死にたくない私の悪あがき   作:淵深 真夜

99 / 185
83:足掻く

「…………クラピカ。落ち着いて聞いて」

 

 センリツからその言葉を、報告を受けた瞬間、目の前が真っ暗になった。

 

「…………ソラちゃんが、捕まったみたい」

 

 最悪の事態が起こってしまった。

 それだけは避けたくて、現実にしたくなくて、彼女だけは旅団に脅かされることが無いように、ただそれだけを守る為にどれほどの危険を冒してでも、彼女の願いを踏みにじってでも旅団を捕えると誓ったのに、それなのにまたしても自分の愚かさが、自分だけではなくゴンとキルアを最も危険な目に遭わせた挙句、そこまでの犠牲を払って守りたかった人を守れなかった。

 

 目の前が真っ暗になり、全身の力が抜ける。

 自分が無力であり、何もできないことを思い知らされる。

 自己嫌悪と罪悪感ばかりが、クラピカに重くのしかかる。

 

 ………………だが、

 

「――センリツ! ヴェーゼに連絡を取って協力を仰いでくれ! 彼女なら攪乱と誘導にちょうどいい!!」

 

 絶望的な状況だ。

 だが、まだ絶望ではない。

 行き止っていない。行き詰ってない。まだ、何も終わってなどいない。

 クラピカが膝を屈して、諦めてしまう理由なんてない。

 

 だから抜けた力を入れ直し、屈しかけた足を踏ん張ってクラピカは頭を働かしてさらに手段を選ばず、前に進む。

 

 まだ、絶望なんかじゃない。

 ゴンもキルアもソラも、旅団に捕まった。

 けどまだ誰も死んでなどいない。

 情報をいくら取られても、死んでいないのならば何とでもなる。どんなに小さくても、必ず起死回生のチャンスはある。

 

 ソラが生きている限り、自分は救われ続けて幸福なのだから。

 自分が生きている限り、ソラは救われ続けて幸福なのだから。

 

 だからまだ、クラピカの手の内から幸福は奪われてなどいない。まだ、守れる。取り戻せる。

 彼女と共に幸福に生きるという夢はまだ失っていないのならば、クラピカはどれほど傷ついても、迷っても、それでも前に進める。

 

 生きてゆけるから。

 

 だからヴェーゼに協力を仰げとセンリツに言ってすぐ、レオリオにもケータイで連絡を取って、旅団を追いながらゴンが提案してきた作戦をさらに細かく決めて指示する。

 

 ゴンの立てた作戦は、「闇に乗じる」だ。

 

 見覚えがあって多少は警戒している子供が突然現れることと、暗闇の強襲。この二つが合わさればゴンとは比べ物にならぬほど格上のクロロ相手でも、数秒間の隙が作れると踏んだ。

 そしてセンリツが盗聴した、奴らの行き先であるベーチタクルホテルならば、先回りすれば停電を起こすくらいの細工は可能。

 

 ホテルに向かうという情報を仕入れた時点で、クラピカは自分自身をどこに配置するかを決めていた。

 この天気ならば間違いなく奴らはホテルの入り口ではなく、ロビー内で待つだろう。

 ホテルのロビーにいて不自然ではなく、奴らがロビー内のどこにいても目が届くような位置にいて、下手に動き回って奴らの目につくことも、そして奴らの方から近づくこともないであろう場所に陣取れるのは、受付だ。

 ホテルの受付は女性スタッフしかいなかったが、今のクラピカにとっては自分の女顔や華奢な体格をコンプレックスに思う余地もない。むしろ変装の都合がいいとしか思わなかった。

 

 センリツの協力を仰いだ時点で、ヴェーゼにもある程度事情を話しておいたので、ソラに恩を感じている彼女ならば協力してくれるだろう。

 もちろん、無関係な一般人を危ない目に遭わせるつもりはない。

 彼女が操る人間をロビーに数人、配置してもらうだけだ。受付嬢に変装したクラピカはその操っている人間と接客しているフリをしておけば、応対している一般人の所為で不測の事態が起こって作戦が決行出来ないという事態にはまず陥らないし、作戦決行時にクラピカの鎖の軌道上に一般人が立たないように誘導も出来るだろうと思い、クラピカはヴェーゼも使うと決めた。

 

 失敗は許されないから、慎重に、確実に。けれど迅速に。

 立ち止まっている暇も、後悔している余裕もない。

 前に進まなければクラピカは生きてゆけなくなるから、がむしゃらに行動に移す。

 

 ベーチタクルホテルに全力疾走しながら、レオリオと作戦のある程度決めたらケータイを切る。

 レオリオには悪いが、この中で顔を知られていなければ“念”も“纏”を覚えただけの素人同然なので、間違いなく旅団はレオリオに警戒心を懐かない。

 それを利用して、ゴンとキルアに「闇に乗じる」という作戦と「午後7時決行」という情報を、自然に伝えることを完全にレオリオに任せてしまう。何やらレオリオが電話口で文句を言っていたが、それは黙殺された。

 

 そしてそのままケータイの電源を切ろうとする。

 もしもソラの記憶をパクノダが読んで、ゴンやキルア、そしてクラピカの接点を知れば彼女らのケータイをが奪って、自分のケータイに連絡を入れようとするかもしれない。

 いくら変装していても受付嬢のケータイがそのタイミングで鳴ったら、さすがに不自然だと思われるはず。記憶を読まれて顔をすでに把握されているのなら、自分に注目された時点でアウトだ。

 そんなマヌケなミスで作戦が失敗したら色んな意味で死んでも死に切れないので、クラピカはひとまず自分への連絡がつかないように電源を切る寸前、クラピカのケータイが着信を告げる。

 

 一瞬、もう危惧した事態に陥ったかと思ったが、着信は公衆電話からだった。

 クラピカが危惧した通りなら、油断させるにしろ脅すにしろソラやゴン達のケータイを使うはずなので、この電話はまず旅団からではないと確信するが、だが悠長に掛けてこられる覚えのない公衆電話からの着信を取る余裕などクラピカにはない。

 

 だが、クラピカはその電話を取った。

 掛けられる覚えがなかったら無視して電源を切っていたが、「もしかして」と思い浮かんだ人物がいた。

 だからクラピカは電話に出てすぐ、用件を伝えた。

 

