今話は、石持浅海(いしもちあさみ)氏の『殺し屋、やってます。』及び『殺し屋、続けてます。』から創意を得ました。
連絡係の一人の名前が『日向殿』になっていますけれども、それは原作で『伊勢殿』になっているのを変更したためです。
今回は四五〇〇文字ほどあります。
あいつは!
あいつは!
俺の正義を理解しようともしない!
俺の言葉を受け入れることもない!
あいつは愚か者だ!
俺が!
俺が!
俺の考え方こそが!
俺の言うことこそが!
それこそが、正しいことなのに!
何故!
何故!
何故、それが理解出来ないんだ?
…………。
そうだ!
奴を滅するべきだ!
生かしておけない!
あんな奴を生かしておく理由はない!
そうだ!
あいつが生きているから、俺の理想が遠のくばかりなんだ!
許せない!
絶対!
絶対!
絶対に許せない!
ちょっと太めの男は夜に吠える。
己の信念こそが、真実と信じて。
「私が殺してもらいたいのは、この人物です。」
時間帯は夜更けに該当する、都内にある不動産屋。
仕立てのよい服を着た主は、来客たる細身の中年男性が手渡してきた写真をしげしげと見る。
目立たない感じの、四〇代の男性。
艦娘たちと並んで撮影されていた。
対象の人物は、函館鎮守府の提督を拝命しているという。
「対象の調査には、現地到着後から一週間いただきます。調査終了後に殺し屋が対象を殺すかどうか判断し、受注するかしないかを回答させていただきます。」
「殺せない場合もある、ということですか?」
「例えば、対象が函館鎮守府に所属していないとか、まったくの別人だったりした場合ですね。」
「そういった点は大丈夫です。」
「それと、隙が全然無くて純粋に殺せない場合です。」
「彼はたまに一人で歩くことがありますから、そういった時を狙えば必ず殺れることでしょう。」
「その判断は、殺し屋が十分調査した上で行います。」
「……わかりました、殺し屋にすべて任せます。情報は随時提供させていただきますので、よろしくお願いします。」
「かしこまりました。」
東急東横線綱島駅からおよそ徒歩五分の場所。
少しひなびた、ボクたちのアンティーク・ショップがそこにある。
その店はボクら兄弟が経営しており、兄が仕入れと接客を担当し、ボクはインターネット関係と接客を担当している。
「また、ヤるのかい?」
業務終了後、先日たまたま入手した本物の珈琲の香りを楽しみつつ、鳩サブレをかじったボクは兄に問いかけた。
「さっき塚本君が来ていただろう。彼が日向殿から連絡を受けてね、僕に仕事を持ってきたのさ。」
「相手は?」
「この人。」
兄が日向殿に直接連絡することは一切ない。
兄は『日向殿』と名乗る人物のことをなにも知らないし、当の日向殿もボクたちのことをちっとも知らない。
依頼人と日向殿、日向殿と塚本さん。
連絡係を二人にして間に人を挟むことで、殺人後に殺し屋が依頼人を脅迫することが無くなる。
この殺人依頼三段階方式が、結局は関係者全員の安全性を高める方策となっている。
だからこそ、安心して人を殺せるという寸法だ。
日向殿はどんな人なのだろうか?
