死にたくない私の悪あがき   作:淵深 真夜
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82:仇と影

 クラクションと怒声が、何の躊躇もない発砲によって止む。

 ただでさえ渋滞していた道路にスクワラ達が車を乗り捨てて逃げ出そうとしたところ、ノブナガ達に見つかって立ち往生している所為で完全に車の動きは止まるが、あまりに不穏な空気と状況に呑まれて誰も再びクラクションを鳴らすことはおろか、「女が拳銃を発砲した」という通報をすることすら出来ない。

 

 誰もが撮影か何かだと思いたがって現実逃避をするが、本能が気付いている。

 これは現実だと訴えかけるのは、刃のように研ぎすまされ、そして業火のごとく灼熱した殺気。

 

 

 

「……てめぇが、ソラ=シキオリか」

 

 

 

 深い憎悪と、その憎悪ゆえの執着、求めていた相手を前にした歓喜を込めてノブナガが、赤いコートを着た白髪の女らしき人物に呼びかける。

 

 最も特徴的な眼が分厚い包帯で隠れているが、白髪と顔の大部分が包帯で隠れていても相当な美人であることがわかるだけで、もはや確認するまでもないことであり、そしてコルトピの“念”がいきなり消え失せた時点で、自分たちが追っていた相手の中に彼女がいることなど明白だった。

 

 コルトピの“念”が消えたのはつい数分前。とっくの昔に団長と別れてしまっていたので、3人はどうすべきか迷ったが、自ら車から出て逃げ出す奴らを見つけて放っておけという指示は出さないであろうと全員が判断して、足止めした。

 

 予言のことを考えるとこの女に、ソラ=シキオリに関わるのは悪手であることは、パクノダやコルトピだけではなくあまり余裕も冷静さもないノブナガもわかっていたが、だからと言ってこのまま見逃すのはあまりに惜しかった。

 特に、団長が異常な執着をしている異能の眼、「直死の魔眼」がどういう訳か包帯で分厚く、堅く封じられているのならなおの事。

 

 ソラは、ノブナガの言葉に答えない。否定したところで信じて解放してくれる訳もないので、無駄口を叩かずスクワラを庇って前に立ち、両眼を自ら封じながらも真っ直ぐに3人を見据える。

 そんなソラを、ノブナガが心底気に入らなそうに鼻で笑って言葉を続けた。

 

「その格好からして、どうもお前が『赤コート』みてぇだな。マチはともかく、シャルナークもいい勘してんじゃねぇか。

 ……それにしても、はっ! そんなにその『紅玉』が大事か?」

「「はぁ?」」

 

 しかし、ノブナガの前半の発言はともかく後半がソラだけはなくスクワラも意味がわからず、困惑する。

 というか、ソラは気付いていないがスクワラはノブナガの背後の二人も、彼の発言に困惑しているのを見た。顔がほとんど隠れているコルトピでも、誰が見てもわかるほどに「は?」と言いたげだった。

 だがノブナガは、前の二人のは無視し、後ろ二人の困惑には気付かず、勝手に話を進める。

 

「おい、おめぇも情けねぇな鎖野郎。いい歳こいて姉貴の後ろに隠れてんじゃねぇよ」

「「ノブナガ! 違う!!」」

 

 ノブナガの挑発の為と思われる嘲りの言葉に真っ先に反応したのは、後ろの仲間からだった。

 そしてそこまで言われたら、ソラもスクワラもノブナガの先ほどのセリフの意味を理解する。

 どうやらノブナガは、ソラがスクワラを庇ったことでスクワラを鎖野郎ことクラピカだと勘違いしていたようだ。

 

「あんたバカ!? 頭に血が昇りすぎよ!! あの男の方はハンターサイトに顔が載ってたでしょうが!?」

「……というか、どう見ても男の方が年上で弟には見えないし、たぶんあいつの能力はあの犬を操るものだと思う」

 

 どうもノブナガは、目の前の相手がソラ=シキオリだと確定した時点で、彼女が庇う男=鎖野郎だと思い込み、頭から事前に見せられた鎖野郎以外が載っていた顔写真の記憶はすっぽり抜けてしまっていたようだ。

 

「…………今のうちに逃げるか」

「……そうだな」

「待て! 逃がさねぇよ!! っていうか、鎖野郎じゃない赤の他人でしかも年上の男なら、お前も庇ってんじゃねぇよ!!」

 

 あまりにアホで豪快な勘違いをしていたノブナガに脱力しつつも、そのことを仲間に突っ込まれて叱られている隙にこっそりソラ達は後退しようとするが、さすがにばれる。

 そしてノブナガに理不尽な逆ギレをされて、ソラはもう疲れ切った声で「知らねぇよ……」としか言えない。その通りだ。これに関しては、パクノダとコルトピもソラの方に同情して申し訳なくなった。

 

 しかし申し訳ないと思ったから、見逃してやるような奴等ではない。

 パクノダは拳銃を構えたまま、ノブナガの所為で緩んだ空気に気まずさを感じながらも何とか話を軌道修正する。

 

「……とりあえず、ノブナガのバカな発言は忘れて。

 それと、いくつかあなた達に質問するから正直に答えて。質問に答えてくれたら、あなた達は見逃す……ことは出来ないけど、殺しはしないわ」

 

 言いながら、3人はじわじわと距離を詰める。

 パクノダの言葉には、珍しく嘘などなかった。ソラはもちろん、スクワラも殺す気はなかった。

 いつもなら、情報を引き出したら生かしておいても邪魔になるので基本的に殺すのだが、鎖野郎でないにしてもソラが庇う相手を殺したら、彼女の怒りを買ってそれこそ予言の「空の女神」を目覚めさせる事態になりかねないと判断したからだ。

 

 しかしそんな事情を知らないソラ達からしたら、当然そんな言葉は信じられない。

 

 第一に、脱力物のボケをかまされたので霞んでしまいそうな情報だが、ノブナガはクラピカの顔も未だに知らないくせに、何故か彼がソラの「弟」だと知っていること、そして「紅玉」と彼がクルタ族であることを知っているような呼び方をしたという謎が残っているので、ソラは警戒を緩めない。