「スクワラか? 協力してほしい」

《……何すりゃいいんだよ?》

 

 電話の向こうの相手もやけに疲れ果てた声だったが、初めからそのつもりで掛けた来たからこそ面倒なやり取り抜きで話を進めた。

 

 振り払えない面影を振り切る為に、彼女に最愛の人の面影を見るのではなく、最愛の人に彼女の面影を見て後悔をし続けたくないから、逃げ出したスクワラもがむしゃらに「自分が本当にしたいこと」を始めた。

 

 * * *

 

「ここで待とう」

 

 元々目的地だったベーチタクルホテルに到着したクロロは、ロビーのほぼど真中に堂々と立って、自分が呼び寄せたフィンクス達とソラを捕えたノブナガ達がやって来るのを待つ。

 死体を偽装してマフィアの追跡を逃れたとはいえ、相変わらず自分たちが追われる立場だと思っていない自信と、その自信が決して過剰ではないと思い知らされる隙のなさにキルアは内心で舌を打つ。

 

『センリツ、聞こえるか? 聞こえたら何か合図をくれ……!!

 センリツ、訊いてたら合図をくれ………………!!』

 

 今からホテルに入って来る者はたとえ面識が完全にゼロなレオリオでも警戒されてしまうので、キルアは彼らが先回りしていることを祈って、ほとんど唇も動かさず吐息でしかない程の声量でひたすらセンリツに呼びかける。

 センリツが先回りしているのならば、まだこちらに手はあった。

「闇に乗じる」という手が。

 

 クラピカとレオリオなら、「闇に乗じる」と伝えるだけで手筈を整えることは出来るだろう。

 そしてゴンには作戦を伝える手段がないのだが、トリックタワーの時といい昨日の旅団アジトからの脱出といい、キルアよりゴンの方が土壇場で頭が回る為、何も知らなくても何もかもを台無しにする足手まといにはならないと信頼している。

 

 上手くいく自信はあった。

 ただ一つ、「いつ」やるかというタイミングだけが問題だ。

 

 停電を起こして闇を作るだけでは何の意味もない。それぐらいで旅団(奴ら)に隙など一瞬たりとも生まれはしない。自分たちが逃げ出すことも、旅団の誰かを拉致することも不可能だ。

 停電した瞬間に、少なくとも自分かゴンのどちらか一人が暴れるなりなんなりして意識をこちらに逸らさないと、クラピカはパクノダやクロロを捕えることなど出来やしない。

 

 そしてその「意識をこちらに逸らす」為には、事前に眼を闇に慣らしておかないとならない。

 闇に慣らすのなら数十秒ほど眼を閉じておけば十分だが、何の意味もなく目を閉ざしていれば怪しまれるし、目を閉じっぱなしだと停電した瞬間がわからず反応に出遅れる。

 停電した瞬間に動き出さなければ意味がない。数コンマの遅れが命取りになる作戦だからこそ、キルアは何度も何度も虫の足音よりもささやかな声量でセンリツに呼びかけ続ける。

 

 ただでさえソラが捕まってしまった時点で、クラピカの情報は既に少なくともパクノダに把握されているのは確実。ソラの話していた通りクロロはソラに、彼女の眼に執着しているようなので、下手したら自分たちより彼女に関しては命の心配をしなくていいのが唯一の幸いだが、それ以外は最悪の状況だ。

 

 今の所、パクノダ達から来た情報はソラを捕えたという連絡だけで、ソラからクラピカや自分たちの関係性などの情報を引き出したという連絡はまだないが、それはおそらく歩いてせいぜい数分程度の距離だから、歩きながら取れるだけ情報を取って直接話すつもりなのだろうとキルアは解釈している。

 作戦を決行するなら、ソラ達がやってきていない今のうちにクロロを、次点がソラを連れてきた瞬間、パクノダか誰かに情報を渡す前に彼女かクロロを拉致するのが理想的だ。

 

 ソラから引き出された情報が旅団全体に拡散されて共有される前に、パクノダ本人か一番人質としての価値があるクロロを拉致出来れば、自分たちが逃亡できなくてもまだ活路はあるが、逆に言えばそれが出来なければジリ貧どころではない。

 

 そしてこの作戦での一番の懸念材料は、ソラの誰にも予想も想像も出来ない斜め上の思考による行動だ。

 ゴンにはまだ作戦をどうにかして伝える手段はあるかもしれないが、ソラには確実にない。しかしそれ自体は問題ではない。むしろたかが突然の暗闇でパニックを起こすような女なら、キルアの気はよほど楽なくらいに彼女は、付き合いが長くて深いほど何をやらかすかが全く予想つかない。

 下手したら連れてこられて自分たちを見た瞬間、「キルア! ゴン! 君たち何してんの!?」と大声で叫んで、パクノダが記憶を読む必要もなかったという墓穴をあの女なら素で掘りそうだ。

 

 ソラを助ける為の作戦なのに本人が一番台無しにしそうという、失礼だがソラの自業自得な懸念があるので、出来ればソラがまだ連れてこられていない今の内に作戦を決行したいと切実にキルアは思い、声量は出せる限界までぎりぎり小さくだが、心情としては力いっぱい叫ぶようにセンリツに呼びかけ続けた。

 

 その呼びかけに応えたのは、センリツではなかった。

 

「何時だと思ってんだテメェ!!」

「!?」

 

 いきなり、ロビー全体に響き渡るような怒声で思わずゴン達だけではなく旅団も、その声の主に注目する。

 誰が見ても、そして驚いても何ら違和感がないように、彼は自然に目的に人物の自分の存在を気付かせた。

 

(レオリオ!?)

