を起こすが、完全に共有してしまえば人格の境界がなくなってソラとサーヴァントの人格が統合、もしくはソラの人格が食いつぶされるからこその、「ソラの中に存在が許される異物」としてギリギリの妥協点といったところなので、共有される記憶は本当に夢に記憶のように曖昧すぎて、人格を交代して体の使用権を得た瞬間に最低限の事しか覚えていないし、思い出せない。

 

 つまり、ソラやソラの守りたい誰かを守る為に無理やり交代したとしても、交代した途端に今置かれている状況が理解できないどころか、その守りたい誰かも、排除しなければならない敵もわからないという状況に陥りかねない。

 

 そしてその状況を打破する方法は、ある。

 ソラの記憶に干渉してしまえばいいだけだ。

 だが、それはカルナがヒソカ達に説明したように、ソラの人格に干渉して「ソラ」と「サーヴァント」の境界を曖昧にしてしまう行為。

 

 ソラがカルナを取り込んで、未だに己の人格を失わないでいられるのは、取り込んだのがカルナだからこその奇跡だ。

 

 彼がマスターを守りたいという思いは、他の清廉な人格を持つサーヴァントと変わらない真っ当でまっすぐで純粋なものだが、彼はどこまでも愚直にマスターを尊重し、ソラの行動にも思想にも意味と価値を見出しているからこそ、死にたくないのに死にに向かっているようなソラの行動も、彼女が邪魔してほしくないと望む限り、歯を食いしばって耐えながら、決して手は出さずに見守り続ける。

 

 そして、彼には「貧者の見識」という、言葉による弁明・欺瞞に騙される事なく相手の性格や属性を見抜くスキルがある。

 スキルと言えば魔法や魔術、宝具並に特殊なもののように思えるかもしれないし、もちろんそういったスキルも存在するが「貧者の見識」に関しては、天涯孤独の身から弱きものの生と価値を問う機会に恵まれたカルナが持つ相手の本質を掴む、端的に言えば非常に精度の高い洞察力なので誰にでもこのスキルを得る可能性は存在するため、宝具とは違ってこのスキルの使用がソラの人格を食い潰す可能性は皆無。

 そしてこのスキルのおかげで、カルナは突発的に人格交代しても敵と間違えてソラの守りたかった誰かを攻撃してしまうなどといった、最悪の事態はまず起こらない。

 

 だからこそ、カルナは心からソラに望む。

 

 ソラが望まない限り、自分からソラに干渉などしない。

 どれほどソラが傷ついても、この心の深淵で「夢」として見続ける。

 自分は確かに存在しているのに、何もできずただ「夢」を見続けるという境遇に不満などない。

 ソラが幸福であるのならば、カルナに不満など有る訳がなかった。

「ソラが幸福に生きる」という夢を見続けていられるのなら、何もしていない自分がこんなにも幸福な時を過ごしていいのか? と思う程に、カルナにとってそれは満ち足りたもの。

 

 だけど、ソラが望むのなら、頼ってくれるのなら頼って欲しい。

 カルナなら宝具どころか攻撃系スキルである「魔力放出(炎)」すら使わず、単純な肉体強化でイルミを完封していたくらいなのだから、ソラの抱えるリスクをゼロにすることは出来なくても、何もしなくても抱え続けるリスクと同程度に自分を運用できるから使ってくれ、自分を利用してくれと懇願する。

 

 傷つく覚悟をした上で、それでも己の望むものを掴み取る為に選んだ道を駆け抜けるソラに対して、自分が見たくないから傷つかないでほしいというのは、彼はサーヴァントにあるまじき傲慢な願いだと思いながらも、それでもソラに望んだ。

 その望みを、ソラは微笑んで拒絶した。

 

「ごめんね、カルナさん。私にとって君も、戦わなくて済むのなら戦わせたくない人なんだ。君は誇り高い戦士だからむしろ戦いたいのかもしれないけど、私は君に戦い以外の幸せを得て欲しい。カルナさんは優しいから、穏やかな幸せの方が似合うよ。

 そして、君を傷つけることが出来る人類なんていないとは思うけど、それでも、私の体がカルナさんの枷になるのが嫌だ。

 

 だから……、カルナさんが外に出たいのなら体は貸すけど、私は基本的にカルナさんに戦いを全部任せる気はないよ。一心同体だから、私が弱い所為で巻き添えにしちゃってごめんだけど」

 

 どうして、サーヴァントに過ぎない、道具に過ぎない自分の事をここまで大切にしてくれる? という疑問をカルナは口にはしなかった。

 それは、4年前に既に聞いた。

 そして間違いなく同じ答えを彼女は答えるだろう。

 

「カルナさんが大好きだからに決まってんだろ!」と、4年前と同じくらい眩く笑いながら答えるのが目に見えた。

 

 そして、それはカルナも同じ。

 