 

 スクワラも「紅玉」に関しては何もわかっていないが、「弟」に関してはソラと同じ疑問を抱いていたので、だんまりを決め込む。

 沈黙を続けながらも、スクワラの中には覚悟なのか、それとも諦観なのかよくわからないもので支配される。

 修羅場を潜り抜けたものだけが、死神の鎌から紙一重でのがれたことがある者だけが持つ勘が、告げる。

 

(俺はここで、死ぬ)

 

 そんな予感に支配されながらも、スクワラは行動に移した。

 

 しっぽを下げて後ろ足の間に入れて、あからさまに怯えていながらも、主を守るように3人に向かって唸っている犬たちから“念”を解き、オーラの供給を止めてそのまま口笛で指示を出す。

「エリザの元に行け」と。

 

 一瞬、スクワラの口笛に旅団の3人は警戒したが、その前に犬へのオーラ供給をやめていたので攻撃までは仕掛けなかった。

 

 今まで道具のように扱ってきた。敵に向かって死ぬとわかっていながらも特攻させたこともあるが、それでも彼がこのような能力を得たのは本心から犬が好きで、犬を家族のように大切に思って共に生きてきたからだ。

 だから、自分が死ぬとわかっているのに、その時間稼ぎの為に犬を犠牲にして道連れにする気などない。

 

 生きていて欲しいと思った。

 生きて、どうか自分の代わりにこれからも彼女を守って、そして自分の所為で傷つけるであろう彼女の心を少しでも癒してほしいと願い、最期のつもりで命令した。

 

 結局、ソラの自己犠牲な言動に苛立っていたくせに自分も変わらない、自己満足で死のうとしていることに自嘲しながらも、それでもスクワラは覚悟が決まったから意地を張り通すつもりか、それとも諦観によるヤケクソなのかソラの肩を掴んで、自分が前に出ようとする。

 

「スクワラ?」

「……動くな。何のつもりだ?」

 

 ソラが振り返り、ノブナガは再び居合抜きの構えを取って同時に訊く。

 その問いに、怯えて竦みそうな足に叱咤しながら、スクワラは答えた。

 

「はっ! てめぇが言ってたんだろうが。勘違いしてたとはいえ、いい歳こいて女の後ろに隠れてるのは確かに情けねーって思っただけだ」

 

 ノブナガの黒歴史を掘り返して、言い返す。

 死ぬ覚悟は出来ている。ここで死ぬと諦めている。

 だけど、死ぬならせめてこの意地だけは貫き通したいと思った。

 

 恋人と同じくらいの歳の女に庇われて、せいぜい数秒しか寿命は延びないのなら、自分が庇う立場になりたかった。

 やっぱりそれはソラの為でもクラピカの為でもない。恋人の為ですらない。自分の為だ。

 

 きっと、赤の他人の女なんかを庇って死んだとなれば、エリザは怒る。

 けど、赤の他人とはいえ自分を庇ってくれていた年下の女を見捨てて、見殺して仮に生き延びたとしても、やはりエリザは怒る。絶対にこっちの方が許してもらえない。

 スクワラが生き延びたことを喜んでくれても、きっとエリザは犠牲になったこの女を悼み、そして彼女の犠牲を結果として喜んだ自分に嫌悪する。

 

 自分を庇う年下の女が犠牲になったことに、何の罪悪感も覚えない女になどスクワラは惚れた覚えなどない。

 

 だから、少しでもエリザに怒られないように、失望されないように、彼女が自己嫌悪と罪悪感を懐かないようにしたいから、スクワラは意地を張り通す。

 そして自分の黒歴史を掘り返されたノブナガは「それはもう忘れろ!」と怒鳴ってから、少しだけ嬉しそうに口角を吊り上げた。

 こういう、矜持を大切にする単純バカは敵でも味方でもノブナガにとっては好ましいものなのだろう。

 

 そんなノブナガの反応に、パクノダとコルトピは少し呆れたように溜息をつくが、ノブナガは気に入ったからといって殺さねばならない相手や状況で躊躇うほど甘くはないことはわかっているので、放っておくことにした。

 それよりも、「空の女神」を起こしたくないので殺すつもりはないのに、神風特攻で殺る気満々となった相手にどうしようかと頭を悩ますが、その悩みはソラが吹っ飛ばす。

 

「余計な、お世話だ!!」

「がふっ!!」

『えぇっ!?』

 

 スクワラとゼロ距離なのをいいことに、ソラは彼に肘撃をぶちかまして吹っ飛ばした。

 まさかの物理的に向こうから自分たちの悩みを吹っ飛ばしてくれるとは思わず、旅団の3人は唖然。全く関係ないそこらの車の人たちも騒然。

 そして一応は手加減をしていたのか、吹っ飛ばされてもスクワラはすんなり起き上がって「お前は何しやがる!! っていうか、何考えてやがる!?」と文句をつける。当たり前だ。

 

 しかしあらゆる意味で常識に捕らわれないソラが、「ついカッとなってやった。今は反省している」と答える訳がない。

 悪びれずに堂々と胸を張って、「さっき言っただろ! 余計なお世話だ! 手負いの私の一撃でぶっ飛ぶくらいなら素直に逃げろ!!」と言い放つ。

 

 無茶苦茶ではあるがソラの言い分の方が正しいことを、悔しいがスクワラは自覚している。

 逃げるために掴んだ腕は、体温は明らかに平常の人間の体温より高く、纏うオーラも弱々しい。セーブしているにしても、そうしないと辛いぐらいのオーラ量なのだろう。

 

 そんな明らかバッドコンディションな女に、不意打ちとはいえ2メートルほど吹っ飛ばされたスクワラに出来ることなど何もない。時間稼ぎすら出来るのかどうか怪しい。

 けれどそんなことをわかった上でしようとしていたのだから、スクワラはブチキレて「バカか! てめぇは!! 死にたいのか!?」と怒鳴り返す。

 だがその罵声は即座に、スクワラ以上にキレられて打ち返された。

 

「んな訳ねぇだろ!! 私の行動原理はほぼ全てまず最初に『死にたくない』が来るわ!!