 

 ロビーの談話コーナーで、ゴン達がロビーに訪れた当初からラジオを聞きながら新聞を読んで姿を隠していた男がレオリオだと、この時初めてゴン達は気付く。

 自分たちの期待通り先回りしていたレオリオは、自分の容貌がぶっちゃけヤクザに見えるのを利用して、ガラ悪く実際に通話状態なのかどうかは不明だが、「部下のミスを怒鳴りつけるヤクザ」という設定でケータイに怒鳴り散らす。

 

「ん? 何見てんだコラ? あ? 勝負すっか? お?」

 

 ついでに自分を見ているクロロ達に向かって、メンチを切ってきた。

 ガラが悪くて人前でも怒鳴り散らすヤクザ設定なので、確かにジロジロと自分を見ている相手がいたらこういう反応が自然なのだろうが、シズクは淡々と「消します?」とクロロに訊いてきたので、ゴンとキルア、そしてやっている本人が一番神経をすり減らした。たぶん彼は、割とヤケクソでやっている。

 

「ほっとけ、目を合わすな」

 

 しかし仲間と待ち合わせの真っ最中に、ちょっと因縁づけてきたチンピラを殺して注目を浴びるなんて面倒な真似を当然クロロが許すわけがなく、レオリオは命拾いした。

 そして拾った命を利用して、レオリオは伝える。

 

「お!? 見世物じゃねーぞ、あ!?

 あ!? ああ、こっちの話だよバカ。ったく、間抜けな手下持ったおかげで俺のお先『真っ暗』だぜ!!」

 

 準備は既に整っていると。

 

「いいか!? 『目ぇつぶる』のは今回だけだ! 次、ヘマしたらわかってんな!?

 良く聞けよ!! 『7時きっかり』だ!! それまでにホテルに来い!! 1秒でも遅れたらクビ!! ソッコークビだ!!」

 

 だから、ゴンとキルアは何をすべきか、そしてそれはいつ行われるかを上手く、ごく自然に言葉の中に忍び込ませて伝えた。

 

 キルアは知らないが、ゴンが既に「闇に乗じる」という作戦を立てていたおかげで、キルアが提案する必要もなく準備は整えられていた。

 レオリオのラジオも作戦の小道具の一つ。

 ラジオなら時報が入る放送局を流していれば、それが正確な合図となる。停電を起こす側がタイミングを間違えない限り、時計の秒針に耳を澄ますよりも確実に、眼を閉ざしていても停電とほぼ同時に行動に移れる。

 

 そこまでお膳立てされているのなら、今度はこちらが準備を整える番。

 キルアはマチの念糸によって後ろ手に拘束されている手首を小さく、わずかに鳴らして関節をいつでも外せる準備をする。

 そして自分が関節を外して拘束から抜け出し、外した関節を入れ直して攻撃に移るまでのかかる時間を計算する。

 

(関節を外して瞬時に意図から抜け出し、攻撃するまで0.7秒前後……。

 余裕でいける…………!! 奴等だって突然停電すれば闇に目が慣れるまで数秒はかかる!!)

 

 ゴンの方は拘束から逃れる手段がおそらくないが、自分が抜け出せるのなら何とでもなる。

 勝機はかすかだが、見えてきた。

 

 後は、作戦決行まで出来ればソラを連れたパクノダ達が戻ってこないことを祈る。

 パクノダが戻ってきて、ソラから得た情報を共有されてしまったらこの作戦による意味の大半が失われる。

 そして何よりやはり、一番助けたい人が作戦を一番台無しにしそうだったので、キルアだけではなくおそらくはレオリオもどこに潜んでいるのかわからないクラピカも、そしてゴンでさえもソラに対して「頼むから来るな! 来ても余計なことはするな!!」と、時計を不自然に思われないように注意しながら器用に睨んで祈っていた。

 

 * * *

 

(あと3分……!!)

 

 しかし、現実は非情である。

 

「パク達が来た」

 

 作戦決行までに時間を稼ぐのはキツイ猶予をもって、パクノダ達がソラを連れて来てしまった。

 まだゴン達を捕まえた時に「来い」と命じていた他の仲間は到着していないので、このまま立ち去ることだけはないのだが、それでも状況がまずい。

 が、パクノダ達が連れてきたソラを見たら、「お前くんな!」と本当に助けたいのか疑う切実な本音が消えてなくなる。

 

 胸近くまで伸びた髪は下ろしている。

 しかし、髪を下ろしても今のソラはゴンが無邪気にはしゃいで褒めちぎって、キルアがほんのわずかな素直さを見せ、クラピカが「見たい」と願ったような女性らしさはない。

 両眼を固く閉ざし、封じる分厚い包帯の痛々しさが、ソラの髪を下ろすことで生じる女性らしい柔らかな雰囲気を今にも消え入りそうな儚さに、今現在壊れていないのが不思議に思う脆さに変質させている。

 

 クラピカからソラが、おそらくは今までにないくらいに「直死」を酷使した後遺症で眼が見えていないことは聞かされていた。

 それでも二人はソラの後遺症が今までで一番酷い状態だから視力低下が長引いている程度にしか思っていなかったが、ソラが両目に「包帯を巻いている」という状態が認識を大きく変える。

 

 人の顔がわからなくなるほど視力が落ちても、そこまで視力が低下しているとは思えない程、平然と歩き回っていたソラを知っている二人からしたら、あの包帯は眼に痛みがあるからでも、眼が見えていないことを周囲にわかりやすくアピールする為のものでもないことくらい、考え付いた。

 

 ゴンもキルアも、知っている。

 ソラの眼、「直死の魔眼」の酷使による副作用は視力の低下。

 そして、視力と反比例してあの魔眼の精度は増す。

 

 あれは、狂うことで受け入れていたはずの視界を悪あがきで拒絶して、見ないように見えないようにしている為の物であることに気付いてしまい、二人は絶句した。

 

 そんな二人の反応は明らかにおかしなものなので、この時点でソラとの接点に気付かれてもおかしくなかったのだが、マチとシズクは初めて(正確には3日前に「赤コート」として出会っているが)出会うソラとやけに消耗しているパクノダ達、特に右手が血まみれなノブナガが気になって、子供二人の様子に気などかけていなかった。

 

 そして、クロロは――

 

「! ………………」

 

 シズクがパクノダ達が来たと告げてそちらに目を向けた瞬間から、彼女らが連れてきたソラを目にした瞬間から軽く見開いた目で沈黙していたクロロだが、パクノダ達がクロロの元にたどり着く前にスタスタと彼は大股で急ぐように歩み寄って行った。

 

