いつもと変わらぬ風景。変わらぬと思い、疑わなかった日常。
自分たち人間、そして日本人の中では死に最も近い自衛官ですら、いつもその中で生きていた。この平和がいつまでも続く。例え戦争になったってどうにかなる。人類全体が滅亡するわけではない。自分たちはそう信じて疑わない。いや、疑うことなどできやしない。なぜなら、そんな危機、未だかつて誰も経験したことすらなかったのだから。冷戦などにおいても、しょせん核戦争が起こるとか、そういう認識をして我々はいつも生きてきた。そうやって前向きにいることで、自分たちは今まで平気を振る舞って作られた平和の上で、作られたレールの上を歩いて生きてきた。それが人間の生き方だ。人間はそうやることでしか希望をもてなかった。
だから、その平和が音をたててボロボロと崩れることなど、誰一人として気づくことはおろか、疑うことすらできなかったのだ。
「…………」
太陽がまだ出ていて、昼間といえる時間帯。彼は航空自衛隊基地内で、空を見上げていた。しかし何かおかしいことでもあるのか、何度も目をこすっている。
周りには彼と同じように空を見上げている自衛官がたくさんいる。整備士からイーグルドライバー、訓練中だった消防小隊の隊員までもが空を見上げてその光景に困惑している。中には、どうなっているんだ? と呟く者もいる。
消防小隊の連中に限っては、汗がだらだら垂れているのにも関わらず、それを拭こうともしないでただただずっと空を眺めている。
頭上で広がるそれは、それほどまでに人々の心を引き付けるものであった。いや、ある種の恐怖だった。
それが、戦場で味わう恐ろしさなのか、はたまた絶望感なのかは区別がつかない。
しかし、それには人を確実に恐怖に陥らせるだけのインパクトがあった。
と、そのとき滑走路からT-4が発進した。最近では某国が水爆の実験をしたから、多分その時の装備がそのまま積まれてるのかもしれない。そしてその目的はおそらく、上空にある何かの調査。我が自衛隊にしてはずいぶん手際がいい。
その光は照らすものすべてをその色に染め上げる。それは危険信号――少なくとも彼にはそれがそのように感じられる。いや、もしかしたら、危険信号というよりも、これは、これからお前らを殺しに行くという宣戦布告の合図ともとれる。ただわかるのは、それは自分たち人間のDNAに、明確な恐怖として刻まれているということだ。
8月24日:天気、快晴。午後2時16分頃~午後3時56分頃。朝焼けも夕焼けも起こり得ないその時間帯に日本全域を謎の赤い空が覆い尽くした。その色はまるで血のように赤かった。
8月28日、午後1時13分、航空自衛隊基地近くのコーヒー店。
人々はまた、何のへんてつもないいつもの日常を生きていた。赤い空については一時は話題になったものの、すぐに静かになり、もう誰もその話をする人はいなくなった。そして、彼もまた――。
そのコーヒー店で、一人の男が机に突っ伏し、大いびきをかいてぐっすりと眠りについていた。机の上には冷めきってしまって湯気がどこかへ消えてしまったコーヒー。空いている後2つの椅子の内の一つにはその男の物だと思われるショルダーバッグが置かれている。
店員も、他の客たちも、そんな彼のことを少し困ったような表情をして見ていた。だがまぁ、なんというか、男からかもしだされる雰囲気のおかげで、誰もが、仕方ないか。で終わっていた。
そんな光景が、彼が店内に入って最初に見た光景だった。
まったく人を呼び出しておいて奴はなんで寝てんだか。
彼はそう思いつつ、注文するレジを無視してその席に近づく。特に店員が不審に思うこともない。よくあることだからか、彼に興味がないからのどちらか――おそらく後者。
目の前に明らかな異質な存在がいるのにこちらに気がつけというのも無理な話だ。しかし自分はこれからその異質なものを起こさなければというのは面倒な話だ。
