『司令官』は●リジン寄りです。
今回は二九〇〇文字ほどあります。
諸業務がようやく落ち着いた、昼下がりの執務室。
南の島の、ちっちゃな基地のど真ん中。
大佐がチン、と机上の壺を指で弾いた。
殺風景な部屋に於ける、唯一の美術品。
「北宋の青磁だ。大変よい音色だろう。」
「はあ。」
「くくく、君は中尉と同じ反応をする。」
なにが可笑しいのか、大佐は機嫌がよさそうな顔つきで笑う。
相変わらず、どこか変な人だ。
『中尉』って誰のことだろう?
女の人だとしたら、イヤだな。
私は秘書艦として志願したけど、どうして大淀さんはあんなに司令官にくっついているのかな?
何故、司令官はあんなに平然としていられるのかな?
私は駆逐艦。
この小さな泊地で日々の業務に追われる、ちっぽけな存在。
補給に悩まされつつ、深海棲艦との戦いに明け暮れている。
戦艦、正規空母、重巡洋艦、軽空母が一名ずついてくれるので、それがせめてものありがたさなのかも知れない。
深海棲艦の戦術は神出鬼没なものもあり、まるで向こうにも司令官がいるかのように思えるほど。
兵員と神経と物資を毎日毎日すり減らし、破壊された周辺基地の艦娘を吸収・統合しながらやっつけ仕事のように戦い続けている。
いつかは勝てると信じて。
たまに大型作戦が発令され、その時の私たちは十分な補給を受けられる代わりにしっちゃかめっちゃかの日々を過ごすことになる。
傲岸不遜で尊大な大企業と下請けの中小企業の関係みたいに。
コンビニエンスストアの本社と、雇われ店長の関係みたいに。
大本営の幹部や政治家や官僚が口出しすると、ろくなことはない。
要領を得ない、冗長な喋り方しか出来ない人間は大抵面倒くさい。
自分自身と身内ばっかりに気を使う人なんてのも大体面倒くさい。
ああ、やだやだ。
お偉いさんに流れ弾が当たってしまうことはないこともない。
名誉の戦死を遂げられたのだから、本望なんじゃないのかな。
二階級特進もあるのだし。
一発で素早く仕留めるのだから、相当な腕の暗殺者だと思う。
美談にまとめるのが常套手段なマスメディアの人たちに、後のことは任せておこう。
鵜呑みにする人が多いのなら、それに合わせた内容にしてしまえば問題ないのだし。
戦場へ取材に行った記者が戦闘中に行方不明になることは、よくあることなんだし。
泊地の司令官がたまたま殉職してしまい、私たちは途方に暮れていた。
そこへ現れたのが、今この執務室で仕事をしている『大佐』だ。
異世界の軍隊にて基地司令をしていたという。
渡りに船とばかりに彼に司令官を引き継いでもらった結果、新司令官のやり方は非常に効率的なことが判明した。
どうやら、本当に大佐だったみたいだ。
あの日、この元無人島から逃げ出そうとした敗北主義者の旧司令官が、攻撃機から投下された爆弾によって爆散した。
その後、迎撃に辛くも成功した私たちはことごとく傷だらけで、身にまとった衣類などぼろ切れ同然でしかなかった。
だから。
突然林から現れた『無傷』の男性に対し、警戒心をあらわにした我々は当然の行為をおこなった。
即ち、どこかの国の間諜かと思って縛った上に逆さ吊りの刑に処したのだ。
裸に剥いて駿河問いをしようという意見もあったが、やらなくてよかった。
先輩たちがなんだか興奮していたように見えたけど、あれはきっと見間違いだったのだろう。
しかし何故、司令官は壺を持っていたのかな?
それが謎だ。
諜報員との疑いが解けた後、私たちは大佐に深く謝罪した。
大佐は意外と鷹揚な人柄だったのか、それをあっさり受け入れてくれた。
ありがたいことだ。
「年端もいかない少女たちばかりを最前線で酷使するだと? 君たちの国の総司令部は無能揃いかね?」
冷ややかな目付きの大佐の辛辣な台詞が、防衛戦直後でぼろぼろの私たちに突き刺さる。
執務室を含む建築物は旧ドイツ軍のブンカーを参考にして作られた防空施設だったので、さいわいにもやられていなかった。
それ自体はよかった。
ただ。
私たちが身に付けているのは、服の端切れと毛羽立っていて所々穴の開いた使い古しのバスタオルだけ。
司令官は紳士なのか、私たちを直接見ないようにしていた。
じろじろ見る輩も多いのに立派なことだ。
壊れた艤装の修理にも時間がかかるし、高速修復材など非常用に備えた少数しかない関係で、私たちには短時間で自らを癒やすことなど日常的に出来よう筈もない。
もし今攻められたら、おしまいだ。
司令官の顔が赤らんでいるかに見える。
バスタオルを体に巻いてうろうろすることは、私たちにとってはいつものことだ。
それはちょっと自粛しよう。
男性がいない状況ならば、マッパの時さえあるのは悪癖かも知れない。
男性が近場にいるとなった時に女として自覚するのは、人間も艦娘も同じだ。
ここには、明石さんも夕張さんもいない。
当然だが、間宮さんも鳳翔さんもいない。
嗚呼、函館でもう一度ご飯を食べたいな。
生きて、生きて再びあそこで食べるんだ。
絶対。
絶対にだ。
少し壊れ気味だけど、有能な大淀さんがいてくれるから、なんとか書類業務が回っている。
被害の大きかった子から入渠施設に入れてはいるが、狭い上に二つしかないからまだまだ時間はかかりそうだ。
「人間大の敵が殆どだからといって、君たち以外を用いる対抗手段が皆無な訳でもないだろう? 本国の軍隊はなにをしているのだね? 核は使わなかったのか?」
彼から発せられた質問に、少し赤い顔の大淀さんが彼の耳元で囁くように答える。
私は、それを補うように喋った。
先輩たちや同僚たちもそれに続いた。
私たちの説明を聞き、青汁を飲んだかのように苦い顔となる司令官。
「国として比較的まともに機能しているのは、本国を含む先進国が幾らかとその保護を受けられている周辺の新興国くらいか。実に酷い有り様だな。本国の人口もかなり減っていて、首都がトーキョーでなくなってしまいそうなのか。」
少しさみしげな感じで、司令官はそう言った。
「なんだ、このあまりにも非効率的な運用方法は。これで作戦が上手くいく訳がないだろう。」
臨時司令官になることを渋々承諾してくれた大佐は、泊地の過去の資料を読みながら噴飯状態に陥った。
執務室に集合した私たちは、司令官から叱責を受けている。
今度はちゃんとした恰好をしていたのに、何故司令官から破廉恥な服装だなどと言われたのかよくわからない。
大淀さんは、司令官に密着しながら資料の説明をしていた。
「君たちも君たちだ。無能な司令官の言うことに唯々諾々と従うのは、いっそ害悪な行為だぞ。君たちにも非がある。」
剣呑な表情の部下に対し、平然と批判を行う新司令官。
意外と剛胆なのかな?
最初はいい人だったんだけどな、あの旧司令官も。
怒って、気遣いしてくれて、上申書を何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も軍令部に提出してくれて、絶望して、それから……それから……あんなこ………。
……。
結局、前任の二人と同じことになっちゃった。
「ふむ、致し方ない。私が君たちの臨時司令官になってやろう。」
執務室に集まった全員の前で、四人目の司令官はそう宣言した。
カチリ。
なにかの歯車がきちっと噛み合わさった音色を聞いた。
確かにそれは、私の耳に届いた。