 団長のソラ=シキオリに対しての執着ぶりは知っているが、いきなり無言かつ無表情、そしてガン見でこちらに来るとはさすがに思っておらず、お通夜状態のテンションで戻って来た3人は困惑して立ち止まるが、クロロはソラを連れてきた3人はもちろん、置いて来てしまった後ろのマチやゴン達の困惑すらも無視して、ただソラだけを見ていた。

 

 ソラは自分の前に誰かが立ったので、顔を上げる。

 包帯越しでも毛細血管よりも細やかな「死線」が全身に走り、視力を失っている暗黒の中でも青白く輝いて人の形をソラに知覚させるが、さすがにそれでわかるのは相手の体格くらいであって、顔の判別など当然つかないのでソラは、面倒くさそうに「誰だ?」と尋ねた。

 

 その答えの代わりに、クロロが行動に移す。

 

『!!??』

 

 クロロは無言でいきなり、包帯を引きはがす。

 巻いている包帯を解いたのではなく、言葉通りソラの顔面に巻いてある包帯を無理やりわし掴んで引き千切って、ソラの顔から引きはがした。

 

「何するんだ!!」

 

 思わずゴンが叫び、目立つのを嫌ったマチが彼の口を手で塞ぐが、そもそも今一番悪目立ちをしているのはクロロなので、内心ではゴンと全く同じ言葉で突っ込んでいた。

 

 ゴン達側にとって幸いなのは、クロロの行動があまりに唐突かつ酷いものなので、ゴンの言動はソラが真実赤の他人であっても不自然なものではなく、キルアやレオリオ、クラピカの耐えきれずわずかに漏れ出した怒りによる気配も、他の無関係な周囲たちの困惑や好奇心、非難などといった様々な感情の気配にまぎれた挙句に、団員達も団長の行動が予想外すぎてそちらに意識が全員向いていたので、誰もゴン達側のわずかな違和感に気付きはしなかった。

 

 しかしこれを本当に幸いだと思える者など、誰もいない。

 無理やり包帯を剥ぎ取られた所為で、ソラの白い顔に浮かび上がった三筋のひっかき傷が、それぞれの頭の中を怒りで燃え滾らせる。

 

 しかしいきなり顔に血こそは出ていないが、アザが出来るほど乱暴に包帯を剥ぎ取られた張本人は、驚いた様子すら見せずに無反応を貫いていた。

 あまりにもソラがしらっとしているので、周囲は困惑しつつも騒ぎ立てはしないのが旅団側の幸いだが、そのことに気付いているのかいないのか、クロロは言った。

 

「眼は、どうした?」

 

 包帯の下で瞼を閉ざして封じているのを見て、クロロはわずかに不満を露わにして訊く。

 その反応と問いに、ゴン達どころか仲間である団員達も引いていた。

 

 ソラの眼に執着しているのは知っていたが、この男は本気でソラの「眼」にしか興味がない。

 そしてその「眼」に対する執着は、仲間から見ても異常な程だ。

 

 いつものクロロなら、いくら楽しみにしていたお宝を仲間が持って帰って来たとしても、仲間の様子が明らかにおかしければそちらを先に気に掛ける。

 しかし、今のクロロはパクノダ達の様子のおかしさも、ノブナガが負傷していることにすら気づいていないのか、ただソラの目が見れないことを不満に思い、ソラの眼が失われているのではないかとあまりに身勝手な心配をしているのが、ゴン達から見てもあからさまだった。

 

 そんなクロロの反応に、ソラは鼻で笑って答える。

 

「あー……誰かと思ったらお前か。ったく、こんなんの何がいいんだか。

 ――これで、満足か?」

 

 瞼が、開かれる。

 その瞼の下から現れたものに、クロロはおろかクロロの言動にドン引きだった団員や、その瞼の下に何があるのかを知っていたゴンやキルアでさえも息をのむ。

 

「――――素晴らしい」

 

 クロロが感嘆の息と同時吐き出した言葉を否定できる者はいないが、同時に肯定できる者は決して多くない。

 

 それほどまでに、既存の「7大美色」が色褪せて霞むほどに美しい鮮烈なる天上の青。

 それは天上の色。天の国の色。人の世に存在することは本来ならば許されないもの。

 

 だからこそそれは、強く強く「死」を想起させた。

 

 生きては辿りつけない高い高い空の果て、深い深い「 」の深淵のそのものだからこそ、その眼の美しさを否定できる者は存在しないが、この眼に執着できる者は多くなどない。

「死」そのものを直視し続けて、求めて手を伸ばせる者など、多いわけがない。

 

 その眼がどこに繋がっているのかを理解できずとも、その眼が「死」そのものであることに気付けぬほど鈍い男が頭ならば、幻影旅団はA級犯罪者として名を馳せられる訳がない。

 しかしクロロは恍惚とした眼差しをその蒼天の美色に向けて、手を伸ばす。

 

 ソラの魔眼を初めて目にして、しかもパクノダ達と違って今の彼女の視界がどれほど「死」で溢れているのかも知らないはずのマチやシズクでさえも、一目で「この眼と関わってはいけない」と本能が警鐘を鳴り響かせているというのに、クロロはまるで何かに操られているのではないかと思う程無防備に、それを求めた。

 

「爆発しろ、イケメン! 見えてねぇけど!」

「うおっ!?」

 

 が、団員が「団長!!」とクロロを止める前に、歪みなくソラが空気をぶっ壊してゴンとキルアを脱力させる。

 いきなり自分がイケメン限定と定めている挨拶を叫ぶと同時にソラは、パクノダに後ろ手で拘束されたまま自由な足を振り上げてクロロの股座を蹴り上げようとしたが、さすがにそれをくらうほど熱に浮かされていたわけではなかったらしく、クロロは軽やかに避けた。

 軽やかだったが声は割と素で焦っていたのは、余裕で避けれるものであっても男としての条件反射みたいなものだろう。

 

「ちっ! 避けんなよ」

「避けるに決まってるだろうが! いきなり何するんだお前は!?」

「そりゃこっちのセリフだ! っていうか、お前に今度会ったら絶対に去勢拳ぶち込むって決めてたんだよ! 黙ってブチ込まれろ!!」

 

