はこちん!   作:輪音

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CⅩⅡ:隣り合わせの灰と漆黒

 

 

 

建造されたばかりの頃、遠征と出撃が重なる過酷な労働環境で私は厭世的な気分に囚われていました。

仕事の始まりは通常午前五時で、終了するのは早くても午前一時でした。

任務に失敗した時は、司令官の叱咤と説教と演説を延々聞かされました。

勿論、それは業務内容に含まれません。

私たちには、お喋りする隙もお茶菓子を食べる時間もありませんでした。

青白い顔をした先輩たちや同僚たちと共に、いつ果てるとも知れぬ遠征と出撃を繰り返していました。

 

更に、早朝演習や司令官の私室での個別研修などが午前中に行われました。

司令官は薄着の私に密着し、その時だけはやさしく声をかけてくれました。

司令官との研修に参加し、そのまま遠征任務に従事することもざらでした。

運がよければ、夜更けから日が昇る前まで自室で過ごすことが出来ました。

ただ、割り当てられた部屋は六畳間に四名で、憂鬱な顔の同僚と息の詰まるような時間を過ごすだけではありましたが。

お互い無言で、いつの間にか同室の子がいなくなったり変わったりしていましたが、そんなことすらすぐに気づかない程磨耗する日々でした。

 

 

 

私は始め、こんな環境に不平不満を多く覚えました。

また今日も司令官から怒られたわ。

また今日も寝ることが出来ないわ。

遠征中にうつらうつらとして、先輩たちから怒鳴られたことも二度三度ではありませんでした。

え?

戦艦?

空母?

重巡洋艦?

こちらの鎮守府に転属するまで、私は見たことがありません。

かなりの方が在籍されていたようですし、同僚の中には彼女たちと出撃する子もいたみたいです。

出撃前夜に、誇らしく私に話しかけてきた子もいました。

一度も口をきいたことのない子が急に親しげに話しかけてきたりして、嗚呼彼女たちも寂しかったのだと思いました。

出撃後、大抵は二度と見かけなくなりましたが。

ある夜、ボロボロになって帰ってきた子が私になにか言いたそうにしていたのを見かけました。

近づこうとしたのを先輩に遮られ、彼女は入渠施設に向かいました。

 

その子は、翌日の出撃で轟沈しました。

私はそのことをずっと後で知りました。

 

普段鎮守府で見かける艦種は精々が軽巡洋艦で、彼女たちは遠征艦隊の指揮や水雷戦隊の指揮を行っていました。

私たち駆逐艦は艦隊旗艦の彼女たちと親しく会話することを禁止されていて、破った時は食券を没取されました。

 

食事は主力艦隊の面々が食べ終わった後に厨房を借りて自分たちで拵え、そそくさと終えるのが当たり前でした。

食券が無ければ、私たちは食堂に入ることすら許されませんでした。

食堂の前では、悲しそうな顔の年配の憲兵さんが見張っていました。

その憲兵さんもいつの間にか若くて目付きの悪い人に変わりました。

食事ですが、二〇分で準備から片付けまで終えなくてはいけませんでしたから、いつもいつも慌ただしいものでした。

カレーという料理はこちらで初めて食べましたが、とてもおいしかったです。

揚げたてのやわらかいカツレツや新鮮な野菜を使ったサラダもよかったです。

デザートまで出てきたのには心底驚きました。

出入りの業者のおじさんからこっそりといただいた、小さなお饅頭以来の甘味です。

あの後こってり怒られて大変でしたが、あの不恰好な和菓子は懐かしい思い出です。

 

 

 

いつも私は嫌々研修に参加していました。

腹の突き出た司令官が密着したからです。

司令官の脂ぎった指先がとても嫌でした。

研修に参加しないと司令官から食券を貰えませんから、彼の私室に行かない訳にはいきません。

それは常に苦痛を伴う時間でした。

ある日、たまりかねて軽巡洋艦の先輩に愚痴を漏らしました。

彼女は二年ほど前から主力として活躍する程の艦娘で、周囲の子からの信頼もあついのでした。

彼女はこう言いました。

 

「辛くないかと聞かれたら、確かにそう思ったこともあるわ。でもどうせ『あの』提督の命令を聞くのなら、なにかを得ようとすることが大切よ。嫌々命令を聞いても前向きな気持ちで聞いても、過ごす時間は同じだしね。それに、艦娘としてこの世に顕現出来たのだから、覚悟を決めて自ら志願して任務に従事するくらいでなきゃダメよ。」

 

 

 

先輩とは、一緒に任務に従事していた時にこんな会話をしたことがあります。

慣れない雷撃と過酷な深海棲艦との戦いに疲弊し、戦果が芳しくなかった頃。

僚艦の支援砲撃を担当していた時、疲労困憊を言い訳にして逃げていました。

 

「あなた、さっきの戦闘では手を抜いていたでしょ。」

 

鎮守府への帰投途中、そっと近づいてきた先輩はそう囁いてきました。

そうです、私の行ったことは先輩にすべて見透かされていたのでした。

 

「疲れているんでしょうけど、そんなことじゃダメよ。あなたが当てられなかった分、他の子が当てなくちゃいけないんだから。」

 

先輩は更に続けて言いました。

 

「あなたが戦果を挙げても挙げなくても、深海棲艦の出現率が減る訳じゃない。艦隊で動いていれば、自分自身が当てられなかった分は別の子が当てなくちゃいけないだけ。だから、当てなきゃダメなの。他の子の負担を減らす為にも。」

 

本音では、私を怒鳴りたかったのかもしれません。

そこをグッと抑え、気遣いながら注意してくれたのがわかりました。

それは図星だったので、私はなにも言い返せませんでした。

 

「錬度をもっと上げることね。」

 

先輩は私を見詰めながら苦笑いしました。

 

 

 

どんな鎮守府にも矛盾はあります。

それに不満を持ったまま手抜きしている限り、なんの成果も成長も得られずに無駄な時間を過ごすことになります。

疲労がポンと抜ける薬を毎日飲み続けてまで業務を遂行しようとは思いませんし、どうしても嫌気がさすならば転属という手段もあります。

でも、行う限りはどんな業務であれ、常に前向きに取り組む姿勢が必要だと考えます。

 

既に先輩の軽巡洋艦は激務に次ぐ激務と激戦のさ中で轟沈し、司令官はある日行方不明になり、その後所属していた鎮守府は解体されました。

今後はこちらの鎮守府で働かせていただきますが、粉骨砕身の覚悟で臨みますので、なにとぞよろしくお願いいたします。

 

 

 

 


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