 っていうか、そりゃこっちのセリフだ!! 死にたきゃ私に関係ない所で、私に何の関係もない理由で死ねよ! 私はあんたを守る理由はあるけど、自殺の理由になってやる気はない!!

 そんで死にたくないのなら、意地の張りどころを間違えてるんだよ!! 生きてたら汚名を返上する機会なんかいくらでもあるんだから、一番大切なものを間違えんなボケッ!!」

 

 ブチキレて言い返された言葉に、スクワラは何も言い返せなくなる。

 エリザのことは、何も話していない。だけどまるでそれを見透かしたように言い返された。

 

 死を覚悟して、生きることを諦めて、死にたくないと無様な悪あがきをしたくないから眼を逸らしていたものを突き付けられる。

 

 最愛の人と生きていたいという、スクワラの願いをソラは突き付けた。

 

 もちろんソラは、スクワラの恋人の存在など知らない。知らないが、想像くらいできる。

 ヴェーゼやセンリツと違って自分を庇う理由などなかったのに、匿うことを賛成してくれたことを考えたら、ソラに好意を懐いているのかもと思うが、そんな自惚れはしていない。

 

 仮にそうだとしたら、いくら犬が大切で出来る限り傷つけたくないからとて、守りたい人がいるのにこの状況で犬を使わず逃がすのは有り得ない。

 明らかにスクワラにとっての優先度は、犬>ソラだ。

 

 別にスクワラからしたら、どうしてもソラを守り抜きたいと思ってくれている訳ではないことくらいわかっている。この男は十中八九、恋人か誰かの面影を自分に見ているから、どうせ死ぬなら後悔は少ない方がいい、ソラが死ぬのを見てから自分が死ぬのは後味が悪いくらいの気持ちであることくらい、わかっている。

 

 そのこと自体に、思うことなど何もない。自分たちはまだ初対面同然なのだから、それ以上に思われている方が重くて困るくらいだ。

 

 だが、死ぬ理由にされるのは気に入らない。

 生きたいくせに勝手に諦めた挙句にその諦めた理由にされるのは、気分が悪いどころじゃない。

 ソラがスクワラを生かそうとするのはもはや、「匿ってくれた恩返し」なんかじゃなくて、こちらも完全に自分の為。

 

 死ぬ気はない。生き延びるため、生き抜く為にソラは旅団と対峙することを選んだからこそ、自分のその生に後味の悪い思い出なんか作る気はない。

 だからソラはもう、ブッ飛ばしたスクワラに振り返りもしない。彼に背を向けたまま、手をひらひら振って「だから、さっさと逃げて死ぬなり生きるなり勝手にしろ!」と言い捨てた。

 

「勝手に決めてんじゃねーよ!」とソラの言葉に返答したのは、スクワラではなくノブナガ。

 ソラの言動が本当に団長やシャルナークの言う通り、どこまでも想像不可能な斜め上であることを思い知らされて呆然としてしまっていたが、これ以上相手のペースに呑まれるわけにはいかないと思ったのだろう。

 

「そうね。そっちの男も、逃がす訳にはいかないわ」と、パクノダも拳銃を構え直して言う。

 ソラの庇う男は鎖野郎ではないが、ここまで庇うということは彼も十分に人質の価値はあるだろうとパクノダは判断した。

 しかも鎖野郎の同僚となれば、少なくとも鎖野郎の情報が引き出せるのは確実で、ソラだけではなく鎖野郎に対しての人質としても使える可能性があるので、この場で優先的に捕らえるべき相手は「蒼玉の防人」と「空の女神」という爆弾を持つソラよりも、スクワラの方だ。

 

「させねぇよ」

 

 だが、ソラがそれを許さない。

 

 オーラは弱々しいままだが、空気が張り詰める。

 その凛と研ぎすまされた殺気にノブナガは笑いながら、言葉を掛ける。

 

「良い殺気だ。だが、お前は自分で言った通り手負いだ。俺ら3人を相手取って、そいつを逃がすなんて真似が出来ると思ってんのか?」

「思ってねぇよ」

 

 居合抜きの構えのまま問うノブナガに、ソラは即答。

 

「あぁ、確かに絶対に無理だ。万全でも無理だっつーの。どう頑張ったって、二人が死ぬ覚悟を決められたらもう 私は手の出しようがない。絶対に、私がお前ら三人を殺しきるよりも誰か一人がスクワラを捕まえる方が早いし、他二人を殺したらもうスクワラの安全は保障できない。

 ……だから、こうする」

 

 すんなりノブナガの言い分を認めながら、ソラは行動に移す。

 自分の包帯が巻かれた眼に、ソラはまっすぐ右手をチョキの形で突き出した。

 自分の眼を潰すように、突き付けた。

 

 * * *

 

「…………何のつもりだ、そりゃ?」

「スクワラを見逃さなければ、私の眼を潰す」

「なっ!?」

 

 ソラの宣言にビビっているのはスクワラだけで、肝心な旅団は困惑していた。

 彼女の眼に異常な執着をしている団長相手ならば通用したかもしれない脅し文句だが、正直言って団長の執着には団員全員が引いているし、クロロは団員の反対を押してソラを捕えようとはしないだろうが、個人行動で無茶はしかねないので、いっそなくなってくれたらいいと思っているくらいだ。

 

「それしてどうすんだ?

 お前が魔眼だか何だか知らねーけど、一番の武器をなくすだけだろうが」

 

 なので思わず、何の脅迫にも駆け引きにもなってないどころか、ソラの方があらゆる意味で不利にしかならないということを指摘してしまう。

 が、その指摘にソラが嗤う。

 

「はっ! 何? お前らクロロから何も聞いてないの?