 クロロに金的を避けられて不満そうに舌打ちするソラに、クロロは先ほどまでの狂的な執着も、ゴンやキルアに見せつけていた圧倒的な余裕もなくして突っ込むが、言い返されて仕方がないことを言われた挙句に嫌な決定事項を知らされた。

 ソラの嫌な決定事項に「なんだその不吉すぎる技名は!?」とクロロだけではなくノブナガとコルトピまで思わず突っ込みを入れたところで、女性陣から呆れ果てた目で「目立つからやめて」と子供の喧嘩レベルな言い争いを止められる。

 

 結果としてソラのエアブレイクは、悪目立ちしたクロロの行動からさらに注目を集めたが、あまりに低レベルな言い争いだったので逆に周囲は友人同士の喧嘩か何かと解釈されてホテルの客や従業員の警戒心は薄れ、クロロの狂的な執心による視野狭窄も正され、そしてゴン達にとっても作戦決行までの時間稼ぎになったのだから、割と全員からして良い結果になったのだろうが、もちろん誰もソラに感謝などしない。

 

 団員はもちろんゴンやキルアからも「何してんだこいつ?」という視線を向けられていることに気付いたクロロは、「前半の行動はともかく、後半は俺の所為じゃない。こいつの歪みない斜め上が悪いんだ」と内心でソラに責任転嫁しつつ、気を取り直してパクノダ達に「ご苦労だった」とソラ捕獲を労い、そしてどこまで情報を得たかを尋ねる。

 

「鎖野郎のことは大体分かったけど、能力はこの子も把握してないわ。それと、ウボォーを殺したのは鎖野郎じゃなくてこの子よ。

 ……ごめんなさい。それ以外はまだ調べてないわ。というか、出来れば私はもうこの子の記憶を見たくないのよ。もちろん、命令なら今すぐにするけど」

 

 クロロの問いに内心でゴン達は焦るが、パクノダの答えは予想外にまだほとんど調べていなかったことに困惑しつつも安堵した。

 クロロもパクノダの珍しいというか初めて聞く、「記憶を見たくない」という言葉に一度だけ首を傾げるが、彼女だけではなくノブナガやコルトピもホテルにやって来た時の様子がおかしかったことを思い出す。ソラしか見えていなかったように見えて、ちゃんとクロロは3人がやけに打ち沈んでいたことには気付いていた。

 

 だからか、クロロはパクノダに答えに「そうか」とだけ答えた。

 何故、記憶を見たくないのかという理由は訊かなかった。

 訊くまでもなく気付いたから、訊かない。

 

 ウボォーギンを殺したのがソラであることを知っても、ノブナガからは今にも爆発しそうな殺気を抑えつけている様子ではなくどこか無気力に見えることと、何か硬いものを殴り続けたような怪我をした拳、そしてソラと初めて戦った時に懐いた印象とノブナガの予言が、聡明なクロロの頭脳で答えを弾き出す。

 

 ソラが、霜月(ウボォーギン)の影であること。

 彼女にウボォーギンの面影をノブナガだけではなくパクノダまでも見てしまったからこそ、自分たちの手足を半分捥ぎ取る「敵」にこれ以上感情移入をしない為に、パクノダは記憶を読みたくないと言っていることに気付いたから、彼はパクノダの希望を優先した。

 

「構わん。鎖野郎のことがわかっただけでも収穫としては十分だ。それに、こいつらと接点があるのならこっちを調べればいいだけだ」

 

 申し訳なさそうなパクノダにクロロはフォローするように言いながら、視線をゴンとキルアに向ける。

 それでようやくノブナガは二人の存在に気付いたようで、まだテンションは低いが少しだけ楽しそうに話しかけてきた。

 

「なんだオメーら、また捕まったのかよ? お前ら結局、気が変わって入団したくなったのか?」

 

 ソラから眼を逸らすように、ソラの存在をなかったことにするように、ノブナガは空元気でゴンとキルア達に話しかけるが、二人はその様子におかしさに気付いても気を遣ってやる義理はないので、横目で時計を見て作戦決行までの残り時間を確認し、何とかあと2分の時間を稼ごうと頭を働かす。

 

 ゴンが「何するんだ!?」と叫んだ時点で確実に彼らの存在にソラは気付いてるはずなのに、ソラは未だしらっと二人に視線も向けず、何も言わないし何もしていない。

 その為か、未だに旅団は自分たちとソラや鎖野郎とは「接点があるかもしれない」程度にか思っておらず、警戒心はさほど高くない。

 

 もしかしたら彼女は自分が捕まった時点で、ゴン達も捕まっていることを知っていたからこそ驚いていないのかもしれない。

 そうだとしたら、キルアが懸念したソラが通常運転すぎて作戦が台無しになるという可能性は皆無に等しくなり、むしろ自分たちが有利になる。

 土壇場での機転はゴンよりも彼女の方が、死を退ける狂った思考のおかげで誰よりも何よりも優れているし、今のソラの眼の状態はあまりに痛々しいが、初めから視力に期待が出来ないのならば突然の停電でも問題ない。何も作戦は伝えていないが、ソラなら十分に対応できるだろ。

 

旅団(あんた達)に懸けられてた賞金が取り消しになったこと、知らなかっただけだよ」

「その結果、また尾行に失敗したのか? 懲りねーな。だが、これも何かの縁ってやつよ。俺達は惹かれ合う運命ってわけだ。

 ま、仲良くやろーぜ。な?」

「やだね」

 

 だから、まだ「鎖野郎のことがわかった」とだけしか情報を晒していない今のまま、何とか作戦を決行させる為にキルアは頭は働かせて、ごく自然な対応を導き出して演技する。

 

「懸賞金があったからこそ、追っかけてたんだ。

 ……いきなり女の顔に怪我させるような奴が頭の集団になんか、誰が入るか! 本当ならお前らなんか顔も見たくないんだからな!」

 

 ソラのことを全く話題にあげないのは不自然かと思って、キルアは本音の感想も混ぜて怖いもの知らずで意地を張る子供を演じ、眼を固く閉ざしてそっぽ向く。

 ゴンもキルアの言葉に便乗して、同じく反感を示してそっぽ向いた。

 

「くっく、どーだい団長!? いいタマだろ?

