中欧の小国、カリスト公国。
内陸に位置するこの国はのんびりした気風の国民性で知られ、風光明媚な景色とおいしい食べ物で欧州有数の保養地として知られています。
古代ローマ風の『テルマエ・ロマエ』と呼ばれる入浴施設も多く、それは日本人にも好まれる要因です。
古代ローマ時代の遺跡を大切に保存する姿は先進的な事象を拒む要因と思われなくもないようですが、国民性として『ローマ・アンティーク(ローマのいにしえにかえれ)』的な側面が多く見られる傾向にあるため、古きを重んじるところは多々あります。
中世ヨーロッパに於いて猛威を振るった魔女狩りでは、ヴェネツィア共和国の次くらいに消極的だったとも言われています。
第二次世界大戦時はスイス同様に非戦闘地帯とされ、少々複雑な戦後を歩む結果になりました。
四〇年ほど昔にとある怪盗が公国に現れて公邸では公国近衛騎士団や日本の警察隊を含む大乱闘になってしまい、世界中の耳目を集めました。
公邸は崩壊し、被害額は天文学的だったとも言われています。
先の公王様はこの騒ぎが元で崩御されてしまいましたが、しっかりした公子様が後継ぎとして無事に公王として即位されました。
その後、帝政ローマ時代の遺跡が公邸跡から発掘されてポンペイ以来の奇跡とさえ言われるようになりました。
結果的には観光収入が増えたため、損害額は直に補填された模様です。
深海棲艦侵攻後に流民が増えましたけれども、情け深き公王様は慈悲を持って彼らの保護に当たって国内労働力の強化に努めました。
その中に、若き料理人がいました。
寒い寒い北の国から流れて来た者。
アスガルドの地から流れてきた者。
彼は公王様の人徳に魅了され、人生を懸けて尽くすことに決めました。
彼は努力を重ねて、公邸で料理の下拵えを任されるまでになりました。
おいしいものを食べていただきたい。
若者はその一心で作り続けています。
馬鈴薯や乳製品の扱いに長けた青年。
そんな彼に転機が訪れたのは、日本人の提督が旧東ドイツのロシュトックに赴任してからのことです。
新しい日本の情報を持って欧州へとやって来た恰幅のよい彼は恰好の情報提供者と見られ、長時間に渡る二〇ヵ国合同会見はとんでもない視聴率を弾き出しました。
二週間後には八ヵ国共同の精鋭取材班が組まれました。
これは珍しい事態です。
日本人提督への多岐に渡る詳細な質疑応答が為され、それは異例の早さを持って欧州中で放映されました。
その番組は公王様ご一家もご覧になり、中でも参考映像として流された函館は公王様の関心を強く惹きました。
番組放送終了の翌日、若者は公王様に呼ばれました。
二年間、公国の代表者として函館鎮守府で研鑽を積んできて欲しいとの要望です。
それはとても名誉ある指名で、その使命感に彼は胸を震わせました。
公王様の眼力は極めて高く、人材を見抜く力は欧州有数のものです。
よって、公王様の意見に異見を挟む者などはいよう筈もありません。
公王様直属の近衛騎士団たるノイエ・シルチスも無言で肯定します。
その昔にミケランジェロが意匠を担当したという、中世そのままの派手な衣裳をまとった騎士たちはいずれも手練れです。
戦車の砲身を斬ったとか、銃弾の飛び交う戦場を無傷で走り抜けて指揮官を倒したとか、荒唐無稽と思えるような伝説が沢山あります。
修行が公式に決まるや否や、公王様の総料理長は若者に特訓を始めました。
カリスト公国の看板を背負って行くのですから、それ相応の技を持っていなくてはなりません。
蕎麦のガレットや肉団子のスパゲティや茸と山鳥のシチューなどの国民食を会得するのは勿論のこと、天才料理人ヴァテール直伝とも言われる多彩な宮廷料理も仕込まれます。
若者の料理力はめきめき上がりました。
気合いと興奮と誇りと創意工夫の混成。
王侯貴族が宿泊するホテルの料理人に近い力をつけました。
日本有数の料理人たちが集まる、食の豊かなる北の国の港町が目的地。
若者はときめきます。
必ずや、必ずや、素晴らしき料理人になって国へ帰ろうと。
勢力衰えた欧州の復権のため。
第二の祖国たる公国の国父のため。
見果てぬ夢をみっしりと心のスーツケースに詰め込み、若者は極東の大国に思いを馳せます。
きっときっと、素晴らしき技を身に付けて国に帰ることを。