 カルナはこの世の全ての等価値だと思っている。この世の全てが、人間が全て同じくらい尊く、価値があると信じている。

 いかに悪辣なる行いでも、必ずその中に称賛すべき部分を見つけ出す。

 例え周囲全ての人間に不幸を招く者がいたとしても、それはその者の巡り会わせが、間が悪かっただけ。何か一つのタイミングが間違えなければ、もしくは間違えてさえいたら、その者はきっと多くの人間を幸福にすることが出来たと信じて疑わない。

 誰の価値も、意味も決してないがしろにしない。平等だからこそ、カルナは誰にも興味などなく、この世全てを嫌っているように周囲から思われていた。

 

 それほどまでの博愛を持つが、それでもカルナは半分と言えど人間だ。

 誰も嫌わなくても、全てに意味と価値を見出していても、それでもやはり自分を気にかけてくれた人、自分が望んだものを与えてくれた人、自分を好きになってくれた人を好きになる。

 

 だからこそ、目の前の酷く未熟でありながらそれを理由に屈することなく、あの歪み狂った聖杯戦争を走り抜け、そして今もあまりに残酷な生を、悪あがきでしかないと知りながらも幸福になることを諦めず、手の内の幸福を守り続けて生き抜こうとするマスターを、誰よりも何よりも愛おしく思い、抑止さえも敵に回してでも守りたいと願う。

 

 願うが、ソラが望まないのならカルナは何もしない。

 それはソラの望みに意味を見出しているからというのも、そうしないと自分の手でソラを消してしまうという本末転倒が起こりかねないからというのがもちろんあるのだが、それ以上にカルナは知っている。

 ここでカルナの言葉に納得して、素直に頼るような者ならば、初めからここになどいない。

 ソラはこういう女だからこそ、この「今」があるから。

 こんな彼女を好ましいと思ったからこそ、守りたいと自分は望んだのだから。

 

 だからカルナは諦めたような息を一度ついてから、口元だけをわずかに綻ばせて答える。

 

『……基本的にという事は、頼る気が皆無という訳ではないようだな』

 

 ソラの言葉のわずかな一部分。強い彼女が隠しきれなかった本音を、カルナは拾い上げる。

 

「そうだね。やっぱり私は死にたくないし、そして失いたくない人も多いから、さすがに宝具とか使わなくても軽く私の10倍くらい強い君に頼ることはあると思う。

 ……だからさ、カルナさん。わがままで本当に悪いんだけど、お願いしていい?」

 

 気付かれ、拾われた言葉にソラはほんの少しバツが悪そうに笑いながら、それを認める。

 そしてやはり弱さを晴れやかな笑顔で覆い隠して、何の罪悪感もなく相手が断りたかったら断れる軽い頼みごとと錯覚してしまいそうな笑顔で言うから、だからカルナも答える。

 

『悪く思うな。その為に、オレはいる』

 

 ソラが案ずる必要などないと言うように、彼女が何の心配もしなくていいように、罪悪感など抱え込まぬように、カルナはソラの懇願をこの上なく嬉しそうに微笑みながら応えた。

 その返答にソラは、カルナと同じくらい嬉しそうに笑いながら、カルナの胸に縋り付くように抱き着いて、そして顔を隠して「お願い」を告げる。

 

「カルナさん。どうか……私がまた私の体を動かせなくなった時、立ち上がりたいのに立ち上がれなくなって、動きたいのに何も出来なくなってしまった時、私に確認なんかしなくていいから、どうか私の体を使って。

 それで、あの子達を……クラピカやキルアやゴンやレオリオ達を……、私が『生きたい』と思う理由の人たちを、どうか守って」

 

 泣くのを隠すように、カルナの胸の内で自分が一番恐れることが起きぬように、やはり彼女は自分自身をないがしろにして、懇願する。

 何かの償いのようなその懇願に、カルナは抱擁で返す。

 そして、その耳朶に彼は告げる。

 

『……ソラ。オレは昨夜、クラピカに『抑止力』について話した』

 

 唐突に変わる話だが、ソラはそのことを突っ込まず、ただ怯えるように一度体を震わせた。

 

 クラピカとの約束を破るつもりはない。彼の抱える制約と誓約をソラに伝えはしない。

 ただ、クラピカが悪あがきでしかないとわかっていながらもそれを隠すように、ソラもわかっていながら、自分が「抑止力」によって生かされていると気付いていながらも、あがいて黙っていたことを話したとカルナは告白した。

 

 別に口止めなどしていなかったので、ソラは怒らない。

 ただ、カルナに額を押し当てて顔を隠し、黙っている。カルナの口から、クラピカがどのような反応をしたのかを恐れるように、ただ彼の腕の中で小さくなっていた。

 

 そんな彼女の背を、宥めるようにカルナは軽く叩く。

 昨夜の、クラピカと同じように。

 

『怯えるな。クラピカがマスターを拒絶するわけがないことくらい、マスターも昨夜の『罰』でわかっているのだろう?』

 

 ここは「夢」の中だからか、それともソラにとってもカルナにとっても忘れ難い鮮烈なる記憶だからか、カルナははっきりとクラピカがソラに与えた罰を知っていた。

 覚えていた。

 だから、怯える必要も案ずることもないと言ってやって、カルナはソラに教えてやる。

 