 ウボォーに通じるふてぶてしさがあるぜ、こいつらにゃあよ!」

 

 彼らの反応にノブナガはやや乾いた笑いを上げて、団長にゴン達の入団を推薦する。

 ウボォーギンに似ているのはこいつらの方だと自分に言い聞かせるように、彼は泣くのを堪えるような顔で笑っていた。

 そんなノブナガを痛々しいと思ったからこそ、引導を渡して潔く諦めさせる為か、クロロは冷徹にパクノダに命じた。

 

「……パク、もう一度こいつら調べろ」

「「!!」」

 

 ゴン達はボロは出していないが、それでもクロロは彼らとソラに接点があることを確信しているのだろう。

 

 彼はゴン達が思っている以上に、ソラという女を理解していた。

 ソラの言動からして目が見えていないのは本当だろうが、包帯をはぎ取った時のゴンの非難といい、ノブナガとの会話といい、既に子供が自分と同じように捕えられていることには気付いていない訳がないのに、何も言わず何もしないことを不自然だと思っていた。

 

 自分が推測した「紅玉」が弟となった経緯や、3日前のオークション襲撃で一人だけとはいえ客を見殺さず逃がしたことから考えれば、いくら今現在のソラに余裕がなくても捕えられた子供に何の興味も心配も抱かないのは有り得ないと踏んだ。

 少なくとも「何でこいつらが子供を捕まえてるんだ?」と不思議に思って尋ねるくらいはするだろうに、完全に無反応を貫いているのはクロロからしたらむしろ、何かしらの接点があると言ってるも同然だった。

 

「OK。何を訊く?」

 

 だからクロロは、ノブナガの迷いを断ち切る為とパクノダがソラから取り出せなかった情報を彼らから根こそぎ奪うために、命じる。

 

「『何を隠してる?』、かだ」

 

 シンプルだからこそ、一番必要な情報を最短で最大限に引き出せる言葉にキルアは焦る。

 しかし同時にレオリオのラジオから、あと1分で7時になるという放送が入った。

 

「ムダだね!」

 

 だからもはや思考そのものは放棄して、とにかく時間を稼ぐためにソラの拘束をシズクに任せて近づいてきたパクノダに対して、口から思いつく限りのことを語る。ついでにあれだけ「余計なことをするな!」と思っていた、ソラのエアブレイクにも期待する。

 しかし、こういう時に限ってソラは何も言わない。

 

 今までとは別の意味で「空気よめ!」とキルアは心の中で逆ギレするが、クロロの方もさすがにこの段階まで来て子供との接点や関係をすっとぼけて何の反応もしないソラに違和感を覚えた。

 予言で記された未来、自分たちの手足を捥ぎ取るのが「蒼玉の防人」というのもあってか、クロロはソラの様子に警戒して「ずいぶんと余裕だな」と声を掛ける。

 

 話しかけられても、ソラはクロロに目を向けない。どこを見ているのか、何を見ているのかよくわからない、ただひたすらに美しい瞳を明後日の方向に向けたまま、事もなげに答えた。

 

「余裕なんてないよ。あってもなくても、することに変わりなんかないし」

 

 強がりでも何でもない、ただの本音を口にする。

 言葉通り、ソラに余裕などない。

 

 ウボォーギンとの戦いで限界を超えた魔眼は、未だに制御不能状態。

「死」が見えすぎているからこそ、「死」以外が見えていないからこそ、守りたい人や無関係な一般人がいるこの場で使えるものではない。

 今のソラでは体格くらいしか見分けがつかないので、ゴンやキルアですら似たような背丈のコルトピがいる所為で巻き添えにしてしまう可能性が高かった。

 

 そしてカルナに体を使わせた代償である魔力(オーラ)もほとんど回復していないため、魔術も念能力もろくに使えない。

 またカルナに任せるとしたら、不足している分の魔力をソラは自分の命を削って支払わなければならないので、ソラの意地とは関係なく、これは最後の手段にすべきだ。

 

 カルナならそれこそソラの負担を最低限にするため、“絶”状態でも戦ってくれそうだし、そしてそんなハンデどころじゃない状態でも勝てるんじゃないかな? とソラは思っているくらいだが、それでも旅団6人相手にゴンとキルア、そして周囲の一般人も守って戦うのはさすがに分が悪い。

 カルナに代わるとしたら、せめて一般人が周りにいない彼らのアジトにでも連れて行かれてからの方が、相手取る人数が増えてもここよりはマシだろうと判断しているので、今のソラにカルナと代わるという選択肢はない。

 

 余裕はない。

 だけど、まだ選択を選ぶ余地はある。

 自分はもちろん、ゴンもキルアも生きており、クラピカの情報もまだ3人しか知らない。

 

 だからこそ、ソラは笑った。

 未来も希望もまだ何も失っていない。余裕がなくても、出来ることは失っていない。

 何も出来ないままあの灼熱に焼かれるか、逃げ出した深淵に落ちてゆくしかなかった二日前の絶望と比べたら、現状は笑いごとでしかない。

 

 だからソラは、パクノダに顎を掴まれて体を持ち上げられたゴンとキルアの方も見もせず、ただ笑って答える。

 

「余裕があってもなくても、私がすることなんか何も変わらないさ。

 私は生きるために……、死にたくないから、生きていたいから、幸せに生きていたいから……、だから死ぬその瞬間まで悪あがきをし続けるだけだ」

 

 ソラの視線の先、「死」しか見えていないはずの眼が向けられていた方向が、ホテルの受付だったことに意味があったのかはどうかは誰もわからない。

 

 ただソラの言葉に答えるように受付嬢の口角がわずかに上がった瞬間、ホテルは闇に包まれた。

 

 * * *

 

 

『!!?』

 

 ラジオの時報が7時を知らせた瞬間、キルアとゴンは固く閉ざしていた目を開けた。

 

 パクノダがやはり自分達を子供だと舐めていたおかげで、ほぼ完全に強がりでしかなかった「他の事を考えて頭の中をいっぱいにして記憶を読ませない」という発言に対し、どうして無駄なのかを懇切丁寧に説明してくれたおかげでギリギリだが間に合った。

 

 そしてその暗闇による旅団の困惑をさらに混迷させたのは、キルアでもゴンでもなく、ある意味では予想通り歪みない予定調和な人物だ。

 

「ガンド!!」

「きゃあ!!」

『!? シズク!?』

 

 後ろ手でシズクに拘束されていたソラが、ゼロ距離でシズクにガンドとついでに自由な足で蹴りもぶちかまして拘束から逃れる。

 目が見えていないはずなのでホテルが停電してもソラに支障はないが、同時に停電したことに気付くことも出来ないはずなので、おそらくは旅団の一瞬の隙を感じ取って躊躇なく行動に移しただけだろう。

 ソラにとっては「突如の停電」なんて、即座に行動に移せるほどに対策済み、想定の範囲内でしかなかった。

 

 キルアの予測通り、土壇場に強いソラに心配する必要はないと判断し、そして自分も心配されるようなタマではないということをソラに見せつける。

 

「ぐ!!!」

(!! 右の奴が抜けた!?)

