今回の話は約六〇〇〇文字あります。
また、今回はダークファンタジー系欧州異世界風味ですのでほんのりエグい描写がそこそこあります。
『狼の口』程残酷ではありませんが、気分が悪くなりやすい方や耐性の低い方は予めご留意ください。
ある日、都内の駅で集団転移に巻き込まれて異世界の連中が唱える魔王征伐に駆り出された。
イヤでイヤでたまらない世界だった。
不衛生極まる環境、酷い身分差別、女性蔑視、暴力が当たり前との考え、ひたすら不味い飯。
くさい連中。
頭の中身も体のにおいも二重の意味で。
うんざりするような、非文化的世界だ。
戦争に明け暮れ、それが普通であった。
蛮族どもめ。
人殺しを強要され、みな狂っていった。
気絶している間に隷属の首輪とやらを嵌められ、奴らにハメられた。
飴と鞭を使い分ける百戦錬磨で海千山千の老獪な王族や貴族に俺たち呑気な日本人が対抗出来る筈もなく、逆らう意思さえ首輪の魔力でうやむやにされた。
異世界転移した影響からか、魔法が使える者もいた。
特殊能力を身につけた者もいた。
一体どういう理屈かは不明だが。
ステータスオープンとか叫んでいる者がいたし、無詠唱がどうしたとか、チートがどうしたとか、ユニークスキルがどうしたとか、わめいている者もいた。
なんだそれ?
特殊能力に開眼した者たちは勇者として優遇されたが、だからと言って他の日本人を助けようだなんて殊勝な者は一人たりとて存在しなかった。
まあ、そんなもんだろう。
差別は酷く、同じ日本人なのに酷い扱いをするのが当たり前という風潮さえ生み出した。
ただ、幾ら天与の才があってもそれを使いこなせるかどうかは別のようだった。
高性能な最新鋭の怪人が、逃亡中の旧式改造人間に返り討ちとなる話を見たことさえ無いのかね?
それでも嬉々として差別にいそしむ人間を見て、俺は人間不信を募らせる。
人が如何に弱いかをまざまざと見せつけられ、非常に不快になった。
誰も信用出来ない状況で、俺が唯一身につけていた能力は『自爆』だった。
なんだこれ?
体内の魔力を暴走させて、周囲の魔力と共鳴して大爆発を引き起こす能力?
ヤバい。
幸い、能力は自己申告制だった。
実際にやってみせたらすぐわかるし、それでいいようだ。
いい加減だよな、こいつらはよ。
鑑定する道具や能力は存在しないらしいので、よかった。
威張りくさる王侯貴族に、勇者とおだてられる連中。
馬車馬の如くに酷使され、人数が激減していった。
まともな神経をしていた者程、すぐに死んでゆく。
自己犠牲がなんの役にも立たない、むごい世界だ。
勇者も次々に戦死する。
偉ぶっていた奴らが、余りにも呆気なく戦場でくたばってゆく。
簡単に相手の策に嵌まり、包囲殲滅され惨殺されていった。
中には生きながら捕らえられ、拷問された者もいたらしい。
慢心の結果だろう。
捨て駒とも気づかないままに。
説得しようとして殴られたこともあった。
俺はああならないぞと威張っていた奴が、次の日には帰ってこない。
普通に暮らせていた筈の、普通の日本人たちが狂気に彩られてゆく。
あまりにも酷い待遇に不服を唱えたら、王城地下の牢屋に閉じ込められた。
煉瓦のように固いパンと水のように薄いスープは、一日一回出されたらいい方である。
どうやら見せしめにされたらしい。
俺こそ慢心していたことを知った。
誰も助けに来る筈なんて無いのに。
栄養失調になってすぐ死ぬだろう。
そう思っていた。
だが。
それでも、人間は簡単に死なない。
死ぬ時は驚く程あっさり逝くのに。
半年ほど経過した、ある日のこと。
比較的俺と仲の悪くなかった人々が全員死んだと、牢屋番がゲラゲラ笑いながら言った。
結局、こいつらにとって俺たちは人間ですらないのか。
傭兵以下の存在なんだな。
そうか。
じゃあ、死のう。
もういいや。
もう疲れた。
お前らも死ねよ。
絶望した俺は技能を解放する。
魔法の純粋な力が溢れ始めた。
魔法無効化能力を無視する力。
セカイそのものを構築する力。
驚愕した表情の牢屋番が瞬時に消滅する。
その直後、俺は意識を失った。
やり方はとても簡単であった。
想像をはるかに超える威力だったようで、気づいたら廃墟の中にいた。
自動的に復活するみたいだな。
隷属の首輪はぼろぼろになっていて、あっさり外れた。
あれだけ人を苦しめていた存在なのに。
混乱の王都から逃げ出し、悪戦苦闘の日々が続く。
冒険者ギルドのような便利な存在がある訳でもなく、雇い人にも商人にも傭兵にも盗賊にさえもなれない俺は奴隷商人に捕まり、再度隷属の首輪を嵌められた。
商品として扱われ、裕福そうな商家の主人に買い取られる。
銀貨三〇枚の価値だった。
今度の主人は王族や勇者より少しマシな人間だ。
いや。
こちらが普通らしい。
普通?
