その昔、函館は箱館と称されていた。
明治間もない頃に共和国を樹立しようとした旧幕軍と反乱軍との間で苛烈な戦闘が道南各地にて繰り広げられ、死者を連日生み出した。
五稜郭が反政府勢力……もとい官軍によって陥落した後、敗残兵もしくは落武者が道内各地へ逃亡していった。
そして、榎本武揚の密命を受けた人間たちが彼らに紛れて五稜郭から脱出し、軍資金の三万両を道内のいずこかに運んで埋めたという。
いわゆる、『箱館三万両伝説』である。
これの派生形みたいなものとして、アイヌの黄金伝説とか日本へ亡命したロシア貴族が財産をどこかに埋めたとかなどがある。
まあ、与汰話の一種だろう。
風見鶏の彼は戦後新政府に上手く取り入ったのだし、話に矛盾がある。
小栗上野介による、徳川埋蔵金の如き感じなのだろう。
などと思っていたら、大本営から調査役に任ぜられた。
どうやら、我らの本陣は余程予算不足らしい。
調査に於ける随伴艦を一体誰にしようかと思っていたら、どこから情報が漏れたのか秘書艦の叢雲(むらくも)から話を振られて講堂へ連行された。
堂内はさほど暖房を入れていない筈なのに何故だか相当な熱気がこもっていて、真冬の道南だというのにけっこうな暑さを覚える程だった。
艦娘やそうでない娘たちに囲まれる。
大規模作戦にでも出撃するかの如し。
なしてさ。
「で、当然、私は一緒なのよね。」
叢雲が口火を切った。
「ええと、まだ思案中なんです。」
「考える程のこともないでしょ。」
「そこはやはり公平性と妥当性と……。」
「なによ、私じゃ不満足なのかしら?」
困ったなあ。
すると。
すい、と輪の中から駆逐艦が現れる。
「ちょっと叢雲。」
「なによ、曙。」
「なんであんたが一緒にイクって決まっているの?」
「夫と一緒にイクのは、妻の当然の役目だからよ。」
「なに言ってんのよ。いつから即席提督があんたの旦那になっているの。」
「添い寝は何度もしているし、体も隅々まで見られているわ。既に妻よ。」
いや、その理屈はおかしい。
すると。
ひょい、と新たな駆逐艦が輪の中から現れる。
「その理論でいくと、私たち全員がなんちゃって司令官の妻よね。」
「霞?」
「つまり、全員が司令官とイクってことになるのかしら?」
索敵なら空母系だろうとかいざという時の火力ならば戦艦系だろうとか、小回りの効く駆逐艦は必須とか巡洋艦も忘れないでくださいとか意見百出して一向にまとまる気配を見せない。
うーん。
結局、道内の放送局や雑誌社を巻き込んでのやや大掛かりな調査隊が編成されることと相成った。
気分は遠足である。
結果から先に言うと、調査は失敗に終わった。
文献や古老の話や言い伝えや曖昧極まる伝承などに基づいて、事前調査は出来得る限り詳しく行った。
元深海棲艦を含む空母系艦娘たちの全面的な協力もあったし、皆丹念且つ精力的に調べ回ってくれた。
だがしかし。
第五次調査隊まで組んで鎮守府所属の各員と順々に出かけたのだが、それらはすべて空振りになってしまった。
…………。
まあ、現実はこんなものだろう。
自分自身を艦娘だと思い込んでいる女の子たちに対する最後の任務がこれだったのは微妙かもしれないけど、全員でなにかを行う意義はわかってくれたんじゃないかと考える。
この半年間で海洋訓練を含む様々な取り組みに積極的だった彼女たち。
擦り傷軽傷は日常茶飯事だったが、死者も重傷も重体もなく過ごせた。
それは実に稀有(けう)な僥倖(ぎょうこう)だったのだと思われた。
『艦娘』から『普通の女の子』に戻るための、長い長い儀式だったな。
『解体』を経て『退役』し、社会へ出る彼女たちに幸多からんことを。
卒業式……もとい、退役式に彼女たちへ直接証書を授与し、そして、『艦娘』でなくなった少女たちは親元へ帰っていった。