和菓子万歳!
今回は三五〇〇文字ほどあります。
元々大きな商いはしていなかったが、ここ何年も業界の売上げは不振気味であり、それは様々な業種でも同様の様相を見せている。
近くの商店街にある文房具屋でもそれは問題であり、半世紀以上営業していた同商店街のおもちゃ屋が店を畳んだ時は、地方都市へ疎開する老夫婦の送別会を賑々しく近所の中華料理店で開いた。
日本の首都として限りない繁栄を見せるかのように思われた東京も、今では五分の一ほどの人口を抱える地方都市に移り変わっていこうとしていた。
そのことを認められない人たちも当然存在しており、彼らは過激な主張や否定を繰り返しては闇討ちに遭ったり仕事を失ったりしていた。
都内で猪や鹿の発見例があった時は、かなりの扇情的報道合戦となった。
空間騎兵隊によって捕まえられた野生動物は、かなりの紙面を賑わせる。
警視庁特車二課の第一第二の両小隊も、かなり振り回されたようだった。
地方に住む人たちの中には、その狂騒状態に対する批判がかなりあった。
戦前の山手線は一時間に何本も走っていたが、今では二本か三本走ればいい方だ。
地方を馬鹿にしていた人たちが、その地方に媚びる事態さえ見受けられた。
人とは浅ましい生き物だ。
私のご先祖様は江戸時代からこの辺りで小さな和菓子屋を営んでいたそうで、今も根強く愛されている。
戦争になってから先代の祖父が張りきる姿を見せるようになり、今日も朝早くから餡この仕込みに取りかかっていた。
うちの餡を使ってくれるパン屋も複数存在しており、定期的に沢山買ってくれるお客さんもいる。
その穏やかそうな人物は、北海道の函館鎮守府で提督をしているそうだ。
軍人ぽく見えず、サラリーマンぽいが、うちの先代や当代と話がとても合うようで、豆かんなどを食べながら話に興じる姿もたまに見かける。
試食も時々頼まれるようで、何故かというと彼が太鼓判を捺した菓子はよく売れるようになるからだ。
特に若い女の子たちがそうした菓子を沢山買ってゆき、何故かお盆休みの頃と年末が特によく売れる。
早朝から並ぶ子が何人もいて、そうした時は急ぎ店を開けたり、茶を振る舞ったりしている。
京都や広島や長崎といった遠隔地からわざわざ訪れる子もいて、嬉しい限りだ。
ついついおまけを付けてしまうが、大量に買ってくれる子たちにはなにかしてあげたいものだ。
突発的に注文が入ると先代や当代の負けず嫌い的な魂が燃焼するようで、そういうところは私も割と好ましく思っている。
提督は若い子の好みがわかるのだろうな、たぶん。
小皿をいつも要求されるので不思議に思っていたら、彼に付いてくる妖精たちが食べるらしい。
面白い冗談だ。
祖父や父は信じているみたいだが。
確かに、小皿の中身はいつの間にか無くなっている。
よくわからないな。
函館か。
一度行ってみたいものだ。
提督からいつもいただく間宮羊羮や月餅やフィナンシェなどは常に近隣の菓子職人連中の垂涎(すいぜん)の的であり、貰ったことをメールで報告すると和菓子洋菓子問わずに老若男女の職人たちが集(つど)って品評会が開催される。
提督手製のドングリクッキーも素朴で悪くなかった。
有名ホテルや大人気菓子店などから、品評会へ参加してもよいかとの打診があった時は心底驚いた。
函館鎮守府は参加枠があって、倍率がとんでもないことになっているそうだ。
その辺りの判断は先代や当代に丸投げしている。
チャラい有名菓子職人が品評会に参加したいと懇願してきたのだが、先代と当代は彼を一目見るなり追い払った。
「けぇりやがれ、このとんちき!」
「今すぐ、お引き取りください。」
にべもない感じだった。
マスメディアにかなり露出している系統の人々は殆ど直ぐ様はねられていて、祖父と父の直観力にいつも驚かされる。
「おい、あいつ、小さな菓子屋を散々馬鹿にしていただろ。片仮名名前の雑誌で読んだぞ。なんで平気な顔してここへ来れるんだ?」
「鳥頭なんですよ、きっと。」
「鶏のトサカは赤いだろ。あいつはキンキラキンだったぞ。」
「きっと、血の気が失せたんですよ。父さんに怒鳴られて。」
「金勘定は上手い癖にヤワな奴だな。」
和菓子をろくに食べたことの無い子供が増えているという。
餡この嫌いな両親が子供に食べさせない事例もあるという。