普通ってなんだろう?
異世界言語を読み書き出来たので、主人の秘書に任命される。
時折癇癪(かんしゃく)を起こして主人は俺を折檻するが、特にどうとも思わない。
あの日々に比べたら、ずっとマシだ。
たまに折檻されながらも、割合落ち着いた日々が何年か続く。
それなりに慣れそうだと思っていた矢先、魔王軍の侵攻が始まった。
俺がいた王国は奴らの拠点になったのだ。
ようやく制圧して、処刑も終了したとか。
王国に住んでいた人間は皆殺されていた。
そんな情報が届く。
主人たちと共に逃亡したのだが、直に捕まる。
魔王と腹心たちのいる本陣に連れてゆかれた。
奴らの娯楽らしく、一人一人必死に命乞いさせた後で無惨に殺してゆく。
なんと悪趣味な。
絶望に彩られた顔の人々へ、わざとらしい仮初めの希望を与える魔の者。
叶えるつもりは最初からない。
ゲラゲラ笑う魔物たち。
お前らも奴らの同類か。
あれだけ強圧的だった主人は弁舌を尽くして慈悲を乞うていたが、話し終えた後あっさりと引き裂かれた。
最後に残った俺は、ふんぞり返った魔王らの前で『自爆』を発動させる。
死なば諸共だ!
存分に喰らえ!
慌ててなにかの呪文を詠唱し始める魔王が見えた。
残念だな、こっちの技はすぐに発動する!
俺はその直後、意識を失った。
溢れる魔法の純粋な力が、広がってゆく。
「ワシがこんなところで消滅する筈が無い!」
魔王は最強級魔法障壁を発動させた。
だが、すぐに術式がほどかれてゆく。
周囲の魔物たちはとっくに消滅した。
幹部たちも抗っていたが、消滅した。
ここに残る生者は魔王のみであった。
矮小と侮っていた人間の放った術で、魔王軍は壊滅した。
娯楽のために本陣に集まっていた愚かな魔物たちは慢心によって、その命を無くした。
「ここまで来るのにどれだけかかったか! そんなバカな!」
魔王を構成していた物質が半分以上消えている。
魔法の力に耐えきったものの、復活には相当の時間がかかるだろう。
「まさかっ! 異世界からの干渉? だが、このままでは済まさん! そうじゃ、マイルフィックを召喚し……。」
と、その時。
突如どこからともなく突進してきた青く美しいナニカが、煌めく刄で魔の王の首を斬り落とした。
「な、な、なにも……。」
細切れにされる、魔王の頭部。
野望の魔物は完全に消滅した。
それを見届けたナニカは金色の髪をなびかせ、長いスカートを翻して走り去っていく。
「おう、兄ちゃん、なんか着ないと風邪ひくぞ。」
目覚めると、硬い床の感触。
どこだここ?
「なんだ、兄ちゃん、ぼーっとして。」
「あの、ここはどこですか?」
「新宿駅だよ。」
「えっ?」
なんだかボロッとした感じの駅は、かつて世界最大級の利用者を誇った場所だった。
人がまばらで、だだっ広い地方の駅だとばかり思っていたが。
声をかけてきたおっさんは人がよく、古着を融通してくれた。
ありがたい。
あれ?