 それとも、聞いたけど理解してないんだ」

「あぁん?」

 

 いきなり嘲笑されたことでノブナガが巻き舌で唸る。

 それを無視してソラは、自分の眼に突き付けていない方の手で旅団をそれぞれ指さして言った。

 

「えーと、お前はノブナガだっけ? お前の武器はたぶん刀で、今は居合抜きの構えをしてる。そんで、そっちの女は結構背が高くてグラマーで、拳銃を構えてる。最後の奴は男かな? かなり小柄で何も持たずに立ってる」

『!?』

 

 それはただ単に、ノブナガ達の位置と体格、今現在のポーズを言い当てただけだ。

 だが、3人は眼を見開いて絶句する。当然だ。

 

 この女の眼は最初からずっと、分厚い包帯が巻かれている。

 

 実は包帯の隙間から見えるように巻いていただけと一瞬考えたが、そうだとしたらあの言い当てをした意味が全く分からない。

 眼に怪我をした訳でも、視力を失った訳でもないのに包帯を巻いていた理由ならまだ想像できるし、説明もつく。異能の眼を持つからこそ、その眼が使えないと思わせて油断を誘うためだったと考えればいいだけだ。

 しかしそれなら今、ネタ晴らしをする意味など全くない。

 

「お前らさぁ、マジで何も気づいてないの? おかしいって思わないの?」

 

 困惑している3人に、ソラはやはり指を眼に突き付けたまま首を傾げて言った。

 

「クロロから、私の視界がどんなものか聞いてないの?」

 

 聞いている。

「死」の線が縦横無尽に走り、「死」の点が至る所に散らばる視界。

 人はもちろん、世界そのものもあまりに歪で脆く壊れかけの、いつ壊れ果てて死に至るかがわからないツギハギのセカイを常に見せつけられる視界。

 

 狂い果てていないと耐えられない、世界。

 

 そんな世界を見ている女が言う。

 どうしてこんなにも当たり前のことに、どいつもこいつも気付いていないのかを本心から不思議そうに。

 

「眼球が潰れて視力をなくしたぐらいで、『直死』が消えるか。それでこれが消えるのなら、私はこの眼を得てすぐに目玉を抉ってるっつーの」

 

 それは確かに、当たり前の筋道でたどり着く正論なのかもしれない。

 狂い果てていないと耐えられない世界に適応する前に、その眼を失ってしまえば逃れられるものならば、自ら眼を抉るという行為は狂っているとは言えない。狂っていないからこそ、狂いたくなかったからこその最終手段だ。

 

 それをしなかったということは、それをしても何の意味もないことをソラは幸か不幸か知っていたから。

 抉ってしまえば、視力を失えば、防壁の役割を果たしているこの眼そのものを失ってしまえば、そこから繋がる「死」そのものが溢れることを知っていたからこそ、ソラは狂うしかなかった。

 

「……見えてんのか? 包帯巻いてても、お前には『死』が見えてるって言うのかよ!?」

 

 ソラの発言で全員が顔色から血の気を失わせ、ノブナガは慄きながら叫んだ。

 ソラの言動も、ノブナガの発言の意味もスクワラには理解できない。

 しかし事もなげに言い返したソラの言葉に、事もなげに言い放ったこと自体に、スクワラは旅団と同じように顔面を蒼白にさせて、背筋には寒気が走る。

 

「見えるよ。こんなもん、気休めにも本当はなってない。包帯を巻こうが、眼を閉じてようが、出力調整が出来てない今じゃどうしたって見えるさ。

 毛細血管よりも細かく張り巡らせられた『死』が、視力そのものをなくしても暗闇の中で青白く輝いて見えるから、お前らの顔はわかんなくても、今いる位置と体格、取ってるポーズくらいはわかる」

 

 何を言っているのかなど、全く理解できない。

 だが、とてつもなくこの女は恐ろしいことを言っていることだけは理解できた。

 理屈ではなく、本能が理解する。

 

 この女はとてつもなく恐ろしい異常を、当たり前のように受け入れて、適応して、スクワラはもちろん、まともとは言えない環境で生まれ育った幻影旅団でさえも許容できぬほど、狂い果てた狂人であることだけは理解した。

 

 そのことを理解してしまえば、スクワラが今この場から逃げ出したいと思う理由、ソラの言っていた通り、自分の本音の通り、最愛の人と生きていたいから逃げたいという思いも、逃げ出せない理由、最愛の人に恥じる自分になりたくないという意地も、一変する。

 

 ただ、目の前のこの女が怖いから逃げ出したい。

 この異常者が恐ろしすぎて、動けない。

 

 あまりに情けないが、人間どころか生き物の根本的な生存本能と恐怖に支配されて、スクワラは動けない。

 

 スクワラと同じく、目の前の女の異常性に慄いていた旅団だが、スクワラよりは彼女に近い狂気を彼らも持つからか、まだ顔色は最悪のままだがノブナガはソラの向かって嗤った。

 

「……そりゃあ、恐ろしいな。だが、結局それが何の脅しになるんだ?

 てめぇの眼が潰れても、目玉があってもこっちのリスクは変わらねぇなら、無駄なアクションしてるお前の方がやっぱり不利じゃねぇのか?」

 

 ノブナガの言葉に、ソラも嗤う。

 凄絶に、彼の発言がおかしくて仕方がないと言わんばかりに、未だに自分の言動の意図が理解できていないことを嘲笑って、いつでも両眼に自分の指先を突き刺せるようにしながら言い放つ。

 

「お前らさ、さっきから私の話を聞いてて私をどう思ってんの? まさか、私に説得や交渉が通じるほど、私がまともだと思ってんの?

 どう足掻いたってこっちが不利なのは、もうこの状況にもつれ込んだ時点で変わんねーだろうが。なら、お前らの得になることなんか何一つとしてしてやるもんか。

 妥協点はない。スクワラを見逃さなけりゃ、私は私の眼を潰してこの奥に繋がる『死』を解放するし、その後も大人しくしてやる気はない。

 

 ――暴れ回ってやるさ。

 クロロ(あいつ)御執心の眼を台無しにして、後先関係なくこの『死』を最大限に利用して、幻影旅団(お前ら)を潰せるだけ潰してやる。

 お前らから奪い取れるものは全て、何もかも奪ってやるって言ってんだよ」

 

 ソラの発言に今度こそ旅団側は誰も、何も言い返せなくなって唇を噛み、歯の根を噛みしめながら黙り込む。

 相手がこの女でなかったら、ヒソカから「防人」であろう「カルナ」の存在を聞いていなかったら、予言がなければ間違いなく3人とも「気がでかくて思い切りのいい脅し文句だな」程度にしか思わなかったが、事前に得ているソラ=シキオリという女の情報がどれもこれも、この発言を甘く見ることは許さない。

