はこちん!   作:輪音

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ⅩⅩⅩⅠ:カレー大戦

 

 

 

深海棲艦侵攻以降、『国際社会』と呼ばれるセカイは崩壊した。

そして、『贅沢は敵だ』とか『欲しがりません勝つまでは』とかいった、古い古い表現が復活する。

嫉妬と怨嗟と羨望と絶望が世間の人々の目を曇らせ、僅か三年で日本の庶民感覚はおかしくなった。

或いは、それは過剰適応だったのかもしれない。

 

戦前より生きてきた人たちからするとそれほど忍従を強いられた訳でもない『空白の三年』が過ぎた後、艦娘は救世主として颯爽と現れた。

まるで、悪魔が演出でもしているかのように。

 

 

 

『最高のおいしさを提供します』を惹句(じゃっく)とする武良多料理会は、嘗ては全国各地に多大な影響を及ぼす自称料理専門家組織でマスメディアにも幅広い人脈を確保していた。

 

最近は、『食の幸せは生きている幸せ』を惹句とする帝國良食會に押され崩壊寸前に近い状態である。

妥当価格の良心的料理提供店を全国展開している彼らは、権威的組織からすると目の上のたんこぶだ。

 

贅沢を過剰に忌避する社会では高級料理店に軸足を持つ武良多料理会は非常に不利だが、庶民感覚を既に喪失している彼らは内心帝國良食會を侮蔑している。

 

自称選良たちが目を付けたのは、奇策を得意げに操り詭弁を平気で口にする少年料理人だった。

正確には、少年の母の美貌に目を付けた幹部で絶倫野郎の丸目の独断専行である。

 

『武良多料理会』最強の刺客にして、自称天才少年料理人の『知多星の良一』と激闘を繰り広げて涙を飲んだ名庖丁遣いが何人も発生した。

都合よく現れる覆面老人の不公平な裁定によって、少年は一躍時代の寵児になった。

だがしかし、急成長する者が一旦その不確定な支持寵愛を失うと没落はとても早い。

彼に決定的引導を渡したのは、姉川老川両名の名料理人たちによる合体技の料理だ。

 

それは奇しくもカレー対決。

美しき未亡人の母。

いつも良一をやさしく励ます母。

その彼女は、丸目と対決会場の裏手で貪るようにチュッチュッしていた。

それを偶然見かけたことが、良一の精神に重圧をかける。

そのエロエロしさを武良多料理会首魁の武良多一郎太郎から叱責された丸目は、そのまま良一の母と共にどこかへ逐電した。

 

慕っていたおっさんが、ただのゲス野郎であったことを知った良一は衝撃を受けた。

衝動的に少年は、幼馴染みの少女の唇をクチュクチュして思いきりグーで殴られた。

あれは痛い。

それでも奮起した少年は最大級の奇策と詭弁を鮮やかに用いたが、結局正統派の誠実な料理に破れた。

常々味勝負に横槍を入れる、偏屈覆面老人の介入が何故か無かったのも大きかった。

 

 

その翌日。

帝國良食會の幹部たる八傑衆は有望な料理人たちを掻き集め、積極攻勢に転じた。

瀬戸内海の海の幸を豊富に使って巻き返しを図った、有名な『瀬戸攻勢』である。

 

帝國良食會本社は、麻婆豆腐の都として有名な兵庫県冬木市にある。

その首班たる赤毛の青年実業家の武良多=エミヤ・士郎は、八傑衆全員と一門衆を集めた大会議場で檄を飛ばした。

彼の親友で八傑衆三位の鬼頭新一は端正な顔にいつものニヤケ顔のまま、その場で武良多料理会の打倒を宣言する。

士郎の妻で八傑衆筆頭のアリア・コンタックスも賛意を示すために頷いた。彼女は青いドレスを翻しながら言った。

 

「それにしてもお腹が空きました。」

 

帝國良食會の攻勢は苛烈の一言に尽きた。

それまでは忍びに忍んで耐えに耐えていた彼らが、一気に牙を剥いたのだ。

すっかり根腐れしていた武良多料理会が、その勢いに抗しきれる訳もない。

日本の料理界に君臨していた、独善的組織はぽっきりあっさりと瓦解した。

 

特にそれまで人前で活躍することを控えていた八傑衆が積極的に前線で善戦したことも、帝國良食會の面々に大きな力を与える。

 

