青白い肌の正規空母風の娘が、函館鎮守府の執務室へ続く廊下を上品に歩いている。
五航戦は翔鶴の衣裳をまとった彼女が、戸を可愛らしくトントンと叩いて入室した。
沈痛な表情の提督。
快活な表情の少女。
「ゴコーセン、ショーカク、マイリマシタ。」
「お待ちしていました。あなたにお話しがあります。」
「ナンデショウカ?」
「離島棲姫や防空棲姫たちが守備するインド洋の要塞への、攻略作戦に参加してもらいたいのです。」
「ハイ、ヨロコンデ。」
「……大丈夫ですか?」
「マカセテクダサイ。」
「……ありがとうございます。では、作戦の説明に入ります。」
孤島の要塞を包む霧の外周。
一名の深海棲艦が、六名の艦娘から砲撃を受けながら逃走している。
「友軍の正規空母改良型が中破状態で艦娘の一個艦隊に追われています。敵軍の構成は軽巡洋艦二、駆逐艦四。ブルネイ第五泊地から出撃した水雷戦隊の模様です。」
要塞を統括する指揮所へ報告がもたらされた。
その情報は、潜航している潜水艦部隊から要塞の指揮所に素早く打電されたもの。
「保護しなさい。」
離島棲姫は素早く命をくだした。
間違えようがない程簡潔な指示。
彼女たちから『怪娘(かいむす)』と呼ばれている、艦娘とも深海棲艦ともつかないような人型兵器が何名も艦娘たちの眼前に現れて砲撃を始めた。
かなわぬと見てか、艦娘たちはあっさりと引き上げる。
保護された空母は、そのまま入渠施設に運び込まれた。
三度の大規模作戦で喪われた戦力の補充として、彼女は期待される。
高性能な正規空母を更に強力にした改良型で、戦艦級の装甲を持つ。
錬度のそこそこな戦艦を含む艦隊さえ、一名の航空戦力で撃破可能。
十分な哨戒任務が厳しくなっている要塞にとって、歓迎される戦力だ。
空母による警戒活動さえままならぬ状況に追い込まれ、四苦八苦故に。
現在は優秀な潜水艦部隊の大半を他の防衛線に回しており、戦力的内情は厳しい。
補給が途切れ途切れの状態で奮戦する彼女たちはアフリカ戦線のロンメルに近い。
もう一度大攻勢があったら、幾ら姫級深海棲艦が複数守備する堅固な要塞とて墨守出来るかどうかは怪しい。
四大鎮守府の猛攻を退けた今、再軍備に邁進する他はないが補給線が維持出来ない。
地道に東南アジアの各泊地が補給艦隊を潰し回っているし、駆逐艦が多く撃沈されていた。
大破に幾度追い込もうと、艦娘たちは次々に現れてくる。
これは消耗戦だ。
戦力の逐次投入は策としてよろしくないけれども、要塞守備艦隊の疲弊を誘う方法としては間違っていない。
要塞側としては、戦力が無限に湧いてくる訳でないのだからなんとかやりくりするしかない。
防空棲姫やレ級やタ級と連日悩ましく会話する離島棲姫を実際に見たら、提督たちは微妙な顔つきになっただろう。
彼女たちのあまりの人間くささに。
それは、深海棲艦の見下す人間たちの模倣に他ならなかったのだから。
異変はその夜半に起きた。
当直の深海棲艦が、要塞指揮官の離島棲姫の元へ駆けつける。
「大変です、ソフィア様! 強烈な電波妨害が掛けられていて、多くの電子機器が使用出来ません!」
「生意気ね! 電子戦のつもり? こちらもやり返してあげなさい! ECMにはECCMで対抗よ!」
別の深海棲艦が指揮所へ飛び込んできた。
「トマホークにハープーン、それに九〇式艦対艦誘導弾が何発もこちらに撃たれています! トマホークは海面すれすれでこちらに向かっており、ハープーンや対艦誘導弾は直上から来ています!」
「小癪なっ! 米軍や自衛隊の武器を使うのか、お前たちは! 誇りはないのか!」
「熟練監視員による目測での着弾予測時間は、いずれも約二分後です!」
「上空の迎撃は秋菜に任せなさい! 海面すれすれのトマホークは全弾私が撃ち落とす!」
黒い豪華な衣裳を風になびかせながら、漆黒の異形の姫君は二〇ミリ四連機関砲のFLAKを巡航型噴進誘導弾に向けて狙いを定める。
「落ちなさい! カトンボ!」
高速で放たれる金属の塊。
上空で破裂音が幾つも聞こえた。
防空は上手くいったようだ。
音速の弾が何発もミサイルをかすめ、そしてその数発が大金をかけて作られた文明的破壊兵器を粉砕し爆発させる。
「大したことないわね……えっ?」
ズズン!