『マスター。お前にとっての幸福は、クラピカが生きているだけでいいというのはわかっている。

 だが、お前はもっと幸福になっていい。お前の幸福そのものが、それを望んでいる。そしてオレも、お前に戦いなどしてほしくない。優しいから穏やかな幸福が似合うなど、それは全てこちらのセリフだ。

 

 だから、マスター。オレを使って生き延びることに罪悪感など懐かなくていい。オレ自身も、そうやってお前が生き延びることも、お前の幸福も望んでいる。

 ……大丈夫だ、マスター。お前は生きていていい。生きていて欲しいんだ。例え、抑止の加護を失って、次はお前が抑止の敵になったとしても、それでも生きていて欲しい、幸せになって欲しいと望む者がいる。

 オレでは役者不足だろうが、クラピカがそれを望んでいるのなら……お前が抱く罪悪感など意味がないと知れるだろう?』

 

 生きていたいのに、抑止力の役目を終えたら今度は一転して世界そのものに殺されかねない、世界を敵に回さないと生きていけないソラに、自分も一緒に世界を、抑止力を敵に回してやると。

 世界の敵になっても、ソラの願いを肯定して、ソラに生きていて欲しいと願う幸福があることを告げるとソラは、カルナの腕の中で小さく笑う。

 

「……違うよ。カルナさん。君も、クラピカも、もし他に同じことを思ってくれる人がいても、それは『役者不足』じゃない。『役不足』だ。

 そう思ってくれる君達の方が、尊くて凄いんだ」

 

 よく誤用される言い回しを正しくカルナが使えば、ソラは誤用される方を使って彼を言い表す。

 不足しているのは、劣っているのは役者側ではなく、役の方だと言って彼女は嬉しそうに、言われたのはソラの方かと思うほど誇らしげに笑うから、カルナも笑った。

 

「……うん、けど本当にありがとう、カルナさん。ちょっと色々話せてスッキリした。

 それから、言いにくいことを私の代わりに言わせてごめんね」

 

 カルナから離れてソラは、クラピカに「抑止力」について話したことに怒らずむしろ礼を伝えるが、カルナは「気にするな。オレが勝手に話したかったから話しただけだと」言われてしまう。

 どういう流れでそんな重い話をしたくなったのが激しく気になったが、それがクラピカ側の事情ならば、彼が何もソラには話さなかった時点で自分には話せない、話したくない話であることはわかっているので、ソラはそれ以上は何も言わない。

 

 ついでにカルナが本気で、割と考え無しで言い出した可能性もあるので、その場合は「この人マジで何考えてんの?」と思って頭が痛くなるので、わざわざ頭痛の種を芽吹かせる意味はないと思い、やっぱり放置する。

 

 結構酷いことを思われているのだが、カルナはそんなことに気付きもせず、ソラの額に熱を測るように手をやって「そろそろマスターは戻った方がいい」と忠告する。

 

『オレがいるからここより奥に落ちることはまずないが、マスターがオレに干渉するには多少なりとも魔力を消費する。

 オレがマスターの体を使っているよりはマシだろうが、このままではいつまでたってもマスターの熱は下がらない。それはオレの本意ではないから、そろそろ安静にしてくれ』

「あー、やっぱり夢でも魔力消費しちゃうか」

 

 カルナの忠告された内容はソラも初めから想像がついていたので、名残惜しそうだが納得してソラはこの再会を終わらせることにした。

 

 ソラが水に浮かぶように体の力を抜くと、ふわりと浮上する。

 水底から水面に浮かび上がるように浮上しながら、ソラは自分の深層で再び眠りにつくであろうカルナに別れを告げる。

 

「じゃあね、カルナさん。……またね」

 

 別れと同時に告げられた再開を望む言葉に、あれほど沈むことを、落ちることを恐れていたのにも拘らず、再びここに来ると笑って言うソラにカルナは目を丸くしてから、彼が望む世界に戻るマスターを見上げて微笑んだ。

 

『……あぁ。またな。マスター』

 

 マスターを思うが故に言えなかった本音。自分もまた会いたいという言葉を口にする。

 その望みを、ソラも嬉しそうに訊いて浮上していったが、だいぶ浮かび上がってからすっかり忘れていたことを思い出したソラが、自分で和やかな雰囲気をぶち壊した。

 

「!! ちょっと待って今思い出したけど、結局カルナさんはイルミに何を言ったの!?」

 

 大分浮上してしまったので、もはやソラの意志ではなく自然に表層意識まで自我が磁石に引き寄せられる砂鉄のように強く引っ張られるので再び沈むことが出来ず、ソラが下方のカルナに怒鳴るように訊けば、だいぶ小さくなっているが気まずそうにカルナが眼を逸らしたのが確かに見えた。

 