ああ、なぜだか奴のところまで行くのに足が重い。そう思いながらもとぼとぼと男に近づく。
「おい、起きろ楠」
揺すってみる。しかし奴――楠は少し唸るだけで起きようとはしない。それに、周りから視線が集まり、少し不快感を覚える。
「呼び出したのはお前だろ? こっちだって忙しいんだ」
内心、このやろうさっさと起きやがれ。と思いながら、しかしそれを必死に押し潰して言う。
しかしそれでも楠は不満そうにいびきを一瞬大きくしただけでまったく起きる気配を感じさせなかった。
目の前にいるこいつは楠大地。現職の航空自衛隊の自衛官。話によるとイーグル(F-15J、戦闘機)に乗っているらしい。そして自分と小学生のときから……はっきりいって腐れ縁だ。今までこいつと関わった記憶の中で、何かいいことがあったためしは一度もない。むしろどぶに落ちたり、大切なゲーム機がぶっ壊れたりと、さんざんな目にあった。それでも今まで友達でいられたのはこいつのことが憎めないからだろう。
「さっさと起きろッ!!」
彼は腐れ縁でありながらも、同時に唯一無二の親友でもある楠の頭に思いっきり拳骨をいれた。周りの人たちがまったく想像していなかったその一撃で、彼は『うそぉ……』という冷たい視線に射られた。そして拳骨をいれられた男は一回うめき声を出した後むくりと顔を上げた。
仏の顔も三度まで。なんてこと彼の前では何の関係ない。こんな石頭を通り越して鉄頭の男には鉄拳制裁が一番いい。むしろそれ以外ない。
楠が眠たそうな目をこちらに向けて、
「あれ? いつからいたの?」
呑気な声が返ってきた。
店内に骨と骨がぶつかる鈍い音がしたのは、その数秒後だった。
午後1時35分。
最初、それを誰もがそれを映画か何かの着ぐるみかと思った。いや、そう思うことで自分を冷静にさせようとした。
それらがいつ、どこから、何の目的で現れたのかは、誰にもわからない。ただわかるのは、その外見がナメクジに似ていること。色が紫が銀色であること。ということでしか確認できなかった。
人々はそれから逃げ回る。子どもも、大人も、じいさんばあさん。そして観光に来ていた外国人たちも。全速力で、息がきれてもなお走り続ける。
建物の中に逃げ込んでも無駄だ。入り口を破壊し、楽々と内部に侵入して人を食っていく。特に、学校では残酷な光景が広がった。何の情報もこないまま、いつもと変わらずに授業を受ける子どもたちに、学校の門を押し倒し、侵入してきた奴らが人間の匂いをたどって校内に侵入する。逃げる子どもたち。パニックになる教師たち。窓から飛び降りて逃げようとした者たちはすぐさま外にいた化け物たちに食われ、校舎を上へ上へと逃げていた者たちは逃げ場を失って食われる。そこに残ったのはおびただしい量の血だ。
そんな中でつい先日小学六年生になったばかりの清水夏実はたまたま先生が机の上に置き忘れていったケータイ電話を取り、同級生の男女数名と一緒に三階東女子トイレの中に立て籠った。
トイレの中にあったモップやらなにやらをすべて引っ張り出し、簡単なバリケードも作った。
最初はただただ、自分がなぜこんな目に合わなければならないのかがわからなかった。目の前でおきた意味不明で理解不能なことを見たくなかった。でも、それじゃ死ぬとわかっていた。
と、誰かが廊下を走っている音が聞こえた。何かを叫んでいる。そしてドテッという音が聞こえた。たぶん転んだ。
「く、来るなッ!! 来るなー!!」
男の子の声だった。確か隣のクラスのスポーツ抜群で顔をそこそこよくて、それで友達がいっつもその子の話をしていたのも覚えている。
液体質な何か――あのナメクジが廊下を移動する音がやけに聞こえる気がする。
「お、おいどうする……」
声を潜めてそういったのはクラスの中で一番のいたずらっ子である川村良太だ。しかし、みんなうつむいてしまっている。
「開けたら俺たちも危ないじゃん……」