それでも我々は毎日情熱を注いで、和菓子を作るしかない。
「なに、大平洋戦争の頃に比べたら格段に安全な状況だよ。」
大正生まれのハイカラ老人は、なんとも元気なことだ。
親爺は寡黙な職人気質で、じっくりと和生菓子を作っている。
これがまた旨くてお手頃価格なのだ。
今の物価を考えると採算は厳しいが。
廃棄品を極力出さないようにして、なんとか凌いでいる。
ネオ和菓子とかいう、なんだか得体の知れないモノが流行っているという。
祖父も親爺も興味を示さないが、何故かそのお先棒を担ぐ胡散臭い人間が度々やって来て、巧言令色少なきかな仁を自ら演じていた。
「絶対儲かる。」とか「この機を逃すともう二度と訪れません。」とか、まるで狡猾な詐欺師みたいなことを彼らはべらべら話してうんざりする。
かなり粘られた後で丁寧にお断りしたら、「きっと後悔されますよ。」などと全員似た捨て台詞を述べて帰っていった。
彼らの余りの傍若無人ぶりに、娘は毎度塩を撒くようになった。
うはは。
「大平洋戦争が終わった後にも、ああいう輩はいた。」
先代が言った。
「バブルの時にもあんなのはいたよ。」
これは親爺だ。
祖母やお袋や妻は肩をすくめるだけだ。
儲け話を不意にしたのかもしれないが、人として失ってはならないものを失わなかっただけマシなのかもしれない。
大本営の広報課に所属しているとかいう娘さんがやって来て、店をドラマの撮影に使いたいと言い出した。
失われゆく東京のよきものを、映像を通して知らしめたいという趣旨だった。
そうか。
東京はもうそんな事態にまで陥っているのか。
今まで地方の問題だったものが、現在進行形で東京に降りかかっているんだな。
渋い顔をする祖父と親爺。
そっくりだ。
血が繋がっているなあ、と妙に感心する。
妻や子供たちに言わせると私も同類だが。
ひなびた和菓子屋なぞを撮影して、なにか得になるのだろうか?
うちを選んだ理由を聞くと、函館鎮守府の提督がうちを贔屓(ひいき)にしてくれているからだという。
提督の主演する映像作品は、艦娘たちにとって垂涎の的なのだとか。
東京の情緒ある場所を撮影した『東京おやつ探訪記』として、この夏有明の同人誌即売会で全国の人々に販売する所存なのだと彼女は真剣に言った。
「あんたら艦娘が一所懸命やってくれているから、俺たちがこうして無事に生活出来ているのは知っている。」
先代が口を開く。
「まあ、無理を言われなかったら協力しましょうかね。」
当代が口を開く。
三人が私を見つめる。
「わかりました。ご協力しましょう。」
我が小さな和菓子屋内のちっちゃな茶屋。
ちょっと一息入れる場所として、昔からお客さんたちに利用されていた。
老若男女問わない憩いの場であることは、この小さな店の誇りでもある。
お客さんが途切れた午後の時間。
その合間を縫って撮影が始まる。
興味津々の御近所さんたちや、艦娘らしき娘さんたちで鈴なりになった店前。
娘や息子たちも、同じ学校の子たちと一緒になって大興奮している。
そんなに興奮するほどのことかね?
娘や息子たちは彼に握手して貰ったり一緒に撮影したり、サインを貰って大喜びしたりしている。
イエーイ、と集団になって撮影していた。
艦娘らしき娘さんたちの不機嫌度が上がっているようにも見えるが、気のせいだろう。
提督があたふたした感じで娘さんたちへ手を振って、圧力は弱まっていくかに見えた。
近所の奥さん連中が提督の男振りについて論議しているが、概ね好意的だ。
男前という評価には至っていないようだが、若い世代にはなにか訴えかけるものがあるのかもしれない。
緊張した面持ちの提督が、茶屋で大変恐縮していた。
お偉いさん的なところが何処にも無い。
個人的に好感を覚える。
横須賀にある大本営へ行った時は、うちで買い物するようにしてくれているとか。
実にありがたいことだ。
大きなテープ式のビデオカメラを構えたり録音機器を向けたりと、撮影人員も準備万端の模様。
羊羮や夏向けの和生菓子や水羊羹。
干菓子に寒天飴にシベリアケーキ。
ロシアケーキにアイスキャンデー。
定番のどら焼ききんつば団子大福。
こちらの用意はすべて調っている。
先ずは豆かんから行こうかな。
それとも葛きりから行こうか。
さあ、どんとこい。