 しかしソラは、カルナの所為なのにイルミに会ったからといって、カルナの言う通り彼に任せるという手段は、最後の最後まで使わないと本人に言いきったし、本人の性格からして実際にそうするだろう。

 イルミの気持ちを他人である自分の口から頼まれてもいないのに伝言する気はないが、訳も分からずさらに増した殺意と応対しなければならないソラはあまりに憐れで申し訳がなく、そしてさすがに気付いてやれとも実は思っていたので、カルナはソラにヒントを伝えることにする。

 

『マスター! 恋は現実の前に折れるが、愛は恋によって無力化されるから気をつけろ!』

「何でここでいきなりルヴィアさんのサーヴァント(毒舌ショタ作家)の言葉が出てくんの!?」

 

 しかし、ヒントにしてはダイレクトすぎる発言はダイレクトすぎて幸か不幸か何一つとして伝わらなかった。

 

 * * *

 

「何でここでいきなりルヴィアさんのサーヴァント(毒舌ショタ作家)の言葉が出てくんの!?」

 

 4年ぶりの再会の〆に最もふさわしくないであろう突っ込みを叫んで、ソラはベッドから跳ね上がるようにして起きた。

 そして左右を見渡してから、「……あ、起きたんだ私」とやや気まずげに呟いた。

 どうやらソラとカルナの夢での会話は共有していて不都合はないらしく、ソラが結構不安に思っていた「これも結局覚えてないんじゃないかな?」という魔力を消費して夢見た意味が無いという事態は起こらずに済み、普通に全部覚えていた。

 

 そして部屋も幸いながら、クラピカの同僚であるセンリツとヴェーゼはネオンの買い物のお供に駆り出されており、自分一人で寝かされていたので意味不明にもほどがある寝言というか寝起きの言葉は誰にも聞かれずに済んだ。

 が、誰もいないとなるとそれはそれでソラは困る。

 

「……今、何時だろう?」

 

 呟きながら、ソラは緩んだ包帯を自分で巻きなおす。

 自分の両目を封じるように巻かれた包帯を。

 

 出血はもちろん痛みもとっくの昔に、カルナにバトンタッチしてからなくなっているが、それでもこの包帯をソラは取る訳にはいかなかった。

 意味などないことは知っている。でも、悪あがきでソラはきつく、そう簡単にほどけやしないように、この眼が開くことが無いように巻きつける。

 

 巻きつけてからしばし自分のベットの周りを手探りで探すが、自分のテレビのリモコンらしきものは見つからず、情報収集は諦めてソラはもう一度ベッドの上で横になる。

 カルナの言った通り、魔力(オーラ)の消耗はカルナに体を使わせていた時よりははるかにマシだが、それでも眠っていたのにほとんどオーラは回復していない。

 体温計も見つけ出せず、あっても読めないのでソラは今までの発熱時の記憶を参考に、今現在の体温を推測する。

 

「体がだるいけど寒気はしないから7度後半ってとこかな?」

 

 38度越えすると寒気が酷くなっていた記憶があるので、それを基準にして推測し、クラピカと話していた時から体調が変わっていないこと、カルナは悪くないのだが本気で燃費が悪いことを深い溜息をついて嘆く。

 しかし嘆いてもオーラや体力が回復するわけもないので、ソラはクラピカとの約束もあって大人しくベッドの住人を続ける。

 眠くないしこの上なく暇だから、いっそクラピカの同僚にまだちゃんと匿ってもらったお礼もカルナが逃げ出したことに対する謝罪もしてないので、それを言いに行きたいと思ったが、もちろんこの部屋から勝手に出歩く時点で、クラピカどころか関係ないはずなのに匿ってくれた彼の同僚たちに多大な迷惑をかけることはわかっているのでしない。

 

 だからベッドの上でひたすらクラピカが帰って来ること、彼がゴン達を連れて来てくれること、もしくは本来のこの部屋の主であるクラピカの同僚の女性たちが返って来てくれることをソラは大人しく待っていた。

 

 そして、ソラの「退屈を何とかしたい」という希望は、ソラが全く予想も意図もしていない方向で叶えられる。

 幸いだなんて決して言えない、むしろ最悪と言うべき方向で。

 

「……犬? ペット可なのかな、このホテルは」

 

 ぼんやりとベッドの上で横になっていたら、部屋の外から犬の鳴き声が聞こえたので思わずソラは独り言を呟く。

 雨音がする方向とは逆方向から、それも比較的近くからなのでホテルの外で犬が散歩している訳ではなく廊下を歩いていることに気付くが、近づくにつれてその泣き声はぎゃんぎゃんと甲高く吠えている訳ではないのでうるさくも不快感もないが、けれどやけに多いことに気付いて困惑する。

 

 ペット同伴の客にしても多すぎない? それとも、オークション以外にペット関連のイベントでもあってそれ関連の人が連れてるのかと、退屈をまぎらわせる為に色々とソラは想像していたが、現実は大抵いつだって想像を上回る。

 

「おい! 起きてるか!? 立てるか!? 逃げるぞ!!」

「は!? 誰!? どちら様!? つーか何事!?」

 

