はこちん!   作:輪音

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歪み
それは誰もが内包する
心の黒き囁き
向き合えば危険な代物
他者を激しく攻撃したくなったり
反社会的欲望に身を任せたくなる
歪み
それを指摘されると
激怒する人々もいる
否定する人々もいる
歪み
自分は歪んでいないぞと
酷く歪んだ者ほど全否定
歪んだ設計図に基づき
歪んだ社会が作られる
歪んだ社会が膨らんで
歪んだ欲望が膨らんで
人は互いを傷付け合う
歪み
歪み
歪んでいない筈の定規物差しは
既に歪みきっていて役に立たず
歪んでいないと称する歪みの中
その歪みに適応した者たちだけ
生きてゆくことが許される社会
もうじき終わるかも知れない祭
歪みを踊りながら
我々は歪みを知ろうともしない
歪み
我々は海の底のそれを知らぬ
人が歪みか彼女たちが歪みか
歪みは更なる歪みを生んで
新たなる存在さえ生み出す




CCⅩLⅡ:とある泊地跡地にて

 

 

 

戦艦棲姫の朝は早い。

厨房に立つ彼女は凛々しい。

すっかり煤払いされた場所。

ぴかぴかに磨かれた調理場。

包丁を振るう音が聞こえる。

鍋の中からのにおい。

ご飯の炊けるにおい。

おみおつけのにおい。

魚の焼けゆくにおい。

彼女の着る服は肌の色に近い。

家事を執り行うための戦装束。

洗いざらしの所々染みある服。

三角巾を頭に巻いた割烹着姿。

それはまるでお母さんの如く。

皆をやさしく厳しくまとめる。

皆の世話を焼く、しっかり者。

まごうことなきオカンだった。

とどめに玉子焼きを作り出す。

そのおいしそうなにおい。

それを嗅いで起きぬ者は無し。

 

 

離島棲姫はばりばり頭を掻きながら、食卓に座る。

他に戦艦級、重巡洋艦級の仲間たちが座っていた。

すっかり餌付けされている。

ここは破棄された泊地跡地。

未だ奪還の目処が立たない。

大本営が手を出しきれぬ地。

南の島のハメハメハな土地。

ここにいた艦娘たちはどうやら急いで脱出したらしく、処分されなかったために生活物資は充足していた。

ここへ最初にやって来たのは離島棲姫である。

彼女は大変のんびりした気質の持ち主だった。

独り、ひっそりのんびりと暮らす予定だった。

港湾棲姫などのように、戦闘を好まない故に。

そこへ転がりこんできたのが、各海域を転戦して傷だらけになった深海棲艦たちだ。

彼女たちは厭戦気分にさえなっていて、戦争を希求して止まないのが深海棲艦という印象さえ薄れさせる程だった。

飽くなき闘争心に溢れた戦鬼たちが、大本営並びに四大鎮守府に所属する提督たちの喧伝する深海棲艦たちの様相。

しかしながら、島の彼女たちは穏やかな表情をしていた。

それは、函館に自称軟禁されている深海棲艦たちの如く。

まるで、普通の人間が普通に生活している様にさえ思える程の日常生活感溢れる姿を彼女たちは醸し出している。

少なくとも、人類の敵には見え難い。

 

 

朝食が出来上がった。

こいつら温かい飯を喰うのかよ、と函館の深海棲艦さえ知らない提督や艦娘たちならば目を剥くかも知れないが、島の彼女たちは平然と炊きたての白いご飯をむしゃむしゃ食べて玉葱と馬鈴薯のおみおつけを啜った。

焼き魚をほぐした後に口中へ誘い込み、そして然る後に撃滅。

豊かな海の幸に思わずにっこり。

ご飯に丸美屋のふりかけをかける者さえいる。

普通の人間の女性が朝食を堪能するかの如く。

戦艦棲姫が毎日掻き混ぜている会心の糠漬けをぽりぽり食べる様子に、激戦を経てきた歴戦の戦士的な雰囲気は感じられない。

玉子焼きを食べて目を細めたり、うっとりする姿。

おいしいものを食べて、おいしいと意思表示する。

人類の敵対者と言える姿はそこに存在しなかった。

 

 

食後は緑茶。

上質のお茶。

この泊地の提督はどうやら口が奢っていたようで、なかなかよい質の物資が溜め込まれていた。

彼らはこれらを破棄したのだ。

勿体ない。実に勿体なかとね。

ならば我らが使っても委細問題あるまい。

そういう理屈で、彼女たちは積極的に物資の消費に励んでいる。

 

食後は会議。

今後に向けての方策を練るため。

弛緩した空気の中で現状維持の声が聞こえる。

姫級鬼級と呼ばれる他の深海棲艦ならばこの有り様を見て、怒髪天を突く勢いで怒鳴り付けるやも知れぬ。

しかし、ここにそういった者は一名もいない。

ある意味、彼女たちは敵前逃亡した脱走兵だ。

もしどこかの艦隊に拾われても、尖兵として酷使され磨り潰されるのがオチだろう。

弾除けくらいの存在と認識されて。

ならば備中鍬で田畑を耕し、島に生息する動物や鳥を時折狩り、魚を釣って暮らせばよいのではないか。

それはある種、自己存在の否定に繋がる考え方に思えた。

だが、特に物欲なく日々を穏やかに暮らせたらいいかもと考え始めた彼女たちにとっては自然の帰結だったのかも知れない。

 

 

離島棲姫は空を見上げる。

遥かな上空には、偵察機。

その機体の目と己を同調させる。

見渡す限り、周囲の海域にはなにも航海していない。

敵も、味方さえも。

海は凪ぎ、穏やか。

こんな日々が続けば、と思い始めて彼女は苦笑する。

やれやれ、なんだかいつの間にか人間ぽくなったわ。

こんな私たちを受け入れてくれる人間がもしもいたなら、と夢想しかける。

あり得ないわねと彼女は残された物資の中から回収した、光の円盤が入った樹脂製容器を見つめた。

今夜はこれを見ようかしら。

アニメーション映画の傑作。

どうも大人気の作品らしい。

日本人ならば誰もが知っているようだ。

何度も何度も繰り返し再生されただろう映像作品を収録した円盤の裏側は、スケートリンクのように傷だらけだった。

 

 

少しウキウキしながら、彼女は釣りをしようと桟橋(さんばし)へ向かう。

使い込まれた釣竿と釣り道具持ち。

修繕痕が残る、素朴な古い橋へと。

今日もいい天気になりそうだわ、と思いつつ。

 


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