「ロシュトック泊地、ですか?」
「そうだ、おめでとう。マルタ島泊地に次いで二つめの欧州泊地に君が着任だ。中東唯一のスエズ泊地との連携にも期待している。君は栄誉に預かったのだよ。」
「は、はい、光栄に思います。」
マルタとスエズの連携は今一つらしいじゃないですか。
痴情のもつれがあったとか。
私にその調整役を期待する?
はは、ご冗談がキツイです。
それにロシュトックからだと、マルタやスエズはバルト海を超えての遥か遠くじゃないすか。
鉄道で陸上からあちらへ向かえとでも?
一体、どれだけ日数がかかることやら。
それだったら、ポルトガルかスペインにでも泊地を作ればいいのに。
或いはコンスタンティノポリスなイスタンブールに作ればいいのに。
親日国のトルコに政治的経済的うま味がないということなんすかね。
疑問に思ったが口をつぐむ。
なんせ相手は上官だからな。
函館鎮守府で二艦隊の潜水艦に突撃されてしばし入院した後、私は大本営に召喚された。
脂肪がなかったら死亡していたかもしれない。危ういところだった。
デブ万歳。
五十鈴(いすず)やイムヤたちによる献身的過ぎる看病のため、更に入院期間が延びたのはここだけの話だ。
あんなことをされるとはなはだ困る。
耳元で甘く囁くクロスワードパズル。
うにゃあっと言いそうになったぜよ。
日独交流とやらで、向こうの復興を援助する名目が艦娘と提督の派遣らしい。
日本の将来的利権のためにきりきり働けということですね、よくわかります。
ドイツは政治的経済的うま味が多い。
ロシュトックに艦娘の基地は無いし。
上手く行ったら次は英仏辺りかねえ。
穴だらけとは極東の私さえ耳にする。
こうして私の新しい任地が決定した。
今までは鉄仮面提督が管理する大阪鎮守府に間借りしていたが、今度は一国一城の主だ。
はるか遠く、だけどな。
ロシュトック。
旧東ドイツに位置し、今はドイツ連邦共和国北部のメクレンブルグ=フォアポンメルン州に所属する港湾都市。
バルト海に面していて、中世ハンザ同盟の中心都市であったかの街は旧東ドイツ最大級の港湾都市でもあった。
今はひなびた海沿いの街で、どことなくなんとなく江戸時代に繁栄を誇った山形の酒田市に似ていなくもない。
つまり、ドイツ国内でものんびりした場所だということである。
自由ハンザ都市ハンブルグでないのが、なんとなくいやらしい。
ま、鎮守府泊地警備府は騒々しい都市部に無い方がいいだろう。
それにハンブルグには彼らの誇りとなる黒色槍騎兵艦隊がある。
「君は潜水艦の運用に関して、実に素晴らしい適正がある。それは日本の誇りだ。」
何故、こうも思っていないことを平然と口に出来るのだろうか?
グルギュルギュルグルンガスト。
腹が、減った。
「おや、もうこんな時間か。では昼食に行こう。」
本日秘書艦としてついてきてくれた五十鈴と一緒に一般食堂で昼食を摂るのは、無理になってしまった。
彼女はさみしそうな顔をしながら、マーロウへ昼食を摂りに出かける。そこはプリンが大変有名らしい。
上官殿はずいぶんとご機嫌だ。
庶民的な店に連れてゆかれる。
庶民派を印象付けたいのかね。
それともこういう店が好みか?
人々の長い行列が出来ていた。
上官殿が馴染みらしい年配の店員に声をかけ、普通に店の中へ入る。
老舗の風格を感じる洋食屋だ。
店内は無茶苦茶に混んでいた。
予約席に案内された。
手筈通りのようだな。
掌の上で踊るだけか。
すべては予定通りか。
「昔、アムステルダムやベルリンやミュンヘンやドレスデンやライプツィヒやポツダムやロシュトックなどに行ったことがあってね。それでなんだか嬉しいのだよ。是非とも、生きている内にかの地へまた行きたいものだ。」
違った。
上官殿はありし日を懐かしんでおられるのだ。
五〇代前半だからバブル直撃世代か。
海外旅行が盛んだった頃の世代だな。
海外渡航はまだまだ制限が多すぎる。
鎮守府関係者とてごり押しは無理だ。
そうか、上官殿は私が羨ましいのか。
それは思いもよらなかった。
てっきり左遷だと思っていた。
「向こうに着きましたら、なにかよいものを送らせていただきます。」
「ははは、期待しているよ。」
彼が期待しているのは、自分自身が渡欧出来る態勢作りだろう。
私はその礎(いしずえ)を構築するための尖兵というところか。
ヤバい。
思った以上に重責だ。
んなもん、数年じゃ無理だぞ。
上官殿もわかってはおられるのだろう。
……わかっておられますよね?