『疾走するカワサキ』や『明晰なる郭嘉』

や『北の悪魔の関屋』などの奮闘も、戦力を欠いて幹部が次々に逐電した武良多料理会にとって不幸をいや増した。

 

その戦線をよく支えたのが姉川と老川の両名である。

彼らは後方支援に徹して補給線を維持し、おいしい賄いを作っては皆に振る舞った。

 

艦娘たちの在籍する鎮守府と交流しようと提案したのも、姉川老川だった。

将来性を信じたのである。

彼らは横須賀鎮守府古参の鳳翔や間宮たちと連携して、おいしい料理を開発した。

 

 

 

激戦が終わった後、姉川老川両名は一介の料理人になった。

帝國良食會総帥の士郎は誠意を持って引き留めたが、説得は叶わなかった。

彼らは、己の自由を愛する心を尊重したのである。

それは実際、簡単に出来る振る舞いではなかった。

 

 

その姉川老川両名が函館駅に降り立つ。

 

「ここが函館だね、姉川ちゃん。トラピスト修道院のソフトクリームはとっても旨かったねえ。どこかでなにか食べてから鎮守府へ行こうよ。間宮さんや鳳翔さんは元気かねえ。」

 

どことなくおネエっぽいしゃべり方をする老川。その衣裳は緑色を主体とする。

 

「正にはるばる来たぜ函館、だな。よし、自由市場で餡掛け焼きそばを食べてから鎮守府へ向かうとするか。行くぞ、老川。」

 

それとなく不敵な感じのしゃべり方をする姉川。その衣裳は赤色を主体とする。

二人は仲良く自由市場に向かって歩き出した。

 

 

 

提督のちょっとエッチな撮影が急遽入った為に延期はされたものの、いよいよ始まったカレー対決当日。

給糧艦の間宮や元教官たちが着任する少し前の日のことである。

 

判定員としては姉川老川両名、軽空母の鳳翔、戦艦棲姫に特別審査員として横須賀第一鎮守府の比叡。彼らが奇数なのは、同点にならないようにとの配慮だ。

全国各地並びに海外の泊地からも青葉が取材に来ていて、腕章がないとどこの青葉だかわからない混沌になっていた。

 

 

軽空母の龍驤を手伝うのは初期着任組。

『一門衆』と誰かが言い始めて、その呼称が定着しつつある。

 

航空母艦の雲龍を手伝うのは呉移籍組。

『瀬戸衆』と誰かが言い始めて、その呼称が定着しつつある。

 

提督を手伝うのはメリケン艦娘たちと愉快な仲間たち。

『メリケン衆』と言われ始めて、その呼称が定着しつつある。

 

その他の艦娘たちは、『他門衆』と自称し出しているらしい。

 

 

死合前日に比叡から振る舞われたカレーは実に旨かった。

本職の姉川老川さえ絶讚する絶妙の美味。

深みとやさしさと愛しさとせつなさと心強さが交差する、そんな素敵風味。

隠し味の日本蜜蜂の深い甘味が日本の深淵を直撃して、愛を再確認させる。

あれを超えるカレーを作らなくてはならない。

勝負の場に臨んだ戦士たちは気を引き締める。

 

 

味勝負がいよいよ始まった!

それは源平合戦の時代から連綿と続くおいしい対決!

平家の圧倒的な料理力が、壇之浦の悲劇に繋がったのは皮肉な話だ。

アズマエビスでは、教養溢れる集団には太刀打ち出来なかったのだ。

その悔しさが、バンドウムシャたちの奮戦に繋がったと言えようか。

当時の様に鹿肉や甘草を使うことは殆どないが、その熱き魂は今に継承されている。

ヘイケバンザイ!