 

 仮に眼についてがハッタリであっても、この女にはゾルディック家長男相手に「遊んでやれる」ほどの実力を持つ「防人」がいる。

 クロロは、自分たちの初邂逅といいヒソカとソラのハンター試験での最終試験の死闘といい、防人であるカルナを出した方が良かった場面でも出していなかったことから、何らかの条件が揃わないと人格交代は出来ないと踏んでいる。実際のところ、出さない理由はソラの意地でしかないのだが、そう簡単に出てこないという点ではクロロの推測が正しい。

 

 なのでクロロは、もしもソラを見つけた・出会ってしまった場合は「深追いは絶対にするな」とが命じたが、「絶対に関わるな」とは言わなかったので、ノブナガ達は眼に包帯とオーラが妙に少ないソラを見つけてチャンスだと思って捕えようと試みたが、やはり団長の言う通り欲を張らず深追いはしない方が賢明だった。

 

 カルナが出てくる条件は何もわかっていないが、もしも「自傷」こそが人格交代のトリガーならば、まだ来週にもなっていないのにここでノブナガとパクノダの予言が成就というのもあり得る。

 いや、ソラの言葉が全て事実なら、「眼」がある方が、狂うしかないはずの視界の方がマシなほどの「異能」がその眼を抉ることで溢れだすのなら、それこそ「空の女神が目覚める」という一文を意味しているのではないかとさえ思えた。

 

 ソラの知らない事情がソラの想定よりも彼女の脅し文句に効果を与え、ノブナガが居合抜きの構えを解き、パクノダも拳銃を下ろす。

 

「……いいわ。行きなさい」

 

 居場所を探る為の緋の眼のコピーを破壊されたので、ここで逃がせばもう鎖野郎もソラも見つからないのはわかっていたが、それ以外の選択肢は無いのでパクノダは悔しげに言った。

 しかしソラの方は自分の両目に指を突き付けたまま動かず、後ろのスクワラに「だってさ」とだけ言って、彼が先に逃げるように促す。

 当たり前の判断だ。旅団が恐れているのはソラだけなので、チャンスがあればスクワラの方を捕えることに関しては諦めていない。

 

 スクワラはソラの言動の意味を理解出来ていないまま、本能で恐れ、怯え、心の底から逃げたいと思いながらも逃げれなかったが、ノブナガ達が武器を下ろしたことでソラが発していた狂気と殺気が薄れ、スクワラをその場に縛りつけていた金縛りが解ける。

 

 もはや自分の自己満足の為にも、ソラを守ってやろうという考えはスクワラにはなかった。

 この女は、自分の手に負えるものではない。守る必要があるとかないとか、そういう問題ではない。自分とは全く別次元の生き物だとしかスクワラには思えず、彼は旅団からではなくソラから逃げ出した。

 

 なのに、ソラは言った。

 

「スクワラ」

 

 旅団ではなく、自分から逃げ出したことくらいわかっていたのだろう。

 どこか寂しげで、申し訳なさそうな声音だった。先ほどまでとは打って変わって、同じ世界を生きる人間らしい声が、スクワラの背中に向けられ、耳に届く。

 

「助けてくれて、ありがとう」

 

 逃げ出すスクワラに、余計なお世話だと断言して2メートルはブッ飛ばしたくせにそんなことを言う女の声が、やたらとスクワラの耳に残った。

 自分と生きる世界も見ているものも全く違う、理解できない狂い果てた狂人だということを思い知らされたのに、それでもスクワラはどれほど全力疾走しても、頭から振り払うことは出来ない。

 

 ソラに見てしまった、自分の最愛の人の面影を振り払うことなど出来やしなかった。

 

 * * *

 

 スクワラが走り去って、姿が見えなくなってもソラはしばし自分の眼に指を突き付けていつでも両目を抉り出せるようにして旅団の3人と対峙していたが、さすがに5分近く経ってこれだけの時間があればよほど“円”の範囲が広範囲でない限り見つからないと判断したのか、ようやく突き付けていた手を下ろす。

 

 そこから、逃げ出すかそれとも攻撃でも仕掛けてくるかと3人は再び武器を構えて警戒したが、いつでもどこでもソラはやはり通常運転で斜め上だ。

 

「どうしたの? 私を捕まえないの?」

『はぁ?』

 

 ソラがあまりに不思議そうに首を傾げて尋ねるが、こっちの方が訊きたい。

 なのでノブナガがやや脱力と困惑しながら、「むしろ何でおめーは逃げねぇんだよ?」と尋ねたら、ソラはケラケラと場違いなほど明るく笑いながら、「お前ら相手じゃ、逃げ切る前にガス欠でぶっ倒れるからねー」と言い出した。

 スクワラと自分が逃げるためにあんな狂った脅迫をしていたのかと思えば、ソラの方は逃げる気はなかったらしい。

 

「……結局、ハッタリかよ」

「いいや。そんなことないよ。さっき言ったことは全部本気」

 

 ソラの答えにノブナガはさらに脱力しながら言うが、ソラがその答えを否定する。

 否定して、そして自分が逃げずにそのまま捕まることを選んだ理由も彼女は事もなげに答えてくれた。

 

「だから、お前らが嫌だって言っても私はついて行くよ。

 だって、()()()()()()()()()()()()()()()

 

 薄れていた狂気が溢れだす。

 自分で逃げ切る前にガス欠を起こす程度にしかオーラの残量がないと告白しておきながら、この女は先ほど言い放っていた脅し文句が、旅団から何もかもを奪い尽くすという宣言が全て本気だということを、あまりに普通のテンションで何気なく言い切った。

 

 自分がどれほど不利な状況なのかは、わかっている。

 死ぬ気などもちろんない。どれほど無様でも、死んだ方がマシな程の苦痛を負っても、例え一生許されない罪を負っても、悪あがきを続ける気しかソラにはない。

 

 だが、死にたくないが死んでいないだけの存在にもなりたくない、生きていたいからこそソラは退けない。

 