新宿駅って、確かあの人の痛みを知ろうともしない官能小説家な傲岸不遜系暴言都知事が浄化作戦だかなんだか言って、こうした人たちを追い出したんじゃなかったっけ?
駅舎内はちらほらと座り込む人がいて、なんだか世紀末っぽかった。
段ボールにくるまっている人もそこかしこにいる。
むすっとした顔の男女が足早に過ぎてゆく。
目がつり上がっていた。
かつては俺もこんな顔をしていたのだろう。
遠いセカイの人々に見える。
硝子越しのナニカを見てる。
「なんだ兄ちゃん、きょろきょろして。あんまり見ない方がいいぞ。」
「あ、そ、その、すみません。」
「深海棲艦が出てきてからは、ずっとこんなもんよ。東京はもうダメだな。人が出ていく一方だ。関西の景気は良くなっているようだが、こっちはにっちもさっちもいかん。」
「えっ?」
「なんだい、あんた。山奥で修行でもしていたのかい?」
「ま、まあ、そんなところです。」
「幕末にも修行に明け暮れて維新を知らない侍がいたそうだが、わかった、兄ちゃん、なんかとっぽいから悪い連中に身ぐるみ剥がれたな。」
「え、ええ、まあ、そんなところです。」
「兄ちゃんみたいなもんは、ここから早く抜け出した方がいいぞ。長くいても、ろくなことにならんからな。この辺の愚連隊は全部潰しておいた筈だがなあ。今から哨戒班を出して、今夜にでも奴らのアジトを何個か潰しておくか。」
おっさんは世話好きのようだった。
実際、世話役のような感じである。
世間話の態を装い、情報収集した。
愕然とする。
世界の海は分断され、日本はがたがたになっていた。
もっと酷い国もあるだろうとの予測さえあるという。
輸入が途絶えたために莫大な供給量を必要とする大都市は機能不全に陥り、特に東京は世紀末的な治安の悪さが加速化したそうだ。
この駅舎では大規模な騒乱があったとか。
池袋駅での騒乱もかなり酷かったようだ。
新宿駅がボロいのはそういう理由らしい。
焦げた跡や弾痕が何ヵ所にもある。
ゾンビでパンデミックな状況よりはマシかもな。
最近は艦娘という武装少女が出現して、深海棲艦を駆逐しつつあるらしい。
鎮守府という基地の周辺は賑わっているが、それ以外の場所は過疎化が加速しているという。
移動にやたら金がかかるのだ。
物価も酷い有り様だ。
一時は、以前の三倍から五倍は当たり前だったとか。
政府が必死に物価統制しているが、趣味嗜好の品は後回しである。
金持ち優遇策を取るとすぐにデモ隊が国会議事堂へ押し寄せるため、今の政策はどちらかというと庶民寄りらしい。
流通網は西日本主体だそうだ。
輸入も再開されたが、一旦ダメになった東京の復興は遅れているらしく、西日本へどんどん人が流れているとか。
呉、佐世保、舞鶴と四大鎮守府の内三箇所は西日本にある。
鎮守府周辺の景気がいいなら、そちらに人が流れるも道理。
東京がメガロポリスに戻れる日は訪れるのだろうか?