地響き。
山が震えた。
「な……なにが起きたの?」
有り得ない事態に、ゴシックロリータ的な姿の深海棲艦は目を見開き瞬時戸惑った。
続けてまた地響きが起きる。
震えぬ筈の山が再度震えた。
「まさか……潜入? ……艦娘の潜水艦部隊が侵入を果たしたとでも言うの?」
「大変です、姫様! 弾薬庫と燃料タンクが爆破されました!」
「そんな馬鹿な! どちらも地下にあるのに出来る訳がない!」
彼女はハッとして海上を見つめる。
「霧が……晴れてきた?」
海面と海の気温差を利用して霧を発生させる装置が、誰かに破壊されたというのか?
「指揮所に戻るわ。総員配置につかせなさい。」
振り向くが、誰もいない。
「なに? どういう……。」
「久しぶりね。」
ヌウッと現れるは、黒いキャミソール姿の姫。
背後に双頭の鬼を従えている。
「……まさか……貴女は函館の?」
「そうよ。」
「人間に媚びを売って尻尾を振る駄犬め! そんなにあのオスがいいの?」
「随分な言いぐさね。まあ、じきに彼に会えるわ。そうすれば、貴女の考えも変わるでしょうね。」
「知ったようなことを! 裏切り者がなにを言うか! まさか……あの正規空母改良型が『トロイの木馬』だったの?」
「ご名答。彼女が正確な位置をビーコンで知らせてくれたから、ミサイルも撃てたのよ。」
ズンズンズンズンズズン!
激しい砲撃音が聞こえる。
四六センチの激しい火力。
超弩級戦艦たちの猛攻撃。
もう、ここもお仕舞いだ。
腕力では彼女に敵わない。
秋菜は逃げてくれないか?
「艦娘とも深海棲艦ともつかない人型兵器は、霧が晴れたと同時に三式弾で一掃させてもらったわ。……あら、驚かないのね。」
「アレらは火力が一応あるものの、耐久力は紙装甲だし機動力なんてないもの。貴女も知っているでしょ。」
「ええ、鉄底海峡で嫌という程見たわ。」
「ソレの再利用版だけどね。完成した改良版はここにはいないけど。」
そこへ、軽巡洋艦の艦娘がやって来る。
「伝令! レ級、タ級他約半数の勢力を取り逃がしました! 彼女たちに追随する黒い制服の男性が二名確認されたそうです! 提督が深追い無用と言われたので、追撃艦隊は出していません。」
「そう。それでいいと思うわ。ところで防空棲姫は?」
「現在、長坂橋の張飛のように、一名で殿軍(しんがり)として激しく抵抗しています。提督から滷獲指示が出ていますので、下手に手出し出来ない状況です。」
「ねえ。」
「仕方ないわね。捕虜として相応の待遇を要求するわ。」
「受諾するわ。提督からその権限は与えられているの。」
「秋菜は真面目だから、自ら死兵になって皆を逃がすつもりでしょう。」
「そういう子こそ死んじゃダメだって、うちの提督なら言いそうだわ。」
「そうなの?」
「そうよ、そういう人。だから一緒にいるの。」
「ふうん。」
「説得を手伝ってくれる?」
「やってはみるわ。」
明け方、作戦は呆気ない迄に素早く完了した。
それまでの苦戦がタチの悪い冗談かのように。
とはいえ、要塞の戦力自体は先の三度に渡る攻防戦で三分の一に激減しており、僅かな補給と霧による防衛線で凌いではいたものの実質的にじり貧であった。
交戦自体も少なかった。
防空棲姫が陥落を予測して、友軍を逃がしたからである。
「やらせはしないわ! やらせは!」
彼女はそう言いながら、佐竹義重の如くに暴れたという。
いつかは陥落していたであろう、と大本営は判断した。
逃亡した戦力がどの程度かも、把握出来ていないのに。
投入された戦力は一〇個艦隊。
九つの鎮守府の寄り合い艦隊。
大和武蔵各二名にメリケン艦隊や投降した深海棲艦を含む、それは少なくも破壊力に満ちた構成であった。
四大鎮守府の艦娘たちによる雪辱戦は、無事に果たされたことになる。
要塞攻略戦はここに終結した。
投降した離島棲姫と防空棲姫は函館鎮守府へ行くことを望み、大淀の大本営への物理的説得によってそれは素早く叶えられることになった。