 あまりに多くのものを失い、そして大きな傷を負いながらも、旅団(クモ)が死んだことで重荷を一つ下ろせたと思っていた、つかの間でも平穏を得ることが出来たと思っていたクラピカにぬか喜びをさせたことは許せない。

 これからも彼を苦しめ続ける幻影旅団を見逃す気など、ソラにはサラサラない。

 

 大人しく捕まろうとしているのは、ここで宣言通り暴れても殺せる相手は3人だけだから、全滅させる為にも自らこの女は蜘蛛の巣に飛び込む気だと言い放たれて、3人は判断に迷う。

 自分たちを全滅させかねない、爆弾そのものであることを自分で言い切る女を連れてクロロと合流はもちろん、残りのメンバーがそろったアジトに連れて行くのは危険すぎるのはわかっている。

 

 だが、このまま見逃すのも彼女から逃げるのもあまりに惜しい。

 ソラの体調がもう少しで良かったら素直に諦めて逃げるのだが、自分たちから逃げ切る自信がないほどにオーラを消耗しているのなら、この女を捕えるのも殺すのもおそらくは今が最大の好機であり、時間を置いて回復されて強襲されるよりは、自分たちの目が届くところに置いていた方がいいのではないか? という考えもよぎる為、ノブナガ達3人では結論を出すことが出来なかった。

 

 なので彼らは、頭に判断を任せることにした。

 さすがに車道のど真ん中でこれ以上問答をしていたら、そろそろ警察がやってきてややこしいことになるので、特にソラを拘束もせず3人で一応は余計なことをしないか警戒して取り囲みつつ、来た道を戻りながらパクノダがクロロに電話を掛けた。

 

《どうした? 見つけたのか? 逃げられたのか?》

 

 別れた時点でそこまで距離はなかったはずなのに連絡が思ったより遅かったので、クロロは「もしもし」という前口上もなくまず訊いた。

 

「いえ、見つけたし捕まえたと言えば捕まえたけど……、鎖野郎じゃなくてソラ=シキオリの方なのよね。

 しかも、自分からついて来てるわ。私たちを全滅させる目的で」

 

 パクノダの答えに、数秒間クロロは沈黙してから「……どこまでも斜め上に前向きな女だな」と呟いた。

 以前に会っているだけあってパクノダ達よりクロロはソラの非常識さを把握しているようで、説明の手間が省けて思ったより話は早かった。

 

 なのでさっそく、パクノダはこのまま自分たちはどうすべきかの指示を仰ぐ。

「全滅させる」宣言をしている時点で、ソラが怒っているのは確実。下手したらもう既に「空の女神」が目覚めている状態かもしれないので、パクノダはこのまま連れて行くべきか、それとも撒くべきかの判断を任せると、ほぼ即答で「連れてこい」と返された。

 

《ちょうどいい。付け回していた奴らも捕えた。ノブナガが話していた子供だ。

 こいつらとソラ=シキオリに関係があるのかを調べられるし、関係なくてもその女は子供を見捨てはしないだろう》

 

 クロロの言う通り、スクワラを庇って逃がしたことといい、憶測でしかないがクルタ族の弟がいる経緯からして、例え昨日の子供がソラとは何の関係も面識もない相手でも、子供という時点でソラは放っておかない、少なくともその子供さえも巻き添えにして暴れまわろうとはしない可能性が高い。

 

 ただこの女の斜め上な行動力を考えたら、クロロと合流した直後に子供を助ける為にいきなりまた予測不可能な何かをやらかしかねないので、クロロはソラの腕を後ろ手にでも掴んで動きを封じつつ、ヤバいと思ったらすぐに離れ、逃げるように指示しておいた。

 その指示に従って電話を切ったパクノダがソラの両腕を拘束し、そしてようやく本来一番の目的である情報収集に取り組む。

 

「ねぇ、今更なんだけど鎖を使う能力者って知ってる?」

「……サイコメトラーかなんか?」

 

 質問には答えず、ソラは包帯が巻かれた顔をやや後ろに向けてパクノダに尋ね返す。

 パクノダがどこまでもマイペースなソラに呆れながら、「質問してるのはこっちなんだけど?」と言えば、「正解ならわざわざ答える必要ないじゃん」と即答される。

 なのでついでに、そこまでわかっていながらも抵抗せずにされるがままなのは何故かを訊けば、やはりソラは揺るがない答えを出す。

 

「その情報を生かす前に、全滅させるから」

 

 パクノダは正確に言えば心ではなく記憶を読む能力者なので、ソラの発言がどこまで本気なのかは能力を発動させていても本来よくわからないのだが、ソラから読み取った「鎖野郎」の記憶、彼女の最愛の弟である「紅玉」、クラピカとの記憶がソラの発言に真実味を帯びさせる。

 

 パクノダからしたらクラピカの方がソラに対して恩義を懐いて、自分の全てを掛けて守ろうとする方が自然であり、ソラの方が何故こんなにも献身的なのかが理解できない記憶だったが、とにかくクロロの推測どおり彼女の弟は鎖野郎で、クロロが思っていた以上に鎖野郎にとってソラは誰よりも何よりも人質の価値があるほど、大切な人だ。

 

 感情や思い込みによって加工された記憶ではなく純粋な原記憶だというのに、どれほどソラがクラピカを愛おしく思っているかがわかるほどの記憶だったが、パクノダはそれを読み取っても「相手がよっぽど大切なのね」以上の感想は生まれない。

 この能力でいちいち感情移入などしていたらとっくの昔に精神崩壊しているので、パクノダは読み取った記憶は情報としか認識しないし、そもそも身内認定している相手以外にも感情移入をするような真っ当な感性があれば、幻影旅団になど所属していない。

 

 なのでパクノダはソラの発言に慄きつつも、ソラとクラピカの関係に対しては何も思わない。ただの鎖野郎の情報と、ソラの弱点にして逆鱗だというデータとして認識して、さっさと次の情報を得るための質問に移る。

 

