今回は二八〇〇文字程あります。
アルヘンティーナのマルビナス諸島。
英語で言うと、アルゼンチンのフォークランド諸島。
三〇年以上前に、その諸島を植民地支配する欧州の二枚舌的列強国と南米の独裁政治的小国とが紛争の争点とした場所。
『頭髪のない男たちが使わない櫛(くし)を取り合う状況』などと、ある小説家に評されたいさかい。
そこでは、三ヵ月半の戦役が行われた。
血を流し合った新兵器の実戦的実験場。
死の商人たちが歓喜し、夫や息子や父を失った遺族の涙を鑑(かんが)みない政治家たちが詭弁を弄(ろう)した。
帰還兵たちの苦しみを知ろうとする者は、存外少ない。彼らの中は自ら命を絶つ者が存在し、それは両国間に於いて現在進行形の問題だ。
人気取りのために国民を戦争に駆り立てた女性が国際的批判に耳ふさぎ、トランプの女王のごとく兵士を送り込んだ場所。
戦争が始まるまでは批判していたのに、戦争が始まるとこれを肯定する者が続出した。
パブなどでサッカーの試合を見るかのように、人の死を観戦する者が多く現れた。
まるで狂っているかに見える行動だ。
そうした手のひら返しは世界的に見られ、これは人間の心的矛盾を浮き彫りにするが、それを理解出来ない人は意外と多い。
近年は海底油田の発見が両国間の緊張を再度高めていたが、深海棲艦の出現によって事態は新たな局面を迎えている。
諸島に四機駐留していた英軍の戦闘機たるユーロファイターの内二機は既に撃墜されており、海の怪異の出現初期に勇躍出撃したミサイル駆逐艦はとっくの前に轟沈していた。
乗員の殆どが救助されたのは不幸中の幸いか。
海へ投げ出された人員は別段襲われることもなく、自国民の乗る船やアルヘンティーナ側の漁船などに救助された。
遥か遠所の英国からの援助は深海棲艦による海域封鎖で一切届くことが無く、アルヘンティーナからの締め付けもあって諸島に住む英国系住民の貧窮する窮状は日増しに酷くなる一方だった。
食糧の備蓄が心もとなくなった英国系住民たちからの訴えを聞いた英国駐留部隊司令官はアルヘンティーナ側へ交渉を持ちかけ、食糧援助と引き換えに彼らへの一時的投降に応じる。
彼は地元新聞紙の記者の取材に応え、こう答えたという。
「部下たちと住民たちの生活を守るのは、女王陛下の臣たる基地指揮官の責務であり義務でもある。」
司令官は英国紳士との評価を得て、アルヘンティーナの住民はこれを好意的に受け入れた。
これで特殊部隊を送り込まずに済んだ、と軍関係者たちは安堵する。
マルビナス諸島奪還作戦に向けての大規模な特別訓練は中断され、英軍基地には入れ替わりとしてアルヘンティーナ軍が駐留することになった。
それは遣り手の政府広報官の思惑以上に民族主義的気運を盛り上げ、アルヘンティーナの首都ブエノスアイレスではお祭り騒ぎが自然発生的に勃発する。
隣国のチリや近隣諸国でも歓迎的な空気が醸成され、それはマルビナス諸島に打ち上げられた武装少女たちの救助によって一気に加熱した。
彼女たちは米国のフリートガール、日本風に言えばメリケン艦娘に当たる存在だ。
日々大量生産され、場当たり的戦闘に駆り出されては毎日多数轟沈する彼女たち。
それは南米諸国の怒りを呼び覚まし、人造戦闘系少女たちへの同情を多く誘った。
政府広報官と新聞紙が巧みに世論を誘導して、フリートガール擁護論を構築する。
南米の民族主義運動と欧米の植民地支配への批判と人ならざる存在とは言え少女兵を使い捨てにする米国への人道的批判が魔術的合致によって渾然一体化し、『南アメリカ連盟』が発足される事態にまで発展した。
アルヘンティーナの隣国チリでもフリートガールが何名も救助され、同国内でも米国批判の高まる事態が発生した。
それは複数の海洋国家で同時多発的に発生し、南米諸国の結束力を高めるのだった。
マルビナス諸島最大の島たる東フォークランド島にあるは、首都スタンレー。
そのスタンレーの端っこの海沿いにとても小さな酒場がある。
スコッチウイスキーもバーボンウイスキーも置いていない店。
ラムやテキーラ、メスカルなど南米の地酒のみ置いてある店。
かつてマルビナス戦争に従軍した元兵士がこの店を経営しており、其処はアルヘンティーナ系住民や元兵士たちの溜まり場にもなっている。
その日、『アンクル・サミュエル』と名付けられた店の周囲は大変陽気な空気に包まれていた。
その中核はフリートガールたち。
勇猛果敢に戦う人ならざる戦士。
貧しくも陽気な島民たちが店の外へテーブルを並べ椅子を並べ料理を並べ、ムハハと笑顔を浮かべる。
ご馳走が並べられた席で、人工少女たちは困惑していた。
彼女たちはアルヘンティーナ近海に出現する深海棲艦を駆逐し、それは新聞で華やかに報道され、少女たちは同国内に於いて国民的英雄の扱いを受けている。
島へ流れ着いた当初、娘たちは心を閉ざし生きる屍(しかばね)の状態だった。
やがて彼女たちはアルヘンティーナの人たちとの交流に馴れ親しみ、次第に心を開いてゆくようになる。
美しき花が咲いてゆく如く。
酒場の店主には息子がいる。
素直でやさしく、伊達男だ。
フリートガールたちは彼にとてもなついており、店主の男は嬉しく思う。
あの尊大なジョンブルやアンクル・サムには今もムカッ腹立つことも多いが、少女たちに罪はない。
少女たちは息子を『提督』『司令官』と呼び、親しき雰囲気を常に醸し出している。
それで、いつの間にか周囲の島民たちも彼のことを『提督』『司令官』と呼ぶことが当たり前になっていた。
店から歩いて程ない場所にはいつの間にやら煉瓦造りの建築物が出来ていて、これは妖精のお陰なのだとのフリートガールの説明に素朴な人々はすんなり納得するのだった。
更なるフリートガールの説明によると、彼女たちは親和性の高い上官が存在するとその性能を十全に発揮出来るそうな。
その為に、男の息子の協力が必要らしい。
男は、二ヵ月ほど前から息子とフリートガールのまとめ役との間に親密な関係が出来ていることに気づいていた。
いずれ息子は、娘たちとの生活を選択するのだろう。
それもまた人生。
風が強い。
あの短くも苛烈だった戦いを苦みと共に思い出しながら、息子と娘たちが上手く行くようにと男は願う。
この島が国に帰属するかどうかは難しいだろうし、平和になればまた違う戦いが始まる。
最愛の息子は勇敢な戦士として、しっかり鍛え上げた。
その力が今後活かされるといいなと思いつつ、男は夕食の仕込みに取り掛かる。
フリートガールたちは、男の料理が好みなのだ。
牛肉の炭火焼きなるアサード。
メンドサ州やアサド州の葡萄酒などを添えよう。
牛の臓物や鶏肉豚肉、腸詰めなどを炭火焼きしてたっぷり盛り合わせたパリジャーダ。
半円形のパイのエンパナーダは肉入り、ハムとチーズ入り、トウモロコシと玉ねぎなどの野菜入りの三種。
ジャム入り菓子のアルファホールも人気がある。
青くどこまでも澄みきった青空を見て、男は穏やかに微笑んだ。