料理が到着する。
ヒレカツ定食だ。
ヒレカツが三個。
大きめの塊三つ。
ご飯におみおつけに自家製漬け物にキャベツの千切りにポテトサラダ。
野菜には自家製ドレッシングがたっぷりかけてある。
このご時世に、ご飯とおみおつけとキャベツがお代わり出来るという。
道理で従業員が奔走している訳だ。
上官殿は追加でクリームコロッケとミンチカツを注文してくれていた。
私は太っちょだからな。
よく喰うのをよくご存じらしい。
私は自分が歓待されているのだと、ここでようやく理解した。
上官殿にとって、お気に入りの場所なのだここは。
確かに貴重な店だと感じる。
客層も若きからお年寄りまで多様だ。
こうした店があるのは嬉しいことだ。
「君はお代わり自由がいいだろう? 堅苦しくない店がいいかと思ってここを選んだんだ。一時期は諸事情でお代わり自由を止めていたが、最近復活してね。」
「で、では遠慮なく。」
見抜かれている。
いやはや。
他愛ない話を重ねて、上官殿のドイツ旅行の話を拝聴する。
ヒレカツは丁寧な下拵えがされていて、衣までが旨かった。
クリームコロッケはホワイトクリームと海の幸が巧みな融合をしているし、ミンチカツは挽き肉の練り込みがしっかりしている。
ご飯はふっくら、漬物はしゃきしゃき、おみおつけは出汁が効いた豆腐とワカメ。
つまりはうまかっちゃん、ということだ。
上官殿はわざわざウラジオストクなヴラディヴォストークからシヴェリア鉄道に乗ってモスクワなマスクヴァまで行き、マスクヴァからワルシャワ、ワルシャワからベルリンを経由したそうな。
そして、ベルリンからおよそ四時間程かけてロシュトックまで行ったそうだ。
新幹線で東京から岡山へ行く感じか。
古きよきドイツが残っているのは、どちらかというと旧東ドイツの方らしい。
日本の地方都市でも、昔ながらの懐かしい風情が生きている場所があるよな。
そうした地域は経済的に厳しかったりするが、地元民の愛の力が勝るらしい。
愛ねえ。
そして、セピア色の思い出話から現在進行形の話に変わる。
旧東ドイツのドレスデン代表(ヴェトナム系美人らしい)を首班とする何人かの欧州系都市代表たちが、函館鎮守府へと赴いて商売の話をしているらしい。
ポーランドのワルシャワ、チェコのプラハ、オランダのユトレヒト、ベルギーのアントワープ、旧西ドイツのニュルンベルグ、などなど。
正式な国交が何時になるかまるでわからないため、一部が痺れを切らしたらしい。
函館駅周辺に輸入品専門店を開店する予定まであるようだ。
マルタやスエズの提督も大変だな……ん?
明日は我が身か?
あれ?
私も、ややこしい欧州の連中の駆け引きに巻き込まれるってことか。
なんてこったい!
「どうせなら、彼らは横須賀にも来て欲しいね。函館の提督にはその旨話してはいるが、どうなることやら。私はね、もう一度フェルメールをこの目で見たいのだ。出来れば、生きている内に国内での博覧会を開けるように積極的に働きかけるつもりだ。」
上官殿は思っていた以上の情熱家だった。
なんだか急速に、お互い打ち解けてゆく。
彼が愛用する旧い万年筆を見せて貰った。
それは長年の愛用品。
白い星が輝いている。
「この万年筆はね、私が自衛官になって佐官に昇進した記念で買ったものだ。他にもいろいろ使ってみたが、これに勝るものが見当たらなくてね。何度も何度も修理したものだよ。今は国産のインキを入れているが、その内ドイツ産のインキを再び入れてみせるさ。おっと、国産のインキもこれはこれでなかなかよいものだ。今は京都産のモノを飲ませているんだよ。」
上官殿がメモ帳に書かれた文字はやさしい青鈍色で、とても達筆な感じであった。
最後は甘いもの。
豆かん。
さいころ状に切られた寒天とよく煮られた小豆と黒蜜の単純明快な甘味。
だが、これがいい。
素材の奥深さがじわじわと伝わってくる。
これも旨い。
上官殿の好物だそうだ。
砂糖の供給が安定化してきたからこその結果であるな。
日本はあの一見豊かに見えた社会に戻れるのだろうか?
私は許可を貰って、これらを艦娘たちへの土産にする。
彼もいくつか買ってゆくという。
嫁艦たちから喜ばれるからだと。
購入制限があるのは実に残念だ。
支払いはすべて上官殿が行ってくれた。
恐縮する。
五十鈴と落ち合い、横須賀の駅舎に向かった。
途中、手作りフランクフルトの店を見かける。
店頭で焼いて食べさせてもくれるそうだ。
フランクフルター、と言った方がドイツ語的には正しいらしい。
五十鈴は私の目の前で太いそれをぱくりとくわえ、非常に旨そうに食べた。
なんだか奇妙な視線で私を見つめてくるので、もやもやした気持ちになる。
まさか、ね。
駅舎に着くと構内でソフトクリームを売っていて、何人も買っていた。
我々も買った。
丹念にねっとりと口にからませる五十鈴。
流石のにぶちんな私も気づいてしまった。
おいおい、娘さん。おいたはダメだよん。
「あのですね、五十鈴。」
「これ、おいしいわね。」
「その、食べ方ですが。」
「あら、違う方がいい?」
えっ?
ツインテールな軽巡洋艦はにやりと笑ってちろちろとクリームを舐めだした。
土産は艦娘たちから大好評だった。
量が少なくて申し訳ない気分だが。
鳩サブレーもよかったのだろうな。
五十鈴が何故か体をぐいぐい押しつけてきて、喜びを口にする。
イムヤが負けじとくっついてきた。
鳳翔、香取、天龍、龍田、駆逐艦群、潜水艦群がそれに乗じて密着してくる。
クリームコロッケみたいに中身が出てきそうだ。
二桁の艦娘たちから圧迫された私は体力を削り取られ、再度入院する破目に陥った。
不覚也。
尚、病床の私の眼前でフランクフルターをくわえたり、ソフトクリームをちろちろ舐めたりする奇妙な行為が流行っている。
鳳翔や香取が恥ずかしげにやった時は、心底驚いた。
再三注意してはいるのだが、止めてくれそうにない。
やれやれだぜ。
ロシュトックは遠い。