 問うべき質問は、ソラ自身の能力と防人であるカルナのこと、ウボォーギンはどうしたのかと、団長たちが捕まえたという昨日の子供。

 その中から選んだのは、ウボォーギンのことだった。

 鎖野郎のことを質問した時、ほんの一瞬だけ彼が垣間見えたから。ウボォーギンが暦から欠けてしまった原因に鎖野郎はもちろん、彼女も関わっていることが確実だから、パクノダは訊いた。

 

「……ところで、ウボォーギンって男を知ってる?」

 

 まずは確認の為に過ぎない問いだった。

 だけど、その問いでソラの奥底に沈んでいた、沈めていたはずの記憶が舞い上がって浮かび上がり、そのままパクノダの脳裏に2日前の記憶が再現された。

 

 その記憶の合間に、パクノダは聞く。

 

「私が殺した奴の名前だな」

 

 何の感情も見当たらない、無機質な声音を聞いた。

 

 * * *

 

「ノブナガ!!」

 

 止めたのは、コルトピだった。

 ソラの答えに思わず愛刀に手を掛けたノブナガに強く叫ぶように呼びかけて、止める。

 

 かろうじてその声を無視するほど我を失ってはいなかったが、なんだかんだでいつの間にか脱力して忘れ去っていた殺意が蘇る。

 車から出てきたソラ達を引き止めていた時と同じ、今にもはじけそうな殺気を放ちながら、ノブナガは憤怒が一周して笑うしかなくなったと言わんばかりの哄笑を上げながら、今にも血の涙がを溢れださんばかりの形相でソラを睨み付けて言った。

 

「……そうか。そうかいそうかい。…………お前か。

 鎖野郎じゃなくて、ウボォーを殺したのはお前の方か!!」

 

 仇が目の前にいたのに気付かなかったこと、そしてその仇がのうのうと生きていて、挙句の果てに自分たちを全滅させると言っていること、何もかもが気に入らなくてノブナガは予言と団長命令のどちらかがなければ間違いなく、今すぐに愛刀を抜いてソラの細い首を切り飛ばそうと試みていただろう。

 かろうじてその二つが何とかノブナガの理性を繋ぎ止めるが、ソラはノブナガの殺気を初めから無視しているのが、ノブナガを全く相手にしていないのが、何とか繋ぎ止めている理性の糸を切らしにかかる。

 

「何とか言え!!」とソラが何を言っても間違いなく全てが逆鱗なくせに、沈黙もこの上なく癇に障ったノブナガが怒鳴るが、応じたのはソラではなくパクノダの方だった。

 

「……ノブナガ。やめなさい。占いを……予言を忘れたの?」

「あぁ?」

 

 片手でソラを捕えながらも、頭痛を堪えるようにもう片方の手で頭を押さえながら、パクノダがノブナガを止めるが、ノブナガは怒りの矛先をパクノダに向けて怒鳴り散らす。

 

「あぁ、忘れてねーよ! 仇を見失って焼け死ぬってやつだろうが!!

 それがどうした! 何だ!? 俺がこいつを逃がして見失うって言うのか!? こいつを!! ウボォーを殺したこいつを逃がすって言うのか!?」

 

 予言の内容を覚えているからこそ、パクノダの言葉を侮辱されたように感じたのかノブナガは鼻息荒く怒鳴り散らして、コルトピに宥められる。

 しかしパクノダはいくらノブナガに理不尽な罵倒をされても、酷い頭痛に堪えるように眉間に皺を寄せたままだった。

 さすがにそんなパクノダの様子に違和感を覚えたのか、ノブナガを宥めていたコルトピが「……パク? いったい何を見たの?」と尋ね、その問いでノブナガの方も彼女の様子のおかしさに気付いてわずかにクールダウンする。

 

 ようやく話が通じそうになったノブナガにパクノダは溜息をついて、まずは独り言を呟く。

 

「……これ、あんたに見せると逆効果な気もするけど、頭に血が昇っている状態だと余計に無自覚に『見て』しまって迷って予言的中になりそうなのよねぇ」

「はぁ?」

 

 パクノダの発言の意味はほとんどわからなかったが、とりあえず自分がけなされているニュアンスだけはわかったので、またしても熱くなりかけたところをコルトピが「どうどう」と宥める。

 それを眺めながらパクノダはオーラを練って、そのオーラで作り上げる。

 

「……口で説明するのも面倒だし、たぶん言葉じゃ意味がわからないだろうから、二人にも記憶を撃ち込むわ」

「撃ち込む……?」

 

 訊き返すノブナガに、パクノダは具現化した拳銃を見せる。武器として拳銃を具現化することはあったが、特質系は具現化系と相性がいいから、メインの能力が戦闘力皆無なのでサブとして使っているだけだと思っていたので、ノブナガとコルトピは少し感心したような声を上げる。

 そんな二人に道のど真ん中で銃口を向け、パクノダは「撃つけど、不安ならやめるわよ?」と訊くが、周囲が戸惑い、もしくはドン引きしてるのを気にも掛けずノブナガは「さっさとしろ」と答えた。

 

 多少クールダウンしていたが、やはりまだ頭に血が昇っているノブナガは気付いていなかった。

 いつものパクノダと同じようなやり取りだったが、彼女の「不安なら」という言葉はからかっているのではなく本気で案じているような声音だったことに、気付けなかった。

 

「………………そう」

 

 パクノダはそれだけ言って、二人に記憶の銃弾を撃ち込んだ。

 ソラ=シキオリから読み取った、鎖野郎ことクラピカの情報と、ウボォーギンの最期が詰め込まれた弾丸が、ノブナガとコルトピの眉間にめり込み、そのままそれは彼らの脳で弾けて溶けて、彼らの記憶の一部となる。

 

 ……パクノダは、読み取った記憶はもちろん、他者に対して感情移入などしない。

 だけど、身内認定している者は別。

 仲間の記憶を読まないという誓約は、さすがにそれをしてしまえばむしろ仲間内での信頼が揺らいで疑心暗鬼に陥るのが目に見えていたからが大きいが、それ以上にパクノダ自身の精神的な負荷が大きいからしないだけ。

 絶対にただの情報として割り切れないと思ったからこそ、このような誓約を自身に課した。

 