 自分の部屋の前で少なくても10匹はいるであろう犬が立ち止まったことに気付いた時点で、ソラは退屈しのぎの思考からいつもの死を退ける詰将棋に集中し、ベッドに横たわりながらもいつでもどのようにでも動けるように準備していたが、予想に反して入ってきた相手の言葉は自分を気遣うものだったので、普通に訳が分からず毛布を跳ね除けて起き上がって訊き返す。

 

 そして緋の眼を小脇に抱えて入ってきたスクワラも、そういえば自分と彼女は初対面同然であることを思い出し、不審者だと思われて悲鳴を上げられなかっただけマシと判断して、最低限な説明をして急かす。

 

「オレはクラピカの同僚のスクワラだ! 詳しい事情は車の中で話してやるから、動けるのならこれ持ってついて来い!

 旅団(クモ)に居場所がばれた!!」

 

 本当に最低限すぎたので、「むしろお前が旅団(クモ)じゃないか?」と疑われてもおかしくなかったが、ソラはやや顔を険しくさせて「わかった。悪いけど上着と靴だけ出してもらえない?」と言ってベッドから降りる。

 

 信じてもらえなかったりパニックを起こされたら、悪いが気絶させて連れて行こうと思って既に拳を固めていたスクワラだったが、あまりにもあっさり信じられて拍子抜けしてしまい、逆にソラに「スクワラ? 急いでるんじゃないの?」と急かされてしまった。

 

 スクワラが部屋の備え付けのクローゼットに仕舞われていたソラのコートと靴を出してやりながら、「お前、やけにあっさり信じるんだな?」と訊けば、ソラは上着に腕を乱暴に通して靴を履きながら、「クラピカから匿ってくれた同僚の名前だけは朝の内に聞いてたから」と答えられ、ひとまず納得する。

 が、ついでに続けられた言葉は身も蓋もないものだった。

 

「まぁ、一瞬旅団の奴らがクラピカの同僚の名前を騙ってるっていう最悪の可能性も考えたけど、それにしてはあなたはあんまり強くないなって思ったから、普通に信じることにした」

「悪かったな!!」

 

 怒鳴りつつも、旅団の11番を殺したのがこの女であることを知っているスクワラは、言われても仕方がない力量差であるとも思っているのでそれ以上は何も言わず、ソラに犬のリードを渡して盲導犬代わりに誘導させる。

 スクワラはそれ以上何も言わなかった。だけどソラは、勝手に話を続けた。

 

「別に悪かないよ。ただの事実だ。

 だから、あなたはもしも旅団と鉢合わせたら私を置いて逃げて。あなたじゃ勝ち目がないし、今の私じゃあなたを庇えない。

 匿ってくれた恩人の足手まといにはなりたくないから、頼むから本当に逃げてね。どうせ、あいつらの目当てって私かクラピカだし」

 

 いくら匿ったことをクラピカから聞かされているとはいえ、それでも今初めて会話をしたばかりのスクワラを自分が庇うべきだという前提で、あっさりと庇う余裕はなさそうだから自分を見捨てろと言い放たれたことに、思わず絶句したスクワラはソラを見返すが、両目が分厚い包帯で閉ざされているにも拘らずそのことに気付いたソラが、「何?」と首を傾げた。

 

 あまりにも当たり前に自己犠牲を行おうとするその在り様が、酷く苛ついた。

 それはその自己犠牲の結果、絶望さえも生ぬるいというような顔をして戻って来た同僚を知っているから。

 

 その同僚に、クラピカに同情したからソラの言動にイラついたわけではない。

 大切な人がいる。命を掛けて守り抜きたい人がいる。その人の為なら自分の命など惜しくない。

 そんなスクワラ自身の想いが、最悪の結末に向かった場合をあの時、見せつけられたような気がしたから。

 

 自分の恋人(エリザ)に対する想いが、自己満足で終わるかもしれないというのを見せつけられたから、酷く苛ついた。

 

 だからスクワラはソラのリードを掴んでない方の腕を掴んで引き、無理やりにでも連れてゆく。

 

「うわっ! ちょっ、何!? 一人で走れるけど!?」

「うるせぇ黙ってろ!! そう簡単に見捨てられるようなら、初めっから庇ってねーんだよ!!」

 

 いきなり腕を掴まれて走らされるソラが戸惑って声を掛けるが、スクワラは怒鳴り返してソラを車の中に押し込んだ。

 これも結局、自己満足だ。後ろ暗いことしかしていない仕事だけど、少しでも最愛の人に語れないことはしたくないと言うだけの、自己満足。

 そして、もしかしたら一歩間違えたら自分がこうなっていたかもしれないという未来も、エリザが陥ってしまう絶望も見たくなどなかったから。

 

 だから、守ろうと思った。

 自分の為に、このあまりにも強くて脆くて危うい女を。

 

 その為に車にソラを乗せて、ホテルから逃げ出した。

 ……助手席に、緋の眼を乗せたままスクワラ達は逃げ出した。

 

