「嗚呼……ジャンヌさえいてくれたら……彼女の声さえ聞けたら……。」
夕方の海岸であった。
仏蘭西の北西部夕刻。
日は既に沈んでいる。
沈んだ彼の心の如く。
時刻はどんどん夜に向かい、風がますます冷たくなってゆく。
体力を奪い、ヴァルハラへとささやかにいざなう強風だった。
だが、独り言を呟いた男が動き出す気配はひと欠片とてない。
一人佇(たたず)む異相の巨漢。
道化服を着た男は目玉をぐるんぐるんと回しながら、ひっそりとため息を吐く。
それはあまりにもシュールな姿。
悲哀と哀愁とおどろおどろ線を漂わせている彼を子供が見たら、即時且つ瞬時に泣くかもしれない。
「ユウスケ。貴方はいつもいつも無理無茶無謀が過ぎた。好ましくも呆れる程だった。そして、あの時の貴方は明らかに間違っていた。しかし、貴方の明るさ、剽軽さ、やさしさが私にとって明らかな光明だったのも事実だ。今は安らかにお休みなさい。来世でまた会いましょう。」
手に持った花束を海へ投げ入れる。
有終の美を飾った青年への手向け。
ぶんっと投げられ放物線を描いた。
それはしばしの間波間に浮かんだ。
男はそれを無表情にて眺め続ける。
白い花々が暗くなった海へと沈む。
なにかが掴んで持ち運んだ如くに。
そっと漏らすは憂鬱秘めしため息。
彼はアミラル(提督)。
『ソルシエール(魔法使い)』と呼ばれる
男。
確かに貞操を墨守しているから、魔法使いで間違いない。
すべてはあの娘の為に。
彼は敬虔な紳士なのだ。
『ナヴィル・エ・フィーユ』と呼称される、勇猛な戦乙女たちを率いるアミラルが男の実像にして虚像。
企画立案と展開力に長けており、那珂ちゃんも歓喜しそうな司令官。
その所作は洗練されており、教養豊か。
「そういえば、ユウスケ。貴方は触手が大好きでしたね。私には、貴方の趣味嗜好はよく理解出来ませんでしたが。『恐怖には鮮度があるんだよ、旦那!』と目を輝かせる貴方は芸術的に煌めいていましたが、それがあんな事態を引き寄せるとは思いもよりませんでした。」
濃い紫の空を見上げるソルシエール。
海上になにか黒い塊が一瞬浮かび上がり、彼を数瞬眺めて海の底へと沈む。
過去に思いを馳せていたため、歴戦の騎士がそれに気づくことはなかった。
「是非もなし。……あの貴方の笑顔は最高にクールでしたよ、ユウスケ。私は素晴らしい弟子を持てて幸せでした。」
風が益々、強くなってくる。
彼の頬をなにかが濡らした。
ノルマンディ。
彼と彼を慕う部下たちの、ブンカーめいた頑健な基地がある激戦地。
箱庭。
逃れられない箱庭。
或いは籠の中の鳥。
かつての大戦中には、ドイツ軍と米軍とが激烈に戦った海沿いの街。
かの皇帝軍でも、勇猛果敢な戦士たちを輩出した男たちの出身地だ。
大陸軍は世界一ィィィィ!
米兵が女性を求めて野獣の如く彷徨していたと、古老が嘆く古戦場。
トーキョーでもゴブリンやオークのように暴れた荒くれたちの狩場。
情報は隠蔽されて、詳細はわからない。
わからないが人の口に戸は立てられぬ。
ゴブリンたちやオークたちの爪痕は今もかすかに残っている。
勝った者たちは自分たちに都合のよい話をでっち上げ、負けた者は大抵口をつぐむ。
或いは、敗者の言葉は惨くも改竄される。
他国ではセックス&バイオレンスなごんたくれどもも、自国ではよき父よき夫よき息子よき孫。
たまにそうでない場合もあるが。
人間は二面性三面性を持ちながら生きている。
それはソルシエールとて、例外であり得ない。
アミラルなソルシエールはこの地へ赴任した際、土地の地元民たちと茶会を催した。
外見に反して彼は紳士的且つ繊細な気配りの出来る、サムライのような上級軍人だ。
「ドイツ兵が来る時は男を隠したもんさね。」
老女が言った。
「アメリカ兵が来る時は女を隠したもんさ。」
老人が言った。
「早くてふにゃふにゃしていた割に、かなり威張っていたと聞いたな。」
若者が言った。
「若くなくてもあちこちから毎日口説かれたもんだよ、とも聞いたわ。」
娼婦が言った。
「口約束ばっかりだったとも聞いたな。」
役人が言った。
「治安が最低だったと嘆いていたよな。」
警官が言った。
「「「さて、あんたはどうだい?」」」
その場の全員が言った。
今日もナヴィル・エ・フィーユたちは無事に戻ってきた。
思わずホッとする。
彼は一見こわいが、心配性なオカン体質だった。
『ツーロンの悲劇』のような事態が二度とあってはならぬ。
七七隻が一斉自沈するなど、悲劇そのものではなかろうか。
過剰なまでの過保護な扱いに、戦艦のストラスブールを始めとする武装少女たちは時折苦笑いする。
よい提督を得たことに感謝しながらも、淑女のような扱いに戸惑いを隠せない。