噂では京都への遷都や皇居が御所に変わると囁かれている。
御所では工事が盛んだそうだし、政府の西日本方面への出先機関が大型化しているのは紛れもない事実だ。
「兄ちゃん、水だ。これならタダだからよ。ほれ、あそこで幾らでも飲める。」
「ありがとうございます。」
硝子コップを渡された。
水だって本当はタダじゃないんだけど、ここはありがたく貰っておく。
久しぶりの日本の水は、少し薬品くさくてしかし清潔な味わいだった。
おっさん愛用の硝子コップは頑丈らしく、落としても割れにくい品だ。
プロヴァンスにもう一度くらいは行きてえなあ、とおっさんは呟いた。
炊き出しをしてくれる酔狂な人がいて、行列に並んだ。
嗚呼、日本に帰ってきたんだなあ、としみじみ思った。
久々のうどんは旨かった。
真っ黒でドロッとしたつゆにしなびたネギがほんの少しの量。
質の悪い天かすも薄っぺらな蒲鉾すらも無い。
麺もコシがないが、それでも久々の日本食は体に染みてくる。
勢いよくすすりこんだ。
これだよ、これ。
こういうのがいいんだ。
汁もすべて飲み干した。
「なんだ兄ちゃん、久々に帰国した人間みたいだぞ。」
「あはは、まあ、似たようなもんです。」
「よし、もう一杯貰ってきてやる。なに、あの担当者は浪花節に弱くてな。一回くらいなら目こぼししてくれる。」
二杯目のうどんも旨かった。
無論、今度も汁を飲み干す。
驚いたのは、日雇いの仕事があることだった。
人口が急激に減って、基本的な労働力が全然足りないらしい。
東京は今も激しい混乱から立ち直れていない、ということだ。
工場の手伝いとか建造物の撤去とかに従事して、幾ばくかの金を得る。
親切なおっさんに別れの挨拶をして、住んでいた家へと向かった。
一時間に一本あったらいい方の、ゆっくりと走る電車に揺られる。
潮風がなつかしい。
駅舎は無人だった。
しかも錆びている。
てくてくと歩いた。
更地になっていた。
馴染みだった文房具屋もオモチャ屋もとうに無くなっていた。
思い出の場所はすべて消えていた。
天涯孤独になってしまった。
どこに行く当てもなかった。
役所に行っても、たぶん、どうにもならないだろう。
存在しない人間になっている可能性すら考えられる。
産まれ育った海沿いの街は、とっくの前に崩壊していた。
海を見に行こう。
不意に思った。
海を見ながら自爆するのも乙じゃないか。
俺一人を吹き飛ばすくらいの魔力は残っている。
誰もいない海で……いや、深海棲艦とやらがいたら道連れにするのも悪くない。
魔力の鼓動を確かめながら、てくてくと歩いた。
海は穏やかだった。
見慣れた海だった。
何年ぶりだろうか。
海をこんなに見つめるのは。
空は青く、海もまた青い。
海辺でぼんやりしていたら、突然後ろから声をかけられた。
「どうしたの、提督?」
提督?
なんだそれ?
振り向いた。
少女がいる。
首をかしげる様が可愛い。
「俺は提督じゃない。」
「提督は提督じゃない。なに言ってんの?」
君こそなに言ってんの、だ。
「焼き芋、食べる? 真空斬!」
彼女は持っていた薩摩芋を宙に投げるや否や鮮やかな手刀で見事に斬り裂き、自然な感じでその片方をすっと差し出してきた。
お見事、と思わず拍手する。
うふふ、と笑う姿が可愛い。
まるで切れ味のすこぶるよい包丁で斬ったかのような断面が見えた。
どれだけ習練を積んだら、これだけの業が使えるのだろう?
あっちの世界でも、これだけの使い手はそういないだろう。
さりげない善意。
ありがたく受けよう。
「ありがとう。嬉しいよ。」
微笑む。
彼女は何故か赤くなった。
「うっ。わ、私はそれくらいで堕ちるような、安い女じゃないわ。」
「そうか。」
「そうよ。」
焼き芋は冷めていたが、温かいものを感じる。
甘味が五臓六腑に染み渡った。
これが慈味ってやつか?
旨い。
咀嚼する。
ほろほろと溶けてゆく。
彼女の視線に気づいた。
顔を向ける。
少女はプイッと横向く。
こちらへ向かってくる女の子が何名も見えた。
これからはこの子たちと共に過ごすのだろうという、なにか確信めいた予感を覚える。
体内に残っている僅かな魔力が、俺にかそけく囁いた。
この運命に抗ってはいけないと。
それは甘くせつなくやさしい声。
不思議な感覚だが、何故だか胃の腑にストンと落ちた。
そうか。
俺は彼女たちと共に生きてゆくため、ここにいるのか。
「そろそろ行きましょ、提督。」
「ああ、そうしようか。」
そうして、俺たちは自然に手を繋いで女の子たちの元へと向かう。
これからの人生に少しでも希望があったらいいな、と思いながら。