 * * *

 

 車を走らせてホテルから離れるが、帰宅ラッシュの時間にぶつかった事と、さほどひどくもないが雨という天気も合わさって渋滞が起こり、見事にスクワラ達の車もそれに捕まった。

 完全に車の動きが止まっているも同然ならば、車を捨てて走って逃げるという手段を選んだが、ゆっくり走る自転車ぐらいの速度で動き続けている為、ハンターサイトに顔が載っているスクワラや、目立ちすぎる容姿のソラが外を出歩くよりは車の中にいた方が見つかりにくいと判断して、スクワラ達はそのまま車で移動することを選んだ。

 

 そして車内で、スクワラは一応ソラにいきなり連れ出した経緯を説明するが、経緯も何もクラピカから「旅団の残党がホテルの方向に向かっている」という連絡が来たから逃げ出しただけだ。

 間違いなく混乱するので、クラピカはスクワラに「昨夜見つかった死体は偽物」という情報は伝えておらず、そしてクラピカも奴らの行先が自分たちが宿泊し、ソラを匿っているベーチタクルホテルだという確証はなかったので、スクワラの行動は「念の為」にすぎない。

 

 しかし、ソラは後部座席でスクワラの犬の頭を撫でながら口をへの字に曲げて呟いた。

 

「残党がまだヨークシンに残ってて、しかもこっちに向かってる?

 ……あいつら、そんなことするかなぁ?」

「? どういう意味だ?」

 

 簡単にだがクラピカから昨夜の旅団のオークション襲撃とその顛末は聞いており、雇われた暗殺者がゾルディック家であることと、ソラもクラピカと同じ具現化系の盲点を突かれているため、死体が偽物であることには未だに気付いていない。

 

 しかし、多少は旅団のことを知っているソラだからこそ、スクワラから教えられた少ない情報から数多くの違和感を覚えた。

 

「うーん、私は旅団と応戦したことが2日前の11番を除いても2回あるんだけど、あいつらって引き際が良いというか、絶対に勝てる確証がないと戦わない奴等だと私は思ってる。11番に関しても、こっちが勝てたのは運が良かっただけと言われたら否定できないくらいギリギリだったし。

 仲間意識は強いから、復讐の為に残党がやって来るって行動には違和感ないんだけど、個人個人としてはともかく、組織としてはそこまで感情的じゃないって印象があるんだよね」

「リーダーが死んだんだから、そういう感情的な意見や行動を止めるストッパーがいなくなっただけじゃねぇの?」

 

 スクワラの問いにソラが答えると、スクワラは11番だけではなく他にも2度も旅団と応戦しているという事実に慄きつつ、ソラの疑問点に推測を口にするが、ソラは甘えるように自分の膝の上に乗って来た小型犬の背を撫でながら言葉を続ける。

 

「ストッパーがリーダーも含めて全員死んで、残ってる残党が感情最優先の直情バカばっかりだなんて、有り得なくない? 逆ならまだ有り得るよ。リーダーが死んだことで不利を悟って退却したり、後方支援で前線に出てなかったから生き残ったのなら、残党はむしろ感情を抑えつけて理詰めで物事を進める奴ら等の方が多いと考えた方が自然だと思う。

 そしてそんな奴がいるんだとしたら、私やクラピカに対する復讐とか、他に目的があったとしても、ひとまずそれは後回しにしてヨークシンから離れると思うんだけどな。懸賞金が懸けられてるわ、マフィアたちに目をつけられてるわ、自分たちのリーダーを殺した実績ある殺し屋がいるわなこの街に残るメリットなんてほぼない。復讐や組織の復活を望んでいるんなら、ひとまず残ったメンバーの無事を確保することを選びそうなんだけどな」

 

 そこまで語ってスクワラは「確かに」と納得したが、一つだけソラの仮定には情報不足による穴があったので、それを補足してやった。

 

「あ、旅団の懸賞金とかは撤回されたぞ。あいつら、少なくとも死んだ連中は流星街出身だってことが判明したから、コミュニティーが流星街との摩擦や報復を恐れたんだろうな」

 

 加えられた補足で、ソラが推測していた「残ったメンバーの無事を確保するためにヨークシンから離れる」という可能性は低くなる。

 しかしそれはソラ弾き出しつ確率よりは低い程度で、やはり論理的に考えたら奴らの残党がまだこの街に残っている方がおかしいのもわかっている。

 

 そもそも肝心の旅団が懸賞金などが撤回されたことを知っているのかどうか怪しく、マフィアンコミュニティーは旅団討伐を諦めても、ブラックリストハンターからしたらコミュニティーは関係ない。A級首の幻影旅団がヨークシンに現れたという情報はとっくの昔に知れ渡っているだろうから、この街に長くとどまることに対して残党たちに利はないことに変わりはない。

 なので、スクワラの言ったことは本当に他意もなければ意味も特にない事実の補足でしかなかったのだが、スクワラの意に反してバックミラーに映るソラは、おそらく包帯の下の目を丸くしているような顔をしていた。

