先日のことだ。
どんどん衰えゆく東京で仕事を続けてきたが、とうとう私たちは長期休暇を言い渡された。
会社そのものが、そろそろ危ないらしい。
客がごっそり減ってしまったためなのか?
人口が減りすぎて都市機能が弱体化中だ。
疎開者は年々増加の傾向で減る気配無し。
取引先のひとつだった外資系企業は大幅な解雇を実施して、あちこちから非難されていた。
馴染みだった二軒のコンビニエンスストアはとっくに閉まってしまい、近所にちょっとした商店など一切無い都会のアスファルトジャングルでは物資窮乏が如実な案件と化している。
『都会の孤島』は洒落にならない、深刻な問題だ。
昼食難民などざらで、弁当屋に頼むのも一苦労だ。
携帯糧食やシリアルバーやグラノーラバーや羊羮や即席麺や栄養飲料水などの買い置きを忘れると、けっこう悲惨な事態に陥りやすい。
暴動やデモはかなり減ったが治安は悪く、夜間は自警団や装甲服を着た物々しい連中が、時折怪しげな人々を囲んで小突き回している。
世紀末の風景だ。
駅舎構内のキオスクは鉄格子付きの小型要塞化し、頑丈で小さな窓越しの対面式で販売するのが主流になりつつある。
店内で自由に見て選ぶ時代は終わった。
いや。
平和になって物資が多く供給されるようになったら、この現状も改善されるのだろう。
たぶん。
一時戦前の数倍の値段にまで跳ね上がった商品もあったが、艦娘の努力、企業努力、政府援助金などによって倍未満に抑えられている商品が大半だ。
但し、趣味嗜好品は除く。
煙草がいい例だ。
一箱一〇〇〇円以上が当たり前。
『シケモク』さえ復活してしまった。
大怪盗のアニメーション作品の一期で見られるような風景が、必要に迫られて復活したとでも言うのか。
誰かが捨てて短くなった煙草に爪楊枝を刺し、いそいそすぱすぱと吸う。
非喫煙者たちの白い目もなんのその。
吸わない者と吸う者との意識格差は、日本海溝並に深い。
シケモクをいらいらしながらもくもくと吸う彼らに、感染症をおそれる気持ちはどうやら無いようだ。
シンガポール並に罰金強化しようという話さえある程、喫煙者への風向きは現在進行形で非常に悪い。
通勤に使っている、郊外の駅舎。
それなりの商業施設でもあった。
駅ビルがそこそこの規模だった。
今は昔の話になりつつあったが。
駅前商店街はとっくの前に壊滅し、その原因となった郊外型大型商業施設は逃げるように閉店していた。
店長や幹部たちは酷い目に逢ったみたいだ。
彼らが主犯でもないのに酷いとばっちりだ。
幸い、生き残ったり復活したりした店舗がちらほらあった。
菓子屋とパン屋と文具店と小さなスーパーがやっとこさ営業している。
後はスナックとラーメン屋と定食屋が何軒か残って細々とやっている。
駅の長椅子には、特に用も無いのにずっと座っている人も少なくない。
撤去してしまった駅舎もあるが、ここはまだその結論に至っていない。
大型駅舎の待合室も、終日常駐する人々の問題がある。
構内に複数あった飲食店はとうに大半が店を畳んでしまい、今では煮しめたような店主のいる立ち食い蕎麦の店だけがひっそり営業されている有り様だ。
ポツリポツリと人が立ち寄っている風景には、どこかうら寂しいものが見える。
賃貸契約型店舗は、貸店舗の紙が変色する事態になってもそのままなのだった。
そんな駅から幾つか離れた無人駅舎の改札を抜けると、そこは海に近い場所だ。
もっと早くに来たらよかった。
忙しい日常生活にかまけて、どこへ出かけるでも無い多忙な日々が続いていた。
あの忙しさはなんだったのだろう?
結果は、少しの収入と多めの時間。
会社が生き残れるかどうかはわからない。
ここはおそらく、避暑地のような場所だったのだろう。
邸宅と防風林。
何年か手入れされなくなっている内に誰かが勝手に住み、そしてその誰かもいなくなる。
朽ち果てるに任せた家屋が海沿いに幾つもあった。
ここへ戻ってくる人はいるのであろうか?
再びここが栄えることはあるのだろうか?
砂浜はきれいだった。
ゴミが浮かんでいることもなく、ただただ波が寄せては返すだけだ。
聞こえるのは潮騒ばかり。
流された沢山の涙もため息も、この波がさらっていったのだろうか?
たまに海鳥がやって来て、なにやら会話している。
その内容を是非知りたいものだ。
かすかに遠くから、発砲音がしてきた。
海上自衛隊か?
少し歩くと遠くに看板が見えた。
私の眼では内容までわからない。
近場に鎮守府があるのだろうか。
家紋のような紋章が確認出来る。
あの発砲音は艦娘によるものらしいな。
「なにやってんのよ。」
振り向くと、気の強そうな娘が私を睨んでいた。
きれいな顔立ちをしている。
「海を見ていたんだ。」
「ここから先は、一般人立ち入り禁止区域よ。早く立ち去った方がいいわ。」
「そうか、それは残念だ。すぐ立ち去るとしよう。」
海はまだまだ平和じゃない、ってこったな。
すると……彼女は艦娘か?
平日の日中に学生服を着た少女、か。
先ず、間違いないだろう。
平和のために戦う勇ましき戦乙女か。
気を抜いた為なのか、腹が、減った。
ぐうぅ。
「なによ、お腹空かせているの?」
「あ、ああ、聞き苦しくてすまないね。」
「別に、全然気にしないわ。生理現象ですもの。」
「それじゃ、失礼してどこかへ食べに行くかな。」
「待ちなさい。」
「どうしたの?」
「ほら、少し固くなりかけているけど、今朝握ったばかりだから。」
そう言って、少女は笹の皮に包んだ塩むすびを差し出してきた。
三個ある。
その隣にはお新香。
これはよい布陣だ。
「いいのかい?」
「独りっきりでもそもそ食べるよりは、余程いいわ。」
「ではお言葉に甘えて、一個いただこうかな。」
「二個でもいいわよ。」
「それじゃ、君の栄養が足りない。」
「戻ってからうどんか蕎麦でも茹でるし、心配しないで。」
砂浜に並んで腰かけた。
彼女は私のすぐそばだ。
気にしない子なのかな?
やや小ぶりの握り飯に早速かぶりつく。
程よく握られていて、丁度いい塩加減。
絶妙な旨さだ。
お新香も浸かり具合がいい。
ちらちらと、横目で彼女が私に視線を向ける。
「これはとても旨いね。」
「そ、そう? あ、ありがとう。」
「久々においしい握り飯を食べたよ。」
「あの、ちょっといいかしら?」
「どうかしたのかい?」
「今ね、うちの鎮守府には提督がいないの。」
「そうか、それは大変だろう。」
「ちょっと見学に来てみない?」
「責任者のいない基地へ、勝手にお邪魔するのはよくないことだろう。」
「たぶん、誰も怒らないわ。いいえ、むしろ歓迎されるかもしれない。」
「えっ、それはどういう……。」
「いいから、立って。がんがん行くわよ。」
まあ、どういう腹積もりかは知らないが、折角見学させてくれるというのだ。
見に行ってみるのも悪くない。
ぐいぐい引っ張る彼女に連れられ、私は砂浜を歩き出した。
氷点下の青い空の下。