 だからこそ、もうパクノダは読み取れない。

 まだソラから聞き出さねばならない情報があるのはわかっているのに、パクノダはもう彼女から記憶を読み取ることが出来なくなってしまった。

 

 ソラの記憶をただの「情報」と認識できない。

「ウボォーギン」という名前だけで反応して、溢れた記憶をただの「情報」ではなくパクノダにとっても忘れ難い「記憶」だと認識して脳に刻み込んでしまった。

 

 そして自分と同じ記憶を撃ち込まれた二人のうち、コルトピはしばし絶句してから深く息をついて、「――あぁ」とだけ言った。

 何かに納得したような、安心したような声だった。

 

 ノブナガも初めの反応は同じく絶句。だが、コルトピの言葉も出ないという絶句とは違って、ノブナガは何かを叫び出そうと、怒鳴ろうと息を吸い込むが、何を言うべきだったがまったく頭に浮かばず、自分を納得させる言葉が出てこないことを悔やむように顔を歪めて言葉を飲み込んで、そして泣き出しそうな顔でソラを睨み付けた。

 

 パクノダの問いに、あまりに無機質に答えてから無言と無反応を貫くソラを睨み続け、ようやく絞り出した言葉はただ一つ。

 

「………………………………お前……か…………」

 

 それだけを絞り出して、ノブナガはいきなりアスファルトの地面を殴りだした。

 胸の内の感情がめちゃくちゃで、上手くオーラのコントロールが出来ていないのか、アスファルトをがんがんと抉る勢いで殴り続けるが、同時にノブナガの拳も血にまみれる。

 

 いきなり連れに銃で眉間を撃たれても生きている男が、地面を鬼気迫る形相で殴り続ける様に無関係な周囲はドン引きだが、ソラは相変わらずの無反応、そしてパクノダとコルトピは止めずに黙って、痛ましげにただ見ていた。

 

「くそっ!! くそ! くそ! くそ! くそぉぉぉぉっっ!!」

 

 ノブナガは地面を誰だと思って、誰の代わりに行き場のない怒りをぶつけて殴り続けているのかもわからないまま、がむしゃらに殴り続けた。

 殴り続けながら、頭から振り払いたいのに刻み込まれた記憶が蘇る。

 

 まず最初に浮かぶのは、女のようにヤケに整った顔立ちのまだ青年の域にも達していない優男。

 鎖野郎だ。

 その鎖野郎と二人がかりでウボォーギンと戦うソラの記憶。

 あのウボォーギンが真正面から戦って負けるわけがないと思っていた。思った通り、2対1でしかもウボォーギンが既に満身創痍な状態で万全のソラが乱入した形だった。

 

 汚い手を使われて、無念の内に殺された思っていた。

 

 だが、記憶の中のウボォーギンは笑っていた。

 2対1という状況も、自分が既に鎖野郎によって満身創痍であることも楽しみの一つにして満足そうに、どこまでも楽しそうに笑っていた。

 鎖野郎の鎖が右腕に絡んだ時、その腕を自ら捥ぎ取ったときでさえも笑っていた。

 

 ソラの得体のしれない異能によって貫かれた時だって、満足そうな顔をしていた。

 自分が負けることに、納得していたのだ。

 

 こんな記憶は嘘だと叫びたかったが、パクノダの能力に偽証が不可能なことは長年の付き合いでよく知っている。

 だからこの記憶が現実だ。

 ウボォーギンは楽しんで戦って、満足して死んで、復讐など望む余地などない死に様だったことを思い知らされた。

 

 そして、何よりも認めたくない真実に気づく。

 誰よりも何よりも、ノブナガが意地でも認めたくないのにノブナガだからこそ真っ先に気付いてしまい、否定できない事実。

 何故、生き残ったのは、勝ったのはウボォーギンではなくソラとクラピカだったのかは、パクノダよりもコルトピよりもノブナガが一番よく理解できた。

 

 さんざん殴って、地面に数センチの深さの穴が出来たところで少しは落ち着いたのか、まだ息は荒いがそれでもようやく殴るのをやめてノブナガは、やはり我関せずなソラを睨み付ける。

 

 我関せず、無反応を貫く女。

 あまりにも無機質に「自分が殺した」と言った仇。

 親友を殺したソラを、泣き出しそうな顔で睨み付けた。

 

「ウボォーギンという男を知っているか?」というただこれっぽっちの問いで、これだけの記憶が瞬時に溢れるほどに、自分が殺した相手のことを覚えている女を睨み続ける。

 自分で殺しておきながら、「そこで死ね」と言い放っておきながら、殺した相手の名を忘れずに脳に刻み付けて、自分の記憶を墓標にして悼む女に、何と言い表したらいいかわからない感情ばかりが湧き上がる。

 

 どうして、ウボォーギンが負けたのかをノブナガは理解してしまった。

 

 ウボォーギンが負けたのは、一人だったから。

 ソラと鎖野郎が、クラピカが勝ったのは二人だったから。守るべき相手がいたからこそ、親友は負けたのだ。

 そしてそのことに、納得して死んだ。

 

 気付きたくないのに、知らないままでいた方が何の躊躇いもなく憎めたのに、ウボォーギンの親友だからこそノブナガは、誰よりも何よりも彼のことを知っているからこそ理解してしまったし、否定だって出来ない。

 もういない彼の矜持を、自分の意地で捻じ曲げることなど出来やしない。

 

 こんな記憶は知りたくなかったと思いながらも、ノブナガはパクノダを恨む気にすらなれない。

 パクノダの言っていた通り、逆効果だが無自覚よりは確かにマシだと自分でも思っているからこそ、ノブナガは地面に八つ当たりで殴るしか出来なかった。

 

 気付いてしまった。

 予言に記された自分が追い求める仇と影は、鎖野郎とゴンという子供ではなかったことに。

 

 見てしまった。

 親友を殺した憎い仇である女に、誰よりも何よりも強い親友の面影を見てしまった。

 

 

 

 

 

 彼女がウボォーギンに似ていることに、気付いてしまった。







ソラの現在の視界は、人間の血管が暗闇の中で光って人型が見えている(物も同じような感じ)と想像してください。
漫画版「空の境界」での伽藍の洞での式の視界がそんな感じだったので。






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