 

 そんな彼女の反応に困惑するスクワラに、ソラは言う。

 

「懸賞金が撤回された? じゃあ、何でクラピカ達は残党を追ってるの?」

 

 訊かれて、むしろスクワラが「何でそんなことを訊く?」と言いたげにいぶかしげな顔をして言い返す。

 

「は? 旅団はあいつの家族の仇なんだろ? なら懸賞金なんか関係なく、残党も含めてとっ捕まえるか殺すかしたいんじゃねーの?」

 

 スクワラの答えを、ソラはろくに聞いていなかった。

 彼の言葉は耳を素通りして、ひたすらにソラは考える。

 

 クラピカから連絡があったのは、ゴン達に会いに行ったから、ゴン達が懸賞金目当てに無謀なことをしないように残党狩りを手伝ってやっていたからだとソラは思っていた。

 しかし懸賞金が撤回されたのなら、話は別。ゴンはともかく、キルアは間違いなく懸賞金がないのなら旅団に手など出したがらないはず。

 

 自分やクラピカの為に、残党も狩りつくそうとしてくれている可能性はもちろんソラも想像がついていたが、ある程度だが旅団に関して吹っ切れてくれたクラピカならば、冷静にソラと同じような推測を立てて、もう残党はこの街にはいない、いたとしても復讐などしてる余裕はないだろうと説得して、彼らの行動を止めるということも同時に想像がついた。

 結果としては実際にまだ町にいるわ、別目的かもしれないが自分たちが滞在しているホテルの方に向かっているわなので追っていて良かったのだが、どうしてもソラには彼らが懸賞金を撤回されても旅団の残党を追う理由が想像つかなかった。

 

 いきなり包帯で隠されていても眉間に皺を寄せているとわかるほど険しげに黙り込んだソラを、車内の犬たちが心配するように鼻を鳴らして、ソラが少しだけその様子に和んだように張り詰めた空気を緩ませた。

 そして同時に、実は初めから気になっていたが訊く暇がなかったので訊けなかった疑問をスクワラにぶつける。

 

「ところでスクワラ。この犬たちは何? 雇い主のペット?」

「は? いや、雇い主じゃなくて俺の……ペットというか、武器とか道具とは言いたくねーんだけど、そうとしか言えねーよな……」

 

 おもわず自分の念能力を暴露してるも同然な返答をしたが、やたらと多くの犬を連れた念能力者という時点で、その犬を操る操作系能力者であることなど容易く想像がつくので、隠したり誤魔化すのは諦めた。

 責任を以て世話をすることを制約にしているスクワラからしたら、犬を武器や道具とは言いたくないが本人が言うようにそうとしか言えないので、自嘲するようにガリガリと頭を掻きむしるっていると、ソラは後部座席で「は?」と素っ頓狂な声を上げる。

 

 懸賞金が撤回されたと言われた時と同じような、それ以上に驚いている様子を見せるソラに、またしてもスクワラが戸惑うが、ソラはそんなのお構いなしに訊いた。

 

「……あなたは具現化系じゃないの? この子たちがスクワラの武器なら、()()()()()()()()()()()()()?」

 

 ソラが何を訊いているのか、何でそんな勘違いをしていたのかを理解できず、スクワラは首を傾げながら答える。

 

「助手席に置いてるもの? これは昨日競り落とした緋の眼だよ」

 

 答えられた直後、ソラは貫く。

 最愛のもっとも残酷な求める形見、彼の心をさらに嬲るように存在する偽物の「死点」をその繊手で貫き、殺した。

 

 * * *

 

「!? ……カルナさんに代わってたのが、裏目に出たか!!」

 

 スクワラの答えを聞いてソラは舌打ちしてから呟き、シートベルトを外していきなり助手席に身を乗り出して手を伸ばす。

 渋滞に捕まっているとはいえ動いてはいるので、スクワラはとっさにソラの行動を止めることは出来ず、ソラはそのまま布に包まれた緋の眼のホルマリン漬けの瓶に、貫手をぶっ刺した。

 念能力者なら強化系でなくとも“硬”でも使えば、ガラス製の瓶に素手が貫通は可能なのでスクワラは突発的なソラの行動に驚いても、目の前の光景に関しては何も驚いていなかった。

 

 そしてソラの行動が、今日限りでもう辞めると決心してるとはいえ、雇い主のバカ娘がいくらかけても欲したコレクションを台無しにしたということに気付いて顔を青くさせる前に、信じられないことが起こって頭の中が真っ白になる。

 

 ソラが手を抜けば、穴も開いていない緋の眼を包んでいた布が空気の抜けた風船のようにへたりと助手席で平面となる。

 中身がそれこそ抜けた空気のように消失した。

 

「スクワラ! 車捨てて逃げろ!! これはたぶん旅団が念能力で作った偽物だ!!」

 

 初めから、気付いていた。

 スクワラが抱えていた物が、“念”によって創られた物質であることを。

 両眼を封じていても、わかっていた。

 

