腹が、減った。
もうじき、今日と明日の出会う時。
春日丸着任関連の書類を処理していたら、夜中に近い時間になっていた。
夕食は春日丸の握った結び飯と胡瓜とキャベツの浅漬けだけだったから、微妙に胃袋が食事を要求している。
簡単になにか作ろうかな、と思いつつ食堂へ向かった。
『食は函館にあり』というのが、近頃の腕利き料理人たちの認識だそうな。
眼帯親爺の鹿ノ谷さんが笑いながら、そのように言っていた。
鳳翔間宮の合体攻撃は、大抵の料理名人を唸らせるからなあ。
艦娘たちも指導を受けて、めきめきとその腕を上げているし。
李さんの中華料理は絶品だし、鹿ノ谷さんの地雷包丁のワザマエも冴えている。
料理馬鹿一代みたいな人がたまさかやってきて、食堂で料理を食べて唸るのだ。
私にはよくわからない世界だが。
これらの影響で、料理ショー的な演出を用いた夕食会やら料理対決やらが時折開催されている。
艦娘たちもノリノリだ。
特に駆逐艦の勢いは止められない。
取材に訪れたテレビ局や新聞社や雑誌の記者がそれを報道したり掲載したりするため、ますます料理人が函館へやって来る。
石川県出身で髪を金色に染めたお菓子屋の後取りが甘言を用いて交渉してきたが、丁重にお断りした。
こういう人はちらほらいたりする。
自作の菓子折りを携えていたが、これを食した厨房を預かる面々は容赦なくダメ出ししていた。
本人が聞いたら卒倒するかもかも。
勿論、真摯に料理の腕を磨きたい人もかなりいる。
当分、この勢いは消えないだろう。
そもそも、軍用艦艇には腕のよい料理人を乗せてきた歴史がある。
先だっては奈良の歴史あるホテルから料理長が函館へやって来た。
各地の鳳翔や間宮や伊良湖や速吸や比叡といった料理上手も、函館で業を学んでゆく。
戦後の役に立ったら嬉しいなあ。
地盤固めしておくのは必須事項。
少将、私は艦娘側に付くぞおっ!
欧州を放浪していた有沢さんだが、彼は現在マルタ島泊地の厨房で料理長をしていると絵葉書が届いた。
ヴラディボストークなウラジオストック経由だろう、たぶん。
しかも、それは全文フランス語で書かれていた。
なにをしているんだ、あの人。
イタリアをうろうろしていた時にナポリで泊地の提督と出会い、そこのトラットリアで意気投合したらしい。
「本物のフランス料理を食べさせてあげますよ。」
彼はそう啖呵を切って、泊地に乗り込んだのだとか。
ようやるわ。
今日は夜間出撃も夜戻ってくる遠征艦隊も無いから、既に厨房の火は落ちている。
以前頼んだハンバーガーでも頼もうかと執務室ですりきれたメニュー表を探したが、何故か見つからなかった。
厨房に入って寸胴鍋の蓋を開けると、かぐわしい匂いが辺りを満たしてゆく。
伽哩だ。
これはカレーだ。
食パンもあるぞ。
……妙高先生の作ったものかな?
野菜の端切れが厨房の片隅にあったので、これを洗い、刻んで、中華鍋で炒めた。
火が充分通ったところへカレーのルーをかける。
ジャッジャッと鍋を振り、深皿へ中身を流した。
よし。
さあ、これにパンを浸けていただくとしようか。
「あら、提督。これから夜食ですか?」
へ?
顔を上げると、私に向かって微笑む春日丸が見えた。
「あ、ああ、書類作業がちょっとね。」
「私関連の書類ですね。お手数をおかけしました。」
頭を下げる彼女に、いやいや大したことは無いと手を振る。
少女が口を開いた。
「あの。」
「はい。」
「一口いただいていいですか?」
「ええ、どうぞ。」
「ありがとうございます。」
私の差し出す匙でカレーをすくい、彼女はそれを飲み込んだ。
「おいしいです。」
「はるちゃんのような料理上手に誉められるとは光栄です。」
炒めた野菜と煮込まれたカレーを組み合わせただけなんだが……。
「もう、提督まで私のことをはるちゃんって呼ぶんですね。」
少し頬をふくらませる春日丸。
見た目の年齢にふさわしい行動だ。
「お茶を淹れますね。」
てきぱきとお茶の準備を始める軽空母。
私はパンをちぎり、カレーに浸し喰う。
旨い。
「お茶が入りました。」
春日丸は湯呑みをことりと私の目の前に置き、自然な感じで隣に座った。
そして流れるようなしぐさで先程の匙をカレーのルーに浸し、すっと我が口の近くへ運んだ。
「はい、アーンしてください。」
彼女はなんでもないことをしているかのような表情で、当たり前のことをしている口調でそう言った。
「私の作ったカレーと提督の炒めた野菜が醸し出す味わいは最高ですね。」