 

「あれは、アルマニャック(作者註:ブランデーの一種)を使ったフランベ!」

「紅玉をあんなにすりおろすなんて!」

「あれは烏賊や海老やホタテ! 海の幸カレーか!」

「あれはサフランライス! やるな!」

「古式ゆかしいお袋さんカレーを作るのは提督一派か!」

「あれはパイナップル!」

「おおっと! 鳳翔さんが乱入して、包丁で切っちゃった提督の指をくわえた! あれはエロい! 放送出来ません! 出来ませんが撮影はしておきます!」

「乱戦です! 乱戦が始まりました! あれ? あれは小樽のローマさんでしょうか? いつの間に来られたのでしょう?」

「カレーを確保しろ! 食材を無駄にするな!」

「提督が怒っています! 普段怒らない提督が烈火の如く怒っています! 流石にいつもフリーダムな艦娘たちもしゅんとしています!」

「味勝負再開です! この勝負、どう見ます、姉川さん?」

「そうだな、素人にしては手つきがいい者も見られる。食材の斬り方、下味の付け方、火の通し方などで味はガラッと変わるから、その辺りをきちんと出来るかどうかが決め手だな。」

「流石、本職。深いですね。老川さんは如何ですか?」

「そうだねえ、最後は愛よ、愛。ねえ、姉川ちゃん。」

「ふん、当たり前、当たり前、当たり前。それが当たり前に出来てこそ料理人だ。」

「ありがとうございます。戦艦棲姫さんはどう見ますか?」

「提督を食べたいわ。」

「おおっと、大胆発言! でもカレーには関係ない! では最後に比叡さん。一言お願いします。」

「皆さん! 気合い! 入れて! 作ってください!」

 

 

 

戦い終わって日が暮れて。

夜更けの厨房で提督が片付けをしている。

そこへ鳳翔がやってきて、提督に詫びを入れる。

苦笑しながらそれを受け入れる提督。

二人は仲よく小鉢に盛ったカレーを食べた。

 

そして、画面にはエンドロール。

 

 

「どうですか、提督。『カレー大戦』はなかなかの評判ですよ! 次は駆逐艦の子たちを主演に据えた『スイーツ作戦』なんて如何ですか? ダブルヒロインやトリプルヒロインもいいですねえ。」

 

一緒に視聴していた横須賀第一鎮守府の青葉が、左隣で鼻高々に報告してきた。

そのまま部屋に居座ろうとする彼女を、私室から追い出す。

テレビをその内ここから出そうかな?

あると艦娘たちがぞろぞろ来るしな。

 

半ばドキュメンタリーっぽい映像作品を見終わり、私は右隣で満足そうな顔の鳳翔を見つめる。

無言でぎゅっと腕をより強く絡める彼女。

もし、ここが数名しかいない鎮守府だったら、或いは……。

 

「またカレーを作りましょうね。」

 

そう囁くと、鳳翔は私の耳たぶを素早く軽く噛んだ。

 

 

 

鳥取砂丘の砂の嵐に隠された塔。

古びた外観にもかかわらず、中には未来的な設備群が並んでいる。

そのダイニングキッチンらしき場所。

二人の壮年の男性が向かい合ってカレーを旨そうに食べていた。

一人は羽毛扇を時折ひらひら振りながらハヒハヒと辛いカレーを食べ、もう一人はゆったりした服をひらひらさせながらフハフハと辛いカレーを食べている。

 

「これが函館の面々が作ったというカレーか。」

「これはなかなかおいしいものでありますね。」

「このお袋風カレーが素朴でよい。」

「海の幸カレーも味わい深いです。」

「美味美味。」

「ところで、ヨミ様。」

「なんだ、孔明。またいつもの悪巧みか。調略でもする気か?」

「私はヨミ様に忠誠を誓っております故に、考えるところのものと成すところのものは、すべてヨミ様の御爲になることばかりで御座います。」

「よく口が回るものよ。まあ、そういうことにしておいてやろう。ところで風魔は函館に付いたぞ。あの劉鵬が提督の警護をするらしい。あの怪力とおかん力は厄介だな。」

「大淀の策ですな。小賢しい娘です。」

「夜叉は中立を保つと言っておった。」

「弱体化する組織は益々臆病になりますので、致し方ありませんな。」

「このラッシーは奥行きがあって、深みもある。」

「このらっきょうは、蜂蜜に浸けてありますね。」

「カワサキ老はあのままでよい。彼の自由裁量に任せよう。」

「承知致しました。」

「郭嘉も好きにさせておけ。あれは全部分かっている男だ。」

「仰せのままに。」

「現在跳梁跋扈している、深海棲艦の姫級や鬼級はどうするつもりだ?」

「当分泳がせる予定です。」

「海のモノだけにか。」

「左様で御座います。」

 

そして無言でスプーンを動かすおっさんたち。

辺りは、香辛料の芳しいにおいに満ちてゆく。

 

 

 

 


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