 しかし正確にものを見ている訳ではなかったのと、スクワラの操る対象は「犬」という能力を使わなくてもちゃんと訓練していたらそれなりに細かい指示にも従う知能が高い生き物なので、数が多いのもあってそんな常日頃から犬にオーラを供給させている訳ではない。

 つまり、部屋に来てから今に至るまでスクワラの犬たちは正真正銘ただの犬でしかなかった為、ソラはスクワラが大事そうに抱えていたものが彼の武器か何かだと誤認していた。

 

 その認識が正され、しかもそれが「緋の眼」であると知れば、ソラの中で違和感だった部分が紐解かれて、もっとも納得がいく仮定を生み出す。

 

 手元から離しても丸一日近く具現化し続ける物質を作り出す、邪道系の具現化系能力者が旅団にいたのなら、死体もその能力者が作り上げた偽物である可能性が高いと簡単に推測できる。

 おそらくクラピカは、ヒソカ辺りからその情報を得たのだ。だからこそ彼も、そしてゴン達も旅団を再び追うことにした。

 

 奴等はソラが殺した11番以外、何も失っていないことを知ったから。

 自分たちの平穏は、あまりに脆い薄氷の上にあることを知ったから。

 

 彼らはおそらく、ソラを守る為に旅団に挑んだことを知ってソラは、何も知らなかった自分を悔やむように唇を噛みしめる。

 しかしただ悔しがっている暇などない。

 彼らが守ろうとしてくれたのなら、その願いに応える為にもソラは生き延びなければならない。

 なのでソラは、いきなり手品のように緋の眼が消失したことで唖然としているスクワラに指示を飛ばす。

 

「早く! たぶん死体も偽物だ! 旅団はまだ生きてる! 残党どころじゃない!!

 しかも今まで音沙汰なかったのにいきなりこっちに向かってきてるってことは、作り出したものが発信機みたいな役割をしてる可能性が高い!!」

 

 言いながら、怒りのあまりにとっさにすぐに殺して消してしまったことをソラは後悔する。

 推測どおり発信器のような役割をするのなら、スクワラの犬を使って別の場所に運んでそのまま捨てれば、盗聴でもされていない限り奴らの追跡を撒けた可能性が高かったが、後悔に思考や時間を費やすのはただの無駄。

 なので思考をさっさと切り替えて、渋滞に捕まり続けるよりも車を捨てて人ごみの中に紛れて隠れてしまった方がいいと判断してドアのロックを外す。

 

 そしてスクワラも、手元から離しても物質化し続けた“念”といい、その“念”をたったの一撃で消滅させたソラといい、自分にとっての常識からかけ離れたものを連続で見せつけられて頭が真っ白になっていたが、それでも彼はそれなりに修羅場をくぐって来た念能力者だ。

 

 訳の分からない疑問点は頭の端に追いやって彼も思考を切り替え、同じ判断をして車にブレーキをかけてそのまま犬とソラを連れて、他の車のクラクションを無視して逃げ出す。

 

 が、ソラが気づくのも、スクワラの行動も何もかもが遅すぎた。

 

 

 

 

 

「動かないでね」

 

 

 

 

 

 パンっと乾いた音がした直後、スクワラの足近くのアスファルトに穴が開いてひび割れる。

 発砲され、スクワラとソラ、そして犬たちも足を止める。

 

 スクワラが振り返った先にいたのは、ジャポンのサムライのような男と、拳銃を構える鷲鼻が特徴的なグラマー美女、そして髪で顔を覆い隠して性別さえもよくわからない小柄な人物。

 見覚えがあるのはサムライくらいだが、他二人が無関係な訳がないことくらい知れる。

 

「出て来てくれてありがとう。

 おかげで、道行く車の中の人間を一人一人確認する手間が省けたわ」

 

 拳銃を構えた美女が皮肉げに笑って言う。

 どうやら、ソラが緋の眼を破壊した時点でもう相当近くにいたらしい。

 

「うわー……ごめん。完璧に裏目に出ちゃったみたいだね」

 

 ソラの言う通り、視認できる距離にいなければソラの判断が正しかったが、もう視認できるような位置にいたらソラ達の行動は自分たちが探し人であることを知らしめているも同然だった。

 しかし旅団が今、どのあたりにいるかなどソラにわかる訳など無い、もう辞めるつもりだったのに雇い主のご機嫌取りの為に緋の眼を持って来たのはスクワラなので、スクワラに彼女を責める気は毛頭なかった。

 

 なのに、スクワラが自分の背に隠すようにして立っていたのに、ソラはのうのうと歩み出て、スクワラの前に立つ。

 

「だから、あなたは逃げて」

 

 振り向きもせず、当たり前のようにそう言った。

 そんな彼女に、サムライはいつでも刀を抜ける、居合抜きの体勢のまま憎悪と歓喜が入り混じったような凄絶な表情と殺気を向ける。

 

「……てめぇが、ソラ=シキオリか」


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