 

 マチの糸によって拘束されていた手首の関節を一瞬で外して、そしてその腕を前に回す間に再び入れ直して、顎を掴みあげているパクノダの左腕を両手で挟むようにしてブチ折る。

 そしてさらにパクノダの顎を爪先で蹴り上げて、キルアは完全に拘束から逃れた。

 

 ゴンもキルアがかました蹴りでパクノダの腕が離れたので、マチの横っ腹に蹴りを入れて逃げ出そうと抵抗するが、彼にはマチの糸から抜ける手段がない。

 まだ四大行をマスターしただけで、“硬”はおろか“凝”は目だけではなく体の一部に使って攻撃力を高めるという手段もゴンが知らなかったことが幸いして、マチは強化系のゴンの蹴りに堪えながら糸を引いてゴンをキルアから引き離す。

 

(こいつ)は放さない!!)

(ゴン!!)

 

“念”による糸なので、単純な力任せで切ることなど出来ない。ゴンから引き離されたら、キルアがゴンの手首の関節を外してやるという手段も取れない。

 ならば、もうゴンの拘束を解く手段は一つしかない。

 

(くそ!! 糸を切るには…………殺す()るしかない!!)

 

 使い手のマチの心臓を抉ろうと、キルアは久々だが身になじんだ動作で自分の指先を変質させて構え、マチに向かって行く。

 しかし、その行く手は阻まれた。

 

「キルア!!」

 

 阻んだ者が旅団ではなく、予言と団長命令で「深追いは絶対にするな」があったため、シズクの拘束から逃れてもスルーされていたソラだったことに関しては、まだ予想が出来ていた。

 予想外だったのは、マチとキルアの間に立ちふさがったソラの言動。

 

「歯ぁ食いしばれっ!!」

「はっ!? ちょっ、おい!? ごふっっ!!」

 

 闇に乗じても旅団なら“円”を使える者は当然いるし、使えなくても近接の攻撃手段しかないゴンとキルアでは、肉を切らせて骨を断つ戦法を取られると再び拘束されることを、ソラは想定していたのだろう。

 だからって、いくら何でもこれはさすがに文句を言うぞ! とキルアは思いながら、ソラの蹴りを腹に受けてそのままホテルの入り口までブッ飛ばされた。

 

 ガラス戸をぶち破って逃がされたキルアだが、即座に起き上がってホテルに戻ろうとする。

 冷静に考えたら自分が戻っても意味がない、ゴン救出もソラに任せていた方が頼りになるし、仮に二人が逃げられなくとも、舞い戻って自分も捕まるより、自分一人でも逃げてクラピカ達に協力した方がいいのはわかりきっている。

 

 それでも、逃げる訳にはいかなかった。

 こんな時でも相変わらず空気を読まず、めちゃくちゃなことしかしないソラをぶん殴ってやらないと気が済まなかった。

 助けられてばかりの自分をぶん殴る代わりに、死にたくないくせに自分を優先などしてくれないソラをぶん殴りたかった。

 

 が、キルアがホテル内に戻るのはいきなり首根っこを掴まれて引き止められる。

 これが人間の手ならキルアは無意識に振り払って、ホテルに舞い戻っていただろうが、少し生臭い吐息を首筋に感じて思わずキルアの思考が一瞬停止した。

 

 その隙に吐息の犯人、キルアよりサイズはやや小さいくらいだが、よく訓練されて鍛えられたのが一目でわかる大型犬はキルアの服の襟元を咥えて彼を軽々振り上げて自分の背中に乗せる。

 そしてさらに状況が理解できないまま、キルアは用意されていた車まで犬に運ばれてそのまま乱暴に放り込まれた。

 

 キルアの理解できない状況の中、ゴンもゴンでソラの豪快すぎる助け(?)に、何が起こったかが見えている分、巻き込まれた一般人や旅団よりも困惑してしまい、一瞬動きが止まる。

 しかし、一番計画のことなど知らなかったソラは止まらない。

 

 まるで彼女こそがこの作戦の立案者であるかのように、めまぐるしく、何の躊躇も迷いもなく行動する。

 

 キルアを蹴り飛ばした時点で、彼女はコートのポケットからそれを取り出していた。

 そしてそれは、ホテルの外から届くわずかな光源を反射させて輝いた。

 それが何であるかに気付いた時、ゴンはソラが何をしようとしているのかにも気付き、叫ぶ。

 

「ソラ! ダメだやめて!!」

 

 もはや赤の他人のフリを互いに取り繕わず、名を叫ぶ。

 ソラが何をやらかしているのか、何をしようとしているのかは、まだ闇に目が慣れていない旅団側からしたらサッパリで放っておけるものではないが、だからと言って見えてもいないのにソラに特攻するのは自殺行為でしかない。

 

 だから旅団が優先したのは、唯一未だにマチの拘束から逃れていないゴン。

 彼だけでも手元に残せておけば、彼らを助けようとしている今現在の行動からして、少なくともソラに対して有効な人質となる。

 

 そんな選択をされることなど、ソラはわかっていた。

 だから、ソラはゴンの懇願を無視して、旅団が見えてなくても放っておけない、無視できないようにした。

 

「来いよ! クソジジイ!!」

 

 堅い何かがロビーの床に落ちる音、錆の匂いがすると同時にソラが発した言葉で、旅団は「まだ仲間がいたのか!?」と警戒するが、ゴンはその言葉にもう一度「ダメだ!!」と絶叫するように制止する。

