急な坂道登ってきたなら海が見える街。
ここは横須賀。関東圏第二の大都会だ。
複数の百貨店や複合商業施設の並ぶ街。
ネオサイタマ同様、急速な成長率の街。
退役艦娘会の本拠地はこの都市にある。
その代表である駆逐艦の不知火は、同姿艦の中でも特に肝っ玉が座っている。
先年、東日本を襲った震災後。
現地視察に訪れた官能小説家都知事から艦娘についてのいわれなき侮辱を受け、殴りかかろうとしたのが表に出せる中では一番有名な話だ。
咄嗟に周囲の自衛隊隊員たちと米軍兵士たちが総出で抑えたから放言無恥男の首は今も物理的に繋がっているが、場合によっては艦娘による初の殺人事件に発展するところだった。
「沈め。」と彼女が小さく呟いた瞬間に、不知火の猪突猛進勇猛果敢さを熟知していた周囲の人々がその動きを阻害したらしい。
幸い、その小さな声はマスメディアに聞き取られなかった。
実に危ないところだった。
彼女の「下衆(げす)め。」という台詞は生中継していたテレビを通じて一躍流行語になり、彼女は激怒したエロ小説家都知事によって退役に追い込まれたものの、これが切っ掛けになって都知事は望まざる辞任への道を歩むことになる。
彼は今も無職のままだ。
彼女は事件後、「徹底的に追い詰めてやるわ。」と言ったとか言わなかったとか。
その後、不知火は『権力者と相討ちになった艦娘』として有名になってゆく。
才覚を惜しまれた彼女は都知事側からの偏執的且つ度重なる苛烈な妨害工作を受けながらも、多くの艦娘たちからの支持を受けて退役艦娘会の頭領に収まった。
責任感の強さと事務処理能力の高さと卓越した交渉力を買われたのである。
都民からの信頼を失って元都知事に落ちぶれていた男はこれに対し、「あんな小娘が責任者とは世も末だ。」といつもの無神経な戯れ言を言った。
これを受けて、不知火は言った。
「弱いのね。つまらないわ。」
激動の元艦娘は何故か私の右隣に密着して座り、報告をした。
彼女によると、艦娘とも家出少女ともつかない娘が何人も全国各地に散らばっているという。
全国各地の警察とも連携しているが、人手不足が慢性化しているために結果が追い付かない。
鉄底海峡解放戦で多用された量産型艦娘の正確な登録数と轟沈数と退役数が噛み合わないらしいし、海域回収(ドロップ)出来なかったらしい艦娘みたいな少女はあちこちで目撃証言がある。
ただ、事実がどうなのかとの調査は難航している。
調査を妨害する動きさえあるという。
関係者と思われる人々が非協力的なことも多く、とある核シェルターに住む老人の元を訪れた調査員は塩を投げつけられたという。
調査には興信所や探偵事務所や間諜や風魔や夜叉なども使っているが、進展ははかばかしくない。
隠蔽工作が多岐に渡り過ぎて、誤った情報がやたらに増殖している。
足の引っ張りあいばかりしていては国際社会モドキが復活した時に充分対応出来ないだろうと思うのだが、当人たちにとっては日々のもぐら叩きの方が最優先項目なのだろう。
愚かしいことだ。
艦娘の立場が彼らに侵されないよう、予防線を張って防衛戦を展開するべきか。
考えごとをしていたら、戦艦級の眼光を持つ駆逐艦は私を見つめながら言った。
「また艦娘のことを考えているのですね。」
「ええまあ。それが私の仕事ですからね。」
「そういう意味ではありません。」
「ではどういう意味でしょうか?」
「知っている癖に意地悪ですね。」
「なんのことやらわかりません。」
「それがモテるコツなのかしら?」
「私は艦娘からモテていません。」
「事実を否認するのはダメです。」
「みんな勘違いしているんです。」
「一番勘違いしているのは司令ですね。」
「私はあなたの司令じゃありませんよ。」
「最近、退役艦娘の不満が増加中です。」
「随分露骨に話題を切り替えましたね。」
「イメージビデオの第三弾を願います。」
「厭ですよ。需要なんてあるのですか?」
「あります。ありますからすぐ撮影を。」
「落ち着いてください。」
「不知火に落ち度でも?」
結局、イメージCDを作ることになった。
これで、不満がかなり解消されるらしい。
ホンマかいな。
仕事の早い彼女によって、テキパキと録音場所や製造施設が押さえられる。
バブルの頃は音が違うとか雰囲気がどうのとかで海外の録音場所を使ったりしたそうだが、今はデジタル編集の出来る時代。
音色に遜色ないそうだが、ど素人の私にはなにがなにやらさっぱりわからない。
あまりにもツクリモノにならないようにして欲しいが、私の声のどこに需要があるのかが理解出来ない。
明日、港区赤坂で録音することが決定する。
まあ、裸でうろうろする仕事より余程いい。
やがて、別れの時間が来る。
と言っても明日また会うが。
「これからもご指導ご鞭撻をよろしくお願いいたします、司令。」
一見無表情に見える彼女は、どこかはにかんだ風情でそう言った。
【オマケ】
「えーと、ここはプロの人が使うような場所じゃないのかな?」
「大丈夫です、司令。私たちが完璧な仕上がりにして、需要を満たしますから。」
「は、はあ。」
「おや? あそこにいらっしゃるのは人気声優の藤田咲さんですね。彼女の声は実に素晴らしく、また、ゲーマーでもある彼女はオタク心を深く直撃するのです。」
「お、おう。」
「咲さんと談笑しているのは人気声優の上坂すみれさんですね。彼女はロシア語に堪能で尚且つ軍事マニアなので、それがマニア心を深く直撃しています。」
「へ、へえ。」
「おや、あちらにいらっしゃるのは人気声優の水……。」