もしかして、瑞雲が好きだったりして。
もしもそうだったなら、それはとってもいいな。
兄が対象の写真を見せてくれた。
人畜無害な感じの中年男が写っている。
見覚えがあるどころか、今現在も会いたい人だ。
別に好きって訳じゃないんだけど。
「函館鎮守府の提督じゃないか。」
「知っているのかい?」
「知っているもなにも、以前彼の世話になったことがある。」
ボクは元艦娘なのだ。
元々は普通の男だったけど諸般の理由で戦場に赴き、そして生き残った。
生き残って得られたのはこの体。
決して男に戻ること能わない体。
仕草が男らしくないと兄は言うけど、器に中身が引き寄せられるのは当然のことだ。
故に、女の子っぽい感じが抜けないのも致し方ない。
提督のあの背中やその他の箇所を思い出してしまうのも、それはそれで仕方ないことだ。
ボクは思い出す。
帰国してから、この国で生活するために必要な書類が膨大だったことを。
今尚も古びた港北区役所での手続きは煩雑を極め、ほとほと閉口したのは記憶に新しい。
「悪いけど、これは仕事だからね。殺せそうなら殺す。それだけさ。」
「ふーん。」
「イヤなのかい?」
「提督は常時艦娘に守られているし、鎮守府から離れることはあまり無いよ。」
「対象はたまに単独で鎮守府を抜け出すことがあると、先程塚本から聞いた。」
「ふーん。」
「お前がイヤなら受けないけど。」
「提督を兄さんが殺れるかなあ。」
そう言った瞬間。
ほんのかすかだが、兄の頬がぴくりと動いた。
「それは、挑発しているのかな。」
「提督、いつも厳重に守られていたから。」
「まあ、僕もうぬぼれるつもりはないし、駄目なら駄目で断るよ。」
「お土産は函館の間宮が作った間宮羊羹でよろしく。」
「それ、買えるの?」
「運がよければね。」
「それ以外は?」
「マルセイバターサンドで。」
調査のため、函館へ向かうことにする。
ただでさえ本数の少ない東北新幹線はどうやっても指定席が取れなかったのだけど、近年復活した特急はつかりの指定席はなんとかおさえられた。
これで上野から青森駅まで行き、青函連絡船で函館へ上陸する。
骨董品や雑貨の仕入れを隠れ蓑にして、調査を行う。
殺れそうだったら、そのまま殺す。
それだけだ。
弟がネットで五稜郭近くのウィークリー・マンションを押さえてくれたから、そこを拠点にして活動だ。
有能なので、とても助かっている。
ありがたい。
弟は元艦娘故に魅力的な外見をしており、その外見に騙されがちだが力や素早さや耐久力などは人間をはるかに上回る。
その弟と言い争いになったことが一度あるのだけれど、鍛えていた体が弟の攻撃に対してまるで有効活用出来なかった。
つまり、艦娘を相手にしたら僕なんて瞬殺だ。
相手をしないで済むようにしないといけない。
兎に角、調査だ。
調査に一週間、殺しの期間は二週間を使える。
その期間で殺れるかどうか判断しよう。
新作DVDの撮影をしたり、雪掻きをしたり、有明の同人誌即売会で売り子の手伝いをしたり、書類仕事をしたり、函館市主催の行事に参加したり、大手鎮守府の作戦支援中継地として艦娘たちの世話をしたり、と忙しい。
その中で、私は変な噂を聞いた。
大本営の過激派の一部の暴走と、なにかをこじらせた人物の電脳上に於ける過激な発言について、である。
囮(おとり)がどうとか、釣り野伏せがどうとか、返り討ちにするとか、そんな会話が漏れ聞こえてくる。
物騒なのは厭だなあ。
提督が一人で動く日時の情報を入手する。
よし、この時にヤろう。
逃走経路を確保し、確実に仕事が出来るように準備しなくちゃ。
終わったら、ラッキーピエロでチャイニーズチキンバーガーだ。
しんしんと雪の降る夜半。
提督が一人で歩いてゆく。
護衛の姿はどこにも無い。
雪を踏む音だけ聞こえる。
人の気配が殆ど無い通り。
薄暗くてヤりやすい感じ。
好機到来だ。
よし殺ろう。
そっと忍び寄ってナイフを懐から取り出した。
「死ねっ! お前がいなければ!」
あっ。
横合いから飛び出してきた太めな男が僕と提督の間をふさぐ形となって、ナイフの軌道上にその首をさらした。
思わず、頸動脈をすっぱり斬り裂いてしまう。