 

 そしてゴンの制止の言葉の直後、思わず旅団の全員がおそらくソラがいると思える方向に顔を引き攣らせて向きつつ、距離を置いた。

 

 セーブしてるにしろそうでないにしろ、纏うオーラがあまりにも弱々しかったはずなのに、目が見えていなくても、“円”をしていなくてもわかるほどに膨大なオーラが急激に発せられる。

 停電でパニックを起こしていた周囲の“念”を知らない一般人でも、何かを感じ取って場が静まり返るほどの莫大なオーラ。

 それに、旅団側は覚えがあった。

 

 3日前のオークション初日の襲撃で、「赤コート」と応戦した際に「赤コート」が逃げるために使った反則。

 バズーカーでさえも片手で受け止めたウボォーギンでも、避けることを選んだ光の斬撃。

 宝石剣の存在を思い出した。

 

 旅団側からしたら、一般人を犠牲にしてもゴンを助けることを選んだと解釈したが、ゴンはソラがそんなことをしないのはわかっている。

 ソラの宝石剣を彼だけが唯一見ていないので、それはどれほど強力無比なものなのかも、どのような条件で具現化できるものなのかもよく知らないが、それでも一つだけ知っている。

 

 あの魔法(奇跡)の一端は、ソラが傷つくことが発動条件の一つであること。

 ソラはヒソカとの試合の時のように、発動条件をそろえる為と威力を上げるために、自ら左手首を切り裂いたのを闇に慣らしたゴンの目が見ていた。

 

 そして、そこまでしているのにソラがその宝石剣を使う気などないこともわかっていた。間違いなくこれは、ゴンに手出しさせない為の牽制であり、脅しでしかない。

 

 ゴンの想像が正しいことを肯定するように、ソラは手首から流れた血で染まる宝石剣を持ったまま、その刀身に纏った魔力を撃ち出さずに、ゴンに向かって走ってきた。マチが派手にゴンを糸で釣り上げて吹っ飛ばしていたので、コルトピと間違えることなく真っ直ぐに向かって、宝石剣を持っていない赤いリボンを巻いた右腕を振るう。

 

 ソラが右腕を振り被ったと同時に、宝石剣とそこに纏ったオーラは霧消して、旅団側は余計に訳が分からず混乱する。

 宝石剣が消えたのは、宝石剣を具現化する条件の一つである「直死が使える間合いではない」が外れて、ソラが間合いに入ったから。

 

 見つけたから。

 マチの細い細い“念”の糸の、さらに細くて小さな「死線」を闇の中でも損なわれない天上の美色が見つけ出し、それを断ち切ってゴンを開放する。

 

 自分の糸が切られたことに気付き、マチはソラの眼について語っていたクロロやシャルナーク、ヒソカの言葉が全く大げさではなかった、非常識どころではないことを思い知らされるが、全てが後の祭り。

 全員に逃げられる結末にマチは悔しげに歯噛みするが、その結末を決めつけるのは早計だった。

 

「!? ソラっ!!」

 

 ゴンが叫ぶと同時に、どさりと何かが倒れる音がする。

 その直後、ノブナガが「ガス欠か!!」とやや安堵した声で叫ぶ。

 どうやら、ゴンを助ける為に元々少なかったオーラを自分たちへの牽制に使い果たして、ソラが倒れたようだ。

 

 やや闇に慣れた旅団たちの目が、うっすらとしたシルエットを捕える。

 子供が倒れた人間に向かって走り、その相手を抱きかかえて逃げようとしていた。自分一人で逃げる気など、彼には思考の端にすらよぎらない。

 

 だが、そんなことはもちろん旅団は許さない。

“円”で正確なゴンとソラの位置を把握したノブナガが、ぐったりとしたソラを泣きそうな顔で抱きかかえるゴンの前に、居合抜きの構えで立ちはだかる。

 

「――動いたら、今度こそ切るぜ」

 

 そう言って、背後から投げつけられた物を見せしめに切り落とした。

 ほぼ反射で切り落としたものは投げナイフで、おそらくはゴン達の仲間、時報を用意していたラジオの男辺りが最後っ屁として投げたものだと思った。

 

 ノブナガの剣技を見せつけられても、ゴンは折れなかった。

 自分が動けば、オーラを使い果たして気絶してしまったソラまで巻き添えで死ぬ。それだけは出来ないから、自分の目的、したいことはソラを守ることだからしないだけで、ゴン一人ならば間違いなく無謀だとわかっていてもノブナガに挑みそうな、真っ直ぐな強い目で相手を睨み付ける。

 

 その眼にまた、ノブナガは親友の面影を重ねる。

 殺したくないと、思ってしまう。

 この子供も、そして子供を守る為に全力を尽くした仇であるはずの女も。

 

「残念だったな。ま……けっこういいセンいってたぜ」

「いいセンどころじゃないよ。……シャルがあれだけ関わるのを嫌がったのを痛感したわ……」

 

 ノブナガが迷いを振り切るように強がった言葉に、思いっきりわき腹をゴンに蹴り飛ばされて痛んだアバラを押さえながら、自分の勘は正しかった、そしてシャルが言っていた通りソラという女には一般常識どころか犯罪者たる自分たちの常識すら通用しないことを思い知らされたマチが疲れ切った声音で言う。

 

「そうだね……。団長には悪いけど、やっぱりその子は今の内に……、って、あれ?」

 

 同じく、ソラに蹴られた挙句にガンドもくらってしまい、折られたアバラが痛いやらガンドが当たった足が痒いやらで顔をしかめながら言ったシズクが、その痛みも痒みも一気に吹っ飛ぶ事態に気付く。

 

 

 

 

 

「団長は……?」

 

 

 

 

 

 クロロがいない事に、ようやく全員が気づいた。






前回のあとがきで書こうと思って忘れてたけど、ヴェーゼ生存はギリギリで決まって予定になかったことだけど、スクワラは当初から生存予定でした。
でもどちらも話の流れとソラの性格上、死ぬのが不自然だよなぁと思ったから生存が確定しただけで、別に生かしたいから生存させたわけではなかったりする。

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