みんなが言わないならと、いつも川村とつるんでいた早川洋介がそう言った。そんな彼の言葉に、ここにいる夏実以外の後二人の女子がわかるかわからないかぐらい小さく頷いた。
助けたほうがいいのかな。と思った。見過ごすことはできないし、まだ助けられるかもしれない命。でも、それと裏腹にバリケードを取ろうとする手は動かない。心臓の鼓動が、まるで私を邪魔するみたいに大きくなる。
「う、うあああああああ!! ああああああああああ!!」
恐怖にかられて叫ぶ声が聞こえると、私は目をぎゅっと瞑り、耳を手で押した。それでも直後に聞こえてくる粗食の音と男の子の断末魔は耳の中に入ってきて、完璧に脳に記憶された。一瞬、何もしなかった自分に対する罪悪感で、心が壊れそうになった。
泣き出しそうになるのを必死にこらえ、ただ、早く終わることを願った。生きたまま食べられるのは痛いのだろうか。死の恐怖とはどこまで上がるのか、考えただけて心が痛くなる。叫びたくなる。
男の子の声が消え、あのナメクジがどこか別のところへ移動した音を聞いた後、助けを求めたくてケータイの電源をつけた。しかし目の前の画面に表情されたのは『パスワードを入力』という文字と0から9までの数字。緊急通報という文字に気がつかなかった少女はもう本当に泣きたくなった。
午後1時36分、県道。
市内を警ら中だった阿久津巡査部長(47)は通信指令課の命令を受け、けたたましくサイレンを鳴らしながら現場に急行していた。助手席に座っているのは先月結婚したばかり宮松巡査(21)だ。
しかし、通信指令課からきた命令の意味はまったくもって理解できないものであった。巨大ナメクジが人間を襲っていて、既に何人も死んだ。しかも近くの交番の巡査長とは連絡がとれないという。そんなの三流映画みたいな話だ。そんな、半信半疑の状態でここまで来ていた。
宮松は緊張した表情だった。こういうとき、気のきく上司ならば場を和ませる言葉でも言うのだろうが、自分にそっち方向の才能はないようだ。
「阿久津さん」
「どうした?」
「何か聞こえます」
宮松はそう言うと窓を開けて耳を澄ませた。まったく、ここは誰もいないゴーストタウンなんかじゃないんだから何か聞こえるに決まってるだろ。アホかこいつは。
と、その時、前を走っていた車が急停止した。それにつられてこちらも急停止する。そしてその拍子に体が慣性の法則に従って前のめりになる。シートベルトがなければハンドルに頭をぶつけていただろう。
バカ野郎、なに止まってやがんだ!! ここは県道だぞッ!! そんな言葉が喉の先っちょまで出かかった。しかし警察官という職業。それを言えないのにイラつきを覚える。しかし、冷静になった耳を澄ますと、なにやら怒声のような……なんというか、とにかく誰か、いや、たくさんの人々の叫び声が聞こえた。
その時、嫌な予感が脳裏を遮った。もしかしたら、ナメクジというのは何かの間違いで、武装集団がテロでもやっているんじゃないか。それならこの混乱も納得できる。いや、ナメクジなんてあり得ないから、それぐらいしかない。
「宮松、通信指令課に連絡して動隊の出動要請を出せッ! 俺は状況を確認する!!」
現場を確認していない以上はわからないが、多分そうだ。これは自分たちに負えるような事件ではない。阿久津は車から降りると、前を見た。今までは前方の車が視界をふさいでしまっていてまったく見えなかったが、そこには血相を変えてこちらへ全力疾走してくる無数の人たちがいた。
「――テロの可能性あり。機動隊の出動要請を願う」
車中からはそう言う宮松の声が聞こえた。
おいおい……テロってこんなに人が逃げてくるもんなのかよ。思わずそう思った。
数秒もすると阿久津たちのいるところまで人の波が押し寄せていた。悲鳴が聞こえる中、こちらに向かって逃げろという声も聞こえる。いったい何がどうなってんだ? 俺たちは警察官だぞ。こういうときは頼られるものじゃないのか?