しまった。
失敗だ。
僕は即座にナイフを捨て、逃走に移った。
後方で提督がなにか言っているけど、走っているからよく聞こえない。
そもそも聞いている場合じゃない。
一瞬だったし暗がりだったから、顔は覚えられていない筈だ。
リバーシブルのブルゾンを着ていてよかった。
辺りに人の気配がないのを確認し、それを裏返しにする。
ふう。
取り敢えず駅前に向かおう。
途中のうらさびれた居酒屋で時間を潰し、あとは知らん顔だ。
あんな不測の事態が起こるだなんて、予想出来る訳ないじゃないか。
あーあ。
明日は失敗したことを塚本に話し、違約金を払う話になるな。
仕方ないか。
明後日くらいから観光したり、仕入れと観光を兼ねて江差や松前に行ってみるか。
札幌辺りに足を伸ばすのもいい。
帰りは青森で味噌おでんを食べたり、秋田で湯沢の林檎を買ったりしてみようか。
奇妙な殺人事件は、函館鎮守府と函館警察署、それに陸上自衛隊函館駐屯地の三者を巻き込む大がかりな事態に発展した。
『函館提督暗殺未遂事件』としてそれは全国報道され、多数のマスゴミ、もといマスメディアが来函する状況を生み出す。
当初函館の提督に返り討ちにあったと報道された暗殺者は住所不定の無職四〇代男性と判明し、陸幕僚監部調査部調査第二課別室によって背後関係が詳しく調べられた。
結果、特定の考え方に固執し、ネット上で複数の人間に嫌がらせをしてやわらかく注意されると猛々しく怒り狂い、自身の考え方にそわない人物を一方的に責め立てるということくらいしか判明しなかった。
なにかの組織に属しているかと思われ、各種暴力系団体や反社会的団体に捜索の手が伸びたものの、はっきりした証拠は一切見つからなかった。
この後半年ばかり調査や捜査は行われるのだが、さしたる成果も出ないままにそれらはあっけなく打ち切られることになる。
少し呑み過ぎたか。
この時世でも良質な料理と酒を提供する店は存在する。
我々みたいな選良のために用意された店舗が実在する。
程よく呑んで程よく食って、経費は大本営持ちである。
こうしたことをするために、今まで切磋琢磨してきた。
この生活を継続するためには、不要な輩を排除せねば。
あやつらの勢力を絶対に削ぎ落とさねばならないのだ。
そのためには、函館の提督を排除しなければならない。
アレがいなくなったら、あやつらの発言力も低下する。
くくく。
料亭を出ると、まぶしいくらいに美しい月が見えた。
先行きがいいじゃないか。
護衛を遠ざけ、一人で帰ることにした。
無粋な男たちがなんやかんやと言ってきて非常にわずらわしい。
こんなに治安のいい場所でなにが起きるというのだ。
馬鹿馬鹿しい。
ふらふらと暗い路地を歩く。
酔いが心地よい。
くく、早く吉報が欲しいものだ。
ん?
不意に首筋が熱くなり、力が急速に抜けていった。
あ?
鮮血がコンクリートの壁に吹き付けられているのが見える。
は?
これは、私の血なのか?
何故?
どうして?
視点が下がる。
足に力が入らなくなったためだ。
声も出ない。
体内からどんどん力が抜けてゆくのを感じる。
嫌だ。
私はもっと出世して力をつけるつもりだったのに。
冷たい目で私を見つめる女がいた。
四〇歳くらいか。
彼女はポイと凶器のナイフを捨て、すたすたと歩き去ってゆく。
謀られたか。
寒い。
とても寒い。
意識が遠くなってゆく中、雇った殺し屋が上手くいくことを私は切に願った。
兄から、函館の間宮特製の羊羹とマルセイバターサンドが送られてきた。
パーフェクトだ。
あの仕事は失敗したけど、仕入れはそこそこ上手くいっているみたいで段ボール箱が時折届く。
湯沢の林檎も届いたし、北海道と東北諸県を堪能しているみたいだ。
新聞に函館の提督暗殺未遂事件が大々的に報道された後、塚本さんがうちに来た。
日向殿から依頼人が殺されたことを伝えられ、ボクは大変困惑してみせると同時に提督が殺されなかったことに安堵する。
いろいろな意味でよかったと、ボクはそう思った。
大本営のいけ好かない高官が丁度黄泉路へと向かったことだし。
あいつには随分恨みがあったから、いなくなってさっぱりした。
ふふふ。