深海棲艦の侵攻に伴い、人類はその生息圏を狭めていった。
駆逐されなくなった野生動物が増え続け、市街地をも闊歩する害獣と化してゆく。
試される大地、北海道。
その道南も例外ではない。
一九七八年には五〇万を超える人間が所持していた銃砲系許可証も、今では五万弱の人間しか有していない。
しかも、その大半が六〇歳以上の高齢者だ。
ガソリン代が跳ね上がって自動車が殆ど走れなかった時期は野生動物が畑や人家にどんどん現れて、洒落にならない事態を多数引き起こしたそうだ。
地方自治体がかき集めた金でぎりぎりの油を入れた軽トラで出陣した猟友会の面々が、行きと帰りで人数の違う状況になったこともあるそうな。
諸行無常だ。
「近年、道南や知床などでは人をおそれない羆(ヒグマ)が何頭も現れています。これは由々しき事態です。このことを憂慮した道庁では、長年禁止してきた羆の春熊猟を今年から復活させました。被害が続出してから、対策を講じる破目に陥ってはならないのです。人身事故が多い道南を中心に、羆対策を強化してゆきます。」
沈痛な表情で淡々と最近の害獣事情を話してゆく担当官。
函館市役所の会議室は、重い雰囲気が色濃くなってゆく。
厭な話がほとんどだ。
救いなどろくにない。
人など弱いぞと、野生動物たちに思われたら大変なことになる。
深海棲艦との戦いや謀略を仕掛けてくる人間対策で多忙なのに。
「野生動物に餌を与えないでください。特に熊には。安易な考えが、誰も望まない結果を引き起こすのです。」
ソーセージを観光客から与えられた羆が人里に現れるようになり、鉛の塊によって最期を迎えた話を聞かされる。
「熊に対して死んだ真似は言語道断です。彼らは死体も食べるのですから。木に登るのも無駄です。鈴を鳴らしたからといって、熊が近づかない保証はありません。餌が来たぞ、と知らせているような事態さえ引き起こす可能性があります。また、若い熊が好奇心の赴くままに近づいてきた案件も複数発生しています。背中を向けることは殺してくれと言うようなものです。現に、死亡原因の大半は背を向けて逃げたことに由来しています。熊は火を恐れませんから、焚き火は無効です。近づいてきた羆には、鼻に打撃を与えて追い払うのが最善です。なお、一旦手放した荷物は諦めてください。熊は所有物に対して大変執着します。絶対に取り返そうと思わないでください。確実に貴方が死にます。また、食い散らされた動物には絶対に近づかないでください。獲物を横取りするつもりだと誤解されます。返り討ちに遇う可能性を考慮して、単独行動は避けてください。必ず二人か三人以上で仕留めるようにしてください。実際、単独行動した狩人が何人も殺られています。近接戦闘を考慮して用意した鉈(なた)を抜く間もなく、熊避けスプレーを噴射する暇(いとま)さえなく、彼らは一方的に殺られていました。おそらく、瞬間的な判断は間に合わないでしょう。歴戦の狩人さえ返り討ちにされるのだと危機感を常に持って対処してください。」
市役所に集まった猟友会の面々は高齢の人が少なくない。
銃器所持の規制緩和を中央に訴え続けているらしいが、危機感の無い都会の連中はピンとこないだろう。
想像力すらろくに無いだろうから。
函館のコンビニエンスストアでは店内に熊注意の張り紙が貼ってあったり、屋内で羆警戒の放送が流れたりする。
山菜採りや筍採りで殺られる人が続出しているからだ。
射撃許可証を有しているという理由で、近年は道警や自衛隊から選抜された狙撃手も参加している。
道民にとって、他人事ではないのだ。
羆やツキノワグマが現れない地域の人にはなかなか理解されないが、遭遇する可能性のある我々は覚悟しなくてはならない。
東北各県での事例もいろいろ聞いた。
やりきれない話を延々と聞かされた。
エゾシカもかなり増えているらしい。
ジビエな料理を食べる機会が多くなるのだな。
鹿肉バーガーを鎮守府の献立に加えて欲しいと、担当官から真顔で言われた。
熊肉は異世界転生・転移系小説では旨いとされたりしているが、どうだろう?
