雨の音がする。
午前四時過ぎ。
妙に喉がいがらっぽい。
やられた。
台風のせいなのか、函館は天候が安定せずに晴れたり降ったりをここ何日も繰り返していた。
熱は……体温計で計ると三八度五分。
平熱は三五度六分だが、問題ないな。
少しふらつくが、書類仕事のみじゃい。
ちと早いが、業務を開始しようかな。
洗顔して着替えを行い、私室を出た。
扉を開けたら、そこは私の戦場である。
灯りを点け、大本営から送られていた書類を片付け始めた。
少しボーッとなる。
いかんいかん。
集中集中。
すぐに、執務室の扉を叩く音がする。
おや、誰かな?
「どなたですか?」
「妙高です。」
「どうぞ。」
入室した妙高先生がじっと私を見つめる。
いつも凛としている、重巡洋艦筆頭艦娘。
我が函館鎮守府に於いて頼れる元教官だ。
ボーッと見ていたら、教官は赤くなった。
何故だ?
「提督は風邪をひかれているようですね。本日はお休みください。ツーマンセルな二名態勢でお世話をさせます。書類仕事は私にお任せください。重要決済並びに急務以外でお手間を取らせることはありませんから、ご安心ください。」
彼女は内線電話をかけ始める。
「もしもし、妙高です。厨房の李さんに連絡。提督の本日の食事は薬食同源系の献立でお願いしますと伝えてください。朝食は中華粥にジャスミン茶を頼みます。鳳翔さんと間宮さんには臨機応変で、と伝えてください。」
「もしもし、長門? 提督は熱があるから、今日の業務は通常業務の乙でお願い。……ダメよ、貴女が看病すると色々困るから。お見舞くらいに自重してね。ええ、それくらいならいいわ。」
「もしもし、加賀? 提督は熱があるから駆逐艦たちを抑制させて。みんながお見舞に来たら、治るものも治らないわ。うん、そんなに酷くは無いから安心して。貴女が動揺してどうするの。しっかりなさい。」
「足柄、提督は今日熱があるからカツは無しで。食事は李さんが作るから問題なしよ。後、襲ったらダメだからね。」
「もしもし、田中さん? 妙高です。提督は本日熱がありますので、事務関連業務をお休みされます。対応が難しい案件は先ず私を通してください。」
大淀がすっ飛んできた。
「妙高さん、状況は?」
「関係部署に連絡を付けました。」
「ありがとうございます。提督、ご安心ください。我ら十傑衆、あらゆる敵を排除してみせます。」
ははーん、大淀はアレを観たのか。
「大変ご迷惑をおかけしますが、よろしくお願いいたします。」
執務室に隣接する私室で強制的に休むように指示される。
致し方なし。
雨足が強まってきた。
複数の足音や気配が近づいてくる。
ああ、どうやら今日も賑やかになりそうだ。
朝食を載せたワゴンは鳳翔が持ってきて、後から間宮がやってきて回収した。
体調が少しよくなってきたので、お守りの駆逐艦たちを引き連れて鎮守府内を見回ることにした。
天気も回復傾向にあるようだ。
あれ?
横須賀と呉の大和、佐世保と舞鶴の武蔵が厨房でなにやら作っているように見える。
……疲れているのかな?
とっくに各鎮守府に戻っている筈なのだがなあ。
不味いんだよなあ。
これ以上、持って回った言い方の嫌みを電話口で聞きたくないんだよなあ。
あれ?
自称異世界転移したとかいう触れ込みの勇者提督が独占している、ウォースパイトやサラトガまで料理の手伝い中に見える。
ネヴァダやヨークタウンといったうちのメリケン艦娘たちや戦艦棲姫も、なにかこねくり回していた。
おっかしいなあ。
ホントはよその主力がいたらよろしくない筈なんだよなあ。
大淀が金ぴか野郎とか言って、珍しく勇者提督を罵っていたのが印象的だ。
あれ、なんでなんだろう?
丁度我が鎮守府の総旗艦殿が通りかかったので、ちょっこし聞いてみよう。
「長門教官、少しお尋ねしたいことがあるのですが……。」
「うむ、やっと身を固める決心がついたか。これは重畳。広島の厳島神社や岡山の後楽園、それに島根の出雲大社で挙式するのもいいな。倉敷の美観地区で川下りするのも悪くない。で、いつ何名と決行する?」
「教官は中国地方を制覇するつもりですか?」
「今、個人的に興味があるんだ。とある探偵小説に触発されてな。」
「ああ、名探偵と言われつつも防御点の低い方ですね。」
「海の幸が旨い港町で地酒を呑むのも乙なものだろう。」
「然り! 然り! 然り! ってなにを言わせるのですか。」
「亭主が振ってきた話題には妻として全力で応えたいからだ。決まっている。」
「それは兎も角、あの面々はなんです?」
「料理教室だ。」
「なんとも簡潔な答ですね。」
「真実とは常に簡潔なのだ。」
「そうですかねえ。」
「提督は難しく考えすぎだ。」
「じゃあ部屋に戻りますよ。」
「よし、お姫様抱っこしてやる。」
教官にお姫様抱っこされて、執務室に隣接した私室に戻った。
その途中、青葉たちやうちの艦娘たちに激写された気がする。
教官がやたらに気合いを入れて式場や中国地方の話をするものだから、たまたま呉から来ていた艦娘が勘違いしてちょっとした騒動に発展した。
何故か呉第六の先輩から電話が来てワシに任せとけガハハとなったので、誤解を解いておいた。
つまらん奴じゃのう、と言われたが私は悪くないと思う。
夕方には喉のいがらっぽさも無くなったので、普通に食堂へ行った。
お守りの曙と霞も一緒だ。
近寄る艦娘たちがそれとなくケッコンの話題を振ってきたが、ことごとくすっとぼけた。
普段は聞き分けのよい面々なのだが、時としてやたらに頑固になる。
一体、誰の影響なのだろうか?
夕食は李さんの中華粥主体で消化によいものが事前に用意されていて、着席するや否やすぐに席へ届けられた。
大阪のかやくご飯と素うどんの組み合わせよりも素早い到着だ。
添い寝したがる艦娘が常より多くて、それらをみな断るのがとても大変だった。
何故みんな、タオルと男物の下着とビニール袋をそれぞれ抱えていたのだろう?
数日後。
呉鎮守府は厳島神社や出雲大社や後楽園などと提携して、提督と艦娘のケッコン式を宣伝活動するようになる。
音頭を取っているのは先輩のようだ。
丁度向こうの扶桑と提督がケッコンするらしいので、打ってつけの状況らしい。
先日函館鎮守府を潰滅に追い込んでしまった妖艶系扶桑姉様と異なり、普通に色っぽくてやさしい扶桑姉様だとか。
それはなにより。
その日から、中国地方に詳しい艦娘がずいぶん多くなった。