そして、それは彼女たちの意識を変化させる。
ソルシエールの思いもかけない斜め上の感覚。
多国籍艦隊による合同作戦の時は正直酷かった。
同胞は堪え性があまり無かったし、英国の面々は勇敢であったものの戦術に難があった。
イタリアの連中はすぐに撤退したがったし、ドイツの面々はやたらに突撃したがった。
そんなので上手くいく筈がない。
結局、ソルシエールが兵站やら食事やら寝床やらから部下たちの愚痴の聞き役まで、多彩な面に渡って管理しなくてはならなかった。
作戦後肉体的にも精神的にも大破し、彼は入院を余儀なくされる。
病室には各国の戦乙女が訪れて見た目は華やかだったが、苦情受け付け係の仕事はなし崩しに継続させられた。
今度旧東ドイツのロシュトックに着任する日本人がいるから、彼にいろいろ押し付けよう。
決めた。
彼はそう心の内で決定する。
マルタ島とスエズの基地の日本人提督たちは危なすぎる。
彼らに任せるとギリシャ政府がひっくり返りそうになったり、スペインのバスク地方が独立しそうになったりする。
結果に対して経過が酷すぎた。
ちょっとした危機は何度も何度も何度も何度も何度も何度も欧州に訪れている。
人口がかなり減った。
兵隊もかなり減った。
男性が少なくなった。
これからの欧州は、人口を増やす方向でいかないとならない。
黒死病の時代ではないのだ。
それを整然と為すには、不安材料を解消しなくてはならない。
日本人提督たちの管理も全部ロシュトックの提督に任せよう。
決めた。
既定事項だ。
おフランスの艦艇娘たちが戻ってきた。
ぴょんぴょんしながら提督に抱きつく駆逐艦たち。
それを諌めるは空母や巡洋艦系の娘たち。
提督の耳元に意味深な言葉を囁く女たち。
だが、彼の心の奥底には既に先約がある。
その名はジャンヌ。
はかなかった少女。
彼の心を支える娘。
目映く輝く其は光。
彼の内の闇照らす。
そして騎士は、お仲間たる偽りの肉体持つ娘たちを伴って基地へと向かう。
虎視眈々と配下たちから狙われていることをよく知らない高潔にして博愛と友愛に満ちた君子は、やさしくやさしく娘たちに話しかけた。
そうすることの意味と結果を知らないままに。
無知こそ罪の意味をよく噛み締めないままに。
光と思っているものの本質を見詰めぬままに。
闇は光から生まれるモノ。
闇は光なくして生まれぬ。
闇ある故に、光は美しい。
娘たちの瞳はきらめいている。
百万ワットにきらめいている。
獲物を見つけた猛禽のように。
美しきシレーヌたちのように。
微笑む騎士はなにも知らない。
清廉な提督はなにも知らない。
司令官の退路はとっくに無い。
【オマケ】
「ちょっとお聞きしたいんですけど、大淀さん。」
「はい、なんでしょう、提督。」
「最近あちこちの艦娘が常時函館にいるせいでうちの子たちの総数が把握出来ていないんですが、現在何名所属しています?」
「何名欲しいですか?」
「はい?」
「そうですね、現時点では五〇名以下に抑えています。」
「は? えっ? あの、三〇名少々ではなかったのですか?」
「それ、いつの話ですか。ほら、九州への査察後で何名か受け入れたじゃないですか。あの熾烈苛烈激烈極まるチキチキお料理作戦で、戦艦棲姫と共に厳正なる審査をされたと聞いていますよ。」
「えっ?」
「えっ?」
「あの、ケッコン経験艦の皆さんの再配属先の選定は進んでいますよね?」
「ふふふ、どうしましょう。」
「ところで、そこの和装をお召しでどことなくなんとなく鹿島さんぽくて見慣れない娘さんはどなたですか?」
「申し遅れましたわ。神風型駆逐艦五番艦、旗風と申します。ふつつかものではございますが、なにとぞよろしくお願いいたします。」
「は、はあ、ご丁寧にありがとうございます。こちらこそ、よろしくお願いします。」
「不肖の身ながら、旋風剣と破裏剣流を多少たしなんでおります。早朝から深夜までの護衛任務はお任せくださいませ。」
「はい?」
「「我ら月の光に導かれし戦士たち!」」
「お、おう。」
「私、イフって言葉が大好きなんです。」
「は、はあ。」
「どんな結果になるかはわかりませんが、取り敢えずその時は救いがあるような気がしますので。」
「救い、ですか。あったらいいですね。」
「「だからですね。」」
「はい。」
「「沈めた責任、取ってくださいね。」」
うわあーっ!
ゆ、ゆ、夢か。
「提督さん、汗びっしょりですよ。」
「あ、あの、司令、大丈夫ですか?」
「ええ。えっ? 鹿島さんと……妹さん?」
「カッシマーⅠです。」
「カッシマーⅡです。」
「センプウ、ヨコセ!」
「あの……。」
「申し遅れましたわ、ベッドの中で失礼します。私、神風型駆逐艦五番艦の……。」