「人をおそれない野生動物が増えてきました。これは危険な兆候です。環境に合わせて、彼らも意識が変化しているとも考えられます。注意していただきたいのは、共存出来るのはお互いに離れて暮らしているからだということです。彼らは飼い慣らされた家畜ではありません。熊は本来狡猾で臆病ですが、若い熊は好奇心旺盛で人をおそれません。これが悲劇に密接につながっていることを我々は理解しなくてはなりません。」
うむむ。
「人の味を覚えた熊は最悪の相手です。必ず殺らなくてはなりません。それも被害者を増やす前に早急に。子供なら子供、女性なら女性と彼らは最初に食べた相手と同じ種類の人を狙います。」
青白い顔をした人もいる。
全国各地で野生動物対策をしなくてはならないからなあ。
今までは猟友会一択だったらしいが、返り討ちに遇うこともあるため、役所の若手に資格を取らせ、警察や自衛隊の射撃名人に依頼している現状だ。
それに我々鎮守府の提督が加わる。
米軍から供与された狙撃銃があるからな。
いざとなれば、手の空いた艦娘を総動員して山狩りだ。
戦艦ならば、一対一で仕留められるだろうさ。
「エゾシカは撃ち殺した後、必ず回収してください。放置してはなりません。それは羆のご馳走になるからです。」
老齢の狩人たちが渋い顔になる。
「山中に放置するのは違法投棄に当たります。重くて大変なことはわかりますが、わざわざ羆に餌を与える必要など存在しません。元艦娘の派遣も検討していますから、必要な方は申請してください。」
「わからないことがあります、提督。」
市役所を出ると大淀が言った。
「なんでしょう?」
「羆が出現する可能性が高いのに、何故山菜採りに出掛ける人がいるのでしょうか?」
「そうですね……。絶対に羆が現れるとは限らないと思われているのかもしれませんし、おいしいものに執着するのは羆だけではないということでしょう。たぶん。」
「そういうものでしょうか?」
「そういうことなのでしょう、おそらくは。羆の好物のギョウジャニンニクが好きな方も少なくないようですし。」
「命がけの採集ですね。」
「ええ。ただ、私にも何故そこまで危険を犯すのかよくわからないんですけれどもね。羆の新しい足跡を見かけてさえ、ニジマスを釣ろうとする人がいますから。おそれているのやらいないのやら、さっぱりわかりません。」
「業が深いのかもしれませんね。」
幸い、まだ函館市内では羆が目撃されていない。
市街地に現れるようになったら厄介だ。
野生動物へ半端に餌付けするような人たちへの対策も行わなければならない。
「鹿肉料理を鳳翔さんや間宮さんにも考えてもらいましょう。」
「厨房の面々ならば、おいしい料理法を構築されるでしょう。」
射撃訓練をしなきゃな、と気分が重くなる。
鎮守府へ戻ると、羆の赤ん坊が二頭いた。
なにを言っているのかわからない気がしないでもないが、これは断じてチャチな幻術やマヤカシじゃない。
おそるべきモノの片鱗を見てしまった。
どうやら育児放棄された羆の子らしい。
「司令官、熊を飼いましょう!」
「然り! 然り! 然り!」
一糸乱れぬ唱和の響き。
それはまさにアイオニオン・ヘタイロイの気配。
王の軍勢の輝き。
なん……だと……。
「自然と調和するために、野生動物と暮らすのは悪いことで無いと思います。」
大淀が言った。
「然り! 然り! 然り!」
艦娘たちが燦然と輝きながら唱和する。
そうかなあ?
「羆を飼った例はありません。これは稀少な情報になるものと考えます。」
大淀の意見するの皆が賛成する。
むむむ。
「あくまでも試験的に飼育するという条件で大本営を説得出来たら許可しましょう。」
「既に許可は得ています。」
なに?
大淀……きさん……。
フッ。
「負けたさ。」
「提督の許可が出ました!」
おおっ! とどよめく艦娘たち。
そして、鎮守府の新しい仲間に羆の子供たちが加わった。