「おい、何があったんだ!!」
逃げている中の一人を掴まえてそう叫ぶ。
「放せ!! 化け物が来る!! 放せッ!!」
男は完全にパニックに陥っていて、それだけ言うとこちらの手を振りほどいて逃げていってしまった。
そこで阿久津は閃いた。するとすぐに車の上によじ登る。そう。高いところからなら何が起こっているのかがわかると思ったのだ。目を細めると何かが見えた。
「ん? あれはなんだ?」
しかし、それを最後に阿久津はあり得ないといったように少し息を吸い込み、目を見開いた。そして慌ててパトカーの上から降りた。その顔は真っ青になってしまっている。
「なにかあったん――」
「――自衛隊……自衛隊に出動要請ださせろ!! 俺たちも早く逃げるぞ!!」
言葉を遮って阿久津はそう言った。宮松は何があったのかを聞こうと口を開きかけるが、
「いいから早くしろッ!!」
そう言われて宮松はしぶしぶ連絡した。
車の上、そこで阿久津が見たものは、紫色のナメクジみたいな化け物が逃げ惑う人々を触手で捕まえて捕食している。まさにこの世の地獄の光景だった。
同時刻。
自分の名前は
佐々沼は目の前で何も話さず、ただ遠いどこか……別の空間を眺めている親友の姿を見た。さっきからずっとこうである。呼び出しておいて何が目的なんだこのバカは。
「おい、そろそろなんで呼び出したのかくらい言えよ。まさか久しぶりに顔を合わせたくなったからってわけじゃないんだろ?」
だが、楠は一瞬口を開きかけただけで、すぐに困ったような……それとも躊躇ったような表情をして、下を向いてしまった。
「こっちだってわざわざ時間を使って来てやってんだぞ?」
その時、誰かのケータイが音を鳴らした。それはどうやら楠の物らしく、奴はズボンのポケットからすぐにそれを出して通話を開始した。佐々沼は仕方なく今日の夜ご飯について考えることにした。
冷蔵庫の中に残っているのはニンジン、じゃがいも、糸こんにゃく、豚肉……その他もろもろだから一つは肉じゃがで決まりだ。もう一つは味噌汁かなんかを作ればいいだろう。ああ、でも豚の角煮食べたいんだよなぁ。今日。
「――わかりました。すぐに行きます」
どうやら通話が終わったようで、楠はケータイを再びポケットの中に突っ込んだ。しかし、すぐに行くということは何かあったのだろうか? 何しろこいつは航空自衛隊のイーグルドライバー。仕事については専門家なみに詳しいわけじゃないから取りあえず、日本を護っているということくらいしかわからないが、呼ばれたと聞くと、やはり嫌な予感がしてしまう。
「悪い。呼集がかかったから俺は基地に戻る。それから――」
そう言って、奴は自分が身につけていたショルダーバッグを自分に差し出してきた。
意味が理解できずに佐々沼が『ん?』という顔をしていると、
「これを頼んだ」
それだけを、自分をえらく信頼しているような表情をして強引に渡して、あいつはすぐに店から飛び出していった。まさか、今日呼び出した理由はこれだったのだろうか。しかし、だとしたら奴はなんで今の今まで何も言わなかったんだ? そもそもなぜ、これを俺に渡すんだ?
と、その時、今度は佐々沼のケータイが着信音を鳴らした。すぐにズボンのポケットから取り出すと、そこには田辺という文字があった。こいつも自分と腐れ縁の奴だ。だがなぜこいつが電話を寄越すんだ? 借りていたDVDならとっくに返したはずだが。
「もしもし?」
『おい! 今どこにいる!!』
しかしそこから聞こえたのはいつものふざけた口調ではなく、真面目にパニクっている男の声だった。
「どこって……スタバだが」
『わかった! 今からそっち行くからそこを動くな!』
「お、おいちょっと待て! どういうことだよ!」
『ネット見てみろ! ここら辺すげぇことになってんぞッ!!』
それだけ言うと田辺は一方的に電話をきってしまった。
佐々沼はなんなんだよ、まったく。と思いつつもケータイでネットを開き、自分の今いる地名を入力し、画面をタッチする。
いつもと変わらず、ここら辺の地図が表示された他、市役所のホームページ、近くの交番や警察署のページ。観光協会に郵便に図書館にウィキペディア。それらをすべて無視して画面を下に下にスライドさせる。
『かいじゆうしゆつけん』
それが一番、目に止まった。多分『怪獣出現』と読めばいいのだろうか。
そのページを開くと、どうやらこの辺に観光で来た人のSNSのようだった。佐々沼はまさかな、と一瞬思ったが、先ほど楠が呼集されたと言っていたのを思いだし、半信半疑でそのページを開いた。
やばい。かいじゅうてた。ひたしんでる
多分だが『やばい。怪獣でた。人死んでる』と打とうとしていたのをパニクっていろいろと間違えてしまったのだろう。
その言葉と共に写真が載っていた。そこは、佐々沼もよく知っている場所だ。それを見て、佐々沼は絶句した。
紫色のナメクジだ。いや、ナメクジと言っていいのかすらわからない。ただ、それに一番近いとするのならナメクジだ。そこにはその紫色のナメクジが人々を襲っていて、また、人々はそれから必死に逃げている。映画にしてはリアルすぎる。写真では少し遠くて見づらいが、多分、人が食われているところだろうな。と疑う箇所がいくつかある。しかし……しかしだ。こんなものを信じられるはずがない。なぜかと言われても答えることなどできない。なぜならあり得ないのだから。
嘘だ。こんなものはあり得ない。誰か嘘だと言ってくれ。そう叫びたくなった。だってこんなものを信じたくない。
でも、これがもしも本当なら俺はいったいどうすればいい。ここで、大声で叫ぶか? 無理だ。一瞬の内にパニックが起こって……そんなことになったら何がわかるかわからない。しかし、何もしないわけにもいかない。
――くっそッ、どうすりゃいいんだよ!!
