今回はSCP-3353(オブジェクトクラス:Keter)を元に、話を構築しました。
仏蘭西菓子店の『フロランたん』が函館鎮守府の近くに出来た。
店主は欧州の民間伝承が好きで、おとぎ話を特に好むと聞いた。
仏蘭西のアルザス地方で修行した彼女はシヴェリア鉄道を使って本邦へ戻っており、開拓者魂に満ちているかに見える。
彼女はたくみな挿絵を描き、ブログに投稿されたその絵師としての腕は私の書いた小説の表紙絵も頼みたい程であった。
店主は林檎を使った菓子に一家言あるらしい。
独逸の冬は林檎が大人気であるけれども、仏蘭西だって負けてはいない。
我らが北の国も七飯町や余市や旭川などは林檎の産地として知られているし、お隣の青森県は日本最強の林檎生産地だ。
最近は道内でも林檎の生産に力を入れているので、おいしい林檎を手に入れやすくなるのはよいことだと思う。
以前は岩手県並みの生産量を誇ったそうなので、往時の様相がその内甦るのかもしれない。
『フロランたん』には小さな果樹園が隣接していて、いつもではないが時折夜中に変わった林檎の樹が現れ実を生らせるという。
それらは何故か写真や映像に残せないらしいが、“あなたの秘密を教えて”という文言が筆記体で印刷物の如く林檎の表面に表れているそうな。
はて、面妖な。
その林檎を持って、秘密を表明した時。
それは小さなお菓子に変容するという。
サブレとかタルトレットとか洋生菓子。
そうした変化が何故だか起こるという。
しかも、素早く食べないとすぐに悪くなるそうな。
お菓子を食べた後、周辺には茸が幾つも発生して光るらしい。
……。
なに、そのファンタジー。
うーん、一応調査した方がいいのかな?
事務の田中さんにその話をしたら、微妙な顔で「まあ、提督だったら大丈夫でしょう。」と言われた。
うちの艦娘たちは連れていかない方が無難かもしれない。
単独行動しようと思うと言ってみたら、教官たちを含むうちの艦娘たちから連れてけ連れてけの大合唱になってえらく騒がしくなった。
それを他所の艦娘たちがやんややんやと応援するので、実に困る。
結局、猛烈な柳生剣……間違えた、野球拳の末に吹雪がついてくることと相成った。
叢雲(むらくも)曙霞の三者による激戦は手に汗握る勢いだったし、長門妙高先生加賀対鳳翔間宮大鷹の連合対決は峻烈を極めて苛烈激烈大激突だった。
島風含む出張艦隊の面々が戻ってきたらまたやいのやいのと責められるだろうが、それは致し方ない。
まあ、レ級並みかそれ以上の戦闘力を持つ彼女が護衛ならば、大抵の危険は乗り切れるだろうと思う。
風の強い夜半。
『フロランたん』に到着して、店主と話をしてから果樹園へと向かう。
うっすら光る林檎の樹がその中にあった。
ははあ、これが例の樹だな。
店主が無造作に樹へ近づき、手近の林檎を手早くもいで我々に手渡す。
じっくり見てみた。
確かに、林檎の表面には“あなたの秘密を教えて”と筆記体で記されている。
まるで印刷したみたいに。
これも一興と、林檎にごくごく小さな声でささやいてみた。
「私は艦娘たちから日々熱烈攻勢を受けていますが、恋愛がなにか未だによくわかりません。それ故に、彼女たちの折角の好意を台無しにしているのではないかとの不安があります。」
ぱっかん、と林檎が二つに割れ、マンチェスタータルトに変化した。
手のひら大の大きさである。
はて、けったいな。
仏蘭西菓子店の果樹園なのに英国の菓子が出現するとはこれ如何に。
……まっ、いっか。
パイ生地にラズベリーの砂糖煮が広げられていて、その上はカスタードクリームが覆っている。
表面には砕かれたココナッツが振りかけられていて、その頂上にはさくらんぼの砂糖漬けが載せられていた。
まごうことなきマンチェスタータルトだ。
写真でしか見たことはないのだけれども。
“eat me.”と流麗な筆致にて書かれた板状のチョコレートが、ちょこんとさくらんぼの近くに鎮座している。
ホワイトチョコレートで書かれた優美なイタリック体の文言は、非常に魅惑的な雰囲気を醸し出していた。
ほう、面白いじゃないか。
食べてやろうじゃないか。
口に含むと、カスタードクリームの中には檸檬の香りが加えられていて爽やかに口中を旨みで蹂躙してゆく。
む、これはたまらぬ。
ラズベリーの酸味と甘味がそれへ素早く加勢し、ココナッツと共に夏色のナンシーが私のそばを駆け抜けていった。
吹雪は小さな声でなにかを呟いていたが、彼女の林檎も二つに割れてこちらはフィナンシェに変化する。
なんらかの法則性は存在するようだが、それがわかる程実験は出来るだろうか。
下手なことをして火だるまも困るぞ。
怪しげな菓子を躊躇なく食べる吹雪。
勇者だな。
「これはとてもおいしいフィナンシェですね。」
吹雪はにっこり微笑んだ。
少し茶目っ気含んだ顔で。
何故だか、このうっすら光る樹が嗤っているかの錯覚を覚える。
それはささやかなイタズラのように。