ほんのり、『魔法使いの嫁』風味に仕上げました。
「おやおや、珍しい客人だね。」
聞こえてきたのは、きれいなキングス・イングリッシュ。
気付いた場所は函館鎮守府でない。
ここは何処かの屋敷の書斎らしい。
長い年月を経た紙の匂いが漂った。
目の前には優雅な雰囲気の、サヴィル・ロウで誂(あつら)えたようなスーツを着た骨頭の異形がいた。
彼は豪奢な椅子に座っている。
私はいつもの軍服姿だ。
拳銃を装備はしているが、眼前の相手には一切通用しないだろう。
「ええと、ここはどこでしょうか?」
「ふむ、迷い人か。ここは英国さ。」
エゲレスだと……。
UK。
ブリテン。
妖精の本場か。
何故、私はここにいる?
『彼』は一体誰なんだ?
「妻も絹女給(シルキー)も生憎と出掛けていてね。茶を出せなくて申し訳ない。」
「いえいえ、こちらこそ闖入(ちんにゅう)者になってしまって大変ご迷惑をおかけしております。」
「ふふふ、実に日本人らしい反応だ。大変興味深いね。妻となんとなく似た面を感じるよ。」
奥方は日本人なのか。
国際結婚しているとは、異界の住人もなかなか進んでいる。
まあ、私も人ならざる娘たちとケッコン予定だから似たようなものか。
「さて、時間はあまり無いようだ。うん、そうだ、丁度君に渡すとよいものがある。これだ。」
マホガニーだかオークだかで出来ているだろう、高級そうな机の引き出しから彼はなにかを取り出した。
翡翠?
ちっこくてきれいな首飾りだ。
「魔除け(アミュレット)だよ。」
「魔除けですか。」
「君は見たところ、妖精たちに好かれ過ぎている。気を付けることだ。全部はね除けるのは愚かな所業だけど、受け入れるモノと追い払うモノとの選択を誤ると間違いなく身の破滅だよ。」
「心得ておきます。」
「ふむ、『節制』がかなり強いね。今のところは、これでも問題ないだろう。」
「あの。」
「うん?」
「『等価交換』とまではいかないかもしれませんが、これをお受け取りください。」
何故かポケットに入っていた間宮羊羮を、彼に手渡す。
「これは……ケーキかい?」
「それはヨウカンという日本の伝統的アズキゼリーで……たぶん奥様の口に合うかと思われます。添えるお茶はグリーンティーがいいでしょう。」
「ほう、ならば対価としては充分だ。僕にとっては、妻の笑顔が最大の価値を持つからね。では、そろそろ時間だ。」
「お世話になりました。」
「こちらこそ、珍しいものをありがとう。」
目覚めると、曙と霞がしがみついていた。
がっちり絡み付いて、とても剥がせない。
つまり、両隣で彼女たちが寝ている以上は私も動けない。
段々容赦が無くなってきているな。
右手になにかを握っているのがわかった。
おそらく、魔除けだろう。
あれは、夢であって現(うつつ)でもあったのか。
揺すったり声掛けしていく内、二名とも目覚めた。
うっすらと新たに雪化粧された鎮守府の敷地。
ちっちゃな雪だるまが、幾つか作られていた。
さほど積もってはいない。
「提督、おっそーい!」
島風が背後から抱きついてきた。
「司令官、この雪だるまは私が作ったんですよ!」
前方から笑顔で抱きついてくる吹雪。
両隣の曙と霞がなにやら喚いている。
灰色の空。
昨晩は霰(あられ)がぱらぱら降っていた。
函館の春はまだ遠い。
厨房へ行くと間宮が羊羮を作っていた。
欧州から急ぎの注文が来ているという。
伊良湖や速吸らが彼女を手伝っていた。
「欧州、というと日本人が多く住むというドイツのシュツットガルト辺りからの注文ですか?」
問うてみた。
「それがですね、ご注文は一件だけなんです。」
「一件、ですか。」
「ええ、宛先はロンドンですね。至急とのことで割増料金もいただきましたから、大急ぎで作っています。余程気に入られたのでしょうね。」
試食を勧められ、お茶と共にいただく。
旨い。
彼女はかなりの量を、皆と作っていた。
「これ全部ですか。」
「ええ、全部です。」
小豆、本練り、抹茶、黒糖、そして芋。
五種類の羊羮が沢山沢山作られていた。
「緑茶をオマケに付けたらいいと思いますよ。先日入手した、新潟の村上茶なんて如何ですか? 或いは奈良の柳生茶とか。」
見知らぬ笑顔を想定して、私はそう提案した。