午後1時59分
機動隊の隊員である
その答えが、自分にはなんとなくわかる。おそらく、任務を放棄する者がでないようにだ。自分たちが今から向かう現場とはそれほどまでに危険なところなのだろう。だが、それほど危険な事件とはなんなんだ? 事前に作戦らしい作戦もつくっていない。このままでは現場で何をしたらいいのかがわからない。
と、そのとき車が急停止した。衝撃からしてハンドルを急にきって横向きに停車したらしかった。
なんなんだよまったく。危ねぇだろ!!
「出ろ! 全員車からおりろ!!」
運転したいた隊員が叫んだ声が車内に響き渡った。言われるがまま、機動隊員たちは車から降り、そこでそれを目にした。
前方100mほど。多数の紫色の化け物……いや、巨大なナメクジ? 大村は目を凝らす。
違う! ナメクジではない!!
確かに姿はナメクジに似ている。しかし手のように伸びる触手。かっぽりと開いている胸は何かを食うためのものか? とてつもなく不気味な姿をしているそれをナメクジなどという生易しいものに例えた自分がバカみたいに思えてくる。
その時だ。化け物と目が合った。そして化け物の動きが止まった。なんだ? 何をするつもりだ?
次の瞬間、大村の左隣にいた隊員の姿がふっと消えた。まさにそれは一瞬の出来事だった。そしたら地面を引きづられるその隊員の姿が見えた。その足には、触手が絡まっていた。何が起こったのかが一瞬で理解できてしまった。隊員は足を掴まれ触手で引っ張られているのだ。
その光景を見ながらも自分たちは動くことができなかった。
耳に届くのは引きづられ、どんどん化け物に接近していく隊員の叫び声。多分泣いている。そして――、
隊員の姿は化け物の胸の中へと消えた。直後聞こえたのは骨を噛み砕く音だ。遠くだから音は小さいが、はっきりと聞こえた気がした。そして再び奴らは前進を始める。
大村はハッとした。
「小隊長ッ!」
小隊長も大村の声で我を取り戻したのがわかった。
「敵、前方多数! 全員、撃ち方用意ッ!!」
あんな化け物に盾を使った打撃攻撃など意味を持つはずがない。銃を使うのは妥当な判断だ。大村たち機動隊員が一斉に拳銃を構える。
「撃てぇぇぇぇーッ!!」
銃口が一斉に火花を吹き、銃弾が一斉に奴らへと向かっていく。
一発撃つごとに腕に痺れるような感覚と、耐え難い音が辺りに響きわたる。
上は最初っからこいつらの存在を知っていやがったんだ。だからしたっぱにまで拳銃を渡した。だがなぜだ? なぜ俺たちみたいなただの機動隊なんだ? こういう時は銃器対策部隊が出るべきじゃないのか!?
その時、捨てごまという言葉が大村の脳裏を横切った。大切な戦力は保持しつつ、警察が自分はちゃんとやったんだと国民に言い訳……即ちアピールし、そして自分たちではもう無理だと自衛隊にバトンタッチするやり方。頭の硬い上の方々が自衛隊にバトンタッチするのかはわからないが、今起きている事件が、それほどまでに危険な事件だとするならばあり得ない話ではない。
だが、俺たちにいったい何ができる? 持っているのは回転式拳銃だけだ。短機関銃などは持っていない。そんな自分たちに何ができる。
銃弾は当たっているのだろうが、化け物共が足を緩めることはない。熊相手に豆鉄砲でも使っている気分だった。さっき食われた隊員のことを思い出した。奴らに捕まれば最後。命が助かることはない。そう思うと、途端に怖くなった。今の今まで自分は確かに機動隊というところにいた。しかし、命がなくなるような状況になることなど考えたことなどなかった。なぜなら日本は世界で一番安全な国だから。
六発充填された弾をすべて撃ち尽くしてしまった。奴らは前進をひたすら続ける。すぐ後ろからは少し遅れて到着した他の隊員たちが銃弾を撃ちまくっている。
来るな……。
奴らは止まらない。
来ないでくれ……ッ
来るッ!!
「止まってくれええええええええええええ!!」
奴らは止まらなかった。
※この作品はフィクションです。実在する人物、団体とは一切関係ありません。